KREUTZER



〜Drei〜

「あんまり遅いんで心配したぜ!」
 ベクタの入り口まで出向いてきたセッツァーはエドガー達の姿を見て安堵したが、一人セリスの姿が見えない。
「セリスは?」
 セッツァーの問いかけにエドガーとロックは顔を見合わせて黙り込む。
 だがエドガーが微かにロックを軽蔑したように見下ろしたのを見逃さないセッツァー。ロックはそのエドガーの視線を逃れるように逸らせた。
「まぁいい。話しは後だ。早いところ戻ろうぜ」
 セッツァー先頭に急いでブラックジャック号に戻る四人。しかし離陸させた直後、何やら大きな黒い影が飛空挺の行く手を阻む。
「デカイのがやってくる!」
「うわぁ! 何だありゃ!!」
 左右2体の巨大なクレーンに挟まれてしまう飛空挺。
「マッシュ、ロック、セッツ! 先にこちら側からだ! まずは一体を早めに片付けてしまおう」
 とエドガーはドリルを取り出した。
 マッシュは素手で敵に向かい、ロックは円月輪を投げ、エドガーはドリルで斬りつけ、セッツァーはカードを投げる。
 それぞれ確実にダメージを与えてはいるようだが、ふと隣同士に並んでいるエドガーとセッツァーは顔を見合わせた。
「何だ…そりゃ?」
 セッツァーはエドガーの手にしている大きなものに目をやる。
「ドリル」
 涼しい顔でエドガーは答える。だがセッツァーは、思わず吹き出す。
「に、似合わねぇー!」
「どうして? これ結構、大ダメージ与えられるんだよ。君こそ…何だよ、そんなカードで…」
 エドガーは不思議そうにセッツァーの手にしているカードに目をやる。
「ただ、敵を倒せばいいってもんじゃない。戦い方にも芸術ってもんがあるんだ」
「そういう考えは君らしいね!」
「いってぇーー! おい! エドガー、セッツァー真面目に戦ってくれよ!!」
 とロックは背後の敵からダメージを食らったらしい。
「真面目にやっているよ、ロック。こいつは雷に弱いらしいな」
「兄貴!!」
「マスターしているのは私だけのようだね」
 エドガーは持っていたドリルを足元に置くと、マントを翻し左手の長い人差し指と中指を垂直に口許へそっと宛がって呪文を唱えた。
 セッツァーには三人のやりとりの意味がわからない。だが、エドガーの軽く瞼を閉じて何やら呟いている姿に目が離せない。まるでエドガーだけが異空間に包まれたように神々しい静寂を保っていた。
 しかしエドガーを包み込む静穏な風が天上へと吸い込まれたその刹那、晴天の霹靂。天から降り立った稲妻がクレーンに大ダメージを与えた。呆然と佇んでいたセッツァーに軽く片目を閉じて涼しい笑みを見せたエドガー。
 ドクン。
 また、、)セッツァーの体の中で見知らぬ音が響いた。




 ケフカが放った二体のクレーンを倒し、ブラックジャック号はゾゾへと向かう。飛行中、四人は一言も話さなかった。
 日没後、小さな村のある付近へと着陸した。
「マッシュ、買い物につきあえ。今日は俺が夕食作ってやるよ」
 ロックは早々にマッシュを誘って村へと出かけた。
 残ったエドガーとセッツァーの間に暫時沈黙が流れるが、ややあって二人同時に声を出す。
「俺は」
「私は」
 二人は視線を絡ませた。エドガーは微かに首を傾げる。
「……さっきのデカイやつには焦ったがな。エンジンやられてないか、みてくる」
「私も手伝おうか?」
「いや……点検するだけだから。お前はやる事あるなら……」
「なら、今日は、、、)見学していてもいい?」
 エドガーの蒼い瞳は珍しく微笑んでいない。
「ああ」
 機械室の扉を開くと生暖かい空気が流れ出る。
 セッツァーが点検するのを、エドガーは柱に凭れかかり前で腕を組んでぼんやりと眺めている。眺めているというより考え事をしているかのようである。
「エドガー」
 梯子の上からセッツァーに呼ばれたエドガーは顔を上げる。
「そこのネジ取ってくれ」
「あ……。うん」
 セッツァーの差し延べた左手を見たエドガーはくすっと笑う。
「手袋、使ってくれているんだね」
「何が可笑しい……」
 セッツァーはネジを受け取りながらエドガーの瞳を覗き込んだ。
「使い心地、悪くないだろう?」
 セッツァーはふとベクタから出てきた時に垣間見たエドガーのロックを蔑視したかのような瞳を思い出す。
「エドガー。ベクタで……」
「夕食をとりながら話そう。ティナの事や幻獣や魔法の事。セリスがいなくなった事も」
「わかった。これで終了だから、お前先に着替えてくるといい」
「じゃ、先に行ってる」
 エドガーは踵を返す。扉に手をかけたところで振り返らずにセッツァーに問いかける。
「セッツ……。これから先も私達と旅、続けてくれるよね……?」
 セッツァーの道具を握った右手が止まる。
「一度首を突っ込んだことは最後まで付き合うさ。それに俺は退屈するのが嫌いだからな」
「確かに退屈は……しないな。セッツ、あとで新しい手袋をたくさん持ってきておくから使ってくれ」
 エドガーは機械室を後にした。




