臺湾出張記2

(1998/8/17〜1998/9/4)


はじめに

今回の渡航はいよいよ本番の工事である。前回の打ち合わせで非常に厳しい状況であることがわかったので、お盆休み返上で入念な準備をする。本社から取り寄せた詳細設計書を元に、手持ちのルータやサーバマシンで設定の事前検証を行い、現地ベンダレクチャのための教材資料も準備した。それから、実際の工事を経験する良い機会だと言うことで、OJT(現場実地研修)名目でI君が同行することになった。研修とは言え、一応PCやネットワークの基礎知識はあるし勉強家なので、心強い見方である。有スキル者は一人でも多いほうが良い。これで孤立無援の状態からは救われそうである。因みに、台湾に14日を越えて滞在する場合は観光もしくは業務用のビザが必要である。いずれのビザも申請には行き帰りの航空券や滞在先のホテル名が必要なのは勿論のこと、観光ビザなら観光旅程表、業務ならば派遣する会社の代表者印の入った旅行命令書を添えて領事館へ提出する必要があり、結構シビアである。職場のSさんや系列旅行会社のNさんに苦労していただき、ようやく出発ぎりぎりにビザを入手することが出来た。

1998/8/17 Mon.

今回はスケジュールの都合でエアーニッポンと相互乗り入れしているEVER航空の利用となったが、普通のエコノミーシートであった。そうそう良いことは続かないか、残念。前回と異なり夕方の到着だったためかイミグレーションは非常に空いており、入国はさくさくと終わった。手荷物受取所でスーツケースを待っていると、なぜかターンテーブルの上を、さながら青果市場のように沢山の野菜や果物の箱が流れて行く。特に多いのが桃やスイカである。なんだなんだと思っていると、家族連れの台湾人が一人5箱6箱とキャリーの上に積み上げて出口へ向かって行く。後で聞いたところによると、台湾人は日本の甘い果物が好きで、よく土産に買って帰ってくるのだが、これまで無制限だった果物の持ちこみが近々規制されるために、駆け込みでまとめ買いしてきたのだろうとのこと。

さて、空港から前回と同じホテルへタクシーを飛ばしてチェックインする。私は既に前回利用しているので、チャンと宿泊者DBにパスポート番号や禁煙希望であることが登録されており、さくっとチェックインが終わる。流石五つ梅ホテルである。チェックインして一息つくとI君と2人で夕食を摂りに街へ出かけたが、あても無く歩いて、新光三越デパートならレストランがあるだろうと向かってみて、すごい光景に出くわした。デパート前にすごい行列が出来ており、しかも列の構成メンバがどう見ても日本のヲ系の人達そっくりなのである。不思議に思い先頭まで行ってみると、「うたたねひろゆき先生何とか」と書いたダンボール紙を持った一人のヲな少年が仕切っている。どうやら新光三越で開催中の日本のマンガ/アニメフェアに招待されているらしい日本の有名漫画家「うたたねひろゆき」を待つ行列のようである(念のため断っておくが、筆者は彼の名前は知っているが、けして彼のファンではない)。先着順でサインや握手でもしてくれるのであろう。台湾への日本文化の浸透ぶりは前回お伝えした通りであるが、ここまですごいとは。ヲに国境なしというところか。バックのシャネルマークとのギャップが何ともミスマッチである。初日からとんでもないものを目撃してしまった。

<うたたねひろゆき氏をまつヲご一行様>

結局新光三越のレストランは高すぎたので、近くの鉄板焼き屋に入ってキリンビールで乾杯し、店員の若い兄ちゃんが目の前で焼いてくれた牛肉と野菜の鉄板焼きやお好み焼きみたいなもので夕食を済ませた。北京語はまだあまり自信なかったのだが、兄ちゃん達には英語が通じたので殆ど会話は英語で済ませることが出来た。台湾のお年寄りには昔の名残で日本語が通じるし、若い人達には英語教育が浸透しているらしく英語が通じるので、会話は大陸ほど苦労しなくて済みそうである。

1998/8/18 Tue.

