HP「兵庫の山々 山頂の岩石」
ひょうごの大地はどのようにしてできたか Ver.6

 日本列島がどのようにして形づくられていったのかは、新しいデータや考え方によってずいぶん変化してきました。それによって、このページも更新をくり返しています。
 このVer.6は2021年12月に更新したもので、日本列島がつくられた次の3つの時期に分けて、兵庫の大地がどのようにしてできたかを説明しています。
 
1 大陸の端で成長した時代(古生代〜中生代ジュラ紀)
主に付加体の形成によって成長した
2 激しい火山噴火の時代(中生代白亜紀〜新生代古第三紀)
激しいカルデラ噴火が起こり、地下では花崗岩ができた
3 日本列島として成長した時代(新生代新第三紀〜第四紀)
大陸から引き離されて日本列島となり、その後の変動で今の日本になった
■ひょうごの地質形成史

Ver.1 初回登録(1998.8.11)
Ver.6 ジルコン年代の蓄積などによる新しい知見に基づき全体的に改正(2021.11.24)
1 大陸の端で成長した時代(古生代〜中生代ジュラ紀)
 
 かつて日本列島は、ユーラシア大陸の東端にくっついていました。
 日本の南の海の底では、中央海嶺で生まれた玄武岩の上に、放散虫というプランクトンの遺がいや火山灰などが降り積もっていました。放散虫の遺がいが固まるとチャートという岩石になります。また、海山の周辺にはサンゴ礁ができて石灰岩になりました。
 これらの地層は、北上してきた海洋プレートが海溝から沈み込むときにその一部がはぎとられて、大陸から運び込まれた砂や泥とともに次々と大陸側に付け加わりました。
 このようにして付け加わった地層を付加体といいます。ジュラ紀になると、これらの地層はプレートに押されながら隆起して陸地となりました。
 ただし、一方的に付け加わったわけではありません。プレートの沈み込みによって、それまでできていた付加体が削り取られることがあるからです。これを構造侵食といいます。日本列島は、付加体形成と構造侵食をくり返しながら、全体としては付加体形成の方が勝った結果、つくられていったのです。

海の地層が付け加わった - 付加体の形成 - (イラスト:田ア正和)

 はじめに日本列島はユーラシア大陸にくっついていたと書きましたが、正確には、7億年前ごろ日本列島はロディニア超大陸が分裂してできた南中国地塊の縁にありました。そのころ、大陸から流れ込んだ堆積物が海に流れ込んで地層をつくっていましたが、その痕跡は残されていません。
 6億年ごろ、ここでプレートの沈み込みが始まり、付加体が形成されて日本列島がつくられ始めたのです。

 兵庫の大地も、このような日本列島に起こった大きな出来事の中でつくられました。兵庫の基盤は、その形成された時代や分布・構造、岩石の特徴によって、北から大江山オフィオライト、秋吉帯、三郡帯(智頭帯)、舞鶴帯、超丹波帯、丹波帯、領家帯、三波川帯に区分されています。
   
(1) 兵庫でいちばん古い岩石ができた(先カンブリア時代)
蛇紋岩の露頭(養父市関宮岩体)
  兵庫でいちばん古い岩石は、養父市の「関宮岩体」と豊岡市の「出石岩体」で、かんらん岩とそれから変化した蛇紋岩でできています。
 同じような岩石は京都府の大江山や鳥取県の若桜などにも点々と分布しています。これらの岩石は「大江山オフィオライト」と呼ばれ、日本全体でも最古の岩石のグループに属しています。
 オフィオライトとは、付加した過去の海洋プレートで、上部マントルのかんらん岩類や海洋地殻の斑れい岩、玄武岩、チャートから成っています。
 2015年、大江山オフィオライトの形成に関して、広島県庄原市の西城岩体の斑れい岩中のジルコンから5億4500万年前の年代が得られました。これは、古生代より古いプレカンブリア時代の末期にあたります。
 関宮岩体や出石岩体のもとの岩石も、プレカンブリア時代末期(原生代 新原生代末期)にマントルで形成されたと考えられます。

 大江山オフィオライトは、最近では長門-蓮華帯にふくめられています。
 長門-蓮華帯は、古い時代の変成岩や花崗岩をふくんだ蛇紋岩メランジュです。この蛇紋岩メランジュは、南中国地塊が北中国地帯に衝突したことによってつくられたと考えられています。これについては(4)を参照してください。

 長門-蓮華帯の蛇紋岩メランジュからは、地下深くの高い圧力の下でつくられるヒスイ輝石が発見されています。関宮岩体からも、1971年に養父市大屋町でヒスイ輝石が発見されました。
 
(2) 三郡帯の変成岩ができた(石炭紀後期〜ジュラ紀)
智頭帯の千枚岩(佐用町若洲)
 海洋プレートが海溝から沈み込むとき、一部ははぎとられて大陸側に付加しますが、それ以外は地下深くまで沈み込んでしまいます。それらは、地下深くの高い圧力によって結晶片岩などの低温高圧型の変成岩に姿を変えていきます。このような変成岩は、兵庫の北部では、養父市西部と佐用町北部に見られます。

 かつては、この地域の低温高圧型変成岩の分布域は三郡変成岩として一括されていました。しかし、三郡変成岩の変成年代が測定され、次の3つに分けられるようになりました。
 蓮華帯・・・変成年代は約3億年前(石炭紀後期)  南北中国衝突以前の地質体をふくむ蛇紋岩メランジュ 変成岩のもとの岩石は石炭紀の付加
 周防帯・・・変成年代は約2億2000万年前(三畳紀)  もとの岩石はペルム紀〜三畳紀の付加体(秋吉帯に相当)
 智頭帯・・・変成年代は約1800万年前(ジュラ紀) もとの岩石はジュラ紀の付加体(丹波帯に相当)

