やさしい風がうたう


− 其の二 シグとラム公のこと −

 俺は目を覚ましてブリッジへ向かおうと廊下に出た。やけに静かだ。この辺りの静寂に気付いた。ユグドラは既に、ファティマ城地下のドッグに到着していたのだと。
 俺は思っていたよりも深い眠りに就いていたようだ。艦橋を渡り、真っ直ぐに城内の医務室へと向かった。
 医務室の扉を開けると案の定、ベッドで眠っているラム公の傍らに座っているシグの姿を最初に見た。
「若、よく眠ってらっしゃいましたので、先にこちらへ来ておりました」
「ラム……ラムサスはどうなんだ?」
 俺は恐る恐る聞いてみた。
「大丈夫です。2、3日もすれば良くなるでしょう」
 俺は何も言えなかった。シグの声はやけに穏やかだ。こういう時のシグは自身でも抑えられない程の怒りを涼しい表情で隠している。決して俺のように激しい感情を思ったままぶちまけない。その激昂したものを一旦自身の中に取り入れて消化する。当たり前のような理屈では解っている事なんだが、俺にはどうしてもできない。だからこのありさまなんだ。
 いくらアイツのあの言葉に頭にきたとは言え、俺はやりすぎたと後悔した。どうして俺はシグのように冷静になれないんだろう? シグ相当怒ってんな。何て言えばいいんだろう。
「若、どうしたのです?」
「あ…」
 俺は何も言えずに突っ立っていたようだ。
「カールは私が看てますから、若は夕食でもおとりになると良いでしょう」
 シグは俺に振り返らずにそう言った。
「あ、あぁ…」
 シグの大きな背中が近寄り難く感じた。何も言わないシグ。俺は耐えられなかった。いつものように怒って欲しいと思った。
「あ、あの…シグ……。怒らねぇのか?」
 やっとのことでそう聞いてみた。
 シグはゆっくりと俺の方を見た。
「さぁ、どうしましょうか?」
「シグ!」
 真っ直ぐ俺に向けられたシグの俺と同じ色の瞳は、とても穏やかだが明らかに怒りを抑えている。俺はまた何も言えなくなった。
「お腹も空いた事でしょう。私は後で参りますから、若は先に行っていてください」
「わかった」
 シグがラム公の方へ向いたのを確認すると俺も踵を返した。気まずい空気が俺の背中を刺した。俺は一呼吸を置いた後、部屋を出た。
 俺は俺専用のダイニングへは向かわずに、客間の方へと長い廊下を歩いた。城内には様々な客間がある。大きく分けて公式のものとプライベートもの。俺がよく行くのはプライベート用で、バーカウンターのある、つまりユグドラのガンルームのような部屋だった。
 俺は爺自慢のバーカウンターからアイスを入れたグラスとスコッチの瓶を手にし、中庭が見渡せるバルコニー近くのソファーに腰を下ろした。窓からは淡い月光が差し始めている。
 あんなに冷たいシグを見たのは何年振りだろう?
