KREUTZER



〜Fuenf〜

 ナルシェに到着した時には、リターナーの指導者バナンにより、帝国に虐げられていた人々もようやく、反旗を翻す決意をしていた。
 だがフィガロの機械とナルシェの資源を持ってしても帝国に立ち向かうのは困難である。幻獣の力を借りようと提案したバナンは、人間と幻獣との仲介をティナに託す。帝国の東にある封魔壁へと向かうことになった。
 ナルシェでお宝を横取りした、こそどろオオカミを追い詰めたエドガー達は、人間の言葉を話すモーグリと出会った。
 夢に出てきたラムウに彼らの仲間になるように告げられたというモグは、強引についてきた。
 仲間が一人増えて、賑やかになったブラックジャックは、帝国の東へと目指した。
 目的地に着くまでの数日、エドガーは部屋に篭もって仕事をした。セッツァーは夜になると、小さな町や村の酒場へ赴き、日が昇る前に帰ってくる。
 食事の支度はティナを中心に、ロックやマッシュが用意し、食後は皆で手分けをして後片付けをする。
 夕食後のカジノルームでは、眠れない者達で語らいあい、時折仕事に疲れたエドガーがピアノの前に座る。
 長い空の旅。それぞれの思いに、この過酷な旅に加わった仲間達の事を少しずつ知るセッツァーであった。
 封魔壁へは、エドガー、ロック、マッシュがティナに同行した。
 固く閉ざされた扉の解除をティナに託す。彼女は念じた。扉が開こうとしたその時、耳障りな高笑いが静寂を破る。
「ガストラ皇帝のおっしゃっていたとおりだ! ティナを帝国に刃向かう者に渡し、およがせれば封魔壁を必ず開く。
 つまり、我々の手の内で踊っていたにすぎないのだよ! ヒッヒッヒッ……! 君達に用はありません。私達のために用意された、栄光への道を開けるのです!!」
 魔導将軍ケフカだ。
「そうはさせないよ、ケフカ!」
 エドガーは一歩踏み出す。
「おや、私とやり合う、おつもりですね。そういう、おつもりは、いけませんねえ! ちっぽけな砂漠の国の王様」
 ケフカはつかつかと歩み寄り、エドガーを見上げた。
「ティナ! 今のうちに」
 ロックとマッシュもケフカの前に立ち、ティナを扉へと促す。
「先日は、ちんけな城を沈めるとは、随分、私に非礼を働いてくれたものですね」
「貴方が、レディ、、、)なら、非礼はしなかったでしょうけれどもね」
 エドガーは軽口で返したが、ケフカの灰色がかった淡い青の瞳はたちまち激怒を顕にした。
「蒼い瞳、金の髪、砂漠の王……。何だか、あなたを見ていると、ムカツクんですよ!!」
 ケフカは眉間に皺を寄せて瞼を閉じると、小さな呻き声を漏らした。刹那、青白い閃光がエドガーの頭上を走る。
「マッシュ、ロック、伏せろ!」
 俊敏に翻したエドガーの左肩に、細かい氷の破片が降ってきた。ぱらぱらと地に落ちたが、跳ね返ったいくつかの破片は、マッシュとロックの手に、エドガーの額にうっすらと紅の線を引いた。
「兄貴!」
「大丈夫だ」
「てめぇ、やりやがったな!」
 マッシュの拳がケフカの頭上に振り上げられる。
「し、しりませんよ」
 ケフカは何度も瞬きをしながら後退した。
「ぼ、ぼくちゃんは、何も。い、いくら何でも呪文も唱えずに、即魔法発動なんて無理ですよ! ええ。ええ!! ぼくちゃんは無実ですよ」
 確かに呪文を唱えてはいなかったが、彼から魔法が放たれたのは明らかだ。だが予想外の魔法発動にケフカ自身が慄いているようだ。
「あ、と…扉が開きますですよ」
 閉ざされていた扉が厳かに開く。
「開きました! 開きましたよ! ん? むむむ胸騒ぎが、何か来る!!」
「ティナ!!」
 開かれた扉から幻獣達が飛び出してくる。炸裂したエネルギーを放出しながら。
「すごいエネルギー! ぬわぁぁーー」
 幻獣達は、ケフカを蹴散らして空に消えていった。
「ティナ、大丈夫?」
 エドガーはティナの小さな両肩にそっと手を置く。
「私は大丈夫。とにかく飛空挺へ戻りましょう」
 三人の男達を後にティナは先頭を進んだ。
「何があったんだ?」
 セッツァーはすぐに飛び立てるように準備していた。
「感じるの……。どんどん近付いてくる」
「どうしたんだティナ?」
「あっ!」
 白い光が過った。
「今のは幻獣? ティナ」
 ティナはエドガーの問いに答えず怯え出した。
「おこってた。だめ…行ってはだめ! 行かないで!」
「ティナ?」
「おい、やばいぜ、この揺れ。ティナを連れて、全員甲板から降りろ」
 セッツァーの舵を握る手が汗ばむ。
「ティナ、こっちへ!」
 ロックとマッシュはティナを庇うように甲板を降りた。
「クッ! 流される」
 セッツァーの傷のある額にもうっすらと汗の珠が踊る。舵に別の白い手を見た時、風に流されているエドガーの金糸がセッツァーの頬を撫でた。
「お前! 何やってんだ?」
「一緒にエンジンを整備したじゃないか。私にも手伝わせてくれ」
 エドガーのアイスブルーの瞳は臆することなく、微笑んでいる。
「血が。怪我してんじゃねぇか」
「かすり傷。後でケアルすればどうってことないよ」
 エドガーは額にある一筋の血と、それに掛かる前髪を振り払うように首を一振りした。
「危ねぇから、降りてろって言ったのに! てめぇって奴は。死んでもしらねぇぞ!」
「死なないよ。それに、そう簡単に死ぬとか……」
 幻獣達が通り過ぎたエネルギーの波動を直にくらった飛空挺は大きく傾く。
「セッツ!!」
「しっかり握ってろ! 離すんじゃねぇぞ!」
 頷いたエドガーは体勢を整え、舵を握る手に力を込めた。だが、強いエネルギーに抵抗できなくなった飛空挺は、気流にのまれる。
「舵がきかねぇ! エドガー、そのまま手を離さず頭をこっちへ!」
 セッツァーはコートの前を開く。船は急降下する。
「早く! その顔に俺みたいな傷つくりたくねぇだろ!」
 きょとんとしているエドガーの頭を、乱暴に片手で押さえてコートの中に隠す。
 ブラックジャックは激しく揺れながら、地上に吸い込まれるように落ちていった。強い振動の直後、轟音と砂煙が舞い上がり、やがて風に流され、エンジンの焼けた臭いが滲んだ。
 セッツァーの手の力が緩み、エドガーは彼のコートから顔を上げた。
「セッツ、血が」
 不時着の衝撃で舵に額をぶつけてできた傷。鮮やかな紅が額から鼻筋へと一筋の線を描いている。
「たいした傷じゃねぇ。後でケアルすれば、どうってことないな」




