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第五章「ルーシィの絵」


■西暦2018年 1月

 年が明けてから、 <チルドレン> たちは本格的に活動を開始した。未だドナーの見つからない神城ユウタに対し、具体的な行動を起こすことで状況の打開を目指す。現在の登録ドナーの中に適合者がいないなら、新たなドナーを生み出し、その中から見つけ出せば良い。そう考えたアスカに、もちろん碇シンジは賛同した。
 NERVも、街頭での呼びかけや講演会などには安全面から難色を示したが、TV出演は条件付(NERV本部内からの中継)で承認。早速、 <日本骨髄バンク> の財源であり、その運営を取り仕切る骨髄移植推進財団に <チルドレン> をCMキャラクターとして提供する方針で事は運んだ。
 勿論、絶大な知名度と影響力を持つ <チルドレン> を宣伝に起用できるのは、どの団体・企業にとっても願ってもない話である。財団はこの提案に飛びついた。 <チルドレン> は当然ながら、ドナー登録を呼びかける15秒のTVコマーシャルだけでなく世界中のあらゆるメディアを利用し、ドナー登録の協力と理解を訴えた。特に、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、スウェーデン語、中国語、そして日本語と、世界7カ国語を使いこなす惣流・アスカ・ラングレーは、その語学力をフル活用し、自分の言葉で世界に協力を請うた。
 そして、 <チルドレン> たちのこの行動は各国で大きく取り上げられ、熱狂的な話題を呼んだ。

「――私には小さな友人がいます。彼は白血病です。白血病は時に命に関わる重い病で、私の友人もやはり死に直面する危険な状態にあります。彼らは、皆さんから提供してもらえる骨髄を使った <骨髄移植> を必要としています。生きるために、これがどうしても必要なのです。
 ですが、ドナーが見つかりません。移植に必要な骨髄が見つからないのです。このままでは私の友人は助かりません。でも、私は彼を失いたくない。絶対に死なせたくありません。そして、同じように思う白血病の患者とその家族が、この世界には何千何万といるでしょう。だから皆さんにお願いします。私の友人を助けてください。あなたの持っている骨髄が、もしかしたら私の小さな友人の小さな命を救えるかもしれません。小さいけれど、でも確かな命です。今日は、セカンドチルドレンではなく、惣流・アスカ・ラングレーとしてお願いしにきました。お願いです。彼らにチャンスをあげてください。ドナー登録に協力して下さい」
 そう言って、アスカは様々な場所で頭を下げた。時にイギリスのニュース番組であったり、時にアメリカの特別番組であったり、時にフランスの社会問題を扱った討論番組であったり……24時間、不眠不休で、お呼びがかかれば彼女はどんな番組でも出演した。

<――では、ラングレーさんは、現在の日本の <骨髄バンク> の方針とシステムに問題があると?>
「少なくとも話し合って考えるべき多くの議題を抱えていることは事実だと思います。私はそれについて幾つか具体的な例を挙げることが出来ます」
<たとえば、それはどんなことでしょう?>
「まず、ドナーの権利に関する考え方です。アメリカでは18歳から55歳までドナー登録ができますが、日本では20歳から50歳までです。これ自体は良いとしても、問題は日本では骨髄提供に家族の同意・捺印がいるという事実です。――考えてもみてください。日本の提供資格は20歳以上なんですよ? 精神的、社会的にはもちろん、法的にでさえ立派な大人、成人と認められる人間です。その独立した個人が自分の自由意思で考え、そして判断したことにどうして他人の同意が必要なんでしょうか」
<しかしそれは、日本骨髄バンク側も考えた上での処置なわけでしょう? ドナーとなる人間の周囲にも判断する機会と権利を与えるという>
「それは、ドナー登録を検討する人間が自分で決めれば良いことです。家族の意見を求めたいなら、いちいち骨髄バンクに指示されなくても自分ですればいい。相談の場を設ける、家族で一緒に考えてみる、どれも大人なら自主的にやることでしょう? 家族に相談するか、しないか。同意を求めるか、求めないか。そんなもの個人の勝手だし、それぞれで決断すればいいことです。相手は幼稚園児じゃありません。20歳に達した成人なんです。なぜああしろ、こうしろとシステムに行動を指示される必要があるのでしょうか」

<なるほど。ラングレーさんは、やはり欧米育ち。つまり海外の人々の観点からは、日本のシステムには様々な疑問符がつくわけですね?>
「そうです。全米骨髄バンクの関係者たちにこの日本のシステムを説明すると、笑われました。ナンセンスだ、それでは <同意(consent)> ではなく <許可(permission)> ではないかと、彼らは呆れたようにコメントしていました。私も同感です。もちろん、アメリカではドナー登録にも骨髄提供にも家族の同意は必要ありません。同じアジアの諸国で、日本より歴史が浅いはずの台湾や韓国、シンガポールの骨髄バンクもほとんど同様で、家族の同意は未成年の場合のみ必要ということになっています。成人にまで同意が必要などという自立に欠けた考え方は、国際社会に揉まれた文化人はしないものです」
<それは興味深い事実ですね>
「まだあります。日本では <レシピエント(患者)> と <ドナー(提供者)> との面会を一切考えていません。ドナーには、患者が誰かも教えないし、会わせないし、結果も予後も報告しません。全くそういったことを考えないんです。確かに患者と提供者を会わせることには、様々な問題が付き纏います。骨髄提供した患者が結果的に死んでしまったりすると、提供者は精神的に大きなショックを受けますし、土壇場で提供をキャンセルされた時、患者は凄まじい衝撃を受けるでしょう。
 ですが、両者の繋がりを全く否定するというのは日本だけです。欧米では考えられません。日本では全く面会を想定していないと話すと、やはり欧米の研究者たちは首を捻ります。実際、アメリカや台湾では移植1年後、双方の合意があれば面会の準備は具体的に進められます。韓国では運営委員会審議を通過すれば、やはり1年後に面会することができるというシステムを導入しています。これらの例からも分かるように、日本は全体的に事勿れ主義なんです。不安があるからといって前に進まない。先を考えない。それが国民の医療に対する問題意識の遅れや知識の不足、国際的な視野の狭さに結びついているのではないでしょうか」

