岩屋山(506m)・石戸山(548.8m)・高見城山(485.2m)
    丹波市           25000図=「柏原」


丹波の秋の縦走路、石龕寺から石戸山を経て高見城山へ

岩屋山(左)と石戸山(右)
頭光嶽より
高見城山
Ca.470m送電線鉄塔より

 下山予定地に自転車を置き、車で登山口まで回り込んだ頃には、朝霧もすっかり消えて青空が広がっていた。

 仁王像の迫力に圧倒されて仁王門をくぐった。聖徳太子の開基と伝えられ、もみじの名所としても知られている石龕寺(せきがんじ)。石仏群の傍を歩けば、赤や黄、秋の彩りに包まれた。県下一の大きさを誇るコウヨウザン。その枯葉が、ムラサキシブの枝にかかっていた。

石龕寺、石仏群と紅葉 奥の院への道より石龕寺の庫裏を見る

 毘沙門堂の右脇の小さな橋を渡ると、分岐があった。どちらも奥の院につながっている。右手の「奥の院大漕参道」に進んだ。
 2つの谷にはさまれた小さな尾根をつづらに上る。落ち葉の敷き積もる自然林。ところどころに、寺が栄えた頃の僧坊跡の石垣が残っている。シジュウカラが枝を渡り、コゲラの木をたたく音と鳴き声が聞こえた。
 道は尾根を北から南へ渡り、浅い谷の人工林の間に伸びていた。急坂を上ると、奥の院の鐘楼堂に達した。南が開け、眼下に岩屋川の開いた谷が直線的に伸びていた。
 奥の院では、岸壁に張りつくようにして拝殿が建ち、その傍らに石龕寺の発祥となった聖徳太子にまつわる小さな石窟があった。

 鐘楼堂から急坂を上ると、439mピーク頭光嶽に出た。送電線鉄塔の間から、ろう石鉱山として南面が大きく削り取られた岩屋山と樹木に覆われた石戸山の丸いピークが並んで見えた。
 頭光嶽から、よく歩きこまれた尾根道を北へ歩くと、金屋鉱山跡の上に出た。鉱山の大露頭を見て、尾根からその露天掘りされた底へ下る。
 途中に、崩れかけた火薬庫が残っていた。中に入ってみると、地面には5,6個のさびた滑車が転がっていて、その上に「導火線燃焼速度一米百四十秒」とやっとのことで読める木の札が掛かっていた。
 鉱山の底……ろう石を削り取った岩盤が左右に大きく切り立っている。さびたブルドーザーやトラックが、そのまま置き去りにされている。地面には、上から落ちてきたり、採石時に残されたりした大小の岩がいくつも転がっていた。それらの岩の中から、白や黒や緑や紫、いろいろな色のろう石をいくつも取り出すことができた。

奥の院 鐘楼堂 金屋鉱山跡

 鉱山跡の東端には、小さな選鉱所が赤褐色に色づいたウリハダカエデの葉に囲まれて残っていた。そこから登山道を北へ上った。
 急な斜面には古い落ち葉が積み重なり、その上に赤いカエデの葉が散っていた。林の中の古くて大きな木はアカガシだった。
 斜面を上り詰めたところは、岩屋城の堀切跡。ここからさらに2つの堀切跡を渡って、岩屋城址、岩屋山の山頂に達した。ここは、金屋鉱山のすぐ上。城跡の多くは、鉱山に削り取られてしまった。南にくさりが張られ、その先は鉱山の底にストンと切れ落ちていた。
 午後になって少しもやが出てきた。南に加古川の水面がにぶく光っていた。

 岩屋山から堀切を戻り、尾根道を北へ向かうと、ほどなく石戸山の山頂に達した。鉄平石でできた4つの保護石の中に、一等三角点がずっしりと埋まっていた。
 山頂は丸く開かれていたが、その周りは木々に囲まれている。茶褐色に色づいたコナラの葉の上に、ぽっかりと青い空が広がっていた。
 ときどき、石龕寺の方から参詣者が鳴らす鐘の音が風に乗ってここまで上がってきた。

 石戸山の山頂から北への尾根は、丹波鉄平石の採石跡が続いていた。板状に割れた溶結凝灰岩があちこちに積み重なっている。ハンマーで叩くと、パリンといい音を立てて割れ、ピンク色の新鮮な破断面が現れた。