 マランダの南東に不時着した飛空挺は、大ダメージを受け整備が必要となった。
 エドガー達は幻獣の後を追うべく、帝国首都ベクタへと向かった。残されたセッツァーはエンジンルームで途方に暮れる。
「こりゃ、ひでぇな」
 思った以上に破損している箇所が多く、セッツァーの溜め息は機械室に重く沈んだ。
 暇潰しとはいえ、こんな旅に参加したことに多少の後悔が浮かんだ。
「なんてこったぁ。やる気しないな」
 セッツァーは柱に背を預けたまま、しゃがみ込む。伸ばした足先に小さな木箱があった。覗き込まなくとも、その中にはエドガーが持ってきたビニール製の手袋が入っている。
「今すぐやれってか」
 セッツァーは爪先で木箱を叩いた。


――今からやれば、午後には飛び立てるだろう。私も、手伝うから――


 エドガーの澄んだ蒼い瞳が、セッツァーの脳へと否応なしに浸透してくる。体温が上昇し、あの響、、、)が内臓を刺激する。
「熱い…」
 見上げると梯子の上に、数日前のエドガーが浮かぶ。束ねた金の髪。しっとりとした絹糸。道具を握る細長い指。
「女…抱きてぇな」
 セッツァーは足先で木箱を引き寄せ、手袋を手に取った。
 窓のない地下室は時がゆるりと流れる。セッツァーは寝食を忘れたかのように整備に没頭した。


――頭が痛い――


「おい」
 肩を叩かれたセッツァーは、瞼を閉じていたことも知らなかった意識が、反射的に開かれた。
「酒臭いな」
「誰だ、てめぇ!」
 見知らぬ男に見下ろされていたセッツァーは身を起こす。
「っつ! いてっ」
「それだけ飲めば二日酔いも当たり前じゃの」
 いつのまにか眠っていたセッツァーの周りにスコッチの空瓶が数本転がっていた。
「あんた誰だよ?」
 セッツァーの視線の先に見知らぬ中年の男。
「私は帝国の者だ。フィガロ王に……」
「帝国!? フィガロ王? 何があったんだ!」
 立ち上がったセッツァーは、見知らぬ男の胸倉を掴んで引き寄せた。
「お、落ち着いて…」
「すまん…。で、あんた誰?」
「わしは帝国で魔導研究をしておるシドと申す。
 皇帝とフィガロ王達は和平会議を行い、幻獣と和解する為に、ティナに幻獣の聖地へと向かってもらった。
 フィガロ王達は帝国に滞在しておる。わしはメカにも詳しい。ここの整備を手伝って欲しいとフィガロ王に頼まれてやってきたのじゃ」
 シドはセッツァーを見上げる。
「余計なことを」
 セッツァーは舌打ちする。
「立派な船じゃのう。しかしひどくやられたもんじゃな。一人でやっていたのか?」
「あぁ」
 仏頂面で返答し、新しい手袋を着ける。
「お前さん、寝ないでやっていたんじゃろ。わしも手伝うよ」
「遠慮しとくよ」
 シドに背を向け道具を手に取る。
「ギャンブル場を潰して改造すれば、もっと速くなるぞ」
「論外だッ!」
 セッツァーは声を張り上げた。
「おっさん、もういいから帰ってくれ。ここは俺しか整備できない。他の誰にも触れさせたくない! 悪いが、出て行ってくれ」
 シドを追い帰し作業を再開したセッツァーは、殆ど眠らずに整備を続ける。エドガー達が帝国へ向かってから、もう何日経ったのかもわからない。
 全ての整備が終わると、セッツァーは浴びるほど酒を飲んだ。やがて精神と肉体の疲労の限界に意識を手放した。




