フランス出張記


JME'97 Parisの仲間のページ


1997.10.15 Wed(JST) :出発前日

 今回のフランス出張は、JME(Junior Management Exchange)プログラムと言って、欧米各国の通信キャリアと私の在籍する某通信会社がそれぞれ研修生を交換し合って、文化/技術交流するという結構オイシイいや勉強になる出張である。我が社からは13名が、フランス、イギリス、ドイツ、スウェーデン、イタリア、オランダへ2〜3名ずつ派遣された。筆者は画像部の田中さんとともにフランステレコムへ派遣されることになった。フランスといえば、自国語にプライドを持っていて英語嫌いと聞いていたので一抹の不安はあったが、JME研修生同士の会話は英語が公用語だと聞いてひとまず安心する。

<わが社から派遣されたメンバ(宮国さんだけカメラ目線)>

思えば、派遣に先立つこと半年ほど前の2次試験で、TOEICはともかく面接ではぼろぼろで「欧州の自己主張の強い奴らの間に入っていってリーダーシップを取るためには押しの強さが必要だ。君のような雰囲気のソフトな人間を送り出すのは到底無理だ。」などとめちゃくちゃ言われ、こりゃ駄目だとあきらめていたので、はっきり言って選ばれたのが信じられない。ともかくこのチャンスを最大限に生かして、普通の観光旅行では味わえないような色々な体験をさせていただいたので、ここに報告する。

さて、出発前日のこの日、一旦西新宿TOCの国際本部に集められた我々は、一通りの注意を受け、先方へのお土産のノベルティを渡されて解散した。このノベルティがまた電池式の電動レターオープナー付き二穴パンチ20個という、海外旅行に出かける人間にとっては実にありがたくも重くてかさばるものであったことを付け加えておく。これらを収めた75cmスーツケースを引っさげて、明日成田からそれぞれの国に向けて旅立つことになる。

1997.10.15 Wed(JST):出国

 成田で無事に田中さんや、パリまで同じ便で行くイタリア派遣の宮国さん、小野寺さんと会い、機上の人となる。ここまでは特にトラブルもなく、いつものネタの神様に会うこともなく順調な滑り出しかと思われた。しかし、エコノミーで12時間は本当に長い!! パリでやっと降りたときには、体はバキバキになってしまっていた。

1997.10.15 Wed (GMT):パリ到着

 とりあえず、現地時間で20時過ぎにCherles de Gaulle(シャルルドゴール)空港に着いて、タクシーでホテルへ直行する。タクシーの運転手へホテルの住所と名前を書いたメモを見せると、すぐに走り出したのでひとまず安心して車窓の風景を眺める。次第に街中へ入っていき、何か見たことのある通りに入ってきたので、「ここ、シャンゼリゼじゃないですかねぇ?」などと田中さんに話していると、運転手が「ウイ! シャンゼリゼ!! オー、シャンゼリゼー」と歌い出した。そうかぁ、ここがあのシャンゼリゼかぁと、ライトアップされた通りを見ながらしばし感慨にふけるが、そのころネタの神様がひたひたと迫っているとは知る由もない筆者であった。

<夕暮れのシャンゼリゼから凱旋門を望む>

その後しばし走るが、一向にホテルに到着する気配がない。どうもホテルの場所がわからないらしい。ホテルの名前が「メルクール・クレベール」で、住所もクレベール通りの様なので、クレベール通り沿いにちょっと走っては住所表示を確認し、とまっては地図を見、ということを繰り返し、30分も同じところをぐるぐる回っていたようだ。さっき「オーシャンゼリゼー」と浮かれていた運転手の背中からも、打って変わってひしひしと焦りが伝わってくる。途中車を路肩に停めてどこかに電話して聞いているようだったり、そうかと思うとやおら歩道に乗り上げて、渋滞を横目にそのまま歩道を爆走するなど、結構不安を募らせる場面もあったのだが、結局なんとなく裏路地の工事中のビルの横に止まり、ここがそうだと言う。半信半疑で降りて覗き込んでみると、確かに工事の足場の奥のほうに小さなエントランスがあり、ホテルマンが2,3人微笑んでいた。こりゃ外からはホテルとは分からんわ。周りをぐるぐる回っていたのも無理ない。タクシーにかなり多目の額を払い、スーツケースを引きずりながらホテル名を確認してチェックインを済ます。しかし、内部も内装剥き出しだったり、足場の下をくぐっていったりと、どう見ても営業できるような状態じゃないぞこれは。それでも、フランステレコムがとってくれた、1泊2万円もするホテルだから部屋のほうは大丈夫だろうと、狭い二人乗りのエレベータを出て部屋へ向かう。ところが、部屋へ入って驚いた。ペンキの匂いでむせ返るような空気の悪さだし、おまけにバスルームはガラス張りで立派なのだが、なんとシャワーだけでバスタブがないのである。とどめには、ボイラーの工事でもしているのか、出てくるのもほとんど水に近いぬるいお湯だけである。ちなみに田中さんの部屋にはちゃんとバスタブも在ったし、部屋の広さも倍くらい広い。欧州では値段が同じでも色々な部屋があるとは聞いていたが、とんでもない違いである。幸い電話にはデータポートがついていたので、到着報告かたがた不満をたらたらと書いて、職場と国際本部の大坪さんにメールを送る。機内食で腹もいっぱいだったので、水シャワーで冷え切った体を毛布にくるんでその日はそのまま寝てしまった。

