2006年1月


2006年1月1日  日曜日
えっと・・・、喪中の時ってどんな挨拶なんだ(汗)正月は迎えていないけれど、
皆様、新年おめでとうございます(とりあえず)
なんて書いてるのは昨日の午後10時半だったりします。
いぁ、更新作業が思いのほか手早く終わりまして・・・。さて・・・と、
新しい一年、です。抱負、というか目標というか・・・自分では何もわからなかったけれど
担当医からはとりあえず現状維持を目指すようにとは言われました。
出来ればプラスの要素も増やしていければいいけど、今はまだ回復ではなく
波が出来るだけでマイナス要素も引っ張り込むと・・・。
家の事について常々言ってるからそれを考慮しての事なのかもしれませんが。
はぁ。新年早々言い訳を表明してみました。。。

動き出すにしても、どこかに進むためには準備が必要ではあるのに・・・ね
学力の回復だとか、それよりも簡単な、復学について問い合わせる事すら手がつけられない
ここまで臆病になるとは思わなかった。一度動き出したら、また前みたいに止まれなくなりそうで
不安要素抱えたまま進むしかなくなりそうで怖い。
家の事とか、感情の問題、身体のふるえなんかの症状・・・
やってみるしかないのだけど、復学したらその一年はやり通すしかない。
ま、その前に学力回復させてテスト通る必要があるのですけどね、復学って。
テストの内容も聞いてないから勉強するにしても焦点絞りようがないし、
随分年がたったけど復学に期間制限がないのかさえ聞いてない。。。
父の願いとしては、まずは大学ちゃんとでて欲しいという事だったので・・・ね
資格もやはり検討しなくてはいけないのだけどそれはその後という事になるかもしれない。
ま・・・この相続問題次第ではそんな悠長な事も言ってられないかもしれないわけですが。。。
相変らずとっても後ろ向きでお届けいたします。

・・・。なぜか夕方まで寝てました。何でこんなに目覚められないでいるんだろう
いや、それでも・・・眠ったままでもいいと望んではいたのだけどさ。
食欲なかったけれど夕食は無理して食べて、これからはどうしていよう。
定番、という感じでかくし芸見てたりはする。年明けなんてこんなものです。


2006年1月2日  月曜日
何もせずに新年一日目が終わった。そうして何もせずに時間が経過してる。
唯、やはりこういう時期に独りでいるのはきついようで・・・多分呼ばずに我慢はしていたんだと思う。
真夜中に出かけるというのも既に何度目だろう。段々日常的にはなってきたな。
これが必ず本人のためとは言い切れないけれど・・・自分で変わろうとしてるところは確かにあるから、
そこに向かえるようにサポートにはなるんじゃないかと思う。

それに、こういうのは自分で招くのではなくて外的要因だから本人に非はないもの。
日常的になりすぎると・・・確かに疲れてはしまうし、居場所がわからなくなるのだけどね(苦笑)
・・・。今もわかってはいないか。それに僕自身が現実から逃げるだけなのかもしれない。
とりあえず、支度して行って来ます。


2006年1月4日  水曜日
えっと、ただいま。結局今日まで居座ってきちゃいました。+眠剤効かなくてうまく眠れず徹夜。。。
家に戻れば家での自分。自分の勝手に動く分、家での役割に徹しないといけない。
肩身は狭い。居場所はわからない。もっとも、下手したら居場所なんてなくなるかもしれない。
これは、考えても仕方ない。どうなるかはなってみないと。唯、その時に動けるかどうかは・・・別。
とりあえず、年賀状やら寒中見舞い送ってくださった方へお返しする寒中見舞い書きました。
今日はそれくらいかな。


2006年1月5日  木曜日
昼まで寝てました・・・。なんか身体もあちこち痛いし。
でも、起きていてもこの時間は何も出来ずにはいる。何もしないままに夕暮れです。
どこでどうバランスをとっているのかわからないです・・・。
頭痛・・・。毎日のように薬を飲む。そうして、『ずつう』とさえタイピングできなくて何度もミスしてるし
何かおかしくなってるかな。

3大流星群のひとつ、しぶんぎ座流星群。昨日だったのですが結局見ませんでした。
各地では寒波の勢いがすごいですね。ニュースを見ていても過去最高の積雪量みたいですし。
やっぱりこれも異常気象という事なのかな。自分に被害がないので傍観者ぶって言えてますけどね。
テロだとか震災だとか、やはりテレビの向こうの世界にしか出来ない。
そうは言いつつも、いずれは宮城県沖地震を体験する時が来るのでしょうけれどね。
色々な猶予は確実に削られていく。

追伸
こちらのは消したままだし、裏のも含めてBBSを何とかしようかと思っているのですが、
サイトの雰囲気に合うものを探そうかと思ってたりします。ま、書き込みなんてないのだろうけれどね。。。


2006年1月6日  金曜日
えーっと、・・・7時半、アラーム、・・・眠い。天気、寒いけれど晴れ。風も強くない、今のところ。
ん・・・大丈夫かな。寒中見舞い出してこよう。って、それだけではなくてカラオケの予定なのですよね。
声出るのかなぁ。歌える歌あるのかなぁ。多分レパートリー何も増えてないなぁ。
それでもフリータイムなんだろうな。。。(苦笑)

