しんげき   ぶたい       つくよみ
神撃部隊 月読


プリン=アシュク

第参夜

「 Eye of the tiger


 

流砂は風の形のままに。

一刻たりとも同じ表情ではいられない。

旅人達の足跡も、振り返れば跡形も無く。

それなのに

この砂の大地にさえ、ヒトは線を引きたがる。

誰の目にも見えないが、お互いに決してこえる事の出来ない境界を。

空でその愚かな仕業を見おろすものは

冷ややかに嘲笑っているのかもしれない。



しかし。

「けれども、ひとは、いきている。」

たとえ

矮小で

頑愚で

手前勝手であった、としても。

彼は、こう言いきるに違いないのだ。

「それでも、ひとは、いきてゆく。」

そう、

レイアルン・スプリードならば。


国境沿いの小さな街。200メートルにも満たないメインストリートの外れに、
ただ一軒の安酒場がある。
だが、EPMの警備小隊が街に駐屯してからというもの、この酒場がある意味、
経済ピラミッドの頂点に立っていた。

弛緩と緊張を不定期に強いられる任務。
隣街への連絡に費やす時間は約半日。

見渡せば、

砂漠、砂漠、砂漠・・・・。

おのずと、兵士達の娯楽は限られる。

その全てが、ここにはあった。

酒。

そして、女。


嬌声と、下卑た笑い声、紫煙とアルコールの匂いが混じりあいながら渦巻く中、
ほとんど下着姿のウェイトレス達が、トレイを持って足しげく往来している。

兵士達は、少しでも彼女らの気を引こうと今日の戦闘がいかに激烈であったか、
そしてその中でいかに自分が目覚ましい活躍をしたかについて、声高に語る。

例え、たった1台の戦闘車両を捕獲しただけであっても、いつのまにかそれは数十のArf
の警護をけちらした成果になってしまう。

無論、そんなヨタ話を信じる者などいない。

女達の微笑みは、胸元にねじ込まれる紙幣のためにだけ存在するのだ。

ぎい

錆び付いた蝶番が、不快な音をたてる。

砂を含んだ一陣の風が、吹き込んだ。

店内の全ての視線が、新たな客に注がれ、

途絶えてしまった全ての音に代り室内を満たすものは

羨望、

畏怖、

憎悪。

全てが一直線に、そしてただ一点に集中する。

質量はおろか物理エネルギーも持たないが、歴然と存在する圧力を全く
意に介す様子も見せずに、躊躇なく床が軋んだ。

足音が向かう先は、まるで忌まれた場所のようにポッカリと空いたカウンターの末席。

どさ

舞い上がる砂埃も知らぬ気に、180センチは優に超える長身をチェアに落とした。

間髪入れずに、その前に滑ってくる10オンスタンブラー。
なみなみと注がれた琥珀色の液体は、瞬時に空となる。

それがカウンターに置かれるか置かれないかの絶妙なタイミングで、2杯めが供される。
だが、グラスが宙に浮き、口元に運ばれる直前、背後から険のある声が浴びせかけられた。

「われらがエースドライヴァはお偉いもんだな。酒も、仲間の命もツケときたもんだ。」

無視。咽が2度動き、ストレートバーボンが消え失せる。

「聞いてンのかよ、ビッチ!!てめぇ、俺を楯に使いやがったろうが!!おかげで、
 メインカメラがおしゃかだ!」

グラスを置く音にかき消される程の小さな溜息。
それとも、嘲るかのように鼻を鳴らしただけなのかも知れない。

「ああ、ありゃあんたのヴァクだったのかい。あんまりトロいんでヨシュア・ツリーと
 間違っちまったんだ。すまねぇな・・・ミスター。」

女。
一般的に見てかなりトーンは低いが、その馬鹿にしたような口調と声は明らかに女性
のものだった。

「んだとぉ・・・なめるんじゃねぇぞ、プリン!!撃破王だかなんだか知らねぇが、
 命根性汚ねぇ闘い方ばかりしやがって・・・そんなに死ぬのが恐いかよ、ああ?!」

異変が、起こった。
一旦口元に運ばれた3杯めのグラスが、中身を残したままテーブルに戻ったのだ。

ゆらり

引き締まった長躯が、男に向き直る。無気味な程、緩慢な動きだ。
肩までの黒髪をかきあげ、彼女・・・プリン・アシュクの双眸が声の主を捕らえた。

精悍な獣を思わせる、野性的な美貌に微笑みをたたえながら。

だが。

それは見るもの全てを凍り付かせるに足る、陰惨な笑顔だった。

瞳には狂気の光が閃き、捲れ上がった唇の右端から大きな犬歯がむき出しになる。

「・・・恐い?・・・死ぬのが、恐い?・・・」

そのつぶやきは、しかし、聞き取れない程に小さい。

さながら餓えた牝虎が、数日振りにありついた小さな肉片をゆっくりと咀嚼する様に。

彼女から発散される威圧感に気押されて、罵倒の主は怯む。
彼は、それが何かわからないが、取り返しの付かないミスを犯した事に気付き始めていた。
例えば、ヴァクストゥーのコクピット左コンソールに封印されている自爆スイッチを、
整備中に押してしまった、というような。

「・・・おもしれぇな、え?ミスター。」

プリンが、顎をしゃくり、椅子から降りる。

「な、なんだと?やろうってのかよ・・・」

彼は精一杯の虚勢を張る。
青ざめながら。
震えながら。
しかし、目をあわせる事は、ついにできないままで。

ぎりりりりぃぃっ!!

堅い物が擦り合わさる、音。

それが歯ぎしりであると、男が気付いたか、どうか。

次の刹那、彼が聞いたものは、人語の体裁をした獣の咆哮だった。

「ためしてみろぉおおおおおおおおっ!!」


「どうでもいいけれど、カイ?あなた、私服、それしかないの?」

シェイプされた三つボタンスーツの足を組みながら、フクウが溜息まじりに呟く。
その色は、髪の毛にあつらえたがごとくの漆黒である。

「ほっといて下さい。服には興味がありません。」

「・・・私の言う事は全部嫌味だと思ってるでしょう?
 ちがうわ、勿体無いって言ってるのよ。」

あちこち破れた男物のストレートジーンズに、傷だらけのワークブーツ。
白いタンクトップに羽織った、色褪せたワークジャケット。

「マニッシュ」という点では奇しくも一致しているが、それでもなお、いやそれ故に
「女性美」を際立たせるフクウに対し、燃えるようなショートカットと相まって、
カイはまさに「美少年」であった。

「ええーっ。でもさでもさ、かっこいいよぉ、ねぇ?たいちょー!!」

ポニー・テイルがぴょこん、と跳ね上がる。無邪気な賞賛は、先程合流した
ホウショウ・アマツカだった。
ピンク色のノースリーブに、大きめのドットをあしらった紺のミニスカート。
馬の尻尾を束ねるリボンはスカートとお揃いだ。
年令は、どう贔屓目に見ても10代前半。
こんな少女が軍属であるとはにわかに信じがたい。

そう、「完璧な少女」という言が許されるならば、ホウショウがまさにそれだった。
捧げられる形容詞は後を待たない。

天真爛漫、明朗快活、純真可憐・・・まだまだ、ある。
だが、それは表層を示すだけの「言葉」。

ほんのすこし洞察力に富む者が見れば、その「整えられたひとなつっこさ」に
違和感を覚えるだろう。

つくられた明るさに。

プラスティックで出来た苺のレプリカ、とでも言えばいいのだろうか?