 佐用町北部の変成岩は、分布から智頭帯に属していると考えられます。養父市西部の変成岩については、よくわかっていませんがもっと古い可能性があります。
 
(3) 秋吉帯の地層が付加した(ペルム紀後期)
 京都府北部には泥岩を主体とするペルム紀の下見谷層が分布していますが、よく似た地層が豊岡市但東町に小さく分布しています。この地層が、秋吉帯に属すと考えられています。
 秋吉帯は、サンゴ礁をいただく海山を乗せた海洋底が沈み込むときに大陸側に付け加わった付加体で、京都府から福岡県へと断続的に続き、石灰岩の広がる山口県秋吉台などが有名です。秋吉帯の地層は、石炭紀前期〜ペルム紀中期に堆積し、ペルム紀中期ごろに付加しました。
 但東町の地層は、泥岩を主体としています。この地層が、兵庫ではいちばん古い付加体といえます。ただし、下見谷層は秋吉帯とは異なる独自の地帯(志高帯)である可能性も指摘されています。
 
(4) これまでの付加体がほとんど消える(ペルム紀後期)
 2億5000万年前ごろのペルム紀後期、日本列島に大きな事件が起こりました。南中国地塊が北中国地塊にぶつかり、南中国地塊とその縁でそれまでつくられていた秋吉帯より古い付加体の大部分が北中国地塊の下に消えてしまったのです。
 このとき、地中深くにもぐり込み断片化した付加体の一部が、マントル物質が変質してつくられた蛇紋岩ですき間を埋めるような構造(蛇紋岩メランジュ)になり、後に地下深くから絞り出されるように地表に現れました。
 この蛇紋岩が関宮や出石で見られる蛇紋岩で、断片化して蛇紋岩にとらえられたのが蓮華帯の変成岩(蓮華変成岩)と考えられます。
 
(5) 舞鶴帯の地層が衝突した(ペルム紀)
夜久野岩類の斑れい岩(宍粟市一山山頂)
 南中国地塊が北中国地塊にぶつかっている間も、北上している海洋プレートは日本列島に沈み込んでいました。そのときプレートに乗ってぶつかってきたのが舞鶴帯です。
 舞鶴帯は付加体ではなく、小さな大陸や島弧とその間の背弧海盆が日本列島に衝突してくっついたと考えられています。
 舞鶴帯は、福井県西部から中国地方にかけて北東ー南西へ続き、兵庫県でも豊岡市・朝来市・養父市・宍粟市などに断続して分布しています。

 舞鶴帯は、北帯・中帯・南帯の3つに区分されています。
 北帯はおもに花崗岩からなっていて小さな大陸の断片だと考えられています。
 中帯には、ペルム紀後期の舞鶴層群が堆積しています。舞鶴層群の下部は海底の火山活動によってできた緑色岩が厚く重なり、その上に頁岩や砂岩層が堆積しています。舞鶴層群は背弧海盆(縁海)に堆積した地層と考えられています。
 三畳紀に入ると、舞鶴層群を不整合におおって夜久野層群(養父市周辺では、御祓山層群)が堆積し、さらにその上に難波江層群が堆積しました。夜久野層群や難波江層群は、頁岩や砂岩・礫岩を主体とし、大陸棚のような浅い海で堆積した地層と考えられます。
 南帯は、夜久野岩類と呼ばれる斑れい岩や緑色岩、角閃岩などの変成岩、花崗岩類などの様々な岩石からできていて島弧の基盤であったと考えられています
 
(6) 超丹波帯の地層が付加した(ペルム紀〜三畳紀)
 朝来市から、南西方向に宍粟市、佐用町へ続く地帯で、一部は姫路市北部から福崎町へと伸びています。この超丹波帯は、舞鶴帯と丹波帯の中間に位置する構造体として1985年に命名されました。
 粘板岩とチャートなどを主体とした地層と砂岩を主体とした地層からなっています。超丹波帯の地層は、主にペルム紀中期に堆積し、ペルム紀〜三畳紀に付加しました。
(7) 丹波帯の地層が付加した(ジュラ紀)
メランジュの地層(姫路市小赤壁)
 兵庫県の南東部の広い範囲、南西部、淡路島の大部分が丹波帯に属しています。しかし、白亜紀以降の岩石に広く被われ、丹波帯の岩体として露出しているのは、加西市周辺と篠山盆地周辺が中心です。
 丹波帯の地層は砂岩や泥岩、チャート、緑色岩などでできています。付加したときの圧力で変形し、砂岩が破砕されて流動化した泥岩の中に入りこんだメランジュがよく観察されるのも丹波帯の地層の特徴です。
 メランジュは、フランス語で「混ぜる」という意味です。右の写真で、灰色の部分が破砕されてレンズ状に伸ばされた砂岩、黒色の部分が細かく壊れた泥岩です。
 篠山盆地の北に位置する多紀連山は、丹波帯の地層でできています。多紀連山は、風化に強いチャートの地層が東西に延びる稜線をつくっています。
 丹波帯の地層は石炭紀〜ジュラ紀に堆積し、ジュラ紀に陸側に付加しました。

 ジュラ紀には、それまでに付加した地層が隆起し西日本には陸地が広がりました。

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