忠誠の指輪1

01.06.03


 闇の守護聖の私邸の周囲は黒い針葉樹の森に囲まれていて、驚くほど人の気配がしない。
 しんと透き通った静寂な空気を騒がせる者もなく、あたりは孤独と憂愁の色に閉ざされている。
 だが、そこは同時に誰が来ることも拒まぬ、不思議と安らげる場所でもあった。
 屋敷の主が、さまざまな人間が安息を求めて引き寄せられるように己の庭に訪れることに
 気づいているのかいないのか、素振りからはわからない。
 だが、安らぎを司る闇の守護聖が素っ気なく他人をあしらうのも、そういった気遣いを
 負担に思う人間にこそ、安らぎが必要だとわかっているから――かもしれない。
 

 目が覚めると、はや夕刻となっていた。クラヴィスの屋敷の庭のはずれの木陰で
 うたた寝ししていた鋼の守護聖ゼフェルは、肘をついて上半身を起こすと大きくのびをした。
 空はもうあかね色に染まっていて、風が冷たくなってきている。
 ゼフェルは他人に会いたくなくなると、滅多に人の近づかぬこの場所を訪れて
 昼寝を決め込むのを習慣にしていた。
 ゼフェルは、背中を軽くはたいてシャツについた芝を払い落とす。
 そのとき彼は、すぐ近くの芝生の上で何か光ったことに気がついた。
「なんだ、こりゃ?」
 彼は手をのばしてそれを手に取り、驚いて目を瞠った。
「っマジかよ!? これ、ジュリアスの指輪じゃねぇか!」
 ゼフェルの手の中にあったのは、普段はジュリアスの指にある見慣れた指輪。
 天上の色と讃えられる深い藍色のラピスラズリに、神鳥の図案が金で鮮やかに象眼された
 それは、ジュリアスが何代か前の女王に賜った忠誠の指輪と言われるものだった。
 ジュリアスは、この指輪をそれは大切にしていて正装のときはもちろん、守護聖の私的な
 集まりのときにも、必ずこの指輪を身につけている。
「なんで『忠誠の指輪』がこんなところに…。」
 芝生に座り込んでいるゼフェルの後ろに、大きな黒い影が音もなく立った。
「…私に、その指輪を貸せ。」
 不意を突かれたゼフェルは、驚いて声をあげそうになった。
「なんだ、クラヴィスか。おどかすなよ。」
 クラヴィスは黙ったまま、そっと右手を出してゼフェルから指輪を受け取ろうとする。
 ゼフェルはそのまま指輪を手渡そうとしたが、ふと気づいてその手を止めた。
「ジュリアスに渡すだけだ。他意はない…。」
「そうじゃねーよ。この指輪って確か、女王がジュリアスに贈った『忠誠の指輪』だよな?」
「そうだが。」
「おめーだって、そのとき守護聖だったんだろ? なんでおめーは『忠誠の指輪』を
 もらってないんだ? それじゃまるで、えこひいきみてーじゃねぇか。」
 当時まだ子供だった二人の守護聖の一方には指輪を贈り、もう一方には指輪を
 贈らなかった女王の真意がゼフェルにはわからなかった。
「…いや、私も指輪はもらった。」
 ただ、それは『忠誠の指輪』ではなかったがとクラヴィス。
 ゼフェルは口をつぐんでしまったクラヴィスをせっついて、先を話すよううながす。
「あれは、『エストレ星域の大崩落』がどうにか収束したあとのことだった…。」
 クラヴィスは少し考えたあと、おもむろに口を開いた。
 『エストレセイイキノダイホウラク』? ゼフェルは首をひねっていたが、
 やがて思い出したようにぽんと勢いよく手を叩く。
「それって、あの史上最悪っていう星団の連鎖崩壊事件のことか?」
 確か3ヶ月の間に星域の人口の85%、約10億人が死亡したっていう…
 歴史の授業で習ったぜとゼフェルは付け加えた。
「あの当時、私とジュリアスはすでに守護聖だった。」
 クラヴィスは淡々と答えた。同じ守護聖とはいえクラヴィスの守護聖就任と
 ゼフェルの守護聖就任とは数百年、ことによると千年以上の時間的な隔たりがある。
「その当時の記憶は私にもジュリアスにもない…。」
 どうやら記憶が封印されているらしいのだ、とクラヴィス。
「おそらく、子供である私やジュリアスが覚えているには、あまりに悲惨だという
 判断が下されたのだろうな。」
「で、それが指輪とどういう関係があんだよ?」
「星域の崩壊が終息した頃、私とジュリアスは当時の女王セラフィン陛下に呼び出された。
 そのときジュリアスは『ジュール、あなたは、あなたの女王のため全力を尽くして』という
 言葉と共に『忠誠の指輪』を授けられ、私は『クーリィ、あなたはどこまでもジュールを
 支えていって』という言葉と共に『友誼の指輪』を授けられた。」
 だから自分たちの指輪には、エストレの事件に対する女王なりの想いが込められて
 いるのだろう、とクラヴィス。
「『友誼の指輪』? おめーがそんな指輪をはめてんの、見たことねぇな。」
「お前は、私がジュリアスに対する『友誼の指輪』を肌身離さず身につけているところを
 見たいのか…?」
「見たくねーな。」
「私もだ。」
 クラヴィスはフッと皮肉な笑みを浮かべた。
「だが、どうやら持ち主たちとは違って、指輪同士は引き合うらしい。」
 クラヴィスは改めてゼフェルに指輪を渡すよう促した。
 