<ガラス張りのシャワールーム(イカガワシイホテルみたい)>

そう言えばフランスの人は何でもガラス張りにするのが好きなようで、電話ボックスもこれこの通り総ガラス張りである。汚されたり割られたりということもなく、日本だとびっしりと見苦しいピンクチラシが張られているのだが、勿論そんなものは微塵もない。とくにこの写真のボックスがと言う訳ではなく、どこの電話ボックスを見てもきれいであった。流石芸術の町、利用者のマナーも芸術的と言えよう。

<総ガラス張りの美しい電話ボックス>

1997.10.16 Thu (GMT):NTT France訪問

 朝起きてホテルの向かいにあるカフェ(キャフェ)で朝食を取る。ヨーロッパなので典型的なコンチネンタルブレックファーストである。パンはもちろんクロワッサンとバケット、飲み物はカフェオレ(現地の人はキャフェオレと発音している)である。これがやっぱりオイシイ!! パリの朝食を堪能した後は、田中さんの知人がおられるとのことで、いきなりの当日アポでシャンゼリゼに在るNTTフランスへ行く。パリの道路は放射状になっているメインストリートが幾何学模様的に交差しているので、直角交差点に慣れている我々はいきなり方角を間違えて迷ってしまう。とりあえず地図を頼りに後半は駆けっぱなしでようやく約束の時間ぎりぎりにたどり着いた。幸いにも会ってくれるとのことなので、社長始め日本人スタッフの皆さんにご挨拶をして近所のレストランで昼食をご馳走になり、フランスの通信事情などのレクチャーを受ける。実は今回の出張の中で、フランス通信事情についてはこのときの資料が一番役に立った。なにせ後で講義を受けたフランステレコム(以下FT)の講師は、どの人も自分の専門分野しか知らず、全体像の分かる人は一人もいなかったからだ。

<NTTフランスにて>

NTTフランスでは、また懐かしい方にお会いした。光ネットワークシステム研究所の小野室長である。何でもフランスにおける日本年の記念事業として、美術館の高精細画像転送の実験をされているそうである。一応ご挨拶してパンフレットもいただいたが、向こうは同じ職場にいたなんて覚えていないだろうなぁ。ちなみに翌年の98年は日本におけるフランス年で、セーヌ川の自由の女神がお台場にきてTVドラマのWith Loveなどで盛り上がっているのを懐かしく見たもんである。

あんまり長居をしても悪いので、NTTフランスを3時過ぎに引き上げて、オペラ座(下の写真)を見物した後、シャンゼリゼ界隈を散策して、通りに面したカフェらしき所で夕食を取ってホテルへ歩いて戻った。しかし、パリはとにかくめし代が高い!!昨日も今日も一番安い定食みたいなものを注文したのだが、フランスパンとハンバーグまたは鶏肉と付け合せのフレンチフライポテト山盛りで最低でも\2,000くらいからである。水なども、EvianかVittelを別にオーダーしなければならない。もう少し手軽な店を探さなければ破産してしまう。更に驚いたのは、客が平気で犬を店内に連れ込んで、パンを手でちぎって与えているのに店員も客も何とも思っていないらしいことである。パリの人の犬好きは聞いていたがこれほどまでとは。散歩の途中で道路に平気でうんちさせてそれを片付けないし、またそれをバイクに乗って掃除機みたいなもので吸い取って回る掃除人が居ることも驚きである。ついでに書くと、道路脇には路上駐車の車が延々と縦列駐車しており、間隔が2〜3cm程度しかない。どうやって出し入れしているんだろうと観察していると、みんなガンガン前後の車にぶつけながら前進後退を繰り返し、ねじ込むようにして出し入れしている。うーむ、バンパーはぶつけるためにあると彼らがよく言っているのはこのことだったのか。そう言えば、ドアミラーがもげたり、テールランプが割れたりしている車が結構多い。あぁ、あこがれのプジョー、ルノー、シトロエン、メルセデス(はドイツ車だけどパリではたくさん走っている)なのにもったいない!!本当に見るもの聞くものカルチャーショックを受けるものばかりである。

