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第六章「乾草の中の針」


■2018年 2月下旬

 1989年に第1例が実施され、その2年後に骨髄移植推進財団が設立されるまで、ユウタのような深刻な病状を抱えた患者の場合、ドナーが見つからず <骨髄移植> ができないとされたが最後、患者は死ぬしかなかった。
 だが、白血病に関する様々な研究が進んだ今では、打つ手無しと医者が患者に宣告する機会はめっきり減った。そして勿論、ユウタの担当医である森緒医師も決して全てを諦めたわけではなかった。彼女は神城夫妻に、非常に噛み砕いた表現でムンテラ(病気の説明)を行い、インフォームド・チョイス(今後の治療方針の選択)の機会を提供し続けた。
「状況は刻一刻と変化しています。今現在、私が思いつく限りの選択肢は大きく3つあります。辛いでしょうが、これらの選択肢の中から今後の治療方針を即座に決定しなければなりません。そのつもりで注意して聞いておいてください。分からない事があったら、どのタイミングでも遠慮無く質問をされて構いません。――では、まず1つ目。これは現状維持です。これまで通りドナーが現れることを祈り、あくまで非血縁ドナーからの <骨髄移植> を主眼に置いた治療を続ける方針です」
 ただし、と彼女は強調した。その場合、ドナーが見つからなかった時のことを既に覚悟しておかなければならない。彼女は些か厳しい表情でそう指摘した。
 このチョイスはユウタ少年の命を抵当とした大博打であり、リスクは大きい。化学療法のみでは寛解の維持にも限界があることから、勝負は3ヶ月以内になるだろう。シビアで辛い話だったが、ドクターは包み隠さずそう伝えた。
「2つ目は、もっと安全な方法です。実は、骨髄移植にも種類が幾つかありまして。我々は <自家骨髄移植> 、或いは <自己末梢血幹細胞移植> と呼ばれている手段を提示することが出来ます。普通の <骨髄移植> が他人からの移植であるのに対し、これらは患者本人の骨髄や自己末梢血幹細胞を移植するものです。
 これがどういうことかと言いますと、前もって病気が軽い時に採取して保存しておいたユウタ君の骨髄を、酷くなってしまった今のユウタ君の骨髄と入れ換えるのです。これはドナーが過去のユウタ君本人ということで、同意をいただければすぐにでも行えます。当然、最初の選択肢よりもリスクは低いです。
 ただし、これは近年注目され始めた比較的新しいやり方で、ある意味で実験的な治療法と言わざるを得ません。治療に成果が現れるかは、やってみないとどうにも言えないというのが正直なところです。普通の <骨髄移植> ほどユウタ君に効果があるかも少し疑問です。それとはべつに、という方法もあるのですが、やはりこれも最近認められ始めたばかりのやり方なので、結果は保証できかねます」

 森緒医師の言葉通り、 <急性骨髄性白血病> における寛解後の療法として、『化学療法』、『同種(他人の骨髄を使った)骨髄移植』、『自家(自分の骨髄を使った)骨髄移植』が行われてきたわけだが、まだいずれの治療法が優れているか、この結論は得られていない。
 そして近年、新たに注目されているのが『自己末梢血幹細胞移植』だ。これは <骨髄移植> に代わる新しい技術として、今後の発展が期待されている治療法である。患者の血液細胞を、液体窒素を使ってあらかじめ凍結保存した後、抗がん剤を大量に投与してガン細胞を徹底的に破壊。ゼロになったところで、保存しておいた血液細胞を体内に戻し健康な状態に回復させるというものである。
 最近の研究と臨床試験の報告では、 <急性骨髄性白血病> の第1寛解期においてこの治療法によって化学療法と同等かそれ以上の無病生存が得られているというデータがある。これはある意味、画期的とも言える方法であり、進歩だった。
「――最後の選択肢は、治療を痛みと苦しみを和らげる分だけの薬の投与に限定し、事実上諦めることです。この場合、ユウタ君は治りません。数ヶ月間の命を保証するのも困難になります。ですが最も苦しまずに、そして楽に残りの日々を過ごすことができるでしょう」
 提示された選択肢自体は、ユウタが二次性の <急性骨髄性白血病> になったと聞いた時と、さほどの違いはなかった。だが決定的に違ったのは、その方針決定に必要となる覚悟の質だ。
 神城夫妻は、決断を迫られていることに気付いた。勿論、ユウタの今後を決めることもそうだが、彼に「お前は死ぬかもしれない」と伝えるか否か――つまり、隠し通してきた真実を息子に明かすかどうかの決断である。
 ユウタも薄々、自分の病気が何かとんでもない方向に進んでいる、ということには気付いているだろう。だが、死ぬかもしれないと宣告してしまえばどうなってしまうだろうか。一体子供はどれほどの衝撃を受けるだろうか。全く予測は出来ない。
 神城夫妻は、森緒女史にもこのことについて幾度か相談した。それに対するドクターの返答は、いつも一貫していた。
「真実を伝えることを具体的に考える時期だと思います」


■2月27日 15時00分
 NERV本部内中央病院 精神科


 S・A・ラングレーはこの日、掛かりつけのドクターにカウンセリングを受けに来ていた。彼女の微妙な年齢も考慮して、セラピストは若い女性である。だが高度な訓練と充分な経験を積んだ実力者であることは、今アスカの主治医を任されているという事実が証明している。
「正直、最近落ち込んでるわ。腹が立ってるのか、悲しいのか、自分の感情と気持ちが判別できない。それどころか何故それを感じているかも良く自己分析できないのよ」
 クリームホワイトを基調とした落ち着いた色の壁紙が特徴的な室内で、アスカは向かい合って座るセラピストにそう吐露した。
「もしかして、考えれば考えるほど混乱するということがある?」
「今、まさにそんな状態よ」
 セラピストの名はジェニィ・サマーズと言って、プラチナブロンドが自慢のアメリカ人だ。アスカとは治療を通じてもう2年以上の付き合いになり、互いをファーストネームで呼び合うほどの親密な関係を築いている。こういった、ある意味で特殊な出会い方をした2人の信頼関係は強く、彼女たちはプライベートでも頻繁に行動を共にしショッピングや食事に出かけていく程だ。
 患者と医師がそうした関係を築くことに異論を唱えるセラピストもいるが、サマーズ女史は彼らとは別の考え方を持っているようだった。
「神城家とあってから、熱が出るほど色々考えさせられたわ。深く考えれば考えるほど、その世界は無限に広がっていくの。1つの問題を追っていくと、それが無数に枝分かれして広がっていくことが分かるわ。道は眩暈がするほど無数にある。そしてその道の1本1本が生涯をかけて研究するに相応しい深みを持っていたりする。私は何にも考えずにその世界の迷路を突っ走って、自分が今何処にいるのか分からなくなったんだわ。それで混乱してるんだと自分なりに思う」
「なるほどね。その分析は興味深いわ。決して的外れなものではないと思う」
 ドクター・サマーズは微笑を浮かべながら頷いた。10程度しか歳の違わない彼女は、笑顔を浮かべるとアスカの目から見ても非常にチャーミングだ。時々その笑顔と気配りの良さに、彼女が天使のように思えることもある。
「ね、アスカ。あなたのやっていることは、とても素晴らしいことだと思うわ。でもきっとあなたは、素晴らしいことだとか、良いことだというセリフを、この活動の中で嫌というほど聞かされてきたでしょうね。そして今ではその言葉を聞くたびに逆に考えてしまう。素直にそれを受け入れて信じることができなくなってしまう」
「うん。そうね。そんな感じ。ジェニィと付き合うようになって分かったけど、誰に称えられても自分でそれを誇れなきゃ無意味よね。あなたの言葉は今でも覚えてるわよ。『何より辛いのは、他人に許されないことではなくて、自分を許せなくなること』。つまり、それと似たようなことだと思う。自分の存在やら行動やらに心から納得できてるなら、たとえ世界を敵に回しても全然平気だと思うもの」
 アスカがここ最近更に悩むようになったのは、ユウタ少年の白血病が再発したという事実も大きく関係している。と言うより、それが彼女の悩みの大部分の原因を形成しているに違いない。サマーズ医師はそう考えていた。

