剣舞乱流 

 ち、と、ダルガは舌をならして顔をゆがめた。
「バラルカの手の者か」
「タイ・イッドという名だ」男はこたえた。「高名な“闇の炎”さんには覚えのない名前かもしれんがな」
 いって、ちろりと舌でくちびるをなぞる。
 無精髭をはやした、目つきのするどい肌の浅黒い男だった。フェリクス以東、おそらくは東イシュール大陸の南端あたりに住む種族の男であろう。
 両腰に丈のちがう湾曲した剣をさげ、たがいちがいに交錯させた手をそれぞれの柄にかけていた。臨戦態勢だ。
「きいたことがあるぞ」ダルガもまた腰をおとして大剣をかまえながらいった。「おれが脱走する直前に、競技会でかなりのところまで昇りつめていたな」
「光栄だな“闇の炎”ダルガ。おまえと闘う日を心待ちにしていたのだ。“闇の炎”を斬れば名実ともに頂点に立てるはずだったのだからな」
「悪かった」
 揶揄の口調ではなく、ごく単純な事実を口にするようにダルガはいった。
 タイ・イッドがくちびるの端でかすかに笑った。
「デュバルどのがまもなく降りてこられる」
 デュバル、という名をきいてダルガの眉が、つ、とひそめられた。
 が、無言のままあえて何もいわなかった。
 タイ・イッドはつづけた。
「その前に、おれと決着をつけてもらおう」
 いいな、と口にしざま──真正面から正対した姿勢で、フッと腰をおとした。
 電光と化した。
 斬撃が×印を描いてつきぬけた。
 間一髪、ダルガは後方に飛びすさって強襲を避けた。
「みごと」
 つぶやき、タイ・イッドは再度、地を蹴った。
 今度は短いほうの剣身が下方から弧を描いてつきあがった。
 身をひねって避けた上体に、長剣の刃が頭上から急降下。
 お、とうめきつつダルガはあわてて体をさばく。
 間髪入れず、側方から短剣がもぐりこんできた。
 ダルガは地にころがった。
 ころがりながら、今度はさらに長剣がうなりを立てて落下してくるのを見つけた。
 さらに短剣。
 竜の顎が間断なくとじつづけるように、凶刃は息をつくいとまさえ与えず上下動を中心としてあらゆる角度から、ダルガを強襲した。
 とぎれめがない。
 みごとな連撃であった。
 長剣と短剣を縦横無尽にあやつりながら、息ひとつ乱さず舞踏のようにつぎつぎと凶刃の雨をダルガにむけてくり出しつづける。
 避けるのがせいいっぱいだった。
 体勢をととのえ直すいとまさえない。
 ころがる場所が砂利や小岩の集積する川原であることも、ダルガのダメージを蓄積する要因となった。
 わずかに救われる事実は、同じ荒れた足場がタイ・イッドのおそるべきリズムにわずかな狂いを生じさせているという一点だけ。
 ころがり、及び腰であとずさり、首をすくめて身をかわしながらダルガは水辺に踏みこんだ。
 必死でころがりながら、手で川水をすくってタイ・イッドに投げかける。
 躊躇するどころか、いっそうの正確さを保ちながら剣士は連撃の刃をいよいよダルガに肉薄させた。
 くそ、とうめきながらダルガは小石をつかんでタイ・イッドの顔面に投げつけた。
 一瞬だけ、隙ができた。
 その一瞬に意識を集中してダルガは大剣をかまえ、打ちこんだ。
 半月の斬撃が剣士の胴を薙いだ。
 ──さそいだった。
 かるくいなしてタイ・イッドは、ふたたび斜め十文字の降撃を打ちおろした。
 後退は、間にあわなかった。
 胸部を十字型に裂かれた。
 浅い。
 だが、驚愕がダルガの動きをとめさせた。
 タイ・イッドの笑い顔が、固定された映像のようにダルガの視界に静止した。
 切り裂くように、下方から長剣の一撃が打ちあがる。
 ぼうぜんとするダルガの脳裏に、応戦、と痴呆のように言葉がうかんだ。
 ほとんど反射行動だった。
 柄の部分で、打ちあがる長剣の刃の先端を弾きかえした。
「おおっ」
 タイ・イッドがぼうぜんと目を見はる。
 通常の防技であれば難なくうけとめながら、つぎの攻撃へとつなげることができる。
 だが、ダルガの示した反応はまったく予想外だった。
 受け面の極端に少ない柄の部分で、急迫する刃をうけとめるだけでも無謀な所業としかいえない。
 それを、いとも簡単に弾きかえされたのである。
 タイ・イッドは瞬時、放心した。
 その瞬時に、ダルガの身心に刻みつけられていた野獣の本能が反応した。
 マラクの大剣が無造作にふりおろされた。
