生還せし者

 

 山間の田舎豪族にはふさわしからぬ豪邸をたずねた四人を迎えたのは、昨日のラガスにも劣らぬ巨躯をほこる、無口な二人の衛兵だった。
 彫りの深い、像のような顔立ちをした衛兵はその容貌にあわせるようにほとんど口をきくことなく、無言のまま四人を先導した。
 広大な敷地を、白い高貴なかがやきの石の階段や褐色煉瓦敷のスロープ、瀟洒にかざりつけられた遊歩道などをへて、森を背にした庭園へとたどりつく。
 西方に夜の先兵が紅の抱擁をひろげていた。
 庭園のあちこちにたいまつが灯され、炎のゆらめきの下、山海の珍味を盛り合わせたテーブルを前に、ひとりの老人が椅子に腰をおろして目をとじていた。
 うつらうつらと、舟をこいでいる。
 老人のわきには無表情な、氷のような顔貌をした痩身の青年がひっそりとたたずんでいた。したてのよい礼装に身をつつみ、首には紫色の玄妙なかがやきを放つ宝石をさげている。
「ようこそおこしくださいました、こちらが当家の主のタグリさま。そして私は執事のソルヴェニウスともうします」
 無表情に美貌の青年は告げて頭をさげる。
 それが合図であったように巨漢の衛兵がそれぞれの席をさし示し、アリユスとシェラのために優雅なしぐさで椅子をひいた。
 そうして四人が腰をおろしても、二人の衛兵も痩身の青年も、招待主を起こそうとはしなかった。
 所在なげに顔を見あわせるアリユスとシェラを尻目に、ダルガはかるく肩をすくめてみせただけで、つ、と身をのりだし、眼前にもりあげられた料理に手をのばす。
「これ、行儀がわるいぞ」
 声をひそめつつ突き出されるパランのひじを、かるく身をひねって避けながらダルガは、串焼きにされた獣肉を指で串からひきぬき、口中にほうりこむ。
 アリユスとシェラはあわてて正面に腰をおろした老人に、ついでそのかたわらにたたずむ青年に視線をむけた。
 老人はあいかわらず椅子の背もたれに身をあずけて目をとじたまま。
 痩身の美青年のほうはといえば、とがめるでもなく無表情の仮面に顔をつつんだまま、身じろぎひとつせずたたずむばかりだ。
 どうすればいいのか判断がつかず、アリユスとシェラは顔を見あわせた。
「うまいな」
 そんな周囲の困惑にはまるで無頓着に、ダルガは香辛料をふんだんに使って油で焼き上げたらしい野菜の山に、これもわしづかみに手をのばして口に運ぶところだった。
「この野人めが」
 あきれたようにパランがつぶやき──やけ気味にこちらも、そのしわがれた手を眼前にならぶ豪華な夕餉にのばした。
 そのとき、痰のからんだような奇妙な声が、ひびいた。
 お、とあわててパランは手をひっこめる。ダルガは、野菜炒めを咀嚼しながら異音のほうに視線をのんびりとむけた。
 しわにうもれた枯れ木のような老人が、小さく、弱々しくからだをふるわせていた。
 どうやら笑っているらしい。
 いまにも砕けて、塵と化してしまいそうな風情だ。
 ごぼごぼとのどをならしながら、まるで断末魔の苦痛にのたうつように笑い、老人はわずかに顔を上むかせた。
 その動作の意味をいちはやく察したか、かたわらの痩身の青年が遅滞なく老人の口もとに耳をよせる。
 美貌の青年の耳に枯れたくちびるをおしつけるようにして老人は──どうやら、なにごとかを告げているらしい。
 ずいぶんながい時間が経過した。
 青年ソルヴェニウスが小さくうなずき、一同に向き直る。
「ようこそおいでいただきました。たいしたもてなしもできませんが、今宵は存分に酒肴をたのしんでいただきたい──と、主人が申しております」
 細工もののような視線を順々に四人にめぐらし、感情のこもらぬ声音で告げた。
 げんなりとしているのをおし隠すようにアリユスとシェラが微笑みながらうなずく。
 ダルガは第二の肉料理に手をのばすところだった。
 暮色の頭蓋をおとして手をひろげる深い闇の底で、奇妙な夜宴がはじまった。
 占爺パランが食事を口に運びながらも場をとりなすようにつぎつぎと、毒にも薬にもならぬ四方山話をならべたてたが、それにあいづちをうったり質問の言葉をさしはさんだりするのは、もっぱらアリユスとシェラばかり。
 痩身の青年はうっそりと無表情にたたずんだまま、老人が身ぶりで呼ばぬかぎりは身じろぎひとつしようとはしない。
 彫像のような二人の衛兵は庭園の入口で、まるでイムリエス神殿の門口にすえられた神獣の像のようにまじめくさった顔つきで警護に余念がない様子。
 ダルガにいたっては、場をとりつくろおうとするパランやシェラたちにも、眼前の招待主の動向にもまるで興味を示さず、旺盛な食欲をいかんなく発揮しているばかりである。