 彼の発病は、実は医師たちにとっては計算されていた上のものであり、数値的には厳しくなったがそう慌てふためくほどのものではないらしい。その意味で、ユウタの担当医たちは冷静だった。
「あの時の状況は深刻であり、またそうでないとも言えました」後に森緒医師もそう語っている。「白血病は――こういう言い方は不謹慎ですが、高度に知的な戦略ゲームです。様々なデータと状況に応じて、医師は無数に広がる選択肢からより良いと思われるものを選択します。いつもどんな時でも寛解導入療法が最善の策であるとは限りません。神城ユウタ君のように、薬が効きにくい場合は、あえて完全寛解に持っていかず、軽い治療をつづけながら白血病細胞と騙し騙し共存していく方が良いこともあるのです。あの時も実際、私はそう判断しました。寛解に固執して強力な化学療法を続けるとユウタ君の身体が副作用その他の理由からもたないと考えたからです。だから再発と言っても、それは医師である私にすれば意図的なものであったとも言えます」
 そして医師は、投げかけられるであろう次の質問を予測しこう付け加えた。
「両親や <チルドレン> たちに状況が厳しいと告げ、辛い選択肢を持ちかけたのは、必要以上に楽観的に考えず1度自分たちが置かれている立場と将来を現実的に分析する機会を与えるためです。医者はそこまで計算した上で治療を行い、患者家族と付き合わなければなりません。希望は必要ですが、現実的でない楽観は病と戦うために――たとえ困難が伴おうとも――捨て去らなくてはなりません。安易で根拠に乏しい希望的観測に逃げるよりも、現実に厳しく立ち向かう必要が彼らにはありました」
 森緒女医は実にアッサリとした口調で事も無げにそう語ったが、実際にそんな芸当ができる者はそうそういたものではない。日本でも頂点に君臨するといって差し支えない程の名医だ。
 だが、そんなことはある意味アスカにはどうでも良いことだった。実際、彼女が悩みこうしてセラピストを訪れたという事実はどうあっても変わりはない。
「アスカ。あなたは自分が混乱していることも分かっているし、多分、解決手段は分からなくても解決の為に必要なものが何なのかは知っていると思うわ。その助けになるかは分からないけれど、1つあなたに聞いておいて欲しい話があるの」
「なに?」自分のドクターに絶大な信頼を寄せているアスカは、素直にそう言った。
「あなたの今の活動に、ある意味で深く関係している話よ。もしかしたら既に知っているかもしれないけれど、シャーリィ・ノーランという名前に心当たりはないかしら?」
 アスカは即座に脳内のデータベースを検索し、すぐにその結果を弾き出した。結果は該当なし。彼女の記憶にシャーリィの名を持つ人間は79名、ノーランの姓を持つ者は18名あったが、いずれをも兼ね備える人間は1人もなかった。彼女のように知能指数の高い人間は、たまにこういう面白い芸を披露してくれる。それだけ記憶の仕方が独特でユニークなのだ。
「残念ながら聞いたことないわ。1度聞いた名前は忘れない筈だから、思い出せないってことは本当に知らないってことでしょう。もっとも、ノーヒット・ノーラン(無安打無塁打試合)なら知ってるけど」
「そう、それはある意味よかったわ」
 アスカの返答を聞いたサマーズ医師はにっこりと笑って続けた。
「シャーリィ・ノーランは、どこにでもいる平凡な1児の母の名前よ。でも同時に <骨髄バンクの母> の誉れも高い、35年前に世界で最初の骨髄ドナープールを作り上げた偉大な女性の名前でもあるわ」
「えっ……?」
 少なからず、アスカは驚いた。ジェニィがそんな話を知っていることもそうだが、世界最初の骨髄バンクを作り上げたのが、たった1人の民間人の意思であったことに意外性を感じたのである。

「1973年のある日、シャーリィ・ノーランは2歳になる息子のアンソニィを連れて、ロンドンはウエストミンスター小児病院に行ったわ。体調不良の我が子に下された診断結果は『ウィスコット・アルドリッチ症候群』。簡単に言えば、重度の先天性免疫不全症だったという話よ。アンソニィを診断した医師は言ったわ。息子さんは骨髄移植でしか助かりません。しかし、この子には兄弟姉妹がいない。HLAの一致するドナーがいないのです。
 シャーリィは、何とかドナーを見つけ出す方法は無いのかと訊いたわ。もちろん、当時は地球上のどこにも <骨髄バンク> なんてものは存在しなかったから、医師は首を振ってその可能性を否定した。そして、こう付け加えたそうよ。――この世のどこかにドナーとなれる人間はいるでしょう。ですが、探す術がありません。乾草の山の中から、たった1本の針を探すのと同じことです。事実上、可能性はゼロです」
 それはつまり、アンソニィが助からないという意味の言葉だった。HLA型が一致する確率は、兄弟姉妹がいれば <メンデルの遺伝の法則> に従って25%。それ以外では両親でさえ一致の確率は低く、非血縁者となれば尚更で、当時は奇跡的に運が良くて5百人に1人。悪ければ100万人に1人とも言われていた。
「普通なら諦めるわ。でも、シャーリィは普通では終わらなかった。彼女はこう考えたそうよ。たとえ乾草の山の中にあったって、針が確かに存在することに変わりはないってね」
 いま存在しないなら、自分が新たに作れば良い。覚悟を決めれば、たとえ天文学的確率が相手でも迷いはなかったという。シャーリィ・ノーランという名の1人の女性は、自力で <骨髄バンク> を作り上げることを決めた。
「誰かに似ていると思わない? この考え方」
「私たちと同じだわ」アスカは半ば呆然としながら呟いた。
 いま登録されているドナーにユウタ少年のHLAと一致する者がいないなら、自分たちが新たなるドナーを生み出し、その中から見つけ出せばいい。なければ作り出せ。それは <チルドレン> たちがここまでの数ヶ月間、寝食を惜しんで行ってきた活動を支える理念であった。そして35年前、既に同じことを考えた人間がいたのである。
 だが彼女は <チルドレン> ほどの絶大な知名度もなく、またNERVという強力なバックアップも持たない、たった一人の母親だった。彼女が世界を相手にその行動を起こし、そして継続していくためにはどれほど悲壮で強い信念と覚悟が必要だっただろう。アスカにはそれが他人よりも理解できるような気がした。

