イタリア・ドライブ'97 (4) プーリア編 (2)
この稿において、飲酒運転に関して不適切な記述がございます。あえて修正は加えておりませんが、たとえグラッパを飲まなくても、飲酒運転は絶対にいけません。この時以外、私は決してお酒を飲んでの運転はいたしておりませんことを加え、お詫びに代えさせていただきます。 |
[6月9日](月)
7:30頃 |
起床、ゆっくりと朝を過ごす。 |
10:00頃 |
ホテルを出発、海岸沿いにさらに40q程南下。 |
11:00〜 |
オストゥーニの街見学、バールで昼食。 |
13:00〜 |
ロコロトンドの街見学。 |
15:00頃 |
ホテルに帰り、プールサイドでのんびり。 |
18:30〜 |
隣町、ポリニャーノ・ア・マーレで暇つぶし。 |
20:30〜 |
洞窟レストラン、グロッタ・パラッツェーゼで夕食。 |
23:30頃 |
ホテルに帰り、荷造り。 |
やっと落ち着いた朝食
イタリアへ来て初めてゆっくりと朝食をとる。プールサイドのテラスが朝のブュッフェだった。午前中は半袖シャツでは肌寒いくらい涼しい。風邪の具合もだいぶん良くなり、どうやらアクシデントにはなりそうもないと胸をなでおろした。
広大なホテルの敷地を散策する。イル・メログラーノは赤ミシュランで赤い4つ屋根印のお奨めホテル。モノポリ自体はたいした観光地ではないが、バーリにも近いし、プーリア地方を車でまわる本拠地とするにはいい場所にある。
石貼りの中庭を2階建ての真っ白な客室棟が囲み、周囲はオリーブ、レモンなどの果樹や、鮮やかに色とりどりの花で満開の木々がふんだんに植えられている。センター棟の裏には、誰も使っていないテニスコート、室内プール、ヘリポートまである。
正門は監視カメラ付きの大きな電動門扉でセキュリティが守られ、涼しい夜は1階の客室で窓を開けたままでも不安はないようだった。若いスタッフがきびきびとサービスにあたる姿勢も気持ちがいい。
古い豪農の館を改修して作られているらしく、古い佇まいを活かしたつくりになっており、今も改築、増築のつち音が絶えずどこかで聞こえている。
白い丘上の街、オストゥーニ
アドリア海沿いに高速道路のような国道を南下、やがて右にわかれてオリーブと濃緑色の葡萄畑のつづく農村風景の中を疾走してゆくと、丘の上に真っ白な都市が現れてくる。
新市街地の広場に車を止め、駐車場係りのオジサンに道を聞く。公園を突っ切って行くと幼稚園児の群が先生に引率されて遊んでいた。ボールを追って近づいてきた女の子、ふと顔をあげると見慣れぬ二人連れにびっくり。目を丸くして先生のところに駆け戻り、妻を指さし
「チネーゼ? チネーゼ?」 と大騒ぎ。
「おまえ、やっぱり中国人顔なんだな。」
「あなたじゃないのぉ?」
後から知ったことだが、東洋人と見るや指差して「チネーゼ」呼ばわりするのは差別用語として定着していて、在伊邦人は結構これをやられて嫌な思いをすることもあるらしい。どうりで先生が慌てて女の子を引っ張っていったはずだ。その時は全然知らなかったので、本当に間違っているのかと笑ってしまった。
さて、この街は西暦1000年前後に街の原型が作られてから、ビザンチン帝国からノルマン公領、ナポリ王国と異なる支配受け、その間にもオスマン・トルコなどの侵入に絶えずさらされた歴史から、丘上の要塞のような都市が出来てきたという。絶え間ない修復の国イタリアならではだが、このへんの事情はよくある話。
ここの特色は白い建物の密集する美しい景観だ。歴史的地区(Centro Storico)は狭い路地、階段が迷路のようになって、両側の建物はブリッジやアーチ状のバットレス(壁を支える斜梁)で連結されて、あたかも街全体がひとつの建物のようだ。