今日からがいよいよ本格的な仕事である。とはいえ、お客様オフィスでの工事は来週からで、今週は工事発注先ベンダであるS社での事前レクチャと機器のプレセッティングである。メンバは、筆者、I君、S社のM氏、H氏、本社から来ているS氏、今月現地事務所から100%出資の現地法人になった現法スタッフで前回おなじみのO氏である。S社は台湾の有力PCメーカーの一つであるT社と我が社の関連会社の共同出資によって設立された現地合弁企業であり、H氏は日本からの出向、M氏はプロパーながら日本への留学経験もあるマカオ人である。M氏は日本語も北京語も堪能なので、現地ベンダやキャリアとの交渉にずいぶん活躍していただいた。S社のM氏とH氏によると既に2次ベンダであるK社から物品が納品されたが、どれがどれだか分からないのでとりあえずそのままにしてあるとのこと。以前の上海出張で中華系ベンダを100%信用してはいけないと身に染みていたので、ちょっと確認してみると明らかに足りないものがある。嫌な予感がしたので、急遽予定を変更してこの日一日かけて総がかりで物品チェックをしてみると、発注リストにあって納品されていないものが出て来る出てくる。早速不足リストを作成してK社の社長へ送るが、結局全てが納品されるのに翌週の後半までかかったので、納入されている分だけで工事を走らせながら不足分を待つということになってしまった。念のため工事の1週間前に現地入りして本当に良かった。しかも、これは別に民族差別でもなんでも無くて、中華系の会社とパートナーを組んで仕事をしたことのあるビジネスマンの多くが口にすることだが、彼らはけして自分のミスを認めようとせず、調べればすぐ分かるような下手な言い訳で逃れようとするのだ。例えば今回の工事の一つの例としてこんなことがあった。ネットワーク対応のレーザープリンターとそのオプションであるバッファ用のディスクカードとネットワークカードを発注していたのだが、違う機種が納品された上に、メモリーは足りないは、ディスクカードはないは、ペーパーカートリッジは足りないはと散々であった。そこでクレイムすると、まず指定のプリンタは台湾へは輸入されていないので勝手に別の機種にしたという。そこまでは仕方ないとしても、こちらへ一言の断りもなくである。さらにディスクカードが無い件については、ネットワークカードは内蔵で、添付して納品したネットワークカードがディスクカードだと言い張る。添付品はどう見てもネットワークカードにしか見えないのにである。そこでこちらでカタログを引っ張り出して型番照合し、写真も見せてこれがネットワークカードでこれがディスクカードで両方ともオプションなんだと言うことを分からせるのに2〜3日かかってしまった。他にも外付けのMAUが無いのでクレイムすると、これもルータ内蔵だと言い張るので、わざわざWebからカタログをDLして写真付きで違いを説明してあげなければならない始末。工事自体は技術的にはそんなに難しくないのだが、こんな風にベンダに振り回されるので、そのマネッジメントに非常に神経と稼動を使わざるをえないのが日本と違って難しいところである。

夜は皆さんお忙しいようなので、I君と2人でホテルへ戻り、ホテルの近所をうろついて見つけた韓国式焼肉店で夕食をとった。オレンジ絞り器を大きくした、あるいは阿蘇カルデラを小さくしたような、真ん中が盛り上がっている円形の鉄鍋に、肉と野菜を敷き詰めて焼いていただくもので、焼肉とは言いながら肉と野菜から出た汁がたっぷりあっておいしかった。肉も色々な種類があって、不思議なことに松坂牛までメニューに書いてあったが、これは一皿\5,000円くらいしたのでとても手が出なかった。それでも割り勘で一人\2,500くらいで十分おなか一杯になってホテルに帰った。日本本社からは毎日進捗状況をメールで報告するように指示されていたので、今日の散々な有様をホテルに帰ってから夜遅くまでかかってメールにしたためて報告しておいた。今回はネットワーク機器のセッティング用にVAIOを持ってきているので、長いメールを打つのもCASSIOPEIAに比べてだいぶ楽である。

1998/8/19 Wed.

今日もS社へ行って事前準備である。本来昨日から始める予定だった、工事スタッフへの技術レクチャを行う。IPネットワークの仕組みとルータの概念や具体的設定方法、WindowsNTの概念とNTサーバの構築方法、RASの設定方法などを、準備してきた教材と今回の工事の詳細設計書を使いながら説明して行く。一人で1日しゃべりっぱなしだと疲れてしまうのでところどころI君と分担したが、育成が出来て自分も楽でき一石二鳥である。今夜は現法のOさんが早めに仕事を切り上げることが出来たので、I君と2人で地元の庶民的な台湾料理店へ連れて行っていただいた。スープ、ビーフン、炒飯など台湾料理を頂いたが、特に小龍包がおいしくて10個盛くらいのを2皿もお代わりしてしまった(勿論3人で2皿)。前回も書いたが、台湾料理は総じて辛くなく、あっさりしていて食べやすい。

1998/8/20 Thu.

今日も引き続きレクチャをメインに行う。但しゆっくりしてもいられないので、レクチャをしながら同時に、学んだことを活かしてルータの設定などのプレセッティングも実習してもらう。夜はまたもI君と二人きりになってしまったので、昨日Oさんに連れられて行く途中で「ここも良いですよ」と教えられた店へ行ってみることにする。しかし探しているうちに店を間違って入ってしまい、結局変なイタリアレストランで食事をすることになってしまった。入ってからしまったと思ったのだが、薄暗い店内に青や赤の間接照明が浮かび上がり、壁面はライトアップされた水槽になっていて、2人づつ向かい合わせで座る小さなテーブルがあって、どう見ても一昔前のトレンディドラマに出てくるようなデートコース向けの小粋な店という感じである。入ってしまったものは仕方がないので、野郎二人でスパゲッティを頼んだのだが、何故か中華風の具に中華風の味付けで、しかも唐辛子が効いてて辛いので7割くらい食べたところで残してしまった。ごめんなさい。居心地が悪いので、食後のコーヒーを飲んで早々に退散したことは言うまでもない。台湾で買い物や食事をすると、必ずレシートに10桁くらいの数字とアルファベットが印刷してある。これは、消費促進のためのくじだそうで、4半期に1回抽選があって、買い物をした消費者とそのレシートを発行した店の両方に賞金が出るそうである。なかなかよいシステムだと思った。

1998/8/21 Fri.