 医療体制、福祉問題、社会政策、民族性の相違や文化成熟度の格差、国ごとの倫理観――セカンドチルドレンの興味はこれを機に大きく広がっていき、専門家ともTV上でディスカッションするようになっていった。これにより問題は拡大的に認知されるようになり、各国に大きく多くの問題を持ち上げた。
 もちろん、サードチルドレン碇シンジも、出来得る限りの活動を精力的にこなした。暇があればユウタ少年を訪ね、またアスカ程ではないにせよ、CMやTVニュースのゲストとしてTV出演し、各所でドナー登録を訴えた。綾波レイも同様に活動を続け、言葉少なではあったが他の <チルドレン> たちと同様の努力を怠らなかった。
 彼らの真摯な姿勢と熱心な活動は、予想通り大きな反響を呼んだ。世界中で白血病や <骨髄移植> などへの関心度が飛躍的に高まり、各国研究機関や骨髄バンク関連施設にはドナー登録に関する問い合わせが殺到した。
 プライバシー保護のためNERVによる規制が入ったが、神城家の家族たちも実名で大きくニュースに取り上げられた。TVはもちろん、新聞、雑誌、インターネット、あらゆるメディア上で彼らが提起した問題は様々に語られた。
<チルドレン> の友人にして、急性白血病と戦う少年ユウタ・シンジョウの名は世界に轟いた。そして数度ではあるが彼にもTVインタビューが行われ、それは衛星中継され地球圏に伝えられた。
「ぼくは白血病で、血が悪くなるビョーキです。こつずいいしょくをすると元気になれるって、お母さんとお医者さんが言ってました。だから、ぼくはこつずいいしょくがしたいです。痛い検査とかあるし、薬も嫌いなのがあるけど、がまんして良くなりたいです。だから、ぼくにこつずいを分けてください」
 幾つかの簡単な質問に、少年は歯切れ良く答えていった。その中に、病気が良くなったら何をしたいか? という質問があった。坊主頭の少年は、笑顔でハッキリと答えた。
「ぼくは、 <チルドレン> になりたいです」
 その年、全世界で受けつけられた骨髄バンクドナー登録の予約件数は160万件を超えた。


■2018年 2月

 活動をはじめてから <チルドレン> が知ったのは、一般の人々の <骨髄移植> への理解不足と数多の誤解だった。なかには、移植という言葉から臓器移植を連想し、骨髄提供のためには自分の腹をメスで切り裂き、骨髄という名の臓器の一部を切り取らねばならないのだという、見当違いなイメージを抱く人間もいたほどだ。 <チルドレン> たちは様々な場所で、これらの無知や先入観と戦わねばならなかった。
 分かった事は他にもある。たとえばアスカ個人の分析だと、ドナー登録と骨髄提供に難色を示す人間は大きく3種類に分類されるようだった。1つは、要するに「面倒だ」と考えて骨髄提供を拒むタイプ。2つ目は、 <骨髄移植> に関して間違った知識を持ち、それによって不安を抱いて拒絶を示すタイプ。そして3つ目は、古い思想で移植という考え方に反対するか、或いは、所詮は他人事と考えて患者を切り捨てるタイプだ。
 最も多いのは1つ目、2つ目のタイプだが、案外3番目のタイプに属する人間も大勢いる。特に高齢者は身体の一部を他人に移植するという考え方に根拠のない不安感や拒絶意識を持っていたりする。
 登録をするものが是、しないものが非というわけではない。ドナー登録の意思を持ちながら、健康上の理由や家族の同意が得られないなどの理由で、これを不可能とされている人々は大勢いる。だがそれでも、 <チルドレン> には新たなる登録者が必要だった。彼らを生み出す必要があった。資格を持ちながら拒否する人々の心を動かしドナー登録へ導くには、やはり真摯に頼み情に訴えかける他なかった。ドナーが現れないまま、少年が息絶えてしまうその前に。

 確かに、骨髄提供に危険が全くないとは言いきれない。日本で実質的に <非血族間骨髄移植> が始まったのが1992年。現在2017までの25年間の内、全身麻酔による死亡例が1件だけある。 全身麻酔を行うくらいだから、それなりの痛みを伴なうし、3〜5前後の入院も必要になる。ドナーが不安を感じない要素がゼロであると言えば、嘘だ。
 だが、それにしてもアメリカや韓国と比較して、日本のドナー登録率は低すぎる。目を覆うばかりだ。だからこそ、 <チルドレン> は自分たちのこの活動が必要なものであったことを悟ることが出来た。そして、人々の啓発とドナー登録の呼びかけにより一層努めた。
「……いえ、ですから違います。骨髄は臓器じゃありません。腕とか、足とか、腰の骨というのは芯がない――チクワのような構造になっていて、その空洞の部分に骨髄液は入っているんです。ゼリーとか、ジェルとか、スライムとか。そんな感じのドロドロとした液体のようなもので、骨髄提供っていうのは、骨に注射の針をさして、この骨髄液を吸い取るだけで終わるんです」
「移植ができなかった場合ですか? 移植を必要とする患者さんは、移植が受けられなければ死ぬことになります。確かに、 <骨髄移植> 以外にも放射線療法や化学療法などという別の治療の方法はあります。でも、これは基本的に時間稼ぎに過ぎません。患者の延命を図ることはできますが、ほとんどの場合それで病気が完治することはないんです。人によっては、移植なしで生き延びることがあります。しかし私が学んだ限り、急性白血病や骨髄性貧血の場合には、その割合は20%を切ります」
「……それは誤解です。ドナー登録と骨髄提供は別です。ドナー登録をした人の中で、実際に患者さんとHLAの型が適合した人だけが、後日、骨髄提供をお願いされます。骨髄提供に至るケースは稀です。一割にも及びません。ドナー登録だけなら、10cc程度の血を採取するだけでいいんです。献血の40分の1の量です」
「はい、ドナー(提供者)側に一切の金銭負担はありません。唯一の問題は、日本では入院中の社会的な保証がないということくらいです。あとは、コーディネータという専門家が、 <骨髄移植> に関する詳しい説明とアンケート、最終的な確認をして、移植前日に入院。骨髄採取のあと大体3日くらい念のために入院するだけで、全ての作業は終了します。痛みや不快感が現れることは否定できませんが、これは人によって程度が違うのでハッキリとしたことは言えません」

