KREUTZER



〜Vier〜

 飛空挺がゾゾの町付近に着陸した時には、西の空に薄雲が広がっていた。
 飛空挺に居残りを決めていたセッツァーであったが、一緒に来てティナに会って欲しいと言ったエドガーと共にゾゾの町へと向かう。
 ゾゾの町では小雨が彼らの肩を叩く。薄暗い街並み。時折亡霊のように徘徊する獣達を倒し、廃墟のビルの最上階を目指した。
 ナルシェに残っていたカイエンとガウはティナの様子が心配になって、ゾゾにやってきていた。姿を変えたままのティナは彼らの見守る中で眠り続けたままだ。
 昏睡状態のティナは、ロック達の持っていた魔石に反応する。意図的に喪失されていた記憶が戻り、彼女の封印されていた記録は矢継ぎ早に小さな唇を動かせた。
 ティナから聞いた幻獣界の話にまた一つ帝国への怒りを募らせる。一行はバナンとの合流を決めナルシェへ向かうこととなった。
「飛空挺は準備できているぜ! だが」
 セッツァーは、初めて会ったティナ、カイエン、ガウを見た後、エドガーに視線を移す。
「部屋は用意できねぇぞ」
「せめてレディには部屋を」  
 エドガーはティナの小さな右肩にナイトの手を置いた。
「あぁ! レディさん、、、、、)はお前と同室だと危ねぇしな!」
「私、セリスが使っていた部屋でいいわ」
 肩に触れている王様の手から離れたティナは出口へと向かう。
 行き場の失ったエドガーの左手は頬にかかる後れ毛を払った。
「拙者は、マッシュ殿とガウ殿と同じ部屋で良いでござるよ」
「クマだけでも窮屈なのに、オヤジにガキも一緒かよ!」
 小声で悪態をつくロック。
「我侭な王様がいるからなぁ。我慢しろ」




 その夜セッツァーは時間ををもてあましていた。
 辛口のスコッチを片手に、何度も読んだ本のページをめくる手が止まる。氷が熔けきって汗をかいてしまったグラスと、閉じた本を置いて部屋を出た。
 隣室の扉をノックするが返事がない。
「エドガー」
 叩かれたドアの乾いた音が響き渡った。セッツァーは扉を開いてみる。
 小さな部屋なだけに、エドガーがいないのは瞬時にわかった。正面の机には封筒と書類の束が整頓されて並べられている。
 セッツァーは上方から奇妙な視線を感じる。見上げると白い鳥が数羽、窓枠の上に行儀良く並んでいた。
 その中の一羽と目線があった。それは突然セッツァーを目掛けて飛び立ってきた。
「うわっ!」
 白い鳥はセッツァーの頭上を超えて部屋の外へと姿を消す。
「おい! 待て。こらッ!」
 セッツァーは白い鳥を追いかけ薄暗い廊下を走る。鳥は天井近くを飛び、追いかける手は届かない。
 それでも薄暗い廊下を走る白い鳥を追いかけたのだが、目線の先に灯りを捉えた時、鳥との勝敗は決まった。
 カジノルームのガラス戸に直撃した鳥は、鈍い音を立てて落下した。
「バカなヤツだな」
 軽く脳震盪を起している鳥を拾い上げると、扉の向こうのエドガーとマッシュの視線に気付いた。
 埃が被ったアップライトピアノの前に座っているエドガーと、その隣に立つ、彼の弟のマッシュが小さく口を開いたが声は聞こえない。
 気絶している鳥を手にしたセッツァーは数回瞬きをしながら扉を開く。
「セッツ。それ、私の部屋にいる鳥」
「気絶させてしまった」
 セッツァーの差し出した掌の上でぐったりとしている白い鳥から視線を逸らすエドガー。
「そうじゃなくて。勝手に私の部屋へ入るなんて、ひどいじゃないか!」
 エドガーのやや怒気を含んだ声にセッツァーは戸惑う。