 タイ・イッドは後退してかわそうとした。
 ダルガの体格や動きから、攻撃の軌道を予測していた。
 その予測力こそがタイ・イッドの連撃を可能にする最大のポイントであった。
 外界からの刺激に相手がどう反応するかを、タイ・イッドはものごころついたころからほとんど本能的に、察知するすべに長けていた。
 それを自覚し、その能力をのばすために血のにじむような鍛錬をくりかえした。
 剣の腕が一人前に達するころには、どんな相手でもつぎにどう動き、攻撃をうけてどう反応するかが手にとるごとくわかるようになっていた。
 体技をみがき、その能力にあわせて向上させた。
 二つを駆使すれば、たいていの相手など剣をまじえる敵手というよりは、息のあった舞踏の対手のようなものであった。
 受けにまわっても、相手がどう動くかは手にとるようにわかっているつもりだった。
 だから、必要最小限の動きしかしなかった。
 紙一重でかわすのだ。
 それが──ダルガを相手にしては災いした。
 おそらくマラクの大剣をダルガが一度でもふるっていれば、その動作のぎこちなさがタイ・イッドに情報を与えて印象を修正させていただろう。
 あいにくと、鉈にもひとしい妖魔の使剣をダルガがタイ・イッドに向けてふるうのは、これが最初であった。
 そして最後でも。
 重さが、いきおいを後おしした。
 剣はタイ・イッドの予測をはるかにこえる速度でふりおろされ、わずかに頭上への落下だけは防いだものの──肩口に、とてつもない重量をうけることとなった。
 負傷だ、とタイ・イッドは予測した。
 ひどい油断だ、と後悔のほぞをかんだ。
 わずかな救いは打たれたのが利き腕ではない左肩のほうである、という事実だろう。
 これで左手はほぼ使いものにならなくなる。
 タイ・イッドは斬撃をうけながらおのれの身体状態に関する認識にすばやく修正を加え、攻撃の終了した時点でどう反撃するかまで決めていた。
 まるで早計だった。
 伝わってくる衝撃は、剣で斬られたときのそれではなかった。
 大鉄鎚で思いきりぶちのめされるにひとしかった。
 肉がひしゃげ、骨を道連れにしてはじけ、おしつぶされた。
 一撃は心臓まで軽々と達してタイ・イッドの半身を圧縮した。
 肩から半分を、砕かれた肉塊と化してぶら下げながらタイ・イッドはぼうぜんと目をむく。
 視線から光が消えてぐるりと裏返り、一瞬の間をおいて剣士はばしゃりと川面にたおれ伏した。
 しぶきをうけてダルガは手で顔をぬぐい、ふう、と息をついた。
 ふりかえり、顔をしかめる。
 残照を背にした山を背景に、藍色に濃くしずみゆく山間の下生えをかきわけるようにして、三つの影が川原におりようとしているところだった。
 そのうちのひとつ、ごつい、岩のような体格をした男の雰囲気や動作には、たしかに覚えがあった。
「くそ」
 とダルガはひそかにうめく。
 かぶせるように、
「ダルガ! ようやくとらえたぞ!」
 力強く底響く声音が叫んだ。
 言葉というよりは、咆哮に近い叫び声であった。
 これもきき覚えのある声だ。
 バスラスの闘技場で、ダルガをもっとも戦慄させた戦士の咆哮である。
 ダルガは肉片のこびりついたままの大剣を肩にかつぎあげ、水を鳴らしながら川辺をはなれると、砂利場に足場をかためた。
 両足をひらき、冷徹な視線を近づきつつある三つの人影にすえる。
 興奮して走りよってくる二人の剣士の顔には見覚えがなかった。バラルカの護衛騎士団の成員であろう。競技会用に買われ、育てられたダルガには正規の騎士団員の半数以上は知らぬ顔であった。
 そして、その背後からゆうゆうとした足どりで近づきつつある男。
 胸をそらし、大股でひとつひとつの歩みをことさらにゆっくりと運ばせながらも、その男の凶猛な髭面には残忍な歓喜がありありとうかびあがっている。
 面の左半分を巨大な傷跡に占拠された顔にうかんだ、異様にゆがんだ歓喜の表情であった。
 むきだしにした隻眼にはダルガ以外のいかなるものも映ってはいまい。
 口もとをゆがめた笑いは、地獄の咆哮とともにいまにも裂けて弾けそうにさえ見えた。
 デュバル。
 競技会の帝王として君臨しつづけてきた、無敵と呼ばれた剣士である。





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