イタリア・ドライブ'97 (6) シチリア編 (2)

[6月11日](水)

9:00頃

ホテルを出てとりあえず、山上の街モンレアーレへ。

10:00〜

ドゥオーモ、中庭回廊など見物。

12:00頃

渋滞と交通規制に悩まされつつパレルモ市内へ戻る。午後はマリーナ広場に車を置き、徒歩で市内を見学。

18:30頃

ホテルへ帰る。

20:30〜

モンデッロの一つ星レストラン、チャールストン・レ・テラッツェで夕食

22:30頃

ホテルに帰って、荷造り。

シチリア大聖堂の最高傑作

 パレルモから南へなだらかな坂道を5q程上って行くと、小高い丘の上の街モンレアーレ(王の山)に入る。ここの大聖堂はノルマン時代最大の傑作だといわれる。三廊式の大空間はチェファルーの大聖堂と似ているが、壁のみならず、屋根の巨大な木構造の梁や天井まで徹底して金地モザイク(一部金箔かも)が施されている。

モンレアーレのドゥオーモ 後陣にはパントクラトール、天使と使徒に囲まれた玉座の聖母子、諸聖人が描かれ身廊の壁の旧約から始まって、側廊の壁の新約までの物語までが順序よく配置されている。そして内陣の天井には燭天使や空の玉座(審判の日にキリストが座るため)が描かれている。

 つまり宗教世界の構造と、人類の歴史の始まりから来るべき終末までが、輝く金地モザイクで説明してあるというわけだ。

 側廊の入り口から入ると、結婚式の最中であった。内部があまりにも巨大なので、内陣で親族一同が式の最中、観光客がわらわらと聖堂内を巡っても全く問題にならない。やがて正面の青銅扉が開かれ、ライスシャワー。こんな聖堂で式を挙げたらいいねぇ。でもハワイあたりと違って簡単には使わしてくれないんだろうね。

イタリアの結婚式も結構ミーハーだった

 堂内を出て、隣接する修道院の中庭見学。ここは有料だが、たかだか1500〜2000リラ程度だ(だいたいどこでもこんな料金)。

 47×47mの広い中庭には強い日差しが照りつけ、棕櫚やアロエ、パピルス、竜舌蘭などが植えられ南国ムードたっぷり。これを囲む列柱回廊が見どころで、尖頭型アーチを支える2本一組の柱が114組並んでいる。それら一組ごとが異なる幾何学模様の金地モザイクで飾られている。

 そこへ先ほどの新婚カップルがやってきて、業務用ビデオで撮影開始。カメラマンが「そこからここまで歩いてきてくださーい。目線はあっちね。はい、よーい、スタート。」などとやっている。「寿ビデオ」の制作は日本よりよっぽど気合いが入っているようだった。

パレルモの道路事情は混沌地獄

 だいたい地図通りに行ければ、ほぼ一本道。20分で市街地に帰れるはずだった。しかしまず渋滞。センターラインもない通りは両側びっしりと路上駐車がしてあり、さらに二重に停車するため、たちまち交通が滞る。

 脇道からはいきなり突っ込んでくるし、左折(日本では右折)もウインカー出さない。後ろがつかえようがお構いなしだ。その代わり、ちょっと邪魔ならクラクションを鳴らしまくる。2回ブブッと鳴らすのが流儀のようで、この場合は殆ど怒りや悪意はないようだ。だいたいウインカーも他人のために出すのではなく、自分がこっちに行きたいと意志表示するためのものらしい。

 そして訳のわからん交通規制。行けるはずの道路を警察が封鎖しており、迂回しろと合図する。みんな腕を振り回しながら抗議するが、だめらしい。そんな場面に何度も出会った。迂回した途端に一方通行地獄だ。行きたくない方向にどんどん進んでしまい、また渋滞。ぐるっとまわって先刻の場所に戻ると封鎖は解除されていた。いったい何だったんだ?