<オペラ座>

1997.10.17 Fri (GMT)

今日はFTのコーディネータの計らいで、FTのアジア担当部長と、翌月我が社へ交換で派遣されて来るJME派遣者との懇談とお食事である。FTへ着いてコーディネータのClaudetteおばさんに会って今後の予定を聞く。もちろん、ホテルが改装中で快適ではなかった点もしっかりアピールしたが、彼女いわく「あそこは一流のホテルだし、予約の電話を入れたときも彼らは改装中だなんて一言も言わなかったわ。」とのこと。ま、悪気があったわけではないし来週からは別のホテルになるから、我慢するか。食事は幹部用の特別食堂みたいなところで、昼間っからコースしかもワインつきである。フランス人は仕事中も昼間っからワインを飲んでいると言う話は本当だったのか!? とりあえず日本の通信事情とか、日本に来るときはこういうことに注意したらよいとか、今回の研修でこういうことを学びたいとか当り障りのないことを話して2時間程度の昼食を終えた。しかし「横めし」(横文字をしゃべりながら食事をすること)は消化に悪い。ふぅ、これから毎日こうだから横めしにも慣れんといかんなぁ。

その後FTを辞して有名なモンマルトルの丘に行く。Claudetteおばさんに「モンマルトルの丘に行きたいんですが。」というと困ったような顔をして地図を引っ張り出してきてしばし悩んだ後、地下鉄(以下メトロ)のモンマルトル駅はここだからこの路線でいけばいいと教えてくれた。頭の中の地図とちょっとずれているようだが、まあ地元の人の言うことなので素直に従うことにする。最寄の駅まで行き、この先20日近く滞在するので「カルネ」と呼ばれる10枚綴りの回数券を買ってメトロでモンマルトル駅まで行った。メトロは全線均一料金なので、入るときのみ改札に切符を通せば良いのだが、逆に入ってきてただ乗りするのを防ぐために出口は外にしか開かない鉄の扉になっていて、自分で手で押し開けるようになっている。感心したのは、パリの人はそこを通過する際に後から来る人のために必ずドアを手で押さえて待っていてくれるのだ。これは滞在中常に見られた光景で、急いでいるはずであろう朝のラッシュ時にもちゃんと押さえて待っていてくれるのである。何てマナーがいいんだ。人を押しのけて我先に行く日本の駅の光景とは大違いである。もう一つ驚いたのは、駅に着いたときに電車のドアが自動で開かず、ノブを回して自分で開けなければならないことだ。更に滞在中しばしば遭遇したのだが、狭い車中でアコーディオンやトランペットを奏でたり、何か大声で演説をぶって金を集めて廻る人達が居る。何を言っているのかさっぱり分からなかったが、フランス語の分かる人に聞くとどうやら「自分はこんなに不幸な人生を送ってきて、今も生活に困っているので金を恵んでくれ。」というようなことを延々と言っているそうだ。さながら日テレの「女ののど自慢」みたいなもんか。さて、駅を出て地図を確認してびっくり。モンマルトル駅とモンマルトルの丘はものすごく離れているのである。仕方ないのでそこからタクシーで行く事にする。教訓その一:パリの人も全てが地理に詳しいというわけでもないようだ(丁度東京の人が自分の通勤ルート以外はあまり知らないのと似ている)。困ったような顔をしていたのはそう言うわけだったのか。タクシーを降りて白亜のサクレクール寺院を見物し、丘を下ってピガール通りを抜けてしばし観光する。サクレクール寺院の内部は広大かつ荘厳な空間で、敬虔なクリスチャンが一心に祈りをささげており、異教徒である我々が立ち入って歩き回るのもはばかられるような雰囲気があった。