 そうだ、子供の頃だ。ニサン近くの森の湖で悪戯をして溺れかけ、側にいた爺が俺を助けたために、水を大量に飲み昏睡状態に陥った時。
 あの時も危篤状態の爺の傍らで看病していたシグは、今日のような瞳を俺に向けていた。あのガキの頃と今も何も変わらない俺は、怒られる! そう思った。だが、意外にもシグは穏やかな声で『心配はいらないから、お休みください』と言って俺を寝かしつけた。
 その後、俺の悪戯を咎めなかったシグ。俺は子供ながらにひどく哀しい思いをした。怒られた方がましだ。いや怒られたかった。
 そして今日また、あの日と同じ瞳を向けたシグ。俺に対するあんな冷たいシグの態度は耐えられなかった。まだ殴られた方がましだ、いや、殴って欲しかったのかもしれない。
「よう、若けえの。何しけた顔して一人で飲んでんだよ」
 聞きなれた声。振り向くと顔に傷のあるジェサイアは既にアイスの入ったグラスを二つ片手に俺の側へとやって来た。
 また来やがったと思ったが、今日の俺はおっさんでも相手してもらった方が気が晴れるだろうと思った。
「若くん。たまには私もご一緒させていただきますよ」
 見上げると先生も一緒だった。
「シタン先生か、久しぶりじゃねぇか」
「いえね、カールの様子をみに、ジェサイア先輩と近くまで来たので寄ってみたのですよ」
 俺は急に表情が翳った。
「話は聞いたぜ! なぁに、心配する事はないぜ。あの堅物、たまにはぎゃふんと言わせないとな! 前はフェイにやられっぱなしだったから、大丈夫だって」
 とおっさんは豪快に笑った。
「まぁ、何をされても、あのカールの神経質そうな表情が変わる事はないですけれどね」
 と先生。
「そうだよ、どうしてラムサスは、いつもあんなむっつりとした顔してるんだ? ゲブラーのエリートだったか何だか知らねぇが、もうちょっと打ち解けてくれたっていいじゃねぇか」
 俺はラムサスの無粋な表情も気に食わない一つだった。
「そうだなぁ。アイツは若けぇ頃から、いつも眉間に皺を寄せて難しい顔してやがったなぁ」
「そうですね。ただ、シグルドと夢を語り合っていた頃は、少しは軟らかい表情になっていましたがね」
「シグと!?」
 シグの前ではそんな表情をするんだ、あの堅物ラム公が。と同時にシグはラム公や先生、おっさんの前でどんな顔して話しているんだろう、とそんな疑問も浮かんだ。
「ええ。カールは私達の中では、一番シグルドと仲良くしていましたよ。カールの自宅へもよく遊びに行っていたようですし」
「そうだなぁ。俺んとこに居候していた時も、奴の所へ行ったきり帰ってこない日もあったなぁ」
 俺の知らない時代のシグを知っている、おっさん、先生、ラム公が急に羨ましくなった。そして目頭が少し熱くなったようだ。
「おや、若くん。大丈夫ですか?」
「あ? あぁ」
 俺は険しい表情になっていたのに気付く。
「まったく、おめぇーさんは判りやすいな」
 とおっさんはまたもや大笑いした。
「な、何がだよ!!」
「シグルドの事となると、あからさまにコロコロと表情変えやがる」
 図星。悔しいけど、おっさんの言うとおりなのかもな、と素直にそう思った。
「そう言えば、カールも」
 と先生が口を挟む。
「ええ、カールは、シグルドがソラリスを去った後は、相当荒れていましたね。あれで更に人間不信に磨きがかかったようです」
「カールもおめぇーさんも、シグルドの事となると血相変えやがる。そう言うとこ似てんな」
「アイツなんかと一緒にすんじゃねぇ!」
 俺は明らかに不愉快な表情を二人に見せた。
「シグルドは、なかなか魅力的な男ですからねぇ」
「ユーゲント時代もモテモテだったなぁ。ソラリスでは見かけねぇ、珍しい容姿してやがるからなぁ。本人の知らないところで胸をときめかせた姉ちゃんも多かったんじゃねぇか? そんな姉ちゃんにも目もくれず、カールとばっかつるんでやがったからな」
 俺は殆どおっさんの話は聞いていなかった。いや聞く耳持つ必要無し。この二人は俺をからかっているようにしか聞こえなかった。
「モテモテか…。半分は同じ血が流れているというのに、俺とは出来が違うからな、シグは」
 俺から見たシグはいつも完璧だった。客観的に見ても先生の言うように魅力的だと思う。そして俺はずっとシグに憧れていた、いや今でもそうだ。だがあの時、兄弟だったとわかって、それが憧れ以上に羨望だったのかもしれないとも気付いた。だが、実際のところどうなのか自分でもわからない。
「若くん?」
「おいおい、そんな深刻な顔するなって!」
「いや、俺、また酔っ払ってしまったようだ。俺のせいで、シグも大変だし。今日はここで酔い潰れるわけにはいかねぇからな」
 そう言って俺は立ちあがった。
「仕方ないですね。先輩のお相手は、今日は私一人で受ける事にしますよ」
「すまねぇな、先生」
「頑張れよ! 若けぇの」
「ありがとよ、おっさん」
 俺は急ぎ足で客間を後にしようとした。だが扉前でふとフェイの顔が浮かび、足が止まった。ラム公とフェイが和解できた事を複雑に思う。フェイはアイツを許した。俺は何でアイツに拘るんだろう? あぁ、もう考えたくねぇ!
