レブラス

 

 その戦慄すべき光景をダルガとエレアは途中から、ぼうぜんとした面もちで凝視していた。
 悪夢だ、と思った。
 もりあがる汚物塊のようなレブラスの肉体が復元するにつれ、のみこまれたはずの二人の人間の上半身が、壁にぬりこめそこねた死体か何かのようにのぞきはじめた。
 二対の目がうつろに虚空をにらみやっている。
 生きているとはとうてい思えない惨状であるにもかかわらず、ときおりひくひくとうごめいたりする。
 本体である肉塊の痙攣によるのか、とも考えられたが──ちがうようだった。
 うごめきながらときおり、二人の口がふるえてよわよわしくうめき声をあげるのである。
 そのうちのひとりが、ぼうぜんとたたずむ二人にむけて、おぼろに視線をあげた。
 ひくひくと頬をふるわせながら、口にした。
「や……みの……ほ……の……」
 エレアは耐えきれずに悲鳴をあげながら顔をそむけた。
 ダルガの上衣のすそを強くつかみながら、うずくまる。
 ダルガもまた、吐き気をこらえていた。
 知覚を、保持しているのだ。
 剣士たちは、このような状態におちいりながら。
 生きたままレブラスに融合し──なおかつ意識を保持しているのである。
「おまえ──」
 なおもびくりびくりと全身をはげしく痙攣させながら、その本体であるレブラスが造作を無視した不気味な双眸をダルガにすえた。
 歓喜にふるえる。
「おまえか」
 ぶつぶつと毒泡がはじけるような声音でいった。
「剣をもっているな。おれを切れ」
 にたあ、と、肉を裂くような笑いをうかべた。
 ダルガは剣の柄に手をかけたまま、硬直した。
 最初に対峙したときからこの妖魔は、まるで隙だらけだった。
 打ちこもうと思えば、好きなように打ちこめた。
 望みの部位を望みの形に細かく切り刻むことさえできそうだった。
 実際にできるのだろう。
 この不気味な怪物は、痛覚に対する明確な嗜好をもっている。
 切り刻まれるのが好きなのだ。
 苦痛に快感をおぼえるのであろう。
 そしてさらにおぞましいことには、ばらばらに砕け飛び散ったとしても、みずからの意志によってか寄せ集まり、復元してしまうのである。
 切りつけても、まったく無駄であった。
 じり、じり、とエレアをしがみつかせたまま後退しつつ、ダルガは途方にくれた。
 打つ手を思いつかなかった。
 ひとまずは、逃げるしかなさそうだった。
「起きろ」悲鳴をあげながらうずくまるエレアの肩をつかんで、ダルガはいった。「逃げるぞ。はやくしろ」
 ダルガの腕にしがみついたままエレアは、きっと顔をあげる。
「わたくしに命令するなといったはずよ」
 この期におよんで、憎々しげにそんなセリフを吐いた。
 ち、と舌をならしてむりやり立たせようとしたとき──
「おまえ……」
 妖魔が、割って入った。
「おまえ……ヴァラヒダの、贄だ」
 びくりとして、ふたりは妖魔を見あげた。
 刃で裂いてひらいたような不気味な双の目が、あたうかぎり大きく見ひらかれていた。
「失せろ、化物」
 ダルガは剣をかまえながら口にし──
「父様はどこ?」
 エレアは、恐怖も嫌悪も忘れはててダルガのもとを離れ、醜悪な妖魔につめよった。
「父様はどこ? あわせてちょうだい!」
 態度の急変といきおいとに、逆に気圧されて上体をそらせていたレブラスが、ぐふう、と異様な腐気を吐きながら笑った。
「あわせてやるとも。来い、洞へ」
 いいながら、すうとこぶだらけの汚怪な腕をつきだした。
 そのあまりの醜怪さに思わずあとずさりかけたエレアの鼻先に──銀閃がはしりぬけた。
