本堂 | 観音堂 | ミニ西国 | 毘沙門堂 | 地蔵尊 | 鐘楼 | 碑 | 茶室 | 永代 供養墓 |
四国遍路八十八度供養塔 しこくへんろはちじゅはちどくようとう
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境内の南東の隅の、南の端にあります。 四国遍路の大先達として多くの信者を集めた元木弥三郎の八十八度の四国参りを記念し、あわせて彼の菩提を弔うため、信者たちが弥三郎さんの死の直後の明治15年(1882年)9月に立てたものです。 この人が始めた表具店は、いまも続き、五代目の克宣さんが社長です。 |
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道阿の句碑 どうあのくひ
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ミニ西国霊場の最後のお堂、善光寺さんをはさんでその北に立っています。 表「道阿仏」「桃水謹立 朝伍敬書」 裏「かむこ鳥啼やう月の山さくら」(かんこ鳥 啼くや卯月の 山さくら) 道阿は蕉門六世帰空の僧名です。各地を行脚し、長谷寺も訪れたのでしょう。代々の住職の中には俳人もいました。 桃水は碑を建てた人、朝伍は文字を書いた人。 帰空の亡くなった寛政年間に建てられたのではないかといわれています。「道阿仏」とあるので、菩提を祈るという意味も込められているのかも知れません。 |
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西国霊場創設記念碑 さいごくれいじょうそうせつきねんひ
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大正の末年、長谷寺の裏山にミニ西国霊場が開創された際に、これを記念して建てられたものです。 近辺にはミニの四国八十八ヶ所霊場はありますが、長谷寺は観音さんの寺なので、観音三十三ヶ所の霊場を作ったのでしょう。 旧暦4月8日の仏生会を縁日と定め、多くの参詣者が集まり、境内には市も立ちました。戦後廃れてしまいましたが、1996年(平成8年)に復興し、参拝者も戻りました。 碑には、開創の趣旨と世話人さんたちの名前が刻んであります。 |
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史跡駅路寺の碑 しせきえきろじのひ
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撫養街道から参道を登るとすぐ右に、本堂に向かって立っています。 南浜の岩朝利吉さんが奉納されたもので、裏の彼の「百日紅唯一心に観世音」(ひゃくじつこう ただいっしんに かんぜおん)の句が刻まれています。 駅路寺は、藩主蜂須賀家政が作った阿波藩独特の制度で、藩内主要街道に沿った真言宗8ヶ寺がこれの指定を受けました。 旅人たちの便宜を図るとともに、不審な旅人などを監視することもまた、駅路寺の重要な任務だったといわれています。 「長谷寺かわら版 百日紅」のタイトル文字は、ここからとられたものです。 |
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