忠誠の指輪4

01.06.03


「ここにいたのか。」
 ジュリアスと地の守護聖トプラキが執務室で沈鬱な晩餐をとっているところへ、
 風の守護聖リュズギャルがひょっこりと顔を出した。
「リュズギャル、ようこそ。あなたは、食事はまだですか?」
 トプラキはほっとしたような顔になって、リュズギャルに席をすすめる。
 風の守護聖と地の守護聖は、光と闇、炎と水のように対となる守護聖同士の中でも仲が良く、
 首座の代理を務めるリュズギャルを、博識なトプラキが補佐している。
 リュズギャルは、ジュリアスに向かって軽く手をあげると、椅子を引いて
 すぐにトプラキと話を始めた。
「なあ、トプラキ。せかしてすまんと思うが、頼んでおいた件、結論は出たか?」
「すみませんね、リュズギャル。ですが、エストレ星域を最終的に安定させる方法となると…」
 知識と知恵を司る地の守護聖は腕組みをして考え込む。
 ジュリアスは、テーブルナイフで傷のついたエストレ星域の星図を、額を寄せ合って
 話し込んでいるリュズギャルとトプラキの前に差し出した。
 リュズギャルとトプラキは目線でジュリアスに礼を述べると、そのまま話を続ける。
 風の守護聖と地の守護聖は額をつき合わせながら、指でエストレ星域の星々の位置をたどり
 考えられる方法をひとつひとつ検討していった。
 ほぼ同時期に守護聖となり、長年苦楽を共にして、ぴったりと呼吸の合ったこの二人は、
 さながらお互いが自分の背中であるように、揺るぎない信頼関係を築き上げていた。
 その様子を見たジュリアスは、己に引き比べ彼らをうらやましく思う。
「ジュールの提案してくれた措置は適切だったが、当面の応急措置に過ぎない。
 最終的にこの事態を収束させる、なんらかの方法が必要となるはずだ。」
「ええ、地の守護聖として必ずなんらかの方策を見つけだします。」
 リュズギャルと、トプラキの目が合う。
「ですが、あとしばらく時間をいただけますか?」
「お前のことだ、必ず最善の方法を考え出してくれるさ。俺はそう信じている。」
 リュズギャルはトプラキに片目をつぶり、親指を立てて見せた。
 椅子の背にもたれ、くつろいだ格好になったリュズギャルは、今度はジュリアスにも話を振ってきた。
「今の件、お前はどう考える、ジュール?」
「そうですね。理論的には星域の中心部で一度に全種類のサクリアを大量に放出すれば、
 強制的にサクリアバランスを回復することができるかもしれません。ですが、残念ながら
 その手段が見あたらないのです。」
「そうか。」
 リュズギャルは顔を曇らせた。
「まあまあ、リュズギャル。せっかくだからあなたもここで夕食をいただきませんか。
 ゆとりがない時期ですから、せめて食事ぐらいおいしくいただきませんとね。」
 トプラキが、風の守護聖を気遣って話を遮る。ジュリアスは、うなずいて
 リュズギャルの分の食事を頼むため呼び鈴を鳴らした。
 

 時空移動は、任意の時空に人や物を転移させる女王のお力の一つである。
 だから女王のお力さえ借りれば、今すぐでなくても目的の時点へはちゃんと戻れるはずだ
 ――ルヴァにそう説明された幼いジュリアスは、光の守護聖の執務室でおとなしく
 使いが来るのを待っていた。
 ジュリアスは、未来の自分が使っていた執務室を興味深げに見回した。
「落ち着きませんか?」
「いや、そんなことはない。この部屋は、現在私が使っている部屋とほとんど変わっていない。
 ただ、机や椅子が大人用のサイズになったというだけだ。」
 そう言って、幼いジュリアスは笑顔を見せた。
(こんなに小さくても、不安だとは決しておっしゃらないのだな、この方は。)
 オスカーは複雑な気持ちで、幼いジュリアスを見守った。
 相性というのはあるもので、現在いる八人の守護聖のうち、幼いジュリアスが
 まっさきにうち解けたのが、25歳の彼と最も近しい炎の守護聖オスカーだった。
 そこで、本来こういった場合にはジュリアスの代理で陣頭指揮を執るはずの
 オスカーが、さきほどから小さなジュリアスに付き添い、代わって、オリヴィエが
 聖地の指揮を執っている。
 