物品もようやく揃ってきたので、とりあえず現環境下で可能な限り機器同士を接続してプレセッティングを行う。本番では何が起こるかわからないので、工程をできるだけ前倒しで消化しておくに越したことはない。そんなこんなで今日もすっかり遅くなってしまった。台北のレストランは夜9時を過ぎるとどこも閉店してしまうそうで、いきなり夕食に困ってしまう。仕方がないのでI君と2人で会社の近くの24時間営業の吉野家で夕食を摂る事にする。台湾の吉野家は、日本のように一人もくもくとカウンターで寂しく食べるのではなく、よりファミリー向けで、マクドの様にまずカウンターで商品を注文し、お盆に載って出てきた定食を持って行って4人がけのテーブルに座って食べるというシステムで、家族連れなども大勢来ている。値段も安くて、特盛と味噌汁に茶碗蒸までついて\500円である。何故かキムチもついている。また牛丼以外にもチキン南蛮や八宝菜や酢豚の乗ったどんぶり等もあり、バリエーション豊かである。それにしても、1週目から早くも吉野家とは。。。。とほほ。

<吉野家の特盛定食>

1998/8/22 Sat.

実はOさんの所属組織は先月事前打ち合わせで来たときは現地事務所だったのだが、今月始めにめでたく現地法人となった。そこでそのお祝いと夏のレクリエーションを兼ねて、郊外でバーベキューをすることになり我々も招待していただいた。メンバはS社長、R顧問、I主査、運転手のGさん、美人秘書のS小姐、R小姐、別の日系企業の美人秘書のL小姐、それに本社のSさんとI君、筆者である。朝8時に会社前に集まり、会社のバンに11名が乗って、台北市郊外の山間部にある「壺林」という川原のキャンプ場へ向かう。通常は到着まで1時間ほどだとのことだが、郊外へ向かう行楽の車で渋滞して2時間近くかかってしまった。当然、社内はビールやつまみが飛び交い、到着時には結構いい調子になっていた。川原へ着くと早速火を起こし、鉄板を載せて牛肉、ソーセージ、鶏肉、海老、貝、野菜などの材料を焼く。なぜか日本の焼肉のたれや湖沼などの調味料が沢山ある。うーむ、食の世界にも日本文化が浸透しているのか。たらふく食べた後、川で泳いだり釣りをしたりして、めいめいに楽しいひとときを過ごした。水泳好きの筆者としては水着を持って行っていたので、早速川で泳いだのだが、浸かっているだけでも火照った体に気持ち良く、しかも沢山の小魚がつんつんと体中をつつくのでくすぐったいような何とも言えない良い気持ちであった。

<バーベキューの一こま>

帰りは皆すっかり疲れ果ててとにかく寝る寝る。筆者も寝たかったのだが、何かというとOさんが話しかけてきて寝かせてくれない。どうも前回どこかへ遊びに行った帰りに寝てしまったのを怒られた経緯があるらしく、寝まいと話し相手を勤めさせられたようである。仕方がないので、デジカメでみんなの寝姿を撮っていたら、美人秘書トリオが気付いてキャーキャー言いながらデジカメで遊び出した。どこへ行ってもデジカメは遊びの話題作りができる優秀なコミュニケーションツールだ。

<美人秘書トリオの寝姿>

<美人秘書トリオの起きてる姿(^^ゞ>

会社の前で夕方4時頃解散になったので、I君と2人で八徳路へ行くことにする。ホテルから歩いて20分くらいで到着し、前回行けなかった念願の光華商場をじっくり見て回る。組みあがったPCはなく、どちらかというと細かなパーツ類が多いが、やはり日本の6割くらいの値段であり安い。散々見て廻った挙句、RJ-11とRJ-45の両方に仕えるコネクタ圧着器をNT$500(\2,000)で、レーザーポインターをNT$250(\1,000)で購入した。日本で買えば、前者は物にもよるが\6,000〜\10,000、後者は\2,000はする品物である。その後通りに沿ってパーツ屋を見て廻り小物を買って、前回行ったCD-ROM屋へ足を運ぶ。I君にビビアン・スーのVCDを勧めたが、「わざわざ買うようなものでもないですから」と買わなかった。筆者はというと、桜木ルイ他2名のAVの入った3枚セットを\1,000で購入した。これは大した内容ではなかったので、結局帰国時に荷物を減らすために捨ててきたが。

昼に肉を食べ過ぎて余りおなかも空かないが、何も食べないわけにも行かない。軽くおかゆでも食べようと、ホテルにも近く地元で有名な青葉という店に行く。ここは日本人客が多く、日本語が話せる店員がいてメニューも日本語が併記してある。実際行ったときも客層の大部分が日本人のようであった。名物の芋粥、蛤のスープ、チンジャオロースー、ビーフンなどをオーダーする。軽く頼んだつもりがそれぞれのボリュームが結構多く、おなか一杯なのを無理やり詰め込む。これが後に悲劇を呼ぶのだが、そんなことは考えもせず、疲れと満腹感からそのままホテルに帰って速攻でシャワーを浴びてベッドに倒れこんだ。桜木ルイを鑑賞する余裕もなしである。

1998/8/23 Sun.

夜中に腹痛で目がさめる。見事に昨日の食べ過ぎがたたったようである。食中りではなく、食べ過ぎによって腸閉塞気味になっているので便が出れば少しはましなのだが、なかなか出ないのでとにかく苦しい。トイレに行っては長時間気張って便を少し出し、ベッドへ戻ってダウンするというのを繰り返して1日過ごしてしまった。折角晴れていたので屋上プールで泳ぐ良いチャンスだったのに残念である。夕方になると少しは回復してきたので、近所のセブンイレブンに行って、カップで作るインスタントの中華粥を買ってきて夕食とした。明日から工事本番というのにとんでもない大失敗である。

1998/8/24 Mon.

