しんげき   ぶたい       つくよみ
神撃部隊 月読

 

第弐夜

「Satisfaction」


実に寒い夜だった。

厚く垂れ込めた暗雲は街を押しつぶすがごとく
まるで、
そう、まるで誰一人としてその顎から逃すまいとする
野獣の顔つきで。

月に罪はない。
その夜の出来事を、彼女は見ることが出来なかったのだから。
遥かな高みで、
野獣の背中を照らす事以外、
彼女には許されなかったのだから。

例え、

ひとに

みちに

せかいに

ひかりを投げかけることが出来なかったにしても、

月に罪は、

ない。


 「カイ・・・カイ、起きて。起きなさい。」

目を覚ませば、いつもと同じ朝。妹を起こして、一緒に顔を洗って、
歯ブラシのことでちょっと、喧嘩・・・・・

 「・・・お願いだから、早く起きて、カイ!」

切迫した母の声。
今まで経験したことのない乱暴な揺り動かし方にどこか違和感を覚え、少女はまぶたを開く。
真っ暗。
それでも猫科に近い彼女の直感は、いまが、なにかとてつもなく危険な状況であるという
漠然とした事実を、匂いで感じ取った。

間近に母の気配。
閉め切られたカーテン越しに、時折閃光が走る。
少し遅れて、花火に似た、音。
ニ度目の音で、少女は完全に覚醒した。

 「・・・かあ・・さま?」

闇に目が慣れてゆくにつれ、母の輪郭がはっきりと浮かび上がる。
だが、それは普段見なれた、優しさを具現化したようなシルエットとは違い、
まるで肉食獣からわが子を守る為に身構える、優美、しかし悲愴な牝鹿に似て・・・。

 「カイ。いいこと?ミカドを連れて、東の公園まで行くのよ。」

 「いったい、なにがあったの?あの音・・・爆発だわ・・・父様は?・・・母様も
    一緒に行くのよね?」

答えはない。

ふいに、カイの右頬が温もった。
母の、掌。
暖かい、愛に満ちた、掌。
なのに。
そこにはいつもの柔らかさが、ない。
緊張し、強ばっている。
だからといって、カイに伝わる想いがいささかも陰ることはなかったが。

カイの小さな手に、なにか冷たく重い物が押し付けられる。
右頬と両手のあまりのギャップに、少女はとまどうしかない。

 「・・・これ・・は・・・」

 「使い方は解っているわね。あなたは父様とよくプリンキングしていたから。」

薄やみの中時折閃く光を、それは冷徹に反射する。
父のお気に入りの拳銃。
何度もせがんで、つい三日前、ようやく撃たせてもらえた。
無意識の内にチェンバー内とマガジンを確認し、ハンマーフルコックのままサムセフティ
を掛ける。銃口は母には向けないように。
父がなぜ、彼女に銃の扱いを教えたのかはわからない。
すくなくとも、その一点においてのみ、温和な母の眉間にしわがよったことだけは事実だった。  

 「母様・・・わからない・・・わからないわ・・・」

母は背中を向け、隣のベッドでまだ眼をこすっている幼い妹の身支度を整えていた。

 「マム・・・のどが、かわいたの。」

ミカドのむずがる声に、カイは苛立ちをおぼえた。放り投げられた、不安感。

 「母様!!」

 「カイ、こちらへいらっしゃい。」

少し拗ねた顔で、いざなわれるまま母に近付く。背中にまわした右手の重みが不快だ。

ふわり

日溜まりの匂いが、少女と、幼い妹を包み込む。

 「カイ、ミカド・・・愛しているわ・・・これからも、ずっと・・・。」

 「マム・・・泣いてるの?ダダが、おこったの?ねえ、泣かないで。」

 「カイ・・・ミカドを、守ってあげてね・・・きっとしあわせになるわ
    ・・・二人とも。」

ひどく性急なキス。頬を濡らしたのは母の涙なのか、それとも。

パパン!

