忠誠の指輪3

01.06.03


 聖地の宮殿集いの間では、今日何度目かの会議が開かれ、九人の守護聖全員が顔を
 揃えていた。数時間前までの会議と違う点は、光の守護聖ジュリアスが10歳の子供ではなく、
 25歳の堂々たる成人として、首座の地位に就いているところである。
 ジュリアスは、資料が全員の行き渡ったのを確認するとエストレ星域の事態の収束に向けた
 自分の提案を説明した。
「エストレ星域と隣接するセミラミス星域の境界付近に、我々のサクリアを送り、
 強化サクリア帯、すなわち一種の『防火帯』を設置します。」
 首座の席についたジュリアスは自分の提案を順を追って説明していった。
「これによってエストレ星域を他の宇宙から隔離し、サクリアバランス崩壊の影響を
 星域内部に封じ込めます。」
 守護聖たちは手元の資料に目を通したが、やがて次々に疑問の声が上がってくる。
「まさか、ジュール。これは、個々の星々の救済を事実上放棄し、エストレ星域を
 隔離してサクリアバランスの乱れが沈静化するのを待つということか?」
「いえ、そうではありません。」
 ジュリアスは、淀みなく答えた。
「計画では、『防火帯』が十分強化されたあと、次の段階として、強化サクリア帯を
 エストレ星域の内部にロールバックしていくことになっています。」
 水の守護聖スユが、真っ先に異議を差し挟んだ。
「ですがそれは結局、諸惑星からの救援要請には応えないということですね?」
「強化サクリア帯によるサクリア状態の矯正が、星域内部ですみやかに進行していけば
 全体として救済される可能性はあります。」
 だん、とテーブルを叩く音。
「可能性? どの程度の可能性だ! 結局、救援要請をしてきた惑星を、
 見捨てることになるんだろう。女王と聖地に対する信頼が失墜しかねん。」
 鋼の守護聖デミルが声を荒げる。緑の守護聖イェシルが眉をひそめた。
「15年の間にずいぶん冷たい人間になってしまったのだね、ジュール。」
「そんな言い方はないでしょう。」
 地の守護聖トプラキが割ってはいる。
「ジュールは、エストレ星域が最終的にどうなったかを知っています。
 だからこそ、このような判断に至ったのでしょう。」
「そうだ。これまで我々が打った手はことごとく水泡に帰している。
 ジュールの提案を試すしかもう方法がないじゃないか。」
 これまで首座代理を務めていた風の守護聖リュズギャルが地の守護聖トプラキに同調する。
 会議のテーブルについていた守護聖同士、あちこちで激しい論争が巻き起こった。
 だが、最終的にはサクリアバランス崩壊の影響を全宇宙に及ぼさないためには、
 これしかないというジュリアスの主張が通り、守護聖の一部(癒しを司る水、
 生命を司る緑、文明を司る鋼)の反対を押し切る形でジュリアスの方針が採択された。
 

 死にものぐるいで救援要請の信号を出し続けていた惑星が、また一つ消滅した。
 

 惑星イリ。人口約3500万人。
 特産品は緑茶と絹と陶磁器で、漆塗りの楽器で奏でる民族音楽で知られた惑星だった。
 

 惑星ゼムリア。人口約13万5000人。
 寒冷な惑星で惑星人口の大半は遊牧生活を行い…
 

 惑星タドモル。人口約210万人。
 かつて風の守護聖を出した乾燥した惑星で、砂嵐を避けるために工夫された
 半地下式の住居はタドモル形式と呼ばれ…
 

 ジュリアスは、昨晩からの間に滅亡した惑星のリストを無言でチェックしていた。
 彼は目頭に手を置いて、しばらく疲れた目を休めると再びエストレ星域の資料を検討し始めた。
 

 エストレ星域の崩壊は、何の前触れもなく突然始まったものだった。
 異常事態に気づいた惑星が避難を開始しようとしたときには、既にサクリアバランスが
 完全に崩壊し、時空の扉が開かない状態になっていた。
 自分たちの運命を知った諸惑星はパニック状態に陥ったが、なす術もないまま
 断末魔の悲鳴をあげて次々に滅亡していった。
 自分たちの滅亡の運命を悟ってから、実際に滅亡するまでの数週間の間、
 星々の上でどのような地獄図が繰り広げられたことか――
 エストレ星域との連絡回線が途絶えていることは、むしろ幸いなことかもしれなかった。
 