<白亜のサクレクール寺院>

そこから下ったところにあるピガール通りは観光地であるとともにポルノショップ街であり、赤い風車で有名なムーランルージュもここにある。先ほどの荘厳な雰囲気とのミスマッチがなんとも言えない。例えて言えば奈良東大寺の大仏を見たすぐ近くに新宿歌舞伎町があるようなもんである。東洋人は目立つのか、大勢の客引きが英語や時には下手な日本語で「ショーを見ていかないか」とか「(昼間なので)今ならディスカウントするよ」等と声を掛けてくる。マイペースで色々見てみたかったので、ここだけは個別の自由行動としたのだが、結局何軒かのアダルトショップを覗いてみると、VIDEOはPALだしCD-ROMもめちゃ高いしで何も買わずじまいであった。聞けばムーランルージュはこの半年後に倒産してしまったらしい。どうせなら行っておけばよかった。

<赤い風車のムーランルージュ>

その後再び田中さんとシャンゼリゼの端で落ち合う。ホテルのミネラルウォーターはめちゃ高いので、ピガールからシャンゼリゼまで30分くらい掛けて歩く間に1.5LペットボトルのVittelを買って、入れてもらったビニール袋に下げて歩いていたのだが、あと少しで到着というところで袋の底が抜け落ちて路面に激突しペットボトルが割れてしまった。あ〜ぁ、折角重いのをここまで我慢して下げてきたのに。教訓その二:フランスの買い物ビニール袋には要注意(実はその後上海でも同じ目にあいそうになったのだが、このときの教訓があって警戒していたので、上海ではセーフだった)。田中さんと落ち合った後、今日もシャンゼリゼのレストランで夕食を取ってホテルへ帰った

1997.10.18 Sat (GMT)

今日は一日フリーなので、気合を入れてルーブル美術館に行く事にする。ガイドブックによると全部見るには2〜3日かかるということなので、1日を目いっぱい使って興味のあるものを計画的に見ることにする。いつものようにホテルを出てビクトルユーゴー通り、シャンゼリゼ通りを抜け、コンコルド広場、チェイルリー庭園を経由してルーブル宮へ向かう。シャンゼリゼから先はまっすぐな一本道なので分かりやすい。秋の日差しの中、枯葉舞い散る並木道を歩いていくのは何とも気持ちいいものである。「たららら〜ら、ららららららら〜ら〜ら〜」と思わずシャンソンを口ずさんでしまった。町並みも日本やアメリカの無機質なコンクリートとは異なり、重厚な石造りで彫刻が施された建物ばかりで、町全体が芸術品と言った感じである。本当にすばらしい。心が洗われるような気がする。

<コンコルド広場のオベリスク>

コンコルド広場の中央に立つ巨大なオベリスク、ナポレオンが埋葬されているアンバリッドなどの景色を堪能しながらのんびりルーブルにたどり着くと、すでにかなりの行列ができている。しまった、折角回数券を買ったんだからとっととメトロで来ればよかったかな。地上のガラスのピラミッドでX線検査を受け、地下のエントランスホールへ降りてチケットを買う。幸い地下に下りたらそれほど行列はできていなかった。どうやら行列は入場待ちではなくX線検査のためだったらしい。地下街から来れるルートもあり、こちらのX線検査は行列はないようなので、もし行かれる場合は適当なルートで地下へ降りて地下から入られることをお勧めする。エントランスロビーに各国語のガイドブックが用意されていたので、とりあえず日本語と英語とフランス語を取り、ロビーのカフェで朝昼兼用のブランチをとりながら作戦を練る。

最初のお目当ては古代エジプトのコーナーだったのだが、ここはいきなりの改装中で見ることができない。とりあえず申し訳程度にあるスフィンクスやファラオの石像を見て、次のお目当てである古代彫刻のコーナーへ行く。行ってみてびっくり。ダビデ像やミロのビーナスを始めとするさまざまな芸術品の数々がガラスケースにも入れられず、ホールに文字通り裸の状態で林立しているのである。スペースもゆったりあるのでじっくり鑑賞することができる。日本では考えられないことである。ミロのビーナスなども、ごらんの通りすぐ近くまで寄っていって自由に写真が撮れる。めったに見れない後姿も写真に撮ったのでご堪能ください。

<ミロのビーナスの前姿と後姿:お尻の割れ目もくっきり(^^ゞ>

展示物は時代ごとジャンルごとにうまく分類されて展示されており、あらゆる時代のものがそろっている。絵や彫刻以外にも王冠や指輪などの宝飾類、壁画や調度を含む部屋全体が美術品になっている展示などもある。歴史的価値のある遺物などもあり、ハンムラビ法典の実物を見たときは、感動で背筋がぞくぞくしてしまった。