 そして──当の、招待主である老人は──これまた眠っているのか目覚めているのかさえさだかではない、しわに埋もれた醜貌をうつろに背もたれにもたせかけ、ときおりもぐもぐとなにやら空虚をでも咀嚼するように口のあたりをうごめかすばかりで、食事に手をつけようとも、会話の輪に加わろうともせずただそこに腰をおろしているだけだった。
 ついにたまりかねたか占爺パランが、となりに腰をおろしたシェラにぼそぼそとささやく。
「以前の会見のときも、このような雰囲気であったのかの?」
 こたえるシェラも声をひそめ、
「はい。そのときは屋内だったのですけれど、やはりおじいさんはほとんどお話しにならず、耳うちしたことをあのかたが代弁なさるばかりでした」
 もっとも、事件の概要を語るのにいちいちそれほどの手間をかけたわけではなく、結果的にほとんどの会話は青年とアリユスとのあいだで交わされたため、今日ほどの違和感はなかったらしい。
 それをきいてパランはひそかにほう、と息をつき、
「どうもわしの占いも最近では、ろくでもない結果ばかりを招来するようじゃわい」
 ため息まじりにひとりごちた。
 ダルガとパランがこの場にいるのも、もとはといえばパランの占術の示唆するところによるらしい。
 となれば──賭場のひらかれたあの酒場で、アリユスたちとダルガたちとが遭遇したのも、まるで偶然ではなかった、ということになろうか。
 いわば、命運が呼びあった、とでもいうべきなのかもしれない。
 ともあれ、奇しくもその接点となる役まわりをになった老人は──
 ダルガの旺盛な食欲がようようのことで一段落ついた、とおぼしき時を待っていたかのように、つ、と紙きれのようにたよりなげな細腕をあげた。
 力ない風情だが、にもかかわらず動作のひとつひとつが電光のような効果をおよぼすのは、すわっている時の屍体のような静けさとの対照によるのであろう。
 青年ソルヴェニウスは遅滞なくうなずき、ぱん、とひとつ、音高く手を打った。
 どこにひかえていたのか、無数の侍女たちが立ちあらわれ、卓上の皿をつぎつぎにさげていく。
 それが終わると今度は、まったくべつの制服を身につけた初老の男が十人──手に手に盆をささげもって静かにあらわれた。
 順に、テーブルの上に盆をおろしていく。
 盆の上には、革製の小袋が山積みになっていた。
 そのうちのひとつを青年が手にとり、無造作に中身をあけた。
 金貨がじゃらじゃらとひろがった。
「これが約束の金子です」ひろげられた金貨を手のひらで優雅にさし示しながら、痩身の青年は淡々と口にした。「おひきうけいただければ、今この場で、盆のひとつがあなたがたのものです」
 ふむ、とパランが顎に手をあて身をのりだした。
 ダルガは目をまるく見ひらいている。
 奇妙なのは──シェラとアリユスの反応であった。
 アリユスはいつもどおりの神秘的な美貌で平静に金貨の山をながめやっているだけ。
 シェラにいたっては──つ、と、目を細めて冷ややかに全体をながめやっているのだ。
 上品で人のよさそうなふだんの様子とは、まるでちがう奇妙な反応であった。
 ともあれ──
「いかがでしょうか」
 静かにそう問う美青年にむけて、ダルガが手をあげた。
 視線での問いかけに、少年はあいかわらずの仏頂面で、
「いくつかきいておきたいことがある。いいか?」
 青年が無言でうなずくのを待ち、質問を口にした。
「まずひとつめだ。山へわけいった隊の規模」
「当家の世継ぎであらせられましたサドラさまを筆頭に、三十人」
 よどみなくソルヴェニウスがこたえた。
「剣士か?」
「先読みがひとり。あとはすべて、都で剣技をおさめ兵役をおえた剣士です」
「全滅だったのか?」
「ひとりをのぞいて」
 淡々とした青年のこたえに、一同は目をむいた。
「……サドラのことか?」
 当主の息子を呼びすてにされたせいか、ソルヴェニウスはその形のいい眉をかすかによせた。
 が、あえてそのことをとがめはせず、こたえた。
「いいえ。トーラという名の若い剣士です」
 ちらと、ダルガたちは視線をかわす。
「お会いできますか?」シェラがきいた。「できればお話をおきかせ願いたいのですけれど」
 すると青年は表情をくもらせ首を左右にふった。
「お会いになっていただくのはかまいませんが、お話しいただくのはおそらく無理でしょう」
「それはなぜ?」
 おちついた声音でアリユスが問う。
「気がふれているのです」
 ぽんと、放り出すごとく無造作に、ソルヴェニウスはいった。
 四人は無言で顔を見あわせた。
「会ってみたい」
 それでもダルガはいう。
「いますぐが、よろしいでしょうか」
 意外そうにでもなく青年が問うのへ、ダルガはうなずく。
