KREUTZER



〜Eins〜

 彼にとっては、ほんの暇潰しであった。
――おたくのマリア、嫁さんにするから攫いに行くぜ!――




 しかし攫われた、、、、)のは)だったという馬鹿な結末になろうとは夢にも思っていなかったさすらいのギャンブラー。
 世界を牛耳っている帝国に反旗を翻すリターナー。その組織の一員である四人にまんまと言いくるめられ付き合う事となった飛空挺の主は紫煙をくゆらす。




 元帝国の女将軍、年のわりには童顔な自称トレジャーハンター、フィガロの国王、そして王の双子の弟。
「マリアじゃなきゃ興味がねぇ、降りろ!」
 そう言った船の主に彼らは世辞などを飛ばした。派手好きなこのギャンブラーは歯が浮いたような褒め言葉には殆ど耳を貸さなかった。
 だが……。
「私はフィガロの王だ。もし協力してくれたら褒美はたくさん出すぞ」
 そう言ったフィガロ王の言葉だけが耳に入ってきた。
 振り返ったギャンブラーのアメジスト色の瞳に映った姿は……。
 金髪碧眼。白磁のように透き通った肌。すっと整った鼻筋に薄い唇。一国の王という立場だけでも特別の人間だが、このフィガロ王は格別、、)であった。
 神様自身が罪深い欲望を冒してまで描きたくなった人間の姿なのではないだろうかと思われるほどに、現実離れした美しさだ。
 自信に満ちた表情。太陽のように眩しい微笑み。
「生憎、俺は金には困ってねぇ! まぁ、帝国のおかげで商売はあがったりだがな。来な」
「じゃあ!」
 元帝国の将軍が声を上げる。
「勘違いすんじゃねぇ! まだ手ぇ貸すとは言ってねぇだろ!」
「いくら何でも、レディにそいう言葉は失礼だろ、君!」
 フィガロ王は涼しい瞳を船の主に向ける。
「……お前、この女に惚れてんのか?」
 にやりと笑うギャンブラー。
「おい!!」
 トレジャーハンターは背後から何か言いたそうだ。
「ふぅん。おもしれぇな。ちょうど退屈していたところだ。よく見るとあんたマリアより綺麗だな。俺の女になったら手ぇ貸してやってもいいぜ」
「おい! 待て!」
 トレジャーハンターの穢れのない瞳が揺らぐ。
 ギャンブラーの菫色の瞳はフィガロ王の碧眼に向けられる。だがその蒼は微動だにしない。
「いいわ! でも条件がある」
 元女将軍はフィガロ王から何やら手渡される。
「このコインで勝負しましょう。表が出たら私達に協力する。裏が出たら、あなたの女になる。いいでしょ、ギャンブラーさん」
 男勝りな美女は金貨を翳した。
「いいだろ、うけてたとう」




「俺があんなイカサマ、見抜けぬとでも思ったか……」
 煙草の煙がどこまでも広がる蒼穹に消えてなくなる。
「お見通しって事だったかい? ギャンブラーさん?」
 甲板で寝そべっていたギャンブラーの視界に蒼い瞳と金の髪が目に入る。
「あったりめぇーだ……。騙されてやったんだよ!」
「何故?」
「退屈していたところだったんだ」
「ああ、そういう事」
 二人の会話はそこで途切れる。
 微風が金の後れ毛と煙草の煙を踊らせては流した。
「セッツァーだ。さっき言っただろーが、名前くらい覚えろ! フィガロ王」
「エドガー……。私もさっき名乗ったけど」
 セッツァーは舌打ちして起きあがると煙草を投げ捨てた。
「それ、名前?」
「あぁ?」
「ファミリーネームかと思ったから」
「知るか! 俺がつけた名前じゃねぇ」
 セッツァーはエドガーの碧玉から視線を逸らす。
「じゃ、セッツ。私は君の事をこれから、そう呼ぼう」
 エドガーは万人に受けるような笑顔を見せた。
「勝手に決めるんじゃねぇ!!」
 セッツァーが怒気を含んだ声で言っても、王様の笑顔は消えない。呆れたセッツァーはまたもや小さく舌打ちして、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。
「セッツ! エンジン見せてくれないか?」
「はぁ?」
 セッツァーは再びエドガーに視線を戻す。蒼の瞳が真っ直ぐにセッツァーに向けられている。
「あぁ……。いいけど。来な!」




