自閉症スペクトル障害

 

「高機能自閉症」だの、「アスペルガー症候群」だの、「自閉的人格障害」だの、ただの「性格」や「個性」だのという議論は、もう、やめにしようと、最近、私は思っています。まぁ、学者・研究者が、定義づけたり診断する為に議論するならともかく、一生続く、自分や自分の子供との"おつきあい"に、学術上の論争を持ち込んでも、何の意味もないからです。

私の頭にあるのは、「自閉的スペクトル障害」という概念です。アメリカの診断システムで言うところの、「広汎性発達障害」のイギリスでの呼称、としてしまえばそれまでです。しかし、この言葉の判りやすさと、ローナ・ウィング博士の、自閉症者の母親らしい"あたたかさ"が感じられて、私はとても好感を持っています。

参照:最新の自閉症診断と自閉症スペクトル障害

参照:自閉的特性を持つ人々

それは何かと一口で言えば、社会的相互作用の障害・コミュニケーションの障害・想像力の障害・反復的行動が背景にあると思われる、「自閉性障害」を持つ人すべて、大人も子供も、また、あらゆる知的水準をも網羅して考えるということです。つまり、カナーの「自閉症」の概念とアスペルガー症候群などのサブ・グループの概念を、連続体(スペクトル)として捉えるのです。そして、ひとつひとつの行動について、原因を考え、支援しようというものです。

カナー・タイプの古典的な「自閉症」という診断名がつけられる人から、正常との境界線上にいる人まで、「自閉」に関しては、共通する要素を見つけることができます。ただ、知的水準と身体的疾患やその他の発達障害の有無の違いによって、様相はかなり異なるのは当然でしょう。一人の人を、「自閉性障害」を持つ一群の仲間の中で、どの項目の障害がどの程度あるか、連続的に、かつ、流動的に位置付けて見るのです。

 

その特徴は、高機能の一群と正常との境についての以下の記述に端的に現われています。

自閉性障害として特徴づけられる特性の多くは、生活のあらゆる面で問題なく過ごしている人にもわずかながらみられることがあります。ほとんどの人はそのパーソナリティのなかに、自閉的行動となんらかの共通性をもつ側面が、一つないしそれ以上みられるものです。アスペルガーが指摘しているように、ある程度の自閉性は、芸術や科学の領域においては有利となります。

ローナ・ウィング著『自閉症スペクトル−親と専門家のためのガイドブック−』より

 

自閉性障害を持つ高機能の人と、正常だがちょっと変わった人との間には、明確な境界線は存在しないという見解には、私は大賛成です。それに、たとえ、「自閉症」の診断基準の内、「最低、六つの症状がないと診断には値しないから、あなたは自閉症ではない」と退けられたとしても、そのうちの一つがあっただけで、本人にとっては大問題になりえます。逆に、どんなにたくさんの項目に該当していても、発達上、あるいは、人生において、問題を引き起こしたり、他の精神疾患に発展するおそれがあるとか、本人が不安を感じ、誰かに支援を求めているのでなければ、とりたてて診断する必要がない場合だってあるでしょう。

どちらにしても、「自閉的障害」(あるいは、≪障害≫という言葉を使いたくなかったら「自閉」と言っても構わないと思います)そのものを重篤で絶望的なものだとしない方が良いのではないでしょうか。診断基準に当てはまるかとか、診断名を下すことに神経をすり減らすよりも、自分には、いくつかの項目のうちの何と何があって、知能レベルはどこに属し、合併する症状は何か、というように一つ一つの要素に分けて把握し、その対策を講じることに知恵と時間を費やした方が、賢明だと思いますが…。


       

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