KREUTZER ――セッツ――
〜Zwei〜
太陽の光を浴び燦然と耀く長い金の髪は乾いた風に優雅に流され。
砂漠の民には珍しい、陶器のように透き通る白い素肌。
凛とした瞳。
その瞳は蒼穹のように気高い色を放ち。
まるで幻の神が……。
――俺を呼んでいる――
セッツァーは重い瞼をあける。
見慣れた天井。だが明るい。小さな窓から差し込む白い光。あまりにも眩しい光にセッツァーは再び瞼を閉じた。
「……ッツ」
扉を叩く音。そして
「セッツ!」
二度目にはっきりと聞こえた
そして扉を乱暴に開くと、そこには真っ直ぐに見つめる蒼い瞳があった。セッツァーの眠くて開ききっていない瞼が一瞬にして開く。
「おはよう、セッツ」
「……あぁ」
「飲みすぎないようにね…って言ったのに。さっきまで呑んでいたようだね」
セッツァーの体に染み付いている濃厚な酒の匂いがエドガーの鼻腔を突いた。
「うるせぇ。飛ばせない日はだいたい日が昇る直前まで呑んで、日没後に起きるんだ。一体何の用だ? こんな早くから俺を起して」
セッツァーは、まだ眠そうな瞼を掌で軽く抑えた後、両頬と額に掛かるしっとりとした重い銀の糸をかきあげた。
「セリスが朝食を作ってくれたんだ。一緒にと思って。それにマッシュはお茶をいれるのが得意でね。二日酔いに効く君へのティーも用意してあるんだ」
エドガーは何にも臆することのない笑顔を向ける。
「俺は朝食など食わない。起すなよ!!」
セッツァーは、やや声を上げて言ったのだが。
「なら、
エドガーはまるで少年のように嬉しそうにセッツァーを誘う。その笑顔は百年の眠りも醒ましてしまいそうなほどだ。
「……かぁったよ。行く」
セッツァーは肌蹴たガウンの前を整えた。
「そのまんまで?」
エドガーはきょとんとした表情を見せる。
派手で洗練された衣服と宝石を身に纏う世界一のギャンブラー。だがそのセッツァーは櫛も入れていない縺れた銀の長い髪を背中に垂らし、ガウンだけを羽織って部屋を出た。
「あ? 俺の船だ。裸だろうが、寝巻き姿だろうが、誰にも文句言わせねぇが?」
「そうだね……。行こう!」
「おはよう。セッツァー」
とセリスは船主に座るよう促す。
「あ、悪りぃ。先に食べさせてもらってるぜ」
「俺も」
ロックとマッシュは片手にフォーク、片手にパンと両手を使って黙々と食べている。
「よくも朝っぱらから、そんなに食えんな」
セッツァーは煙草に火をつけ、大きな欠伸をする。
「あ、俺、
テーブルに並ぶ皿には目もくれずに言うセッツァー。
「
エドガーはまるで幼い子に教えるように言った。
「彼の酔いが一気に醒めるようなお茶を入れてあげてくれ、マッシュ」
「おうよ!」
「それと…セリス。彼はいつも朝食は摂らない、とても不摂生な生活をしているらしいから。君の料理に手をつけないからといっても気にする事はないよ」
エドガーは無表情にサラダを口に運んでいるセリスに言った。
「明日からセッツァーの分は作らないでおくわ」
セリスは目線を上げずにとても穏やかな声で呟くが、あまり感情の起伏のない声には少々刺があるようにも聞こえる。
「俺の分は、この食欲旺盛なこいつらにまわす方が経費削減だな」
セッツァーも一本調子でそう応えた。
「ほら! ペパーミントだ。これでも飲んで目覚ませ!」
セッツァーはマッシュが差し出したティーカップを無言で受け取る。
マッシュとロックは話す間も惜しいと言わんばかりに手と口を動かして平らげる。セリスとエドガーは静かに口へと運んでいた。
食事を終えた四人がマッシュの入れたティーを飲む頃には、セッツァーのティーカップは既に空になっていた。
「ごちそうさま。セリス美味しかったよ。兄貴、ここ2日ほど修行してないから、体が鈍ってきたぜ。今日は近くの森へ行って鍛錬してくるよ」
