忠誠の指輪2

01.06.03


 輝かしい光のサクリアを全身から放っているその子供は、さっと立ち上がると、
 あたりに厳しい視線を向けた。彼の藍色の瞳にいぶかしむような色が浮かぶ。
「ここは、どこだ?」
「聖地ですよ。」
 子供の警戒を解くために、穏やかにルヴァが答えた。
「聖地か、そうであろうな。だが、しかし…。」
 声は若干幼いが、子供の話し方にはまぎれもない特徴がある。
「私は第255代女王に仕える地の守護聖ルヴァです。あなたは?」
 幼い守護聖は、大きく目を瞠った。
「第255代の女王陛下、だと? では、ここは…。」
 ウェーブのかかった金の髪の守護聖は、さすがに動揺した様子を見せた。
 そして大きく息をつくと、誰もが思いもかけなかったことを口にした。
「では、宇宙はまだあと何代かはもちこたえるのだな。」
 そう言うと、彼はまるで緊張の糸が解けたようにその場に崩れるように座り込んだ。
 クラヴィスの顔に、幼い守護聖のことをいたんでいるかのような表情が浮かぶ。
 それまで黙っていたクラヴィスは、幼い守護聖に近づくと彼の傍らで膝を折って
 声をかけた。
「ああ、宇宙はまだしばらく持ちこたえるぞ…。」
「よかった…本当によかった…。」
 肩口までの金色の髪をした守護聖は、座ったまま小刻みに身を震わせている。
「『ジュール』、私がわかるか?」
 クラヴィスは幼い守護聖の肩にそっと手を置いた。しばらく考えたあと、幼い守護聖は
 あっと声をあげた。
「そなた、まさか…『クーリィ』か!?」
「そうだ。」
「大きくなったな、そなた…。」
 そこへ廊下の向こうから、オスカーとオリヴィエが駆けつけてくる。
「ルヴァ、ジュリアス様が発見されたと――っ!?」
 炎の守護聖と夢の守護聖は、時空の扉の前に座り込んでいる幼い金髪の守護聖を見て
 その場に固まってしまった。
 自制心を取り戻したジュリアスは、さっと立ち上がってきっぱりと述べた。
「ここは第255代の女王の御代だそうだな?
 私は、3代前の第252代の女王につかえる光の守護聖ジュリアスだ。」
「知っていますよ。」
 ルヴァは微笑んだ。
「あなたは、私たちの時代でもやはり守護聖ですから。」
 幼い守護聖――いや、過去のジュリアスは、クラヴィスの方を見る。
 クラヴィスは軽くうなずいて、ルヴァの言葉を肯定した。
 ジュリアスは、大きく息を吸い込むと一気にこう言った。
「すまぬが、一刻も早く私を元の時代へ帰してくれないか?
 今、エストレ星域が大変なことになっているのだ。早く戻ってなんとかしないと
 星域全体が崩壊してしまう――!」
 