 嬉しかったのは、ドナー登録を頑なに拒否する人々がいる中で、 <チルドレン> たちを通じてドナー登録を呼びかける活動に積極的に参加を申し出てくれた人々がいたことだ。彼らは独自にボランティアグループを結成し、様々な形で活動を展開。精力的に登録呼びかけを行ってくれた。
 中には、18〜19歳、50〜55歳という <日本骨髄バンク> のドナー登録条件から外れる年齢層にある人々が、日本でできないならアメリカでドナー登録するぞと、ツアーグループを結成し、数十の数を集め、本当に海外にまで登録に行ってくれるということもあった。
<チルドレン> や神城家には毎日数えきれないほどの激励のメールや手紙、電報が届いた。それらのメッセージに国境はなかった。世界各国、あらゆる文化圏に住まう人々からそれは送られてきた。


■2018年 02月04日
 第三新東京市 NERV本部


「……ガ……ガガッ……ッ……ピー」
 前時代的なメガホンから、耳障りな雑音が漏れる。
「……あ、ああ、マイクテスト。マイクテスト」
 その日、第三新東京市内のNERV関係者4000人が、末端の者も含めて一同に会していた。上層部から突然の命令が下り、ジオフロント内にある巨大ホールに集合させられたのである。何事かとざわつく黒集りを見下ろすステージ上で、正装した葛城ミサト将捕はスピーカーメガホン片手に声を張り上げた。
「あー、みんな聞こえてる? 私がかの有名な、隠れファンの多い葛城ミサト将捕、独身です。今日は忙しい中、我がNERVの為に日夜汗水たらして働く全スタッフの諸君、集まってくれてありがとう。……と言うか、私が集まれって命令したんだけどね」
 小さく舌を出す将捕の胸を、左隣に並んでたつ赤木リツコ博士が肘で突ついた。
「ミサト、馬鹿言ってないで真面目にやりなさい」
「へいへい」
 ミサトは表情を引き締めると、再びメガホンを取って群集に向けた。流石は知名度も高く、リーダー特性およびカリスマ性を高いレベルで兼ね備えた才女だ。その圧倒的な存在感は4000の意識を一瞬で惹きつけ、捕らえて離さない。王者の風格があった。

「みんな、最近 <チルドレン> が一生懸命何をやっているかは知っているでしょう? あの子達は今、友人の命を救おうと奔走しているわ。NERVとして、これをサポートするのはある意味で当然だとは思わないかしら。思うわよね?」
 彼女は一端言葉を切ると、メガホンを降ろして集まった群集に視線を巡らせた。蒼穹の頂点から、下界を徘徊する得物を狙う猛禽のように。
「にも関わらず、あれだけ <チルドレン> が頭を下げて、涙を潤ませて頼み込んでるってのに、身内の中にドナー登録に協力しない連中がいるわ! 今日ここに集めた4000人、あんたらやねん」
「なんで関西弁なのよ」
 赤木博士は誰にも聞こえないように呟いた。クールな彼女には、瞬間湯沸かし機のように簡単に沸騰するミサトのテンションに付いて行くことはできない。
「あたしゃ、悲しい。あんなに一生懸命な <チルドレン> の姿を見て何も感じない大人がいるなんて。NERVってのは本当に血も涙もない組織なの? いい、あんたたち。今日、本部中央病院と医療班に協力してもらって、特設ドナー登録受け付け会場をこのジオフロント内に用意してもらったわ。1日で1000人受け付けられる大規模なものよ。今日から1週間、この会場で受付を広く行うわ。あんたたちは、この期間内にドナー登録しなさい。もし、万が一登録しなかったヤツは……射殺!」

 いきなりの射殺宣言に場内はたちまち騒然とした。所々から甲高い悲鳴が上がり、パニック寸前の騒ぎになりかける。慌てたのは赤木博士も同じだった。予定ではミサトがドナー登録に協力してくれるよう、ソフトにお願いするものだった。なのにこの有り様である。シナリオ修正を余儀なくされる出来事であった。
「ちょっと、ミサト! あなた、なに滅茶苦茶なこと言ってるの。ドナー登録ってのはね、任意で行われるものなのよ。本人の意思を尊重して行うものなの。だから登録を拒否する人を責めることなんてできないわ。脅すなんてもってのほかよ」
「えっ、そうなの?」慌てて制止に入った赤木博士に、ミサトは意外な顔をした。
 彼女自身が情に流されやすいタイプであるから、登録を拒否する人間の思考がよく理解できないのだろう。そういう奴は力尽くで脅せば1番というのが、彼女の考え方だった。この辺りの性格が、シンジにガサツでズボラと言われる所以である。
「あ〜、ちょっち待った。今のなし。射殺はなしね、うん」
 ミサトは慌ててざわめきたつ群集に向けて言った。
「訂正するわ。いいかしら。ドナー登録は本人の自由意思で行われるものらしいの。その人の気持ちが最優先ってわけ。だから、あんたたち。積極的に、心から望んで、自由意思でドナー登録しなさい。1週間以内に。もし、万が一自由意思で登録しなかったヤツは……銃殺!」

