ススキの波打つ砥峰高原の地質と地形

秋の砥峰高原(2010.10.06)
 砥峰高原は、播磨の北部、神河町の高地に広がっています。
 高原にはススキの草原が広がり、秋になれば銀色の穂がいっせいに波打ちます。
 このススキの草原を守るために行われる「山焼き」は、毎年春の風物詩となっています。
 また、2010年には映画「ノルウェイの森」のロケ地となったことで話題を呼び、多くの観光客が訪れるようになりました。
 この高原は、周氷河地形の一つである化石周氷河斜面と考えられています。
 また、高原内には小丘や不自然な谷筋など、タタラ製鉄のために削り取られた人工的な地形が見られます。
 また、高原内の河原では花こう岩の中にふくまれていた磁鉄鉱(砂鉄)や電気石を採集することもできます。

 2011年8月に、福崎西中学校の夏季理科講座としてここで野外実習を行いました。

 今回の野外実習では、周囲の景観や自然の保護に十分に配慮し、岩石や鉱物の採集は標本として必要最小限なものにとどめました。また、とのみね自然交流館にいろいろとご協力をいただきました。ありがとうございました。
 砥峰高原は、兵庫県立自然公園の特別地域に指定されています。自然を大切にし、マナーを守って、景観を楽しんだり自然の観察を行ったりするようにしましょう。


1.砥峰高原の岩石

花こう閃緑岩の採集 花こう閃緑岩

 神河町川上から、砥峰高原を目ざします。砥峰高原の花こう閃緑岩は地表に表れると風化が進み、真砂(まさ)になっていることが多いのですが、高原に入る手前の道路脇に新鮮な岩石を観察できる露頭があります。ここで、岩をハンマーで叩き、岩石の標本を採集することにしました。岩が硬くてなかなか割れませんでしたが、それでも全員が手のひらサイズの標本を採ることができました。

 この岩石は、マグマが地下深くでゆっくりと冷え固まった深成岩のひとつ、花こう閃緑岩です(花こう閃緑岩は、大きく分類すると、花こう岩の仲間といえます)。
 全体的に灰色をしていて、主に石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・角閃石から成っています。全体的に細粒ですが、角閃石の柱状結晶に大きいものがあり、長さ1cmに及びます。
 また、緑色でガラスのように光る鉱物がこの岩石の中に入っていることを生徒が発見しました。これは、緑れん石の結晶でした。
 この「砥峰高原花こう閃緑岩体」は、白亜紀〜古代三紀にかけて形成された山陰帯の深成岩類に属しています。

2.化石周氷河斜面

砥峰高原の景観

 道の傾斜がなくなったと思ったら、目の前に緑の草原が大きく広がりました。砥峰高原です。「とのみね自然交流館」のテラスに座ると、砥峰高原の景観が一望できました。

 砥峰高原は、標高800〜900mの高さで、ゆるやかに起伏を繰り返しています。
 第四紀(260万年前〜現在)は、地球上に氷期が繰り返し訪れた時代でした。県内でも、氷期には気温が7〜8℃低下したと考えられています。そのときの気温低下による岩石の凍結・破砕は、低地よりさらに温度の低い高所で激しく起こりました。山頂部や突出部の岩石は破砕によって崩落し、山上の凹部は崩落した岩石で埋まりました。
 その結果、起伏のきわめて少ないゆるやかな高原状の地形が形成されたのです。砥峰高原は、このようにしてできました。このような地形を「化石周氷河斜面」といいます。

 ※ 化石周氷河斜面は、氷河の周辺に見られる寒冷気候を反映した「周氷河地形」の一つです。高原の解説板に、「砥峰高原は、氷河期に氷河が動いて形作られた高原で……」とありますが、これは間違いです。ここに氷河があったというわけではありません。
 周氷河地形にはこの他、トア(岩塔)、ロックフォール、岩塊流、麓屑面などがあります。

 参考:「高星山から平石山の周氷河地形」


3.タタラ製鉄のための削り跡

砥峰高原の地形

 砥峰高原内には、いくつかのこんもりと盛り上がった小丘が見られ、また、浅く短い谷がいくつも走っています。秩序がなく不自然なこのような地形は、侵食などの自然の営みでできたとは考えられません。
 これは、タタラ製鉄のために人工的につくられた地形です。
 高原に見られる谷筋は、表面の砂を削り取った跡や鉄穴流し(かんなながし)の跡と考えられます。また、砂鉄を採った後の土砂がこの谷を埋めているために、浅くゆるやかな谷となっています。
 小丘は、岩石の風化が進んでいない部分で、そのために岩石が硬くて削り取りから残された部分だと考えらます。

