たたらの里学習館(天児屋たたら公園)     宍粟市千種町  
鉄のふる里・千種のたたら遺跡と学習館

 三室山から後山までの県境の山脈に囲まれた、千種川の源流、天児屋川のほとりに「天児屋たたら公園 たたらの里学習館」がある。ここ千種町には、白亜紀から古第三紀にかけての花崗岩類が広く分布し、その風化したマサ(真砂)から採った砂鉄(磁鉄鉱)を利用して、古くから「たたら製鉄」が行われていた。その鉄は、人々の生活を支える農耕具の素材になったり、中世以降には「千種鉄」あるいは「宍粟鉄」という名で備前系刀鍛冶に珍重され数々の名刀になったりした。
 「たたらの里学習館」の展示室の中央に、「天児屋鉄山遺跡山内復元模型」がある。また、解説ビデオによってたたら製鉄の歴史や工程について学習したり、鉄穴流し唄などが聞ける。(千種町の紹介の中はで、「つちのこ」を生け捕りにいたら2億円、死骸を持っていけば1億円とあった。)
 訪れた日は、昨日からの激しい雨で水量を増した川の水音とせみしぐれが、あたりに響いていた。

『たたら』とは
 映画「もののけ姫」にもでてきた「たたら」とは何だろう。「たたら」とは、古くからの製鉄用語である。古代は、火力を強めるために炉に風を送る吹子(ふいご)を意味していた。それが中世には、炉(溶鉱炉)を「たたら」というようになり、さらに近世には炉を覆う建物である高殿を「たたら」というようになった。
『金屋子神(かなやごじん』の話
 島根県能義郡にある金屋子神社の祭文(筆写)が学習館に展示してあった。それには、『播磨国の志相郡(しそうのこおり)、今の岩鍋(現、千種町岩野辺)と云ふ所に、高天原より一はしらの神天降り坐す有り』とある。その神は、自分を「作金者(かなたくみ)金屋子神」と名乗り、盤石(いし)で鍋を作った。そして、白鷺に乗って西の国(出雲)へ飛んでいったという。この話は、昔、鉄を求めて移動した民がいて、この千種町にも立ち寄ったことなどを教えてくれる。『故に、鍋のはじまりは播磨国なり』と記されているのもおもしろい。
たたらと地質との関係
 たたら製鉄によってつくられる鉄の原料は砂鉄である。砂鉄は、花崗岩類(花崗岩などの酸性深成岩類)が風化してできた真砂(まさ)を掻き取って、それを水に流し、水底に沈ませて集めた。。その砂鉄は、もとは岩石中に含まれていた磁鉄鉱である。花崗岩は、主要造岩鉱物として石英・斜長石・カリ長石・黒雲母・角閃石からできているが、これに少量の磁鉄鉱・チタン鉄鉱などが含まれている。西日本では、日本海側に分布する花崗岩類に磁鉄鉱が多く含まれ「山陰型花崗岩類」と呼ばれている。千種町から隣の波賀町にかけては、白亜紀後期から古第三紀にかけてへい入した花崗閃緑岩や石英閃緑岩などからなる「波賀複合花崗岩体」が広く分布している。「波賀複合花崗岩体」は山陰型花崗岩類であり、この岩石中の磁鉄鉱をたたら製鉄の原料としたのである。

 
 たたらの遺跡は、石垣によって整然といくつにも区画されてた。「勘定場跡」、「高殿跡」、「山内小屋跡」などを示す標柱が立ち、当時をしのばせる。
 遺跡を見下ろす位置には、金屋子神祠(跡)と妙見神祠がある。鉄作りを伝えたと云われる金屋子神を拝み、安全を祈願したり、良い鉄がとれるように願ったのであろう。
 遺跡の下には、大きなヤマザクラの古木が立ち、その下に山ノ神祠があった。ヤマザクラのそばには、カエデやミズナラ、エゴノキも生えている。エゴノキを土地ではシャシャといい、実を乾燥させてお手玉に入れたと学習館の人に教えてもらった。エゴノキの実をかじってみると、強烈にエグかった。
天児屋鉄山跡

 たたら製鉄の工程や分業の様子が、9枚の展示パネルよって説明されている。左は、鉄穴口(かんなぐち 掘り場)の図で、山を掘り崩し、井出(いで 水路)に流して、比重によって砂鉄と土砂を分離する作業が描かれている。
たたら製鉄の工程(鉄穴口での掘り崩し)

炉・地下構造模型
地下から湿気が上がるのを完全に防ぐため、排水溝を作り、砂を「にがり」で固め、炭や薪を燃やした灰を叩きしめるなどの作業を繰り返して炉床を作った。「床焼き百日」といわれるほど、多くの日数と費用をかけた。

高殿(たたら)での「鉄吹き」の様子
村下(むらげ)の指図で、炉に炭と砂鉄を追いくべしながら三昼夜吹き続けた。
製鉄に使った道具類
くまで、くわ、はし(はさみ)など、30種類以上の道具が展示されていた。
玄関横に置かれた「けら塊」
4日目の朝、炉を壊して引き出した鉄のかたまりが「けら」。これを、細かく割り、選別して、一部はさらに手を加えて鉄にした。
■ 場  所 ■ 宍粟市千種町西河内1048−38 25000図=「西河内」  TEL 0790ー76−3833
■ 開  館 ■ 午前9時〜午後5時
■ 休館日 ■ 水曜日 (12月1日〜翌年3月31日の期間は、休館)
■ 探訪日 ■ 2001年8月10日
      

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