つまり、人ならだれしもが持っている、ある種のリアリティが全く欠けているのだ。

現実のにおい。消し得ない傷跡。蓄積された淀み・・・まだまだ、ある。
そう言った「負のしるし」一切をごっそりと剥離させ、万人に好かれる部品だけで再構築したような。

「ああ、ホウショウもかあいいよ。」

呑気だ。あまりにも呑気すぎる。
彼が気付かないはずはないのだ。だが、気にならないのか、それとも、気にしないのか。
いずれにしても、レイアルン・スプリードの声は、本日もひねもすのたりのたりとしていた。

「きゃい、ほんとぉ?」

「うん。」

レイアルンの答えに、少女はピョンピョン飛び跳ねた。
それにつられて、ポニー・テイルも跳ね回る。
ついでに、彼等のいる部屋も、少し揺れた。

「アマツカッ!!ここをどこだと思ってるんだ?はしゃぎ回るな!!」

カイが、鋭く叱責する。
いらつくのも無理はない。
あまりにも無体且つ屈辱的な配置転換・・・半ば脅迫されたような物だ・・・に加え、
このメンバーは一体なんだ?

嫌味な女園長と、ほわほわしているだけの保父、そして、小うるさい園児、という図式。

レイアルンに対する第一印象から端を発したイメージが、今、完全な「繪」として目前にある。

慰問部隊、という特殊性を差し引いて考えても、尋常な人選とは言いがたい。
それは、自分も含めて、だが。

カイは氷のような一瞥をホウショウにくれたあと、ぷいと窓へ顔を移した。
視野に広がるのは、真っ白な雲海と青空のコントラスト。

4人を乗せた大形輸送ヘリは、中近東のとある国境に向かっていた。
レイアルンの特権を行使すれば、将校送迎専用機をチャーターすることも可能では
あったのだが、種々雑多な手続きに対する彼の一貫したスタンス・・・
曰く「めんどくさい。」・・・を頑として変えなかった為、たまたまタイムテーブルが
合致したのをいいことに、貨物室の一角をむりやり占拠せしめたのである。

「・・・はぁい・・・たいちょー、カイってこわいね・・・・。」

ぎぬろ

再び、一瞥がホウショウを急襲し、ポニー・テイルがすくみ上がった。

レイアルンが小声でホウショウに耳打ちする。

「・・・でもね、もっとこあいひとがここにはいるんだ・・・ぐはあっ!!」

「あらあら、ごめんなさいねぇ。」

最上級の微笑みをたたえて、フクウが詫びる。
組んだ足を解いた拍子に、コイン・ローファーのつま先がレイアルンの顎を直撃したのだ。

「ホウショウ・アマツカ、おとなしくしまあす。」

両手をミニスカートの膝に乗せ、ホウショウがかしこまった。

フクウも、そして、顎をさするレイアルンも、その可憐な様子に、ふっと微笑む。

そこに「痛み」があることなど気付く事もなく、唯一蚊屋の外からの傍観者を自負する
カイのみが、軽い舌打ちとともに雲の行方をただ見つめていた。


しくじったなあ。
こうなにもやることがないんじゃ・・・考えなくていい事も考えちまうし。
思い出したくないことだって、ちっとは、さ。
酒、切れちまって、眠る事もできゃしねぇ。
あー、たばこ、すいたいよぉ。



独房の壁に寄り掛かりながら、プリンは天井の染みを数え始めた。
一切の考察たるものを切り離す為に。

ざざざざ・・・ぴゅいー・・・ざざざざざ・・・・

耳に飛び込む微かなノイズに、その試みは中断されてしまう。

警備兵が使用するトランシーバー。大体が、独房の監視業務にまともなシフトなど
ありはしない。
どうやら、最後の・・・つまりはプリンをここにぶち込んだ、一番最初の兵士がスイッチを
切り忘れた物らしい。

さざ・・・っ・・ざーっざざざ・・・ぴっざーざざざ・・・



うるさいなぁ。
うるさいよ。
雨は嫌いなんだ。
だから、砂漠に来たのに。



・・・ざっ・・・ざざざ・・・ざざーざっ・・・・



あああ、きたきた・・・
芋づる式ってのはこういう事、言うんだよね。
結びついちまう。
思い出しちまう。
だれか、この音、止めてくんないかなぁ。



・・・ざっ・・・ざざざーっざーざー・・・・



ノイズ・・・雨音・・・降り注ぐ水滴・・・いっぱい、いっぱいの、水滴・・・

シャワー。

思い出したくない、
忘れられない、
あの日。

あたしのデビューアルバムが出た日。
嬉しくって、
あんたに見てもらいたくて、
聴いてもらいたくって。

ジョージ・・・そんなに、ヤだったのかよ。
あたしは、あんたの「目」になりたかった。
爆風にやられて、見えなくなっちまったあんたの「目」に。
そりゃあ、辛かったろうさ。
あたしだって、とっても悲しかった。
あんたの描く、あの優しい繪が、あたしは・・・いや、あの街のみんな、
ほんとうに、好きだったから。

「夢」と「あたし」
天秤に掛けるくらいしてくれてもよかったじゃん。
なぁんにも迷わずに、手首、切っちまうなんて。
ベッドから、シャワー室まで、這ってったんだろ?
あたしのお気に入りの花瓶まで倒して・・・

そんなに、ヤだったのかよ。

「生きる」のが、そんなにヤ、だったのかよ。

じゃ、なんであたしを置いてくかなあ。

あんたにとって「夢」が全てだったなら・・・
あたしにとっちゃあんたが・・・あんたが全てだったんだ。

ずっといっしょにいてくれるって言ったくせに。

なんで、あたしを連れてってくんなかったのさ?

