魔の山の化生

 

 めんどう見のよさそうな老夫婦が手早く、それでいて丁寧にこしらえあげた料理の数々を平らげ、供された良質の酒をうれしげに占爺パランがかたむけはじめたころ、説明がはじまった。
「見えないでしょうけれど」アリユスは、よくかがやく瞳で真正面からダルガを見つめながらいう。「わたしは幻術使なの」
 そのときアリユスのかたわらで、からからと硬質の音がひかえめにわき起こった。
 シェラが、テーブルの上に小石をひろげたのだった。
 色とりどりの石がぜんぶで五つ。それぞれ、茶、青、赤、白、そして黒い色にあざやかに染めわけられている。
 ちらりとあげた視線を意味ありげにアリユスとからませ、シェラは目をとじた。
 そして、奇妙な動作をはじめた。
 小さな手のひらを五つの小石の上にかまえて、さまよわせるようにふりはじめたのである。
 横目でその動作を見やりつつアリユスは小さくうなずき、ふたたびダルガとパランに向き直る。
 パランも、シェラの動作を無表情にながめやったが、あえて質問や意見を口にするのをはばかるごとく、アリユスにうなずいてみせる。
 そうして、奇怪で昏い話がはじめられた。
 そもそものことの起こりは、アリユスとシェラが隣村でその神秘めいた秘技の一端を開示したことからはじまった。
 村を揺るがす幽霊さわぎはさほど根の深いものでもなかったが、都城からは遠く離れた僻村のことゆえか有効な対応策も、ずいぶんながいあいだ見出されることがなかった。
 怪異は人死にをだすほどの凶悪さを内包していたわけではないが、夜ごと村内をおとずれては意味ありげな、うらめしげな視線をあちこちに無言で残していく奇怪な亡霊はひとびとの安眠と平安な日常を確かにうばってはいたのである。
 そこへ通りがかった美貌の娘の二人づれが、閉ざされたまま語らぬ亡霊の口から錯綜した村内の人間関係と重なる偶然のせいで自分が命を落としてしまったことを明かされ、親しんだひとびとの暗い部分にかかわる物語を語るに語れず思い悩んだまま幾晩ものあいだ、ただようばかりであったことなどをきき出したというわけだ。
 村内のすくなからぬ部分で、安寧に鎧われた影の部分がさらけだされた影響が不穏に噴き出しはしたが、それでもおとずれた美貌の女幻術使の尋常ならざる手腕に関する噂はまたたくまに近隣をかけめぐった。
 なかばは追われるようにして、それでも陰ではいくつかの感謝の念を背にうけ村を辞し、ツビシと呼ばれる山間のこの町にたどりついたのが二日前。
「そこでわたしたちは、ある人物の招待をうけることになったの」
 アリユスはいった。
 宿をさだめるやいなや、噂をききつけたらしい老タグリと名乗る豪族の使者の訪問をうけて晩餐へと招かれ、その席で奇妙な話をきかされることとなる。
 すなわち、ユスフェラの山深くすまう、凶悪な妖魔どもの物語を。
 この地方で街道は奇妙な迂回路を形成している。
 山稜にはさまれた谷をいけばほぼ直線ですむところを、わざわざ崩れやすい崖などの難所を擁する方向にまわりこんでいるのである。
 なぜならば、谷には古くよりひとを喰らう複数の妖魔が出没するためだ。
“ヴァラヒダの魔物”と呼ばれるそれらの妖魔を退治すべく、古来、多くの豪傑が山深くわけいってはきたのだが、そのほとんどは帰還することさえあたわず、化生のものの餌食になってきたという。
 だが、山間に道がひらけば、山むこうに港を抱く街との往還が格段に楽になり、ひいてはそれがこちら側の発展にもつながるとあって、妖魔をどうにか調伏しようとするやからはひきもきらなかった。
 老タグリの息子、サドラもそのひとりであった。
 そして案の定、危惧していたとおりに息子は戻らず、亡き者とあきらめたのが一月ほど前のこと。
「ところが、話はそれで終わらなかったの」
 アリユスはひそめた眉のもと、小さく首を左右にふった。
 息子が死んだとおぼしき日から三日ほど経って、奇現象が老タグリの屋敷をさいなむようになったのである。
 すなわち、夜ごと当主の枕辺に──妖霊と化した息子サドラが姿をあらわし、娘、つまりタグリの孫であるところのエレアを生け贄にさしだせ、と迫るのである。
 むろん、いかな息子のたのみとはいえ変容してまるで化生の仲間いりをはたしたとしか思えぬ息子のおぞましき要請などききいれる気にさえならず、屋敷まわりに結界をほどこして護りをかためた。