「先生よぉ、フェイに宜しく言っておいてくれ」
「フェイを連れて来た方が良かったようですね」
 俺は振り向かずに一呼吸置いた。
「いや、フェイに今のバカみてぇな俺を見られるのも、情けないしな。ウェルスの件が片付いたら、こっちにも遊びに来ないか? とでも言っておいてくれればありがたいぜ、先生。じゃ、おやすみ」
 俺は先生の返事も待たずに部屋を後にした。



 翌朝、複数の鳴り響く目覚し時計の音で叩き起こされる。朦朧とした意識の中、いくつかの目覚し時計を投げつけて音を止めていたようだ。
「だぁ! もう、うるせぇな!!」
 しまった! 俺はシーツを払い除け、慌てて起きあがった。また寝坊。予想通りシグは来なかった。
 俺は慌てて身支度をし、鏡の前に立った。ぼさぼさの頭。シグに髪を編んでもらうのは当たり前のような日課だった。この城の主になったが、女官等に髪を任せるのは嫌だった。だからシグが必ず毎朝俺の髪を編んでくれる。そのシグが今日は来なかった。
 俺は縺れた髪を櫛で解そうとしたが、うまくいかない。時間もない事だ。俺はすぐに諦め、作戦司令室へと急いだ。
 シグルドとラム公を除くいつものメンバーが既に集まっていた。最初に目に付いたのは、ドミニアの嫌悪の目線だった。
「大統領たる者が朝の会議に遅れ、挙句の果ていくら身内とはいえ、身だしなみも整えぬとは、呆れて何も言えぬ」
「すまない」
 俺は珍しく素直に謝った。ラム公を慕っている、ドミニアは口調までヤツに似ていて相当気に食わねぇが、ここは我慢。
「閣下、いや、ラムサス様も今日はおられぬ事だし、あとは私達で片付ける」
「そうですね、私達で充分ですね」
 とドミニアのあとに続けたケルビナ。
「俺らも行くぞ、セラフィータ」
「そだね、そだね、トロネちゃん。バルトロメイいなくても、トロネちゃんがいれば全然平気、行こう!」
 エレメンツは作戦司令室を去った。俺はぼさぼさの髪が逆毛を立てた程、怒りが爆発していたのは言うまでもない。
「若、気にしなさんなって」
 俺の爆発寸前を諌めようとしたのは、ミロクだった。ミロクはガキの頃からシグや爺とともに俺を見守ってくれていた。
「若は若のままでいい。あいつら、口は悪いけど、よくやってくれているし」
「あ、あぁ、そうだな。ありがとよ」
「若、朝食はまだなのでは?」
 と爺。
「爺、シグは?」
「ダイニングにはお見えになってませんね」
「そうか、あいつも昨日から飯食ってないだろうし、ちょっと様子みてくる、ラム…ラムサスも心配だしな」
 俺は作戦司令室を後にして、医務室へと向かった。



 昨日のシグの背中を思い出すと、気が重かった。
 扉が開くと昨日見た光景のままだった。大きなシグの背中が最初に目に入った。
「若ですか、おはようございます」
「あ、あぁ、おはよう、シグ」
 振り返り俺を見たシグは、少し驚いたような表情を向けた。
「若、今朝はすみませんでした。お支度手伝えなくて」
「いや、そんな事はいいんだ」
 俺はどうも昨日から調子が狂っていた。俺らしくもねぇ。だが俺の心はどこかしら、どんよりとした雨雲が覆ってしまったようだ。
「若、ここへお座りください」
 シグは立ちあがると俺に、その席をすすめた。
「そのまま、朝の会議にでられたのですか?」
 あぁ、このぼさぼさの髪の事か。この髪の事はどうでもいいんだ。今シグに話したいのは、こんな事じゃなくて。いや、本当は謝りたいのだが。
「あ、うん。ドミニアにバカにされちまったがな、ハハハ……」
 と結局、思っていた言葉が出てこなかった。
「すみません、若。どうぞ」
「すまない」
 俺は促されるままに椅子に座った。
 シグの骨ばった長い指が俺のもつれた髪を優しく丁寧に解してくれる。いつもの櫛で梳かされるよりも心地よかった。
 ふと視線を落とせば、ラム公が俺の前で眠っている。目を閉じている時ですら、難しい表情をしてやがる。だが髪と同じ色の淡い象牙色の眉毛と長い睫が綺麗に見えた。
「なぁ、シグ。お前はどうしてコイツとうまくやれるんだ? その、被験体としてのお前を救ってくれた恩人だからか?」
 俺は何が聞きたいのか自分でも質問の意味がわからない。そんな事、以前ニサンでシグの口から聞いたんじゃなかったのか?