ほんとはね、追っかけようと思った。まじで。

それなのに。

ずるいよ。

ひきょうだよ。

なんであたしのアルバムなんか、後生大事に持ってんだよ。

あたしより先に。

だから。

シャワーに打たれっぱなしの、ほっとしたようなあんたの顔、
じっと見てたら、なんだか腹立ってきてさ。

「なんでついてきたんだ」
なぁんて言われた日にゃ、ミもフタもないじゃん。

だからね。
あたしは、意地でも「自分で」死んでなんかやんないんだ。

たれかに
「生きてちゃ、だめだ」って言われるまで

そうすりゃ、言い訳できるだろ?
「あたしのせいじゃない。」って。

「歌はどうしたんだ?」
なんて、言わせやしない。

夢も、あたしも、
さくっと捨てちまったあんたにそんな事言わせやしない。

そうとも。
死ぬのなんて、恐くない。

恐く、ないんだ。

・・・



ざざーざざざー・・・ぴっざぴー・・ざっざざざー・・・・・



ほんとに降ってるみたい・・・ほっぺた、濡れてる・・・。



「・・・っく・・・ひっ・・・」


びく

気配を感じ、プリンは我に帰った。
独房の鉄扉越しに、だれかがいるようだ。



おやおや、珍しいな。
こんなとこにも仕事熱心な奴、いたんだね。



ごし

右袖で両目を勢いよく擦る。

だが。
なにか、違和感。
怠惰とか、緊張とか、あるいは殺気だとか。
そういった饐えた感覚とはまるで異質な存在感。

プリンは、ふと気配の主に興味を覚え、鉄扉ののぞき窓から外を伺った。

「わ」

どちらともなく、小さな叫び声。
どうやら、窓に目を近付けたのはお互いほぼ同時だったようだ。

「や、一声かけりゃ良かった、かな。ごめん。」

まぁなんと呑気な声だろう。
プリンは、しかし、その声に好感を抱いた。
あたりのやわらかい口調。
さながら、綿菓子の上に舞い降りる、一葉の羽毛のような。

ちょっとくすぐったいのは、ジョージもそうだったから、かもしれない。

「あははは・・・なんであやまってんの?わりぃけどさ、頼まれてくんないかな。」

「ほい。」

「そこのトランシーバー、スイッチ切っちゃってくれよ。うるさくッて、眠れやしない。」

「・・・ええと・・・かち。」

「たすかる・・・ときにあんただれ?」

「ま、ここ出よう。とりあえず、さ。」

「はん?」

おかしい。
騒乱罪並びに暴行障害、
・・・例のドライヴァは全治1ヶ月、止めに入った「勇気ある」者達も、
最低で脳震盪。巻き添えを食った連中に至っては、程度の差こそあれ、
外傷がない者を探した方が早いくらいだった・・・
のかどにより、逮捕されたプリンに即決で下された処罰は、独居房勾留
2週間というものだったはずだ。まだ1日もたっていない。

カードキーを滑らせる音。

じっ
かちゃん

独房のロックが解除され、鉄扉が何の抵抗もなく開かれる。
そこには、ストレートジーンズと白いTシャツ姿の青年がにこにこしながら立っていた。

「ふん・・・ありがとう、でいいのかな?」

「どうかなぁ。あまり嬉しくないかもしれない。だったらごめんな、プリン・アシュク。
 俺は、レイアルン・スプリード。」

「へんなおとこだねぇ。2回目。」

「何が?」

「あやまんの。せめてさ、あたしが怒ったら、にしてくんないかな。」

「そうか・・・そうだよな、ごめ・・・あ。」

二人は顔を見合わせて、同時に吹き出す。
ひとしきり笑った後、プリンはレイアルンに真顔で向き直った。

「んで、あたしに何をしろと?チャーチ・ガーディアン。」
 
「なんだそりゃ。」

「あははは。あの時、あんたとあんたのヴァクを回収したの、あたしらの部隊。
 かあちゃんとガキ、保護したの、あたし。」

「うへ。」

「軍法裁判、あたしらの報告、潰されちゃったみたいでさ。でも、みんなあんた
 のこと、すげぇって思ってるよ。・・・クビになったって聞いたけど?」

「うん。ま、いろいろあって、さ。」

はにかみながら、首を掻く。

「で?」

「プリン・・・お前、もう一度歌う気、ないか?」

思わず息を飲んだ。



なに言ってんだ。
「歌」から一番遠い場所を探して・・・
だから、兵隊になったんじゃないか。



「俺、今、慰問部隊を引っ張ってんだけど・・・一緒に、来て欲しいんだ。」

「待て待て待て。それってつまり、スカウト?」

「まあな。俺もさ、お前にあながち初めて会うってわけじゃないんだ。
 つっても、声だけ、だけどさ。」

「・・・・・。」

「天才ブルースシンガー『プディング』・・・。アルバム一枚出しただけで引退、かよ。」

「よしてくれ。」



そのアルバムジャケットが、あのひとの最期の繪。
発売当日が、恋人の命日なんて笑わせるよね。うそっぽすぎて。



「お前の歌に、俺は何度も救われた。」

「へへん、癒された、なんて言わないでくれよな?おざなりすぎるから。」

「違う。よこっつら張り倒される、ちう感じかな・・・。
 今も、聴く度にぶん殴られてる。かなり、キク。マジで。」

「・・・そんな感想ははじめてだよ。嬉しいんだけどさ、わりぃ、パス。」

「それは、出来ないのよ。プリン。」

「げ!!その声は・・・。」

監視室に新たな来客が訪れた。
この街にEPMの基地が出来て以来、これ程多くの人間がここに集まるのは
初めてのことである。
言い直そう。
これ程多くの女性が・・・しかも美女ばかりが集うのは初めてだし、以降はおそらく
2度とあるまい。

漆黒のスーツに身を包み、隙のない姿勢で微笑むフクウ。
腕組みをしながら、壁にもたれかかるカイ。
そして、

「わ、また、きれえなひとぉ!!」

両のこぶしを口に当て、感嘆の叫びを上げたのはホウショウだ。
偽りのない見解である。

「あんだよ。あんたまでいたのかい、フクウ・ドミニオン。スパイ稼業はどうしたんだ?」

「貴女が編入を蹴った時点で、私も考えるべきだったわ。退職金くらい出たかもね。」

「あっはぁ、クビ、かよ!だから言ったろ。向いてないって。あたしも・・・あんたも。」

ほんの一瞬だけ、フクウの、夜が凝結したような美貌になにかがよぎる。
だが、それに気付く者はいなかった。
たった一人を除いて。

「・・・つまり、そういう事だ。プリン、本日付けで、お前もここをクビになる。
 とにかく、プロが必要なんだ。どうだ?」

「・・・こまっちまうなぁ・・・こまるよ、ほんと。」

肩をすくめるプリンに向かって、氷柱のような声が投げ付けられた。

「でも、EPMの職員扱い、ですってさ。よかったじゃない、もう戦闘はしなくて
 済むんだから。命まるもうけで、給料据え置き。おまけに歌い放題。最高でしょ、
 アシュク、さん?」

カイである。
あいも変わらず壁によりかかったまま。プリンと目を合わせようともしない。
彼女にしてみれば、それは自嘲と、レイアルン達に対するあてこすり、
ぐらいの言葉だったのだが。

