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さいたまフェスタ楽屋裏話
タマちゃん祭りと自分の行動
タマちゃんがうちの近く、中川に来ましたが荒川へ移ってしまったので、こちら吉川市、越谷市でのタマちゃん祭りはあっさり終了してしまいました。 俺と麻疹とゲーム狂 イラクがイクラに改名するとか。 なんか最近、そのネタ多用していないか俺。 ということで現在の自分の状況は麻疹にかかっているのと同じです(一緒にするな) しかしまぁ、麻疹なんて伝染病は普通、お子ちゃまの時にやっておくべきなんですけど、 熱は連日39度超えていました。40度になったときもありました。 夜中に目が覚めても真っ暗で何も見えない時がありました。 普通ならばうっすらと見えるものですが、このときばかりはほんとに数分間暗闇状態でしたので、 パニック状態に陥る俺、 そりゃあ何も見えないんですからパニックになります。 そんな中でも 目が見えなくなる → ゲームが出来なくなる → パニックになる。 こんな思考回路をしている俺はつくづくどうしよもない人間っぷりを路程しています。 ちなみに麻疹になった1983年はゼビウスが出荷された年だったと思います。 3月20日 この時期になるとなぜか、この日付にあったことを 思い出します。 この日付を見て何を想像しますか? 大抵の方は「春分の日」に近い日 くらいしか想像しないと思います。 今から8年前、1995年3月20日は、地下鉄サリン事件が起きた日です。 どうして詳しく記憶に残っているのかと言うと・・・ ここからロングストーリーになるわけです。 当時、埼玉県春日部市に住んでいた私、ざっぷです24歳は 東京都をぶったぎって神奈川県の職場へ通っていました。 東武線〜地下鉄日比谷線〜銀座線(またはJR)〜そしてJR横須賀線。 所要時間は片道2時間。 よくもまぁとんでもない通勤していましたと思います。 だいたい、関東の通勤電車というものは長椅子と相場が決まっているのに(決めつけ) 当時の横須賀線は、半分以上の車両が4人がけのクロスシート。 そんな電車は、お弁当食いながらお茶が飲みたくなる気分になるのです。(偏見) 話を元に戻して。 惨劇がおきた路線の一つに日比谷線があります。 私が平日に毎日利用していた路線であります。 惨劇が起きた時間帯もいつも乗る電車とほぼ同じ時間帯でした。 後日の新聞を見るといつも利用する時間と同じ電車、いつも利用する車両 だということがわかったのですが、事件当日は当然わかるものではありません。 だったら貴様は何で難を逃れたんだ? 遅刻でもしたのか? という質問が出てくると思います。 難を逃れた理由は、会社自体が休みであった為です。 あれ? 事件発生日は平日だろが!? ここで、第2の質問が出てきます。 1995年3月のカレンダーは、以下の通り。 俺の職場の勤務形態を合わせるとこうなります。 18日(土) 出勤日(20日の振り替え出勤) 19日(日) 休み 20日(月) 休み(18日の振り替え休日) 21日(火・祝) 休み つまり、職場は月曜日を休みにして3連休になるように していたのです。 このシフト勤務に俺は救われた形になります。 事件当日は朝9時半頃に目覚めた俺。 家の時計は正確ではなく、わざと5分くらい進めているので、 TVを付けて正確な時刻を調べて二度寝して12時くらいに また起きようと計画をしていたのですが、その計画はいとも簡単に崩れ去ります。 TVをつけたらワイドショーは芸能人のおっかけとかではなく、 ブラウン管から人がいっぱいうずくまっているシーンとたくさんの救急車 が目に飛び込んできます。 どのチャンネルも内容は同じです。 (教育テレビは違ったと思う) なんだなんだ? なにがおきているんだ? 映し出される駅は俺がよーく知っている駅。 よーく知っている場所で、よーく知っている電車でした。 何が起きたんだ? やがて、死者が出たり負傷者も数千人という規模になったり、発生場所も 数箇所同時であることを知り、事件の内容が明るみになったところで 一番最初に思ったことは、 俺、今日出勤日だったらどうなってたんだろう・・・。 でした。 