一階の玄関あたりで乾いた破裂音が響いた。
母の身体が一瞬硬直する。二人の手を引いて、窓をそっと開きバルコニーの手すりを指差した。

 「あそこから、逃げるの。さぁ、行って。そして、生きなさい!!」

 「やだよ、こわい。できないよ、マム。」

 「母様も・・・ねぇ、母様も!!」

複数の乱雑な足音が階段を登ってくる。

 「わかったわね。東の公園よ。」

二人はベランダに突き飛ばされた。
窓が、次いでカーテンが、閉ざされる。
まるでそれを見計らったように、寝室のドアが破られ、下卑た叫び声。

 「ビィイイイイッチ!!」

雷音が銃声を隠した。
口を拳で塞ぐ。
ミカドはなにがおこったのかわからないまま、姉の腕をぎゅっと握りしめていた。

声が、出ない。

息が、出来ない。

のど笛だけが、風にまぎれて、鳴る。

窓の向こうに、人の気配は、なかった。

母は、中にいるはずなのに。

よろよろと近付いてゆく。

ここを開けば、母様が優しく微笑んでくれる。

いままでも。そして、これからも。

取っ手に指を掛けた、刹那。


 "ミカドを、守ってあげてね"


おこりが憑いたように震えが走った。
左腕にミカドの感触。
なにも理解できず、怯え、おののき、
いまはカイだけを頼りにする幼い瞳が、見つめていた。

 「おねえちゃぁん・・・さむいよぉ・・・。」

 「・・くっ・・・」

冷えきった、ちいさなからだを抱き締めて、唇を噛み、空を見上げる。
今はまだ、泣けない。
行かなくちゃ。
生きなくちゃ。
わたしも、ミカドも。
母様と、約束したから。
父様に、会う迄は。
きっと、
 「いいこだ、がんばったね。」って、
誉めてくれる。
それまでは、泣けない。
決意。

それから、どうやって二階のバルコニーから降りたのか記憶にない。
おそらく、ミカドを背負って縄梯子を伝ったのだと思う。 

 「ひがしの、こうえん・・・ひがしの、こうえん・・・」

まるで呪文の様にくり返しながら、針葉樹の森を進んでいた。
裸足が枯れ枝を踏み折る。
妹の重みも、泥と傷にまみれた素足の痛みも感じられない。
ただ、右手に握りしめた銃の感触だけは覚えている。
 
森を抜け、資源製錬プラントに足を踏み入れた時、カイの双眸に飛び込んできた景色は、
かつての整然として清潔な工場群では、なかった。

無惨に破壊された資源タンク。

そこここに広がる火の手。

たちこめる、煙。

天然資源だったことが唯一の救いだ。さもなくば、有毒ガスに巻かれて二人とも
無事では済まなかったろう。

 「・・・なに?」

カイはしばらく立ちすくんだまま動けなかった。

 「なんなの、いったいなんなのよぉ!!」

ひとの、気配。カイは我に帰り、身を竦ませた。
猫科の集中力で、知覚の糸を走査する。
声をかけようとして、寸前、飲み込んだ。
もしも、敵だったら。

敵?

あまりにも自然に脳裏に浮かんだ単語。
それに慄然とする間もなく、疲れきって再び寝入ってしまったミカドを背負ったまま
手近の、破壊されたプラントに身を滑らせた。
あらゆるシステムが蹂躙され、オレンジのハザードランプのみが空しく回転する通路を
カイは、隠れる場所を探して奔走した。
サイレンの音が反響し、方向感覚を混乱させる。
右手と、背中の重みが、彼女を駆り立たせた。

はっ、はっ、はっ、はっ・・・・

自分の呼吸音なのに、まるで誰かが追い縋っているかのような錯覚に陥ってしまう。

複雑にパイプが入り組んだ資源槽にせまい空間を見つけ、背負った妹をかばいながら
身体を押し込んだ。
息を殺す。
右手の銃をダブルハンドでホールドし直した。
サムセフティに親指を乗せる。
震えが、止まらない。

バシュゥウワァァアア

パイプの亀裂から、突然蒸気が吹き出す。
視界が霧に包まれた。

その向こうで、なにかが、ゆらり、と動いた。
朧げなシルエットをオレンジの光が照らしては、消え・・・。
得体のしれない、人間のカリカチュアが、ゆっくりと近付いてくる。
けたたましく鳴り響くサイレンと、蒸気の吹き出す音をBGMにして。
それは、まさに悪夢。