「……変わってないじゃない」
 赤木博士は頭を抱えたが、結果的に1週間以内で4000人もの新規登録者を確保できることは事実だ。そう考えるとミサトの無茶にも目を瞑ってもいいかもしれない。そう思えてきた。
 結果、彼女は黙認することにした。
 それに、意外な話でミサトの隠れファンは結構多い。今日集った4000人の中にも結構いることだろう。本気でドナー登録を拒否する輩はいないに違いない。結局、面倒だからやらないという人間が大半を占めるはずだ。往々にして、そういう人間は切っ掛けさえ与えてやれば動き出す。
 ミサトの言葉で「逃げ道がなくなった」と自分なりに言い聞かせることができれば、面倒でも人はやるものである。
「もちろん、タダでやれとは言わないわ。ドナー登録をハリきってやってくれた職員には、なんと、もれなく私特製の <ミサトカレー・ドナー登録サンクス・スペシャル> をご馳走しちゃいます! ちゃんと特別な施設を借りて4000人分用意してあるから安心して。当然おかわりOK、食べ放題。サービスしちゃうわよん」
 その言葉に男性職員の多くが歓声を上げた。彼らには独身が多い。憧れの上司の、しかも手作り料理が食べられるとなれば発奮もするというものだ。
 だがそれとは対照的に、血の気の失せた顔で慌て出した人物が約1名いた。赤木リツコ博士その人である。彼女はミサトの壊滅的な料理の腕前を知っていた。あれは料理ではない。科学兵器だ。特にカレーはまずい。非常に危険だ。シンジからも禁止命令を食らっている。
 真実を知る赤木博士は、全力でミサトカレーのサービスに反対したが、ミサト本人がこれを強行。なにも知らない職員たちが喜び勇んでこれに飛びついたため、悲劇は起きた。翌日から1週間、腹痛を理由に欠勤するNERVの職員数は200を裕に超えたという。
 以下は、この報告を耳にした赤木リツコ技術部名誉顧問のコメントである。
「だから言ったのに……」


■同年 02月12日
 NERV本部 技術部名誉顧問執務室


「しかし、あれよね……」
 アスカはコーヒーを啜りながら、徐に呟いた。ここ数ヶ月というもの、こうして赤木博士の私室を訪れては様々なことについてディスカッションするのが、アスカの習慣になってきていた。忙しい中そうするだけ、赤木博士の言葉と意見には価値があるということだ。
「一口に医療と言ってみても観点は色々よね。ここ数ヶ月で身に染みて理解できたわ。リツコがどうして畑違いにも関わらず、医師免許になんて手を出したのか分かる気がする。掘り下げていくと保健制度やら国の医療制度やら、ヘタすると社会政策論にまで発展するから」
「だからこの世界――医学は面白いのよ。死とダイレクトに関わる人間たちを観察できる上に、社会問題にも大きく関連してるわ。命、金、権力、システム、人間関係、極限の精神……。この世界にいれば、この世の大抵のものは見られるもの。そこを理解しながら首を突っ込んでいくと、気付いたときには医師免許を取っていて、その世界にドップリ浸かっている自分に気付くわ。ハイスクール時代の私が、まさにそんな感じだった」
「経験者は語るってわけね」
 アスカは笑って言った。年不相応の、どこか大人びた微笑だった。
 彼女は、今年に入ってからまさに秒刻みの殺人的なスケジュールをこなしてきた。TV出演の仕事やボランティア活動がその内もっとも大きなウェイトを占めたが、それ以外のプライヴェートな空き時間も白血病や医療に関する知識を吸収することに費やした。そんな寝食惜しんだ活動の結果、彼女は今までの人生ではあり得なかった多くのことを学ぶに至っていた。実際、赤木博士の目から見てもここ最近のアスカの精神的な成長には、目を見張るものがあった。
 しかし、問題もある。

「アスカ。あなた、少しは休んだ方がいいわよ。ドナー探しも大事でしょうけど、あなたまで倒れて入院なんてことになったら、洒落にならないわ」
「多少の無理は承知の上よ。若さで誤魔化すわ」
 強がっては見せるが、その微笑にはやはり疲労が色濃く現れていた。身体は休息を求めているが、精神が高ぶって眠っているどころではない。今、彼女はそんな状態にあるのだろう。研究の大詰めを迎えた科学者なら、誰もが1度は経験したことのある精神状態に近しい。だから、赤木博士にはそれが良く分かった。
「あ〜あ。せめて、ユウタに兄弟がいてくれればね。凄く楽だったんだけど」
「でも、貴方たちの活動で生み出された新たな骨髄ドナープールは今後の財産になるわ。神城少年に限らず、これから将来的に血液難病をかかえる全ての人たちにね」
「まあ、ね」
 まんざらでもないといった表情で、アスカは言った。実際、この数ヶ月間で新規ドナー登録者獲得に <チルドレン> が果たした役割は計り知れない。10年、20年分の働きをしたと言っても、誰も文句は言わないだろう。
「でも、兄弟姉妹っていうのもいればいたで大変なのよ」
「えっ、なんで?」
 家族、親族間でHLA型が一致するケースは30%程度。数値で見ても、残りの70%は非血族を頼り、骨髄バンクから適合者を探すことになっている。そんな低い血族との一致確率のほとんどを兄弟姉妹がカバーしている。もしも患者に血の繋がった兄弟がいた場合、一致の確率は4人に1人。実に25%と高確率だ。こと骨髄移植に関しては、兄弟姉妹の存在は重要なはずである。

