その1:山口支店
山口支店は宇部市にある。実家からは車で1時間半ぐらいのところで、週末になるとだいたい実家に帰ってゴロゴロしていた。通勤してもいいかなとか思ったりもしたが、やっぱり面倒くさかったので、宇部市内にアパートを借りて暮らしていた。
このアパートから支店まで、車で5分しかかからなかった。朝はやっぱり市内にはラッシュというものがあるのだが、アパート〜支店間はラッシュの流れが逆になっていて、いつもスイスイとストレスを感じることなく通勤することができた。何よりうれしかったのが、アパートのすぐ前が駐車場になっていて、アパートを出てから15歩ぐらいで車に辿り着けるということだった。裏のサッシから出れば、大股で3歩、助走をつけてジャンプして1歩という距離だった。(ジャンプはしたことないけど) 部屋も割ときれいだったし、ぼくのこれまでの一人暮らし人生の中ではまさに「ベストオブザアパート」といえるアパートだった。
ただ、会社が8時出勤ということもあり、某テレビの金曜日にやる週末占いは見ることができなかった。(今日の占いは見れたけど) 占いが当たるどうこうはどうでも良かったのだが、タバコと同じで一種の中毒になってしまっていて、見ないとすごく気になる。というわけで、毎週ビデオに録画して見ていた。(人に言うと笑われる) 今はインターネットでいつでもチェックできるのがうれしい。
支店に出勤すると、まずパソコンの電源を入れる。少ししてもう一人の支店事務員の嶋河さんが出勤してきて掃除を始め、コーヒーを入れてくれる。最初、このコーヒーを入れてくれるというのが恐縮だった。コーヒーとかお茶なんか、飲みたい者が入れりゃいいんだという考え方なので(お客さんは別として)そう感じたのだが、わざわざ断るのも悪いかなあなんて思っている内に、これも習慣になって気にならなくなってしまった。これは長距離を走るときに最初の数分はきついが、そのうち気にならなくなるのに似ている。掃除なんかも分担してやろうと言ったら、断られた。
かくして支店に着くやいなや、すぐさま事務仕事に取りかかれるという状況の下、結構思うようにやらせてもらえていたのだった。
広島から転勤してきてから、8ヶ月が経とうとしていた。事務仕事というのは基本的に毎月だいたいやることが決まっているので、この頃はだいぶ仕事の流れが見えてきて、月間の予定表みたいな物を組んで、嶋河さんとのコンビで仕事を分担して片づけていた。
一人でやると一人分しかできないが、二人でやれば三人分ぐらいのことができるというのがこういった仕事の常である。実際ぼくが山口支店に来る前は、嶋河さんは夜中の12時過ぎまで残業をすることも少なくなかったという。ぼくが来てからも残業はあったが、それはこれまで本社に依存していた業務を支店で引き受けたり、出面など二人で違った視点からダブルチェックしたりと仕事の幅を広げたからだ。
なによりこれまで出力120%でやってきた嶋河さんの脳みそをクールダウンし、リラックスして仕事に臨んでほしいと思っていた。バタバタやっても仕事をやっている風には見えるが、実際には仕事量はさして変わらない。どこかで冷静に自分や仕事を見つめる部分がないと、全体の流れやつながりが見えてこないし、新しい発想も出てこないと思うのだ。だいいち面白くない。
ただ仕事を分担していたというのがくせもので、最初は一応分担はするけどお互いひと通りのことはできるようにしておこうという話をしていたのだが、月日がたつにつれてそんな話はどこへやら、すっかり偏ってしまっていた。
「もし今の支店事務を一人でしなくちゃいけないとしたらきついものがあるよなあ。というか無理っぽいよなあ。」
という弱気な考えが、この頃のぼくの頭の中にはチョロっとあった。
そんな折り、5月のいつ頃だったか忘れたが、支店長に呼ばれて応接室に入った。
いやな予感がした。これまで転勤するときはいつも、そこの支店長や部長に呼ばれて応接室に入るとうパターンだったから、ひょっとしてと思った。
・・・・・・ ひょっとした。
支店長はおずおずと切り出した。「徳島の橘湾火力発電所に行って欲しいんじゃ。向こうには今、現場代理人で八石が行っとるんじゃが、これから業者の人数も増えていろいろと管理とか大変じゃけえ、現場が落ち着く10月ぐらいまで藤元君が行ってフォローしてやってもらいたいんじゃ。」
正直言って大きなショックはなかった。八石は前に三隅の発電所の現場で一緒だったし、行ってるメンバーもその時のなじみのヤツらがいたから、むしろ面白そうだなと感じた。10月ぐらいまでというのはうちの会社の文法で訳すと1年くらいという意味だが、それも気にならなかった。しかし、ぼくが行ってしまうと嶋河さんが一人で支店の事務をしなくてはならなくなる。心配だし心苦しい。
「事務は大丈夫なんですか。」
嶋河さんにはある意味失礼な質問だが、心配だったので聞いてみた。まあ以前のように本社でしてもらっていた仕事はまた委譲してやってもらうというような答えだったが、結局ぼくの代わりに誰かが来るというわけでもなく、嶋河さんがこれからまたきつい思いをするのが目に見えていたわけで、心配は増すばかりだった。