 ジュリアスは、緩やかな流れに引き寄せられるようにいずことも知れぬ空間を
 ゆっくりと漂っていた。ウエーブのかかった膝丈を過ぎるほどの長い金髪が
 風にあおられたかのように広がって流れていく。
 やがてひときわ明るく輝く空間が現れ、あれが時空回廊の出口だろうか、と思った瞬間、
 彼は出し抜けに聖地の宮殿、星の間に立っていた。
 突然重力が戻ってきたのを感じてあわてて足を踏みしめ、周囲に視線を走らせると
 そこには呆気にとられている八つの人影があった。
 いずれもジュリアスがよく知っている、懐かしい顔ぶればかりで…。
「クーリィ!? …クラヴィスか? それにリュズギャル様、スユ様、アテシュ様、イェシル様…」
「そう言うお前は何者だ?」
 厳しい誰何の声が飛んだ。
「私は光の守護聖ジュリアス。第255代女王の御代からこの場へ飛ばされてきました。」
「――っ、ジュリアス!? ジュリアスだって!?」
 守護聖たちはジュリアスの周りにどやどやと集まってきた。
「本当にお前があの小さいジュールなのか?」
 守護聖たちは口々にそう言って、ジュリアスの頭や肩、腕などに確かめるように触れてくる。
 彼らはまだ信じられないといった顔つきだったが、放っている光のサクリアから
 ジュリアスをこの時代のジュールと間違いなく同一人物だと認めたようだった。
「どうやら時空回廊の事故で過去に跳ばされたらしいですね。」
 ジュリアスは答えた。こんな形ではあるが、皆様とまた顔を合わせることができて嬉しい。
 そう口にしたジュリアスは、自分でも、懐かしいという感情が一度に押し寄せてきて、
 思いがけず胸が熱くなっていることに気がついた。
「ところで、この時代の私はどこにいるのです?」
「お前が現れる直前、突然この星の間から姿がかき消えたのだ。」
「つまり、私と入れ替わりに私の時代に跳ばされたというわけですか。」
 ジュリアスは、状況を瞬時に把握する。
 ざわつきの収まらない一同を制し、この当時幼いジュリアスに代わって首座の代理を
 務めていた風の守護聖リュズギャルが、口早にこう告げた。
「ジュール…じゃない、ジュリアス。すまんが詳しい話はあとにしてくれないか。
 実は手伝ってほしいことがあるのだ。」
「なんでしょう、リュズギャル様?」
「現在、エストレ星域で連鎖爆発が発生している。これをくい止めるため、
 我々は断続的にサクリアを送り込んでいるのだが、これには光のサクリアも必要なのだ。」
「では、私は『エストレ星域の大崩落』の時点に跳ばされてきたのですか!」
 ジュリアスの声は思わず大きくなった。普段は首座の守護聖として常に冷静さを保っている
 光の守護聖も、幼い頃、自分を保護してくれていた年長の守護聖たちに囲まれて、
 少し気が緩んだらしい。
「手伝ってくれるか?」
「もちろんです。」
 ジュリアスは、リュズギャルからサクリアオペレーションのあらましについて説明を
 受けると、他の八人の守護聖と共に宮殿星の間で一つの円を描いて立った。
 守護聖たちは、リーダーのリュズギャルの合図と共に、円蓋のスクリーンに映される
 複雑な周期表に合わせて、連携してサクリアを送る。
 25歳になったジュリアスは守護聖としての円熟期を迎え、光のサクリアの質でも
 またサクリアを扱う手腕でも、歴代で最高クラスの光の守護聖に成長していた。
 彼が光のサクリアを送り始めると、周囲の守護聖の間から感嘆の声が上がった。
「見事なものだな。」
「事故に巻き込まれたお前には悪いが、この危機にあたって、成人したお前が
 来てくれて本当によかったよ。」
 ジュリアスの心の中に、ふと、この事故は偶然だったのだろうかと疑問が浮かんだ。
 

 この時代の女王に会いに行こう、と主張したのは、意外にも幼いクラヴィスだった。
「ねえ、ジュール。陛下に会いに行こうよ。」
 彼は、後年と同じ紫水晶の、だが、素直そのものの瞳でジュリアスを見上げて彼を誘った。
「だが、持ち場を離れるわけにはいかないだろう、クーリィ?」
 ジュリアスはローブの裾を幼いクラヴィスに引っ張られ、困ったように周囲を見回す。
「いや、陛下にはいずれご説明を申し上げなければならない。早いほうがいいだろう。」
 首座代理のリュズギャルはそう言うと、ジュリアスと幼いクラヴィスを促して宮殿に赴いた。
 

 女王の御座所へ向かう間中、幼いクラヴィスは興味津々のまなざしで、大人の姿になった
 ジュリアスのまわりを軽い足音を立ててぱたぱたと走り回ったり、風の守護聖リュズギャルに
 まとわりついて甘えたりした。成人後のクラヴィスの物憂げな様子を見慣れていたジュリアスは、
 やんちゃとまではいかなくても子供らしく溌剌とした幼いクラヴィスの様子を目にして、
 思わず目を見張った。だが、記憶をたどれば幼い頃のクラヴィスは、確かにこの通りだった。
 クラヴィスがはしゃいでいるのはリュズギャルが一緒だったためかもしれない。
 風の守護聖リュズギャルは、勇気を司る守護聖にふさわしく精悍で男らしい、
 さっぱりした気性の男性で、幼いジュリアスとクラヴィスは彼のことが大好きだった。
 そう言えばリュズギャル様は、いったいいつ退位なさったのだろう?
 ジュリアスは、自分の記憶がそこだけかき消えていることに気づき、何かひっかかる
 ものを感じたが、そのときにはもう謁見の間に到着していた。
 