「彼女は文字通り、死ぬほどガムシャラに動いたわ。命を削るほどの働きだったそうよ。それも無理はないわよね。たった1人の我が子の命が、そっくり自分の行動にかかってるんだから」
 彼女は、翌年の1974年に病気の子供の名を取った <ANRC:アンソニィ・ノーラン研究所> を設立。HLA型の検査とドナー登録のシステム構築を目指した。勿論、多くのUKに住む人々の中には、彼女の行動に心を動かされた者がいた。
「HLA型を検査した骨髄のドナー・プールの構築。シャーリィのこの活動に賛同者が現れたわ。 <ラウンドテイブル> という組織がそうよ。伝説の『アーサー王と円卓の騎士』の物語は知ってるでしょう?  <ラウンドテイブル> は、円卓に上座がないことから、これを平等の象徴としてその名を冠するに至った組織よ。日本でいうと『青年会議所』のような感じね」
 正式名称 <ラウンドテイブル・アソシエーション> は、実業家・弁護士・医師などの地域リーダーたちが作り上げる、地域奉仕と自己研鑽を目的としたボランティア・グループだった。規定により、40歳以下のメンバーで組織される次代を担う者たちの若きチームである。
 最初、シャーリィに協力を申し出たのはこの <ラウンドテイブル> の2つのクラブ(支部)だけだったが、それは直ぐに10倍(22支部)に拡大した。更に、財政面でのサポートを <ミッドランド銀行> が受け持つことになり、シャーリィが設立した <アンソニィ・ノーラン研究所> の事務部長にはこの銀行の幹部が出向して、組織運営を支えることになった。
「シャーリィの奮闘虚しく、彼女のひとり息子アンソニィ・ノーランは1979年に亡くなったわ。でも、彼女の活動がそこで終わったわけじゃない。シャーリィは同じ境遇の家族がUK中にいることを考えたの」
 活動開始から10年余を経た1986年、ドナー登録数は7万を超えた。そして同年秋、 <ラウンドテイブル> は1250のクラブを動員し、一大キャンペーンを展開。会員たちは商店、デパート、スーパーマーケット、果ては大衆食堂やパブ、レストランにまで押しかけパンフレットをばら撒いた。そして僅か6週間のうちに、新たに10万人を超えるドナー登録者を生み出した。――6週間で10万。それはNERVが先日行った、1週間4000人とは桁を違えるほどの偉業だった。

「この時の騒動は、まるで戦争のようだったと言うわ。 <アンソニィ・ノーラン研究所> にはヨーロッパ中から集まったHLA検査技術者とボランティアの人々が24時間不眠不休で待機して、この偉業を成し遂げるアシストをしたそうよ。そして、この6週間10万という前人未踏の伝説的記録は30年経った今でも未だ破られていないわ」
 勿論、この <アンソニィ・ノーラン研究所> の存在は拡大を続け、現在でもウェストミンスター地区にあるザ・ロイヤルフリー病院の敷地内に巨大な研究センターを構えており、世界トップランクの骨髄バンクとして世界にその名を轟かせている。
 運営も、資金の90%は <ラウンドテイブル> や <ミッドランド銀行> などからの大口寄付と市民からの寄付金によってなりたっていて、国の補助に頼るような脆弱な基盤とはワケが違う。また検査用血液の運搬は、 <レッドスター> という大きな運送会社が完全無料でおこなっているし、保険部門では世界的にも有名な <ロイド保険> がこれを一手に引き受け、非常に質の高い保障を行っている。1児の母と <ラウンドテイブル> の騎士道精神が作り上げた組織は、それだけのものになった。
「当然、ドナー検索の依頼は世界中からあるわ。ヨーロッパ各国はもちろん、カナダ、アメリカ、果てはニュージーランドまでね。最初はドナーが遥々これらの国々まで出向いていたけど、今ではザ・ロイヤルフリー病院で骨髄を採集して、――廃線になるまでは――それを海外までコンコルド・ジェット機で配送していたそうよ」
 ドクター・サマーズはニッコリ微笑むと、そこで長い話を1度区切った。そして少しだけ口調を変えて、アスカに優しく語り掛ける。
「私の祖国――USAで最初に出来た骨髄バンクの名前は <ローラ・グレイヴィス骨髄移植財団> だったわ。一人娘ローラを白血病で失った父、ロバート・グレイヴィスが同じ痛みを背負う親が金輪際生まれないようにするため作り上げた組織よ。それが成長を繰り返し、今ではドナー登録者数200万人を超える世界最強の骨髄バンク <NMDP> になったの」
 アスカの目を見て、サマーズは彼女がこの話から何を掴み取ってくれたことを確信した。心の迷いや混乱は、要するに自分の覚悟の甘さだ。何物にも揺るがない強い心があれば、それは乗り越えられる。アスカに必要なのは人間的な部分でのそれだった。
「私の話はこれでお終い。別にどうという意味があるわけじゃないわ。ただ <骨髄バンク> の歴史を話しただけ。それをどう受けとめるか、活かすか殺すかはあなた次第よ」
 その言葉にアスカは暫し呆然としていたが、やがてその口元に微笑が浮かんだ。青く澄んだ瞳にも、いつもの元気と力が宿っていく。 そして彼女は言った。
「ありがと。ジェニィ。まだ上手く整理はできないけど、何かが掴めそうな気がするわ。きっと、この悩みを吹っ切るのにいい切っ掛けになると思う」
「それは良かったわ」ジェニィ・サマーズは友人としても、微笑んだ。
 セラピストが最初にぶつかる難問は、『専門医として何ができるか』と『人間としてなにができるか』を区別する作業である。サマーズ女史自身、まだそれに答えを出せたわけではない。だがアスカとの付き合いの中で彼女もまた何かを学びつつあった。それが恐らく、彼女たちの良い関係となって現れているのだろう。

「それにしても、タイミングが良すぎるわね。その話。どこから仕入れたのよ、ジェニィ。どうせタネがあるんでしょう。白状なさい」
 アスカは冗談めかしてそう迫ると、サーマズ女史は観念したようだった。だが悪戯っぽく笑っているところを見ると、どうやら聞かれなくても最初から話すつもりはあったらしい。
「実は先日ね、突然ドクター・アカギが私のところに来たのよ」
「えっ、リツコが?」
「うん。彼女有名だから名前は知ってたんだけど、その時初めて会っちゃった。それでね、彼女って美人だけど、ちょっと雰囲気が怖いじゃない? 噂でもクールで冷徹な人だって聞くし。だから私、いじめられるんじゃないかと思ってビクビクしてたのよ。改造とかされるかもって」
「リツコは暴力キライなのよ。改造は好きかもしれないけど」
「うん。とりあえず、その時はいじめられなくて良かった」サマーズ女史は胸を撫で下ろしながら言った。「でね、何故か彼女、この話が載ってる資料を渡してくれたのよ。よかったら読んでみてください。2〜3日中に、もしかすると役に立つ知識が載ってるかもしれませんから――なんて言ってね」
 そう言って、サマーズ女史が差し出した本のタイトルは <骨髄バンクの歴史> 。どうやらここでも赤木リツコは暗躍していたらしかった。
「じゃ、なに?……さっき、アタシに偉そうに話してた骨髄バンク設立うんぬんの知識やらウンチクは、全部2〜3日前に叩き込んだ俄仕込みのものだったってわけ?」
「うん。実は、そうだったりするんだよね」
 呆れ顔のアスカに、サマーズ医師は舌を出してあっけらかんと言った。そして猫のような口をして、実に嬉しそうに笑う。
「見事にダマされたでしょ?」