 ジュリアスはしばらく自分の本棚を眺めていたが、やがて首を振ると
 オスカーを振り返った。
「ここには、エストレ星域の資料はないようだな。
 すまぬが、私のもとへエストレの資料を届けさせてくれぬか?」
「それは、できません。」
 オスカーの返事は素早かった。実際のところ、幼いジュリアスがこう言い出すことを
 オスカーはある程度予期していた。ジュリアスの眉がすっと寄せられる。
「なぜだ? 私は、どのようにエストレ星域の事態を収束させたのか知りたいのだ。」
「あなたが未来の知識をもって過去に戻られると、時空の歪みが生じます。」
 とりつく島を与えないよう、オスカーの説明はことさら簡単明瞭だった。
「事態が事態なのだ。多少のことには目をつぶるしかあるまい。」
「いいえ、それはできません。たとえあなたの頼みでも聞き入れることはできません。」
「……!」
 ジュリアスは、きりきりという音が聞こえてきそうなほど眉根を引き絞った。
 幼いながらも光の守護聖の怒りには、大の大人をひるませるだけの気迫がある。
 だが、対するオスカーも、断固たる姿勢を崩さない。
 守護聖対守護聖の意見の衝突である以上、相手が子供だからといって
 手加減したりしないのがオスカーなりの筋の通し方だった。
 ジュリアスは、黙ったまま衣の裾を翻してつと部屋を出ていこうとした。
「どこへ行こうとなさるのです?」
「王立図書館だ。自分で資料を探す。」
「駄目です。」
 オスカーは、幼いジュリアスの肩をつかんだ。
「はなせ!」
「離しません!」
 幼いジュリアスは力の限りもがいたが、オスカーが相手では力の差がありすぎた。
 いくらあがいてもびくともしないオスカーに押さえつけられて、幼いジュリアスの目に
 うっすらと涙が浮かんだ。
 

 そこへ、ドアをノックする音がした。
「おや、めずらしいねェ。あんたとジュリアスが口論するなんてさ。」
 たとえそれが、子供のジュリアスでもね。そう言って
 光の守護聖の執務室のドアを開けて入ってきたのは、夢の守護聖オリヴィエだった。
「いったい何があったのさ? 廊下まで声が聞こえたよ。」
 オスカーは、手短に状況を説明した。
 一方の小さなジュリアスはきつく唇を引き結んで答えない。
「ふふ、あんたは小さい頃から情の強い子だったんだねェ。」
 くすっと笑うオリヴィエ。オスカーは憮然としたまま腕組みをしている。
「もしここにジュリアス様がおいでだったら、俺の意見を支持されたはずだ。」
「うん、たぶんそうだろうね。今のジュリアスなら、首座としてそう判断するだろう。」
 オリヴィエは、オスカーを面白そうに眺めた。
「だけど、今ここにいるのは15年も前のジュリアスじゃないか。
 同じように考えろと言っても無理さ。」
「…オスカーの言っていることが、正しいことはわかっている。」
 幼いジュリアスは視線を足下に落とすと、ぽつりと呟いた。
「だが、星々が崩壊していくのをなす術もなく見続けるのは、たえられなかった。」
 炎の守護聖と夢の守護聖は、一瞬幼いジュリアスが泣くか、と思ったが、
 顔をあげたジュリアスは普段の口調に戻ってこう訊ねた。
「ならば私が見ても差し支えなさそうな資料を選んで用意させてくれないか。
 今後の参考に目を通しておきたい。」
 オスカーとオリヴィエは顔を見合わせた。
 

