イタリア・ドライブ'97 (9) シチリア編 (5)

[6月14日](

9:00頃

シラクーサ本土の考古学地区でギリシャ劇場、石切場など遺跡見物。昨日の日本人ツアーと3度目の遭遇。

11:00頃

ホテルをチェックアウト。近くのカタコンペ、州立考古学博物館を見学。

13:00頃

オルティジア島旧市街へ。バールで昼食、州立博物館を見学。ドゥオーモには入れず外から眺める。

15:00頃

タオルミーナへ出発。途中カターニャを見物しようとすると、バイク小僧の襲撃未遂事件発生。気分を害したのでちょっと走っただけで街を去る。

18:00頃

タオルミーナのサン・ドメニコ・パレスホテル到着。

21:00頃

夜のタオルミーナ散策、ピッツェリアで夕食。

本土と島からなる街

 シラクーサはアテネ、アレクサンドリアと並んでギリシャ時代の重要な拠点であった。非道の暴君として知られるディオニシオスの君臨していた時代である。友人の命のために走り抜いた古代のマラソンマン、太宰治の「走れメロス」はここが舞台。「浮力の原理」を習ったのはたしか中学校。「アルキメデスの原理」とも言うが彼の故郷もここである。

 街は狭い水路を隔てて本土とオルティジア島にまたがって広がっているが、島は中世に栄えたためバロック様式の旧市街となり、本土は比較的近代的な街並みの中にギリシャ時代の遺跡(考古学地区)が広がる。

 ちなみにゲーテはここをパスしている。

現代的なお手軽ホテル

 フォルテ・アジップはフォルテのチェーンホテルのひとつである。アジップは石油会社だが、ホテルチェーンと提携しているのか、たまたまここのホテルだけが提携しているのかは知らない。道路に面してガソリンスタンド。その後ろに駐車場とホテルの建物が建っている。全く現代的なお手軽ホテルで、ダイニングはファミレスのノリである。近所の奥さんが連れだって子供連れで食事に来ている。

 応対もビジネスホテルみたいなもの。部屋はバスタブなしだが、清潔でとりあえず快適であった。また、夜に到着しても目立つ妖獣アジップの看板が光り輝いているので迷う心配はなし。

 目の前に考古学地区が広がっている。この立地で選んだのだった。暑くなる前に遺跡をこなそうと急いで朝食を済ませ、歩いて遺跡に向かうが、既に十分暑い日差しが照りつけていた。

考古学地区

 ここのギリシャ劇場はギリシャ悲劇の詩人アイスキュロスの代表作「ペルシャの人々」を初演したことで知られる。なんと紀元前472年のことである。この詩悲劇、作者自身も参戦した対ペルシャ戦を題材とし、神罰が下って敗北するペルシャ軍の最期を描いている。

 このギリシャ圧勝で終わった戦いが「マラトンの戦」。ペルシャの大軍に対しギリシャ軍はごく少数。奇跡的な大勝利をアテネに知らせるために伝令がひた走り、ついたところで力尽きて息をひきとった。その距離約42q。「マラソンの起源」である。

 この話が太宰を触発したかどうかはよく知らない。

 そんなギリシャ劇場、石切場、ローマの円形闘技場など回っていると、昨日の日本人ツアーとまたぞろぞろとすれ違うではないか。シチリア横断をご一緒したことになる。

「あれー、また会いましたねー。」

 彼らはこれからミラノへ飛んで帰国するらしい。まじめなツアーである。

聖母マリアの涙

 見物しなかったが、近くにマドンナ・デッレ・ラクリメ教会、訳して「涙の聖母教会」がある。とんがり帽子のUFOのような現代建築である。

 この縁起がとてつもなくうさん臭い。

 イタリアでは時々聖母マリアが涙を流す。なんてことない石膏像の結露なのだろうが、口元に出れば「聖母のよだれ」、鼻にでれば「聖母の鼻水」になりそうだが、目に出た時だけ「聖母の涙」として大騒ぎになる。

 これをバチカンが「奇跡」として認定することには、通常とても慎重なのだ。めったに認めることは無い。

 1953年、キリスト教民主党と共産党の一騎打ち状態だったイタリア国政選挙の年。当時の教皇ピオ12世は熱狂的な反共主義者であった。また時代も熱い政治の季節であったのだろう。共産党の躍進に選挙戦は熾烈を極めていた。

 そんな時代背景で、シラクーサの共産党員労働者の家で聖母マリア像が涙を流した。シラクーサの奇跡は即座にバチカンに承認され、この立派な教会まで建ててもらってしまうのである。「神は確かに存在する。無神論者の家の聖母は悲しみに涙した。悔い改めよ。」という訳だ。教会は新名所となり、バスで大勢の人が訪れるようになった。

 なんか楽しいですねえ。イタリアっぽくて。

 でも見学はパスして隣のサン・ジョバンニのカタコンベを見物。ガイド付きで巡る地下ツアーだ。涼しい。さらに隣の考古学博物館を見学。展示物も規模もおそらくヨーロッパ指折りの博物館だろう。

オルティジア島

 うんちくばかり書いていたら長くなったので、少しはしょらなければ。

 旧市街はバロックの美しい中世の街並み。ツアーコースから外れていることが多いらしいが、街を見るだけでも訪れる価値あり。

シラクーザ(オルティジア島)のドゥオーモ 州立博物館を見学。こちらのアントネッロ・ダ・メッシーナの受胎告知は左に天使、右にマリアという定番の構図である。カラバッジョの「聖ルチアの埋葬」はストロボで一瞬の動きを定着したような凄みがある。

 ドゥオーモはギリシャ時代のアテナ神殿を改造して作られている。中には入れなかったが、側面の壁から円柱が付柱のように浮き上がっていた。内部はドリス式の列柱がそのまま活かされているらしい。

印象悪いぞカターニャ

 ちょっと街を見物しようと市街地に入る。地図を見ながら路地をゆっくり走っていると、後ろから追い抜いたバイクが狭いところで急に止まって押し歩きし始めた。

 故障でもしたかと待っていると、助手席のドアを開けようとする奴がいる。ロックしてあったので開かない。数回ガチャガチャと力任せに引っ張って諦め、先のバイクに2人乗りして猛然と走り去ってしまった。車を止める役とドアを開けて何かを引ったくる役との2人組だった訳だ。

 妻は乗り込むと必ずドアロックする癖があるのだ。そしてロックしてあったのは助手席だけ。後ろのドアを開ければ一眼レフが無造作に置いてあったのに、トンマな奴だ。でも妻は少年の形相が怖かったそうである。そりゃ小僧も必死だろう。

 しかし俄然、印象悪くなってしまったので、走り回っただけで車から降りずに街を去る。以後、運転席の集中ロックを忘れずにかけるようになったのは言うまでもない。

 街並み自体は火山性の石を多用した黒い外壁と、白いバロック装飾のとても美しいものだった。多少すさんで見えたのはバイク小僧のせいとしておこう。

ディズニーランドのような街

お菓子屋のショーウィンドウ タオルミーナはイオニア海を臨む切り立った断崖の中程にあるリゾートの街である。中心市街には車が殆ど入れないので、夜になると狭い通りに明るい店が連なり、観光客がそぞろ歩き、テーマパークの一隅に入り込んでしまったような錯覚を感じる。

 適当に散歩して一番賑やかそうなピッツェリアに入る。狭い路地にテントを渡した半屋外のお店である。3種のチーズのピザと単純なトマトソースのピザ。白ワインをメッツォ(半リットル)。ここのピザは今回の旅行で一番の味だった。満足。

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