イタリア・ドライブ'97 (10) シチリア編 (6)
[6月15日](日)
10:00頃 |
タオルミーナ市街地見物。大聖堂、ヴィラ・コムナーレ公園など。 |
12:00頃 |
ゴンドラで下の海岸へ降りてバールで昼食。結局、海では泳がなかった |
14:00頃 |
ゴンドラで街に戻り、ギリシャ神殿の遺跡、最後の遺跡見物。 |
16:00頃 |
ホテルのプールでのんびり。ここまで2・3日暑い中で遺跡巡りが続いたので静養だ |
19:30頃 |
近くのリストランテ、ダ・ロレンツォで夕食。 |
どどーんとイオニア海とサン・ドメニコ・パレス
サン・ドメニコ・パレスは名の通り古い修道院を改修したホテルである。ガラスの張られた回廊に囲まれ南国風の植物の植えられた中庭には、テーブルがいくつかあって野外ラウンジ的に使われている。海に面した庭園は一段下にプール、さらに下がって道路の向こうは切り立った断崖なので、眼下のイオニア海が見渡す限り遮るものも無く広がって、朝の日差しに輝いている。
やたら広くて、客室の他にも使いようのないくらいの広間や、食堂らしき部屋があるのだが、どの部屋も重厚な調度と絵画に飾られており美術館のようだ。朝食のテラスにたどりつくにも最初はあちらこちらと迷ってしまう。
院長室スウィートの隣の付き人部屋?
建物の全体像が掴めてくると、どうやら我々の部屋のとなりはもともと院長室か、貴賓室のような部屋だったに違いないことが分かった。長く広い廊下の突き当たりで、いったん前室にような場所になり、片側2×4メートルほどの呆れるほど大きな両開きのドアのある部屋である。
部屋番号のプレートが付いているところを見ると客室らしいし、とすれば超豪華スウィートなのだろう。ちゃんと人の気配がする。いったいどんなお方が滞在しているのか。
で、我々の部屋は同じ前室の横に2つ並んだフツーのドアのひとつである。しかも室内にはスウィートの部屋につづくドアがあって施錠されている。こりゃ明らかに元の秘書室みたいなものと推測できる。
そういえば昔の貴族は下僕を何人も引き連れて旅行をしたという。スウィートの周囲には家来の部屋を用意するのが正統な高級ホテルの姿なのかもしれない。
「へへーんだ。どうせ俺たちゃ下僕だよーん。」
すっかり日に焼けた謎の東洋人は何時になく卑屈であった。でも元付き人部屋だとしても、海に面してこぢんまりと、しかしきっちりと豪華な部屋なのだった。
グラン・ブルーの海へ
と言っても素潜り選手権に行った訳ではない。ダイビングですら、磯遊びですらない。裸足になって浜で歩く。これだけのために遙か下界の海辺へとでかけた。というのは嘘で、実は昼飯を食べに行ったのだ。
映画「グラン・ブルー」で主人公とジャン・レノ扮するレンツォが、海に面した岩場のテラスで食事をするシーンがある。レンツォはマンマのパスタしか食べてはならぬという掟を破ってポモドーロ(トマト)を食べているのだが、そこへ突然マンマがやってきて、慌てて人に皿を押しつける。
その舞台となったレストランのあるホテルは、アルベルゴ・カポタオルミーナといって、断崖の下の海岸にあるらしい、ということが昨夜、レセプション周辺における調査と聞き込みで分かったのだ。(ちゃんと下調べして行きゃいいのに)
そこで昼飯を食べようということだ。
タオルミーナの街と海岸とはゴンドラで連絡している。スキー場によくあるアレと同じだ。ところがカポタオルミーナは岬の突端にあって、ゴンドラで降りたところは1.5キロぐらい離れている。
「いいじゃん、別に。そこじゃなくてもさー。」と私。
結局、海水浴客でごったがえす海岸で裸足になって水に浸し、適当なバールで食事して帰った。水は意外に冷たく、あくまで澄み切っていた。水着は持っていったが混雑していて落ち着かないので泳がなかった。
遺跡見物の打ち止め
街を散策しはずれにあるギリシャ劇場を見物。とかく遺跡巡りとなった今回のシチリアもこれが最後だ。劇場は舞台の背後がエトナ山の方向を向いていて、南へ湾曲して延びる海岸線の向こうにエトナのシルエットが浮かんでいる。
「おお、まさに、イタリア田子の浦の富士だな。絶景かな、絶景かな。」
「や・め・て。」
ぼくはなにかと「日本でいうならさしずめ・・・」と置き換えるので妻はその都度やめてくれと言う。ちなみに、
メトロポリタン美術館 |
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超豪華版アメリカ上野の森 |
キイ・ウェスト |
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八丈島ネコ地獄 |
ボラボラ島の熱帯魚 |
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南洋の上野公園鳩ぽっぽ |
バンコク涅槃寺 |
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お疲れの奈良の大仏 |
バリ島クタの海岸 |
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怪しげな貧困の江ノ島海岸 |
ポンペイの遺跡 |
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巨大な石造りの登呂遺跡 |
てなことを呟いた記憶がある。
「そうだねー。ま、でも明日からは都会で買い物だよ。」
「・・・」
街の酒屋で水とグラッパを買って帰り、ホテルのプールで昼寝をする。
シチリア最後の夜はふける
昨夜はピザだけだったので、夕食は赤ミシュランで近くにあったレストラン「ダ・ロレンツォ」の予約をとる。歩いて1分。行ってみると、100メートルほど坂下に引っ越していて矢印プレートが貼ってあった。
で、店に入るなり、「引っ越したんだねぇ。この前は坂の上にあったよね。」とカメリエレにリピーターを装う。嘘つきである。
ワインのテイスト。「たまにはお前やってみ。」と妻に振る。妻は、急に振られてちょっと緊張したのか、ブォーノと言おうとしてビィーノと言ってしまった。一瞬凍り付くソムリエ。ぼくが大笑いしたのを見て、やっと笑って良いのだと判断したのか、ニコニコして、おどけてこう言う。
「奥様。ワインは、ワ・イ・ン(ヴィィィーノ)ですね。そしてこのワインは、オ・イ・シ・イ(ブォォォーノ)ですね。はいはい。そうですね。イタリア語は難しいですか。でも日本語はもっともっと難しいです。」
プロは決して女性を傷つけない。でも妻はゆでだこのようになってハズカシ笑い。
ぼくはイワシのパスタ(安い)、妻はウニのパスタ(高い)、どちらも食べたかったのに、今までのレストランでは品切れで無かったメニューである。夜風が涼しくなり、暗い夜空にライトアップされたサン・ドメニコ・パレスの鐘楼から鐘の音が聞こえる。