途端。

ほんの数秒前まで発せられていた、真夏の向日葵に似た朗らかさが、霧散する。

昨夜の、優美だが残酷な獣が、こころから飛び出そうと身を屈めた、矢先に。

エマージェンシーを告げる、サイレン音が鳴り響く。
そして、焦りを隠せないアナウンス。

『国籍不明のArf編隊が国境線南東12キロまで接近!!
 機種、及び機体数、現在確認中!!
 出撃可能なArfドライヴァは全員ハンガーに集合せよ!
 休暇、及び待機中の者も例外ではない。
 とにかく、Arfを操縦できる奴らは大至急ハンガーに集合しろ!!
 これは訓練でも、いつもの雑魚狩りでもない!!
 くり返す、これは訓練じゃねぇンだよ!!』

語尾は絶叫に近かった。よほど切迫しているらしい。

「やれやれ、よりによって・・・みんな、聞いた通りだ。
 あのアナウンスだと俺達全員が該当する。面倒だがやむを得ん、行くぞ。」

「了解。」

「はぁい。」

「ち。」

「あたしは?チャーチ・ガーディアン。」

プリンが、苦笑しながら尋ねた。ちら、とカイを睨み付けたが、気を削がれた感じだ。

「その呼び方やめろつうの。言ったろ?俺達全員、って。」

ぱぁん

左掌に右拳が景気よく破裂した。

「おっけぇだ。いっちょハデにいくかぁああっ!!」


「いや、枢機卿のお手を煩わせる事になるとは・・・しかし、なにぶん、昨夜の
 騒ぎで我が隊のドライヴァが不足しているもので。」

嫌みたっぷりに部隊長が告げた。
プリンはあさってを向いて口笛を吹く。

「7名の専従のうち、3名が出撃不能な状態なのですよ・・・まあ、普段なら
 全く問題ないのですがね・・・。」

それはこのポイントが戦略上、また、政治上においても重要度が低い、という事を
はからずも露呈する台詞だった。

「お前、一体どういう暴れ方したんだ・・・。」

「手当たり次第・・・かな。」

「やれやれ・・・で、状況は?」

「ここいらのテロリスト共が裕福なわけはないのですが・・・なにせ、政治背景など
 お構い無し、盗賊まがいの連中ですから。しかし、確認できただけでも、9体の
 Arfが国境に向かって侵攻中です。こちらからの通信にも沈黙したままで、
 所属ビーコンも発していない。しかも、先程、いきなり反応が消えました。」

「了解っす。プリンの機体含めてヴァクストゥー4体貸して下さい。
 俺達だけでインターセプトします。」

「は?4体、ですか?」

「問題ないっすよね。練習機も含めたら、10機配備されてるでしょ、ここ。
 残りの3名は基地周辺の警護につかせて下さい。わざと察知させたんなら、Arfは
 デコイで、本チャンはゲリラ部隊、というセンも考えられる。もしくはただの大ボケ
 かもしれませんが。」

部隊長は、信じられない、と言った表情でレイアルンを見つめた。 

「・・・し、しかし・・・万が一、防衛ラインを突破されたら・・・。」

万が一、は咄嗟に出た常套句である。
倍以上の戦力・・・あまつさえ通常戦闘ならまだしも、Arf戦なのだ。
ArfはArfでしか倒せない。
ならば。
どう考えても、総力戦がベストである。
また、ぎりぎりこの基地で、敵を殲滅出来た、としても、国境を破られた事が深刻な
問題となるだろう。
田舎テロリスト風情に、EPMが遅れをとった、という事実。
それはすなわち、責任者たる部隊長の無能ぶりを上層部に知らしめる結果になる。

「だいじょうぶっすよ、大船にのった気でいて下さい。」

とても、そうは思えない・・・この呑気な物言いの若造と、女4人、しかも、1名はガキだ。

泥舟、の間違いではないのか。

「御心配なく。全責任は枢機卿に帰属します。あなたの経歴に傷はつきませんわ。」

フクウが見透かしたように微笑む。

「・・・ははは、や、それならば・・・よろしい、装備はお好きなようにお使い下さい。」

部隊長の言葉を待たず、プリンが自分の機体に走ってゆく。

「おやじぃいいっ!!ヒートナックル、問題ねぇだろーなっ!!」

「何言ってやがる!!毎度毎度熱伝限界ぎりぎりまで酷使しやがるくせに。心配すんな、
 ユニットごと新品にとっかえといたぜ!!」

年輩の整備兵が、歯をむき出して笑った

「おっけぇだ!よぉっしゃぁあ!!まわせーっ!!」

その様を見ながら、レイアルンは3人に指示する。

「んじゃ、フクウとホウショウはトレーナーの2ケツに。
 カイ、エモノはブレットライフル。」

「え、実弾を使用するんですか?」

「大気の屈折率が予測出来ない上にバックパックがうざすぎる。白兵戦もありえるし、な。
 弾はA.P.B。弾道を見るのに何発いる?」

「3発。」

カイは簡潔に答えた。
だが、内心では今の今まで抱いていた「保父」というイメージが崩れ始めている。
それが完全に剥がれ落ちたら、中から出てくるのは何者なのだろうか?
無表情を装いながら、彼女はこの曖昧模糊とした男に引き寄せられてゆくような感覚と
必死で闘っていた。

「よし、的はまかせた。3発以後は1体1発で決めろ・・・できるな?」

「出来ますが・・・何故でしょう?」

親指で鼻を弾いて、レイアルンは笑った。
保父の顔つきで。

「高いからさ。税金無駄遣いしちゃみんなに悪いだろ?」

コクピットからプリンが怒鳴った。

「なにもたもたやってんだよ!おいてっちまうぜぃっ!!」

「はいよっ!!・・・そんじゃ、慰問部隊『月読』、行き掛り上出撃する!!」

此の期に及んで、レイアルンはやはり、レイアルンなのだった。


「フクウ、ホウショウは現状でバックアップ。カイは移動狙撃。俺とプリンは相方向から
 接近して白兵戦を仕掛ける。以上、散開!!」

それぞれのヴァクストゥーが、国境沿いの砂丘に身を潜ませる。

「フクウ、交戦情報の記録を最優先してくれ。」

「敵の正体が気になるの?」

「うん。Arfはそれ単体じゃなんの意味もなさない・・・手に入れる事ができたとしても、
 動かし手がいなけりゃ宝の持ち腐れだ。
 ま、動かすだけならだれでも出来るけど、仮にもEPMを相手に、
 んなシロートぶつけるか?ふつー。
 昨日まで山賊だった連中が突然才能に目覚めた、とは思えんし、もとから都合よく
 ドライヴァが揃ってた、つうのも考えにくい。
 おまけに、それが9体だぜ?へたすりゃ大都市の年間総予算を越えちまう。
 俺なら迷わず寝て暮らすよ。」
 