「ジュール、こっちこっち。」
 幼いクラヴィスは、謁見の間の帳をさっとかき上げてどんどん中へ入っていく。
 唖然としたジュリアスが立ちつくしていると、クラヴィスが帳の間からひょっこり顔を出して
 不思議そうな顔をした。
「どうしたの、ジュール? 僕たち、いつも陛下とはじかにお会いしてるじゃない。」
 そうだった、とジュリアスは思い出した。女王と守護聖は普通、帳で隔てられているが、
 当時まだ子供だったジュリアスとクラヴィスだけは、帳の中に入れてもらって、女王と
 じかに対面していたのだ。
 記憶の中の第252代女王セラフィンは、幼いジュリアスにとって面影もおぼろな
 母のイメージそのものだった。思い出の中の彼女は、常に薔薇色の頬に暖かい春の
 日差しのような微笑みを浮かべ、子供だった彼は、女王の腕に抱かれたり、
 膝に乗ったりして存分に甘えたものだ。
「失礼します。」
 生真面目に挨拶して、帳を掲げて御座所の中に足を踏み入れたジュリアスは思わず息を呑んだ。
 彼は、自分の抱いていた記憶と、目の前にいる女王セラフィンとのイメージのギャップに
 驚愕した。彼は、極上だが強烈な酒に当てられたときのような激しい目眩を感じた。
 10歳のジュリアスが優しく包容力のある慈母のイメージと重ね合わせていた女王セラフィンは、
 だが、25歳の彼の目には、可憐な一人の乙女としか見えなかった。
 このとき、女王セラフィンは二十歳前後だった。
 

 女王セラフィンは、彼の記憶と違わず宵の明星のごとく美しかったが、顔色は青白く
 痛々しいほどほっそりとして、疲れ切ったようにぐったりと椅子に身をもたせかけていた。
 葡萄の房のように豊かな黒い巻き毛が、こぼれて床の上に広がっている。
「ジュール…?」
 か細い、鈴を振るような声でジュリアスに声をかけると、セラフィンは弱々しく
 ほほえんで手を差し伸べた。
「よく来てくれたわね…。」
「陛下。」
 ジュリアスは胸を突かれて、セラフィンの手をとり甲に口づけを落とす。
「こんなにおやつれになって。」
 セラフィンの長い黒いまつげが、隈の出来た頬の上にかぶさる。
「仕方がないことだわ。多くの星々が…悲鳴が耳をふさいでも聞こえてくるの。
 心を痛める以外、何もできないなんて…私は女王として最低ね。」
 セラフィンの長いまつげに真珠のような涙が溜まった。
 幼い頃そうしていたように、ジュリアスはセラフィンの背中にそっと手を回した。
 見ようによってはかなり大胆な振る舞いだが、彼にしてみれば、ただ
 セラフィンを幼い頃から慣れ親しんだ方法で慰めたいと思っただけだった。
 彼のそんな気持ちは、セラフィンにも十分伝わったらしい。
 張り詰めていた心の糸が切れたのか、彼女は真珠のような涙をはらはらとこぼした。
「何もできない無力な女王ならば、いっそ女王交代を早めたほうがいいかもしれない…
 新しい女王ならばこの宇宙を救ってくれるかもしれないわね。」
「おやめ下さい!」
 ジュリアスは、セラフィンの背中に回した腕に力を込めた。
「私たちがついています。陛下がどんなおつらい時でも、私たちがついております。
 私が…当時の私が、いつもそう申し上げていたでしょう?」
 ジュリアスは、必死に訴えた。幼い頃優しいほほえみを向けてくれた大切な人が
 悩みやつれている姿に、彼は自分でも意外なほど動揺していた。記憶の中にある
 穏やかな母なる笑みを取り戻したいという気持ちと、目の前にいる儚げな乙女に
 救いの手を差し伸べたいという保護欲がないまぜになって、ジュリアスは彼には
 めずらしく遠慮や礼儀作法といったことを完全に失念してしまっていた。
「陛下のそんなお言葉は、私にとって何よりもつらい。できることなら
 何でもいたしますから、どうか、ご自分を責めることだけはおやめください。」
 決して意図してやったことではないが、ジュリアスは彼女の耳元でささやいていた。
 セラフィンはつと顔を背ける。
「ありがとう。でも、宇宙は女王の心を映す鏡と言うでしょう…見て、このありさまを。
 私の心は痛みを感じる段階を通り越して、もうすぐ砕け散ってしまう…。
 このまま女王を退位するしかなさそうね。」
「そんなことはさせません。」
 彼女の耳を追いかけてささやくジュリアスの声は真摯で、熱がこもっていた。彼は
 セラフィンの黒い巻き毛をなで、絶望に沈みかけた心を落ち着かせるようにゆっくりと梳く。
「10歳の時の私ならば、あるいは何もできなかったかもしれません。ですが、25歳の私なら――
 この15年の間に私は経験を積み、宇宙とあなたをお助けできるだけの力を蓄えた私ならば
 なんとかできると思います。いえ、できるはずです。
 今こそ、首座として聖地を率いてきた知識と力をすべて陛下のために捧げます。
 必ず、この危機を収束させるとお約束いたします。光の守護聖の名にかけて。」
 

