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!・・・  最近の ・・・!
!・・・古畑任三郎・・・!

・//キャラクターの超絶技巧//・


   ・・・うう、ここに「古畑任三郎のオープニングテーマ」を流したい・・・!
   みなさん、知っていたら頭の中で、BGMをオンにしてください。
   「真っ赤な封筒」の時の古畑くんのように・・・

「王様のレストラン」以来ファンになって三谷幸喜を見続けているのですが、 今期久しぶりに再スタートした古畑任三郎シリーズが絶好調です。 特に今回から参加している「背の小さい人」のキャラクターがすばらしい!
もともと三谷幸喜はコメディというよりはギャグの人で、私がファンになった 「王様のレストラン」はスレスレのラインだったのですが、 古畑任三郎は完全にギャグの本領を発揮していて、 キャラクターの使い方が何とも絶品です!

「コメディ」と「ギャグ」というのは、まったく違う2つのジャンルで、 大変に変わった展開や設定で、笑いを交えて物語を展開しながら 「本当にこんな事があったらいいなぁ、いや、もしかしたら自分にもいつか こういう事があるかも・・・」と思わせてしまう「作り物を現実の可能性のように感じさせてしまう手腕」 を持つジャンルが「コメディ」(「シャル・ウィ・ダンス」の周防監督がこれだといえば わかりやすいと思います。あんな事は自分には起こらないだろうと思いながらも、 なんだか起こりそうな気がしてあの映画を楽しく観た人も多いでしょう)
逆に「こんな事はぜったいにない、この極端さがものすごく面白い!」と、 現実からの遊離感をどれだけ切り込めるかで勝負するのがギャグで、三谷幸喜の持っている 「現実離れをいかに極端に面白く見せられるか」という素晴らしい目線の位置がギャグセンスです。 いくらなんでも古畑任三郎のような刑事が実際にいると思う人はいないだろうし、 「実際にいそうな刑事の名推理」が見たくて古畑任三郎にチャンネルを合わせる人もいないでしょう。
「絶対に現実にいないような、ものすごくヘンな刑事がとんでもない捜査と推理をする」のが見たくて 「古畑任三郎」を見るのであります。
つまり、求めるおもしろさの性質が、コメディとギャグでは正反対ほどに違うわけですね。
その意味で古畑任三郎は現実感があってはいけないわけで、ものすごくシリアスに見える背景の中で 完全なギャグの世界をカンペキに(という事は、 つまり現実感をカケラも感じさせてはいけないという事ですが)構築していなきゃいけない。

これは役者にとってかなりハードな仕事ではないかと思うんですけれども、 田村正和はほとんど完璧な状態でやっていて、 おまけにキャラクターの把握に磨きがかかってきたようで、見ていてしんしんと 「すごい・・・なんかスゴイ・・・」と思ってしまうのであります。
笑わないで感心してしまうのでは、ギャグとして成功しているのか失敗しているのか難しいところですが、 とにかくヒタヒタと恐ろしくなるくらいスゴイわけで、 asahi.comの植木不等式氏の「ウェブWatch」のコーナーで紹介されていた、 唐沢氏の「エクスカリバー、鐘が鳴るなり法隆寺」という駄洒落と同じくらいスゴイ!

ちなみに「エクスカリバー・・・」は、見たトタンにガクゼンとしてしまい、 しばらく口を開けて「げぇぇぇぇーっ」と叫んでました。 んで、ちょうどうちに仕事に来ていた人たちに披露すると「そ・・それはスゴイ・・・」 と言ったきり、やはりひきつっていました。
この「笑えないくらいものすごいギャグ」っていったいなんなんだろう・・・と、 ギャグの価値というものについてちょっと悩んだりしましたが。

・・・話がそれた、「古畑任三郎」であります。

で、今回から出たキャラクターで「極端に背が低い」というだけのステイタスのキャラクター (太っているとかハゲているというだけでキャラクターを作れる吉本のような設定であります) であるところの「古畑の新しい部下」は、マジメで真剣で、ちゃんと普通の思考と推理ができる、 つまり「特になんの性格的行動的欠点もない」キャラクターなのです。
これは・・・普通は不可能です。
ギャグを考えたことのある人はわかると思いますが、何の欠点もない、何の欠陥も欠損もない、 そういうキャラクターはメインに使えないのです。いや、メインどころか脇役でも、とにかく 人格や行動に特徴の持たせようがないのですから、出演すらムリなのです。