今日からいよいよお客様事務所にて工事本番である。幸い体調も殆ど回復してきた。I君の頭がさっぱりしているので聞いてみると、昨日は現地の床屋へ行ったということである。実は台湾の床屋は2種類あって、普通に頭を散髪する店と、店の構えは散髪屋だが、若いギャルが沢山待ち構えている風俗店があるそうである。店の奥に本当の「床」が敷いてあるかどうかは行ったことが無いので分からない。当然I君はどっちの床屋に行ったんだと皆から追求されていた。もっとも、後者は市長が代わってからは取締りが厳しく殆ど壊滅状態らしい。筆者らの泊まっているホテルの近くも、こう言った店の建ち並ぶ風俗街だったそうだが、今では一掃されて広い公園になっている。朝S社へ集合して、プレセットアップをした機器類を会社のバンへ積み込み、お客様の会社へ搬入する。総経理(日本で言う社長)へご挨拶をして工事に取り掛かる。回線と電源は既に開通しているので、早速物品の梱包を解いてルータを回線に接続するが、案の定色んなエラーが出て日本とつながらない。ここまではいつもの流れである。大体一発で開通したためしはないので、まだ心に余裕がある。ここで昼になったので一旦作業を中断して食事に行くが、戻ってきてびっくり。事務所の電気が消えてて、社員の皆さんが皆思い思いに机に突っ伏しているのである。話には聞いていたが、これが有名な台湾企業のお昼寝タイムか。邪魔しないように我々もそっと入って黙って待つ。その後エラーを分析しながらルータの設定を修正して行くが、どうも納得の行かない怪しいふるまいをしている。日本の職場に電話してアドバイスを受けるがイマイチ根本的な解決が出来ない。そんなこんなで日本とつながらないまま1日目が終わってしまった。ちょっと先行き不安だが、お客様の事務所に夜遅くまで居るわけにも行かないし、気分を変えて違った角度から検討すれば解決するかもと、この日はここで作業を打ちきった。

1998/8/25 Tue.

回線がつながらないのでそれはそれで検討しながら、同時にサーバーのセットアップに着手する。開通日が決まっているので遅れるわけには行かないのだ。こういう並行作業のときは本当にI君が居てくれてよかったと思う。本来のスケジュールの作業を彼とベンダに任せて、こちらはこちらで問題解決に専念できるからである。サーバーのセットアップをしていて不思議なことに気付いた。日本とつながっていないはずなのに、サーバからは日本側のネットワークが参照できるのである。そこで本社のSEとやり取りしてみてとんでもないことが判明した。我々は日本を発つ時に最新の詳細設計書を本社から送ってもらって持参したのだが、我々が台湾入りした後でその最も根本的な設定パラメータ(具体的にはIPアドレス)が変更になっていたのである。つまり、回線的にはつながっていたのだが、我々は存在しないアドレスに対して接続試験をしていたので、これではエラーになって当然である。本社に言わせれば「それ古いですよ!」と、さも古いパラメータを使っている我々が悪いかのような言われようだが、本社からは変更について一言の連絡もなかったのである。筆者のほうからは毎日本社へ状況報告のメールを(自費のダイアルアップで)送っていたのに、これではあんまりである。現地ベンダに振り回されるだけでも手一杯なのに、まさに前門の虎、後門の狼とはこのことか(ちょっと違うか)。内憂外患、かな? 色々言いたいこともあったが、これからしばらくお付き合いすることだし、ここはぐっと我慢する。とりあえず第一関門突破。今夜も遅くなってしまったので、またも吉野家で夕食を済ます。悪い習慣だ。

1998/8/26 Wed.

無事日本とつながったのでサーバーのセットアップを進めるが、手順が逆になってしまったために思わぬトラブルが出たりと今日も簡単には行かない。もっとも、トラブルが出たほうが現地ベンダの育成にもなるし、解決したときの喜びも大きい。やっぱり工事はこうでなくちゃ。ちょっとびくびくものだが、問題解決の過程を楽しんでいるというか、原因追求して論理的にトラブルシューティングして行くSEとしての自分に酔っているところもあるかもしれない。今夜も遅くなってしまい、食事をする当てがないので皆でロイヤルホストへ行く。日本を発つとき同様、こちらのロイホでもカレーフェアをやっており、メニューの中身も殆ど同じである。ロイホのメニューは世界共通だったのか、恐るべし。このところ、食生活はすっかり日本と同じである。

<ロイホのカレーフェアのメニュー>

1998/8/27 Thu.

夜お客様オフィスから会社へ戻る途中で、Oさんがステーキ屋を発見。工事も何となく軌道に乗ってきたしここ数日の食生活がイマイチだったので、今夜はそのステーキ屋へ行くことにする。その店は明らかにファミレスやあさくまなどとは違って、薄暗く重厚な調度類の落ち着いた店であった。店員に案内されてがっしりした木のテーブルに着きメニュ-を見ると、なかなかのお値段である。とりあえず全員がNT$1,200(\5,000)のコースをオーダーする。台湾麦酒で乾杯し、サラダが配られてお好みのドレッシングを一人一人確認しながら掛けてもらっているときにその事件は起きた。ドレッシングを掛けていたウェイトレスが移動して隣の人へ行こうとしていたときに、たまたま後ろを通りかかった別のウェイトレスとぶつかり、寄りによって一番こってりしたサウザンアイランドがOさんとI君の肩にべっとりとかかったのである。仕事帰りなので当然2人ともスーツの上着を着ている。それからは大騒ぎになり、急いでお絞りで拭いて、マネージャーが出てきて平謝りし、結局ワインを只にしてもらった上に上着をクリーニングして返してもらう約束をしてその場は収まった。ホテルのクリーニング代はかなり高かったので、その時は「只でクリーニングしてもらっていいなぁ」と冷やかしていたのだが、これが後に長く尾を引くことになるステーキ屋の悲劇の序章に過ぎないということには、その時まだ誰も気付いていなかった。因みにステーキは分厚く量は多かったのだが、ちょっと油濃すぎてもたれてしまったということを付け加えておく。

1998/8/28 Fri.

