ボラボラ島記(4)

 

7月15日(金)

 

朝方、この日も強い雨が降る。風で吹き込むので窓を閉めて寝ていたが、湿度がやや高くなってきて少々肌寒い。なんだ4WDツアーはまた中止なのでは?

 

それでも定刻の8時にロビーに行く。雨はほぼ止んでいる。

 

デスクのお兄さんニコニコして今日は決行するよという。

 

「昨日は危険で今日はダイジョウブなの? 今朝も雨だったよ。」

「ダニーが行けると言っているからダイジョウブです。」

 

ダニーはボラボラ島で4WDツアーを始めた社長兼運転手兼ガイドなのだ。相棒と2台のランドローバーで島の山道を案内してまわっている。30歳半ばくらいの長身の彼は中国人とボラボラ人のハーフで、大学出のインテリだ。政府の職をやめてこの仕事を始めたとのこと。本人はフランスの大学を出たと言っているが、相棒に言わせるとどうもハワイ大学らしい。いずれにせよ、この島で大学出はエリートには違いない。

 

 

ホテルで我々とT夫妻、そしてタイ人の夫婦を乗せたランドローバーはバイタペでもう1台と落ち合い、ひととおり自己紹介などしつつ、島の周回道路を流して行く。後部サイドに対面式になっている座席は位置が高いオープンなので快適だ。ところが時折雨がぱらつくので幌をかけざるをえなくなり、これが屋根だけなのだが凄くカビ臭い。

 

タイ人夫婦は若そうに見えたが、新婚ではなくアメリカに住んでいて、バカンスで来ているとのこと。ご主人は寡黙なプロカメラマン。奥さんは雑誌関係の仕事をしているらしく、帰ったら2人でボラボラ島のこと紹介する予定なので、半分仕事のつもりなのだと、ニコン3台のフル装備ではりきっている。

 

もう1台のランドローバーには、ラグーンリゾートに滞在している日本人の新婚3組と日本人ガイド1名。運転しているダニーの相棒は親戚筋らしい。

 

「やっぱり車借りてきても何もなかったねぇ。」

 

などとひたすら続く海岸風景を眺めていると、突然車は道路をはずれ、あぜ道のような未舗装路へ向かってボシャンとぬかるみに突っ込んで止まる。どうしたのかなと前を見ると泥水の道がジャングルの中に消えている。間髪を入れず後続のランドローバーがきてすぐ後ろに、ドシャンと止まる。

 

シーーーーン。しばしの静寂。

 

ダニーが後ろを向いてニヤリと笑い、カセットデッキにテープを突っ込む。インドネシア語だか何語だか分からないが強烈なビートが貧弱なスピーカーをびりびりと鳴らす。

 

「さーて、エブリバディ、行くよーん」

「え? 冗談でしょ」

「冗談じゃないよーん」

 

鳴り響くアジア’N ソウルとともにランドローバーはタイヤを空転させて、泥水の中を進み始める。ジャングルにばさばさと突っ込むと道はドロドロの急勾配になり、歩いてだって登れそうもない。女性たちの悲鳴があがる。深い轍にタイヤを食い込ませ、ハンドルを目一杯切って、こじるようにして登って行く。

 

4WD車というのは都会をファッション感覚で乗り回しているだけなら一生分からないだろうが、本当のヘビーなオフロードに入ると凄いものなのだということがまさしく実感できる。

 

「ここはいつもなら初級者コースなんだけど、今日は中級以上にハードだねぇ」

 

ダニーは音楽に合わせて首を振りつつ、わざと真後ろを向いてしゃべったりしながら運転してゆくが、時折真剣な顔にもなったりして、乗客を不安がらせる。

 

砲台跡で一休み前後左右にもみくちゃになり、もうロールバーにしがみついてひたすら登り切るのを待つしかない。下りの水はけの良い道では思いきりかっ飛ばされ、また悲鳴が起こる。本当に安全が保障されている訳ではない分、恐怖はサンダーマウンテンの比ではない。

 

「エブリバディ・OK?」

「オーケーイ!」

 

答える声が裏返っている。

 

丘の上の開けた所に出てひと休み。やれやれ。

 

 

山上より見るホテル・ボラボラ兵器庫後と、大砲が残されているところで記念撮影。雲間から陽光が筋を描き、ラグーンが一望に見渡せ美しい。

 

ボラボラ島は第二次大戦の時、アメリカ軍が日本軍の侵攻に備えて駐留したが、結局一度も戦闘は行われず、兵隊達はパラダイスの様な島での生活を過ごして引き上げていった。その時のハーフが島には多いとのこと。帰国した兵士たちによってパラダイスの噂が拡がり、訪れる客が出てきて、ホテルボラボラが最初に建てられた。(ガイドさん談)

 

日が射してきたのでカビ臭い幌屋根をたたんでもらう。

 

パイナップル畑にてその後は挑戦的な運転もせず、最初の登坂で強引に慣らされたせいか、一同笑顔で山道を登ったり降りたりを楽しんだ。島の3カ所から登ってそれぞれ高台で景色を見たり、パイナップル畑で採れたてを食べたり、ピクニック気分である。

