五線譜1

「誕生からブルースメンの認知まで」


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時代 事象
1949年
6月17日
大阪市西淀川区に誕生する。長男、姉、妹二人の兄弟構成。
3才の頃 江崎グリコの音楽コンクールに出場。「からすなぜ泣くの」を唄い入賞する。賞としてグリコのお菓子1年分を獲得する。
小学校時代 私立追手門小学校に入学する。音楽クラブでハーモニカを担当する。
中学校時代 国立大阪教育大付属池田中学校に入学する。
音楽の先生にヨーロッパの教会音楽と白人ゴスペルを聴かせてもらい感銘を受ける。
修学旅行の時に友人を通じてビートルズを知る。
父親とテレビでビートルズを見て「あんなの不良やなあ、あんなになったらいかんな」と語り合った。
ベースを購入。きっかけは、GS(ワイルドワンズみたいのらしい)
この頃、今までに聞いた洋楽と言えば、アンディ・ウィリアズムスであった。なお初めて買ったレコードは、ブレンダ・リーの「霧のサンフランシスコ」。
高校校時代 国立教育大付属池田高校に進学する。
ビートルズのコピーバンドでベースを弾きながら唄っていた。これについては「当時、弾きながら唄えた人間は、珍しかった。」と一級下にいた伊藤銀次氏が証言しているとの事。聴いてたバンドは、ジェファースン・エアプレイン、クリーム、アニマルズなどで、その他アート・ブレイキーなどのジャズも聴いた。
アニマルズのライナーでジョン・リー・フッカーを知る。
参考資料:『All About Ryuichiro Senoh』 compiled By Mie Senoh (1997年)