 星々が消滅するときには、その惑星にサクリアを送っていた守護聖も強い影響を受ける。
 人々に明日への希望を与える夢の守護聖は、将来への夢が突然断ち切られた
 無数の人々の苦鳴を全身で受け止めなければならず、闇の守護聖は死の闇に突如
 放り出された泣き叫ぶ魂たちを身の内で安らがせなければならない。
 

 現在、史上空前の規模で発生した横死者を一度に引き受けることになった小さなクラヴィスは
 その負担に耐えかねて半病人となり、鎮静剤を打たれて昏々と眠り続けている。
 

 他の守護聖も多かれ少なかれ似たような状態であったが、その中でただ一人
 気を吐いていたのは未来から転移してきたジュリアスだった。
 彼はエストレ星域が崩壊していく間、守護聖を、王立研究院を、王立派遣軍を叱咤激励し続けた。
「心を強く持て、明けない闇はないのだ。エストレ星域を取り巻く強化サクリア帯に、
 もう一度サクリアを送るぞ。そう、もう一度だ。」
 絶望の長いトンネルの中で、光の守護聖の放つ輝きだけを頼りに
 人々はエストレの大崩落に立ち向かった。
 

 だが、ジュリアスの内心は荒涼としていた。
 惑星の救援を行わないという決定を下したのは他ならぬ自分で、誰にも責任を
 転化することはできない。だからこそ彼は歯を食いしばり、決して弱音を吐くことは
 なかったが、刻一刻と失われていく大量の人命や崩壊していく文明、苦しむ仲間の
 守護聖を目にあたりにして、本当に自分の下した決定が正しかったのかあてどなく
 自問自答を繰り返す日々が続いた。
 

 そんな折り、ジュリアスは女王セラフィンからの呼び出しを受けた。
 

 女王の私室に通されるのは、ジュリアスが幼い頃でも滅多にないことだった。
 人払いされた洗練された瀟洒な部屋は、どこかがらんとした印象を与える。
「ジュール。」
 か細く優しい、青白い炎のような印象を与える女王セラフィンが寝椅子にもたれて、
 ゆっくりとジュリアスに両手を差し伸べる。ジュリアスがひざまづくと
 セラフィンはジュリアスの頭を抱いて、幼子を慰めるときのように掌でなでた。
「あなたが必死で頑張ってくれているのに、あなたのために泣くことしか
 できない私をゆるして。」
「いいえ。陛下の御手のあたたかさは、常に感じておりました。
 一番つらいとき、こらえようもなく苦しいとき、陛下の御手が私の上にあり
 苦痛を和らげようとなさっていたことを、感じ取れぬ私ではありません。
 それがわかる程度には、私も成長いたしました。」
「小さなジュールもわかってくれていたわ。
 …だけど、今のあなたはそれ以上に、見違えるほど成長しているものね。」
 セラフィンの口元に弱々しいほほ笑みが浮かぶ。ジュリアスはわざと明るい声で言った。
「陛下も、私が覚えていた陛下とは違っていらっしゃいますよ。」
 セラフィンは首を傾げた。
「どういうことかしら? 今の私はそんなにやつれていて?」
「とんでもない。その逆です。」
 ジュリアスはそう言うと、片膝をついている自分より高いところにある彼女の顔を見上げ、
 茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。
「陛下は、記憶の中の陛下よりもさらに素晴らしい方です。」
 ジュリアスは、女王セラフィンの手を取って手のひらに口づけを落とした。
 女王セラフィンは驚いたように口に片手を当てる。
「まあ、口が上手になったこと。あなたがそんな風に成長するとは思わなかったわ。」
 セラフィンは、ころころと笑い始めた。
「ありがとう、おかげで少し気が晴れたわ。あなた将来はプレイボーイになるのね、ジュール。」
 確かにセラフィンの気を引き立てようと思って言ったことだが、口をついて出た言葉は、
 紛れもなくジュリアスの本心でもあった。
「あいにく、今の私は堅物で通っています。陛下の評価を他の守護聖に聞かせたいものですね。」
 ジュリアスは肩をすくめて苦笑いする。答える代わりに、セラフィンは
 手をのばしてジュリアスの黄金に輝く前髪を梳いた。それがあまりに気持ちがよくて
 ジュリアスは、他人には滅多に見せたことのないようなやわらかい微笑を浮かべる。
(本当に、記憶の中の面影よりも何倍も素晴らしい。)
 ジュリアスは、うっとりとセラフィンの手の感触を楽しんだ。やはり少し疲れていたのだろう、
 彼はめずらしく饒舌になっていた。
「こうしてまたお会いできたことが、夢のようです。
 幼い日、初めてお会いしたときから、陛下は美しく、優しく、賢く、私の憧れでした。
 ですが、こうして成長した暁に、改めて陛下にお目にかかると…。」
 ジュリアスは、そこで言葉を詰まらせた。
「…ジュール?」
「ジュリアスとお呼びください、陛下。」
 ジュリアスは苦しげな表情を浮かべた。セラフィンの顔がさっと曇る。
「まさか、私のせい? ひょっとして私はあなたを苦しめているの?」
「いいえ!」
 ジュリアスは激しく首を横に振った。
「いいえ、とんでもない。陛下からはこの上ない安らぎと喜びを与えられています。」
「でも…。」
 女王セラフィンは、寝椅子から立ち上がろうとしたが、ジュリアスは
 彼女のほっそりした脚を両腕でかき抱いてそれを押しとどめた。
「陛下、お願いです。どうかそのままで…。それでも、もし
 お気がすまないというならば、一つだけ願いを聞いてくださいますか?」
 セラフィンはためらったが、まるでスローモーションのようにゆっくりと手をのばし
 ジュリアスのおとがいに手をあてて上を向かせた。
「言ってごらんなさい。」
「では、陛下のことを尊称ではなく、名前で呼ぶ許可を。」
 セラフィンの顔に単なる慈愛の笑みとは違う、えも言われぬにおいやかな優しい笑みが浮かんだ。
「あなたの意のままに…ジュリアス。」
「セラフィン様。ありがとうございます。」
 次の瞬間、ジュリアスの額に暖かくやわらかいものが触れた。
 それが女王の唇だということに気づいたとき、ジュリアスの中の血潮がかっと熱くなった。
 