「――嫉妬よ。兄弟姉妹のジェラシーが問題になってくるのよ。白血病という大病を患っていると、両親はその子供に掛かり切りになるわ。接し方も甘くなるし、大概のワガママは聞いてあげたくなる。もし神城ユウタ君に兄弟姉妹がいた場合、どうなると思う? きっとユウタ君に付きっきりな両親を見て、その子はこう思うことでしょう。ユウタにお父さんとお母さんをとられたってね」
「あ、そっか」
 アスカはハッとして言った。青い瞳が小さく見開かれる。そして微かに俯くと、なにやら考え始めた。恐らく今彼女の脳内では目まぐるしい速度で様々な状況想定が行われている筈だ。そんなアスカを尻目に、赤木女史はマイペースを崩さずに話を続ける。
「まして、患者が死んだりしてみなさい。勝ち逃げも同然よ。両親は泣き暮らし、永遠に戻らない我が子の思い出に浸りきり。死者にはどうやっても勝てないから、残された兄弟姉妹は大変よ」
「しまった……全然考えてなかったわ、そんなこと」
 兄弟がいてくれれば高確率でHLA型が一致する。そうすると労せずしてドナーを手に入れられる可能性が高まる。アスカはそんな打算的なことに意識を奪われ、もっと深い部分に考えが及ばなかった自分の未熟を悟った。

「死と直面する病自体も確かに大きな問題よ。だけど、ある意味でそれ以上に大きな問題が患者とその家族には持ち上がるの。それが闘病生活を送っていく上での精神的な問題よ」
「そっか、神城家の人たちも今回のことで幾つもの人間関係が壊れていったって言ってたものね」
 気付く切っ掛けは、随分と初期にあったのだ。だが、それを見逃した。自分の迂闊さに、アスカは一瞬腹を立てた。しかしそれも刹那で忘れ、思考は次の方向へ飛ぶ。
「いや、対外的な話だけじゃ終わらないわね。それだけじゃなくて家族内部の問題もあるか。もしかして患者が自殺を考えたり、精神的に不安定になって家族に当たり散らしたりってこともある?」
「決して少ないケースではないでしょうね。人間って言うのは、別に大病を抱えずしても鬱の時はただでさえ死を考えやすい生物だから。白血病患者にもそういう例は幾つもあるわ。気が付いていたら、ふと手首を切っていたとか。家族の存在を拒むというのにも、実例に幾つか心当たりがあるわね。アメリカで有名なのは、17歳の少年が病院の診察で母親の同伴を拒んだケース。母親はかなりの痛撃を感じたそうよ」
 カップを傾けてコーヒーを一口含むと、博士はゆっくりと続けた。
「それに子供が白血病でやられた場合、夫婦間に深刻な精神的亀裂が入ることもあり得るそうよ。たとえば、夫と妻の悲しみ方が違った場合。夫は涙を流して悲しみに暮れる。妻はそれとはちょっと違って、ガムシャラに仕事や家事に明け暮れることで悲しみを誤魔化そうとしている自分に気付く。でも夫の目にはこう映ることがあるの。何故、妻は涙を流さないのか。悲しまないのか。子供が死に直面しているというのに、それでも親なのか……ってね。昂ぶった精神状態では、互いの悲しみ方に色々な形があるんだということに気付けず、口論になったり喧嘩になったりするわ。それで夫婦の関係が壊れることもある」

「……患者自身は?」
「結構、白血病が及ぼす精神的・感情的影響に関する研究は進んでいて、もちろん患者自身の精神的な問題についても色々な論文が発表されて、医療関係者の間では関心を集めているわ。それを読み解いていくと、まず、年齢別に色々な反応が見られることが分かるの。たとえば大体2〜3歳までの子供。彼らは死の概念を理解できない。だから、ただ心地良い環境を失うことに恐怖を感じるわ。具体的には母親から引き離されて、ナースやドクターに取り囲まれること。家に帰れず、見知らぬ病院に閉じ込められること。これらにストレスを感じたり怯えたりするの」
「そっか。死の概念を理解する、しないでもまた全然変わってくるものね」
 アスカは納得と理解の証拠に、何度か頷いて見せた。そして同時に、その <死の受け止め方> が自分や家族の患う <病の受け止め方> の違いとなって現れるであろことにも気が付いた。
「幼稚園児――3〜5歳になると、子供は死を理解するわ。逆に積極的な興味を示すほどよ。たとえば、突然いなくなったペットや枯れてしまった花なんかのことを、矢鱈と知りたがるの。でも大抵の場合、死は他人にのみ起こり得ることだと彼らは思い込んでいるわ。それから、幼稚園に通う年頃の子どもは、願い事は必ず叶うと信じている。この時期に <魔法> の存在を人間は最も強く信じるし、サンタクロースなんかの存在も無条件に受け入れる。
 また、もし親兄弟が死んだりすると苦しんで、自分を責めることが起こり得るのもこの時期よ。3〜5歳児は、往々にして死がこの世の最後だという事実を否定するわ。死は不慮のもので、自分は死なない。死んでも生き返ると堅く信じきっているの」

「まさに、願いは叶う。強く想って頑張れば <チルドレン> になれると信じきってる……神城ユウタそのものを語ってるわね。確かに、あの子が発症したのは3歳の時。その闘病生活のほとんどが幼稚園にいた時の出来事だもの」
 自分は死なない。この世には魔法がある。そして、自分の夢は絶対に叶う。
 赤木博士が指摘した通り、ユウタは典型的な3〜5歳時の見せる反応を示している。同時にそれは、博士と世界の研究者たちの精神・心理分析がいかに正確なものであるかを物語っていた。
「6〜9歳ぐらいになると、子供は遂に死を人の最後であり、普遍的で、両親や自分も含めた全ての人間に起こり得ることだと理解し始めるわ。これは実際に行われた調査で分かった事だけど、小学生くらいになると、親や医者が隠し通しても、子供はどこかで自分の病気が死に関わってくるものだということを悟る傾向にあるらしいわ。ユウタ君も既に薄々勘付いているでしょうね、自分の白血病が己を死に至らしめる確率があるって。そして、それに対して想像を絶する恐怖を感じている筈よ」
「それを捻じ伏せるための夢が <チルドレン> ?」
「そう決めつけるのは短絡的だし、情報が少なすぎるけど、考えられる線ではあると思うわ」

