〆銀嶺の狼〆

(C)ayarin
相変わらず、火のはぜる音だけが聞こえている。
時折、窓の外から狼の鳴き声がする他は、とにかく静かである。
ロザリアは、いつのまにか脇机に男が置いていってくれた暖かい飲み物を口に含み、
そのお蔭か極度の不安と緊張感からようやく解き放たれて深い溜息をついた。
いくら記憶を辿っても、時流の森に居た自分が急に冷気に巻かれて、気が付いた時にはこの地に居たと言う事しか考えられない。
いったい、ここはどこなのか。
時流の森が立ち入り禁止地区になっている理由を、身を持って知った気がした。
本来なら女王補佐官の失踪は、王立派遣軍と王立研究院が協力体制を組み、総出で調査に乗り出す一大事だ。
しかし、ロザリアが居なくなったのは時流の森の中。
日頃決まり事に厳格な彼女が立ち入り禁止区域に入ったなどとは、アンジェリークでさえ想像しないだろう。
しかも、いつも通る道とは違うルートを通ったのだ。人気の無い時流の森脇の道など、あんな早朝に誰が居るだろう。
今、ロザリアにとって唯一の頼みは先ほど目の前に居た男、ただひとり。
少なくとも、今のロザリアにはそう感じられた。
面倒見のよいオリヴィエに酷似している事が、なおの事そう感じさせているのかもしれない。
どうやって聖地にもどればいいのだろう?
当然この星も女王の統治の元に存在する惑星だと思われる。
時流の森からやって来たのだから、王立研究院で管理している範囲内の惑星には違いないはずだ。
問題なのは、時流の森が範囲だけでなく、時間も司ると言う事実。
気の遠くなるほどの昔から、この宇宙は女王陛下が統治している。
一体、自分がどの女王の治める時代にやってきてしまったのかすら判らない。
王立研究院が確立されている時代ならば自分を発見してもらえる希望もあるが、
もし、遙か昔に来てしまったとしたら……。
この、雪の惑星では時代感覚すら掴めないのだ。
 
 
 
“こうしてはいられない。”
 
ロザリアは、知らぬうちに温まっていた身体を動かし、ゆっくりとベッドから降りた。
外は吹雪。外には狼の群れ。でも。
……でも、聖地に帰らなきゃ。
 
意を決して木製の扉を開けようとした瞬間、扉が開いて先程の男が部屋に入ってきた。
 
「…どこかにいくのかい?
 ねえ、その前にこれを見てくれないかな。」
 
男が手にしているものに、ロザリアはハッとなってそれにおずおずと手を伸ばした。
−銀青の、一本の髪の毛−
見覚えがある。いや、愛おしさすら沸いてくる。
大好きな人の、髪の毛?
リュミエール様の。
 
「やっぱり、知っている人のものなんだね?この近くに落ちていたみたいだよ。
 狼が見つけてくれたんだ。そんなに遠くではないみたいだし、そんなに昔でもないみたいだよ。」
 
そのために、さっき男は部屋を出ていったのだ。
恐らく、狼になにか手がかりでも探させていたのだろう。
ロザリアには、益々目の前の男とオリヴィエが重なって見えた。
見知らぬ私を助けてくれた上に、聖地に戻る方法をもさがしてくれている?
 
「街へ行くといいよ。ここから暫くソリに乗っていかないととてもたどり着けないと思うけど。
 そこになら、聖地へ行く手段を知っている人や関係施設があるかもしれないしね。
 そこに無くてもこの惑星の主要土地への交通も確保できると思うし。そしたら、聖地に戻れるんだろう?」
 
何気なくさらりと言う言葉のひとことひとことが、ありがたくロザリアの心に響いてくる。
 
「きっと、その人も街へ行くんじゃないかな。ここに居ても何も無い事は見れば判るだろう?」
 
男は、そう言いながら何やら暖かそうな毛皮を引出しから取り出した。
 
「これを君にあげる。ちょっと大きいかもしれないけど、暖かさだけは保証するよ。」
 
真っ白で柔らかい毛皮の上着。
主星で、まだ家族の元に居た時にママが着ていたお気に入りのミンクのコートも、こんなに柔らかくて暖かくはなかった。
とても、高級な毛皮なのではないか?
ロザリアは、不安げな瞳で男を見つめた。
 
「こんな、高価なもの……。」
 
すると男は驚いたように、手につき返された毛皮をバサリと広げると、ロザリアに被せてすっぽりと覆った。
 
「馬鹿だねぇ。こんな雪の惑星で毛皮の価値なんて、考えてごらんよ。
 着てる人間が暖かい思いをする事ができるかどうかなんじゃないの?大切なのはそういう事。
 ……遠慮するんじゃないよ。」
 
毛皮と一緒に、男の優しさに包まれ、暖められているような気さえした。
ロザリアは、こくんと頷くと毛皮を身に纏った。柔らかくて暖かい。とても幸せな感じがした。
 
「じゃあ、ソリの準備をするからもう少しこの部屋に居てくれるかな。」
 
男は、そう言うと部屋を再び出て行った。
ロザリアは、もう一度窓の外を見る。外は一面雪の世界…。
見ているだけで、最初にここへ着いた時に感じた身を切るような強烈な寒さが思い出されて、
思わず身を縮める。
街には……リュミエール様が居るかしら?
リュミエール様に会えたら、聖地に帰れるかしら?
どうしてリュミエール様はこの惑星にいらしたのかしら?
 
 
程なくして、男が部屋にロザリアを呼びに来た。
 
「ねぇ、君は驚くだろうけれど、一緒に街まで行ってあげるから安心してくれないかな?」
 
窓の外には、真っ白な……熊に襲われた時に自分を囲んでいたのと同じ銀嶺の狼が数頭ソリに繋がれていた。
 
「……大丈夫なんですか?狼にソリをひかせて。」
 
とても不安げなロザリアの様子に、男はやっぱりといった顔つきになった。
その表情に、ロザリアも少し慌てた。
 
「あ、でも、あなたは狼と仲良しなんですよね、だ、大丈夫ですわね。。。」
 
しどろもどろのロザリアの様子に、男は優しく微笑んでロザリアの手を取った。
 
「ふふ、心配おしでないよ。狼達はみんな私の親友。それに私がついて行くから。」
 
男の後について部屋を出る。
男はてきぱきと外出の準備をしている。毛布、食料等々…?
 
「ここから街までは、ソリを使ってもゆうに3日はかかるから覚悟をするんだよ。
 …君の銀青の髪をした知人は、いったいどうやって街まで行くんだろうねぇ。。。
 もしかしたら、徒歩の知人に途中で追いつくかもしれないよ。」
 
男のそのセリフに、ロザリアは少し不安になった。
リュミエール様は本当にこの近くに居たのだろうか…。
守護聖様だからって、この雪の中で無事に元の世界に戻れるものなのだろうか。
…本当に、リュミエール様に会えるのだろうか。
しかし、今はこの目の前のオリヴィエに極似した男だけが頼りなのだ。
慎重に、ロザリアは銀嶺の狼のソリに乗り込んだ。
 
 
 
 
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