「確かに恩人ではありますが、カールは私にとって、大切な親友です」
 親友か。シグは初めてラム公の事を俺の前でそう言った。俺の中で複雑な思いが押し寄せてくる。親友、それは俺とフェイのようなものなんだろうか。
 シグはいつものように器用に俺の髪を編み込み、近くにあった紐でその先端を縛った。
「いつも、すまねぇな、シグ」
「いえ」
 そう短く答えたシグは、俺の近くに椅子を持ってきて腰をおろした。俺と対極にある蒼が真っ直ぐに俺に向けられた。
「若は、カールとは、仲良くできませんか?」
 シグはまるで子供に言い聞かせるかのような、とても優しい声で言った。その声がどことなく哀しげにも聞こえた。
「そんな事ない。努力しているんだ。だが、アイツは」
 俺の事が気に入らねぇんじゃないか、と言いかけてやめた。アイツが、でなく、俺も気に入らねぇのは事実だから。だが、今のシグの透き通った俺と同じ碧玉を見ると、到底そんな事言えなかった。いつもなら、何も考えずに言いたいことが口をついて出てくるのに、今日に限って言えなかった。
 いつの間にか俺はシグに険しい視線を向けていたようだ。
「いや、何でもねぇ。お前の……その、親友だからな」
 俺はシグから視線を外すと、目の前の眠っているラム公に向けた。親友という言葉がひっかかっていた。何だろう、この思いは。
「カールは、自分の事を表現するのが、とても苦手な人です。また色々な事情があって、人間不信が人一倍激しく、それは私も悪いことをしたと思っているのですが。ですから、他人に誤解されやすく、なかなか心を開けずに」
「……いいよ」
「若?」
「もういいよ、シグ。俺が悪かった」
 俺はシグの瞳が見れなかった。それから俺の中で堰を切ったように溢れ出した、何か。
「お前の大事な親友……」
 シグがラム公について話しているのが、何故か俺には耐えられなかった。
「俺は」
「若?」
 項垂れた俺にシグはもう一度優しい声をかけてくれた。だが、その優しい声こそが今の俺にはたえられなかったのだ。
「…俺は……。俺はどんな事をしたって、どれほどお前といても、一生お前の親友なんかなれないっ!」
 俺は頭のどこかで止めろと言っていたが、口から出て来る言葉は歯止めがきかない。ふとシグを振り返ると、困惑の蒼い隻眼を俺に向けていた。だが、それは優しさと俺への気遣い、そんなものが混じった瞳だった。
「俺は、お前の元主で、そして……お前の弟で。だから、お前が優しくしてくれるのは当然で、お前が俺を大事に思ってくれるのは、当たり前の事で……!」
 俺は下唇を噛んだ。
「若、どうしてそのような事を」
 若、若、若! いつだって優しく俺を包み込んでくれる、シグの声、瞳。だが、今の俺にはそれが耐えられない。
「俺はいつまで経ってもガキだよ! いつまで経っても、お前のお荷物だしな。お前に迷惑ばっかかけちまう。俺はどうしたって、お前の親友になんかなれねぇ!」
 俺は抑えていたものを全部吐き出してしまった。ぎゅっと噛んでいた下唇から、ほんのり血の味がした。これ以上何も言うまいと、噛んでいた唇だったが、それも無駄だった。
「俺が元ファティマ家の王子じゃなくて、シグの兄弟じゃなかったら、そうだったとしたら、俺なんかに、シグみたいな奴が仲良くしてくれるなんて、もったいないもんな」
 あぁ、もうダメだ。こうなったら止まらない、冷静になれないんだ。シグの事となると。
「……」
 やはりシグは何も言わなかった。だがシグの俺と同じ色の蒼い瞳が、真っ直ぐに向けられているのに俺は直視できなかった。
 微かにシグの蒼の瞳が揺れたような気がした。
「……俺……その……」
 俺は言葉を詰まらせた。また込み上げてくる感情を抑えるかのように、唇をかみしめた。