 エレアの顔面をかすめて走りすぎた剣尖が、のばされたレブラスの腕を切り飛ばした。
 醜怪な腕が宙にとび、どさりと地におちる。
「痛い」
 妖魔が、にたりと笑って口にした。
「そうかよ」
 ねめあげつつエレアをおしのけ前進しながら、ダルガは口にした。
 そしてもう一度、剣をはねあげた。
 風とともに妖魔の肩口が裂けて飛んだ。
「痛い」
 ぶるるとその巨体をふるわせながらレブラスは口にした。
 同時に、腹部から生え出た二人の剣士の口からも──絶叫があがった。
 血色の叫びをはなちながら、妖魔にのまれた二人の人間はその上半身を激しいいきおいでのたうたせた。
「痛い。もっと。もっと切れ」
 レブラスは歓喜にうつろな視線を宙にさまよわせつつ、絶叫する二体の人間の頭にいとおしげに手をやってなでさすった。
 そして、ずい、とダルガにむかって一歩をふみだした。
「もっと切れ」
 ダルガはくちびるをかみしめた。
 憤怒の形相で妖魔をにらみあげ──
「いいだろう」
 いいざま、剣をふりおろした。
 だぐ、と刃は赤黒い肉山にくいこみ、首から胸にかけてを両断した。
 首と右腕をつないだ部分がぶちゃりと音を立てて滝壷のわきに落ち、ひくひくと痙攣した。
 絶叫を放ちつづける二人の胴の接点に、つづけざまにダルガは刃をはしらせた。
 肉塊は断たれて二人の人間の上半身が分離し、それぞれ地に落ちる。
 ダルガはかけより、剣先で融合部分に切りこみを入れた。
 奇しくもダルガに剣を提供したことになる剣士は、おのが剣の刃が赤黒い肉塊に刺しこまれるたびに、気が狂いそうな叫び声をあげた。
 融合部分の肉は、赤と白と黒に──まるでかきまぜたようにぐちゃぐちゃになっていた。
 手術でもする気分で慎重に分離をこころみたが、すでに妖魔の肉塊と人間の下半身との区別はまったくつかなくなっていた。
 ダルガは、うめきながら融合部分にむけて縦にうちこんだ。
 生え出た人間の上半身が、絶叫をあげながらごろりところがった。
 切断面を見て──ダルガは口もとをおさえた。
 異様な刺激臭を放つ粘液をじゅくじゅくと分泌する、肉塊そのものと化していた。
 背骨や内臓のたぐいなど、いっさいの区別がなくなっていた。
 すべてが溶けだし融合し、まるでべつの器官と化してしまったかのごとく、どろどろと異様な赤黒い渦をまいている。
 皮一枚をのぞいて剣士は──妖魔そのものと化しつつあるのだった。
 その剣士が、腕だけで上体をずるり、とダルガにむけて移動させながら、口にした。
「痛い」
 と。
 レブラスそのものの口調と、声音であった。
「痛い」
 うめきながら、レブラス本体もまたダルガにむけてずるりと前進した。
 痙攣しながらたたずむ巨大な妖魔の胴体も、ぎくしゃくとした足どりで一歩をふみだす。
「痛い」
 もうひとりの剣士も、また。
 ダルガはあとずさり──
 吼えた。
 吼えながら、剣士の首筋めがけて剣をふりおろした。
 異様な感触とともに、いともあっさりと首は分離して地にころがった。
 断面からのぞく赤黒い肉瘤が、ひくひくとうごめいた。
 と見るまに──その断面からむくむくと肉が盛り上がり、戯画めいた二本の手を形成しはじめた。
 生まれたばかりの赤黒いその手をたどたどしく駆使しながら、剣士の首はまるで独立した生き物ででもあるかのようにずるり、ずるりと地上を這いはじめた。
「もっと切れ」
 赤黒い肉の手にひきずられながら剣士の首がいって──にたりとうつろな表情で笑った。