・・・。家の空気が明らかにおかしい。財産分与の方で何かあったか?確か昨日家裁だったみたいだし。
問いかけたけれど何も答えず。出かける前では時間のかかる話、という事かも。
もしくは僕自身の問題に関してか。正直、この空気に当てられてからでは楽しんでこれる気がしない。
家の事を考えなければ、というのだけは考えられずにいるのに強迫観念にはなってる。
それでもまぁ、約束は約束だし、家から連れ出さないと鬱々として気分を滅入らせるだろうから。
・・・。それは僕もか。外に出て気晴らしもいいのかもしれない。
こんな状態で楽しんでくるというのも間違ってるような気もするけど、
戻ったらまた家での自分になる。聞けるようなら話を聞かなきゃ。
悪い話、なんだろうけどね、あの空気の感じではさ・・・。
自分の中では軽い優先順位になってる禁忌でわざと壊して気持ち切り替える。
そろそろ、行ってこなきゃかな。

ブログのほうなのですが、早速スパムトラックバックが来てたようで・・・とりあえず制限はかけました。
コメントについても問題のあるコメント、URL併記等に関しては了承なしでも削除していきます。


2006年1月7日  土曜日
午後1時頃に帰宅。昨日も調子崩してしまいまして介抱する事に。
でも、家に帰る事が、帰らなければいけないことなのに、重い。
こんな時に楽しんでいちゃいけない、本当は・・・。よくわからなくなってる。


2006年1月8日  日曜日
目覚められずに夕方までずっと眠ってた。何か、サイクルおかしい。
何か不安定にはなってるし、嫌だな。
夕食も食欲なくてあまり食べられなかったな。

えっと、事態はよくわからないのですが、母方の祖母が倒れていたとか
今両親が向かっていて、僕は待機。
・・・。結局病院での検査になり、今日はこのまま終わりそう。
色々落ち着かないままに何かが起こってしまうな。。。


2006年1月9日  月曜日
なんでこう問題ばかり・・・。やはり骨折だそうで、13には手術予定とのこと。
高齢だからどうなるかわからない。その後も今までのようにはいかないだろう。
みんな・・・また更に疲れていくのだろうな。とにかく暫く家は空けられない。

アラームの音を何となく覚えてる。今朝も慌しく両親は病院に向かっていった。
これからどうなるかわからない。本当・・・わからない。
とにかく今日は家に待機してしなければいけないこともあるようだし、ね。


2006年1月10日 火曜日
アラームで目覚める。今朝はおまけ付きだけれど(謎)おまけ・・・まだ隣で寝てます。
昨日帰りがけに強めの発作起こして、抑えるために飲んだ薬の副作用もあって、泊まって行きました。
・・・。まぁ、あまり父はいい顔はしないのだけどね。いつも帰せとは言われるから。
ヘルプで向こうに行く時についてもそうなのだろうけれど、それは仕方なく認めてる感じ、かな。
心配はしてくれてはいるのだけれどね。身体もたないだろうとはよく言われる。
それに・・・まず第一に家の事にちゃんと関わって欲しいのだろうし自分の問題を乗り越えて欲しいのだろうし。
とはいえ、彼女に関しては仕事という問題が落ち着くまでは過負荷が続くだろうから、
言い訳でもあるけれど自分の問題は考えている余裕はない。それではいけないのだけど・・・ね。
死にたい・・・と、殺して欲しい・・・と、直に口で言われても、何も答えるわけにいかないのが苦しい、重い。
死ぬな、とか、それはしてあげられない・・・という拒絶は与えたくないし、そう答えた後で
明確な解決に導けるわけではない。とても無責任な発言にしかならない。かといって絶対賛同は出来ない。
だからいつも、話を聞くだけになる。過負荷じゃなくなるまで、乗り越えられるまで、
辛さや痛みを聞いて、理解しようと努めるだけだ。そうして少しでも安定剤になっていくことしか。
今はまだ他にどう接すればいいかは見つけられない。僕自身も、答えを探して迷い続けてる。

昨日聞いた祖母の骨折の話、医師の見立てでは術後は車椅子生活にはなりそうなものの、
寝たきりにはならないらしい。そうなったら、また以前の生活・・・それ以上のに戻る事になってた。
とはいえ、同じ町内とはいえ離れて暮らしているので(親族間のごたごたで実家には呼べないし)
いくら介護を受けていても今後は出向く機会が増えるのではないかと。まず、一月は入院だし。
何より、高齢だから術中が安全である保障も・・・ね。2年連続でなんて、考えたくはない事だけれど。
それでなくても、去年亡くなった父方の祖母の財産分与が法定相続っぽくて、
両親は家裁に出向く機会が多そうだというのに。親族間でそういう争いというだけで精神的に疲れてるだろうに。
僕自身も見たくなかったのにな・・・。中学時代に、実は不仲で親族間であった色々な問題というのを
聞かされてから、表と裏の顔を使い分けてる事に、人間不信が少しずつ強まって、壊れていったのだから。
またなのか・・・、と気が重くなるばかり。この家が重くなるばかりで潰されていく。
失礼、脱線。とにかく今日は、午後からお見舞いに行って来る予定です。
手術前に会っておかないと、万が一・・・という事もあるのかもしれないから・・・。