 ユウタ少年は、一体どれだけのことを知っていて、自分の病をどう捉えているのだろうか。肝心な本人の言葉を全く聞いていなかったことに、アスカは今更気付いた。重病の子を持つ両親がしばしばそうであるというが、自分も子供本人の意思をあまり尊重せず、自分勝手に先走りすぎていたのかもしれない。アスカはそう危惧し、自分を戒めた。
「アメリカ白血病協会が発行した <Emotional Aspects of Childhood Leukemia A Handbook for Parents> という手引き書には、6歳のルーシィという少女の実例が記載されているのだけど――彼女の両親は、娘に病気のことを知らせずに隠し通しておく自信があったと言うわ。でも、心理学者がルーシィにある絵を見せて、その絵に描かれていることについて話をさせたの。すると彼女は、こう答えたそうよ。
 この絵の中の小さな女の子はとても重い病気で入院している。この子のママとパパはドアの所でお医者さんに話しかけている。先生はママとパパにこの子がとてもとっても重い病気だって話しているんだけれど、その子は寝たふりをしている。なぜなら、この子が自分でどんなに悪い病気か知っていることをママに知られたくないから。だって知ったらママはきっと泣いてしまうから。
 分かるでしょう? 小さな子ども自身が両親を悲しませまいとして、本当はどれくらい自分の病気について知っているかを知らせないことは、実は良くある話だと言うわ。何が1番孤独かって、自分の診断結果について知っていながら、両親が自分には知ってほしくないと思っていることに気づいてしまっている子供でしょう。――アスカ、気をつけなさい。あなたの話を聞いていると、どうもユウタ君は頭が良すぎるわ。彼をルーシィにしないように、細心の注意を払いなさい。これは、医学的にものを冷静に判断できる貴方にしかできないことかもしれないから」
「そうね。気を付けるわ」アスカは表情を引き締めて、慎重に頷いた。

 言われて改めて気付いたが、元々リツコを訪ねて白血病の知識を高めたいと考えたのはそのためだ。決して知的好奇心を満足させるという目的のためではない。
 だが、自分はその初心を忘れていたのだ。それに気付いたアスカは、少なからず愕然とした。いつのまにか目的を忘れ、その手段を追求するだけになっていた。神城ユウタのために活動しているつもりで、何時しかそれが、自分の好奇心を満足させるため、自分の能力を高めるための利己的な活動になり下がってしまっていた。
 それは、かつてセカンドチルドレンの座に固執するあまり、精神崩壊を引き起こした頃の自分と大差ない姿勢ではあるまいか? 死に直面する少年すら自分のために利用する。最低だと思った。もう、欲望も愛も見分けがつかないまでに、自分は墜ちてしまっているのか。
「いえ、それに気が付けたのなら、まだ大丈夫でしょう」
 アスカの思考を見透かしたように、赤木博士は言った。励ますのでも、元気付けるのでもない。あくまで心理分析をした結果を述べるような、事務的で感情の篭もらない声。だが、アスカにはそれが逆にありがたかった。
「もっとも、気付いてもどうにもできないってことも、この世にはあるけどね。少なくとも己の弱さに気付けない――ミサトのようなタイプよりかはマシでしょう。ドナー登録を呼びかけている内、こう思わなかった? 時間の無さや社会的な理由、医療への不満なんかで色々と言い訳つけて、結局登録を拒むなら、堂々と面倒だからやってられないって正直に言う人間の方がまだマシだって。それと同じことよ。見苦しく隠すことなく素直に認めることね。少なくともそっちの方が自己欺瞞よりも健康的よ」
 私が言えた義理じゃないけどね、と自嘲気味に微笑みながら赤木博士は言った。
 結局、彼女も気付いてはいたが、変えられない弱さを抱え、幾多の過ちと罪を塗り重ねてきた人間だ。今更のように良い人を気取ってはいられない。できることと言えば、自分と同じような人間を生み出さないことだけだろう。
「侭ならないわね、世の中ってのは」
「侭ならないわ。この世は」


■同年 02月18日 日曜日
 第三新東京市


 神城ユウタが骨髄移植に備え寛解に入ってから、すでに3ヶ月か過ぎていた。
 いつ再発するか分からない状況の中で、神城家は絶えずその恐怖と戦いながらドナーが現れてくれることを祈りつづけていた。だが、未だHLA型の一致するドナー発見の報せは入っていない。
 彼らの精神的な疲労は極限に達していた。気持ちが昂ぶり、酷くナーバスになっていて、小さな刺激にも過剰なほどの反応を見せた。もう限界に近かった。
「どうしてこんなことに」と、何度思ったことだろう。何故、よりにもよってウチの子供なのだ。何故、我々ではなく子供だったのか。どうしてこんな目にあわなくてはならないのか。自分たちがそれほどの大罪を犯したというのか。
 ――こういう精神状態に陥ると、周囲の人間からかけられる慰めの言葉さえ許せなくなる。
「元気を出して? 子供が死ぬかもしれないのに、どうやって元気を出せと言うんです」
 見舞いに来る人々が吐く揃いも揃って同じ文句に、そう叫びたいという衝動を神城夫妻は幾度となく噛み殺してきた。
 そうして鬱積したフラストレーションは、夫婦間でぶつけ合うしかなかった。普段は周囲から羨ましがられる程仲のよい彼らも、怒鳴り合いの口論を何度も経験した。
 闘病は、綺麗ごとでは済まない。小学生になったばかりのひとり息子と仲の良い夫婦。その間に深刻な溝を作り、亀裂を入れるには充分な試練である。
 だがそれでも、神城家は時に危うい均衡を何とか保ちながらも、ことごとくそれを乗り越えてきた。
 支えとなったのは、そんな理不尽な病と戦う息子自身の姿だった。文句も言わず、涙も流さず、治ると信じきって多大な苦痛を伴なう治療に向かう我が子の姿に、神城夫妻は尊敬の念さえ抱いた。
 そして幾度と無く、その子の姿に励まされてきた。