 「・・・やくそくしたんだから・・・」

両腕を、近付く影に向かって伸ばす。

 「母様と、約束したんだから・・・」

かちり

セフティを外す。

 「ミカドを守るって!やくそくしたんだからぁああああっ!!」

ぱんっ

スローモーションのように、9ミリパラべラムの弾丸が銃口から発射され、
スライドがブロウバック。
ながい、ながい、一瞬。

チィイイイイン

世にも澄み切った音。
薬莢が床に落ちた金属片とぶつかったのだ。
粘り着いていた時間が、それを合図に流れはじめる。

霧をかき分けて、影がぐらり、とカイへ倒れ込む。

 「ひ・・・っ」

だが、相手は膝はついたものの倒れず、
鳩尾の部分を押さえながら、静かに、顔をあげた。


いったい、なんの冗談だろう。

うそ。

夢じゃないなら、馬鹿馬鹿しいうそに決まっている。

だって。

目の前にいるのは、

わたしが撃った「敵」は、

せかいでいちばんつよくて、
せかいでいちばんやさしくて、
せかいでいちばんだいすきな、

父様の顔をしているんだもの。

かち
かちかち
かちかちかちかちかちかち

歯と歯が、小刻みに、ぶつかる。

気を失うことすら、出来ない。

両手の中の忌わしい重みは、まるで、肌に張り付いてしまったかのようで。

 「・・・あ・・・ああ・・・あああああああ・・・・・」

父様、と、
言ったつもりだった。

涙が、堰を切って、溢れ出す。

こんなことのために
こんなときのために
泣きたいのを、我慢してたわけじゃ、ないのに。

ふいに、右頬が温もった。

涙と、妙にぬるついた感触を除けば、いつもの逞しい父の掌。

 「・・・カイ・・・よく、ミカドを守ってくれた・・・
 頑張ったね、いいこだ・・・もう、なにも心配ないよ・・・。」

なんてやさしい、声。
なんてやさしい、微笑み。
まるで、なにごともなかったかのように。

そう、
そうよね。
父様は強いんだもの。
きっと、わたしの弾なんてよけたに決まってる。

じゃあ、なぜ?
おなかが、
掌が、血まみれなのは、なぜ?
掌が、どんどん冷たくなってゆくのは、なぜなの?

 「ジェネラル・アンクレット・・・ああ、なんてことだ!!」

父の部下らしい、数名の軍人が駆け寄る。

 「騒ぐな、大事ない!!・・・私はここで支援する。娘達を・・・たのむ。」

沈痛な面持ちで、一人がカイ達を連れ出そうとした。

 「いやぁ・・・父様、父様、父様・・・ミカドを、守ろうとして、わたし・・・
 母様とやくそく、やくそくしたから・・・
 ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい・・・
 いっしょに、いっしょにいるぅっ!!」

父に絡めた腕は、しかし、父によってふりほどかれた。

 「・・・カイ・・・ミカド・・・お前達をあいしているよ・・・だれよりも・・・。」

引き離されてゆく。

 「い・・や・・いやだ、いやだぁぁぁっ!!」

だが、父は壁を背にしたまま動かず、
ただ日溜まりのような笑顔を、
カイに向けるばかりなのだ。

あのときと、同じ顔。
みんなで行った遊園地。
ピエロがくれた、赤と白の二つの風船。
ミカドにわたそうとして、風にさらわれた・・・。

父様が、ばいばいって・・・・。

まるで、今みたいに、微笑みながら、ばいばいって、手を振って・・・。

 「あああ、いゃあああ・・・・父様、とおさまぁあああっ!!」

父の唇が、動く。

 「・・・きっと・・・しあわせに・・・・。」

糸が、切れる。
さらわれてしまう。
てのとどかないところへ、いってしまう。


 「ああああああああああああっ!!」


 「・・・あああっ!!」

自分の絶叫にカイ・アンクレットはベッドから飛び起きた。
荒い、息。
粘り着くような、汗。
割れ鐘のように高鳴る、鼓動。

ふと、目の下に指をやる。汗だ。涙ではない。
まぶたを閉じ、深く溜息をつく。

 「・・・うぷ・・・」

脱兎のごとく、洗面台に走り、吐いた。
昨夜の食事の何もかもが出尽くしたあとも、胃液すら出なくなっても、
彼女はしばらく吐き続けた。

何度となくくり返され、もう慣れっこになってしまったセレモニー。

唇を拭う。鏡にはつとめて目をあわせない。
汗に濡れたブラウンのショートヘアーを掻きむしりながら、シャワールームへと
向かう。
白のタンクトップと飾り気のないショーツのままでコックをひねった。
迸る冷たい水。
刺すような刺激が全身を舐めてゆく。
タンクトップが素肌に張り付き、ゆるやかなカーブを露にした。
小振りな胸の突端がかたさを増すのがわかる。