――俺を呼ぶ声。心地よい。温かい。懐かしくて、そして……――


「セッツ!」


――甘い香り。これは……――


 紫の水晶体に映る蒼。
「エドガー?!」
「やっと起きたね。心配したよ、何度呼んでも目を覚ましてくれないから」
 ゆっくりとエドガーの笑みが鮮明となる。
「いつ、戻ったんだ?」
 セッツァーは上半身を起こした。左手で額にかかる髪をかきあげ、柱に背を預けた。
「3時間ほど前」
「ここを出てから、どれくらい経った?」
「2週間ほどだ」
「そうか」
「ここ、酒臭いね」
 セッツァーの周りの空瓶に目をやるエドガー。
「寝ないで、食べないで、修理していたんだね」
「修理終わってから、多分丸二日くらいは寝たぜ」
 エドガーはセッツァーの瞳を覗き込む。
「目の下の隈がひどい」
 紺碧の瞳がすぐ近くにある。セッツァーは息苦しさを感じる。
「マッシュとロックが食事の支度をしてくれたから、たくさん食べて、今夜はゆっくり眠るといいよ」
「明日はどこへ行くんだ? 準備はできているぜ」
「セッツありがとう。食事をしながら話すよ。さぁ、行こう」
 立ち上がろうとしたエドガーの右手首を引いたセッツァーは、再び紺碧の瞳を見上げた。
「セッツ?」
 長い指が、エドガーの白い額の上にある金の髪を掬い上げる。エドガーは驚き、右肩と顔を後方へ引こうとした。
「良かったな。傷痕が残らなくて」
「あのあと、すぐティナに、ケアルしてもらったから」
 エドガーは困惑の表情から打って変わって、涼しげな笑顔を見せた。
「ガウがとてもお腹を空かしている。皆、君を待っているから、行こう」
 立ち上がり、踵を返したエドガーの背に垂れている髪から、ほんのり甘い香りが淀んだ空気に広がった。
「その香り、何だ?」
 セッツァーは懐かしいような、でも知らないその)を訊ねてみたくなった。
 振り返ったエドガーは立ち止まって小頸を傾げる。セッツァーは訊いたことを後悔した。だがエドガーは嬉々とした瞳を見せた。
「レディ以外に聞いてくれた人は初めだ」
「ここのオイル臭さの中では強烈な匂いだぜ。かえって、違和感のあるその匂いが鼻につく」
 セッツァーも小頸を傾げたが、自身でも何故に訊いたのかわからない。
「『砂漠の泉』って、稀有なことだろう?」
 世界中を旅しているセッツァーは、砂漠の泉が珍しいことは周知だ。
「フィガロ王家の始祖が、旅人にもらった種を砂地に植えたところ、幻の瑞々しい白い花を咲かせたらしい。乾ききったこの地に咲いた花は、神からの授かりものとして大事にされ。
 だが、後の王が花の薫りに惑わされ、全てを手折った花びらを浮かべた湯に溺れて逝った。
 けれど、その手折られた花は力強く、再び白い花を咲かせたらしい。
 いつの頃からか代々のフィガロ王は、その花で作られた、石鹸や香水を使うようになったんだ」
「その花の香に惑わされ、逝くかもしれないのに……か?」
「惑わされてもいいほどに、蠱惑的なものだったんじゃないのかな」
 セッツァーは胃が痛んだ。薄銀の睫が青紫の瞳を隠した。
「『砂漠の泉』とは、フォガロでは、その幻の瑞々しい白い花のことをいう」
「幻の花、砂漠の泉、ってお伽噺みたいだな」
「でも、今もフィガロ王家に伝わっている。お伽噺みたいだけれども、それだけフィガロの歴史は長いってことなんだ」
 そう言ってエドガーは小さく口を開けて息を呑んだ。
 紫苑の瞳、プラチナの髪。綺麗な少年の顔がエドガーの脳裏に映し出された。その少年の顔を目の前のセッツァーに重ねてみた。
「どうした?」
 何か言いたいようなエドガーが言葉を呑んだ。セッツァーは怪訝な視線を投げかける。
「何でもない。行こう、セッツ。私もお腹がすいたよ」



その香(か)は
その響(おと)は
どこかで触れた記憶

Back Next