 セッツァーは地下の機械室にエドガーを連れて行くと、エドガーは声にならない感嘆を漏らした。そして大掛かりな機械を無言で眺めまわした。
 セッツァーはそんな彼の後を追い、ぼんやりとエドガーの表情を眺めていた。まるで少年に戻ったかのように煌々と瞳を輝かせ生き生きとした笑顔で細部を見て回るエドガー。


――こんな奴、見た事もねぇ。エンジンココ)に興味をもった奴なんて……アイツ、、、)以外には会った事ねぇ……――


「私の城も、こんな機械搭載すれば空を飛べるのだろうか!」
 少年が夢を語るように呟いたエドガー。
「城って!?」
 セッツァーは怪訝な表情をつくる。
「あ、私の城はね、砂漠のど真ん中にあるのだけれども。先祖代々からの機械の技術の進歩で、砂の海に潜伏できるんだ」
「へぇ! それはすげぇ!」
 さっきまで醒めきったアメジストの瞳を向けていたセッツァーは、微かに瞳を揺らした。
「でも、飛ばせるのは、さすがに無理か…。セッツにも今度見せてあげるよ!」
 エドガーの涼しい笑顔にセッツァーの顰め面がほんの少し和らいだ。
「あぁ、そりゃあどうもよ!」
「ところで、セッツ。私専用の部屋を一つくれないか?」
「はぁ?」
 セッツァーの細い銀の右眉が少しつりあがる。
「レディと同室というのは、まずいだろう? それにむさ苦しい男と同じ部屋ってのも鳥肌がたつよ」
「何て我侭な王様なんだ! ヤロー三人は客室のソファーで寝ろ!」
「同じベッドで寝るなんて気持ち悪いよ、マッシュは図体でかいし。ロックはいつも汗臭いし。
 それに私は旅に出たけれども、色々とやらなければいけないことがあってね……。王様って大変なんだ」
 セッツァーは暫くエドガーの言い分を黙って聞いていた。
 無理矢理ブラックジャック号に乗り込んできた三人の男と一人の女。成り行きリターナーに手を貸すことになったセッツァーだが、反帝国組織には全く興味を持っていない。
 飛空挺とギャンブル以外には何の興味も持たないセッツァーは、たまたま自分の命を賭けてみようかと、ただ暇潰しのように言っただけだった。
 そして船のエンジンルームを見せてくれと言った客人も珍しかったが、船主よりも我侭な人物に会ったのも初めてであった。
 セッツァーは小さな溜息をつく。


――変なヤツを乗せてしまったようだ――


「王様ってヤツは、何て図々しいんだ! ガキん時から甘えかされて育ったから仕方ねぇってヤツか……?」
「そんなこともないんだけれども」
「チッ! 俺の隣の部屋、空けてやっから勝手に使え!」
「ありがとう!!」
 エドガーの笑顔は全ての万人を幸せにしてしまいそうである。




 ベクタへ急ぐ四人ではあったが、エンジンの整備ができていないとセッツァーに言われ、2,3日ジドール付近に留まる事になった。
 セッツァーは部品の買い出し、セリス、マッシュ、ロックは回復薬や装備、食料の買い出しにジドールへと出かけて行った。
 エドガーは与えてもらった個室で仕事に取り掛かる。伝書鳥が運んできた山のような小さな書類に目を通す。
 皆に遅れて夕食を済ませたエドガーは甲板へと赴く。冷たい銀色をした月はもう随分と高く昇っていた。
 ジドールからは小さな灯りが揺れている。湿った風がエドガーの束ねた長い金の髪を靡かせた。
「兄貴!」
 どうやら先客がいたようだ。