そのあたりは昨日のうちにおまけさんにも話してたし、家の事も色々話してる。
理解・・・はしてくれてると思う。だから我慢させてる事も多いのだと思う。色々な事が重なりすぎたね。。。
帰る頃になってぐずらないといいけれど。独り暮らしというのは年齢的にきついのはわかるけれど、ね。
それでも近くに住んでるし会おうと思えば会えるのだから。
それにしてもアラームなってから2時間近く、もうすぐ9時だというのにまだ眠ってらっしゃいます。
家でもいつも起きれないみたいだけれどね・・・この低血圧さん。
眠剤が抜けなくてなかなか起きれないというのもわかるけれどね・・・。そういう時は僕も多いからさ。
唯、起こしてすぐ帰ったり帰したり、というのは酷だから、そろそろ起きてもらわないとなんだけどな。
今は祖母の事も心配だし、ちゃんと午後からの見舞いにはいきたいもの。
・・・というわけで寝てる所かわいそうではあるけれど、これから何とか起こしてみますか。

見舞い、行ってきました。空元気なのだろうけれど、比較的明るくしてたように思う。
手術は一日早まって12日に。当日もいってくる予定でいます。
帰って来てからは母と少し会話してて・・・この家を取り巻く現状について、色々話したのですが
二人で気を滅入らせてました。。。
明日は遺言書の写しを父が家裁から貰ってくるみたいだし、それで内容がはっきりわかるか。
それについても母と少し話していたし、溜息ばかりになったし、少し不安定に。
これくらいならまだ揺らがずにいられるけれど、本当に遺言書通りになったのであれば。。。
母の、この家を破滅させたいのかな・・・という言葉がやけに耳に残った。破滅、しかけてる。。。


2006年1月11日 水曜日
寝付けず・・・朝になる。ようやく眠くはなってきたけれど、サイクル崩してる。
何かが噛み合わない。何かが怖い。

朝から眠ったとはいえ、やけに寝すぎで夕食と起こされた。
どうも情緒不安定気味です。何もしたくない。身体が動かない。気持ちが堕ちてる。


2006年1月12日 木曜日
今日にはならないけれど薬を飲んだ。頭痛もあったのでそれも追加。
昨日の電話が今になって・・・。何を恐れているのだろう。言ってはいけない・・・
でもわからなくなる。依存でしかないのかもしれない。今後の状態によっては、
なんて簡単に考えに浮かんでしまう辺り、駄目なのかもしれないな。

帰宅。8度の部屋。鬱々。
とりあえず、祖母の手術の方は無事に終了。丸一日病院にいて帰ってきました。
まずは一安心、かな。今後の対応はまた考えなければいけないところなのだけれどね。

それから家裁で貰ってきた遺言書の写しを見ました
・・・。


2006年1月13日 金曜日
破滅、させたいのかな・・・。だったらすべて壊れてみる?そう・・・堕ちる要素が多すぎる。
今更恨んでもしょうがないし、それで治るわけでもないけれど・・・『僕』を壊したのはあの人だ。
誰かのせいにしても、今の現状を、自分を、救って治していくのは自分しかいないのだけれど
それでも記憶は忘れられない。時を重ねる度に、『こうなった発端』にたどり着いてく。
一度は過去にしようとした。これからようやく、いい関係になっていくんじゃないかとも思った。
それでもまたあの人は、凶暴な裏の顔を持っていた。また酷く堕ちた。それだけ。
どうすればいいのか、どう考えればいいのかすらわからない。もしかしたら堕ちる事が正解。
終わった方が見なくていい、苦しくない、痛くない・・・だったら終わりたい

望んでも終われずにいるのだから、空想の自殺ごっこ程度なのだから、まだ傾かない天秤。
強く望んで、何度も腕を切り裂いて、過剰の薬で眩暈に倒れて、
病んだ心は感情をうまく見つけられなくなって・・・何度も何度も絶望を望んで、
その果ての終わりを祈って・・・

それでもまだ死ねない。ネガティブなダメージ以上に、僕の生きる力は強いらしい。
困ったものだな。相殺状態でどちらにもうまく動けずにいるじゃないか。
という事で厄介事、問題は多々ありつつも、まだとりあえず生きています・・・。
・・・なんて考えてみた。死にたいと強く望みつつ、それでも生きていられるのは
生きる力がそれだけ強いのだと・・・。死ぬ事も生きる事も勇気でもなんでもない・・・。

どっちだって一番痛い事。死ねないのが弱いとか生きるから強いとか。
生きていればいいという価値観ってよりも、死んだ方がいいって価値観よりも、
生死を秤にかけた時に傾く方がその人の選択というだけであって、
そのどちらにも価値や意味という重さがあるのだろう。そして、そうして得ていくものも、ね。
生きるにしても死ぬにしても、そういう終わりまでの過程に記憶するもの・・・それがその人の輝き
僕が『意味』としてきた、『終わらない生命の輝き』・・・なのかな

遺書を読んで、問題だらけの現状を踏まえて明るい未来は見えなくて、例によって堕ちました。
それでも生きていられるので、大丈夫らしいです。ま、苦しくて重いことはそうなのですが。
選択・・・するほどの絶望にはならないようなのでね。まぁ、麻痺してるのかもですが。

午前3時が近い。メールで鬱々と。こうして僕は自分から壊して拒絶していくんだな。
薬は飲んだのに寝付けずに過ぎる。いつまで・・・?