今日も仕事が長引いてすっかり遅くなってしまった。いつもは別行動のI主査が、たまたま仕事の終わるタイミングが合い、遅くても営業している店を知っていると言うことでI主査、Oさん、Sさん、I君と筆者の5人でそこへ行く。レストランへ行く途中、沢山のきれいに着飾って大きな花束を持った若い男女のグループとすれ違う。聞けば今日は台湾の七夕で、日本のバレンタインデーのように男性が女性に愛を告白するためにご馳走やプレゼントをする日なのだそうだ。その店はビアホールとレストランを足して割ったような店で、遅い時間にもかかわらず若い男女でかなり繁盛していた。何やら入り口で交渉した末、店員に案内されて奥のほうの個室へ連れて行かれる。奥のほうは結構高級そうな作りである。席に着いておもむろにメニューを見ると案の定総じて結構高いので、適当に安めの料理を頼む。ところが、「今日は七夕特別メニューの一種類しかない。」という。日本でもバレンタインデーは特別メニューしかないのと同じである。これがステーキをメインとしたコース料理で、NT$1,850(\7,500円)と結構なお値段である。だったら最初からメニューを置いとくなよと言いたかったが、もう座ってしまったし他に行く当てもないのでしぶしぶそれを頼んだ。何で野郎5人で恋人達向けの特別ディナーを食べなければならないんだ。しかし、流石に特別メニューだけあって、料理は凝っていて味もなかなかであった。前菜は海老にアーモンドをまぶして揚げたもの、続いてこってりしたトマトスープ、生ハムとレタスのサラダ、メインはステーキか伊勢海老のムニエルのどちらか、デザートにアイスクリームとケーキの盛り合わせ、最後にカプチーノである。メインディッシュの選択状況はステーキ3人、伊勢海老2人であり、筆者は昨日のステーキの口直しに今日もステーキを選んだ。

<前菜>

<スープ>

<サラダ>

<ステーキ>

<伊勢海老>

<デザート>

<カプチーノ>

週末なので、その後I主査行き付けのショットバーへ行く。ここには、「カミカゼ」とか「B29」とか、とんでもない名前のカクテルが多数あり、面白がって色々頼んでいたが、その強烈な味に皆かなり盛りあがっていたようだ。酔った勢いでかなり危ない話も出たが、個人の名誉に関わることなのでここへの記述は控えさせていただく。

1998/8/29 Sat.

朝から雨である。それも南国特有のかなりすごい雨で、プールで泳ぐことも出来ないのでPCショップへ市場調査に出かけることにする。今日は南のほうへ下り、台北駅周辺の大型PCショップを廻ることにする。道路を歩いていると中華電信のISDNの広告が目に付いた。流石力を入れているなぁ。

<中華電信のISDN広告>

今日は実は1つ大きな目的がある。日本へのメール送信にホテルの電話のデータポートを使うと、ローミングで市内へ掛けるにしても自腹の電話代がバカにならないので、会社のビジネスフォンからダイアルアップするために日本からビジネスフォンアダプタを持って行ったのである。ところが、このビジネスフォンアダプタがタイプが違うらしく使えないので、次の手として音響カプラによる通信をしたくて、台湾のPCショップなら安く買えるだろうとカプラを探していたのである。まずは日本でもおなじみT-ZONE。総合PCショップで、店の構えもかなり大きく2階建てだったのでここにはあるだろうと期待したがなかった。次に台北駅周辺のいくつかのPCショップをまわる。いずれもビルの構えは大きく3階建てや5階建てなのだが、内部はやっぱりラジオデパートみたいに小さな間口の店がひしめいていて、どこも同じような売れ筋商品しか置いていないのでバリエーションに乏しい。通信関係を専門に扱っているらしい何件かの店で聞いてみたが、そもそも最初に出てくる店員はカプラーそのものを知らないので説明に苦労する。たまに運良く奥から詳しい店員が出てきたかと思うと、「見たことはあるがうちには置いていない。」というばかりで、足を棒にして散々歩き回った挙句、結局どこでも買えなかった。モバイルと言えば最近は携帯やPHSのデータカード経由なので、音響カプラなんて時代遅れなのだろうか。どこの店でも力を入れて売っていたのはPentiumIIとか、56Kモデムとか、DVDドライブとかロジクールやマイクロソフトのインテリマウスとか、そんな出たばかりの売れ筋商品ばかりである。そういえば、ある店にLibrettoが展示してあり、結構人だかりが出来ていた。結局PCショップでは、電話での問い合わせで色々調べてくれた職場の皆さんへのお土産として、例のビビアン・スーのVCDを3枚NT$500で購入しただけにとどまった。カプラについては、帰国後に職場の近くのT-ZONEの閉店セールで、Road Warrierの2,880bpsのを定価の4割引くらいで買ったのはご愛嬌と言うところか。

