その2:準備と出発

 

心配していても時間は過ぎて行く。とにかくできるだけのことをやって(引継とか)いこうと思った。

まずぼくがいなくなって不便になることはパソコンに係わる事だろう。これまで手書きでやってた見積書とか、支店独自の損益計算書とか、会社のデータベースからデータを引っ張ってくることとか、鉄筋の数量・重量計算とか・・・・・・とかとかうるさい?すみません。とにかくあれば便利だが、なくてもなんとかなるというモノはとりあえずおいといて、これだけはせんといかんだろう的なことを月間の流れでリストアップし、スケジュールを組んで引継をしていった。

リストはA4一枚ですんだけど説明の文書を作るのが一苦労で、初心者でもわかるように懇切丁寧に書いていったら結局週刊誌1.5冊程度のぶ厚い本になってしまった。表計算についてある程度詳しい人が相手だったら、リストに業務ファイルのディレクトリを書いておいたからそれ1枚ですむんだろうけど、そんな人はうちの会社にはぼくの知る限り11人しかおらん。(と思う)

嶋河さんは努力家で前向き、そして勝ち気な人である。しんどい引継を1週間で済ますことができたのには感謝しています。もしもっとぬるい人が相手で、引継途中で徳島に行かなければならないなんて事になっていたらと思うとぞっとする。もっとも、ぼくが転勤して3ヶ月は質問の電話がかかって来るだろうなとは思っていた。


さて、徳島に行くのはいいけど具体的に何をするんじゃろか?という素朴な疑問が頭に浮かんだ。

想像するより聞いてみるかと思い、その工事の担当部署躯体工事室の巖口室長に電話してみた。この巖口室長は三隅発電所の工事の時、うちの所長をしていた人で、うちの会社では最もカリスマ性の高い人の一人である。内外共にこの人を信望する人は多い。(敵も多いか?) ぼくも三隅では大変お世話になっており、尊敬もしている。聞けばこの巖口室長から今回のぼくの徳島行きの話が出たということで、もしそうでなかったら何らかの理由をつけて、転勤を断らないまでも抵抗したかもしれない。

電話の話では、徳島の宿舎の管理及び八石をフォローして請求関係の処理をする、ということだった。宿舎を管理するといってもJVの宿舎で、そこに宿泊しているうち関係の業者の面倒(入退寮の手続きとか、食数の確認等)を見るということで、三隅の時のようにうちが全てを管理するというわけではないらしい。請求関係も材料とかはなくて労務だけらしく、これは楽勝か?と思った。

ただ三隅と違ってうちの事務所というのはなく、本館建築の業者が十把一絡げでひとつの詰所に入っているらしい。詰所は2階建てで、1階の一角に職長室というのがあり、ぼくの居場所はどうやらそこらしい。最初長机をイメージしたが、一応そこは一人に一机とのことだった。

その後八石や墨出しの職長の羽屋志に「6月からおじゃまするよ」という旨の電話を入れた。元気そうな声だったのでひとまず安心。話の中でパソコンを持ってこいと言われたが、この時ぼくがもっていたマシンは某I社の50MHのノートパソコンで、この頃は会社で133MHのマシンを使っていたこともあり、今更仕事で使うのはしんどいなあと感じてちょっと気が重くなった。


ここがマシンの切り替え時だと思ったぼくは、新しいノートパソコンを買うことにした。それまでも欲しいなあと思いつつちょくちょく電気店に顔を出して、チラチラともの欲しそうにパソコンを眺めてはいたが、なかなか踏ん切りがつかなでいた。

当時ノートパソコンは166MHのマシンが売れ筋で、PENTIUMUが出るか出ないかぐらいの頃だったと思う。後で後悔するのが嫌だったから、まだ実売27万円ぐらいしたN社の166MHのマシンを思い切って購入した。何でこれにしたかというと、店に展示してあるノートパソコンのTFT液晶の中では、これが一番画面映りが良かったからだ。

会社のパソコンに入れてあるぼくが作ったファイルをコピーしておこうと思い、シリアルケーブルを買ってつないでみるのだが、どうしても「ケーブル接続」がうまくできない。(いまだにやり方がわからん)何度やってもつながらないので、自分の頭の悪さを呪いながら泣く泣くLANカードを買ってしまった。結局は他支店の人ともデータの受け渡しができるので、買ってよかったと思ったけど、後からコンボカードの存在を知って地団駄を踏むことになる。

プリンタもいるだろうと思い、これはC社のA4レーザープリンタを買った。同じC社のBJプリンターを持ってはいたんだけど、給紙の調子が悪かったし、印刷スピードでストレスを感じたくなかったので、この際だからと買ってしまった。

とりあえずこんなとこかなと思ったときには、40万近い買い物をしてしまっていた。でも後悔はしていない。後からCELELONやらPENTIUMVやら出たけど、ぼく的にはこのスペックで満足なのです。(後からバックアップ用にハードディスクは買ったけどね)


部屋にあった家具や電化製品は、ほとんど実家に持って帰った。きれいに掃除をしてがらんとした畳の部屋に寝転がったら、なぜだか寂しい気がした。

近所付き合いをしていたわけでもなく、馴染みの飲み屋があったわけでもない。恋人とかもいないんだから、この町から出ていくことには未練なんてないと思ってたんだけど、それでもこの8ヶ月でしてきたことや世話になったこと、いろんな人との交流などを思いおこすにつれ、やっぱりその別れの寂しさを感じずにはいられなかった。

徳島の仕事が終わっても、またこの支店に戻れるという保証はない。会社組織の中で動いている人間なのだから、ぼくを必要としている部署があればそこに行く。(寒いところは行きたくないけど) 異動があるという事についてはどうこう思わないが、そろそろ拠点が欲しいなあとは思っていた。それはべつに場所というのではなく、心の拠点。心の船着き場。思えば出航してから長いこと港に戻ってないよなあって感じが、その頃のぼくでした。(って今もか?)

まあそれはともかく部屋のほうは完全にひきはらい、5月31日(日)は実家に泊まった。翌日は徳島へ行く前に広島の躯体工事室に寄って打合せをする予定だったから、早めに寝ないといけないと思いつつ、お約束通りなかなか寝付けないのであった。


 

(MENU) (NEXT)