 時刻はすでに夕刻を回り、女王の私室にも窓から夕闇が春の潮のように流れ込んでくる。
 次第に暗くなっていく部屋の中で、ジュリアスは銀の燭台に火を灯して回った。
 その背に向けて、セラフィンがおもむろに声をかける。
「ジュリアス、今日あなたを呼んだのは実は知らせておきたいことがあったからです。」
「何でしょうか、セラフィン様?」
「水の守護聖スユと、緑の守護聖イェシルが、エストレ星域の中心部に向けて
 サクリアを送っているのを知っていますか?」
 ジュリアスの顔色がさっと変わった。手にした燭台を置いたときの音の大きさは、
 そのまま彼の受けた衝撃の大きさだった。
「造反ですか…!」
「スユもイェシルも、エストレ星域が崩壊していくのをそのまま見守ることに
 耐えられなかったのでしょう。特に、自分に事態を救えるかもしれない力がある場合には。」
 ジュリアスはつとめて冷静さを保ち、衝撃を受け止めようとした。
 水の守護聖スユと緑の守護聖イェシルが、司っているサクリアの影響か
 守護聖の中でもとりわけ繊細で、人の痛みに敏感な性質であることは
 ジュリアスもよく知っていた。彼は、燭台に手をかけたまま
 なんとか自分を落ち着かせようとする。崩壊に瀕した星々は救いと癒しを求め、
 水の守護聖の手にすがろうとスユに強く訴えかけたのだろう。
 生命のあげる悲鳴は、緑の守護聖イェシルを強く揺さぶったのだろう。だが――。
「軽率な――! 今必要なのは、すべてのサクリアを境界域に注いで『防火帯』を
 完成させることです。それがわからない方々ではないのに…!」
 ジュリアスの声には無念さがにじみ出ていた。
「水の守護聖スユと緑の守護聖イェシルのサクリアは既に私が封じました。」
 セラフィンの細いが、凛とした涼しい声音があたりに響く。
 セラフィンは寝椅子から立ち上がると、目をみはるジュリアスに向かって
 ためらうことなく命令を下した。
「女王である私の名において、水の守護聖スユと緑の守護聖イェシルに私邸待機を命じなさい。
 エストレ星系の事態が収束するまで、私自ら水と緑のサクリアを振るいます。」
「御意。」
 ジュリアスは右手を胸に当て、腰をかがめる臣下の礼を取る。
 か弱く、ほっそりとして風にも耐えぬ印象の人でも、セラフィンは、芯は強く
 誇り高い女王。必要なときには果断な措置もとれる彼女を女王と仰ぐことを、
 ジュリアスは幸せだと感じていた。
 

