天体観測所の建設では、大勢のボランティアが手伝ってくれた。それらの人たちの氏名は、ログハウスの入口の内側に額縁に入れて掲げてある。昨年から、三月の第一土曜日に天体観測所の開設記念パーティーを開いて、ボランティアの皆さんに感謝を表明することにしている。第一回目の昨年は40名以上のボランティアが集まって大いに盛り上がったが、今年の第二回は10名ほどしか参加しなかったので、何をすれば集まってもらえるか、来年の三月は三回目となるので、今から趣向を練っている。
これまでのところ、ボランティアの中で最も大きな力になってくれたのは、衆議院の事務局に勤めている小山博さんである。これには、関係者の中で異議を唱える者はいないであろう。1993年の暮れに建設を始めて以来、東京の世田谷から毎週のように来て、ガソリン・エンジンで動くコンクリート・ミキサーによるコンクリート打ちから、天体望遠鏡の組立、ログハウスの土台の鉄筋組み立て、ログの杉皮剥き、ログをチェーン・ソーで削る作業まで、ほとんどすべての建設作業を手伝ってくれた。いくら天文が好きで、工作が上手でも、このようなことがこの世にあるとは信じられないほどである。私は、天体観測所を建設するために天が派遣してくれた特使であると信じている。それほど小山さんの貢献は大きかった。その労苦に報いるために、ログハウスの鍵を渡していて、いつでも観測施設を利用できるようにしてある。
土曜と日曜の作業で1年8か月をかけて建築したログハウス(6x9メートル)には、積み上げたログのようにいろいろな思い出が積み重なっている。ログハウス全体の建築では、鈴木頌二さんの手助けが大きかった。地元の平潟の網元の三代目で、一級建築士の資格をもっており、施行に際しての助言と労力の提供がなければ、ログハウスは建てられなかったかも知れない。トランシットを持ってきて、土台の水平を厳密にとってくれなかったならば、その後の工作にはたくさんの不都合が出てきたに相違ないと思うと、その頃は素人が建築したことが歴然としていた方がよいと強がってはいたが、今になってみると冷や汗が出る気分になる。
ログハウスには、煉瓦で築いた暖炉がある。この暖炉を築くに当たっては、鈴木頌二さんの兄で都立病院の医師をしている鈴木振平夫妻に負うところが大きかった。山崎設計、鈴木施行といっているのであるが、暖炉の入口の天井をアーチ形に煉瓦を削ったのは鈴木医師である。猛烈な音と粉塵を発するサンダーを使って、丁寧に煉瓦をアーチ形に削り、見事なアーチに仕上げた。しかも、そのための道具を新しく買ってきたのである。鈴木医師が新しく道具を買ったのは、サンダーばかりでなくチェーン・ソーや大工道具など、そのほかにもいくつもある。手伝いにくるのに新しく道具まで買ってきたのには驚かざるを得なかった。この暖炉は、煙突を通じて室内の暖かな空気を排出してしまうので、熱効率は10%前後だという。見た目の暖かそうな印象とは違って、暖房にはストーブの方がよいのであるが、暖炉の前に据えられたロッキング・チェアーに深く身を沈めて、燃えさかる炎を見つめていると、人間と火のつきあいの長い歴史を反映しているのか、何とも表現できないほど豊かな気持ちになってくる。ということで、ログハウスを鈴木兄弟の家と呼んだらどうかといっている。
そのほかにも、ログハウスの図面を書いてくれた家内の姪の夫にあたる杉浦勇さんとか、ログハウス建築の講習会で習ったことがあるという荒木正秋さんなど、工作が楽しいという人が手伝ってくれた。杉浦さんは、建築の最中に、はるばる横浜から日帰りで建築指導に来てくれたことがある。荒木さんは、地元の磯原駅前で、パンプキン(カボチャ)という無農薬の有機野菜にこだわったレストランを開いていて、女性に人気があるという。