午後2時、突然の来訪で起こされる。結局、嫌な空気を伝染させてしまったか。
いつもと同じ。繰り返し。考えても、思考がまとまらない。


2006年1月14日 土曜日
昨日は午後おきてから出かけて外泊。日記の続きは書けませんでした。
あまり眠れていないので、眠いです。。。

午後3時・・・。頭痛。やはり寝不足かな。とりあえずと薬を飲んだ。
それから何とか眠らずに過ごして、夜になる。薬・・・いい加減な飲み方してたかもしれないな。
気がつけば通院も近いというのにね。


2006年1月15日 日曜日
薬は飲んだのだけどまた効くのに時間がかかってる。
そうしていつものように停滞した空気。これではいけないのだけどね・・・。

夕方まで起きれずにいたみたい。アラームにも気がつかないくらい薬が残り続けてた。
薬がなかなか効かずに眠れなくて・・・効いて眠ってからは薬が抜けなくて起きれなくて。
昨日も通院が近いと書いていたはずなのに忘れていた。
明日当たりに祖母のお見舞いにでもと考えていて思い出した。記憶の欠落が多い。
いつものように、数日前のことさえ思い出せない。それだけ、何もない日々なのかも。
通院は明後日。今回はカウンセリングは都合がつかず、診察のみになる。
3週間。それだけあっても何か変るわけでもなく。薬を貰いにいくだけ・・・。
それがないと眠ることさえ難しくなるから。眠れないでいると堕ちていくから。
一日の大半が薬に左右されて終わる。夜にしか覚醒していない。
予定でもないと意識が弱くなって薬に勝てず起きれない。
『日常』は薬に支配されての現状維持に溺れてる。
これでも散々薬を変えてもらってきてこうなっているし、弱いものにしてもらうと
また本当に朝まで眠れなくなる。それでも足りずにアルコール追加する夜だってある。
規定量より多く飲んでしまうときもある。眠れないでいる日が続くと、
いつもの自分でいられなくなってどこか壊れて狂いだすから。
目覚めていても・・・目覚められても、安定剤に頼らないと気がふれていくだけなのだけどね
治療・・・というより、現状維持のサポートにしかならないのが薬。薬漬け、7年目。

自分の意志で変わっていくしかないのに、それができない自分が苛立たしくて、
痛みを罰をと・・・また壊れる思いに走る悪循環。逃げ出そうと思えば逃げ出せる
そんな以前の立場でもなくなった問題が積み重なる。絡み付いて、浸食してくる。
やめるという事、逃げるという事・・・それはもう人生から。
大学辞める・・・みたいに簡単に選べる事ではないから、ね。
それでも電車は以前ほど辛くならなくなってきていると思うし、人が気にならなくはなってきてる
人の中にいると、いつも内心怯えていた時期だってあったから。
『評価』が怖くて・・・人に価値を貰いたくて、自分に意味があるものだと・・・
自分で見出せずにいるものを何とか与えてもらいたくて・・・過剰に負荷にして身体まで壊してた。
自分は自分、他人は他人、そんなのそう装ってるに過ぎず、独りになれない故に、
人といる故に、壁を厚くして知られないようにとしただけだった。
自分は『こういう人間』なのだとそうなりきれてもいないのに、噛み合わない理想をまとった。
だから、酷くしなくてもいい病を自分で悪化させた。
中学の時に、指先を切ったりした異常行為の時点で病院と選択していれば違ったのかな・・・。
異常行動は高校では自傷癖になって、毎日、毎夜何か壊れる事を繰り返してた一番死に近かった時
心だけなら、身体の表面に痕が増えるだけなら、壊れておかしくなっていっても身体は動いたから
行動できていたから、病院なんて選択肢は考えになかった。
訂正。正直・・・自分が病んでるとは思いたくなくて、心の病なんてものを差別してた。
だからこれでもやっていけると・・・。身体が思うようにならなくなってしまうまでは、ね。
振り返ればそんな事だった。壊れている核については流石に簡単には話せないから・・・ここまで。
それでも、痛みを抱えているだけ、生死に迷い、何かを見つけようとするだけ
生命と、生きるという事に関しては真剣になれるのだと、大切に出来るのだと信じる。
こんなにも、今の自分が嫌いで仕方ないのだから。外側だけスタイルを装えればいいのではなく、
本当に生きられるように。生かされるのではなく生きるように・・・。

新聞見てたら日記の話題だった。日記を書く、書かない、いろいろ。
書かない派は、過去は人生の排泄物、そんなものを見て反省するのは滑稽だ、とか
日記を書かないからこと過去に囚われず今を生きることに専念できる、とか
あるいは、たいていは秘するものだが人に見られてしまう場合だってある。
そう考えると日記につい嘘が出る。だからそれさえ容認して書くという人など・・・
地方紙、河北新聞の河北春秋という欄の今日の記事の話。
いまやネットでの日記が普及してる現代だけれど、これは秘するものとは逆で
公開を目的としたもの。誰かに見てもらうため。そうして見てもらうのは何のためなんだろう
人様々なんだろうけれど、楽しませるため、知ってもらうため、自分の記録、色々だろう。
僕はまだ7年目が近いというだけの若輩者。人生の記憶を目標とするなら遥か遠い。
寝て起きたとだけ記す日もある。何も記す事がない日もある。
それさえそう生きた時なのだと、長く書けなくても、たった一行、一言でも。
その内容が面白味がなくても、影響も意味もなくても、そんな日もあって・・・
それで積み重ねた時、どこかでこんな風に想いに変わる時が何度もきたのだから、
これからも来るのだから・・・。あと一月半ほどで7年目が始まる。
生命を記憶する世界の新しいページ。特別になろうなんて思わないけど
いつか・・・何処かで・・・誰かにとって・・・この世界にあるたった一言でもいい
何かが響いて心に刻んでもらえるのなら・・・そのためにこの生命は続く。
家が継がれなくても、血が継がれなくても・・・いや、そんな事よりそれだけでも叶うのなら
生きる幸せと意味にたどり着けるだろう。

