勁草書房刊
Published by Keisou Shobou
は し が き | |||||||||
1969年の11月、ハワイを通って、初めてロサンゼルスでアメリカ大陸の土を踏んだときのカルチャー・ショックは、いろいろと予備知識を持ってはいたが、やはり大きかった。そのショックの大部分は、今にして考えれば、いわば民主主義の実物に接した驚きであったように思う。それまで観念的に理解しようとしていたことを現地に見ることができて、日本の現実との落差の大きさに気付いた衝撃であったといってもよい。 その時の研究課題は、9か月をかけて、当時一世を風びした感のあったPPBS (Planning Programming Budgeting System) を研究することであった。つぎつぎに市役所を訪問して、予算編成方式を見聞しているうちに、PPBS の導入の様式と程度に差があって、予算書が多様であることに否応なしに気づかされた。しかも、それぞれ独自の方式に担当職員が自信を持っており、安直に他都市の方式を模倣しようとしていないことが印象的であった。しかし、多様化しているとすると、普遍的で絶対的な尺度はなくなるわけであるから、思想の自由が結果として多様性をもたらすことは容易に理解できるとしても、どうしても結論をださなければならない場合には、誰がどのようにして決定するのであろうかという疑問は、当然に出てくることになる。この問いに対する回答は、住民が直接に参加するか、あるいは代表者を通じて間接的に決定するということであった。換言すれば、地方分権による自治権に基づいて決定していたのであり、まさに主権者が参政権を行使して多数決原理によって決定していたのである。それがわかるまでには、それなりの時間の経過を必要としたが、これこそ米国の地方政府が民主主義の学校といわれている理由であろうと、得心したのであった。それと同時に、そのような自治意識を支えているのが、建国以来の自主独立の精神であることも、国民主権主義の具体的表現として地方自治を把握することも、様々な経験を通じて、理解できたような気分になることができた。 二度目に訪米したのは、1977年の3月であった。東京都とニューヨーク市の姉妹都市事業の一環として、東京都のニューヨーク市への交換吏員として1年間の滞在を認められたのである。その当時は、1975年のニューヨーク市の財政危機の後で、まだその後遺症が残っていた時期であったから、ニューヨーク市の財政構造の解明とともに、財政危機の原因も同時に追求することとした。この究明の過程で、地方自治がいかに厳しい選択を内包しているかを知らされた。例えば、ニューヨーク州の学校区で学校閉鎖をしたところがあったこと、移民の子弟のために二か国語教育は必須であるが、それも財政窮乏の状況では廃止せざるを得ないこと、無料の授業料で運営してきたニューヨーク市立大学を、財政困難の故に州へ移管せざるを得なくなって授業料を有料としたこと、犯罪の多発する都市であるにもかかわらず、パトロール警官を減員しなければならなかったことなどである。地方政府はそこに住む住民が法人として創設して、住民の責任において自由に事業を行う権利を主張することができる代わりに、シニカルないい方をすれば、財政困難に陥った場合には破産をする自由が残されているのであって、ニューヨークy市のように厳しい選択を迫られた結果は深刻であった。しかし、その一方では、パトロール警官の減員に対しては自警団が組織されたり、公園の清掃をするボランティアが出てきたり、アイ・ラブ・ニューヨークのキャンペーンが展開されたり、市政を支える市民が健在であることを示す市民運動が幅広く展開されたのであった。 帰国後に、ニューヨーク市の財政を「ニューヨーク市の財政危機」にまとめて発表したが、その後もニューヨーク市の財政問題を追跡し、その成果は「ニューヨーク市の予算」と「ニューヨーク市の財政計画」として毎年雑誌に発表してきた。その期間の問題意識は、自治とは何か、財政自主権とはなにか、を究明することであり、これらの理念が予算としてどのように具体化されるかを追求することであった。その結果、帰国後10年以上の歳月を経た時点で、ニューヨーク市の予算のみならず、連邦、州、地方政府の財政関係を解明したいと考えるようになった。しかし、思い立つのはともかくも、実行するのは極めて難しい。特に、資料が十分に入手できるかどうか不明の上に、州と地方政府の財政関係は複雑で多様化している。それがわかるほど、決心は鈍ってくる。それでも、なんらかの形で米国の地方自治を財政面から表現したいという願いを捨てることはできなかった。そこで、最終的に到達したのは、地方財政に焦点を当てながら、つぎのような三部構成で記述する計画を実行することであった。
財政は、政府構造と深くかかわっている。そこで、記述に当たっては、必要に応じて政府機構をも取り上げることとした。その結果は記述の量の増大となったが、不十分ながらも地方政府における財政の役割がそれなりに明らかになったのではないかと思う。 本書は、上のような意図をもって書かれたものである。本書を書くに当たって参照した文献は、そrぞれの箇所に明示したが、それらの文献の入手に当たっては、大勢の方々の援助を得ることができたのは幸運であった。特に、ニューヨーク市に滞在中から公私にわたって教導していただいた前ニューヨーク市管理予算室次長のジョン・L・ファーバ氏夫妻のご尽力を逸することはできない。本書を完成することができたのは、ファーバ氏夫妻の好意の賜物である。以上のほかにも、滞在中に親しく接したオリバー・リース氏やニール・パパラド氏などのニューヨーク市役所の職員をはじめ、前交換吏員の藤井浩二氏には、資料の収集のほかに貴重な助言を与えて下さったことに対し、深くお礼を申し上げたい。 本書をまとめるに当たって示された草書房の石橋雄二氏の御理解と励ましを忘れることはできない。ここに記して、感謝のしるしとしたい。
1988年10月3日 山 崎 正 |
田中教授は、1989年当時、白血病と進行性筋萎縮症にかかっていたとのことで、葉書の文字が痛々しく読みとれる。 亡くなられたのは、1992年である。 |