<台北駅>

その後更に南へ足を伸ばして228公園を通り、総督府へ向かう。228公園の名前の由来は、2月28日に起きた革命か何かを記念して作られたという事であるが、モデムの288と紛らわしくて困る。私の頭の中では、いつも「にっぱっぱ公園」と呼んでいた。その228公園には、中国様式の東屋のような建物や、はだしで歩くと足のつぼを刺激して健康になれるという、玉砂利を敷き詰めた健康歩道などがあった。

<228公園>

<228記念塔>

<健康歩道の看板>

<健康歩道>

総督府に着いたら丁度夕方の6時であり、何やら音楽を奏でながら吹奏楽隊が出てくるところであった。何をするのかと見ていると、前の広場をぐるっと一周して建物前に整列し、国歌らしきものをかなで始めた。ふと上を見ると、総督府の上に掲揚されていた国旗が静静と降ろされて行っている。国旗が降ろされると、楽隊はまた音楽を演奏しながら総督府の中に消えて行った。この間、前の道路も通行止めである。毎日朝晩この国旗掲揚の行事を行っているのだろうか。この頃には一応雨も上がっていたから良かったようなものの、土砂降りだったらどうするんだろう。いやぁ、いいタイミングで珍しいものを見せてもらった。

<総督府>

<国旗を降ろすところ>

その後台北駅まで戻り、ふと立ち寄った駅地下街のCDショップで日本のアーティストのアルバムが大量にしかも安く売ってあるのを発見し、すっかりはまってしまう。1時間以上も店内を物色し、CDを買いまくる。X on Piano、Hide単曲集(Single Collection)、Two-Mix単曲集、BOOYのベストアルバム等を、いずれも1枚\1,000円くらいで購入した。ホクホク顔でホテルへ帰る。とは言っても、週末から結構出費がかさんだので、夕食は質素に吉野家の中華丼定食で済ませた。ホテルへ帰ると部屋にメッセージがある。中国語、英語、日本語で書かれたそれには、「当局の指示により、明日朝7時から総合防災訓練を行います。従業員がノックしますので、ドアを開けて応えてください。」とある。日曜の朝なのに冗談だろう!?と半信半疑のままベッドに入った。

1998/8/30 Sun.

何としっかり7時前に防災訓練の放送で起こされる。ベッドでしばらくボーっとしていると、やがてドアを激しくノックする音がするので仕方なく起きて対応する。まさかホントにここまでやるとは思わなかった。かつてアメリカのRedbankに行った時に夜中にぼやで騒がされたことを思い出す。眠たいので2度寝して、営業時間ぎりぎりにホテルのレストランで朝食を摂りながら今日の計画を練った。今日も雷交じりの激しい豪雨で泳げないため、ガイドブックに載っている八徳路から少し離れたところにあるナースの大きな看板が目印のPC Docとかいうショップへ行って見ることにする。何としてもカプラーを手に入れたい。こうなったら使う使わないに関わらず意地である。ところが苦労してたどり着いたものの、どうも様子がおかしい。小売と言うよりはパーツの問屋のようなたたずまいである。最初話しかけてきた店員には話が良く通じず、奥から出てきた英語堪能な店主の奥さんらしき人と話をすると、経営者が変わってしまったこと、カプラーは置いてないことを教えてくれた。台湾らしく、しっかり犬を抱いている。折角ここまで来たのに残念である。仕方がないのでそこから歩いて再び八徳路へ向かう。3回目なので今まで行っていない店を中心に廻るが、やはりどこにもカプラーは置いていない。そもそも殆どの店員がカプラーを知らない。もうすっかり疲れてしまい、あきらめの気分である。ネットワーク専門店でRJ-11とRJ-45のコネクタを買おうと店員に聞くが、RJ-45は知っていてもRJ-11は知らなかった。実は生産力はあってもPCショップの店員のレベルはたいしたこと無いのかもしれないという気がしてきた。その後雨もますますひどくなってきたので、タクシーでホテルへ戻り、近くの昌華酒店(グランドフォルモッサリージェント)の地下にある免税店へお土産を買いに行く。台湾名産の珊瑚と翡翠のブローチ、刺繍、ジャスミンティー等を買った。誰に買ったかは秘密である。雨が降って面倒くさいので、またも近所の吉野屋でチキン南蛮丼定食を食べる。メニューの種類が豊富で良かった。聞けばI君はこの日の豪雨の中を、台北駅前にある新光三越摩天楼という51階建て高層ビルの展望台へ昇ったそうで、当然何にも見えなかったそうである。うーむ、行動がよく分からん。

1998/8/31. Mon

今週もお客様事務所での作業である。今回のシステムにはUPS(無停電電源装置)を入れてあったのだが、事務所へ行ってログを見てみると、土日の雷交じりの豪雨で停電3回と電圧降下が無数に起きていて、早速UPSが大活躍していたことが分かった。以前のRedbankへの出張でもそうだったが、海外でUPSが重視されるのが分かる気がした。会社にいるときは、秘書の皆さんに近所の弁当を買ってきてもらってお昼を済ませていたのだが、出先ではそうも行かない。いつも街中へ出て近くの日本語の通じる喫茶店みたいなところで定食を食べていたのだが、そこが満員の場合は食べる店を探して放浪することになる。その場合は地元S社のMさんが案内してくれるのだが、彼も「あそこはあまり衛生的ではない、あそこもイマイチ」と意外と選ぶ目が厳しい。胃腸の弱い筆者にはありがたいことである。今日は近所の、8月一杯は半額だと言うファーストフードっぽい中華麺屋での昼食となった。店内も清潔だし、味もなかなかいける。その上、いつもお世話になっているからと、別にオーダーした飲み物をMさんにご馳走になってしまった。先週ステーキ屋で汚れたスーツは、すぐにでもクリーニングして届けるようなことを言っていたのに、いつまでたっても届かない。I主査がかなり怒って、秘書を通じてステーキ屋に催促してくれた。

1998/9/1 Tue.