俺は朝飯も昼飯も食わず、夕方までずーーっとTVに釘付けになっていましたが、 さすがに家でじっとしていられる人間ではないので、落ち着いたところで、さっそく 外出。 越谷と北越谷のゲーセンに行きます。 このあたりで俺、かなり駄目人間かもしれません。 現実逃避したかったんでしょう。ということにしておいてください。 行き着けのゲーセンに行くと、常連一同、驚きの目で俺を見ます。 「おお、ざっぷ生きてるよー」 「大丈夫だったのかー」 会社が休みだったから助かったことを、常連と店員の皆様に告げて、一同 おおおおおお とどよめきの声。 運のいいやつだなぁとの声もありました。 そうかもしれません。 結局ゲームはやらず、カウンター近くで常連一同だべっています。 俺より後から来る人達も 「おお、ざっぷなんでいるの?」 来た人1人ずつ説明していかなくなりました(汗 しかし、まぁぁぁ おまえら、なにしにゲーセンに来てますか・・。 俺も。 常連の皆様方は俺が日比谷線を使って東京都をぶったぎって 神奈川県まで仕事に行ってることを知っていたんですね。 心配していてくれたかどうかはわかりませんが、 覚えておいてもらってたのは嬉しかったです。 「そういえば、あ○ば君が今日まだ来てないね」 「あいつ、職場が銀座だったよな」 「あー、じゃあダメだな」 なんて、冗談だか冗談じゃないのかはっきりしない会話が続き、 大量に集まった常連一同が一連の事件について語っていました。 (ちなみに、彼は勤務時間が遅くて助かった) だから、お前らゲーセンに何しにきたんだ。 俺も。 亡くなった方も越谷市や春日部市在住であり、普段ゲーセンで遊んでいるメンバーも 冗談話ではなく、それなりに深刻な話をしていました。 結局9時くらいまでゲーセンにいて帰宅。 ゲームは未プレイだったと思います。 だからお前、以下略。 家に着いてからもニュースを見ます。 次の日休みなので1時くらいまで見ていたような気がします。 自分も、いつも通りに出勤していたら、死か、植物人間か、今でも後遺症に悩まされ ているか。 体力的に何事もなかったとしても精神的にかなり追いつめられている状況になったの ではないかと・・・。と思うと眠れなくなりました。 後日、新聞を見ていつも乗車する時間の電車だったということが全てわかったとき、 その場にボーっとしていて、気が付いたら30分くらい過ぎていたことを今でも覚え ています。 日比谷線に乗るのを躊躇った記憶もあります。 出来れば乗りたくないなあと。 でも、被害にあった人に比べればなんともなかったわけです。 当時骨折すらしたことない俺に取っては、健常でいられることの 有り難みというのをこの時初めて知ったのです。 あれから8年 事件自体は風化し始めてきていますが、俺は絶対忘れることがないと思います。 少なくとも日比谷、千代田、丸の内利用者は忘れることはないはずです。 同じ路線では脱線事故があり(この時は15分遅れていたら遭遇)、 韓国では地下鉄火災があり、 世界中がテロの恐怖と隣り合わせる時代となってしまいました。 最後に、某小説からの一言から 「テロによって、歴史が動いたことはない」 歴史として名を残すことはあるかもしれませんが、 テロを起こした人物によって歴史が動く例は無いですからね。 なんかまとまらない文章になってしまいましたがこれで終わり。 最後まで読んだ人(いるのか?) お疲れ様でした。 秋葉原 2003年も早くも1ヶ月が過ぎ、 鼻ゲリラまであと11ヶ月になろうとしております。 ということで、今更ながら昨年を振り返ってみます。 #ということってどういうことだよ。 昨年もいろいろなところにいきましたが、 新たに行った土地は茨城県日立市だけです。 俺様、意外とおとなしかったようです(笑) その代わり、都内のいろんなところを回ったような気がします。 そこの貴様、回転しながらなんていう突っ込みはやめたまえ。 そんなくだらん突っ込みなどしていないですかそうですか。 職場もかっこいいベイエリア地区から囲いい政治の中心地付近に移ったのが大きかったです。 「囲いい」ってのは警察さんに囲まれているってことで。 冗談抜きで。いや、ほんとに。 まさか国会議事堂みながら仕事することになるとは思いもしませんでした。 