・・・。えっと。いやぁ、久しぶりにやっちゃいましたね。昔ほどではないと思うけど長文日記。
読みづらく、理解しづらいものばかりになってるはずの長文日記。
ブログでは初なので何のことだろうと思う方もいるかもしれませんが、
サイトから訪れているリピーターさんがいたとしたらよくわかるでしょう。
・・・と言いつつ、ブログから来られた方にはメインサイトにはリンクがあえてなかったり。
とにかく、何かの想い、集められた時とか・・・単に毒を吐きたい時、長くなりやすいです。
書き続けることで心から吐き出して軽くしたり、自己暗示にして自身の未来の指針にしたり・・・
自己確認だったり、ともかく、さっき書いたいつか誰かに響けば・・・というのは
今はI wish 〜程度で、この日記はすべては自分のためです。
誰かのためになんて脚色もなし、なので、この生活、日記に賛否両論あろうとも変わりません。
何か言われるのならそれはそれとして意見として参考にはしますが、
そうして自分の成長の糧にはさせてもらえると思いますが、書く事に、スタイルに、変わりありません。
肯定されれば嬉しくもなり、否定されれば普通に傷つきますが、それを見ないふりはできるだけしないように
受け止められるように努力はします。そう・・・これは前にも何度も書いてきた事だから、
こうして記すのは忘れないようにと自分への再確認。あ、ストーブ給油だ。

とりあえず給油も済ませて一段落。PCの前に座ってメモ帳開いてると際限なく書き続けそうな気がする。
ま、それで過去は何度も長く書いてしまっているのですが。
薬服用の水分がなくなってたのでそれも補充してきた。水ではなくてお茶ですが。
眠剤飲むのもこんなんだったりコーヒーだったり、色々間違えてはいるのですが、ずっと前からだし。
夕食後に飲んだ頭痛薬も効いてくれたみたいだし、そろそろ安定剤だけは飲んでおくか。
入眠のためにも色々工夫してまして、2,3時間前には催眠作用のある薬を飲んでおいて、
持続作用のあるものは後で飲むようにしてたりします。眠りに入れなければ眠剤飲んでも意味ないですし
それがうまくいかない時は、アルコールだったり規定量以上の薬だったり、色々追加してしまうのですが。

ヘルプメール、です。通院控えて正直きついけれど、調子崩すのに日時は関係ないから・・・。
大丈夫。支度して行って来ます。


2006年1月16日 月曜日
とりあえず昼に一時帰宅。父はお寺に、母は病院に、弟は学校に、そして家には生協の宅配が
来る事を忘れていました。で、電話で呼び戻されまして・・・。
生協の方だけは誰もいないとまずいので、自宅待機中です。
それが終わったらもう一度行かなければなのですけどね。どうも今日は不安な事があるらしく
事情は知っていても尚懇願されたので、流石に疲れてはいるけれど、
終わったら短時間でも行ってあげないと・・・か。
こういう、どちらかを選ばなければいけない事が多すぎて、それでもどちらも大切な事だったりして
どうすればいいかもわからなくなる。正しいという明確な答えはない。
自分の出来る限りの事を信じて進むしかない。明日の通院は最悪見送るか・・・。
薬は何とかもつだろうし。・・・なんて書いていたら両親帰宅。
どうやら生協の方はしてから向かうようで。電話では生協の事頼まれたはずなのに・・・
だからそれだけのために戻ってきたのに・・・。
まぁ、アパート関連で業者さんから連絡や来訪の可能性があるから家には誰かいる状態が好ましいらしい
けど・・・状況話して戻るつもりだと伝えたら何とか承諾してもらえて、これからまた行ってきます
・・・。電話でちゃんとその辺の動き言ってくれればよかったのに。。。無駄足、です。


2006年1月17日 火曜日
午前9時頃に帰宅。そうして通院の支度。なかなかハードです。
ですけれど疲労は少しは回復しているので。それに薬は貰っておかないと眠れなくはなるし。
といいつつ、通院一回分のあまりがあったりするのですが・・・。
さてと、支度も終了。後は電車の時間まで待つだけです。

通院終了。待ち時間、いつもより長くてそれだけで疲れました。
新年初の診察は特に変わり映えなく、今年の目標の再確認。現状維持。可能なら+α
5分程度のために長い事時間かけての通院。それでもそうしないと薬はもらえないから。


2006年1月18日 水曜日
午前3時が近い。それでもまだ眠れない。薬は飲んだのだけどねぇ・・・。

昼過ぎに何とか起きれました。内線にも最後まで気がつかなかったらしい・・・。
やはり疲れはある、か。それでも何とか起きれたし、見舞いに行くという今日の予定は
消化できそうです。くらくらしている・・・けどね。