いっそ、弾けてしまえば、いい。

猫を思わせるきつい美貌は、いまはもう無表情を取り繕っていた。
誰が見ているわけでもないのに。
まるで、全ての感情を拒絶するかの様に。
否。
感情があることを、
自分にすら知られることを、
恐れているかの様に。


強化ポリカーボネイトのシューティンググラス越しに、伝統的な
ブルズアイ・ターゲットがあらわれる。
モードを「固定」から「移動」へ。
速度はランダムにセット。
動かない的の中央を何度ヒットしたところで意味は、ない。
ダブルハンドでホールド。トリガーガードの前方に左手の人さし指を掛けた。
何の前触れもなく、速度を変えつつ、右から左へと的が移動する。

ぱぱん、ぱんっ

3点射。9ミリの弾丸が、確実にターゲットを撃ち抜いてゆく。

 「すげーや。」

イヤーマフをしていても良く通る声に、カイは振り向いた。
一体、いつからそこに居たのだろう。
黒い短髪。日焼けした肌に、真っ白な歯が輝いている。
服装は、カーキのチノパンと紺のトレーナー。
その上に、ブラウンのレザージャケットを無造作に羽織り、
足下にいたっては白いキャンバスのスニーカーといういでたち。
そのどれもが、洗いざらされ、また、よく着込まれた物ではあったが、
不思議と不潔感はなかった。
いずれにせよ、軍舎のシューティングレンジにはおよそ似つかわしくない青年だ。
カイは無表情に一瞥をくれ、第ニ的に備える。

ぱぱん ぱぱん ぱぱんっ

 「ち」

舌打ち。ホールドオープンしたスライドを凝視する。本来なら、チェンバーに弾丸
を一発残しておかなければならないのに。
なぜだ?調子が狂う。

 「うはー。御見事。全弾命中!!」

カイの苛立ちなどお構い無しで、無邪気な感嘆が起こる。
マガジンチェンジして、第一弾を装填。
再び弾倉に一発補填したあと、グリップに挿入する。
ターゲットのスイッチを切り、イヤーマフを外しながら、カイは青年に言った。

 「ここは一般の方立ち入り禁止ですよ。プレスか何かの関係?」

 「スィグ210かぁ。実物を見たの、これで2度目だよ。芸術品だね。」

 「骨董品、です。」

なんで、わたしは答えているのだろう。

 「でもね、最後の一発が必ず左にティルトしてる。ほんのすこぉし、だけど。」

思わず、青年を睨み付ける。噛み合わない会話、だからではない。
図星だったからだ。
教官でさえ見のがす彼女のクセを、この青年はたった2ステージで見切ったというのか。

 「トリガーガードに指を掛けるより、完全にホールドしたほうがいい、と思うな。」

既視感。

 "いやぁよ。父様と同じ撃ち方が、いいの!!"

 "カイには、無理だよ。両手でしっかりとグリップして撃つんだ。" 
 
目眩が、した。
それを、彼に悟られぬ様、わざと大袈裟に首を振ってみせた。

 「あなた、何者?少なくとも、取材に来たわけではないようね。」

 「うん。何者なのか、おれにもじつは、よくわかんないんだ。」

本来ならふざけた態度として怒らねばならないのだ、と思う。
しかし、この青年はどうやら本気で悩んでいるらしい。

 「あ、こんなところに!」

背後に浴びせられた、やれやれ、といった感じの声に二人は同時に振り返る。
そこには、凝結した影を星のきらめきでコーティングしたような美女が佇んでいた。
年は、自分と同じくらい。もしかしたら、少し上か。
豊かな黒髪に透けるような肌。
いたずらっ子をさとすような微笑みは、しかし、妙に物悲しさを感じさせる。
左目の下にある、ちいさなほくろのせいかもしれない。