石戸山山頂 丹波鉄平石の産地

 まだそんなに歩いていないのに、ろう石と鉄平石に気を奪われて、ずいぶん時間を費やしてしまった。少し、急がなければならない。
 道は急になったり緩くなったりしながら、雑木の尾根をずっと北へ続いていた。木漏れ日の映る落ち葉を鳴らして歩いた。
 一羽のクロジが落ち葉の間をつつき、虫を探していた。背後の私に気がつかないほど熱中しているのか、ずいぶん長く双眼鏡の視野にいてくれた。
 明瞭な道を、ウラジロがおおい始めた。道に映る木の影で、陽が大きく傾いてきたことが分かった。
 送電線巡視路と重なっていた登山道は、標識のある分岐で右に分かれた。この道を進むと、新しい送電線鉄塔の立つピークに出た。
 深い谷を隔てて、目の前に高見城山がそびえている。常緑樹の緑、夏緑樹のオレンジや茶褐色……、高見城山の山肌はまだらに彩られていた。
 タカノツメの黄葉が散る道を下り、最後のコルからしだいに岩がちになってきた道を上り詰めると、高見城山の山頂にたどり着いた。

 8年前、家族4人で登った山頂……。ふもとから仰ぎ見た山の姿や、そのときの妻や子の様子は思い出せるのだが、この山頂の光景は少しも覚えていなかった。
 笠形山、またに山、千ヶ峰、篠ヶ峰……北の奥には粟鹿山の山頂が見える。幾重にも重なった山並みが、逆光に稜線だけ青く染まって墨絵のように浮かんでいた。

高見城山山頂 高見城山山頂より

山行日:2007年11月17日
石龕寺〜奥の院〜頭光嶽(439m)〜金屋鉱山跡〜岩屋山(506m)〜石戸山(548.8m)〜487mピーク〜Ca.470m送電線鉄塔〜高見城山(485.2m)〜「丹波悠遊の森」駐車場=(自転車)=石龕寺
 石龕寺駐車場から歩く。境内で、道はいくつかに分かれて岩屋山へ続いている。今回は、「奥の院大漕参道」で奥の院まで行き、頭光嶽、金屋鉱山跡を経由して岩屋山へ達するコースをとった。
 岩屋山から、北へ石戸山。そこから主尾根をさらに北へ、高見城山までたどった。高見城山から「丹波悠遊の森」駐車場に下った。
 ここから、登山口の石龕寺駐車場まで約15km。自転車で70分かかった。
■山頂の岩石■ 石戸山→後期白亜紀  平木溶結凝灰岩上部層 流紋岩質溶結凝灰岩(丹波鉄平石)
           高見城山→後期白亜紀 
鴨川層 流紋岩質火山礫凝灰岩

 石戸山山頂付近の岩石も、高見城山山頂付近の岩石も、後期白亜紀のいわゆる有馬層群に属している。

 石戸山の岩石は、あずき色の緻密な溶結凝灰岩。「丹波鉄平石」として、かつて採石されていたものである。板状節理が強く発達し、節理に沿って薄く板状に割れる。このため、建物の床や壁の材料に利用されていた。
 1〜2mm程度の大きさの石英、斜長石、カリ長石の結晶片を多く含んでいる(最大5mm)。また、有色鉱物として黒雲母を含んでいる。石英は、融食されていつことがルーペで観察できる。また、数mm程度の大きさのシルト岩などの異質岩片を含んでいる。
 溶結構造は明瞭で、厚さ1mm程度、長さ10mm程度に薄く長く伸びたレンズが観察できる。

 高見城山の岩石は、弱溶結の火山礫凝灰岩。塊状で、節理は発達していない。黒色頁岩の小岩片を多く含み、1cm程度の軽石も観察できる。風化が進み、淡緑色を呈することが多い。山頂のすぐ下では、小さな黄鉄鉱が見られた。

※ 丹波鉄平石に関しては、『石戸山の丹波鉄平石』を参考にしてください。
※ 金屋鉱山跡のろう石に関しては、『金屋鉱山、山上の「ろう石」鉱山跡』を参考にしてください。

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