 資料が届くと、ジュリアスは、これから資料に目を通したいからと言って
 オスカーとオリヴィエに執務室から出ていくように申し渡した。
「あの子は泣きも笑いもしないんだね。それに似た表情は作ってみせるけど。」
 光の守護聖の執務室から出てきたオリヴィエは、手強い子だねェとため息をついた。
「どうやら俺は小さい頃のあの方のご不興を買ったらしいな。」
 オスカーの顔に苦い笑みが浮かんだ。
「ちょこっと見せるぐらいよかったんじゃないの? あの子きっと感謝したよ。」
「馬鹿言うな。」
 炎の守護聖は、オリヴィエの戯言を一言のもとに切って捨てる。
 オリヴィエが本気で言っているのではないことはお互いよく承知の上での、
 レクリエーションめいた応酬。
「そんなことをしたら、現在のジュリアス様が戻ってこられたとき申し訳が立たないぜ。
 あの方がお戻りになるまで留守を預かる身としては、な。」
「そうだね。あんたもさっき言った通り、今のジュリアスなら、間違いなく
 『お前の判断は正しい』と言うだろうしさ。」
「そう思うか? ならば何も問題ない。」
 廊下のドーム状の高い天井に、ブーツの立てる硬質な音が反響する。
「あの方ならばこう判断されるだろうと、考えられる通り行動しておけば間違いはない。」
 そこまで言う? と片眉をあげて足を止めかけたオリヴィエの横を、
 オスカーは濃藍のマントを翻していく。
「あの方ならば、どう考えるだろう? 心の内に迷いがあるとき、
 それは俺の進むべき道を照らしてくれる光となるんだ。」
 オスカーがあまりに真剣だったので、夢の守護聖は茶化すこともできず肩をすくめた。
「オスカー、間違えないでよ。私たちの忠誠の対象は女王であって首座ではないんだからね。」
「いや、それは違うぜ。」
 なに? と言いかけたオリヴィエの目の前でオスカーの表情は見事に切り替わり
 気が付けばいつもの彼の不敵な笑顔が浮かんでいた。
「俺の忠誠の対象は、すべての女性たち、さ。」
「…あんたね。」
 その鮮やかすぎる変わり身はどうよ、といつもながら感心する夢の守護聖であった。
 

 結局、その日は女王からの沙汰はなく、ジュリアスはその晩はひとまず
 自分の(正確には25歳になった自分の)私邸で休むことになった。
 幼いジュリアスの世話係は、大方の予想に反してゼフェルの役目となった。
「ゼフェル。もしもあなたがジュリアスに対して悪いことをしたと思っているなら、
 今、ここにいる小さなジュリアスの面倒をよくみてあげてくださいね。」
 光の守護聖の執務室で、ルヴァがゼフェルに申し渡す。
 その途端、廊下で中の様子をうかがっていた風の守護聖と緑の守護聖が勢いよく
 ドアを開けて執務室に飛び込んでくると、彼の左右から割り込んで口々にこう言った。
「ルヴァ様、俺にも、小さなジュリアス様のお世話をさせてください!」
「ぼくも! 一生懸命がんばりますから。いいでしょう、ルヴァ様?」
「なっ…別におめーらの手なんか借りなくても…」
 ゼフェルはそう言いかけたが、地の守護聖はとりあわずにっこり笑ってうなずく。
「うんうん、それがいいでしょうねー。じゃあ、あなたたち三人にジュリアスの世話は
 任せましたよー。」
 緊張して堅くなっている小さなジュリアスの手を引いて、年少の守護聖たちは
 光の守護聖の執務室からわいわいとにぎやかに出ていった。
 