 執事は無表情にうなずきかえすと、ふたたび、ぱん、と手をならした。
 十人の初老の紳士が再度あらわれ、テーブル上におかれたずしりと重そうな盆を空気のようにもちあげて下げはじめた。
「ではこちらへ」
 同時にソルヴェニウスがいって通廊へと歩をふみだす。
 巨漢の衛兵のひとりが、老人のすわる深い椅子を軽々ともちあげ、肩にかつぎあげた。移動を開始する。
 屋敷の入口で、灯火の皿を手にした侍女が待っていた。
 その侍女を先頭にして天井のやけに高い邸宅に入る。そこですぐに、二人の衛兵とそれにかつがれた老タグリとが道をわかち、侍女にひきいられた残りの五人はながい廊下をへて地下へとつづく階段をおりた。
 灯火の列が煌々と灯されている。一日中この光が絶やされることはないのかもしれない。
 やがてソルヴェニウスはひとつの部屋の前に立ちどまった。
「こちらです」
 ダルガたちがうなずくのを待ち、おもむろに扉をひらいた。
 暗闇の奥底で、ひ、と、刃を引くようなかんだかい声音が小さくひびいた。
 ソルヴェニウスが侍女にうなずきかける。
 一礼を返してから侍女は、ゆっくりと室内に踏みこんだ。
 とたん──
「ひ……ひい、ひい、ひい」
 身も背もない悲鳴が、闇奥へといざる気配があった。
 逃げる獣を追うように、灯りをかかげた侍女がさらに数歩前進する。
 悲鳴は一段と高くなった。
 つづいて歩みいったダルガたちは、窓ひとつない殺風景な部屋の角に、身をおしこむようにしてふるえながら悲鳴をあげる老人を発見した。
 ゆらめく灯火に風貌はさだかにはわからないものの──それはどう見ても、老人にしか見えなかった。
 先の話では──生還したのは、若い剣士であったはずだ。
 ダルガが無遠慮にそう問うた。
「そのとおりです」執事ソルヴェニウスがこたえた。「われわれもいまだに信じられません。ですが──この男は当家で発行している身分証を所持しておりました。帰還したおりにつけていた制服も、トーラのものと確認されております。顔も、トーラのおもかげが残っていると幾人かが証言いたしております。もっとも──」
 と、痩身の青年はこのとき初めて、表情らしきものをその美貌に走らせた。
 戦慄であった。
「この無惨なありさまでは、あまり当てになる証言ではないかもしれませんが」
 部屋の角に身をこすりつけるようにしてふるふると激しくふるえる老人の面貌には、たしかに常人のおもかげはかけらも残されてはいなかった。
 刻印されたものの正体はだれにでも明白にわかる。
 恐怖だ。
「おい──」
 声をかけながらダルガが、一歩ふみだした。
 瞬間──
 老人は、ひい! と激烈に叫んであがきながらぐいぐいと壁に身をおしつけはじめた。
 壁の内部に消え入ってしまいたい、とでもいいたげな、激しい拒否と恐怖である。
 ふみだしかけた足を凍らせてダルガは立ちどまる。
 老人が──あるいは、その外見をもつ若き剣士が?──口中でなにやらぶつぶつと懸命に唱えた。
 呪文のたぐいかと耳をすますと──
 よるな、よるな、それをよせるな、もうたくさんだ、よせないでくれ、なんでも話す、いやだ、よるな、やめてくれ……
 そのようなことをくりかえし、口にしているらしい。
 困惑しつつダルガがさがっても、無惨な様子の男はその身を壁におしつけたままうめき、つぶやきつづけるだけだった。
 無言で顔を見あわせ、今度はシェラが前にでた。
「あの、もし、剣士さま……」
 微笑みながら極力やわらかく口にしつつ、手をさしのべた。
 とたん、男ののどがひっと音を立て、口にする文句のトーンが一段階あがった。
 あがきながら、ずりあがるように壁と壁の角に身をおしつける。
 ひどいおびえようだ。
「灯りをもちこむだけでこのありさまです」抑揚を欠いた口調で、ソルヴェニウスがいった。「何人たりともいっさいよせつけようとはしません。ちょっとした物音にさえ過激に反応し、食事にも、水にさえほとんど手をつけようとはしません。おそらく、もう二、三日と生きられないでしょう。無理に話をきこうとすると、このようにわけのわからない言葉をくりかえすばかりなのです」
「戻ってきたのはいつだ?」
 ダルガの問いに、
「一週間ほど前のことです」
 と青年はこたえた。
 四人はぼうぜんと惨状をながめわたしたが、やがてだれからともなく踵をかえし、部屋をあとにした。
 灯火が扉のむこうに消える一瞬、ようようのことで男は壁からずりおちるようにして身をはがしたようだった。





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