「・・つまり、少なくとも、イナカのテロリストではあり得ない、と考えてるわけね。」

「微妙なとこ、だな。多分、レーダーに補足されたのは作戦でもなんでもない。
 大ボケ、が当たりだ。少なくとも、実戦には慣れてないと思う。」

「論拠は?」

「デコイなら、捕捉されっぱなしでかまわんはずだろ?なにも隠れるこたない訳で。」

「・・・ちょっと待って下さい。わたしたちは慰問部隊、じゃないんですか?」

カイが横槍を入れた。もっともな疑問である。

「枢機卿の言い方を聞いてると・・・まるで・・・。」

「ま、出来ることはやっとこうか、ちうことさ。索敵は、ホウショウ、頼むな。」

「はぁい・・・でもたいちょー、この子のセンサー、ノイズが多くてちょっと不安。
 だから、モニタ見ないよ。いい?」

「いいよー。」

とんでもない会話である。
カイは言うに及ばず、さすがのプリンも驚愕を隠せない。

「おいおいおい!!なに言ってんだよ、レイアルン!!」

「来た!!300メートル、縦列に編隊してる!!
 カイ!最短は11時の方向、2300!!」

ホウショウの可憐な声が、カイのコクピットに響き渡る。

「何?」

モニタに映る物は灼熱の砂漠とゆらゆる陽炎だけである。
熱センサーも、アクティブレーザーも全く無反応。
かなり高度なステルス装備を積んでいるらしい。
レイアルンの言う通り、貧乏テロリストの範疇ではない。

だが、なぜ連中は攻撃してこない?こっちはなんの迷彩も施されていないのに。
当然、索敵システムには引っ掛かりまくりのはずだ。

「カイ、急いで!!『目隠し』してるけど、いっぱいいっぱいなの!!」

かなり荒唐無稽だが、それでもカイは理解した。というより、納得することにした。
この、アイドル歌手みたいな少女は、「そういう事」ができるのだ、と。

きら

ほんの一瞬だが、逃げ水の彼方に金属的な光が閃いた。

照準の自動演算システムを解除。
11時の方向をズーム。
光学サイトのモニタに、腰を低くして接近しつつある、デザート迷彩のヴァクストゥーが
小さく映し出された。
どうやら、関節部に砂塵侵入防止のシールまで施してあるようだ。
ますますもって、盗賊どころでは無くなってきた。

「確認した!!」

スコープの赤いダットが、「砂色」の胸部を捕らえる。

どんっ!
どんっ!

ブレットライフルが続けざまに2発のケースレスA.P.B・・・高速鉄甲弾を発射した。

一発目は、敵の右肩をかすめ、二発目が右腕関節部を破壊する。

「ふっ」

短く、呼気。

どんっ!!

3回目に放たれた実弾が見事に胸部を貫く。

遠くで起こる、花火のような爆発。

それを合図に、レイアルンとプリンは、逆方向へとホバリング。

「たいちょー、左端は砂丘に隠れてるよ!
 プリン、右2と3はくっついてるから注意して!!」

「了解だ。」

「うひょほ、魔法かよ!!ホウショウ、帰ったらアイス、食おうな!」

「うん!」

天真爛漫なホウショウの返事に微笑みながら、プリンは、だれにも聞こえないような
小さな声でつぶやいた。

「帰ったら、な。」


「みぃつけた!!」

犬歯がむき出しになる。

「砂色」は、突然起こった寮機の擱座に、あきらかに動揺していた。
おそらくは優位を確信していただろうそいつは、そして、いきなり現れた敵機に
混乱しながらも銃を向ける。
なる程、それなりの訓練は積んでいるらしい。

しかし。

「おっせぇええんだ、よぉおおおおおっ!!」

プリンの機体右拳に搭載されたヒートナックル・・超高熱を発して装甲を軟化させる、
白兵戦専用兵器・・・そのブレード部が青く発光する。

ざんっ

太陽を背にして、跳躍。

「うぉおおおおらぁああああああっ!!」

どがぁっ!!

脳天からの正拳は、頭部をボディにめり込ませ、なおかつその中央まで突入して内部を
粉砕する。
倒れ掛かる敵の胸に両足をあて、右腕を引き抜いて背面飛び。
トンボを切って砂に着地したプリンは、結果を確認することもなく次のエモノを狙う。

すぐ背後で、派手な爆発。
その衝撃にもひるまず、かえって推進エネルギーに利用しながら、
呆然と立ちすくむ2体に突進してゆく。

ぶん

すれすれのところでビームをかわす。擦過音が心地よい。

「哈っ!!」

急制動。失速させ、スライディングの形で2体の間に割り込んだ。

「砂色」が、舞い上がる砂煙の中、プリンを見失う。

だが、プリンは、索敵システムも、視認モニタも、既に見ていない。

ぐぅん

「砂色」の、ちょうど中央にうつぶせになったプリンは、両の腕に力を込める。
半倒立から、腹筋および背筋ユニットに力を分配し、急激なひねりを加えて、
ボディを回転させるエネルギーに変換。



右足の姿勢制御バーニア点火。

ぎゅららららららっ!!

背部ブースターパックを軸にプリンの機体は独楽のごとく回転した。

両足をほぼ水平に伸ばしたままで。

それはまさに、ヴァクストゥーによるブレイクダンス。

死の。

「せぇんぷうぅきゃくぅうううううっ!!!」

ぎゃりぎゃりぎゃり

「砂色」の装甲が削られてゆく。
プリンのつま先も、2次装甲まで裂けた。

だが、無視。

「っせいっ!!」

猛烈なベクトルを両腕で強引に止め、ブリッジで起立する。

「おらぁっ!!」

ぶんっ

続けざまに放たれる、痛烈なまわし蹴り。

ぐぅうわぁああああん!!

相方向にあった「砂色」は右から左に重なって吹っ飛ばされる。

「へっ。」

微動だにしない、ぼこぼこの敵に一瞥をくれ、プリンは叫ぶ。

「ホウショウ、次はどこだ!!」

「プリン、うしろ!!」

ホウショウの絶叫。

どこぉおおん!

衝撃に思わず首をすくめた。だが、それはプリンの機体、ではない。

振り向くと、彼女の20メートルほど後方で、サーベルをふりかざした「砂色」が腹に大穴を
あけて、まさに崩れ落ちて行く途中だった。

陽炎にゆらめきながら接近する、ライフルを構えたカイの機体。

「へへん、やるじゃねぇか、ワイルドキャット!」

「大トラに言われたかないわ。」

「カイ、プリン、二人とも3体づつ撃破ぁああ!すごいすごい!」

「おい、レイアルンはどうした?」

フクウは冷静な声で答える。

「5分前に3体目を破壊して、現在調査中。」

カイが食って掛かった。

「なんて指揮官なの?ノルマでもあるまいし、3つ落とせばいいってもんじゃないでしょ?
 リカバーして援護に回る、とか。」

含み笑いのあと、揶揄するようにフクウは尋ねた。

「援護が必要だった?」

答えに、詰まる。


「ヘイ、ワイルドキャット!」

その朗らかな声に、カイは煩わしさを感じた。

モニタに「プライベート」のアラートを確認する。
レイアルン達に、会話を聞かれたくないらしい。
彼女はちょっと思案した後、プリンの機体コード以外の通信アクセスを切断した。