 「くそ、見つかったか。」

 「かくれんぼしてる場合じゃないでしょう。」

彼女は、笑顔をたたえたままで青年からカイへと視線を移した。

 「?」

なんだろう。一瞬その瞳の中に、微妙な感情が横切ったように思えた。

嫉妬、ではない。

もっとかなしみにちかいもの。

しかし、それはほんとうに刹那の間だけで、すぐに消えた。

 「いいから、来なさい。連隊長に御挨拶さえしていないんですよ!!」

 「やだよ、きみ、やっといてくれ。おれ、そういうの苦手なんだってば!!」

 「なにをたわけたことを・・・苦手とかいう問題じゃ、ありません。
 こういうことはね、形だけでも筋を通さなきゃおさまらない物なの!」

目の前で繰り広げられる一連の掛け合いを、カイはただ黙って傍観するしかなかった。
この青年といい、女性といい、あまりにも正体不明すぎる。

 「ほら、時間がありません。来なさいったら・・・来・な・さ・い!」

白く細い指が、青年の耳に掛かり、そのまま引っ張ってゆく。

 「いででででででででで、わぁった、わぁったって!じゃ、また!」

また?二度と会うことはないわ。
喧噪がおさまったシューティングレンジで、カイは再びスィグを構える。
左の人さし指に、違和感。
なにか、あたたかいものが引っ掛かっているような感覚。

 「ち」

舌打ち一つ。
トリガーガードに、指を掛け直す。


 「一体、どういうことですか?納得出来ません。」

緊急に連隊長室へ呼び出されたカイを待っていたのは、まさに寝耳に
水の辞令だった。

特別慰問部隊"月読"への異動を命ずる。軍籍は現状のまま。ただし、階級のみ抹消。

 「い、いや、私にもよくわからんのだよ。こんな部隊、名前すら知らんかった。」

中間管理職らしい小市民的解答に、カイは苛立つ。
豹の視線が、デスクで貧乏揺すりをする連隊長を刺し貫いた。

 「こんな部隊、とは御挨拶ですわね。」

びく。煩わしい揺れが、止まる。
そこには、先ほどの女性が背筋をぴん、と伸ばしたままで微笑んでいた。
背後には、例の青年が所在なげに立っている。
手持ち無沙汰のようにも、見えた。

 「あなた達は・・・。」
 
 「や。」

青年が、ひらひらと手を振る。
女性は嘆息し、すぐに真顔で言った。

 「お聞きの通りです、カイ・アンクレット。納得する必要はありません。ただ、
 了解すれば良いのよ。」

 「できるわけがないわ。実戦部隊から左遷されるようなミスはしていないし、ましてや
 慰問部隊ですって?わたしは、御遊技する為に志願したわけじゃないのよ。」

夜が、咽の奥で笑った。
シャム猫にも似た瞳をすう、と細め、カイは続ける。なんとか無表情は保っているが、
腹の中は地獄の釜状態だ。

 「冗談じゃない。こちらから、異動願いを提出します。ホステスになるくらいなら、
 Arfの関節洗浄でもしていたほうがまだましだわ。」

 「残念だわね。この辞令を拒否すれば、除隊扱いになるの。復帰は不可能よ。」

 「そん・・な。なんの権限で!!」

おどおどしながら動向を伺っていた連隊長が、ようやく口を開く。

 「アンクレット君。これは法皇猊下直々の勅命なのだよ・・・そちらにいらっしゃるのが
 月読の責任者・・・レイアルン・スプリード・・・枢機卿だ。」

このほわほわした男が枢機卿?
新手のジョークだとしたら、まぁ、笑えるか。
もし・・・もしも真実だとすれば、世も末だ。

 「や。」

青年・・・レイアルンが、性懲りもなく手を振る。
場違いだ。あまりにも、場違いすぎる。彼には、もっと、そう、例えば保育園で小さな
笑顔たちに囲まれる保父が似つかわしい。

全く、別な世界の住人。
それが、わたしの上官になるというの?