■02月27日 22時11分
 NERV本部 技術部名誉顧問執務室


 その日赤木リツコ博士は、珍しく碇シンジと綾波レイの訪問を受けていた。彼ら――特にシンジは、アスカと同様、ユウタ少年の再発の件に関して深く思い悩んでいる様子だった。そこでアドバイスを受けるべく赤木博士の元にやってきたというわけだ。恐らくアスカから、赤木博士に的確な助言をもらった過去を聞かされたのだろう。
「これからユウタ君がどんな治療を受けるのかはまだ分からないんですけど、お医者さんの話だと、それでもやっぱり <骨髄移植> が1番良いらしくて。だから諦めないでドナー探しを継続していきたいんです」
 シンジはコーヒーカップを両手で包み込むようにしたまま、俯き加減で言った。
「そうね。確かに、造血幹細胞移植――つまり <骨髄移植> が現状で1番治癒の確率が高い治療方法であることは間違いないでしょう。特にユウタ君のような症例ではね。適合ドナーが見つからない場合、原疾患にもよるけれど、普通は放射線照射や化学療法などの疾患の勢いを抑えるような治療を行うの。でも結局、 <骨髄移植> が出来なかった場合、最終的にはほとんどのケースで患者は死ぬわ。移植なしで生きられる例もないわけではないけれど、急性白血病や重度の再生不良性貧血の場合、その生存率は……そうね、20%を割るでしょう。神城ユウタ君の患っているAMLの場合は、統計的に15%以下だと言われているわ」
 しかも、ユウタの白血病は数ある症例の中でも最悪に属しつつある。治療の副作用による二次性の白血病であること、抗癌剤の度重なる投与で白血病細胞がこれに耐性を持ちつつあること、ドナーが見つからず第一寛解期に都合よく移植を受けられなかったこと。この悪条件の重なり方は、どの医者がカルテを覗き込んでも顔を覆うばかりのものだ。
「因みに同じAMLでも、ユウタ君と同じ状況におかれた小児患者が移植なしで5年生き延びたケースは、私が今までに集めたデータを見る限り1件もないわ。完全に0%よ」
「どうして、ユウタ君にはドナーが見つからないんでしょうか? 海外にも検索をお願いしているのに」
「単純に運の占める要素も大きいでしょうけどね。あえて言うなら、たぶん母親が混血であるという事実が関係してると思うわ。ユウタ君の母親――神城ユウコさんは、アメリカ人と日本人のハーフらしいわね。これが結構問題なのよ。HLA型ってのは遺伝的要素に左右されるから、人種によって大きく異なってくるものなの。白人と東洋人の間で型が合うことは稀よ。ユウタ君のHLAには、母親から受け継いだ西洋人の特徴が受け継がれている。だから純血の日本人とは合いにくいんじゃないかと思うわ」
 もっとも、他にも幾つか原因はあるんでしょうけど、と赤木博士は付け加えた。

「それにしても、日本はあなたたち <チルドレン> が動いたにも関わらず、登録者数の伸び率が海外と比較して小さいわね。案の定というか何と言うか」
 幾つかの資料を検証しながら、赤木博士は言った。その言葉自体は、非常にクールで感情的な部分は見受けられなかったが、これにシンジは敏感に反応した。
「案の定っていうのは? 日本人の登録者があまり出てこないことは、最初から分かってたんですか」
「予測はしていたわ。ここまで数値的にハッキリするとまでは思ってなかったけど」
「なんで分かったんですか?」
 シンジのその質問に、赤木博士は目を細めた。どこか嬉しそうに見える。シンジは彼女のそんな顔をあまり見慣れていなかった。
「実は、私が医者と心理学の勉強をやってた頃、それを専門的に研究してたのよ。私は病の受け止め方の相違に宗教や信仰の有無を関連させて論じたレポートを書いたわ」
 そう言うと、彼女は昔を懐かしむような口調で説明しだした。シンジはそのレクチャーについていくのがやっとで、恐らく半分も理解し切れなかった。だが何とか汲み取った部分をシンジなりに要約してみると、大体以下のようなことになる。
 つまり、「臓器を提供してやろう」とか「骨髄ドナーになろう」と考えたり、ボランティアや社会問題に比較的積極的に参加しようという人間の多くが、神の存在を信じているという点が主題だ。特に欧米ではキリスト教の思想が広く社会に浸透していて、そこそこ熱心な信者であり、毎週日曜日には欠かさず教会に行っているという真面目な人間でなくても、国民の大多数が神の存在自体は否定しないし、これを信じている。赤木博士は、この宗教と信仰心が重病を抱えた患者やその家族に与える心理的な影響に興味を持って、10代の頃研究に勤しんでいたらしい。
 たとえばアメリカやヨーロッパだと、病気と上手く付き合っていく人間が日本と比較して多い。それは、彼らが最後の望みの綱として神に縋ることができるからだ。彼らは神に話しかけ、救いを求め、そして希望を見出す。ところが特定の宗教を持たず無神論者が多い日本だと、心から神の存在を信じることができず縋る希望を見出せないケースが多い。
 赤木博士自身も無神論者であり、宗教に付き纏う不健全な精神や、宗教が内包する排他性が引き起こす諍いを毛嫌いするタイプの人間なのだが、病に信仰心が与える大きなプラスの効果は認めざるを得なかったし、だからこそ面白いとも思ったわけだ。
 結局、神を信じるあまり戦争を起こす人間がいる反面、神を信じることで他人に優しくなれる人間もいるということだ。日本人がこういった問題に無関心で冷たいのは、信仰によって齎される慈愛と心の余裕に欠けるからだという考え方もできる。この見解に関しては、今後も研究の余地と価値が十分にあると告げ、赤木博士はしめ括った。