歩いていると昼食の美味しそうな香り、子供やテレビの声、お母さん(マンマ)のなにやら叫ぶ声に包まれて、生活の場に入り込んでしまったような少々恐縮な気持ちになる。ときおり白壁に挟まれた道が開けて、緑の絨毯のような遥か下界の風景が広がる。
これだけ優れた街並みを保全しながら、観光に特化せず(土産物屋にならず)に生活していけるというのは、背後に広がる新市街地の活気をみても、たぶんに経済的な理由があるに違いないと想像する。いずれにせよ、今回訪れたプーリアの街の中では最も好印象だった。
ロマネスクの構造にゴシックの装飾をつけたようなカテドラル。街に漂う昼餉の香りにお腹がグウと鳴る。その広場に面したバールで軽い昼食。パニーニとジェラート。バイトだろうか、中学生くらいの可愛い少女がすっぴんの笑顔で、独りてきぱきと、パンを暖め、アイスクリームを盛りつける。
そこへ同級生とおぼしき4人組の小僧達。髪をなでつけ、皮のブーツに、ジーンズの尻には煙草。せいぜい背伸びした仕草で女の子に話しかける。カウンターの中では毅然と「No」と言ったり、嬉しそうに頷いたり。きっと夕方のお誘いなのだろう。
「あのコ、可愛いもんねぇ。きっとさ、あいつらの中の誰かがあのコを好きで、ひとりじゃ誘えないもんだから、応援の仲間をひき連れて来たって、そんなトコだな。」
「うん。でもさ、あの4人組も凄くカワイーよ! 特にあのコなんか。」
なるほど、男と女では愛でる対象も違うのである。
真ん丸の街、ロコロトンド
名前からして場所(luogo)と円形(rotondo)が合体したこの街の歴史的地区は、ほとんど正円に近い輪郭の中に、切り妻屋根の民家が密集している。その中心に淡いベージュ色の聖堂が建っている。
建物はオストゥーニほど徹底して白く塗られているわけではないが、路地と階段と、路地の上がつながって建物になっているところなど、街全体が合体した構築物である点は良く似ている。歴史的地区が円形であることは輪郭に沿った道路を走ると実感できる。
これも丘の上にあり、街から眺めるイトリアの谷は、赤土の大地にオリーブと葡萄の畑が続き、円錐の石屋根に白い壁のトゥルッリ農家が点在し、実に美しい農村風景だ。歴史的地区は一部だけ新市街に囲まれず、谷に面しているため、谷に降りて街を見上げる風景も格別である。
夕暮れのポリニャーノ・ア・マーレで暇つぶし大会
朝のホテル散策の際、ライブラリにて資料を漁っていると、「プーリア地方のキウジーヌ」なる本があった。今宵の夕食のため、優良物件を物色する。TVのイタリア特集で見たことのある洞窟レストランの写真が載っていた。隣町である。
午後プールで寝そべった後、ライブラリからこの本を持ち出し、レセプションで予約を入れてもらう。8時半ではどうかと言うので、8時が良いと言ったら、しばらく話をしてOKだという。
道に迷うといけないと早めに出発したのに、小さな港町である。一発で到着してしまった。おまけに見るとレストランは8時半オープンである。あちゃー、やられた。イタリア時間の安請け合いだったのね。まだ7時前。
しばし港町を散策。街ではお祭りの飾り付けをしていた。広場では夕方恒例、ジイサン達のの暇つぶしが始まっている。ぼくたちを見つけて「コンバンワァ」と日本語で叫ぶ。「ボナセーラ」と答えると、仲間を見渡し、自慢げに高笑いするジイサン。
比較的静かな、海に面した広場でベンチに腰掛け、夕日を眺めてこちらも暇つぶし。戸口に椅子を持ち出し井戸端会議のバアサン達。魚釣りをするオヤジ達。バイクで目的もなく行ったり来たりする若者達。自転車で集団爆走するガキども。マンマの料理ができるまで、街をあげての暇つぶし大会なのだ。