というわけで、プロローグの回を見て彼が通しキャラとして出るとわかった時、私は 「いったいこの人をどうするんだろう・・・」と、ボーゼンとしていました。

しかし、その先を見て、私は何回か冷や汗を流すはめになります。
キャラクターになってる・・・しかも、西村雅彦の今泉君ならともかく、主役の古畑任三郎を食うくらい の、とてつもない非凡なキャラクターになっているではありませんか!
私はまた「げぇぇぇぇぇーっ」と叫んでひきつってしまいました。

三谷幸喜がいったい何をしたかと言うと、つまり、「特に欠点がない」という「性格」 をキャラクターとして使ってしまったのです。
この離れワザがどういう事なのか、意味が分かるでしょうか・・・?
つまり「味がない」事を武器にした食品のようなものです。
ふつう、食品はおいしくないと売れません、食品の味覚の価値は「何かの味がする事」 「特徴のある、とてもおいしい味がする事」であります。 そういう商戦の中へ、三谷幸喜は「全く味がしないこと」という特徴をつけた、 とんでもない方向性の商品を持ち込んで勝負に出たのです。

「普通思いつかねぇよな・・・こんなこと・・・」と、私は冷や汗を流して画面を見ておりました。
緒方拳がゲストの回で、最後に古畑に「めんどくさくなっちゃった、君、自分で焼きなさい、 ああ日本酒もあるから、勝手に飲みなさい」と言われて「ハイ」と返事して 淡々とスルメを焼いて、言われたとおりに一升瓶から酒をついで飲んだり焼いたりしているだけ・・・
このエンディング場面の秀逸なことは、「なんかもうワタシ、 仕事するのイヤになってきちゃったな・・・」と思ったくらい、壮絶なうまさでした。
まったく何でもない、本当に何もない場面なのに、前編見終わってそこしか覚えていない・・・!
なんなんだよこれは!やってらんねーよ! とワタシはヤクザな口調で叫んだのであります。
もうこの絶好調ぶりに手のうちようがないというか、ちょっともう勝負のしようがないというか、 最高潮の時の曙の土俵というか(えーつまり、相手が何も触らない内に土俵の外に すっ飛んでってしまうわけです)とにかくもう「勝手にやってろよ!」という感じ。
ワタシは畳の上に倒れ込んで、しばらく突っ伏しておりました。
「困るんだよなー、こーゆー事されると・・・」とか何とかぶつぶつぼやきながら・・・

さて、そういう古畑任三郎の今回シリーズですが、もう一人とんでもないキャラクターが出ています。
「謎の犯人をすでにわかっているチョイ役の喫茶店の店員」という、とんでもないキャラクターです。

ふつうミステリーは、犯人が誰だかわかっていません。
その「犯人が誰か」をドラマの最初に見せてしまい、それでも推理ミステリーを成立させるという、 掟破りの超離れ業をやって見せたのが、「古畑任三郎」がベースにしている「刑事コロンボ」 のシリーズです。
それに対抗したのかどうかはわかりませんが、今回のキャラクターは「まったくのチョイ役」で 「ちょっと立ち聞きしただけ」で「あいつが犯人だよ」と真犯人についてコメントするという、 超オキテ破りのとんでもないキャラクターで、それを、聞き込みに来た背の低い西園寺君がまじめな顔で聞く ・・・という設定になっています。

今回のアイデアは「作劇のタブーに挑戦」シリーズのようなので、「背が低いだけ」の西園寺君を考えていて、 一緒に出てきた「作劇掟破り型」キャラクターが彼なのかもしれません。
さすがに西園寺君のデキがあまりにいいので、とんでもないキャラクターのわりに それほど目立っていませんが「何するんだよ、もぉ・・・」とぼやいてしまった事は確かです。

三谷幸喜は集中力の切れやすいタイプの人らしいので(こんな集中力の必要なシナリオを作るんだから当然ですが) このレベルがいつまで持つのか心配ですが、少なくともここしばらくはかなりのクオリティで 見られるのではないかと思います。  楽しみです。






おまけ{ギャグとコメディ・喜劇と悲劇についての考察}


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