「よく言った、ジュール。」
 風の守護聖リュズギャルの声が、帳の向こうから響いた。
 ジュリアスは、はっとして身を起こし、セラフィンから身体を引き離した。
(おそれ多くも女王陛下に何ということを――!!)
 茫然としているジュリアスの脇を、素早く幼いクラヴィスがすり抜けていく。
 幼いクラヴィスは、ジュリアスに代わってセラフィンに音を立てて飛びついた。
「僕も! 僕もがんばります、陛下!」
 幼いクラヴィスは、セラフィンのやわらかな胸に顔をこすりつけた。
「ありがとう、クーリィ。」
 セラフィンは、優しい表情で幼いクラヴィスの黒髪をなでる。
 我知らず一瞬ねたましさを覚えるジュリアス。
 

 彼が帳を掲げて御座所の外へ出ると、リュズギャルが彼を待っていた。
「ジュール、お前の力を借りたい。お前は、このあとエストレ星域がどうなるかを
 知っているな。お前に、今回の件に関する全権を委ねたい。」
「ですが、リュズギャル様。私はいつまでここにいられるかわかりません。」
「いられる間だけでいい。それに、私はあくまで首座代理だ。
 現時点でも、本当の首座はお前だろう。」
 さらに反論しようとするジュリアスを、リュズギャルは悲しい目で見つめた。
 リュズギャルがこんな目をするところを見たことがなかったジュリアスは、驚いて
 反論をやめた。風の守護聖がこの事件で交代し、幼い自分が気づいたときには
 彼の姿が聖地から消えていたことをジュリアスは突然思い出した。
 勇気を司る風の守護聖は、ジュリアスの両肩に手を置いて頭を垂れる。
「すまん、ジュール。こんなことを押しつけて。だが、我々ではもう手に負えないのだ。
 頼む。エストレ星域を、宇宙を救ってくれ。」
 彼が決して弱音を吐く人物ではないことを、ジュリアスはよく知っていた。
「…顔をお上げ下さい、リュズギャル様。」
 ジュリアスの声は、既に聖地を率いる首座の守護聖のものに変わっていた。
「私は、今も昔も女王陛下に仕える光の守護聖であることに代わりありません。
 この時代に来たからには、我が光のサクリアと、持てる力のすべてを尽くして
 この時代の問題に立ち向かいます。」
「そうか、頼むぞ。…陛下のためにも。」
 リュズギャルは、ジュリアスの手を堅く握った。

(続)


 
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