「――勿論、信仰心の有無で全てが決まるわけじゃない。実際、ユウタ君は <チルドレン> になるという夢で己の心を強く支えているしね。でも宗教が関連する文化的な土壌の違いが、あなたたちの呼びかけに対する心の反応に大きく影響していることは、恐らく大抵の人間は否定できないはずよ」
「じゃあ、日本で関心を持ってくれる人が少ないのは仕方がないってことですか?」
 分かった範囲でそう纏めたシンジは、幾分肩を落としながらそう言った。確かにイングランドにしてもアメリカにしてもキリスト教の国だ。彼らの多くが神を信じているし、それが直結しているという保障はないにしても、どこかで問題に影響を与えていることは考えられる話である。
「即座にそう言ってしまうのは少し乱暴だけど、そういう見方もできるという――」
 シンジを元気付けるように口調を変えて答える赤木博士だったが、その言葉を遮るように電子コール音が鳴った。彼女がその音源に目をやると、内線が入ったことを告げる蛍光表示が点滅している。
「ちょっと失礼するわ」と <チルドレン> に断ってから、博士は受話器を取った。
「はい、赤木です……え、本当にその名前の女性? 分かったわ。回して頂戴」
 博士に入った連絡は、外線から彼女に電話が入っているというものだった。博士には個人的に親しい知人が少ないせいで、これは滅多にあることではない。オペレーターが告げた先方の名前を聞いて、赤木リツコは二重に驚いた。
「ごきげんよう、リツコ。音声だけだけれど、聞こえているかしら」
 暫くすると、受話器の向こうから落ち着いた女性の声が聞こえてきた。なまりの全くない、教科書に載せたくなるような生っ粋のクイーンズ・イングリッシュだ。勿論、博士にはその声に聞き覚えがあった。もう随分と久しぶりになるが、恩師の声を忘れるほど彼女も薄情ではない。
「ヴァレリィ先生。お久しぶりです」
「ああ、なつかしい声ね。また貴女と話せて嬉しいわ」
「先生もご健勝のご様子、なによりです」赤木博士は目を細めて微笑んだ。「長い間ご連絡差し上げなかった無礼の段、平にご容赦下さい」
「良いのよ。元気そうな声を聞けただけで」
 シンジにしてもレイにしても、彼女のこんな表情を見るのは初めてだ。それほど赤木博士は普段とは違った特別な顔をしていた。たとえるなら、久しぶりに故郷に戻った旅人か。或いは母親に抱かれて安心する、小さな子供のようにも見えなくはない。
 それもその筈、博士の受話器の向こうの人物は、ティーンの頃彼女がインターン(医学研修医)をしていた頃の大恩師なのだ。ある意味で、親のような存在である。
「それで、先生。今日はどのような……?」
「ああ、そうでした」そう言って、リツコがヴァレリィと呼ぶ女性は笑った。「なつかしさばかり先走って、危うく忘れてしまうところでしたね。大切なことなのに。実は、あなたに紹介したい人がいるのよ」
「は。紹介、ですか」
 赤木博士には心当たりがなかった。当然だ。もう十数年連絡を絶っていた恩師から、突然連絡が入ったことすら意外だったのに、その用件まで予測できるはずもない。だが、もしかしたらという予感がどこかに芽生えつつあるのも確かだった。――そして、その予感は見事に的中する。
「あなたのお友達の活躍は知っているのよ。3人の <チルドレン> 。とても良い子たちね」
「ありがとうございます」
「それでね、今回あなたに紹介したいのは、彼ら <チルドレン> が探していた人物だと思うの。なんて言ったかしら、あの子。そう、ユウタ・シンジョウ。あの夢見る幼い少年のドナーになれる人物なんだけれど、あなたは喜んでくれるかしら?」
 まるで世間話でもするような調子で実に軽く告げた先方であったが、リツコはその言葉に受話器を取り落としそうになるほど驚愕していた。
「本当ですか!?……ユウタ・神城の適合ドナーが」
 英語での会話だったせいで、その内容を理解できたわけではないが、『ユウタ・シンジョウ』の名前が出てきては、シンジたちも黙ってはいられなかった。赤木博士の表情と声からしても、何かがあったに違いない。シンジは椅子を蹴って立ち上がり、彼女の電話のやり取りに神経を集中した。

 結局、赤木博士はそれから一言二言の挨拶を交わしただけで受話器を置いた。そして再び <チルドレン> たちに向けられたその顔には、珍しくハッキリと分かる笑みが浮かんでいた。
「あの、リツコさん?」
「電話の相手は、私が医学を勉強するためにイングランドにいた頃の知り合いだったわ。インターン時代の私の恩師で、名前はヴァレリィ・ラヴロック。15歳でMITの理論物理学の博士号を取得。当時 <大英帝国の誇り> とまで言われた本物の才人よ。もう60近い方で、今はロンドンにある王立フリー病院の骨髄移植部門最高責任者を務めておられるわ。私の知る限り、ことBMT関連にかけては地上最高の名医のひとりなの」
 ロンドンの王立フリー(ザ・ロイヤルフリー)病院と言えば、世界中の専門医が世界最高レベルと保障する国際的にも有名な病院だ。それを証明するように、王立フリー病院の敷内には、世界最初の骨髄バンク <アンソニィ・ノーラン研究所> が存在する。ある意味で、全ての始まりの地とも言える場所だ。
「17歳の時、先生はHLAの奥の深さに魅入られたそうよ。民族や人種によって特徴のことなるHLAを追っていけば、ある民族がどこから現れ、どんな歴史を経て現在に至るのかを知ることができるわ。先生はここから血液関連に広く研究の範囲を広げ、最終的には血液難病に関する世界的権威になってしまわれたの。本人はただ研究をやっていたら、何時の間にかそうなっていたんだと主張していらっしゃるけどね」
「それで、そのリツコさんの先生はなんて仰ったんですか? ユウタ君の名前が話にでてきたように聞こえたんですけど」
「ええ、先生はこうおっしゃったわ。ユウタ神城のドナーになれる人物に今日出会ったってね」
 嫣然と微笑みながら赤木博士は言った。
 正確には、ヴァレリィ・ラヴロックの言葉はこうであった。「実は、今日の開業時間と同時に私の病院に飛び込んできた若い子がいてね。あなたの国から語学留学の為にやってきた家族の子供なんだけれど、いきなりドナー登録をしてくれなんて言い出すのよ。聞いてみると、今日がドナー登録できる年齢――つまり18歳の誕生日なんですって。その日が来たら絶対にドナー登録するんだって決めていたと言うの。だから、誕生日になった瞬間に飛んで来たんですって。可笑しいでしょう? 彼女は、サードチルドレン=シンジ・イカリの大ファンで、ドナー登録を請う彼らのTV演説を見て登録を決心したんだそうよ」。
「おめでとうシンジ君、レイ。その子は間違いなくあなたたちの活動が生み出したドナーよ。もし人類が避け様のない絶対的な確率を運命と呼ぶならば、あなたたちはそれを変えたことになるわ。やっぱり、 <チルドレン> ね。天文学的数値もひっくり返す」
 これまで、碇シンジたち <チルドレン> は幾度となく不可能と言われた事をやり遂げてきた。初めてシンジがパイロットして現れたとき、エヴァ初号機を動かせる確率は0.000000001%だと言われていたし、第10使徒と戦った時の勝率は0.00001%だった。だが、その数値全てを彼らは覆してきた。彼らが <不可能を可能にする奇跡の英雄> のキャッチコピーで称えられる所以である。
「――誇りなさい。あなたたちはまた奇跡を起こしたのよ」
 信じられないその言葉に、シンジは口をポカンと開けたまま暫く動けかなかった。あの寡黙でクールな綾波レイでさえ小さく目を見開いている。
 無理もない。彼らはついに、遂に、乾草の山の中から輝く1本の針を見つけ出したのだ。神城ユウタの適合ドナーをその手で生み出したのである。


■2018年 2月28日(水曜日)