「陛下は思い切ったことをされましたね。」
 地の守護聖トプラキは、ほう、とため息をついた。光の守護聖の執務室では、
 ジュリアスが、水の守護聖スユと緑の守護聖イェシルの自宅軟禁を命じる命令書に
 サインをし終えたところだった。トプラキは肩を落としてジュリアスがサインを
 し終わったばかりの命令書を眺める。
「スユとイェシルのしたことが造反に当たるということは認めますが、
 彼らの処分が軽いことを私は願わずにはいられませんよ。
 宇宙にたった九人しかいない同胞としてはね。」
「寛大なご措置がとられるでしょう――全て終わった後で。」
 ジュリアスは次の書類に目を通しながら、淡々と応えた。
「二人に会いにいかないのですか?」
 書類の上を走っていたジュリアスの視線が止まった。
「…私は、あの方々が可愛がって下さった小さな『ジュール』ではありません。」
 ジュリアスは苦いものでも口にしたかのようにつぶやく。
「私は今後、スユ様やイェシル様の思い出を無心に思い返すことができないでしょう。
 仕方のないことです。」
 地の守護聖トプラキは、悲しげな顔つきになった。
「ジュール。あなたには、仲間の守護聖以外に家族と呼べる存在がないのに。」
「すべては陛下と宇宙のためです。」
 ジュリアスはさびしげに笑った。
「よろしければ夕食をご一緒していただけませんか、トプラキ様。
 自分でもめずらしいことですが、一人で食べる気がしないのです。」
 

「エストレ星域は、ほぼ同時期に誕生した星々が球状に密集した星域でした。」
 ジュリアスは、執務室で夕食を共にしながら、地の守護聖トプラキと
 エストレ星域について意見交換を行った。
「こういった星々の配置は、星域の惑星を均一な文明レベルで揃えることができ、
 育成の点からも惑星の交流の点からも非常に効率的だと考えられていました。」
 幼いジュリアスとクラヴィスの教育係だったトプラキの言葉は、
 25歳のジュリアスの耳にもすんなりと入ってくる。
「ですが、それは星域の恒星がほぼ同時に死期を迎えるということでもあったのですね。」
「ええ、その通りです。」
 地の守護聖トプラキは、手にしたテーブルナイフでエストレ星域の星図表の中心部を指し示した。
「あなたのもたらした情報によって、ようやくこの大崩落の原因を突き止めることができました。
 きっかけは、星域の中心部の恒星密集地帯で死期を迎えた恒星が一斉に爆発したことです。
 この結果生じたサクリアバランスの乱れが津波のようにエストレ星域の広い範囲に押し寄せ、
 星域の他の星々の誘爆を誘い、結果的にサクリアバランスの崩壊が、星域全体に将棋倒しのように
 広がっていきました。」
「つまり、育成方針の過ちがこの大惨事の遠因というわけですね。」
 トプラキは、アーモンド形の目でジュリアスを見返す。彼は用心深くすべての表情を消していた。
「エストレ星域の開発計画が立てられた時点で、ここまで予見できたかどうか、
 私にはわかりません。当時の宇宙は成長期にあり、一つでも多くの惑星を育成することが
 求められていました。」
 ジュリアスはふっと苦笑いすると、手にした自分のテーブルナイフをダーツのように
 星図表に向かって勢いよく投げた。唖然としているトプラキの目の前で、ナイフは星図表の
 中心に当たってからんと音を立てて落ちた。普段のジュリアスならば、絶対しないような真似。
「この件は天災として処理され、私自身、これまでずっと天災だと信じてきました。
 ですが、本当は避けようとすれば避けられるはずの事態だったのですね…。」
 ジュリアスは無念の思いが胸にこみ上げてくるのを押さえきれなかった。自分が
 身を切られる思いで見捨るしかなかった星々は、過去の王立研究院や守護聖が
 気をつけてさえいれば、死なずにすんだかもしれなかったのだ。
「…念のため言っておきますが、このことは他言無用です。」
「タイムパラドックスを避けるには、そうするしかないでしょう。
 この事実は私一つの胸に収め、墓まで持って参ります。」
 怒りに震える拳を押さえつけ、ジュリアスは唇を噛みしめる。
 彼は、ふと自分の心に慰めの手がそっと置かれたのを感じた。
 あの方の手だ…ジュリアスは、心を開いてその感触を受け容れた。
 
 

(続)


 
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