〆銀嶺の狼〆
(C)ayarin
「リュミエール様、お願いします。」
ぺこりとお辞儀をすると、マルセルは急いで宮殿のジュリアスの執務室へと走って行った。
「そんなに急ぐと転んでしまいますよ。」
そんなリュミエールの声も、既にマルセルには届いていないようだ。
リュミエールは、そんなマルセルの後姿に静かに微笑むと、ゆっくりとした足取りで森の奥に入っていった。
肩には、チュピがとまっている…。
森の湖の奥深く……時流の森へと。
「リュミエール様、おはようございまーす!!」
まだ早朝、リュミエールがベッドの中でまどろんでいると、元気なマルセルの声が聞こえてきた。
リュミエールの私邸の使用人が、遠慮がちに館の主の様子を覗う。
「あぁ、起きていますから。大丈夫ですよ。」
リュミエールは、そう応えるとガウンを着こみ、ゆっくりと門の前に立つマルセルの元へと向かった。
「あぁ、マルセル。おはようございます。どうしましたか?」
「リュミエール様、こんな朝早くに起こしちゃってごめんなさい。
実は朝方、ジュリアス様のお屋敷から使いの人が来て、すぐにジュリアス様の執務室に向かうように言われたんです。
でも僕、毎朝、時流の森の中の泉にチュピを水浴びさせに行くのが日課なんです。
ジュリアス様にはすぐに来るようにと言われちゃったし、時流の森には僕以外入っちゃいけない事になってるし。
それで、あの森に入れるリュミエール様に折り入ってお願いがあります!!チュピに水浴びをさせて欲しいんです。
……駄目ですか?」
マルセルの顔は“一大事”というような緊迫した表情だった。
「ふふふ、いいですよ。マルセルの大事なチュピの事です。わたしも良い散歩になりますしね。」
リュミエールも、たまに早朝散歩を思い立つ事がある。今日も取り分け眠い訳でもない。
マルセルの一世一代のお願いを、快く引き受けることにした。
時流の森に分け入る。早朝とは言え、時流の森には固定の時代も時間も存在しない。
リュミエールは慎重に時流の森の中を歩いた。
本来であればこの森に、緑の守護聖以外の者が入る事は許されていないのだ。
その、司るサクリア故に辛うじて自由にこの森を歩けるのはルヴァとリュミエールのみであったが、
ルヴァの方がリュミエールよりも、歩行にすらもっと苦労を伴うのであった。
マルセルから聞いた泉に向けてゆっくりと歩く。
様々な時代の空気がむせ返るように迫ってくる。
水のサクリアを有していても、流石に長時間の歩行は堪えそうだ。
「あぁ、ありましたよ、チュピ。」
リュミエールが言うよりも一瞬早く、チュピは泉のある方角に向かって凄い勢いで飛んでいった。
「チュピ、待って下さい!!」
リュミエールも慌てて後を追った。
慌てていたお陰で、森の中のロザリアの気配に、この時リュミエールは気がつくことが出来なかった。
チュピを連れて、いつも通りの時間に宮殿にあがる。
リュミエールは、肩にチュピを乗せたまま、マルセルの執務室に立ち寄る。しかし、マルセルの執務室には誰も居なかった。
…きっと、ジュリアス様のお話が長引いているのでしょう…。
そう考えると、リュミエールは自分の執務室に向かった。
すると、すぐにオスカーがリュミエールの執務室をノックした。
「おい、リュミエール。ジュリアス様の執務室に今すぐ集まって欲しいそうだ。」
「…一体どうしたと言うのでしょう?」
リュミエールは、オスカーの後に続いてジュリアスの執務室に入った。
肩に居たチュピがマルセルの元へと飛んでいく。
マルセルは緊張した面持ちの中、肩の上のチュピを見て、リュミエールに微笑みかけた。
暫くして、オリヴィエがゼフェルを連れてやってきた。
珍しく皆より先にジュリアスの執務室に来ていたクラヴィスが、ルヴァとなにやら話している。
「皆が集まった所で、緊急の要件がある。心して聞くように。
実は、今朝方よりロザリアが行方不明だと言う報告が女王陛下より入っている。
ロザリアの屋敷のばあやに確認した所、いつも通りに屋敷を出、歩いて宮殿へ向かったとの事だ。
…あのロザリアに限ってサボっているなどと言う事は考えられないが……。」
ここで、ジュリアスはちらりとクラヴィスとゼフェルの顔を見た。
「念の為、王立研究院にロザリアの足跡を捜索させた所、ロザリアは時流の森に入っていったとの報告があった。」
ジュリアスのそのセリフに、その場の守護聖一同がざわめいた。
「……時流の森って、立ち入り禁止区域じゃん。なーーんであの子が…。」
オリヴィエが訝しげに呟く。
「……リュミエール。」
突然、クラヴィスがリュミエールの横に来て小声で話し出した。
「…今朝方、時流の森でロザリアの気配を感じなかったか?」
クラヴィスの声は小さかったが、ジュリアスはそれを耳ざとく聞きつけた。
「なにっ?!クラヴィス、リュミエールが何故時流の森にっ!!」
口を挟まれて不機嫌そうなクラヴィスの横で、リュミエールは慌てて口を開いた。
「ジュリアス様…私、今朝は時流の森におりました。しかし、ロザリアの姿には気がつきませんでした。
申し訳ございません。私が彼女に気が付いていれば…。」
ルヴァは、先程クラヴィスから見せられた水晶球の中に映る光景を思い出していた。
時流の森に入るリュミエールの後姿。
それを追いかけるように時流の森に飛びこむロザリア。
…あれは一体どう言う事なのか。
待ち合わせ?それとも……。
「そなた、本当に知らぬのか?」
「ええ。申し訳ございません。」
リュミエールが嘘をついているようには思えず、ジュリアスは苦々しく拳を握り締めた。
時流の森には、ジュリアスは入る事が出来ないのだ。
「仕方が無い。マルセル、そなた森に入ってロザリアを探して来て欲しい。」
「お待ち下さい!!ジュリアス様。」
リュミエールの剣幕に、ジュリアスは驚いて彼の守護聖を見た。
「…私が、気づく事が出来なかったのです。私に探させて下さい!」
ロザリアが未だ女王候補だった頃。
彼女は事の他リュミエールにご執心だった。
その事をふと思い出し、ジュリアスは彼に任せてみる気になった。
リュミエールなら、時流の森に入る事が出来るのだ。
「……頼んだぞ、リュミエール。」
「はい、お任せ下さい。」
そうしてリュミエールは、再び時流の森の前にやってきた。
…無事にロザリアに逢えるだろうか。
その想いを胸に秘めて。
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