見舞いの後に買い物もしてきて夕方には帰宅。頭痛薬飲んで、騙し騙し毎日過ごしてる。
疲れがなくなるくらいゆっくり眠り続けてみたいけれど、うまく眠れない。
だったら壊れるくらい無理しきったほうがそれはそれでいいのかなぁと少しだけ自棄。

入浴後に飲酒。なんか久しぶりな気がするけれど、結構な頻度で飲んでるんだよね。
酔いたくなる。くらくらしていたい。よくわからなくなっていたい。
眩暈の中でいい。堕ちてはいないけれど・・・これもやはり駄目なんだろうな。
入浴中には左腕に視線が行く。既に痕だけになったけれど、痒くなったり疼いたり・・・
痕も消えなくなるくらい毎回深くだから、自業自得なのだけど自嘲の要因になる。
こんなに壊れてるじゃない・・・と。それも枷になってるのか。つまり自信喪失。
いい意味で思い詰めないでいられるのかもしれないけどね、この若干の諦めがさ。

夕食後は何となく、久しぶりにMDの録音、編集作業なんかしてたりする。
手持ち無沙汰。する事はあるのだけど・・・なんか、ね。
ゲームとかして時間潰せる心境には暫くなってないし、前に進むためにする事・・・
とりあえずは知力回復と知識の収集・・・テキスト見るのもはかどらないし、
相続関連で知識を得るにも、会計だとかにしても、ファーストステップすら何かわからない。
それでも何もしないでいると焦燥感に苛まれるだけだから何かを無理矢理してる。そんな毎日。
なのでとりあえず、MD(iPodあたり欲しいけど高いのですよねぇ・・・)
録音しつつ、本格的に飲みつつ、あぁ・・・地震だなぁとかのん気に思いつつ、います。
地震をのん気に思えない子が一名いますので、メールは送ってみたけれどね。
大人にならざるを得なかったとはいえ、あの子は足りないものばかりなのですよね・・・。
強くあろうとはしているけれど、過負荷になる無理だし、かといってそれをしなくては
この地には住めない。戻らなければいけなくなる。そういう挫折は、
余計自分を弱くしてしまって立ち直れなくなる。そういうのは少し似てるのかもしれない。
だから、深夜だろうときつい時は、メールが来た時は、家に向かう。
誰かがいるだけでも違うのだと信じて。そうして傍にいると本当に幼いのに・・・それが許されない。
だったら・・・自立を目指させるよりいい方法があるのかもしれない。
その方法から僕が逃げているだけなのかもしれない。
・・・。今夜はこのボトル空けてしまおう。


2006年1月19日 木曜日
・・・。昨日の日記、UPしたけれどブログのほうは過負荷により無理らしい。忘れそうだな。
といいつつワインを飲み続けています。もっと酔いたい・・・今夜は。
飲むと余計手首が疼くのだけどね・・・。僕にとって『これ』はとても順番が軽い事。
他の事で発散するのが普通なのに、ずっと前からここは狂ってる。
ちょっとしたことで出来るし、その事には何も思わない。
唯・・・その後に残る痕に、それだけ自分が壊れてるという認識を深めるだけ。
返って来たメールが助長させる。それでも自分を、今日くらいは抑えないと

午前3時近く、久しぶりの幼馴染からのメールに救われる。就職しての近況報告でした。
何とか順調みたいでよかった。視界が少しだけ違うところに向いた感じがする。
今まではしがらみにばかり囚われていたからね・・・。
と、メールの返信をしたところでボトルが空いた。途中で薬もワインで飲んだし
そろそろ今夜はおしまいにしようか。とはいえ、回りが足りない。薬が回らない。
追加しかないか・・・。

午前5時。軽い頭痛と吐き気・・・。眠れないまま過ぎてる。
酔いは冷めてるし、薬もこれ以上は・・・ね。
外は風が強いな。とりあえず横になってみるしか・・・。

少し時間はかかったけれど何とか眠れた。それから知らない番号の着信で起こされる。
出た瞬間切れたから、かけなおしてもいない。現在午前10時。
まぁ、寝過ぎなくてよかったのかもしれないけど、疲れを取りたかったな・・・。


2006年1月20日 金曜日
なぜかどうしても時間が遅くなってしまう。既に午前3時が近い。
何をしているのやら。。。ともかく、寝る努力はしないと。

起きた時間ははっきりしないけど、夕方にはなってた。
アラームとか内線の音を聞いた覚えはあるのだけどな・・・どうもはっきりしない。
こんな時間まで眠っていてそれで何ができるというのか。
夕食を済ませて、いつものように頭痛薬。安定剤なんかはもう少ししてから。
それにしても・・・、昼夜逆転しかけてるみたい。
まだ夜のうちには何とか眠れてるといえる・・・と思うけど、昼の間眠っていては、ね。

そういえば・・・最近白髪を発見されてしまってあぅぅ・・・と。
自分ではまったくないつもりでいたのですけどね、何本か見つけられました。。。
もうそんな年齢なのかなぁ・・・はぁ。