実際見ながらするわけありませんが(あたりまえ) その逆に昨年1年間、全く行かなかった場所があります。 それは 秋葉原電気街 何があったんでしょう俺。 パソコンは新たに購入したというのに。 通販で これか、原因は(笑) 秋葉原自体に全く行かなかったわけではなく、 JRと地下鉄の乗り換えで何回か利用しています。 それと、与作オフで、昭和通りにある焼肉店に行きました。 そんなもん。 過去の俺からして全く持って想像つきません。 OA機器コーナーや、量販カメラ店には何度も足を運んだのに。 ということで昨年行ったのOA機器関連がある店を思い出してみると・・・。 上野、東京、有楽町、新橋、新宿、池袋、春日部、千葉etc・・・。 秋葉原に行く必要が無くなったわけですね。 つまりOAショップはわざわざ秋葉原じゃなくても充分ってことで。 個人的に注目している場所は有楽町。 昨年出来たソフマップとその前からあった旧そごう跡のビックカメラが大奮闘しています。 ビックポイントカードがあるので足を運ぶのは決まってビックカメラですが、 たまにビックカメラに売ってなかったソフトを探すためにソフマップに行くときがあります。 ソフマップカードは持っていませんが。 全然関係ないですけど 8年くらい前、ソフマップのカタログで「SONY」を「50NY」という素晴らしい誤植をしてくれて 大笑いしたことがあります。 今でも至る所でネタになっているみたいですが。 とまぁ、いろいろウダウダと秋葉原に行かなくなったことを書いている最中に こんな記事を見つけました。 秋葉原、“PCからマニアへ”鮮明に PC販売市場で東京・秋葉原のプレゼンス低下が止まらない。マルチメディア総合研 究所がまとめた2002年度上半期(4−9月)の東京圏店頭PC販売概況によると、秋葉原 の東京圏シェアは32.5%に減少。美少女ゲームや中古PCなどへの傾斜を強めており、 「量より個性の電気街」(同総研)への変ぼうぶりが鮮明になりつつある。 上半期の東京圏(神奈川・埼玉・千葉各県の一部を含む)の販売台数は全体で61万 6500台と前年同期比8.7%減。そのうち秋葉原は20万500台で、シェアでは同2.9ポイ ント低下した。全国シェアは前期比2ポイント増と持ち直したものの、ピーク時の 1997年上半期の21.2%(全国の販売台数は99万5000台)には遠く及ばない。 理由について、同総研は「秋葉原がマニア度を深めているため」と見ている。秋葉 原では新品PCなどの汎用ハードが売れにくくなる一方で、PC用美少女ゲームやアニメ DVD、フィギュア、中古PCなどが台頭。PCメーカーの販促費圧縮で新品PCの粗利が下 がっているため、大手量販店も脱PCへの動きを加速している。同総研は象徴的な出来 事として、ラオックスが2002年10月に「ASOBITCITY」をオープンさせながら、同12月 には「ザ・デジタル館」の撤退を発表したことを挙げている。 また大型店の新規出店が相次ぐ新宿地域や池袋、有楽町など、都内でも一極集中か ら“面”へと展開が進んでいることも大きい。大手量販店は中堅業者が「不当廉売 だ」と悲鳴を上げる高率ポイント還元で集客力を強化。ターミナル駅への量販店の集 中化で買いまわりの利便性も高まっており、以前ほど秋葉原の必要性が少なくなって いると見られる。 2002年度通期について、同総研は東京圏全体について前年度比10%減の120万台前 後になると予測した。10、11月とも前年実績を割り込んだ上、年末年始の長期連休化 で商戦にも気が抜けない状況が続いた。ただ九十九電機と石丸電気が12月に発売した 米eMachinesの低価格PCが好調に滑り出し、「99年下期以来の低価格PCブームが起き る可能性がある」(同総研)という。(ZDNet) なるほど。 俺と同じような行動をしている人が恐らく40万人くらいいるんだな・・・と (適当な数字いうな俺) いずれにせよ、電気街はおろか、トライタワーやセガといったゲーセンにまで行かなくなった秋葉原。 職場から1本で電気街にいけるようになったんだから、 また足を運んでみるとしてみようかなっと。
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