工事もほぼ今日で大部分の工程を終わり、明日と明後日でクライアントまわりの調整をするまでになった。やれやれ、詳しい内容は支障があるのでここには書かなかったが、本当に色んなトラブルがあって一時はどうなることかと思ったが、何とか無事に日本へ帰れそうである。で、今日はご苦労様と言うことで、お客様のO総経理と夕食を共にすることになった。お客様行き付けの近所の台湾料理屋の2階へ顔パスで入り、台湾料理の数々を堪能する。大体メニューはいつもと同じだが、今回はピータンが特においしかった。工事完了のめども立ち、ゆったりと気持ちにゆとりを持って総経理と世間話をする。総経理はNY、香港、台北と世界を渡り歩いてこられたつわもので、海外滞在の為に実のお父さんの死に目に会えなかったのを残念がっておられた。国際ビジネスマンの厳しい側面である。

一次会でさくっと終わってホテルへ帰り、部屋へ入ってみてびっくり。机の上に、「Happy Birthday」と書かれた大きな誕生ケーキが置かれていたのである。パスポートの生年月日で把握して置いておいてくれたのだろうか。実に心憎いサービスである。流石五つ星ホテル。ご馳走を食べてきたばかりだし、到底一人では食べきれないので、別室のI君を呼んで半分づつ山分けした。ふと気付くと留守電にメッセージが入っている。再生してみると、日本の家内からの誕生日お祝いのメッセージであった。異国で一人寂しく誕生日を迎えるのかとちょっとブルーな気分になっていたが、なかなか心温まる忘れられない誕生日になった。

<部屋で待っていた豪華な誕生ケーキ>

1998/9/2 Wed.

工事も大詰めで、サーバーやルータの設定の再確認やクライアントの設定を行う。本来全てのクライアントの設定までは契約に入っていないのだが、ネットワークとして一体となっているために簡単にここまでとは切れない。調整をしているうちに配線上のトラブルは出てくるは、設定が終わったPCについてメールの使い方などを従業員に聞かれて即席の講習会を開催せざるを得なくなるは、なかなか最後まで簡単には終わらせてくれない。どうにか設定とレクチャーを終わったころには今日もすっかり終業時間になってしまったので、逃げるようにお客様事務所を辞する。

連日の催促でやっとステーキ屋がジャケットを持ってきたが、2着ともひどい有様である。普通のスーツの上着だったのに、まるで石で擦ったように毛羽立ってしまい、麻の生成りのジャケットのような風合いになってしまっている。さらにえりや袖口は糸がほつれているし、透かしてみると色むらがある。一体どんな洗い方をしたらここまで痛むんだと言いたくなるようなひどい状況である。クリーニングに出さずに、洗濯機にぶち込んで普通に洗ってもここまではならないだろう。I主査が怒り狂ってクレームし、新しいスーツを買ってその半額を弁償してもらうということで話が落ち着いた。この時点ではまだ、「いいなぁ、スーツが新調できて。わらしべ長者みたいだね。」と私などはお気楽に笑っていたのだが、まだまだこれでオチがつくほど台湾は甘くないのである。

今夜は一緒に工事をしてきたベンダのS社との夕食である。我々のホテルの近くの、24時間営業の点心の店へ行き、思い思いに単品で料理を注文して堪能する。特においしかったのは、海老ぷりぷりの透明なシュウマイ、生地に青菜の混ぜられた緑色の小龍包、マヨネーズたっぷりのえびのから上げ、生姜の利いた蛤のスープ、ビーフン、炒飯等である。気持ちに余裕が出来たので、料理をおなか一杯堪能する。

1998/9/3 Thu.

苦労した工事も今日で終わり。朝お客様事務所へ行って搬入したネットワーク機器類の空き箱を回収し、各機器類にテプラで機器名称やパラメータを貼って工事の後整理を行う。いつものように近所で昼食を摂った後、総経理と従業員の皆さんへお世話になったお礼を述べて、回収した空き箱と共に事務所を辞し、S社へ戻る。S社で今後の後工程や保守に当たっての注意点、故障が発生したときの対処方法など細かな引継ぎを行い、やっとのことで自分たちの会社へ戻った。会社へ戻って資料の整理や完成図書の作成をしていると、美人秘書トリオが「いつも帰りが遅くて一度も食事をご一緒できなかったので、もしよろしかったら今日は私達と夕食に行かれませんか?」と誘ってくれた。うきうき。願っても無いことである。ところがその後、I主査から「今夜何か予定ある?」と聞かれるので「秘書の皆さんと食事に、、、」と言いかけると、「最後なので社長が夕食にと誘ってらっしゃる。まさか断らないよな。」ということで、あっさり美人秘書トリオとの素敵なラストナイトはお流れになってしまった(;_;)。