 だがサドラの姿をした妖霊は苦悶しつつも地元の名高き高僧が構築した結界を夜々切り崩し、一度などはあやういところでエレアを拉致されるのをかろうじてふせぐのがせいいっぱいであったほどの仕儀らしい。
 そこで苦慮のすえ、老タグリは噂の女幻術使が町へむかっているとの報をきき、わらにもすがる思いで晩餐に招いたのだという。
「ふむふむ、きくだにおそろしげな話じゃのう。よもやおまえさんがた、そのようなぶっそうな依頼などうけなんだじゃろうの?」
 冗談めかしてきく占爺パランに、アリユスは肩をすくめてみせた。
「最初はわたしもそのつもりだったんだけれどね」
 いって、ちらりと横目でシェラをながめやった。
 目をとじて奇妙な動作をくりかえしていたシェラが、雰囲気に気づいて顔をあげる。
 アリユスの視線に困惑顔で小さくなりつつ、
「だって──おじいさんが、かわいそうだったから……」
 弁解口調で小さくいった。
 うすく笑ってアリユスがうなずくと、シェラはなおもすまなさそうな顔をしたまま、テーブルの上の石をひろい集めてからからと新たにひろげ直し、おなじ奇妙な動作を再開した。
 なるほどの、と苦笑しつつ占爺がうなずくのへ「それだけでもないの」とアリユスがつけ加える。
「占爺パラン、見たところ、あなたはたいした明日読みの力の持ち主だと思うのだけれど、どうかしら?」
「さてさて。つい最近まで居をかまえていた街では、まあそれなりに客もついてはいたが」
 飄々とした口調でいって、占爺パランは変形した肩を大仰にすくめてみせた。
 アリユスとシェラがダルガに視線を移す。
 ダルガはちらりと占爺に目をやり口もとをへの字に曲げ、
「この爺ィはひどいインチキ野郎で、口先だけで老いさらばえてきたとんでもない詐欺師だ。信用するんじゃない」
 吐き捨てるようにいい放った。
 そして──目を見ひらいてアリユスとシェラがたがいに見やるすきをつくように、
「と、いいたいところだが」にやりと笑ってつづけた。「噂じゃ、イシュールでも一、二をあらそう先読みだって話だな。おれも夢解きを依頼して道を得た。それどころかある神秘的な存在から予言を下されて、道先案内をしてもらってさえいる」
「そうなの。あなたも意外とひとが悪いわね」ほっとしたように笑いながらアリユスはいった。「それなら話ははやいわ。見料ははらうから、あとでいろいろと占ってほしいの。でも、とりあえず話をつづけさせてもらうわね。得意ではないけど、わたしも先読みはある程度やります」
 そのアリユスの先読みで、近く妖魔どもを調伏する機会がおとずれるはずであり、それにアリユスたち一行に加えて──老タグリの孫エレアと、そして一人の剣士が加わるのだという見立てが出たのである。
 さらに老タグリからは馬鹿にならない前金を目の前に山積みにされ、ことがうまくいったあかつきにはそれとは桁をたがえた礼金までをも約束された。
 さしあたっての路銀はたくわえてあるものの、いく先々で礼金を期待できるような事件がかならずしもあるとはかぎらず、事実、過去幾度かは食うに困るような状態におちこんだこともある。報酬をうけとるにやぶさかではなかった。
 依頼をうけるかどうかはとりあえず保留として、二人はとにかくも関わるはずだという剣士をさがすために町に戻り、あちこちを物色してまわった。
「そして、このダルガと遭遇したと、そういうことじゃな?」
 パランの問いにアリユスは深くうなずいてみせた。シェラのほうは、この期におよんでまだ困惑顔でダルガを見やっている。
 ダルガはといえばただ無言のまま、アリユスとシェラを無表情に見かえしているだけだ。
「よければ、手伝ってもらえないかしら」アリユスが真摯な口調でいった。「もちろん、命がけの仕事だから、無理にとはいえないけれど」
 ダルガは目を閉じて肩をすくめ、口もとに杯をゆっくりと運んだ。
 やがて、いった。
「報酬は?」
 アリユスが口にした額に、ダルガは目をむき、パランも「それは──」と絶句する。四、五年は豪遊しながら暮らせるほどの額だった。
「前金として、その十分の一なら明日にでもわたせると思うわ。──ひきうけてくれるなら」
 アリユスがいうのへダルガは苦笑しながら、
「ずいぶんと気前のいい話だな」ぐいと酒をあおった。「まあ、命をカタにさしだすほうにしてみれば、決して過分な報酬ってわけでもないが」
「どう?」
 問いかけに、ダルガはちらりと占爺に視線をむけ、
「つきあってもいい」
 短くいった。
 シェラは眉間のしわを深くしたが、アリユスはほっとしたように笑顔をうかべ「ありがとう」と口にする。