 イングランドから神城ユウタの適合ドナーが見つかったというニュースは、即座に世界を駆け巡った。特にイングランド国内での騒動は大変なもので、BBC(英国放送協会)をはじめとする各放送局、 <ニューズ・オブ・ザ・ワールド> 、 <デイリー・ミラー> 、 <サン> などといった新聞社は、競ってこのニュースを臨時のトップとして取り扱い、特番、特集、号外をばら撒いた。
 今や <チルドレン> の友人ユウタ・シンジョウの行方は、世界が注目する大変な出来事にまで発展していたのである。
「感想ですか? そうね、とても嬉しかったわ。そうだったら良いなとは思っていたけれど、まさか現実になるなんて思ってもみなかったから」
 ドナー本人の意向もあって、彼女は積極的にこれらメディアの取材やインタビューに応じた。現れたのは18歳になったばかりの少女で、名をメグミ・H・プレンティスといった。12年前、彼女は仕事の都合でイングランドに転勤する母親に連れられて日本を離れたという。その後母親がイングランド人と結婚したため、現在の国籍と名字はイングランドのそれであるが、中身は生っ粋の日本人という多少珍しい境遇にある少女だ。
「ドナー登録をした理由は、もちろん <チルドレン> よ。私はサードチルドレンの大ファンだもの。彼って可愛いわよね? とにかく、そんなわけだから、彼らの動向には常に注目してるのよ。そうしたら、去年の暮れ辺りからいきなりTVにバンバン出演するようになったじゃない? ファンとして、これをチェックしなきゃモグリだわ」
 彼女は、1歩外を歩くたびに周囲から無数に伸びてくるマイクと、絶えず浴びせられるフラッシュの閃光の攻撃を受けるようになった。歳相応にミーハーな女の子である彼女は、むしろそんな束の間のシンデレラを楽しんでいるようだった。頬を紅潮させて、興奮を必死に抑えながら全てのインタビューに答えていく。
「それで、セカンドチルドレン=アスカ・S・ラングレーの話を聞いたのよ。彼女美人だし、天才少女じゃない? いつもシンジ君の近くにいるから羨ましいって思ってたし、プライド高そうだったからそんなに好きってわけじゃなかったんたけど……その彼女が形振り構わないで頭を下げてるじゃない。正直、感動したわ。真剣なんだなって思った。シンジ君もドナー登録を必死にお願いしてたし。だから18歳の誕生日になったら、直ぐに協力するって決めてたわ。ファンとして当然の義務よ」
 現時点では、世界でたった1人の適合ドナーとなるわけだが、実際にユウタ・シンジョウに骨髄を提供するという同意書にサインをするか? という質問に対し、彼女は最高の微笑を浮かべてこう答えた。
「当たり前よ。あんなに可愛い子を死なせるなんて、できるわけないじゃない。それは全身麻酔とか入院とか色々不安はありますけど。でも私の身体の骨髄が役に立つなら、何回でも幾らでも彼にあげるつもりよ。――ええと、これは日本でも放映されるのかしら? される? 字幕や吹き替えの翻訳付きで?
 だったら、彼とその家族に伝えたいわ。私ができることなら何でも協力します。日本にいかなきゃならないなら、もちろん飛んで行くわ。だから安心して、よくなって。きっと私たちは良い友達になれるはずよ」
 もちろん、彼女のこの陽気なメッセージは衛星電波に乗って日本に送られた。そして神城一家の元にも確かに届けられた。息子の命を救う一人の少女の登場に、神城夫妻はただ涙を流しながら「ありがとうございます」と繰り返し告げることしかできなかった。
 翌日からユウタ少年は、集中的な放射線照射と、致死量の数倍にも匹敵する量の抗癌剤を用いた超強力化学療法を受けることになった。もちろん、海を越えて音速でやってくる骨髄をその身に移植するための準備である。
 光無き夜に、朝の訪れを告げる曙光が見えはじめた。


■2018年 03月04日
 第三新東京市  <T3CH>


 骨髄とは、身体中の骨の中心に存在するゼリー状の物質である。これは血球を造り成熟させる器官で、簡単に言えば血をつくる役割を持っている、非常に重要なものだ。白血病はこの骨髄が悪くなってしまい、どうにも正常な血が作れなくなる病であるから、これを何とかしなければならない。
 誰でも考え付くことだが、骨髄が悪くなってしまったなら、それを切り捨てて正常な骨髄と交換してしまえばいい。時計の電池交換や、パンクした自動車のタイヤ交換と発想は同じである。つまり、 <骨髄移植> とは相性の良い人から骨髄を分けてもらい、悪くなった患者の骨髄の変わりとして使えるように体に入れるという作業と考えればいい。
 ただし、人間の身体は時計や車のタイヤとは違って非常に複雑でデリケートだ。いらない物をポイっと捨てて、部品をワンタッチ交換というわけにはいかない。まず正常な他人の骨髄を貰うために、患者の悪い骨髄の働きを殺してしまう必要があるのである。悪いものを悪いまま残しておいても移植の意味が無い。そのために、使い方を間違えれば殺人にもなりかねないほどの強力な抗癌剤と放射線で、患者の中のガン細胞と骨髄を死滅させることになる。
 ところが、これが問題なのである。まず第一に、一気にガン細胞や骨髄を殺すほどの化学療法は身体にすこぶる悪い。内臓が口から跳び出てきそうな程の強烈な吐き気が頻発し、体調不良にも襲われる。もちろん髪の毛だって薬の副作用で綺麗に抜け落ちる。おまけに失敗すれば死ぬという恐怖が絶えず付き纏うのだ。相当に辛い。
 2つ目の大きな問題は、感染症だ。骨髄を薬や放射線で殺すということは、つまり血の持っている働きを殺してしまうことになる。血に含まれる白血球は病気と戦う仕事があることで有名だが、この働きも殺されてしまうのだ。当然、空気中に普通に漂う――普段は無害に等しい――細菌にも負けてしまい、すぐに病気になってしまう。実際、そのまま放っておけば患者は移植前に感染症を引き起こし確実に死ぬ。
 その危険から患者を守るために、病院は無菌室というものを作り出した。これは部屋全体を殺菌消毒し、極めて細菌が少ない状態に保った特別な部屋のことである。骨髄移植が終わって無事に血の働きが正常に戻るまで、感染症から患者を守るための最後の砦となる特別室だ。
 これから移植を受けようという患者は、例外無くこの部屋に閉じ込められ隔離される。そうしなければ命に関わる問題に発展するからだ。実際、この無菌室の技術が確立される以前は、それこそ何千・何万という患者が感染症で亡くなっていった。そんなわけだからして、神城ユウタも将来的にこの無菌室に入れられることになるだろう。

 問題はそのタイミングだった。 <T3CH> は優れた大病院で施設も優れているが、実は <骨髄移植> ができるだけの専門的な設備が無い。つまり移植を受けようと思ったら、設備の整った病院を手配して、そこに移らなければならないのだ。この病院というのが、またちょっとした問題だった。
「――実は、私の知人がイングランドにある <骨髄移植> を専門とした病院の責任者を務めておりまして、その人物がユウタ君のために小児病棟のベッドをひとつ確保できると言ってくれているんです。ドナーも向こうにいることですし、ユウタ君にはいささか酷な旅となりますがイングランドに行ってみるのも1つの選択肢かもしれません」
 赤木博士は神城夫妻とユウタの主治医たちを交え、そんな提案をしてみた。反応は複雑なものだった。 <骨髄移植> のためには医療チームが組まれ、普通3人以上の担当医が集まるが、彼らの間でも意見が割れた。
 神城夫妻にとっても問題は微妙だった。イングランドまで行くとなれば結構な長旅になる。向こうの施設と環境がいかに優れているとは言え、果たしてリスクを冒してまで海を渡ることが本当にユウタのためになるのか。悩み所は多くあった。