 「除隊も、結構。」

 「本気かしら。あなたはどうしても軍にいたいのではなくて?」
 
なんだ、この女!すべてを見透かしたような態度が気に触る。

 「ち」

カイは、連隊長と、法皇直下だという二人組をねめつけ、きびすを返して部屋を出た。

だが、レイアルンとすれ違い様・・・
なにか彼がとても切ない顔をしたように見えた・・・。

 「ふう、やれやれ。成績は優秀、容姿もあの通りなのですがね。いかんせん、
 性格が・・・。」

 「いや、おれ、もっとこわいひと知ってますよ・・・はぅっ!」

眉一つ動かさず、美女の肘鉄がレイアルンの鳩尾に決まる。

 「しかたないわね・・・隊長、彼女は私が。」

 「・・・は、はい・・・おねがい・・・します・・・・。」

破綻のない足音が部屋を出て行ったあともおさまらない若き枢機卿の苦悶の表情を、
連隊長は神妙且つ殊勝な面持ちで見つめるだけだった。


自室に戻って、ベッドに身体を投げ込んだ。

母との約束。

父のようになりたくて。

だから。

心に、売国奴、裏切り者の烙印を自ら押してまで、
最強の軍隊に志願したのだ。

祖国、アルファリアを滅ぼしたEPMに。

当然、己の素性は、封印した。

カイの脳裏に、まだ幼いままのミカドがよぎる。
別れてから、3日とあけず届いていた手紙も、ここ一年はぱったりと
途絶えてしまっていた。
当然だ。
彼女は一度たりとも返事を書かなかった。
書けなかった。
ミカドは知らない。
父を殺した仇が、自分の姉であることを。
ほんとうは、妹の前から逃げ出したかっただけなのかもしれない。

