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 Juneで描くマンガ 

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小説Juneに「NightSlumber」が載った夜、
知人の漫画家さんから、いきなり  「小June読みました、よかった!」 というFAXが届きました。
なにしろシリアスを描くのがもう本当に何年かぶりで・・・、 ヘタすると10年くらい描いてなかったんじゃないかと思いますが、 ちょっとドキドキで描いたものでしたので、  「あっ、助かった・・・成功したんだ・・・!」 とホッとしました。

Juneという本は、見たことのある方はご存じだと思いますけど、 いうところの「えっち系」の本です。
なのですが、私にとってはなかなかありがたい、自分のマンガの描きやすい本で、 本気で好きなものを描けるなかなか嬉しい仕事先の1つです。

私は、コメディは、状況を対極からみて互いのバランスを取っていくという、 一種「醒めた目線」がベースになっていると思うのですが、  ( 「最近の古畑任三郎」  お楽しみ箱  の項 参照 )
「シリアス」というのは一種の 「陶酔系ぼんのーマンガ」 だと思っていて、 そういう意味で、 Juneという雑誌に描くには、 自分では「シリアス」は合っているんじゃないかと思っています。

Juneは、会社もえっち系というか、「さぶ」なんかも出す  「正当なえっち本出版社(?)」 ですので、ここの作品チェックは 「体の一部分が絵に描かれているかどうか」つまり 「猥褻物陳列罪に抵触するかどうか」 が第一で、 俗に言う「差別用語」についてはあまりピリピリしていません。

私の全ての仕事の中で「猥褻物陳列罪」系で掲載を断られたのは、 これまでたった1回 (白泉社の「キムチ」の単行本カバーに、 女性のきれいなパンティをそれとわかるコラージュに使って 「これはちょっと・・・」と断られた)  だけですので、つまりはJuneに描くマンガは、私には制限がないも同然というか、 もうまったく何の縛りもないのであります。

一応、基本的に 「男同士の話にして下さい」  という注文はついているのですが、 それでも主人公がタワシだったり、ナメクジだったり(雌雄同性なので一応男同士???) はては 「単に男が画面に出てるだけ」 という、 「それぞれの幸福」(修道僧の主人公と美形領主のコンビで、 なんとイントロのみ・・・)とか、「空の船」とか(これに至っては、 ファンタジーSFの設定の部分だけであります)
なんかもう、 頁を借りて好きなモノを描いているだけという事になっているのでありますが、
うっかり 「金がないのは首がないのも同じ」 と書いてしまって  「これはちょっと・・・他のセリフに変えてもらえませんか」  と言われてパニックになるような事態はここではまずないので、 心理的にセーブなしに描けるというわけです。


−−−上に書いた 「金がないのは首のないのも同じ」  は、なぜ差別用語なのかわからない方が多いと思いますが、 これについては私もわかりません。
「首がない」 が身障者差別になるのかと思ったのですが、 首がない人は差別を受けるよりも先に、 すでに生きていないわけなので・・・  もしかしたら、被差別者の人に対して、 そういう何かひどい差別表現の用語があるのかもしれませんが、 ザンネンながら(というか幸いにもというか)私は知らないのであります。
担当編集者さんに詳しく聞けばいいのにと思われるでしょうが、 編集さん自身もうんざりしている種類の事項なので、かなり親しくしていないと、 こういう時なかなか理由は聞きにくいものであります。

この時は本当に他に代替えのセリフが思いつかなかったので、  「すみませんが、ここはおまかせしますので、 何か差し障りのないものに代えて下さい」 と頼んだら  「金が欲しい・・・ああ、金、金!」  というようなものに代えてくれました。

替わってみると、元のセリフでなくなったからといって、 そんなに場面の印象が違うわけでもないと思うのですが、 「 抵触するものを避けて、 内容を選択しながら慎重に低空飛行していく 」ような、 手探り確認しながらの、立ち止まりながら進んでいくやり方と、 「 障害物なしで、全開全速で自由に飛びまわる 」ような、 完全フリー状態での制作とでは、没頭できる集中度が違っていますので、 Juneの作品は描いていてなかなか楽しいし、 自由勝手に想像力を飛ばせられる事が多いのであります。