60歳を過ぎた今でも、好奇心はきわめて旺盛で、いろいろな飲料アルコールを飲んでみたいと願っている。ログハウスの一角にある止まり木つきのカウンターには杉の丸太の腰掛けが三つあって、バーの雰囲気を演出したつもりである。その脇の壁面は6段の棚になっていて、リキュール類やカクテルのベースになる強い酒がが並んでいる。カクテルは、40歳代の一時期、カクテルの本を何冊も買い込んで、いろいろ作って飲んでみたが、これまでのところラスティ・ネイル(さびた釘)という名のカクテルが最も体質に合っている。このカクテルは、ウイスキーとドランブイという蜂蜜の入った甘いリキュールを2対1の割合で混合して,オンザ・ロックにしたものである。私の買ったカクテルの本には、ベースになるウイスキーは何でもよいと書いてあるが、私の味覚ではベースのウイスキーにはシーバス・リーガルが最もよい。建設を手伝ってくれたボランテイアにはビール党が多くてカクテルの注文が少ないので、バーテンダーとして腕を振るえないのが残念である。私は甘い酒が好きで、そもそも人生が苦いのにビールでさらに苦くすることはあるまいと妙な理屈を勝手につけて、甘党で通している。好きな本が読めなくなるという理由でふだんは晩酌をすることがなく、観測所で来客があったときだけ客の好みに応じて、一緒に飲むことを楽しみにしている。日本酒は、飲んだときはうまいと思うのだが、翌日は頭痛になって文章が書けなくなるので、飲むときは強い蒸留酒を少しだけ飲む。リキュールは何でも飲むが、愛飲するのはシャルトリューズのグリーンである。このリキュールは、アルコール度数が55%と強烈であるが、甘いので口当たりはその強さを感じさせない。そのほかに、甘口ではアイリッシュ・ミストやコアントローもよいが、ブランデーではギリシャのメタクサの味に惹かれる。
暖炉の前で飲むのは、ビールよりもカクテルの方がよく、カクテルの色やグラスの形や手に取った時の重さなど、楽しめる要素は多い。ふだんは服装でも食事でもこだわらないことを信条としているのに、反射鏡の精度とグラスは例外で、バカラのグラスを愛用している。グラスのデザインでは、バカラよりもサンルイの方に好きなものがあるのを知っているが、まだ手に入れる資金の余裕がない。そのうちに手に入れる楽しみを残していると強がっているものの、もはやこの年になれば、はかない願望に終わる可能性の方が強くなっている。
ワインは、目下、修行中である。私は甘くてこってりとしたドイツ・ワインが好きなのである。特に貴腐ワインとアイス・ワインがうまい。しかし、高価なので、高嶺の花と仰ぎ見ているのがちょうどよいと考えている。赤ワインは心臓によいというので、コスト・パッフォーマンスのよいオーストラリアやチリーの赤ワインを賞味することが多い。幸いに、よく手伝いに来てくれる櫛田敏男さんという若者が、鋭い味覚を持っているので、指南役になってもらっている。彼は、高校時代には相撲部に所属していたという力持ちで、ログハウスの建築では怪力を発揮してくれたし、今はワインの味を詳しく分析してくれる。彼は、オーストラリア・ワインの試飲会に東京まで行って来たという熱心さである。ワインは、彼が持ってくることもあるが、私が東京で仕入れたものを観測所へ運んでいって、夕食に居合わせた者で賞味するのが習慣となっている。観測所から車で10分ぐらいの所に住んでいて東電に勤めている松崎克俊さんは、奥さんが栽培した農産物をよく持ってくるし、櫛田さんもワインにあうチーズや牛舌などを持参するので、観測所ではできるだけ原始に近い生活をすると称しているガ、食材はけっこう豊富である。先日は、二人ともジャガイモと新米を持ってきてくれた。ジャガイモでは、東京から牛肉を持っていって、肉じゃがを作って、みそ汁代わりにしている。それに、構内で栽培している無農薬野菜もあるから、ワインと料理の相性も研究対象としている。これからはフランス・ワインやカルフォルニア・ワインにも範囲を広げて、値段と味を比較しながら、評判のよいワインの備蓄を少しづつ増やそうと考えている。
カクテルでもワインでも、三、四人で会話を楽しみながら飲むのがよい。その上、口には出さなくとも、労苦をともにしたという経験を共有していれば、会話は一段と弾むことになる。ひとりで飲むのは味気ないので、来客がない時は飲まないことが多く、テレビを見るか読書に精を出すことにしている。
というようなわけで、アルコール飲料が好きで、話題の豊富な者の新規参入を歓迎する次第である(1998年11月)。