マッシュは早々に席を立ち、食堂を後にした。
「じゃ、セリス。俺達は草原でレベル上げでもするか?」
ロックの誘いにセリスは頷く。二人は手際良くテーブルの上の食器を片付ける。
「お前は……? 朝から仕事か?」
薄手の黒いブラウスに黒いパンツという軽装のエドガーにセッツァーは問いかける。
「私は君のお手伝い」
「?」
セッツァーはエドガーの意外な返答に怪訝な表情を投げかける。
「今日エンジンの整備をするんだろう?」
「あぁ、今夜は賭け事を返上してやるよ、日が落ちたらな」
「日没後じゃ遅い。今からやれば、午後には飛びたてるだろう? 日没まで飛ばせば少しでも早くベクタへ近付ける」
「お前……何様だ……。フィガロの王様か何だかしらねぇけどよ、これは俺の船だ! 勝手に決めるなよ!」
セッツァーは突然声を上げると沸いて出てきたような怒りを顕にする。
「俺がやりたい時に……」
だがエドガーの澄みきった蒼い瞳に言葉を詰まらせる。
「私も手伝うから」
エドガーの真摯なその訴えにセッツァーの怒りは瞬時に治まった。
「……ったく……。何て我侭な王様なんだ。わかったよ……。
「セッツ……。だから私も手伝うと……」
「手伝うだって?! そんな細くて綺麗な手ぇしてか?」
「セッツァー! エドガーのその手をバカにしちゃいかんぜ! あんたも世界を旅しているなら噂には聞くだろ? フィガロ王国は機械文化の先進国だと」
食器の片付けをするセリスの手伝いをしていたロックが背を向けたまま言う。
「国王自ら油臭い機械を弄るってのか?」
「機械弄りは私の趣味だよ、セッツ。足手纏いにはならないから、手伝わせてくれないか?」
エドガーは何とも穏やかな笑みをみせた。
「ふーん。変わった王様だな。まぁ見学ぐらいは許してやろう。来な!」
機械室に入ると昨日セッツァーが購入してきた新品の部品が入った大きな木の箱が数個きちんと並べられていた。
セッツァーはその荷物を怪訝な表情で見下ろした。
「業者の者たちが運んできたのを、マッシュがここへ運んでくれたんだ。力仕事は私の弟に任せて」
「余計な事しやがって……」
と言いながらセッツァーは銀の長い髪を、手にしていた薄手の布で無造作に縛り、ガウンの袖口を捲り上げ、大きな木箱を乱暴に開けた。
エドガーはその開けられた木箱の中の部品を覗きこんだ。
「なんだ? てめぇは俺の邪魔にならねーよーに隅っこにでも座ってろ!」
セッツァーは部品と道具を手に取って作業を始める。その姿を確認したエドガーは、
「この部品は、こちら側の部分のだね。これは、あっちの部品だね。セッツ、あっちは私がやるよ」
と言う。
驚いたセッツァーは、ただ振り返る。
「昨日ここを見せてもらった時に古い部品を取替える箇所、だいたいわかったから」
さらりと言ったエドガーにセッツァーは、素っ頓狂な表情でエドガーを見つめたまま言葉を返せずに佇む。
エドガーはポケットから何やら取り出し、小さなそれに手を入れる。
「何だ、それ?」
「見ての通り手袋。手、油で汚れるの嫌だろう」
パツンと音を立てて薄手の手袋はエドガーの左手にぴったりと着けられた。
「バカか? お前。手袋なんかして機械が弄れるってのかよ!?」
セッツァーは呆れたように吐き捨てると作業にとりかかった。
「お前は手伝わなくてもいいから、そっちで座っていてくれ。あんたみたいな綺麗な手、汚すわけにはいかねぇーだろ……」
先ほどとは打って変わって穏やかな声で呟いたセッツァー。
だがエドガーは右手にも薄手の手袋を装着すると、黙って部品と道具を手に取って奥の方へと向かった。
暫く部品の取替えに集中していたセッツァーはすっかりエドガーが、ここにいることを忘れていた。