「カイ、よ。アシュク、さん。」

相手をセカンドネームで呼んでおいて、自分はファースト、というのもいびつな
話ではあるが。

「ふん。ま、どっちゃでもいいさ。あんた、本気で慰問部隊、だかにいたいのか?」

「・・・あなたには、関係ない。」

「つれないねぇ。あたしゃ、ヤ、なんだよ。前線から離れるなんて冗談ポイ、だ。
 あんたも、だろ?」

「・・・・・。」

一呼吸置いて、プリンは続けた。

「そこでさ、ちょっち提案があるんだけど。あたしと、勝負しようぜ。」

「何を、だって?」

「ここで、あたしらが一悶着起こしゃ、連中もうんざりすると思うんだ。」

否。
そんな単純に事が運ぶとは思えない。
カイの脳裏に、夜の美貌と闇の声がまざまざと浮かんだ。



復唱は?カイ・アンクレット。



「・・・馬鹿馬鹿しい。断る。」

「あっそ。」

きびすを返しかけるカイの機体をプリンが押しとどめた。

「まだなにか・・・。」

「断られてもさぁ・・・。」

うつむいていたプリンが顔をあげる。
変貌。
戦闘中の嬉々とした顔つきとは、明らかに違う。
それは、まさに昨夜の狂気に満ちた獣。
陰惨極まる、美貌。

餓えた牝虎が解き放たれたのだ。

「あたしゃやるけどなぁあああああっ!!」

ぶぉんっ!!

熱いものが頭上を走ってゆく。
プリンのヒートナックルだ。間一髪、身を屈め、カイは肩にかかった左腕をはね除けた。

「ちぃ!!」

「ひゅ!!」

思わずライフルを構えるカイ。

「いいかげんにしろっ!あなたとやりあう理由なんかない!!巻き込むな!!」

「そう思ってんのか?本当に。」

「?」

「あんたはおんなじ匂いがする。あたしとおんなじ、ヤな匂いだ。」

「なに言ってる?」

「死んでない、けど、生きてもない腐った匂いさ。
 ケリつけたいのにてめぇじゃどうする事も出来ない
 抜け殻の匂いだよ!!感じただろ?感じるだろ?
 あたしゃすぐにわかったぜ、こいつは同類だ、ってな。」

カイの中で、なにかが切れた。

「黙れ・・・。」

「あんた言ったよなあ・・・命まるもうけって。
 命まるもうけ!はっ、大笑いだぜ!!
 重くて重くてしょうがねぇくせによ!!」

「だまれ・・・!。」

「きっかけを、探してたんだろおが?言い訳をよ!
 それともこのまま、たぁだ腐ってく気か、ああ?! 」

「だまれぇぇぇっ!!」

しゅ

カイの左腕が猛スピードで水平に流れる。が、それはプリン機の胸元をかすめただけだった。

「へへへん、黙らせたかったら、そいつであたしを仕留めてみな、
 ミス・リビングデッド!!」

プリンは中指でカイの持つブレットライフルを指した。

ぎゅぅっと唇を噛む。残弾は3発。

「それは・・・おたがいさまだっ!この、ゾンビーシンガー!!」

どんっ!!

至近距離からいきなり発砲。プリン機の肩アーマーが砕ける。

「くふっ!・・・さすが、やるっ!!」

不意打ちとは言え、プリンは予測しながら身構えていたのだ。
かつて、この状態の彼女に攻撃をヒットさせた者は存在しなかった。

「ち、かわされた?!」

カイは確かに右肩基部を狙った。あのタイミングでかわせるはずはないのに。

「へっへぇ・・・そうこなくっちゃよ・・・いくぜぇ、ワイルドキャット!!」

上唇をなめる、狂気の牝虎。

「来な、大トラ!!」

憤怒の山猫は、目を、すう、と細める。


「たいへんだぁ!カイとプリンがけんかしてるぅっ!」

「なんですって?ホウショウ、すぐに止めなさい!!」

「ダメ、遠すぎるよぉ!フクウ、200まで近付いて!!」

「隊長!」

二人が交戦している方向に跳躍しようとした刹那、その脇を疾風がすりぬける。
それは通常では考えられないスピードで、ぐんぐんとフクウたちのヴァクを
引き離してゆく。

「聞いた!!お前達も急いでくれ!!」

「了解っ!」

「うわぁ、たいちょー、すっごぉい。あの子、力以上のこと出来てるよぉ!」


はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・

どちらのものともつかない荒い息づかい。

カイのヴァクストゥーは、胸部の装甲が8割方破壊され、金属繊維で構成された人工筋肉
がむき出しになっている。
対するプリンのヴァクは、先ほどの肩アーマーの他には、目立った外傷もない。

対峙する二人の間合いは200メートル。カイが後退した形だ。

「あと一発かぁ?外したら、あたしゃ殺人で終身刑だな。」

「心配するな。一発あれば十分だ・・・正当防衛にはね。」

プリンは内心、カイのスナイパーとしての腕前に舌をまいていた。
二発目も外れたとはいえ、それはあくまでカイが急所を狙わず、攻撃を阻止する為に足元
を撃ったからだった。



キレても、冷静、かよ。



「ほざくなぁあああああっ!!」

絶叫と共に、ブースターを全開。間合いを一気に詰める。

光学サイトのダットが、今度こそ右肩を捕らえた。
プリンのあの凄まじい戦い方からして、かなり高レベルのリンクコントロール
に設定されているはずだ。
それはすなわち、ヴァクのダメージがプリンにフィードバックされる苦痛は
生半ではない追随度で正比例する事を意味する。

だが。

死ぬ訳では、ない。
右腕一本使えなくなるのは自業自得だ。

「あんたが、悪いんだから!」

トリガーにかけた、人さし指に力をこめる。

その時。
プリンが、右上方に跳躍した。

左下方、ならばともかく。

カイは、全く予測していなかった。
虚をつく為の行動ならば、まさにそれは成功したことになる。

本末転倒、という形で。

それとも、これが目的だった、としたら。

「そんな!!」

赤いダットが、プリン機のコクピットに重なる。
トリガーを引く指は、止まらない。

止められない。



たすけて、父様。

たすけて、たすけて、たすけて!!

たすけて、キッド!!

お願いだから、わたしに、撃たせないで!!



刹那。

「やめなさぁああああいっ!!」

ホウショウの絶叫が響いた。

ほんの一瞬だけ、兵装CPUがダウン、

かきっ

トリガースイッチが空撃ちされた後、復旧する。

目前に迫る、灼熱の拳を見つめながら、カイは何故か深い安堵感に包まれていた。

目蓋を、閉じる。



ばいばい



それは誰に対して、だったろう。
日溜まりのような笑顔が真っ白な背景に浮かんで、消えた。

がしぃっ!!