――私の部屋? 俺が与えた部屋じゃねぇか!――


「悪かった」
 意外にも素直に謝ったセッツァーは、掌の鳥の羽をそっと撫でた。
「けど、あんなに鳥飼ってるのは驚きだぜ。何でまた?」
「飼っているんじゃないよ。この子達は優秀な伝書鳥」
 セッツァーは机の上の整頓された書類の束を思い出す。
「部屋数少ねぇのに、鳥まで飼うとは困った王様だぜ」
「明日は城に立ち寄れそうだと思って、いつもよりたくさん書類を運ばせたんだ。飼ってはいないよ……」
「明日は城へって?」
「通過地点だから」
 暫時沈黙。エドガーはセッツァーを見上げる。セッツァーは見下ろしたエドガーの蒼いオアシスの中に答えを見出した。
「通過地点ね。確かにそうだな。寄るつもりはなかったけど、どうやら王様の我侭に付き合うしかねぇようだな」
 微かに肩を竦めたセッツァーは、マッシュを見上げた。そこにはエドガーと同じ色のオアシスがある。
「頼むよ、セッツァー。俺達、君の助けには多いに感謝しているんだよ」
「感謝される覚えはねぇよ、マッシュ。俺は好きで付き合ってんだ」
 セッツァーはマッシュが応えたのが気に入らない。
「私の我侭に付きあわせてすまないね」 
「何がすまないだ」
 まだ数日しか付き合っていないのに、王様の我侭を自然と許してしまう事に複雑な思いを抱くセッツァー。
「流離いのギャンブラーが、いい奴で良かったよな、兄貴」
「うん」
 乾いた砂地を照らし続ける、ぎらぎらとしたオレンジ色の太陽のような笑みを浮かべる兄弟。
「ところで、書類の山を片付けずに、これ弾いているの?」
 セッツァーが顎で指したのはエドガーが座っている前の埃の被ったアップライトピアノ。
「仕事って退屈なんだよね。息抜きも必要なんだ。ピアノは軽く仕事のさぼりに」
 エドガーは右目を閉じて笑みを浮かべた。
「そういえば、子供の頃、歴史の勉強がいやで、二人してピアノの部屋に逃げて、先生を怒らせたことあったな。
 ロニは息抜きにはいつも、機械の部屋に逃げるか、ピアノの部屋に逃げては先生を困らせていたね」
 過去のフィガロ兄弟。セッツァーには知らない世界だ。
「機械弄りで人差し指を怪我した時には、ピアノの先生も怒らせてしまったけどね」
「そうだったね! ロニは何でも長けていたけど、ピアノの先生は才能を絶賛していたからなぁ」
 兄弟のやりとりに蚊帳の外となったセッツァーだが、エドガーの演奏に興味を持つ。
「へぇ。機械弄り以外にも好きな事あるんだな、お前」
 頷いたエドガーは再びセッツァーを見上げる。
「不思議と機械弄っている時と、ピアノ弾いている時は落ちつくんだ」
「フィガロ王家の後継者に生まれなければ、機械マニアか、音楽家になってたかも? 兄貴は」
「聞いてみたいな。俺は音楽はわからねぇけど、聞くのは好きだぜ」
 セッツァーはカジノ台に腰を預ける。
「今の気分で弾いていい?」
「ああ」
 エドガーは軽く瞼を閉じて姿勢を正し、ピアノへと向き合った。
 両手が鍵盤に触れる。優しいタッチのようだが、エドガーの指先から伝わった弦が切ない音を響かせる。
 余韻が曇った空気と溶け合った刹那、左手は緩やかに、右手は撫でるように鍵盤の上を流れた。右手の動きに合わせてエドガーの頭が揺れる。揺れるたびに微かに背中で波打つ金の髪。
 セッツァーの心の弦がまた弾かれた。