 セッツァーは部品の買物を済ませた後、小さな店でカードに興じ、強い酒を飲んだ。ほろ酔いで戻ってきた彼は甲板へと足を運ぶ。
 ドアを開けると心地良い風がセッツァーの長い銀の髪を揺らした。
「さっきのコインの事か?」
「兄貴……俺……ごめん……」
「もう十年も前の事だよ、レネー」
 セッツァーは何気に耳に入ってきたフィガロ兄弟の会話を聞く。その場をそっと後にしようとしたが、思考とは別に足が踵を返そうとしない。
「でも、ロニ!! 俺は何も知らないで、負担ばかりかけさせて……俺……」
 大柄なマッシュは声を詰まらせ項垂れる。
「レネー」
 まるで子供をあやすかのような優しい声でエドガーは弟の短い金の髪を掬った。
「あの頃はいろいろあったけれども……。私は一度もお前に負担をかけられたと思った事はないよ。それに私は選んだ、、、)んだよ。王位を」
「ロニ!!」
「レネーには、自由に羽ばたいて欲しかったんだ。そしていつかは再会できると信じて。
 どんなに離れていてもレネーは私の心の支えだった。だからこれまでも、これからも父上の跡を継いで国を統べていくことができる」
 エドガーは立派なフィガロ王であった。国民の信頼厚い名君の噂は、世界を流離うセッツァーも聞いたことはあった。
「国を出る前は私よりも背が低くて華奢だったレネーが、こんなに逞しくなって会えたのを嬉しく思うよ」
「俺はこの10年間、いずれ兄貴の支えになりたいと……。その事だけを思って修行を続けてきた。これからもだ」
「……りがとう……」
 エドガーの声は風に流される。
「ロニ! 俺の方が、その言葉いわなきゃなんねぇーのに。また先越されたぜ! 俺こそありがとうだよ!」
 マッシュは力強い声で言った。くすっと笑うエドガー。月明かりを浴びた蒼い瞳は微かに潤い、漣をたてていた。
「早く寝ろよ、兄貴! おやすみ」
 セッツァーは咄嗟に積荷の背後に隠れる。マッシュは大きな音を立てて扉を開け階段を降りていった。
 静寂の夜。風に靡いたマントとその上で踊る束ねた金の髪。その音さえセッツァーの耳に聞こえてきそうである。
「盗み聞きとは趣味悪いね、セッツ」
 エドガーは振り向かずに積荷の背後に身を隠しているセッツァーに声を投げかけた。
「何で俺がここにいたってわかったんだ?」
 暫くしてセッツァーからは穏やかな声が返ってきた。
「酒の匂いがプンプン。誰だってわかるんじゃないかな?」
「別に盗み聞きしたわけじゃねぇ。たまたま夜風にあたろうとここに来たらお前らが取り込み中のようで」
「まぁ、いいよ。君に聞かれて困るような事を話していたわけではないし。それより、こっちにおいで。今日の月は綺麗だよ」
 セッツァーは煙草に火をつけ、徐に立ち上がる。
 真上にある銀の月を見上げるエドガー。その冷たい光に照らされた長い髪はほんのり薄い金色に染まり細い絹糸のようだ。
「王様ってのは……いろいろと大変なのか?」
「……別に。そうでもないよ。私は好きで王様、、)をやってるわけだからね!」
「好きで……ねぇ……」
 セッツァーは月に向けて煙草の煙を吐く。
「セッツ。明日はエンジンの整備してくれるんだろうね?」
「あぁ。言われなくともするさ! 命令すんな。ったく……」
「良かった。1日も早くベクタへ行きたいんだ。さてと、仕事の続きがあるから失礼するよ。あまり飲み過ぎないようにね」
 エドガーはセッツァーの肩をぽんと叩いて甲板を後にした。


――この俺様が命令されるなんて前代未聞だせ……――



偶然は必然なのだ
あの旋律が動きだすために
出遭った

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