■9日後 03月13日
 第三新東京市  <T3CH>


 その日、神城ユウタは1コースの化学療法と放射線照射により再び寛解を得た。 <骨髄移植> は病状がある程度安定している時に行わなければ効果が薄い。移植に関する具体的なプランを練るカンファレンスも、患者が寛解に至ってからはじめて行われるし、 <骨髄バンク> に患者が検索を依頼できるのも寛解後の話だ。つまりユウタ少年は、再び寛解に至った時点でようやく <骨髄移植> を具体的に考えるチャンスを得ることができたわけである。
 討議は思いのほか長引いたが、結果的に彼はイングランドへ渡ることになった。患者の身体になるべく負担をかけないよう移動の際は特務機関NERVが特別機を用意し、これで海を越えることになっていた。少年1人の為に飛行機を飛ばすには莫大な金が必要となるが、これは <チルドレン> たちが神城夫妻には内緒で負担することになった。かつて兵士として前線で戦っていた彼らは、その価値に見合う高給をとっていたため、かなりの富豪なのである。それに今回の骨髄ドナーを募るキャンペーンでかなりの纏まった寄付金を集めていたこともあって、少なくとも資金面での心配は当面なさそうだった。
 NERVが用意したジェット機での旅は、非常に快適なものだった。特別な座席と設備が用意され、機内には何人もの専門医と看護婦たちが同乗していたこともあり、少なくとも神城家の人々は安心して旅することができた。


■03月14日 イギリス ロンドン
 王立フリー病院 小児ガンセンター


 2018年3月14日水曜日、神城ユウタは予備検査と移植の説明を受けるために、ロンドンにある王立フリー病院の小児ガン病棟に入院した。世界で1番有名な白血病の少年を、骨髄移植部門の総責任者であるヴァレリィ・ラヴロック博士は直々に出迎えた。ユウタ少年の移送に随伴した赤木リツコ博士も、この時、なつかしい恩師と十数年ぶりの再会を果たすことになる。
 入院したユウタ少年は、これから徹底的な化学療法と放射線照射が行われることになっていた。
 そうすることで彼の体の中に潜む白血病のガン細胞や、悪くなった骨髄を完膚なきまでに殺してしまい、骨髄移植に供えるのである。その治療や検査の日々は、少なく見積もっても1ヶ月以上のものになる予定だった。
 だが、これは0%に近い生存確率を50%にまで高めるために必要な試練なのである。誰の口からも、異論はでなかった。
「正直言って、王立フリー病院の設備と環境には驚きました。これまで私が知っているどの小児病棟とも雰囲気が明らかに違ったんです。――UKの社会政策と福祉は『ナショナル・ミニマム』であると聞きますが、少なくとも子供にとっては快適な環境が揃えられていたと思います」
 後に神城夫人がそう感動を語るほどに、王立フリー病院の小児ガン病棟は素晴らしい場所だった。
 まず玄関から院内に足を踏み入れた瞬間より、それは顕著である。子供の写真や絵が賑やかに張りつけてある浮き彫り模様の壁は、病院の雰囲気を明るく楽しく盛り上げる。そして、子供たちが院内スタッフに『見下ろされている』という感覚を受けないよう特注された低い受け付けのデスクは、明らかに子供の視線に合わせて設計されていた。病院のそこかしこが、完全に子供の視線から特別に造られていたのである。

 また年齢の小さな子供には、それぞれ個別のプレイルームが設けられており、そこには専門のプレイ・スペシャリストが常に子供たちを待っていた。
 これは小児患者を相手にするための精鋭たちのことで、彼女たちは『児童心理学』および『小児ガン』についての特別な訓練を積んできた超一級の看護婦で構成される、最強の特殊部隊なのだ。
 プレイ・スペシャリストたちは、子供と遊びながら優しくこれから行われる治療について説明したり、質問をさせたりして心の準備をさせる。そして心理テストの要素を含ませた色々な遊戯を通して、子供の本音を巧みに聞き出し、彼らが抱いている不安や恐怖を緩和させるのである。
 その手腕たるや、流石は専門訓練を受けたエキスパート。まさに職人芸であった。
「NERVの赤木博士が『もし私に子供がいて白血病になってしまったとしたら、私は躊躇うことなくロンドンに引っ越してヴァレリィ先生に診てもらう』と仰ったのを聞いて、私たちはUK行きを決意したわけですが、今なら彼女の言葉の意味が良く分かります。
 日本の医療技術は確かに高いですし、ロンドンのそれと比較しても遜色はないでしょう。ですが、この王立フリー病院は技術が全てでないことを私たちに教えてくれます。子供とその家族を迎え入れてくれる姿勢、環境がどれだけ患者家族の救いとなるか。それこそ次元を隔てた違いです。今度入院することになったら私たちもこの病院を強く望むでしょう」
 神城ユウコは、母親として本心からそう思った。

 医療技術も大切だが、それと同じくらいに大切なのは医療を行うものたちの優しさだ。子供の視線から子供のためだけを考えて設計された小児病棟は、まさしくその優しさを強く感じさせてくれる場所だった。
 それは日本とイギリスの思想の相違、そして医療制度の相違が生み出した差であったのだろうが、患者にとってどちらがより望ましいかは考えなくとも明白である。
 金を生み出すシステムは成熟しているが、文化の成熟は遅れに遅れた国。それが日本であるという評価に心の何処かで頷かざるを得ない、そんな雰囲気が王立フリー病院にはあった。
「――闘病生活は非常に辛いものです。私たち親は『できることなら、その病気を代わりに背負ってやりたい』と願います。子供が苦しんでいるのに、何一つできないのは苦痛です。なにより命に危険が迫っている時『目を離すと死んでしまうのではないか、眠ってしまったこの子は目を醒ましてくれるだろうか』と恐怖を感じ続けなければなりません。
 そんな拷問のような生活を続けていくには、家族で互いを励まし合っていく必要があります。わたしも、夫がいてくれなかったら今頃どうなっていたか分かりません。ですが、そんな支え合う日々にさえ疲れ果ててしまう時があるんです。何もかも、もう耐えられない。もう沢山だと天に叫びたくなる時があるものなんです」
 この神城夫人の言葉通り、子供と共に辛い闘病生活を長く続ける両親たちは、少しの間でもいいから、病気や病院のことを全て忘れてしまいたいと切実に願う時が必ずある。
 王立フリー病院は、そんな彼らの為に医療スタッフたちと顔を合わせる必要がない一種の『聖域』を提供しているのである。病院内でありながら病院であることを感じさせないそれらの空間は、親たちの憩いの場として重宝されるわけだ。
「ランドリー・ルームで同じ白血病の子を持つ父親と出会えば、挨拶を交わします。夜、化粧を落とした母親同士が顔を合わせて言葉を交わします。病院内に医師が入り込むことのない患者家族だけのスペースがあるとこれらは良くあることです。自然と同じ境遇にある家族たちは情報を交換し合い、そして互いを励まし合うようになります。これは、思う以上に入院生活を送る上での助けになりました」