「白血病と告知を受け、そして医師から <生存率> という言葉を聞いた時、私は爆弾を想像しました。息子の身体には爆弾が仕掛けられていて、それがいつ爆発するか分からない。夜の病院で息子が眠っているのを見詰めていると、コチコチとタイマーの針が刻む音が聞こえてくるような気がしてなりませんでした。
 いつ爆発するか。目を離したら爆発してしまうのではないか。そんな脅迫観念と戦う日々は、地獄でした。……でも、今は考えを変えています。交通事故で最後を看取ることなく子供を失うことだってある。なんの挨拶も言葉も交わせず、あっという間に子供を失う――これもまた、辛いのではないかと。
 私たちは迫る死神の名前を知っていて、家族で一致団結して戦うことができます。その時間があります。だから今は、それを少しだけ幸運だったと思うようにしてるんです」
 遥々アメリカからやってきた <チャンネル6> の取材に、2月18日、神城ケンタは語っている。
「僕の息子は、良くて生存率40%程度だと医師に宣告されています。勿論、これは骨髄移植ができての話です。できなければ確率はほぼゼロです。まだ息子にはその事実を話していません。考えなくてはいけないことや迷いは沢山あります。
 でも、1つだけ決めたことがあります。助かるにせよ、そうでないにせよ、僕は最善を尽くします。息子は白血病に勝てると信じていますが、もしもの時もユウタに胸を張って <お父さんは400%全力を出しきったぞ> と言えるように、僕たち夫婦は全力を尽くすことを決めました。ほかのことで悩みを抱えても、これに関してだけは、僕らはもう、迷うことはないでしょう」


■同年 02月23日 午後19時22分
第三新東京市立中央病院  <T3CH>


 神城ユウタの白血病が再発したとの報せが <チルドレン> の元に入ったのは、その日、彼らが学校から帰ってのことだった。
  <チルドレン> たちは直ちに護衛たちに事情を告げ、リムジンを <T3CH> にスッ飛ばさせようとしたが、これにはNERVの許可が必要だった。結局、護衛の増員が用意され、彼らと共に <チルドレン> が専用地下道を通って <T3CH> に到着することができたのは、連絡を受けてから4時間も後のことだった。
「どういうことなのよ!」
 アスカは、廊下の壁を素手で殴りつけて怒鳴った。
 結局、彼らは緊急入院し無菌室に入れられたユウタ本人にも、付き添いの神城夫妻にも会うことが出来なかった。もともと面会時間は終わっていたし、神城夫妻の心理状態を考えると今は彼らに会わないほうが良いとドクターに止められたからだ。
  <チルドレン> 3人は、駆けつけたは良いがなにをすることもなく、ただ無人の長い廊下に佇むことしか出来なかったのである。
「なんなのよ! 死ぬほど動き回った。TVに出まくって、CMにも出演して、雑誌や新聞のインタビューにもコメント出しまくった。世界中に呼びかけて多くの登録者を集めたわ。こんなに大勢の人間がユウタの為に動いたじゃない。……だってのに、なのに、これは何なのよ。この世界はどうなってんのよ!?」

 シンジもレイも、なにも答えることはできなかった。呪詛のようにも聞こえるセカンドチルドレンの問いは、彼女だけのものではなく三人のチルドレン全てが共有するものであったからだ。
 どんなに努力しても、強く望んでいても叶わないことがこの世にはあるものなのか。
 立っているのさえ苦痛なほどの虚脱感に、彼らはただ立ち竦むことしかできなかった。
「―― <チルドレン> の皆さん」
 そんな彼らに、遠慮がちに近づき声を掛けてきた人物がいた。
 白衣を纏った、恐らく40歳前後と思われる女医である。彼女の胸には、森緒アヤコ(Dr. Ayako Morio)というネームプレートがぶら下げられていた。
「神城ユウタ君の主治医を担当している、森緒です」
 そう言って、ドクターは顎を軽く引くようにして会釈した。 <チルドレン> たちは、どうして自分たちの所にユウタ少年の主治医が現れたのかが理解できず、狼狽した様子を見せていた。
「皆さんの活動はマスメディアを通じて存じております。おかげで私も生まれて初めてTVインタビューなんかを受けることになりまして。――ともあれ、お三方の活動には目を見張るものがあります。財団や日本赤十字、厚生労働省をはじめとする関係各機関の回線は、殺到するドナー登録への問い合わせの電話とメールでパンク状態だと聞きます。あなたたちの働きは確実に、血液難病に苦しむ人たちの大きな支えになっているだけでなく、将来的にも大きな財産として役立つことでしょう。医療に従事する人間として、また1個の人間として、本当に頭の下がる想いです」
「そんなことより彼の具合はどうなんですか」
 シンジは彼女の言葉など耳に届いていないといった調子でドクターに詰め寄った。森緒医師もそれを予測していたのか、落ち着いて居住まいを正すと改めて <チルドレン> たちを見詰める。
 そして上手にムンテラ(病状の説明)に適切な雰囲気を形成すると、やがて静かに口を開いた。