2006年1月21日 土曜日
珍しく電話。最近は独りで飲んでもいなかったのに酒も飲んだらしいし、
その時点でいつもより苦しくなってるのはわかったのだけど・・・約束した期間、
という事でそこまでで遠慮していたみたい。自分の時間を持ちたい・・・という事で
週末はフリーにさせてもらう約束。勿論逆に、終末に約束したってフリーなわけだけど。
それを護ろうとしてくれてたみたいで強がってた。
無論・・・それを約束した時から、予定通りに発作起きたりするわけでない事はわかっていたし
終末でも苦しい時は呼んでいいし、行ける時はいくと伝えてある。
逆に、そうでなくても疲れてたり、無理な時はそう伝えていけないときもあるとも伝えたけど。
自分で週末だという事忘れてた・・・。謝らなくてもいいのに・・・。
お互い自分でなろうとして、こんな状態になったわけではない。
だから自分の非を認めるような、謝罪の言葉は要らない。『ありがとう』でいい・・・。
ちょうどいい事に昨日は夕方まで寝ていたみたいで疲れも多分取れてるはず
だから・・・大丈夫。長々と書いてるより、早く傍にいってあげよう。
という事なので、例によってまた行ってきます。まぁ、家の状態によっては
朝になってから呼び戻されるかもしれないが。。。


2006年1月22日 日曜日
午前10時頃、恋人さん(おまけと書かれて不服だったらしい)宅から帰宅。
いぁ、こういう関係になるにも紆余曲折があったのですけどね。
書ける時が来ればその時に。
本来は一泊だけで、昨日のうちに帰ってくるつもりだったのですが、一泊で済む様な
精神状態ではなさそうだったので。今がきつい時だろうからなぁ・・・。
後はやってみないことにはわからないだろうけれど。

帰宅してから微妙に調子がおかしい。頭痛と喉の痛み・・・
肩が・・・身体が重い。風邪貰ったかなぁ。
今は悪化させてる場合でもないから早期回復を目指さないと。


2006年1月23日 月曜日
うとうとと眠ったり起きたり。うまく眠れないのは相変らずです。
とりあえずは薬追加してみるか。

午前8時半ほどに自然覚醒。夢見が悪かった。大学関連だとかテスト勉強してたりとか・・・
こういうのはよく見ます。それにしても身体中がだるい・・・。
・・・そうしてまた寝てた。浅い眠り、それでもだるさとか疲れは少しは取れた気がする。
そうして両親は見舞いに出かけた。後は唯留守番。何をしていいかもわからない。

結局何をするでもなく時間は過ぎた。いつもの事。今日も頭痛薬と仲良く過ごしています。
それもいつもの事。どうしても疲れが取れない。というより、
自分が疲れてるのかどうかもわからなくなる。唯、気力はないままだけれどね。


2006年1月24日 火曜日
自然覚醒。アラームには気がつかず、それから一時間半後。早速頭痛で薬・・・。
それからいつもより焦燥が強かったので安定剤も。
これ・・・昼間は眠くなるので大丈夫なときは外してたりするんだけどね。

今日も恋人さん(彼女さんと書くのは自分的になんか嫌なので)が来ました。
まぁ、病院の場所確認という事で。その後で一人で帰したのだけど・・・
やはり精神が持たないか。色々不安要素を抱えていて、電話でヘルプ。
・・・傍に行くというだけで、具体的に何かを助けられるわけでもないというのにね・・・。
それにしても、毎日のように会ってる。
どちらかのライフサイクルが変わったら、それはそれで大変そう・・・。


2006年1月25日 水曜日
昼過ぎに帰宅しました。えっと・・・それからは何もしてない。
気がつけば夕食になって、それが終わってからも手につかず・・・。
何をしてるんだろう?なんて思ってるふりで言い訳を作ってる。
久しぶりに大学時代の後輩からのメール。状態は相変らず・・・というより悪いか。
年度末だから忙しかったりで誰もが追い詰められる、そんな季節か。

アルコール。久しぶりのウィスキー。その後で薬を缶コーヒーで飲むなんて間違ってるんだろうけど
手近なものがなかったからどうでもよくて。
入浴前の腕の疼きは消えた。左腕・・・赤く、赤くしてしまおうかとも思ったけれど
今夜は何とか大丈夫みたい。
・・・。それでも、薬を飲んでも、軽い焦燥が・・・。
聴いてる音楽がいけない、かな。
頭痛も追加。これはアルコールのせいかもしれないけど、ね。
さて、と・・・何処まで薬を飲もうか。
酒が入ってるときは気をつけないといけない。箍が外れて、ODもしかねないので・・・。
とりあえず、頭痛薬。流し込むものが何もなく、水を取りに行くのも面倒で噛み砕く。
当たり前にこんなことって辺り酔って壊れてるな・・・と。
そう思いたくもあったけど、酒が入ってなくてもするときはしてたさ。
薬の苦味が消えない。舌が痺れる感じがする。そうしてメール・・・。
一人は苦しいって。甘えさせてばかりいるのかな?そのラインがわからない。
でも、会ってたほうが独りでいるよりは、普通の自分でいられるのかもしれない。
それでも・・・アパート関連なんかで来客がある可能性もあるので、
本当は朝には戻らないといけない。一緒にいるのは眠っている間だけ。
疲れるといえば疲れる。彼女が一人暮らしを始めた頃から生活の中心が変わった。
それに不服はないけど、板挟みなのは事実で・・・そうして、傍にいても無力で。
家の状況によっては・・・これはまだはっきりしないので記載は控えるか。
でも・・・何にも縛られないでゆっくり休みたい。
場所は何処だっていい。唯、心に負荷がかからない場所であれば・・・。
今は一人で泣かせていたくないから、今夜も向かおうと思う。