 西に傾きかけた朧月が、星のない暗い大空をぼんやりと輝かせている。舵に凭れ片膝を立てて座っているセッツァーは紫煙をくゆらせていた。
「やっぱりここだと思った」
 エドガーは甲板に出るなり小さな舵楼にいるセッツァーの姿を見つけ、そこへと向かう。
「まだ起きていたのか」
「仕事を片付けていた」
「こんな時間まで……?」
 セッツァーは右手に持っていたグラスの中の液体を一気に飲み干した。
「いつもの事だから……」
 低い櫓に顔を見せたエドガーは、見上げたセッツァーの目線にスレンダーなワインのボトルを差し出す。左手には二つのグラス。
「今から飲もうってのか?」
「寝酒ってところかな……。どうせ君も眠れないんだろう?」
 エドガーはふっと笑ってセッツァーの隣に腰を下ろし、バーカウンターから借りてきたオープンナーでワインを開けはじめた。
「朝起きられなくても知らねーぞ」
「大丈夫。起してあげるから」
 蠱惑的な笑みを浮かべたエドガーは、セッツァーのグラスにピジョンブラッドの雫を垂らした。
「深夜の酒に付き合え、でも朝は叩き起こす。お前って奴は鬼だな……」
 やや呆れながらもセッツァーはエドガーの乾杯に応じる。ゆっくりと口内に流れ込んだまろやかな液体に舌鼓をしながら喉頭へと運んだ。
「これは……。寝酒には高級すぎねぇか?」
「気に入ってもらえたかな? セッツに会う直前にジドールで買ったんだ。
 世界に一艇しかない飛空挺のオーナーは噂に聞くと派手なギャンブラーで、オペラ劇場の女優を攫いに行くという手紙をみて……。そのキザな人物の口にあうワインはないかな? と思ってね」
 エドガーはとても嬉しそうに上品な笑みを浮かべた。
「キザとは何だ!! それに俺が仲間になるとわかっていたような言い方だな」
 セッツァーは高揚した声で青紫の瞳をエドガーに向ける。
「そう、君には何としても仲間になって欲しかったからね! 私にとっては君が噂通りの人で……、でも噂通りの人でないと……そう思えたかな」
 そう言ったエドガーの碧玉はぼんやりとした月光を浴び優しい彩りを放った。
「……どういう意味?」
「……言葉通りの意味」
 即答するエドガーは言葉を濁したかのようだ。腑に落ちないセッツァーだったが、もう一度ワインを口に含むと舌先でその液体を転がし、敢えて話題をかえる。
「王様は……こういう極上のワインを、いつも飲んでいるのか?」
「そう思う?」
「ああ。だが、王様が自らこんな危険な旅に出ているくらい変わった奴だからな、お前って……」
「勿論、皆の反対を押しきって出てきたんだよ。だから……国には迷惑をかけたくはないんだ」
 エドガーは笑みを浮かべながら話す。
 生まれた時から何不自由なく育ち、高級な衣食住を当たり前のように与えられてきた王というのが、セッツァーが初めて会ったフィガロ王エドガーのイメージであった。
 しかし今、庶民には到底手に入らないような高級なワインを寝酒と言いながら嗜むセッツァーの隣人は、フィガロ王でない、ただ一人のエドガーという人だ。そのエドガーは王様という特権階級だけでの贅沢をしているものだと決めつけていたのは、誤解ではないのかと思い始める。そして旅の資金は、ほぼ国からの援助など受けるような王様ではないのだろうと思うセッツァーであった。それだけに今飲んでいるワインは自身が稼いだ資金から特別に購入してきたのを思うと複雑な思いに駆られる。
 セッツァーは言いたい事を言葉にせず、微かに肩を竦めた。
「……それにしても、寝酒には勿体ねぇワインだな」
 と繰り返す。空になったグラスに注ぎ足してもらったセッツァーはグラスを口へと運ぶ前に、ワインの上に浮かんだ朧月を眺めた。
 小さな紅玉の湖面に揺れ緩やかに形を崩す霞みかかった月。ほんの少しの間ワインの上に浮かんだ月を見入っていたセッツァーである。
「セリスを……好きなのか?」
 セッツァーの唐突な質問にエドガーは怪訝な瞳でセッツァーを見つめたが、次の瞬間、蒼い瞳には何の感情も顕れなかった。
「口説いてたよな?」
「口説くとは失礼な。レディに優しくするのは常識なのだよ。そういう君も口説いていたじゃないか。俺の女に〜なんて」
「暇潰しになるかなと思ってだよ」
「呆れた…。君はいつもそれだね」
 エドガーはセッツァーから視線を逸らし、ワインを口に含んだ。
「ロックが煮え切らないからだよ。セリスは私の事なんて眼中にないさ。彼女はいつもロックだけをみているよ。だのにアイツ……セリスのことを疑ったりするなんて」
 エドガーのほんの少し伏せた金の長い睫が麗しい。
「俺はお前らと知り合ってまだ数日だから詳しい事は知らねぇし、興味もねぇけど……」
 セッツァーは煙草の煙を夜空に向けて深く吐き出した。
「なるようになるってもんさ」
「君はクールだね」
 エドガーは静かな笑みを流しながらセッツァーのグラスにワインを注ぎ足した。
「お前は不思議なヤツだな。自己犠牲というか…おせっかいというか。王様らしくねぇと言うか……。もっと自分の事を考えた方がいいんじゃないのか?」
「私に大事なのは国の民と弟だけだから。国民が平和に幸せに暮せるのなら、おせっかいだろうが自己犠牲だろうが、何だってする」
「お前って……。神様みてぇな事を言うな」
 セッツァーはそう言ってはっとした。
 神……。