■3月15日 09時03分
ロンドン 王立フリー病院敷地内
アンソニィ・ノーラン研究所


 グレート・ブリテンの首都ロンドン。そのウェストミンスター地区に、ザ・ロイヤルフリー・ホスピタルはある。この王立フリー病院の構内は非常に広大であり、はじめて訪れた神城ユウコはそのスケールに半ば圧倒されるものを感じたものだ。
 今回、息子のユウタに付き添ってこの病院に来ることができたのは、ユウコ1人だった。夫のケンタも一緒に行きたがったが、残念ながら彼には日本に残らざるを得ない事情があった。仕事である。
 白血病の治療には莫大な金が掛かる。かつて骨髄バンクが設立される以前の日本では、HLA検査に保険が適応されず、1人のHLAをタイピングするのに最大で8万円前後かかったという話もあるほどだ。
 これは、単純計算でも何万に1人という適合ドナーを見つけ出すまでに、数千万円、数億円かかる計算になる。とても個人でどうこうできる金額ではなかった。
 また骨髄移植ひとつとってみても、最低100万円単位での話になってくる。より高度で難解なものなら、家が1件建てられるだけの金額を要求されるケースもザラだ。
 今回のユウタの旅にしても、一体これにどれだけの金がかかったことだろうか。NERVに手配してもらった特別機、無菌処理を施した特殊救急車両、特別医療班の結成、その金がどこから出たかは知らないが、相当な額に及ぶはずである。
 仁術、話術などと言ってみたところで、『医術』も所詮は算術の要素を捨てられない。
 金で命を買う。金の為に命をあきらめる。そんな不条理が常にまかり通る世界なのだ。

 基本的に白血病や再生不良性貧血、骨髄異形性症候群等のような、国から難病指定を受けている病気が発見された場合、患者やその家族は直接これを保健所に届け出なければならないことになっている。勿論、神城夫妻もユウタが発病した時すぐにこれらの処理は済ませた。だから医療保険や国からの補助金である程度の治療費はカバーしてもらえる。だがそれでも、ユウタに十分な治療を長期に渡って受けさせるには、一般人には些か酷な金額が求められた。
 結婚してまだ数年。同年代の人間と比較して幾分稼ぎの良いケンタだったが、余裕は全くないに等しい。仕事を続けなければユウタを救えない。だが、少しでも長く一緒にいてやりたい。現実と願いが交錯するが、大抵の場合は現実が願いを押し切る。この世ではよくあることだ。
「この世は侭ならない」と惣流・アスカ・ラングレーは呟いたものだったが、まさにその通りだった。
 だが、不条理を嘆くことはもうしない。そう神城ユウコは誓っていた。
 何故こうなってしまったのか。何故ユウタなのか。何故わたしたち家族なのか。そんなことを考えて涙を流しても何も変わりはしない。環境を呪ったところでユウタの病が治るわけではない。だから、悲しみは迷いのない意思の力で捻じ伏せようと思うに至った。
 今、自分にとって本当に大切なもののことだけを考える。そして、そのために全力を尽くす。
 たとえどんな結果が待ちうけていようとも俯かずに胸を張れるように。過去を悔やむことのないように。神城ユウコの命懸けの本気で挑む。そして、勝つ。

 ――もちろん、彼女も最初からこのように考えることが出来たわけではない。
 こう割りきるまでに数年かかった。悩みに悩んで、体調を崩したこともある。そうした紆余曲折を経て得られた、これは最後の結論なのであった。
「……奇跡。不治の病に直面した人間は、よくこの言葉を使うものです。ですが今の私たちには必要ありません。奇跡とは、それが起こり得ることを心のどこかで信じきれない人間の使う言葉です。
 ユウタは白血病に勝ちます。あの子は強い子です。痛い腰椎穿刺でもマルク検査でも泣きません。必ずそれが実現すると信じきっている者に、奇跡という言葉は似合わないと思います。私たちはそんな強い人間になると、長い闘病生活の中で互いに誓い合ったのです。
 ユウタは治ります。必ずよくなります。私はもう、それを決めたのですから」
 そう語るユウコの目的地は、『アンソニィ・ノーラン研究所』にあった。彼女は王立フリー病院の裏手に世界最初の骨髄バンクが存在すると聞き、訪ねてみようと思ったのである。
 ユウタは今日、ヒックマン・ライン(カテーテル)という装置を取り付けられることになっている。その処置は簡単なものだが、親が立ち会うことに意味はない。それ故、午前中はユウコに自由な時間が出来たのである。
 アンソニィ・ノーラン研究所(ANRC)の近代的で巨大な施設は、話に聞いた通りロイヤル・フリーの病棟から歩いて数分のすぐ近くにあった。
 正面玄関を潜り、研究所の中にある『ドナー登録セクション』に入ると、まず最初に目に付いたのは骨髄移植に関する新聞の切り抜きを集めたものだった。
 注目度の高い骨髄移植は、それだけドラマティックな展開をむかえることになる。当然、話題性にも富むことからニュースになることも少なくない。そんな新聞の切り抜きがボードに所狭しと張りつけられているのだ。

 次にユウコが発見したのは、この研究所の設立に尽力したシャーリィ・ノーランという女性の生き様が刻みこまれた記念碑だった。
 ユウコはそれに触れ、35年前、今の自分と同じように息子と共に白血病と戦った母親がいたことを、はじめて知った。
 シャーリィ・ノーランは息子を救うために単独で立ち上がり、やがて多くの協力者を得てこの施設を作った。そして今では1日200人を超える処理能力を持つまでに巨大な組織に育て上げた。それからというもの、何千人もの人間がここに登録されたドナーと出会い骨髄移植を受けた。そこから生まれた命は幾百にも及ぶであろう。
 シャーリィ・ノーランの息子アンソニィは骨髄移植を受けることなく亡くなったが、彼女の挑戦は今まで幾つもの命の救いとなってきた。そしてそれは、この世から骨髄移植が必要な難病が無くなり去るその日までこれからも続いていく筈だ。
 自分と同じ境遇にありながら、雄々しく気高く戦い抜いた母親たちがかつて存在したという事実。そして、今も世界のどこかで生まれているという事実。ユウコはこれを知り、感傷的にならざるを得なかった。
 彼女は涙を流しながら、この施設が生み出してきた全ての想いを心に刻み込んだ。そうすることで、全ての母たるシャリィ・ノーランの強さを、その身に分けてもらえるような気がした。



to be continued...


note

世界の骨髄バンクと、その歴史について
 今回、本編中でセラピストが語った『アンソニィ・ノーラン研究所(ANRC)』及び『ローラ・グレイヴィス骨髄移植財団』の話は全て歴史的事実に基づいたものです。1990年、ANRCは <ラウンドテイブル> の資金援助を受けて新築、現在はロンドンにある王立フリー病院の敷地内に巨大な施設を構えています。また、アメリカ最初の骨髄バンク『ローラ・グレイヴィス骨髄移植財団』は、白血病で亡くなったローラ・グレイヴィスの父親が設立したもので、現在これは成長の結果 <アメリカ骨髄プログラム(NMDP)> として、ドナー登録数200万を誇る世界最大の骨髄バンクとして君臨しています。

参考文献
『骨髄バンク 「一人のために」から「みんなのために」へ』
著者:十字猛夫 中公新書1219 (C)1994
『骨髄バンク入門 -Give Marrow Create New Life-』
著者:佐治博夫,十字猛夫,高橋孝喜 あいわ出版 (C)1990 H.SAJI,T.JUJI,K.TAKAHASHI
 多少、専門的な領域にも踏み込んでいますが、 <骨髄バンク> についてより学んでみたい方は、上記の2冊をお薦めします。特に一冊目の <骨髄バンク> は非常に内容的にも充実していますし、著者である十字猛夫氏の名前は、国内の白血病や骨髄バンクについて学ぶ内、幾度となく目にしました。この分野では世界的にも著名な人物のようです。しかも700円と、奥様も納得の低価格。非常にお求め安いご提供となっております。

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