「ご両親からも許可をいただいていますし、貴方たちには話してもいいでしょう。正直言って、非常に厳しいです。ケースとしては最悪の部類に属するでしょう。再発してから科学療法で寛解、そして更にまた発病となると寛解率はグンと下がります。
 彼の白血病細胞は度重なる抗癌剤の投与でこれに耐性を持ちつつありますし、元々が薬の効きにくい二次性の白血病ですから。ユウタ君を <2nd CR> 、即ち2次完全寛解に持っていける可能性は5割を切ると言わざるを得ません」
「確かCRに持っていけないと、たとえドナーがいても骨髄移植は出来ないんですよね?」
 アスカが微かに掠れた声で訊いた。それにドクターは頷いてみせた。
「その通りです。寛解期でなくても技術的には可能なのですが、過去の治療実績や統計的なデータを考慮すれば、事実上CRの状態になければ骨髄移植はできない――やっても意味がないと言えます」
「でも今の状態だと寛解にもっていけるかも分からない。たとえ寛解導入に成功しても、骨髄移植に必要なドナーがいない。結局、彼の総合的な生存率はどれくらいになるんですか」
「分かりません。厳しいとしか申せません。ただ、仮にまた今回CRに持っていけたとしても、恐らくほぼ100%に近い数値で彼は再び発病するでしょう。寛解の定義は白血病細胞が5%以下に低下すること。ゼロではありせん。また仮に検査結果が0%であっても、サンクチュアリ(聖域)と呼ばれる検査に引っかからない場所で、白血病細胞は生き続けている可能性もあるのですから。もはや、彼は骨髄移植を一刻も早く行わなければならない状況にまで追い込まれています」

 院内は既に消灯時間を迎えていた。特にそこは小児病棟だ。各部屋の電源は落とされ、廊下も申し訳程度の光源を残すのみで夜闇に包まれている。
 ぼんやりと頼りなく振ってくる蛍光灯の灯かりに照らされながら、シンジはゆっくりと口を開いた。
「もし、このままドナーが見つからずに、骨髄移植ができなかったらユウタ君はどうなりますか」
「彼が8歳になるのは非常に厳しい状況となるでしょう」
 森緒医師のその言葉に、3人の <チルドレン> は一様に息を呑んだ。
 宣告したドクター本人にも、彼らの緊張により周囲の空気が変わったことが容易に感じ取れているはずだった。だがそれでも彼女は正直に続けた。それは医者が最も辛いと感じる種類の告白だった。
「――今からユウタ君に必要な治療は <超強力化学療法> と言って、非常に強力な抗癌剤の大量投与と放射線の照射の連続になります。これは確かにドナーが見つかるまでの時間稼ぎにはなりますが、子供には過酷すぎる苦しみを呼びます。凄まじい体の不調と痛みが彼を襲うでしょう。大の大人でも音を上げる辛いものです。子供の未発達な身体には毒ですし、耐えきれるか自体も保証できません。その上、効果が必ずしも現れるとは限らない、今まででも最も危険な賭けなのです。彼も、そしてご家族も言葉では表現し難い苦痛を強いられるでしょう。ですから……」
 ベテランの彼女をもってしても、1度口を噤まなければならなかった。だが言いよどんだ後、彼女は意を決して告げた。
「助からないと分かっているなら、これ以上の治療はあまりに酷だと考えるなら、やめるのも1つの手であると考える時期が近付いているのかもしれません」
「それは全てを諦めて、どう……」
 喉が張りついたように酷く乾いていた。だが、シンジは無理矢理に声を絞り出した。
「どう死ぬかを考えるということですか」
「そうです」
 彼女は言った。


to be continued...


note

ドナー登録の年齢制限について
 2005年3月より、ドナー登録可能な(下限)年齢が20歳から諸外国とおなじ18歳にまで引き下げられました。この新制度により、未成年者でも18歳に達すればドナー登録をすることができるようになります。
 ただし骨髄移植推進財団の広報渉外部によれば、可能なのはあくまでデータベースへの登録のみであり、実際の提供(患者さんとHLA型の適合検索)は従来どおり20歳からとなるようです。また、登録時には特に必要ありませんが、骨髄提供時には家族の同意が必要となることもこれまで通りとなっているようです。  ドナー登録を50歳までとする年齢上限に関しても、現在のところ厚生労働省の専門委員会で見直しが検討されているようですが、慎重論の方が優勢である模様。海外では55〜60歳までが当たり前という現実もあり、これに関しては更なる論議が必要とされそうです。

ドナーと患者の面会について
 基本的に著者もこれには反対です。ドナーとレシピエントは会わない方が無難しょう。 <全米血液資源教育プログラム> 製作のNMDP(全米骨髄バンク)に関するオリエンテーション・ガイドに目を通しましたが、これにでさえ基本的にドナーと患者との面会はすべきでないとされています。
 ただ、これは初版が1991年、一部改正が1995年に行われたもので多少古い資料であることは否めません。ドナーと患者の面会に関しては面会を果たした後に若干の問題点が発生しているそうで、NMDPでも確立した方策はないといいます。
 このようにアメリカでさえ手探り状態というのが現状ですが、実験的にとはいえ面会が行われはじめているのは確かです。「日本では現在、また将来的にも面会を全く想定していない」と説明すると、アメリカの関係者に「それは信じられないことだ」と呆れられてしまった――というのは、1997年度のNMDP年次会で実際にあった話だと聞きます。
 個人的な見解ですが、日本(厚生労働省)は <面会はさせない> と前世紀に決定してより、そこで考えるのを止めている傾向にあります。思考停止というのは我が国が抱える正すべき悪癖のひとつですが、ここでもそれは見受けられるわけです。これは国際的な観点から見ても些か保守的に過ぎる姿勢にあり、それが日本骨髄バンクの実績の低さにも繋がっているように思えます。改めて考えてみるべき姿勢なのかもしれません。

参考:本編中一部抜粋
(c) Leukemia Society of America
"Emotional Aspects of Childhood Leukemia A Handbook for Parents"
http://www.leukemia.org
 小児白血病の精神的・感情的側面での赤木博士の言葉は、上記資料を参考にし、実際の研究成果に基づいたものにしようと努めました。しかし内容については必ずしも保証されるものではありません。仮に何らかの不備があったとしても、資料製作者や原典の各発行元は本編の内容に関して一切の責任を持ちません。

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