撮影禁止の葬列

 パレルモの旧市街の主軸であるヴットリア・エマヌエーレ(統一イタリアの初代王様であり各地でこの名が使われている)大通りは海側のポルタ・フェリーチェ(幸運の門)から、ノルマン宮殿の脇のポルタ・ヌォーバ(新門)まで約2q弱、なだらかな坂となって続いている。その真ん中にクワトロ・カンティ(四つ辻)というバロック様式のファサードで飾られた交差点があり、これが旧市街の中心みたいなところ。

 フェリーチェ門のそばのマリナーラ広場に車を停めて、午後は徒歩でたっぷり夕方まで市内見学。おおよその見どころはこの通り周辺で回れるのである。ほぼパレルモ制圧って感じだが、疲れました。昼食はパニーニとジュースのみ。

 観光案内は省略。これから行くヒトはガイドブックを見るべし。

ラ・マルトラーナ教会での結婚式 この日は結婚式3件、葬列1件に遭遇。6月だしバカンスシーズンを前にして、結婚式が多いのは想像できる。名所の教会で式に遭遇するとどさくさに紛れて、入れないはずの内部を覗いたり、写真をとったり、めでたい日には誰も文句は付けないのだ。

 ところが、大通りを霊柩車を先頭に葬列が登ってきたときは、思わずカメラを構えたら、大声で怒鳴られてしまった。どうやら葬列は撮影御法度のようだ。どうも死者は若者らしく、親族友人は霊柩車にすがって泣きながらゆっくりと行進してゆく。当然、坂の下は大渋滞となり腕を振り回して何事だと大騒ぎである。

海の上の極上レストラン

 暑さと疲れと空腹でヘロヘロになった我々は、今夜はキッチリ夕食とるべしと赤ミシュランを開く。昨夜は超お手軽ルームサービスだったのでおのずと気合いが入ります。

 星印(花印か?)が付いた店はパレルモに2軒。ひとつは市街から2q程離れているようなので、市街地内の方に決めた。「チャールストン」フォーク印は4つである。

 ところがフロントで予約を頼むと、夏は市内の店は閉まっていて、車で15分程の所に移っているという。英語の出来るドライバーを手配できますと言うので、まっいいかと予約を頼む。たしか往復15〜20000リラで頼んだと思う。

 実は後で気づいたのだが、この店は隣の海岸の町モンデッロにあり、赤ミシュランにも「チャールストン・レ・テラッツェ」として載っていた。ちゃんと星印が付いており、フォーク印は3つである。

 広い砂浜の向こうの海上に白亜のルネッサンス建築が浮かんでいる。堤防から、桟橋のようなデッキで海面上を渡って行き、建物を通り抜けると広いテラスレストランとなっている。

 エビの盛り合わせ、貝の蒸しもの。フルッタ・マーレのスパゲッティ、良くわからん魚のグリル、そしてアルカモの白(地ワイン)。なんかワンパターンになってきたが、ここの味は今回の旅行で最高でした。ミシュラン、偉い!

 運転しなくていいので、とどめにグラッパを頼んで最高に幸せになってしまいました。

哀愁のじいさんドライバー

 ドライバーはかなりの高齢と見受けられた。酔っていたぼくはつい「戦争行きましたか」と聞いたらやっぱりその世代だったが、あまりいい話題じゃなかったらしく「私の父も中国へ行った」と行ってもうなずくだけで静かになってしまった。

 反対側のジェーラ辺りから上陸したアメリカ軍は、マフィアのルチアーノの裏約束で、黄色にLの旗をはためかせ、あっという間にパレルモまで駆け抜けてシチリアを制圧した。このじいさんがアンチ・ファシストだったのか、ファシストの軍隊に所属していたのかは分からない。いずれにせよ、戦争話で寡黙になる人は本当の戦闘を体験した人だろうと思う。

 でもホテルへ付くと、にっこりと名刺を出して「今度は直接電話をくれればもっと安くします」といって両手で握手。「約束します」とチップをはずんだ。いい加減な安請け合いでもいいじゃないか。

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