「くそが」
 悪態というよりはうめくようにダルガは口にし、めったやたらに剣をふりまわした。
 かつて剣士であったものの肉体も妖魔のそれもおかまいなしに、めくらめっぽうに切り刻み、こまぎれにした端から剣先ではね上げるようにしてどうどうと落下する大瀑布の波うつ滝壷にたたきこんだ。
 ぷかりとうかんだ肉片が汚物塊のようにゆらゆらとゆれながら一点をめざし、つぎつぎに融合していくのを見て吐き気をおぼえた。
 一定の大きさを回復すると、妖魔はいくつもの手足の生えた肉塊となってゆらめきながら岸にはいより、立ちあがってよたよたと歩きはじめる。
「もっと切れ。もっと切れ」
 うわ言のようにくりかえしていた。
 文字どおり、切りがなかった。
「逃げるぞ、エレア──」
 歯がみしながらふりかえり──たたらをふんだ。
 血のように赤い均整のとれた巨体が、四本の腕のうち左上の一本をエレアの腰にまわして、肩にかつぎあげていた。
 野性的で凶悪な美貌が、にたりと大きな笑みをうかべる。
 マラクであった。
「くそ」
 うめきざまダルガは地を蹴り、マラクの脚めがけて銀の弧を描かせた。
 ふわり、と、重力をうしなったかのようにマラクの巨体が舞いあがり、ず、ずん、と地響きをならしながら大きく前方に着地する。
「また遊んであげるよ」マラクが満面に獰猛な笑みをたたえていった。「だが、またあとでだ。まちがいを正しに戻らなきゃならない。おまえは好きだ、坊や。あとでゆっくり、心ゆくまで遊んであげるよ」
 いって、くるりと背をむけた。
 滝をまわりこむ方向に走り出す。
「待て!」
 叫んで、ダルガがあとを追った。
「もう終わりか」
 その背後から、がっかりした口調でレブラスがいった。
「ならばおれの中に入れ。ひとつになろう」
 いいながらよたよたとより集まりつつダルガのあとを追う。
 先頭をいくマラクが滝壷をまわりこんで岩場を軽々と飛びうつる。
 あとを追うダルガは、リーチのちがいでみるみる差をつけられた。
 ひょいひょいと岩をわたって水上をいくマラクに比して、ダルガは滝壷を大きく迂回する形となった。
 それでも、懸命に追いつづけた。
 が、なかばほどまで走ったときに、それも唐突におわった。
 垂直に切り立つ岩の崖までたどりついたマラクが、まるで無造作にひょいと、岩壁にはりついたからだった。
 エレアを肩にかつぎあげた赤い巨体が、包帯をぐるぐる巻きにした一臂をふくめた三本の腕で器用に岩のでっぱりをとらえながら、するすると岩壁をのぼりはじめる。
 筋肉の躍動につれて、赤い均整のとれた巨体は垂直の壁を着実に踏破し、またたくまに崖上にはいあがって姿を消した。
 人間にはとうてい真似のできない、超絶の行為であった。
「くそ」
 うめくダルガの背後に、赤黒いこぶだらけの巨体がべちゃり、べちゃりと音を立てて追いついてきた。
「おまえ、おれの中に入れ」
 ぐつぐつとはじける声がいった。
 ダルガはぎろりとふりかえり、
「うるせえ」
 不機嫌にいいはなちざま、すでに人間の原型をものみこんでしまったらしい化物の胴にむけて剣弧を先に飛びこんだ。
 どん、と肉塊がふたつに裂けて宙にとんだ。
 上半身が、ざぶりと派手に水しぶきをあげてふたたび滝壷に落下する。
 下半身は視覚をうしなってよたよたと歩きまわりはじめた。
「くそが」
 吐き捨て、ダルガは崖へののぼり口をさがしはじめた。





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