 空が茜色にそまり始めるころ、宮殿に務める者はそれぞれの職務を終えて、
 三々五々退出していく。守護聖もそれは同じだが、彼らには職員とは別の
 専用の玄関があって、私邸との往復に使っている馬車が玄関前の車寄せに待機している。
 闇の守護聖クラヴィスも、ちょうど自分の私邸へ戻るために車寄せまで出てきたところだった。
「あれは…?」
 宮殿の車寄せで、三人に連れられて黙って出ていく幼いジュリアスを目にした
 クラヴィスは、あからさまに眉をひそめた。
「どうなさいました、クラヴィス様?」
 傍らにいた水の守護聖リュミエールが、おっとりと問いかける。
「あれを、年少の守護聖たちの手に委ねたのか…。」
 あれ、というのは、クラヴィスがジュリアスを指すときの三人称である。
「おそらくルヴァ様のお考えでしょう。」
 今晩は三人でジュリアス様の私邸に泊まり込むのだそうですよ、とリュミエール。
「ゼフェルに相応の罰を与えると同時に罪滅ぼしをすることで、
 心の負担を軽くしてやろうと思われたのでしょうね。」
 笑顔の水の守護聖と対照的に、クラヴィスは不機嫌そうに黙り込む。
 ほとんど感情を表に出さない彼の顔に、珍しく不服の色が浮かんでいる。
 そんな闇の守護聖の様子をいぶかしく思ったリュミエールは、クラヴィスに訊ねた。
「どうなさいました、クラヴィス様?」
「仕方あるまい。ルヴァは知らぬのだ…。」
「どういうことでしょうか?」
 リュミエールの再度の問いかけに、クラヴィスはため息で答えた。
「昔から、あれは決まったことに『いやだ』とは言えぬ性質だ。」
 クラヴィスは鬱陶しそうに黒髪をかき上げる。
「…あれは、人見知りが激しい。
 知らない人間に三人も囲まれて一晩過ごすなど、あれには拷問だろうな…。」
 緊張のあまり、あれが夜中に吐くようなことがあっても私は知らぬぞ…。
 それだけ言うと、クラヴィスは大理石の円柱の柱頭の方へ目をやり、そのまま
 貝のように口を閉ざした。
 いったんそうと耳にした以上、黙って見過ごすことができないのが水の守護聖の気質である。
 考えがまとまるとリュミエールは早速口を開いた。
「クラヴィス様。どうか今晩はジュリアス様の私邸にお行きになってください。」
「私が…か?」
 あれとはもう何年も不仲なのだが。そう言って渋るクラヴィスを、リュミエールは
 ものやわらかくたしなめた。
「ですが、ここにおいでの幼いジュリアス様には、そんなこと関係がございません。」
 クラヴィスはさらに深いため息をつくと、水の守護聖にうながされるまま
 闇の守護聖付きの馬車に乗り込んだ。
 リュミエールはそれを見届けると、にっこり笑って、クラヴィスの馬車の御者に頼んだ。
「光の守護聖ジュリアス様の私邸まで、クラヴィス様をお送りくださいますよう
 よろしくお願いいたします。」
 

 小半時後。光の守護聖の食堂ホールで、風、鋼、緑の守護聖と幼いジュリアス、
 そして闇の守護聖クラヴィスは晩餐のテーブルについていた。
 ジュリアスは明るい笑顔を浮かべ、三人の守護聖の質問にはきはきと答えている。
 だが、彼は出された皿にはまったく手をつけていなかった。
 ときどき誰にも気づかれないようにそっとため息をつくジュリアス。
 子供の頃のジュリアスは内気な性質で、知らない人間と同席することは、彼にとって本当は
 かなりの苦痛だった。実は成人してもそれは変わらず、ただそれを他人に隠し通すことが
 できるようになったに過ぎない。
 小さなジュリアスは、さきほどからしきりと前髪を振り払っている。気が張っているとき
 この仕草が増えるのは、本人も気づいていない彼の幼い頃からの癖だった。
(お前は昔からまったく変わらぬな。)
 クラヴィスの口元に、苦笑めいた笑みが浮かぶ。
「おい、おめーさっきからなんも食べてねぇな?」
 ジュリアスの手がフォークとナイフを握ったまま止まっていることに気づいた
 ゼフェルが、眉をひそめる。
「あれ? ほんとだ。どうしたの?」
「具合でも悪いのかい?」
 緑の守護聖と風の守護聖も、心配そうに訊ねる。彼らが善意で言っていることが
 わかるだけに、まさか『あなたがたがいるから食べられない』と言うこともできず
 幼いジュリアスは困ったような笑みを浮かべるばかりだった。
「…別に、食べる気がおこらぬときもあるだろう。」
 見かねたクラヴィスは助け船を出した。
「厨房で果物をもらって、自分の部屋で食べたらどうだ?
 その間に、私たちはここで食事を終える…。」
 ジュリアスは彼に感謝の眼差しを向けてこくりとうなずくと、大人用の椅子から
 すべり降りるように床に降り、食堂ホールから出ていった。
 
 

(続)


 
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