笠杉山(1032.1m)〜段ケ峰(1103.4m) 一宮町・朝来町・生野町 25000図=「神子畑」 |
---|
笠杉山から春まだ浅き稜線を段ケ峰へ
笠杉山と段ケ峰は、播但国境の奥深くに稜線をつないでいる。
道路脇に、「笠杉山登山口」の標識があった。そこから、沢沿いの小径に入った。しかし、しばらく歩くとその径は倒木にさえぎられて、平行して伸びていたバラス敷きの新しい道路に出なくてはならなかった。その道路は、突き当たった小さな二股で終わった。 水の流れていない左の方の小さな谷は、コケや草の緑でおおわれ、その中に踏み跡がついている。踏み跡はすぐに消えたが、そのままその谷を上り詰めて支尾根に立った。アカマツ林の下にかすかな径のついた支尾根を、マツの落ち葉やマツボックリを踏んで上った。やがて、アセビの葉の濃緑がめだち始めて主稜線にたどり着いた。 ここから、笠杉山山頂まではもう近い。雑木の中の伐り開きを進んでいった。落ち葉の中にタチツボスミレが咲き、ムシカリが白い花弁を辺りの風景に際立たせていた。 山頂のひとつ手前のピークから、初めて笠杉山の姿が見えた。マツの緑は鮮やかだが、山頂東斜面の自然林の木々はまだ十分に葉を広げていない。薄緑や薄オレンジの芽吹き初めの色が、褐色の枝先をわずかに染めているだけであった。 山頂への急坂を上る。やがてゆるくなった道の先に、一本の白い標柱が立っているのが見えた。狭い尾根の一筋の伐り開きの中の一点が、そのまま笠杉山の山頂であった。 かつて、多田繁次氏がその著書で、「笠杉山はまったく孤高の山である」と謳った山頂……。節理を反映した小さな方状の岩が、いくつも山頂の前後にとび出していた。その中のひとつの岩に腰掛けた。辺りは、ブナ・ミズナラ・リョウブ・コナラの林。ブナは、とがった褐色の冬芽を破って葉を出そうとしている。ミズナラは柔らかな葉を小さく出し、リョウブの若い葉は半ば開いて空に向かっていた。 展望は西に大きく開けていた。藤無山の右奥深くに見える氷ノ山は、尾根に途切れ途切れに雪を残している。さらにその右奥にかすんでいるのは、扇ノ山だろうか。ときどき、キツツキのドラミングの音が軽快に響いた。 笠杉山山頂を後にして、主稜線を段ケ峰に向かった。笠杉山を下った最低コルは、上千町と奥田路を結ぶ峠であった。そこには、トタンで囲まれた簡素な祠の中に、地蔵が静かに立っていた。 峠から、ヒノキの植林の中を上っていく。林内は風が自由に通り抜けて、ほてった体を冷やしてくれた。植林から自然林に変わり、傾斜はしだいにゆるくなってきた。そして、ササ原にアセビの群れ立つ高原へ出た。一筋の径が、アセビを縫うようにして背の低いササの中についている。土壌が流動化した氷期にも、尾根のどちら側にも落ちることができなかった岩が、ササ原の中に残っている。
そして……アセビも途絶えると、さえぎるものが何もない広いササ原が目の前に広がった。そこがCa.1080mピーク、奥段ケ峰であった。
奥段ケ峰から町界尾根に沿って踏み跡が続いていた。下ったコルから、段ケ峰へ上り返す。シジュウカラがせわしく遊んでいた。 山行日:2003年4月29日
|
国道429号線を百千家満(おちやま)で東へ折れ、千町へ向かう。上千町の家が途絶えると、道は地道となってそのまま東へ伸びている。地形図破線路の終点あたり( Ca.750m)で、「しそう森林王国」の建設工事が行われていた。その手前の堰堤上に車を止める。 |
■山頂の岩石■ 流紋岩質溶結凝灰岩 (白亜紀 生野層群最上部累層) 笠杉山山頂には、方状から板状の節理を反映した外形の流紋岩質溶結凝灰岩が露出している。褐色でガラス質の緻密な岩石である。結晶片として、石英・長石・黒雲母を多く含んでいる。 段ケ峰山頂の岩石も、同様の岩石である。(「リンドウの花咲く秋の高原」参考) 奥段ケ峰や段ケ峰の山頂部は、起伏のきわめて少ないゆるやかな高原上状の地形になっている。地形図を見ても、等高線の間隔が広がり、その平坦な地形がはっきりと読み取れる。これは、氷期に形成された化石周氷河斜面である。 また、崩落した岩塊が山の斜面の凹部にひも状に連なった岩塊流もこの山域で観察された。 ※化石周氷河斜面や岩塊流については、「高星山から平石山の周氷河地形」や「砥峰高原の地質と地形」をご覧下さい。 |