社長の時間が空くまで少し時間があるということなので、I君と一緒に近所のスーパーへ買い物に行く。お目当ては電気ハエたたきである。フジTVのHeyHeyHey!等でも話題になっていたのでご存知の方もあるかもしれないが、スカッシュボールのラケットみたいな形の枠に金属のメッシュが貼ってあり、電池で電圧をかけてビリッとやってハエや蚊をやっつけるものである。むしろ知らない人に指で触らせて驚かすという目的のほうに良く使われているようだが。S社のH氏に、それが売ってあるスーパーの場所を聞いていたので行ってみたのだが、残念ながらいくら探してもそこには無かった。で、とぼとぼと近所の商店街を歩いて手当たり次第に薬局や雑貨屋に入って探しまわり、3軒目でやっと見つけて購入した。これでもう思い残すことは何も無い。いや一つあった、実は今回の滞在中、地元で異常な盛りあがりを見せていたのがポルトガルのお菓子エッグタルトである。タルトはタルトなのだが、生地の真中にフルーツペーストの代わりに卵たっぷりのカスタードクリームを載せて焼き上げてあるのである。台湾と交流の盛んなマカオからこの夏入ってきたそうで、どこの店もこのエッグタルトを買い求める客の長蛇の列が出来ており、1時間2時間待ちは当たり前だそうである。一時期の日本のチーズケーキブームみたいなものか。流石に我々はそれほど閑ではないので、結局こればかりは買えなかった。もっとも、次の台湾出張時には下火になっており買うことが出来たし、年末には日本でもミスタードーナツが早速取り扱いを始めたのだが。

会社へ戻ると頃合も良く、幹部の皆さんと近所のステーキ屋へ行く。我々二人があまり飲めないことを知って、飲み屋よりはこういう店がいいだろうという社長のお心遣いである。ありがたやありがたや。その店はかなり高級そうで、薄暗く重厚な丁度類の落ち着いた店であった。しかもオーダーを聞きに来た給仕は全て流暢な英語である。我々も英語で注文したが、T課長などは「何故中華圏で東洋人同士が英語で話さなければならないんだ」と憤慨しておられた。サラダに掛けるドレッシングも色々あって、筆者はブルーチーズを選んだがなかなかおいしかった。また、メインのフィレステーキもこれまで台湾で食べた中でも群を抜いたおいしさであった。流石高級店。店の雰囲気に合わせて優雅に政治の話などをしながら、すっかり高級ステーキコースを堪能して、お礼を述べて我々だけ先にタクシーに乗せられてホテルへ帰った。きっと皆さんはあの後2次会へ行かれたのだろう。ホテルへ帰ると、帰国に備えて膨大な資料とPCグッズやCDの数々を何とかスーツケースにパッキングして、台北最後の眠りについた。

1998/9/4 Fri.

午前中少し時間があるので、最後のひと泳ぎをしようとプールへ行ってみて呆然。おとといまでの豪雨のためか水が抜かれており泳ぐことが出来ない。折角快晴のいい天気なのに。そのうち数人ほど客が集まり始めて、管理人が水を入れ始める。仕方なくプールサイドで待っていると、そのうちI君もやってきたので2人でボーっと待っていたが、結局フライトに間に合いそうに無くなってきたので未練を残しながらプールを後にしてチェックアウトした。最後に実に残念。いつものように空港載り入れ許可のタクシーを呼んでもらい、タクシーで空港へ向かってさくっとチェックインする。帰りもエコノミーである。免税店で会社へのお土産にごまのお菓子と老酒を買って機上の人となる。ほどなく九州上空へ差し掛かり、窓からボーっと景色を眺めていると変わった景色が目に飛び込んできた。島原半島とその横の閉めきられた諫早湾が、まるで地図でも見ているかのようにはっきりと分かる形で眼下に広がっているのである。茶色ににごった諫早湾を眺めていると、何だか悲しい気持ちになってしまった。その後機は佐賀上空を越えて、百道浜や福岡ドームの上空を通り、ゆっくり旋回して無事福岡空港へ着陸した。

<島原半島と諫早湾>

<百道浜と福岡ドーム>

入国審査を済ませ、手荷物を回収して税関へ向かう。筆者はスーツケース1個とノートPC入りの手提げバッグという身軽な出で立ちだったが、I君の格好はすごかった。肩からたすきにでかいドラムバッグを掛け、反対の肩にディパックを背負い、両手に紙袋でよろよろしながらやってきたのである。何か難民みたいでいかにも怪しい。案の定、税関でつかまって荷物を開けさせられそうになっていたが、しゃべりで何とか難を逃れたようである。めでたしめでたし。

後日談:スーツその後

工事も予定通り終わり、無事日本へ帰ってきてめでたしめでたしと思っていたら、とんでもない後日談が待っていた。スーツを弁償するので新しいのを買ってレシートを送ってくれといっていた例のステーキ屋が、「汚したのは上着だけなのでズボン込みの値段では弁償しない。」とゴネ始めたのである。結局民事訴訟にまで発展してしまった。日本に居住しているI君は、現法へ一任するために委任状が必要だということで、\3,000払って福岡地裁から委任状を取ってきて台湾へ送る。本人はもう7年も着ていたスーツなので半分あきらめていたのだが、やはり折角戦ってくれるという現地サイドの好意を無にするわけにも行かない。結局裁判はもめにもめ、99年3月になってようやく結審したらしく、\1万数千円が戻ってくることになったそうである。既に委任状で\3,000円の出費をしているので、結局手に入るのは\1万円弱ということになる。永く不毛な戦いであった。最後に、この\1万数千円をどうやって日本のI君の手元に届けるかという問題が残っているのだが、下手をすると国際送金の手数料や為替差損やらで更に目減りしてしまうのは確実である。

今回の教訓:台湾ではクリーニングは人任せにせず、自分で信頼できる店に出すようにしましょう。チャンチャン。

To Be Continued.


Written by Y1K