「それにしても、『ジュール』に『クーリィ』だと。」
 森の中、自分の屋敷へ続く路をたどっていたゼフェルは腕組みをしながら、
 先ほど聞いた筆頭二人の、なんとも違和感のある愛称のことを考えていた。
「とことん似合わねーな。まあその頃10歳だったっつーんなら仕方ねーかもしんねぇけど。」
 今度会ったら、あの堅物のジュリアスに『ジュール』と呼びかけてやろう。
 いったいジュリアスがどんな反応をするか見物だぜ。
 そこまで考えて、ゼフェルは思わずにやにやと笑った。
 

 ゼフェルは自覚していない。
 名前が、呼びかけの魔力を持つことを。
 そして自分が宇宙の運行にすら影響を与える、おそるべき力を秘めた守護聖であることを。
 

 翌日――。
 王立研究院の時空の扉の前で、視察に行くジュリアスは研究員たちと最後の打ち合わせを
 行っていた。今回の視察先は、昨日クラヴィスとゼフェルの会話に出てきた旧エストレ星域に
 隣接するセミラミスという星域で、エストレ星域の大崩落の影響が隣のセミラミスに
 今日まで及んでいないか調べることを目的とした視察だった。エストレの大崩落以降、
 原因不明の時空の歪みがセミラミスに発生しており、その是正のための調査である。
 最終的な詰めを終え、ジュリアスが時空の扉に足を踏み入れた刹那、
 どこからともなく現れたゼフェルが、ジュリアスに陽気に声をかけた。
「よう、『ジュール』!」
 反射的に振り返ったジュリアスは、驚いて目を瞠った。彼はその姿を最後に――。
 そのままかき消すように時空の扉の中で消えてしまった。
 まったく何の痕跡も残さず、煙のように。
 

 王立研究院は大恐慌に陥った。真っ先に駆けつけたオスカーや、続いて現れたオリヴィエの
 指揮の下、王立研究院はその全力をあげて行方不明の光の守護聖の捜索にあたった。
 緊急用まで含めたすべての回廊が一度に開かれ、莫大なエネルギーが時空回廊に断続的に
 注ぎ込まれる。非常召集された職員が総出でジュリアスの痕跡を探っているので、研究院の中は
 ごった返しているが、あたりの空気が張り詰めているので、むしろ静かに感じられるほどだった。
 ルヴァはショック状態のゼフェルをひとまず連れ出してリュミエールにあずけると、
 多数の時空回廊を同時に開く際に必要な専門的な指示を出しに、研究院にとって返した。
 

「あー、クラヴィス、あなたも来ていたんですねー。」
「ああ…。」
 研究院の中央管制室の隅でぽつねんと立っている黒い姿を見かけたルヴァは、急いで
 クラヴィスに近寄ると、低い声で訊ねた。
「ジュリアスの気配を感じますか?」
「…分からぬ。」
 クラヴィスは、そう言ったまま目を伏せた。
「分からぬ、といいますと?」
「『ジュリアス』は、この時空からいなくなってしまった…。」
 クラヴィスは、まるで肉体的な痛みでも走るかのように胸を押さえていた。
 そのとき、管制パネルの前でどっと歓声があがった。
「光のサクリアの反応を捉えたぞ!」
 研究員たちがどやどやとパネルの前に集まってくる。
「あんな座標に飛ばされることは、理論上あり得ないのだが…。」
「だが、光のサクリアの反応であることは確かだ。」
 興奮して声高に話し合う研究員たち。
 ルヴァはクラヴィスから離れると、急いで研究員たちの間に割って入った。
「話はあとです。急いで、該当座標に照準を合わせて時空の扉を開きなさい。
 現在一番近い回廊は…ζ-75ですね。」
 さすがは地の守護聖、こういった指示は的確である。
「時空回廊ζ-75準備完了。」
 ルヴァはクラヴィスを促して、急いで該当する時空の扉の前に移動する。
「了解、回廊開け。」
 瞬間、激しいエネルギーの奔流とともに光のサクリアとその主が、投げ出されるように
 王立研究院の中に姿を現した。
 王立研究院の堅く冷たい床の上にうつ伏せに倒れているのは。
 まぶしい陽光のような黄金の髪、白い守護聖の正装の上に、金糸の縫い取りのある
 濃藍の神鳥のケープを上から羽織った――10歳前後の子供だった。
 子供は、はっと気づいたようにあたりを見回すと、警戒するような視線をあたりに投げかけた。
 ルヴァは、隣にいるクラヴィスが、驚愕の余り口を押さえていることに気が付いた。
 彼は、驚きのあまり思わず口に出して一つの名前を叫んでいた。

 『ジュール』と。
 
 

(続)


 
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