一段落して辺りを見渡すとエドガーの姿が見えない事に気付く。だがその刹那、奥の方で“ゴトンッ”という鈍い音がセッツァーの耳に入った。
セッツァーは音がした方へ向かうと、梯子に跨って上の部分の部品を取替えているエドガーの背中が目に入る。蒼いリボンできっちりと束ねられている黄金の長い髪が黒いブラウスの背中で煌々と耀いているのが一際目立っていた。
細長く繊細な白い指が道具を操り、その先端は静かに動いている。
セッツァーは暫くその手の動作に見入っていた。
「あと、ここだけなんだ、もうすぐ終わるから」
梯子の上で作業中のエドガーは振り返らずに、セッツァーに言った。
呆気にとられたセッツァーは大掛かりなエンジンを見渡す。
「こ…これは……」
「ふぅ……フィニッシュ!」
エドガーは梯子から降りてくる。
「……これ…全部お前がやったのか?」
セッツァーは、まだ信じられないという
「うん」
「手袋なんか…」
セッツァーはエドガーの手を見て、手袋越しの美しい指を見入る。
「これは自分の手にぴったりフィットするビニール製の手袋なんだ。私はいつも、これを着用して機械を弄ってるんだよ。脂臭くならないし、使い捨てできるしね」
「そんなもん着けてまで機械を弄りたいとは、てめぇは……ほんとに変な王様だぜ」
ほんの少し肩を竦めるセッツァー。
「セッツ、ここ怪我しているじゃないか」
エドガーはセッツァーの左手首を掴む。
――何だろ……。俺のカラダの中で何かが音をたてた。
ドクンッ……。そんな音だろうか……この音はどこから聞こえてくるのだ?――
「長くて綺麗な指だね。ギャンブラーって、この指は商売道具だろう? こういった綺麗な指が器用に動くのにみとれて、イカサマに気付かない客は多々いるのだろうな…」
「イカサマとは何だ! 手、離せ」
「切ったんだね。血が出てる。手、大切にしなよ」
そう言ってエドガーはポケットから取り出した真新しい手袋をセッツァーの手に握らせる。
「これ、いくらでもあるから。セッツ」
雲一つない青の空のように眩い笑顔を向けるエドガー。セッツァーは渡された手袋をいらないと言えなくなり、それを無造作にポケットにしまった。
マッシュ、そしてロックとセリスが狩りから戻ってくると、五人は軽い昼食をとった。その後、エンジンが整った船はベクタへ向けて飛び立った。
初めての飛行に興味津々な男女四人は、船主の許可を得て甲板へ上がる事を許された。
どこまでも続く青い大海原に飛び立つブラックジャック号。
「すげぇ! 兄貴! 俺達、空飛んでるぜ!」
「ひゃっほーー!」
マッシュとロックは嬉々とした声を上げる。
エドガーとセリスは、間近に見える空の青さ、眼下に広がる緑や茶や青など色鮮やかさに魅入られ声も出せぬほどに視線を流す。
セッツァーは長い銀の髪を靡かせ舵を握ったまま、空の海を突き抜ける。船と一体になって。
青い空に白い雲へと船の先端が掻き分けていくと、彼らの視界にも青と白が広がり、強い風が彼らの髪を泳がせた。
キャンバスは、時間の経過と共にほんのり少しずつ暖色系の絵の具が滲んだように、ゆっくりと塗り替えられて行く。
いつのまにか太陽が沈んでいた。
「燃え尽きた太陽が白い雲を染めていってくれたんだね」
舵を握るセッツァーの背後で微かに聞こえたエドガーの声。
「あぁ?」
ふと声のする方へと振り返ったセッツァーの視界には、エドガーの姿しかなかった。
「陽が沈んだ後の空ってこんなに綺麗だったんだな…って思ってね」
黄色に朱色、そしてほんの少し赤紫を混ぜたような色の空。その光の中で映えるエドガーの金の髪。
真っ直ぐに向けられる自信に満ちた蒼い瞳は高潔の輝きを放っていた。その瞳に見つめられたセッツァーは、エドガーの背後に広がる空の色を見た。
「俺は……。この夕焼け色がキライだ」