サムブレイク・ホルスタからスィグを抜いて、こめかみに押し当てる。

わたしなんて、きえてしまえば、いい。

出来ないことはわかっていた。その理由を、今日までずっと忘れていた気がする。
なぜ、突然思い出したのだろう。
あの、日溜まりのような少年の笑顔を。

正確な間隔のノックに、カイは我に帰る。
その主が何者なのか、すぐに見当がついた。無視したって入ってくるに違いない。

 「どうぞ。」
 
ドアから現れたのは、予想した通りの美影身だった。

 「ずいぶんと素直ね、カイ・アンクレット。あきらめはついて?」

 「わたしに選択の余地はないんでしょう?おっしゃる通り、
 今、軍を辞めるわけには行かないわ。」

 「結構。紹介が遅れたわね。私はフクウ・ドミニオン。月読の副隊長です。
 よろしくね、カイ・アンクレット。」

フクウは、カイが握りしめている物に一瞥をくれた。だが、その物憂気な微笑み
からは、思考を読み取ることが出来ない。

 「まずは、メイクの仕方からレクチャーしないといけないようね。肌も荒れているわ。
 美人が台無しよ、カイ・アンクレット。」

許される物なら、今すぐにでもスィグのトリガーを引いてやりたい衝動に駆られた。
全弾、この取り澄ました顔面に叩き込めたらどれ程溜飲が下がるだろう。

 「・・・確かに、最高の先生ですね。昼間から、あの枢機卿とやらといちゃつくのが
 お仕事の様だし。」

咽の奥で含み笑い。自嘲、とも取れる。
何か、圧倒的な敗北感に苛まれながら、カイは声を粗げた。

 「隠したって判るわ。あなたは、彼が好きなんでしょ?そんなこと、どうでもいい。
 でもね、おあいにくさま。わたしはきらいよ。あなたも、あの男も!」

 「言いたいことはそれだけ?カイ・アンクレット。では、書類をおいてゆくわ。
 これからのスケジュールと、宣誓書。今日中に荷造りをして。明朝8時に迎えに来ます。」

 「・・・・・。」

 「復唱は?カイ・アンクレット。」

 「わかったわよ!わかったからフルネームで呼ばないで下さい!」

フクウが、くい、と首を曲げた。顔は微笑みのままだが、目が笑っていない。

 「あら、何故?カイ・アンクレット。素敵な名前じゃない、カイ・アンクレット。」

歌うように、フクウは続ける。優しい声音とは裏腹に、その本性は氷の棘だ。
 
 「悪名高いテロ国家、アルファリアの第一将軍も、
 たしか、同姓だったわよね、カイ・・・アンクレット。」

全身が、冷えてゆく。  

 「・・・珍しくもない、名字だわ・・・この隊にだって、3人もいる・・・。」

声が震えない様、努力するのが精一杯だった。

 「私ね。前の部署はS.I.2だったの。これがどういう意味かわかる?」

女狐。尻尾を捕まえたつもりか。
我知らず、拳銃を握る右手に力がこもった。 

 「撃つなら、今じゃないほうがいいわよ。上の目が届かない、辺境へ行くことも
 多くなる。私も、黙って撃たれる気はないけれど。」

 「時間があれば懐柔できるなんて思わないで下さい。あなたのこと、好きになるとでも?」

 「私じゃ、ないわ。」

また、だ。あの不可思議な感情の色が、フクウに瞳をよぎったのをカイは見逃さなかった。

 「だから、これくらいのハンデはあったっていいの。」

 「何を言ってるのか、全然わからない。」

今度こそ、本当に可笑しそうにフクウは笑った。だが、嘲笑とは思えない。
まるで、10年来の友人と気の置けない会話を楽しんでいるような。

騙されるな。この女にとって、演技など雑作もないことだ。

黙り込んだカイへ背を向けると同時に、長い黒髪がさざめく。
悔しいが、綺麗だ。それは、認めよう。

 「あ、それと、ひとつだけ。」

扉までの歩みをふと止めて、フクウは振り向きざま、言った。

 「私はレイアルンが好きなことを、隠してなんかいないわよ。」  


コンクリートに破綻のない靴音を響かせながら、
フクウ・ドミニオンは想う。
まるで、何者かが己の愉しみのためにシナリオを書き換えているようだ、と。
そうでなければ、あまりにもドラマティックすぎる。
偶然ではなく、力技で強引に繋がれてゆく、必然。

  ”宿命とは、いのちをやどすこと。運命は、いのちをはこぶこと。”

そうディアドラは言った。

故に、月読なのだと。
故に、レイアルンなのだと。

でも。

 「・・・私だって・・・あなたなんか、大嫌いよ・・・カイ。」

細い人さし指と中指ではさみの形をつくる。
カイの部屋から、フクウが向かう場所へと伸びているだろう見えない何かを、
それでほんとうに断ち切ることができたなら。
 


私物の整理など、30分で終わった。
ほんの少しの衣類と、スィグの調整キット。

そして、開封していない手紙の束。

ナップザックひとつに余裕で収まるだろう。


なにかが、床に落ちた。
それは、手紙の束とともにしまいこんでいたもの。

粗末な紙で折られた、小さな、鶴。

あちこちに茶色い染みがついた、古ぼけた、折り鶴だった。
カイは眼をそらす事が出来ないまま、暫くの間立ちすくんだ。

これをつくった少年の名前を、カイは知らない。
同様に、彼もまた、彼女の名を知る事は無く。

コネコ。ココネコ。
カイとミカドを、少年はこう呼んだ。

折り鶴を拾い上げ、握りつぶそうと、した、刹那。

 ”笑うと、目が無くなるンだな・・・”

息が、止まる。

担架で、運ばれてゆく少年。
日溜まりの笑顔から、しみ込むような、声。

 ”ごめんな・・・次は、絶対・・・お前を、ぜったい、助けてやるから・・・”

折り鶴が、小さな胸に降り立つ。
壊れてしまわないように、優しく抱き締めた。

 ”・・・コネコ・・・お前を、ぜったい、まもってみせるから・・・”

駄目だ。
泣いたら、負けてしまう。

 「・・・だったら、たすけにきてよ・・・」

負けてしまう。

 「・・・やくそく、したじゃない・・・」

負けてしまう、のに。

 「・・・まもってくれるって・・・いったじゃない・・・キッド・・・」


*次回公演*


敵の装甲をつきやぶる、瞬間。

生きてる、って思う。

まだ、生きてる、って。

プリン・アシュク。

死ぬのなんて、恐く、ない。

恐く、ないんだ。

第參夜
”Eye of the tiger”

ばかやろぉ・・・
なんで・・・
なんで、あんたが泣くんだよ。


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