「いや……。ちゃんと飯くらい食えよ! 髪ありがとな」
 そう言って慌てて椅子から立上ると、部屋を後にした。
 俺が一番見たくないシグの瞳だった。何故シグは俺にあんな瞳を向けるのだ。
 疑問と混沌を抱えたままの俺は医務室で抑えた感情が、今にも堰を切って溢れ出そうとするのを制御するのがやっとだった。
「俺は…やっぱり、まだガキだよ」
 そんな独り言を呟きながら、長い廊下を逃げるようにして自室へと向かった。



 頭を鈍器で何度か殴られたような感覚に陥るほど、その音は俺の脳裏を疼かせた。
「ぅるせぇーーー!!」
 慌てて飛び起きた俺は、十数個の目覚し時計に囲まれていたのに気付く。ぼんやりとした思考で、昨夜ラム公が意識を取り戻した事を聞いたのを思い出した。
 アイツの事だ、病み上がりとはいえ、今日は朝の会議に必ず出席するであろう。今日という今日こそは流石に俺は絶対遅刻出来ないと誓っていた。
 案の定、支度の手伝いに俺の寝室を訪れたシグが、驚いていたのは言うまでもない。何せシグが来る前に起きていた事は殆ど皆無に近い俺だったから。いつもならシグに起され、半分眠ったままの俺の髪を整えてもらい、シグが寝室を去ると、本来なら着替えを済ませ、俺も寝室を後にするはずなのだが、あまりの眠さにまたベッドへ身を投げるのが習慣だった。だから、遅刻の常習となっていたのだ。
 だが今日はシグが去った後、着替えを済ませ、すぐに作戦司令室へと向かった。
「おはようございます、若。今すぐ温かいお茶をお入れします」
 しんと静まり返った部屋に、とても穏やかな爺の声に、俺はほっと胸を撫で下ろして自分の椅子に座った。同時に爺以外誰もいなかった事に安堵した。
 お茶を一口飲んだところで、ミロクを先頭にギア部隊のいつもの顔ぶれがやってきた。大統領席に俺が座っているのを確認した彼等は、少し驚いていたようだ。
「おっ! 若、今日は早いですな」
 とミロクは爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「おはようございます!」
 凛とした声を響かせたのは、ドミニア。彼女の後に続き元エレメンツが全員姿を現した。ドミニアとケルビナは俺に一瞥をくれると、黙って彼女達の席についた。
「驚いた〜。バルトロメイが、セラフィー達より、早くきてるなんて、びっくりだよね、トロネちゃん! 今日は雪でも降るのかなぁ」
「確かに驚きだな、俺もびっくりだ。お前もたまには、的をついたこと言うじゃん」
 キャッキャと笑う、セラフィータの声に俺の噴火までの秒読みが一気に10秒を切りそうだったが、爺のお茶を飲んで何とか気持ちを落ち着けた。
 相変わらずしんと静まり返った部屋。誰もが補佐官二人を待っていた。補佐官なしでは朝の会議が始まらないのは当たり前のように決まっていた。
 暫くして、手に資料の束を抱えたシグが隣のラム公に何やら話し掛けながら現れた。大きなテーブルの前で右と左にわかれて進んだ二人。
 シグとラム公は同時に正面に座っている俺に気付く。あまり表情を変える二人ではないが、俺を見て微かに瞳を揺らしたように見えた。
「若。すみません、遅くなりまして」
 シグはいつものように穏やかにそう言うと、俺の右側に座った。
 そしてラム公は冷たい金の瞳で俺に一瞥した後、俺の左側へと座った。俺はその間、ずっと彼への視線を外せなかった。
 ここにいるいつもの顔ぶれの誰もが、会議の始まる前に俺がいることに驚きを隠せないようだが、俺は今日、どうしてもラム公に謝らなくてはならなかった。その為に、あれだけの目覚まし時計を設置し、早々にここへとかけつけた。
