GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆愛とは
 とは、 「(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。 (ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。 (イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。 (ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。 (2)キリスト教で、神が人類を限りなく深くいつくしむこと。 (3)〔仏〕人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。 (4)他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。」です。
 慈しむとは、「かわいがって、大事にする。」です。
 仏教的には、ここで採り上げる愛とは慈愛のことで、 「我が子を愛するようないつくしみの気持ち。」(以上、goo 辞書)です。 慈愛は、更に「慈悲」へと深まっていきます。
 このように、とは、上位から下位へに施す一方的な(感情)表現であると云えましょう。
 
 (宗教的なこととして)人々が、義務としての愛とか、手段としての愛、 神の権限を代行すると思われるような愛(上位から下位への愛)を行使するとき、 そこには、教義教典(律法や戒律)に定める制限があります。 即ち、異教徒には適用されない……。
 
 以上については、反論される方もおられるかも知れません。 宗教を体して行われる愛は、真の愛である、と……。
 
 さて、以上の論点は、「上位→下位」の愛であり、もしくは「自分→他人」の愛です。
 ところで、この構図は、その逆もあり得るのです。
 @「下位→上位」又は「他人→自分」もあり得る、と云うことです。 価値観の逆転です。愛に対して感謝の告白があったときです。 そのとき、上位〜自分の立場はどのようになるのでしょうか……。 例えば、「無償の愛」をと思って愛を施したとき、 もし愛を施された側から感謝の告白を受けたとき、 あなたはどのような気持ちを抱くでしょうか……。
 Aあるいは、立場が逆転して、下位が上位に、上位が下位になったとき……。
 ”いやー、逆転なんかする訳がない”と思われているのでしょうか。
 Bもし、逆転してしまったら……。 その時は既に「神の国の到来」=求める理想の社会が実現したのではないでしょうか。 即ちその時点で、「宗教」は有名無実な存在になってしまったのです。
 〔随喜功徳品の項参照〕
 
 更に考えますと、 「愛とは、慈しみ合う心のことで、慈しむとは、大切にすることである。」へと、議論が進展すると思います。
 霊魂を体するによって、 相互の間に愛が醸成され、 真の愛の目的が成就されるものと思います。
 このことについて、ご覧の方々はどのようにお考えでしょうか。
 
 即ち、宗教の指向する理想の象徴は、であると思います。

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