 

最後にダニーの相棒宅に立ち寄った。幾筋もの滝の落ちるオテマヌ山の断崖絶壁の麓、やはり海が一望できる高台にあり、羨ましいような環境だ。当然ランドローバーで行き来しているが、馬を2頭飼っていて、どうしても車で登り降り出来ないときにはこれを使うのだと言っていた。

 

「ダニーはもっと凄い豪邸に住んでいますよ。客や取材は絶対呼ばないけどね。彼の家は大地主で別に働かなくても食っていけるのです。この仕事は楽しみでやってるんですよ。」

 

と日本人ガイドがひそひそと教えてくれた。

 

僕がたまたまバリ・フォーシーズンのポロシャツを着ているのに気づいたタイ人の奥さんが指摘し、アマンダリに行ったかと聞くので、去年行ったよ、2泊だけね、と答え、アマングループは最高って話で盛り上がる。ちなみにホテルボラボラもアマングループ傘下になっている。

 

この方、僕の妻にも負けない旅行オタクらしく、2人で地名やホテル名を出してはキャーキャー言っている。ただ彼女はつたない英語力のため、いまいちオタクの本領を発揮出来なかったらしく、「もおちょっと英語が出来ればねぇ」と少し残念がっていた。

 

12時までたっぷり4時間かけて島を1周する頃には、一同お友達状態で、ああ面白かった。

 

さて急いで昼飯食って鮫の餌付けツアーに行かなくては。T夫妻とは午後も一緒である。タイ人の奥さんはまだ1週間滞在するから絶対挑戦するわと言っていた。寡黙なプロカメラマンはちょっと渋り顔だった。

 

しかし風が強くなり天候はまた少し悪化しそうな雰囲気だ。

 

 

午前中の4WDサファリツアーから戻った我々は、暗雲渦巻く空を見上げて午後からのシャーク・フィーディングに向けて緊張を高めていた。

 

いやいや。あまり話を盛り上げてもしかたないので、淡々と書きましょう。(笑)

 

乗客は我々とT夫妻、日本人の新婚がもう1組、イタリア人の老夫婦と孫とおぼしきローティーンの男の子とその妹。

 

乗員は小錦と武蔵丸だった。雑誌バンサンカンあたりの紹介記事にはハンサムなフランス人青年がガイドするようなことが書いてあったが、とんでもない大嘘だ。

 

環礁の島を過ぎてさらに外側のバリアリーフに近づくと、海はどんどん浅くなって、船は所々海面すれすれの珊瑚岩の中を縫うようにして進む。

 

イタリア少年少女はしかられた犬の様な目をして海面を見つめ、厳格そうな爺さんが、そんなことでどーするか、てな感じで励ますがニコリともしない。

 

「まず45分間バリアリーフの方向でシュノーケリングを楽しんで下さい。その後鮫の餌付けを見てもらいます。珊瑚に触らないように。ロープからあっちへは行かないように。」

 

と小錦が叫ぶ。ロープの向こうには鮫が居るのだ。どうしてロープのこっちにこないのかって、そうしつけているからだそうだが、断然納得がいかない。

 

ビュウビュウ風が吹き、黒雲から雨がボツボツ落ちる中、めいめいにシュノーケリングを楽しむ。(?) 海面は波だっているのであまり落ちつかない。妻は旦那を新婚さんのダンナと取り違えてどこかに行ってしまう。

 

やっと見つけて引っ張っていき船に上がる。もういいやって感じ。

 

 

うわっ!鮫ださて餌付けを始めるというので再び海中に。ロープの所へ行くと、うわぁ鮫がうじゃうじゃいる。大きさは1m足らずでおとなしい種類だとは聞いていた。あとで思い返せばシャケみたいなものである。しかし海中で見ると結構大きく見え、顔つきはまごうことなく獰猛な鮫だった。30匹ぐらいいたか、もっといたかもしれない。海面には例の三角ヒレが動きまわっている。

 

うわっ!鮫だ その2魚の切り身が投げ込まれ、鮫はパニック状態のようにこれを貪り、泳ぎまわる。海中に渡されたロープをしがみついているのだが、追い風で流されロープは鮫の大群の方に大きくたわんで行く。切り身が鼻先にボチャリと落ち、鮫が大口開けて突進してくる。一同もパニック状態。

 

妻はまたまた旦那と取り違えてイタリア人の少年にしがみついている。わざとじゃないだろうな。(笑)

 

「のーもあ、さしーみぃ。はっはっはぁー」

 

小錦の大声で一同、我先に船に戻る。

 

いやあ、面白かったねぇ、凄いもんだねぇと、帰りは雨と風の中でも、むしろ来るときよりもみんな笑顔だった。子供達もはじめてニコニコしてじゃれあっている。お婆さんが少々具合悪くなったらしく、ひしと抱きしめ水平線を見つめるイタリア爺さんがなんだかかっこいい。

 

 

さて、ボラボラ島も最後の夜となり、ホテルでゆっくり食事をして荷造りなどする。明日はタヒチ島で1泊することになっている。それにしても楽園の時間は過ぎ去るのが早い。

 

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