 思慮深い金の瞳を白いテーブルへと微かに落としている、ラム公。
 全メンバーが揃い、そして珍しく俺がいる。形式とは言え、俺が声をかけてはじめて会議が始まるのだが、何を言っていいのかわからない。実際、メンバーが揃う前に俺が先にここへ座っているのは、滅多にないことだ。
「あ、えっと、始める前に、私用で悪いが・・・・・・」
 俺は皆へと視線を向け、控え目にそう言った。そして再び、ラム公へと視線を戻す。そしてゆっくりと立ち上がった。
「あの…その…悪かった、すまない」
 俺の言葉に反応したラム公が俯いている俺を見上げ、金の険しい瞳を向けた。だがその視線は瞬時に向かいにあるシグの蒼の隻眼へと向けられた。
「謝られる筋合いはない」
 いつものようにぶっきらぼうに言い放った言葉、それは俺に向けられたものではなかった。
「シグルド、ソラリスを去った理由は、お前の異母弟、バルトロメイにあったな。だが、お前ほどの優秀な奴が、何故なのだ!」
 ラム公は完全に怒りを俺にではなく、シグへと向けていた。
「お前ほどの才能がありながら、何故だ! 俺の元を去った後の約13年、その結果がこれなのか?!」
「カール!」
「バルトロメイの教育係か。そしてその結果が、このどうしようもない軍人の風上にも置けぬ、お前にとっては主を育てたと言うのか? シグルド! 俺はお前に失望しそうだ!」
 俺はラム公が言い放った直後、いや同時かもしれない、奴の襟首を掴んでいた。
「黙って言わせておけば!!」
 次の瞬間、俺の拳はラム公の白い頬に直撃していたようだ。
 勢いよく床に倒れこんだラムサス。
「ラムサス様!」
 ドミニアが大きな音を立てて椅子を払い除け、立った。
 ラム公はゆっくりと立ちあがり、唇の左端を手の甲でぬぐった。真っ白の肌に真紅の一筋の線。
 俺はまたしても自身の怒りにまかせた感情だけで、ラム公に拳が向かったのは言うまでもない。
 だが――
 ラム公のキャッツアイが鋭く俺を射抜く。俺はそれに怯まない!
「島でのミッションは俺が悪かった! それは謝る。それから……」
 俺は一旦言葉を切って、シグルドへと視線を移した。俺と同じ色の碧玉。対極の瞳が穏やかに俺を見つめていた。
「俺を罵るのはかまわない。だが……」
俺は再びラム公を見上げる。
「だが、シグを侮辱するのだけは、例え誰であろうと、それだけは絶対に許さなねぇ!」
 ラム公の整った眉が微かに動いた。
「わ、悪かったな!」
 凍り付いた空気を遮って俺は作戦司令室を後にした。
 またやってしまったと分かっている。だが、俺のせいでシグがあんなふうに言われたのは悔しかった。全ては俺が悪いのに。
少し頭を冷やそう。俺は執務室へと向かった。



「すまない、カール」
 若が出ていった後、その場にいた誰もが口を閉ざしていたのは言うまでもない。
 カールは額にかかった淡い象牙色の髪を少々煩そうに払い除け、椅子に座った。
「バルトロメイはミッションから降りてもらう、それでいいな、シグルド」
「ああ」
 それから、私達は何事もなかったように会議を進めた。若の変わりにカールは私と組む事になった。カールのギア戦を私はユグドラで後方支援することとなった。
 手短に会議を終え、私とカールは早々に目的地へと向かった。
 再び城へ戻ってきた頃には、果てしない砂の地平線の向こうへ色濃く染まった橙の陽が沈もうとしていた。
 城へ戻ったと同時に、若がニサンへ向かった事を聞いた。
 小さな溜息が、気だるい夕日に飲まれてくれるのを願いつつ、私は補佐官専用の執務室へと向かった。

TO BE CONTINUED

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