そんな事もあって、この 「なんでも描いていいよ」 のJuneは、 私が遠慮なくシリアスを描ける、 数少ない(というかほとんど唯一の)雑誌にもなっていて、 自分ではけっこう気に入っている「くされ縁」や「村野」や「幽霊」 (「村野」は、 自分の中ではシリアスに分類されています) も、 June誌上で描かせてもらったものです。
(シリアスはごく一部の読者さんにしか人気がないので、 普通の雑誌から注文を頂いたときは、 なるべくたくさんの人に楽しんでもらえるように、 コメディを描くようにしています)

ちなみに、Juneで私の担当をしてくれる編集さんは、 漫画が好きで礼儀正しい人が多く、その上おだて方がうまいようです。
前回、ひさしぶりに「4ページ劇場」で 「オレンジとレモン」 を描いた後、 電話がかかってきて 「次もお願いします。読者の人から”次はいつ載るんだ”と 問い合わせがたくさん来てて、編集部に電話かけてきた人もいるんです」

「んなオオゲサな・・・」と笑いながらも、なんだか嬉しくなって、 勢い込んで次を描くハメになりました。
漫画描きというのは単純なものです。  わずかなリップサービスですっかりその気になったりします。


最初に書いたように、Juneというのは女性向けの「えっち本」の一種です。
男性の読者の方が読む場合はちょっと勇気が必要なようで、 女性でも「私は趣味じゃない」という人も多く、 読むときには少し苦労をおかけしているようです。

(男性の方の感想については、 女性が男性向けの「ポルノ的(特にレズものなど)表現」  に遭遇した時なんかに、 「どうもヘンだけど、困ったなー」  と思っちゃうのに似たものでしょうか・・・
「女がそんな都合のいい反応するわけないと思うぞー」 と、 見た時ついうっかり笑ってしまったりするんですけど、 それはもう作り手が見せようと想定してる対象の「性別」 が根本的に最初から違うわけで、  「フィクションとしての”女”」 なんですから、  「こんな反応する女はいねーよ」 と笑ってしまっては、 本気でハマるナンパゲームなんか作れないのであります・・・)

初期の頃のJune誌は 「男ならこんな反応はしない、リアルじゃない」  というので、 男同士の設定をよりリアルな心理表現にしようと苦労する傾向があったようですが、 最近は 「リアルな男性心理の描写」 などは、はなから気にしないことにしたらしく、  「どっかにこんな男がいるというなら連れてきて見なさいっ!」  というような、 女性だけがナットクできるものすごい「男性」の群れで溢れ返っています。

「クオリティ上がったな・・・」と私は思います。
「女が見てナットクできる心理の動きを持つ女の子」 が、 ナンパゲームやえっちビデオに出てたとしても、 買う人が見たいのはそういうタイプの 「リアルさ」 じゃない・・・
現実にないフィクションだから見たいわけで、 それが、「フィクションを描く」・・・という事の重要性なんではないかと思います。

(前述の「古畑任三郎」で言うと、 完全なフィクションだからこそみんなが古畑任三郎という刑事のドラマを見たがるのであって、 あの番組に現実の刑事の描写を求める人なんかいない。 −−というのと同じです。)


フィクションの完成度に 「現実として正しいかどうか」 は関係ないんであります。
「現実感」 や 「実在感」 があれば、フィクションはそれでいいわけで、 それは 「現実性」 や 「事実」 とは、 見かけが似ているだけで、キュウリとズッキーニみたいに、 全くなんの関係もありません。
「現実には見られないけれども心で見たいもの」を見るために、 皆はフィクションを手に入れようとするのではないかと思います。

そういう意味で、私はJuneという本に書くという方向性は、 けっこう面白いと思っています。
「面白いと思うなら、馬鹿馬鹿しく見えるものも描いてよい!」   という方向性が見えるからです。

私には、他に描けないものが描けるなかなかありがたい本であります。



1999.9.9.

カット2枚は 「NightSlumber」 の アイデアスケッチより



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