彼ら宿題とかないのかねぇ。「ここには学校も、試験にも何にもない」のだろうか。それじゃ鬼太郎の世界だって。
北イタリアの人々が南はだらけていると批判しようが、たぶんこれが南のライフスタイルなのだ。あまりに暇そうで、少し物悲しく、幸せな光景である。広場の下は切り立った断崖。この断崖には洞窟が多く、見物船も出ているようだ。アドリア海では夕日は陸側に沈む。海は穏やかな紫色に染まる。
美しき断崖テラスの夕暮れ
グロッタ・パラッツェーゼ(洞窟宮殿)は本来ホテルなのだが、レストランの方が地元では有名らしい。海に面した断崖の上の建物がホテル。その地下の海に開いた洞窟に、床を張ってレストランに改造している。
8時にホテルのフロントに行って予約を告げると、あいや済みません、8時半まで開かないのよ、と形式的にはすまなそうに言う。
ホテルのテラスでアペリティフを頼んで待たせてもらう。イタリア式とアメリカ式のどちらが良いかと訪ねるので、イタリア式と頼むと、甘いカクテルとミックスナッツ、塩味のミックスビスケットを山盛り持ってきた。どのへんがイタリア式だったのかは未だに分からない。小型プリッツェルにようなビスケットはとても美味。
薄緋色の綿雲たなびく空はすでに透明な紫に変わり、街のシルエットを縁取る桃色へと美しいグラデーションを見せる。小さな海燕(かどうかはよく分からない)が無数に飛び交い、静かな波音と海鳥達の声だけがテラスをつつむ。
「ねえねえ、これって、新婚さんなんかにはピッタリじゃない?」
「ああ、そうだねえ。」
あまりの美しさに、昨日に続いて、しばし言葉を失う2人。しかし残念ながらあくまで新婚サンではない。いい加減お腹が空いて、ナッツとビスケットを囓る音だけがボリボリと響いていた。
海鮮三昧の幸せ
8時半ちょうどにホテルの人がどーぞと呼びに来た。ホテル入り口から、狭い階段をずんずん降りると巨大な洞窟レストランである。海に大きく口を開いた洞窟の入り口に、広いテラスの床がしつらえてある。洞窟の天井、壁、奥に続く洞窟とそれを満たす海面はライティングされ、幻想的な効果をあげている。
床の一部に大きなタイルが貼られている箇所がある。日本で観たTVでは「さて、ここで問題です。このタイルは何のため貼られているのでしょう。」とやっていた。答えは洞窟の天井から滴がたれるので、テーブルを置かないようにする目印。
海に面したテーブルに案内された。やがて次々とお客が来店して、テーブルは8割方埋まった。数人のオジサン達がテーブルに付くなり、「アー、モルタ・ファーメ(すげえ腹減ったぁ)」と大声で笑いながらトイレに行く。あまり気取った店ではない。
手長エビのグリル山盛り、スパゲッティ・フルッタ・マーレ(海の幸、特に貝類)・ロッソ(赤すなわちトマトソース)、いしもち(だったと思う)の蒸し焼き、カステル・デル・モンテ(近くの土地のワイン)の白。あと何だったっけ?
少し強くなって来た海風に、テーブルの灯りが時折小さく消えかかる。またしても少し肌寒かったが、やっとありついたイタリア海鮮に満足である。海はすでに真っ暗で、遠く彼方に大型客船がゆっくりと夜のアドリア海を進む。最後にグラッパと行きたいところだが、既にワイン1本開けているし、車なのでエスプレッソでがまんする。
帰り道、一つ手前で国道をおりてしまい、街灯もない真っ暗な道を少し迷うが、ワインで上機嫌なのでなんのなんの、である。いったんモノポリの市街地に入り、昨日のカラビニエリの明快な道案内に従って、ホテルに帰着。
本日のお買い物
今日も特になし! この先、当分なしなので、この項はしばらく省略する。