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Published by Keisou Shobou |
20世紀がもう少しで終わろうとする現在、各方面の人々が世界構造の地殻変動を知覚している。経済発展に伴う環境破壊、ソ連や東欧における社会主義の崩壊や民族紛争の暴発、発展途上国の人口爆発など、世界は確実に変わりつつあると考えるに充分な現象が続発している。 国際的には、多国籍企業の発展と交通通信のボーダレス化が進み、国内的には、生産者重視から消費者重視への転換、独立した意思と判断力を持つ人間の養成、地域社会における自立自助の奨励、談合からデベイトへの展開など、克服しなければならない課題は多い。高齢化社会の進展に伴う国民の多方面にわたる負担の増大は、避けて通れない問題として前途に立ちふさがっている。 明治以来120年をかけて、欧米先進国に追いつき追い越せの国家目標を達成して、行政の歴史的役割は完了し、次は政治の出番であるという時期にさしかかっている。しかし、政治改革や地方分権をはじめとする国内問題の解決も、楽観できるような状況にはない。我が国の今後の行政の諸分野を展望した場合、最大の課題は民主主義を我が国へ定着させるための中央集権から地方分権への転換である。この場合、地方分権が当面する課題は、民主主義の基盤としてのコミュニティの形成、地方公共団体における住民の政治的訓練、地方議会の政策立案能力の強化に要約できると思う。いずれも目新しい事柄ではないが、これまで必要性が指摘されながら充分には実現できていない事実は、これからも容易に実現できるとはいえないことを示唆しているといえよう。 本書は、ちほうじちをわが国の地域社会に定着させるにはどうすればよいかという問題意識をもって書いたものである。地方公共団体の実態や住民と行政との関係についての見方は、第二次大戦後の地方行政の展開をどのように捉えるかによって、大きく分かれることになる。地方自治は既に確固として実現していると考えるか、それとも未だ自治と呼べる実態は存在していないとみるかによって、今後の取組みが変わってくる。その上、明治以来の伝統となっている行政主導でコミュニティの形成を進めるか、それともコミュニティが必要に応じて自然に発生するまで待てばよいのか、民主主義をわが国の地域社会へ定着させる第三の道があるのか、その選択は容易ではない。本書では、行政サービスとその負担の関係を明らかにして、両者を分離せずに連動させながら住民が実質的に行政サービスを選択できる方向を模索することが、地方自治の地域社会への定着化の中心的課題であるとの認識に立っている。徳川時代から続いている「拠らしべし、知らせるべからず」の官僚体質が残存している状況の下では、地方公共団体による情報公開が進展しているとはいえ、住民のお任せ主義が短期間に一掃されると予測することができない。一方では、米ソ冷戦構造の崩壊による国際化の波は、否応なしに地方政治にも波及するし、地域社会に温存されている主体性のない集団主義や異論を抑圧する全員一致の意思決定方式は、長期的にはそのままの形態では存続を許されなくなると予想される。大衆民主主義の進展は、わが国の社会基盤の変革を迫りながら、新しい行政の展開を求めているといえよう。 国における政治改革は、地方分権をその重要な課題としており、地方公共団体の対象をめぐって、今後は地方分権のための具体的な論議が展開されることになろう。その際、最も重要なことは、地方政治への住民参加を土のように確保するかを議論の中心に据えておくことである。 行政の現場にいること30年以上ともなると、実践の知識と経験が豊富となる代わりに、視野が狭くなるのを避けることができない。そこで、本書の執筆に当たっては、多数の著書を参考にさせていただいた。先学諸賢の業績に対して深く敬意を表したい。英文の図書の入手には、元ニューヨーク市予算局次長のファーバ(John L. Fava)氏の御協力を得た。氏の好意に感謝したい。 本書の出版に当たっては、草書房専務の石橋雄二氏のお世話になった。ここに記して、感謝の意を表する。 1993年9月 |