――このおと)を知らない何かと、もう片付けられないだろう。
 何故、俺はこのおと)を知っているのだ?――


 セッツァーは瞼を閉じたままエドガーの奏でる曲に心を委ねてみた。
 エドガーはピアノを弾いているはずなのに、楽器と一体になっている。
 ピアノを弾くエドガーの隣に立つ影が瞼の裏に浮かぶ。
 セッツァーは瞼を上げエドガーの後ろ姿を見た。隣に立つ影は見えない。大柄な彼の弟の姿だけだ。
 金糸は、背中の上で緩やかに流れている。
 再び瞼を閉じる。
 時折)を見上げながら、紡ぎ合う旋律に心の響を揺らすエドガーの横顔をセッツァーは知っていた。
 穏やかな金の波を視界に、別の映像が否応無しに動き出したセッツァーの脳裏であった。
「セッツ」
 演奏を終えたエドガーは振り返る。カジノ台に体を預けたまま腕を組み、目を瞑ったままのセッツァーの姿があった。
「聞いていてくれたのかな?」
 セッツァーは、小さく「あっ!」と呟き、慌てたように目を開いた。視界から銀の影、、、)が消えた。
「どうしたんだ?」
「何でもない」
「どうだい? 兄貴の演奏は」
 考える間を遮るようにマッシュが口を挟んだ。
「お前の弾くピアノの音色は、何だか懐かしい」
「え?」
 怪訝な瞳を投げかけるエドガー。
「いや、懐かしい。そんな気がしたってことだ」
 セッツァーの言ったことに腑に落ちないエドガーではあったが、気のない返事をして再びピアノに向き直った。
「久しく使われてなかったようだね」
「あぁ。音は狂っているか?」
「かなりね」
 エドガーの右手が何度か白鍵の上を行き来した。
「良い木使ってるよな、このピアノ。もったいないぜ。前は誰かが使っていたの?」
 マッシュはうっすらと白くなっている側面の木を撫でた。
「ここが賑わっていた頃は、誰かしら客が演奏していたからなぁ。それなりのメンテナンスには職人を呼んでいたんだが」
 防音の壁に囲まれている、あまり広いとは言えないカジノルーム。派手に見える内装だが、カジノ台、バーカウンター、テーブル、椅子、ピアノに至ってまで、上品で高級な素材を使っている。
 終わりのない宴。この船でだけの異世界。
 国境を超え、命を賭けにくる男。お忍びで羽を伸ばしに来たどこかの国の貴族。明日のパンを買う金を賭博で増やそうとやってくる生活に疲れた人。宴の雰囲気を楽しむだけにやってくる紳士淑女。酒を嗜むだけの人。
 近い過去の光景を思い出すセッツァーである。
「久々に職人を連れてきて、調律させるか」
 ピアノの横に立ってマッシュがしたように、埃の被ったピアノの側面を手の甲で撫でた。
「また弾いてくれる奴が来たとなると、こいつも捨てたもんじゃないからな」
「小さいけど、良いピアノだよ。セッツ、ピアノ好きなの?」
 エドガーは鍵盤が弦を叩かぬように白鍵と黒鍵の上をそっと触った。
「ピアノの音がな」
「これは?」
 マッシュの足元にある見捨てられたような小さなバイオリン。
「見りゃわかるだろ、バイオリン」
「これも飾り? にしては、ピアノと違って埃被っていないね」
 滑らかに流れるような木目を生かしたマホガニーは不自然なほどに光を跳ね返して輝きを放っている。
「ジドールの競売に賭けられていたんだ。随分古い楽器らしくてな。
 弾けるわけでもないのに、つい購入してしまった。カジノ台と同じくらい手入れはしてある」
「艶かしい楽器だね」
「ああ、そうなんだよ!」
 艶かしい楽器と言ったエドガーの言葉に、声を高揚させるセッツァー。
「お前、これ弾ける?」
 セッツァーはマッシュの足元にある赤みがかった茶のバイオリンの前に屈み込んだ。人差し指の腹は優しく弦を撫でる。
「バイオリンは、あまり上手には弾けないんだよね」
「俺は、ピアノ以上にバイオリンの時間は嫌いだったぜ」
 幼少の頃のマッシュは、王家の嗜みであるピアノとバイオリンの授業を嫌っていた。
「俺は弾いた事はない。けど、バイオリンって奴は形が美しいよなぁ。お前の言うように姿も音も艶かしい。
 こいつは俺の背筋をぞくぞくさせてくれるんだ。不思議とな」
「その楽器の音は人を狂わせる」
 マッシュは足下のバイオリンとセッツァーを見下ろした。
「そんなにバイオリンの時間がいやだったの?」
 マッシュの口から出た意外な言葉にエドガーは驚き、弟を見上げる。
「何でそう思ったのかな。上手く弾けなかったからかな」
 マッシュは項にかかっている後れ毛を擦った。
「さてと、俺はそろそろ寝るかな。兄貴、セッツァー、夜更かしするなよ」
 マッシュはエドガーの肩をぽんと叩いて部屋を去った。
「珍しい。マッシュがあんなことを言うなんて」
 エドガーは人差し指でそっとバイオリンの弦を弾いてみる。小さな鈍い音が出た。
「エドガー、さっきの曲、もう一度弾いてくれないか」
「気に入ってくれた?」
「あぁ。お前のピアノを弾く姿が」
 エドガーは肩を竦めながら笑みを浮かべた。
 エドガーの細い指先が白と黒の鍵盤の上を走り出すと、瞼を閉じたセッツァーには懐旧の世界が映し出される。これまでに見たこともない情景なのに懐かしい。
 懐かしさと切なさに、突然現れた不安の不協和音が絡まり、心地良いはずの音に悲鳴を上げそうになった。脳裏に映し出された映像を追い払うように瞼を開いた。
 震え出した体を落ち着かせようと徐に立ちあがったセッツァーは、エドガーの背後で跪き、見た目よりも細い腰を両腕で抱いた。左の頬を彼の背に充てがい、心の響きを聞く。
「セッツ?」
 演奏が止まる。
「ごめん。何も言わず少しの間だけ、このまま演奏を続けてくれ」
 エドガーは自身の腰にあるセッツァーの手に視線を落とした。頬の温もりが背中に感じる。
 エドガーの指が再び鍵盤を叩く。思いを曲に乗せて。同じ曲だが先程の旋律ではなかった。
 ピアノの音とエドガーのおとに耳を傾げるセッツァーの得体の知れない不安は嘆くばかりであった。



動き出した
残虐な旋律
終わりのない響(おと)


陛下が弾いている曲の
イメージ(別窓で開きます)

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