 が、ダルガはそれを制するように、
「だが、その前にひとつだけ、納得させておいてくれ」
 何? と目顔で問うアリユスに、
「依頼者の老タグリとやらに会わせてもらいたいってことだ。顔も知らない相手の依頼で命をかけるのは割にあわないからな。それに、いくつか直接きいておきたいこともある」
「それはこちらでもそのつもりだったから、かえってありがたい申し出だわ。明日、依頼をひきうける旨、伝えにいくからそのときではどう?」
 ダルガはうなずいた。


 ひととおりのうちあわせを終え、ダルガとパランがそれぞれの部屋にひきこもったあと、ふたり食堂にのこったアリユスとシェラは無言で顔を見あわせた。
 テーブルの上にころがされた五色の小石をながめやり、アリユスはきいた。
「どう?」
「ごめんなさい、アリユス。うまくいかなかったの」
 シェラが身をちぢめていうのへ、わかっているとでもいいたげにアリユスは微笑みながらうなずいてみせた。
「話してるあいだも、何度も石を落としてたからね。でも、それが結果だということもあり得るわ。とにかく、話してみて」
 やさしく、さとすようにいわれてシェラはこくんとうなずき──
 五つの小石の中から褐色の石を、つ、とさしだした。
 首をかしげて目で問いかけるアリユスに、こたえる。
「これがあのおじいさん──占爺パランの属性」
「土ね」微笑みながらアリユスがうなずいてみせる。「わたしの見立てとも一致するわ。で?」
 重ねて問うアリユスに、シェラは眉をひそめつついったんは褐色の石をひっこめ──
 先の会話中におこなっていたとおなじに、石群の上にさまよわせるようにしてゆらゆらと手のひらをかまえた。
 さだまらず──シェラの白い華奢な手は、ふたつの石の上をふらふらといつまでもさまよっているだけだった。
「……だめ、うまくいかないわ」
 しまいに両手に顔をうずめて、テーブルにつっぷした。
「落胆することはないわ」こまかくふるえるシェラの背にそっと手をやり、アリユスは静かにいう。「いってみて。ダルガの属性は?」
 シェラは顔をあげてとまどったようにアリユスを見かえしたが、やがてふるえるくちびるで小さく、いった。
「空と──火」
 アリユスは笑いながらうなずいてみせる。
 だが、あり得ないことだとふたりとも知っていた。
 地、水、火、風、空。
 それぞれに色をあてはめる。すなわち、褐色、青、赤、白、そして黒。
 世界を構成する五元素をもとに、人のもっとも顕著な属性を明らかにするのがこの占いの骨子だ。
 特性をあきらかにすることによってその人の得意なことや苦手なこと、嗜好や行動原理などをあきらかにできるのである。
 熟練した読み手ならその情報をもとに、その人物をどうあつかえばいいのかも見当がつくし、その知識がある者同士であればものごとを共同でおこなう上での便宜ははかりしれない。
 なにより、初級幻術の訓練としてアリユスはシェラに、ことあるごとにこの五石占術をおこなわせていた。
 最初はうまくいかなかったが、ちかごろではシェラの読みも正確さを増しはじめていた。
 そんな矢先の、この変事である。
 シェラが落胆するのもむりはなかった。
 通常、ひとりの人間の属性を読むのに二つの石がえらびだされることはない。
 補助的に、階級をもっていくつかの石が呼ばれることはあるが──もっとも強い属性がどの色になるのか決まらぬことなど、まずもってあり得なかった。
「かれは多重人格かしら?」
 シェラの問いに、アリユスは無言で首を左右にふる。
 複数の人格をもつ人物であれば、上のような現象が起こることもごくまれにだが、あることはある。
 だがアリユスの観察したかぎりでは、その兆候はダルガには見られなかった。
 残る可能性は──
「かれの内部にもうひとつ、べつの存在が隠されているのかもしれないわね」
 いって、輝く目でシェラを見つめた。
 シェラは全身をわななかせて、アリユスを見つめかえす。
 そのすべてを平静にうけいれながらアリユスは──静かに口にした。
「あなたとおなじように」
 わっと泣きながらシェラがしがみついてくるのを抱きしめ──アリユスは階上のダルガの部屋に視線をとばした。
 ダルガ──暗黒の龍をさす、西イシュールのとある地方の古語である。伝説に沿うならば、属性は空。すなわち、夜天の黒だ。
 では──火の赤は?
 





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