 参考:「たたらの里学習館(天児屋たたら公園)」

4.砂鉄の採集

川に磁石を差しこんで砂鉄を採る 乳鉢で砂鉄を洗う

 高原の遊歩道を歩き、ススキの間の木道を進んで河原にでました。ここで、砂鉄の採集です。水の中に磁石を差しこんで、砂をかき回すと、磁石に砂鉄がくっついてきます。
 砂の黒っぽく見えるところに砂鉄が多くふくまれていて、そんなところから磁石を取り出すと、磁石の先に砂鉄が盛り上がってついてきました。それを見て、生徒たちは、「アフロやあ」と盛り上がり、フィルムケースは砂鉄でいっぱいになりました。

砥峰高原の砂鉄

 このままだと、砂鉄に岩片が混じっていたり、砂鉄が泥で汚れていたりします。持って帰って、きれいにすることにしました。乳鉢に、採集した砂鉄を入れ、水を加えて親指の腹でよくこすり、泥などの汚れを洗い流します。この作業を、水が汚れなくなるまで何度か繰り返します。理科室ではここまで。
 あとは宿題で、家に持ち帰った砂鉄を紙の上で乾かします。これに磁石を近づけると、きれいな砂鉄を取り出すことができます。

 砂鉄の正体は、花こう閃緑岩に含まれている磁鉄鉱です。山陰帯の花こう岩類には、磁鉄鉱が多く含まれています。昔は、この磁鉄鉱からたたら製鉄によって鉄をつくりだしていたのです。

5.電気石の採集

電気石の脈 石英中の電気石
(写真横約4cm、三森君の標本)

 河原には、花こう閃緑岩の転石がたくさん転がっていました。この中に、黒い縞模様が見られるものがあります。この黒い部分が電気石(鉄電気石)です。砥峰の花こう閃緑岩には、電気石が脈状に入った部分がたくさんあるのです。
 電気石は、多くが塊状(微細な結集の集まり)ですが、なかには長柱状の結晶が見られるものもありました。
 この日の最高の傑作は、三森君が発見しました。これは、無色透明の石英の中に電気石が放射状に集合したもので、たいへんきれいでした。

6.琢美鉱山へ

琢美鉱山跡

 最後に、琢美鉱山跡を訪れました。砥峰の花こう閃緑岩は、多くの鉱床をともなっています。琢美鉱山は、その中の一つでした。
 琢美鉱山は江戸時代末期に開発され、昭和38年まで操業されました。ここでは、大正初期から昭和中期にわたって硫砒鉄鉱が採掘され,それを焙焼して亜砒酸が製造されていました。
 
 高原のいちばん上まで登り、そこから森の中の道を歩きます。これが、なかなか大変でした。
 鉱山の跡地は、鉱害防止工事が施されて建物は残っていませんが、狭い谷間に開かれた平地とズリ(廃石)が、ここに鉱山のあったことを教えてくれます。
 2009 年8月の台風9号によってこの谷は大きく削られ、鉱脈中の岩石が新しく流れ出ました。これらの岩石から、硫砒鉄鉱を探しました。
 金色に光る黄鉄鉱は、すぐに見つかりました。硫砒鉄鉱も、一人が見つけると、次々と見つかりました。三角形が二つ組み合わさったひし形の結晶面が、鑑定の決め手です。

 午前8時から午後2時30分まで、昼食もとらずに行った理科講座でした。みなさん、ご苦労さんでした。自然を調べることの楽しさを感じてもらえたのなら、とてもうれしいと思います。

参考:「兵庫県神河町の琢美鉱山の砒素鉱床」


7.とのみね自然交流館

とのみね自然交流館と星の観察(2002.8.10)
 夏は緑に波打つ草原、秋はススキの穂が金色や銀色に光って揺れ、冬は一面の銀世界……。砥峰高原は、四季折々に魅力的な景観をつくりだします。
 「とのみね自然交流館」は、ここを訪れる人の憩いの場として、また、高原の保全管理や自然観察の支援拠点として活用されています。また、そのとなりの「交流庵」では、おいしいおそばを食べることができます。

 星の観測地点としてもよく利用され、ここから撮られた美しい天の川の写真が新聞の紙面を飾ったりします。

 ある夏の初め、娘と二人で天体望遠鏡を持ち込んでここで星を見たことがありました。その日は曇りがちの天気でしたが、それでも雲の切れ間にいろいろな星が見えました。一番星だった金星の欠けた姿や、アルビレオやミザール・アルコルといった二重星を天体望遠鏡で覗き見ました。近くではライト・トラップによる昆虫の調査が行われていました。そのまばゆい光が目に入りましたが、それでも天の川は淡くなって横たわっていました。


■岩石地質■ 花崗閃緑岩(白亜紀〜古第三紀 砥峰高原花崗閃緑岩)
■ 場 所 ■ 神崎郡神河町 25000図=「長谷」
■探訪日時■ 2011年8月18日