衝撃音が、コクピットにこだまする。
やがて訪れるであろう、苦痛は一瞬。
両目を閉じた闇の中で、カイはそれを静かに待った。

だが、

・・・なにも、起こる事は、なく。

聞こえるのは、コントロールシステムの密やかな電子音だけ。

おずおずと、カイは、目をあけた。

飛び込むものは、消えてしまったはずの、日溜まり。

しかしすぐに、それは通信モニタの映像である事に気付く。
再起動によって、アクセスシステムもデフォルトに戻ったらしい。

そこにいたのは、レイアルンだった。

枢機卿、でも、

保父、でもない顔で、レイアルンが、カイを見つめていた。

「す、枢機卿・・・。」

ほうっ

画面の中で、溜息一つ。
それはすでに「いつもの」ほわほわ男の表情で。

レイアルンのヴァクは、プリンの正拳突きを背中向きで脇に固めていた。
ヒートナックルは急激に温度を下げ、鈍色の鋼鉄に戻りつつある。

「プリン!聞こえるか?プリン!!」

滴り落ちる、汗。
声を出そうにも、咽にはまるで鉛が詰まっているかのようで。



あたしは・・・カイを本当に殺そうとした?
憎んでもないひとを・・・・?



プリンは顔面蒼白で、震えていた。
嗚咽は止まらないのに、一雫の涙も出ない。
吐きそうに、なる。

「プリン、こら、開けろ。」

どうやら腕伝いに腰部までおりてきたらしい。レイアルンの声が間近で響く。

ぷしっ

プリンは、非常脱出ハッチを開いた。
それは、彼の呼び掛けに応えるため、ではなく。

このままでは、窒息してしまいそうな錯覚にとらわれたからだった。

「プリン、もういい・・・もう、やめろ・・・スイッチから手を離すんだよ!!」

彼女の左手は、コンソールの一番左奥に伸びていた。
赤い封印パネルが跳ね上がっている。
生きる為に、決して触れてはいけない場所。

レイアルンが力任せにプリンの左手を、そのボタンから引き剥がす。

「プリン!!」

呆然となったプリンは、レイアルンを押し退け、ラダーを下ろした。
砂地に降り立ったあと、ふらふらと歩き出す。

その前に、灼熱の太陽とは全く別な、日溜まりが立ちはだかった。

「どけよ・・・あたしは歌わない・・・。」

真摯な眼差しが、彼女を射抜く。
いたたまれずに、プリンはうつむいた。
その耳に。


task of soul
そうだよ
生き抜く事が魂の仕事



決して巧みではないが、よく通る歌声が、おりから吹き始めた砂風に立ち向かう。

かつて、「プリン・アシュク」だった歌。
彼女が、とうの昔に置き去りにした言霊達。

「やめろ・・・。」



ひとのぬくもりが欲しくなったら 自分で肩を抱いてみようか
だれかの声が聞きたくなったら でたらめでもいい 歌ってみようか



「・・・レイアルン・・・やめてくれ・・・。」

距離も、時間さえも飛び越えて、自分以外の唇が「プリン・アシュク」の
想いを紡いでいる。

歌から、一番遠い場所で。



ほんのすこしのあいだだけ やめることをやめてみようよ
何度もそれをくり返したら たやすく明日は訪れる
昨日とおんなじ今日だって 明日もそうとは限らない



奇跡、ではない。
生命が明日に繋がってゆくのと同じくらい、当たり前の事。

それは、プリン自身が一番よくわかっていたはずではなかったか。

「やめろって・・・いってるだろぉおおおおっ!!」

ばき

驚愕したのは、むしろプリンの方だった。
キレもスピードもない拳。
レイアルンならば・・・いや、ホウショウですら難無くかわせたはずだ。
だが。
それはまともに彼の左頬にめりこんでいた。

「・・・れ、レイ・・・」

「・・・キカねぇ。キカねぇよ、プリン。」



血の混じったつばを吐き捨て、レイアルンは再び歌い出す。



task of soul
そうだよ
生き抜く事が魂の仕事



全身が震える。
それは、怒りではなく。
そして、狂気でもなく。

ただ、悲しくて、切なくて、苦しくて。

「う、うわぁああああああああっ!!」

レイアルンの顔面に、何度も何度も拳を叩き付けた。
肌が切れ、砂に鼻血が飛び散っても。
渾身の力を込めて殴り続けた。

「フクウ!!プリンを止めてよぉ!」

ホウショウがモニタから目をそむける。

「副隊長!!わたしが!」

カイは、コクピットから出ようとした。

「おやめなさい・・・私達にはどうしようもないわ。」

「でも!」

フクウは、二人の様をじっと見ている。ジャケットの裾を握りしめながら。

「見ておきなさい・・・あれが、レイアルン・スプリード。あのひとはね、ああいう
 やり方しか、出来ないのよ。」

その言葉に、カイもホウショウもモニタに顔を戻した。

いかに急所ではないにせよ、ダメージは相当なはずなのに。
彼の実力ならば、受け流す事も可能なのに。
レイアルンは、プリンの激情を真正面から受け止めていた。
それでも、倒れないのだ。
膝が崩れかけ、上体をぐらつかせながらも、彼は倒れようとはしなかった。



朝の日射し・・に・・・つつ・・まれてみれば・・・



「はぁ・・はぁはぁ・・・くっ・・・。」



生きるってのも・・そん・・な・・・に
悪い・・もんじゃない・・・



「ばかやろぉおおおおおっ!!」

ぱしっ

力なき、最期の一打が受け止められた。
右拳の痛みを、レイアルンの左掌が包み込む。
そこから、全身へと、温もりが広がってゆく。

「・・・プリン・・・届かねぇよ・・・お前の歌の・・・百分の一も・・・
 キカねぇ・・・。」

ふわ

日溜まりに、抱き締められた。

「あ・・・っ・・・!」

プリンの心臓が、一瞬、とまる。

「・・・おれは・・・お前の歌に・・・何回も何回も・・・助けてもらった
 ・・・のに・・・。」

うなじが、水滴で、濡れた。



雨?



「・・・・それなのに・・・おれは・・・ごめん・・・ごめんなぁ、プリン・・・
 ・・・おれは・・・お前に・・・命を・・・押し付けてるんだろう・・・・でも
 ・・・くそったれ!!それは、お前のためじゃ・・・なくて・・・。」



なんだよ・・・
なんなんだよ・・・
なんで、
なんであんたが泣いてるんだよ!!