今はこれしかできないから・・・


2006年1月26日 木曜日
今日も昼過ぎに帰宅。そうして留守番になったりします。
今日も頭痛・・・なのでまた薬。

その後はアパート関係で水道料金もって来るかもしれないと
自室ではなく一階で待機しつつの留守番だったのだけど、一軒もなしで両親も帰宅。
夕方まで唯、何もせずに過ごしてた。自室か、違う場所かの違いだけだけれど、ね。
夕食、少なめにしたつもりでもないのだけど、久しぶりに嘔吐感もなかったかな
いつもは、夕食後の胃薬は毎日だったので。。。
疲れてはいるんだと思う。目の周りが何となく重い。体中だるい。
・・・風邪の初期症状とも言えなくもないかもしれないけど(弟から感染か。。。)
最近疲れたとばかり言ってる気がするな。
愚痴にしても独り言では気晴らしにもならないとわかってるはずなのに。
ここに書いたとしても・・・ね。
少しだけ悪い考えがよぎってます。無理しきってしまえ、と。
それで壊れちゃえば後は楽かな、と・・・自虐的。いけない考え、です。
救われたい、癒されたい・・・そうプラスの方向に思えるようにならないと
前を向いては歩けないのに。

例によって今日も不安定らしいです。それも仕方ない事だとわかってる。
唯、こちらの都合で疲れてていけなかったりとか・・・
そういうので態度が変わっては駄目なのだと思う。思うんだけどね・・・。
昨夜は中の子が一人、闇に囚われてしまって・・・久しぶりに内側に語りかけた。
力不足で・・・解放して上げられなかった。
心に語りかけるのはとても怖い事。気を遣う事。疲れる事・・・。
時に、痛い事・・・かな。相手の核を壊してしまいかねないから、
不用意な事は言えないのだけど、それでも光を見せなきゃいけない。
どんな言葉が、方法が、正しいとかも答えはないまま、そういうことだから。
思えば去年の3月に会って以来、そういう語り合いを繰り返してる。
うまくいくときもあれば失敗する事もある。それが絆となってるといえなくもない。
でも、心の距離が近いからと容易くふれていい場所ではないし、
尊重して、大切にしなくてはいけないものだから・・・
気をつけていないと簡単に壊してしまえる距離にもいる、という事なのだから。
だから怖い・・・。同時に心の核に伝え合えるような言葉があるのは幸せな事なのだろう
はぁ。少し長くなりましたか。
えっと・・・要は、疲れてはいるけれど、まだ無理は出来るので今日もいってきます、と


2006年1月28日 土曜日
帰宅。疲れました。


2006年1月29日 日曜日
頭痛、故に薬。不眠、故に薬。薬、薬、薬、薬・・・
薬のはずなのに身体に悪いものが浸透してそうです。ま、今に始まったことじゃないので
身体が壊れて以降が仕方ないか、と。
無理は・・・してました。家での居場所が感じられないと錯覚するくらい。
離人感で、自分の居場所もわからなくなるくらい。
でも、それ以上の痛みなんだろうなと思えばまぁなんとかできるのですが。
まだ・・・死にたいとも思わない程度。思うわけもない。そんな要因が今のところはないのだから。
唯、自分が家にいたのかいなかったのか、よく覚えられなくなってる。
下手すると昨日の事さえ記憶が曖昧。動いてはいる・・・それでもそれは流されている。
自分の意志が介入する事がほとんどないというか・・・そのものが希薄だというか。
このままでは、望まない生き方になるだけだというのに・・・
それならそうなってしまってから、それに自己嫌悪して、絶望して・・・
それでも生きることを選べるのなら、その時は自分の意志の元に生きる活力も生まれよう。

午前2時・・・かぁ。相変らずな時間帯です。
頭痛は薬でひいたけれど、どうも寝付けない。どうしたものかな・・・
午前3時半。諦めて薬追加、です。手近にあった缶コーヒーで、というのが救えない。

眠ったのは5時過ぎで起きたのは10時だったか。
今日は昨日のうちから家に招いていたので定時に来て、それから映画見たり話したり。
やはり不安は拭えないよね・・・。帰り際にまた調子を崩していたけれど何とか持ち直せたみたい
無理して帰ったのだろうけれど、ね。
それにしても、彼女の日記を帰してから読んだけれど、それと似たような事を話してたんだなぁと。
やはり波長・・・合うというか、価値観が近のですね。
それから夕食で、何となく焦燥に駆られるので薬はすぐに飲んだ。
そういえばここ最近くしゃみが多いんだよね。風邪・・・かもしれないので注意はしないと。
ストーブつけると暑いんだけど、消すと寒いのだよねぇ。微妙な温度です。
今夜こそは早く眠れるようにしないとね。


2006年1月30日 月曜日
朝に起きたけれどふらふらしていて・・・水分とってまた横になりました。
それから電話の音で目覚めたけれど取れず。時間は午後になってた。
何をしていいかわからない。身体がうまく動かない。


2006年1月31日 火曜日
昨日は恋人さんが泊まって、今日は泊まりに行く事になりそうです。
詳細は帰ってから・・・かな。


2005年12月     Back     2006年2月