 ――王様とはな、神様に選ばれた特別な御方なのじゃ。その王様の御子である王子様も。ほらご覧よ、あの王子様を。わしらと同じ人間と思えないほど美しいだろう。まるで神が人の姿を借りて降り立ってきたようだ――


 透き通るような白い肌。太陽の光を燦然と浴びて煌々と耀く黄金の絹糸。全ての民を魅了してしまうほど美しいブルーダイヤモンドの瞳。
 少年の頃に見た神の子、、、)がセッツァーの脳裏を過った。
「俺がクールだって? お前も時々そんな、、、))してるぜ」
「どういう意味?」
「そのまんまの意味」
 エドガーは怪訝な表情を向ける。
「国と弟がお前にとって唯一だとはわかった。だが、それに胸を焦がすようなことはないだろ」
「何を言っているんだか……」
 エドガーは流す。
「じゃ、君には胸を焦がすような情熱的なことはあるの?」
「あぁ、この船さ! 俺はコイツで空を駆け巡っている時が一番さ! この舵を握るだけで毎回心臓が大きな音を立てて鳴るんだ」
 セッツァーの青紫色の瞳は輝いた。
 どこまでも青い大海原を太陽に向かって駆ける船の操舵手セッツァーの菫色の瞳。
「セッツ……」
 エドガーはセッツァーの耀くアメジストの瞳を思い浮かべた。その瞳の彩が胸を焦がす熱情の現れなのだと知る。
「お前はエンジン弄っていた時に…いい顔みせていたな」
「機械に触れていると時間を忘れるほどに没頭するんだ。でも、君の言うように私のそれは焦がすような思いとは少し違うような気がする。
 もし私がフィガロ王家に生まれなければ、それに情熱を注いで、その為だけに生きたかもしれない。
 でも。私はフィガロ王家に生まれた。物心ついた時から父と弟、そして国だけが全てだったんだ。家族の幸せを願うように国民の幸せを望む。それは当たり前のように。
 自由を選んだマッシュも私と同じだよ」
 エドガーの蒼い瞳は仄暗い夜空の下でもはっきりとわかる美しい輝きを見せた。その碧眼にセッツァーの心の弦は揺らされる。
「自分以外の大勢の他人ひと)の幸せを望む事に熱心になるという事は俺にはわかんねぇな」
 セッツァーは思いとは裏腹に素っ気無い声で言い、グラスに残ったワインを一気に飲み干した。
「寝酒も切れたな。少し寝るか……」
「そうだね。今夜は付き合ってくれてありがとう」
 エドガーが言ったありがとう、、、、、)という言葉は、セッツァーにはそれまでにあまり耳にした事のないような優しいおと)であった。
「ワイン、美味かったぜ! ゆっくり休めよ」
「セッツもね。後で起しにいくから」
「てきとーに起きるから来るな!」
「それじゃ、ダメだよ。朝から飛ばしてくれないと。今すぐ寝れば大丈夫だよ」
「天使みてぇーな顔しやがって、てめーはやっぱ鬼だな……」
「鬼とは失礼だな……」
 二人はそんなやり取りをしながら甲板を後にした。
 西へと傾いていた朧月が、ほんのり白みがかり、その姿を隠す準備を始めていた。



宝石の王様
ブルーダイヤモンドの瞳に
ココロの弦は弾かれた

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