「おれのため、なんだ・・・そうしないと、おれが、ダメになるから、なんだ・・・
 勝手なのは・・・わかってるんだ・・・でも、おれは・・・・。」

プリンを包み込んだ両手が、やるせなく、ほどけた。

「・・・・・と・・・約束した・・・か・・・ら・・・・」

風が、言葉をさらってしまう。

そして。

弛緩したレイアルンの身体は、プリンの上をずり落ちて行く。

「・・・終わった、わね・・・。」

短い溜息と共に、フクウの宣言。

カイの頬は紅潮していた。
何故かわからない。
だが、レイアルンがプリンを抱き締めた瞬間。
胸の奥に、かすかな痛みが生じるのを感じていた。

「カイ・・・ごめんね・・・。」

ホウショウの、おびえたような声に、ふと我にかえる。

「・・・さっきの件?いや、ホウショウの判断は正しかった。
 わたしを止めてくれて、ありがとう。」

「ううん、違うの・・・わたし、ほんとはプリンの子をとめるつもりだったの・・・
 プリン、撃たれてもしかたないって、思った・・・。」

「・・・・。」

「でもね、たいちょーが・・・たいちょーが言ったの・・・。」

「・・・枢機卿が?なんて?」

「プリンはおれが止める。だから・・・
 だから、カイに、撃たせるな・・・
 カイを、泣かせるな・・・って・・・。」

胸の痛みが、はっきりと大きくなってゆくのがわかる。

考えるより先に、指先が動いた。
ズームしたのは、プリンの足下に倒れている血まみれの顔。

プリンが、崩れ落ちるようにへたり込んだ。

二人の唇は、はからずも、同じ時、同じ形に動く。

「・・・レイアルン・・・スプリード・・・・。」


・・・だれかが、歌ってる・・・

心臓の、リズムにのせて

あったかくて、やわらかいや

ふかふか、だなぁ・・・

いーい、におい

でも、なんでこんなに揺れるんだろう・・・?

まあ、いいや

だれかが、歌ってる

・・・キク、なあ・・・


ふいに、意識が戻った。
天井の発光パネルが眩しい。

「気がついた?」

簡易ベッドの傍らに、夜の女神がたたずんでいた。

「お・・れは・・・?」

「プリンが基地まで運んできたのよ。私達を2シーターにしたのは正解だったわね。
 隊長のヴァクもホウショウが回収したわ。」

レイアルンは上体を起こした・・・いや、起こそうと、した。

「・・・っつう・・・」

「当たり前です。先だっての傷も完治してないのよ。あなたってひとは、どうして
 後先考えないんだか、まったく。」

出来の悪い生徒をたしなめるような口調で、フクウは言った。

「プリンは・・・どうしてる?」

フクウが、怪訝な顔つきになる。

「なんか、へんなこと、言ったか?」

「あ、ごめんなさい。違う名前を予想してたから・・・。
 彼女なら、あなたをここに担ぎ込んだあと、自室に閉じこもったきりよ。
 明日の朝、第3ポートに集合、とは伝えておいたけれど・・・。」

「・・・そう・・か・・・。」

突然、破綻なき美貌に彩りが添えられた。
「笑い」というモチーフが。

「・・・なんだよお・・・」

レイアルンはその意味を捕らえかね、口をとがらせた。

「他にも、聞きたい事、あるんじゃない?」

「・・・うるさいなあ・・・。」

まるで拗ねた子供のように、日溜まりが背を向ける。

それを見計らったかのように、フクウの笑顔が変化した。

すこしだけ、かなしげに。


「たいちょー・・・来るかな?プリン、来るかな?」

基地エリアの第3ポート・・・貨物機専用の滑走路では、既に
軍用の大形輸送ヘリが、その巨大な二つのローターを回し始めていた。

「ねぇ・・・フクウはどう思う?」

不安げなホウショウの問いに、フクウは微笑みながらも首を振った。

「わからないわ・・・彼女を縛るものはなにもないし・・・。」

ちら、とカイを見る。
だが、彼女は、その言葉を聞いてはいなかった。

カイの視線は、寮のある方角にむかって立ち尽くす背中を、
じっと見つめていたから。

ローターの巻き起こす突風に、ほどけかけた包帯がはためいている。

「ねぇ・・・ねぇ・・・カイ?プリンといっしょなら、きっと楽しいよね?」

無垢を具現した可憐な声。

カイは、あわてて視線をそらす。
ホウショウとは全く逆の方向へ。

それを拒絶と受け止めた少女は、寂し気にうつむいた。

しかし。

「・・・そう、ね・・・そう、思う。」

ともすればヘリのモーター音にかき消されそうなちいさな声。

それが、顔をそむけるカイの方から聞こえたという事実。
ホウショウの表情は曇り空から晴天になる。

ローターの回転がさらに上がった。

一瞬、薄く積もった黄砂が舞い上がり、皆、一様に目をふせる。

そして、再び、顔を上げた時。

「・・・あーっ!!」

素頓狂な叫びが上がった。
とても嬉しそうな装いで。

引き締まった長躯にゆらゆる陽炎を纏いながら、プリンがしっかりとした
足取りで近付いてくる。

黒かった髪を、金色にたなびかせて。

だが、レイアルンはその姿に、見覚えがあった。

彼女のアルバムジャケット。
降り注ぐ雨の中、濡れそぼりながら、空を見上げて微笑む金髪の「プディング」。

泣きたくなるくらい、優しさに満ちあふれたイラストレイション。

アーティストの名は、ジョージ・サウザンフィールド。

夭折と呼ぶにしても早すぎたこの天才は、今年になってようやく
世に注目されはじめている。
プリンは、おそらく、それを知るまい。

「よう。待たせちまったかい?これに手間取っちゃって、さ。変身、てか?」

おどけながら右手で、前髪をちょっとつまむ。
その顔には、昨日まで確かにこびりついていた澱など微塵もなく。
はにかんだ朗らかな微笑みが、完全に取って変わったかのように。

否。

もともと、それこそがあるべき場所、だったのかも知れない。

「プリン・・・。」

なにか言おうとするレイアルンを右手を掲げて制止する。

「・・・やっぱ、あたしが行かないとだめじゃん、とか思ってさ。」

ちょっと眩しそうに、彼女は目を細めてつづけた。

「・・・レイアルン・・・あんた、歌下手だし。」

「いててて。」

レイアルンは、苦笑しながら頬をさすった。

「ブリーン!!はやく、はぁやぁくぅ!!」

エンジン音に負けじとばかりの大声で、ホウショウが叫ぶ。

「よお、ホウショウ!アイス、買ってきたぜぃっ!!」

カットオフしたレザーパンツから伸びる長い脚が、踊るようにタラップへと向かう。

ふと、お互いの肩がふれそうな距離ですれ違う瞬間。

「あたし、コネコ、には負けないから。」

昨日、砂漠の風が持ち去ったはずの言葉。

「ぶっ!!」

なんとも間の抜けた表情で振り向いたレイアルンは、
タラップから満面の笑みを浮かべて駆け降りるホウショウと、
それをサムズアップで迎えるプリンの姿に、我知らず口元をほころばせた。

日溜まりの笑顔。

それは、まるで、

歌に、なりそうなほどに。


*次回公演*

お人形がだぁい好き
でも、
ひとは・・・よくわかんない

みんな、わたしのお人形、見て
とっても、怖がったりするの
こんなに、かわいいのにね

ホウショウ・アマツカ

笑う程に
痛みを振りまいて・・・

第四夜
「It’s a sin」

人形にも・・・こころはあるんだよ・・・


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