<ハンムラビ法典と刻まれている楔形文字>

他にも、「モナ・リザ」、「民衆を率いる自由の女神」、「夜警」など、絵に詳しくない私でも知っているおなじみの絵画がずらりと並んでおり、感動の連続である。流石にモナリザだけはガラスケースに入っていて人だかりも多く、十分堪能することができなかった。最初は一枚一枚の絵を丹念に見ていっていたのだが、あんまり感動しすぎて途中から頭が痛くなってきてしまった。そう言えば数年前にニューヨーク自然史博物館を見学したときも、途中から頭が痛くなって映写を見ながら寝てしまったなぁ(Redbank旅行記3参照)。日本ではなかなかないことである。本当に全部じっくり見ていたら到底一日では足りない。他にもすばらしい写真を何枚も撮ったのだが紹介しつづけると切りがない上、この旅行記の趣旨からも外れてしまうので、これくらいにしておく。あんまり写真をたくさん載せると版権上問題があるかもしれないし。興味のある方は、NECインターチャンネルから発売されているCD-ROM「ルーブル美術館 絵画と宮殿」をご覧になるとよいだろう。(本当は行って実物を見るのが一番よいけど)

しかし、展示方法が非常にオープンでありゆっくりと鑑賞できる上に、ストロボをたかなければ写真もOKとは何てすばらしいのだろう。日本の美術館も見習ってもらいたいものである。数々の美術品をたっぷり堪能した後、売店で絵のレプリカを数枚買い求め、観光ばかりしているわけにも行かないので、お土産を買いにオペラ座界隈へ行く。パリ三越で家族/親戚へのお土産をあらかた買った後に、家内のリクエストである紅茶を買いに今度はFauchonである。Fauchonは2階建てで、当然のことだが店内はぎっしりFauchonマークの紅茶で埋め尽されており圧倒される。散々迷った挙句、定番のアップルティーとフレーバーティーの詰め合わせを買った。もう一つのリクエストとして「マルコポーロ」とかいう紅茶を指定されていて、かなり探しまわったのだが結局発見できなかった。疲れ果てて、マドレーヌ寺院の横を抜け夕暮れの幻想的な町並みを通り、レストランで食事をして興奮の余韻に浸りつつホテルへ帰った。

1997.10.19 Sun (GMT)

明日から本格的に研修が始まれば自由時間もどうなるかわからないので、今日も思いっきり観光に励むことにする。田中さんと一緒に朝ホテルを出て歩いていると、人々がぞろぞろと教会へ入っていくのを見かけた。そうか、日曜のミサなんだ。流石クリスチャンの国。通り沿いに見つけたちょっとした食事スペースのついているパン屋でパンを買って通りに面した丸テーブルで朝食を取る。まさに気分はパリジャンである。今日もフランスパンとクロワッサンにキャフェオレである。見ていると隣のテーブルのおじいさんは、フランスパンをちぎってキャフェオレに浸して食べている。なるほど、ああやって食べれば歯の弱い人手も大丈夫なんだ。テレビや映画のシーンのように、フランスパンを買って握るところにだけ紙ナプキンを巻き、裸のまま持って行っているパリジェンヌも居る。食事が終わったら、ここ数日は通りすぎるだけだった凱旋門を本格的に観光してみることにする。凱旋門の周囲は八方の通りから流れこんでくる車が別の通りへ曲がっていくためのロータリーの車道になっていて歩行者は通れないので、地下道を通って凱旋門の真下へ出る。凱旋門のバックに記念撮影を行い、チケットを買ってエレベーターで上へあがるのだが、ネタの神様のちょっとしたいたずらか、管理人がフランス語と英語で「エレベーターは故障中」とわめいている。仕方がないので下の写真のような、凱旋門内部の狭い螺旋階段をえっちらおっちら登って行くはめになってしまった。まぁ、これも旅の思い出の一ページか。

<凱旋門と、屋上に上るための螺旋階段>

<凱旋門から見たシャンゼリゼ通りと、朝もやに煙るエッフェル塔>

パリ市内は車の流入が規制されているために公害が少なく、写真のように本当に空が青くて澄んでいる。20日足らずの滞在中一度も雨が降らず天候に恵まれたのもよかった。これも日頃の行いの賜物であると言えよう。凱旋門の頂上からの、シャンゼリゼ通りや朝もやに煙るエッフェル塔の眺めを堪能した後、私はエッフェル塔へ行きたかったのだが田中さんは新婚旅行で行ったことがあるということなので、ここからは別行動にする。徒歩でエッフェル塔まで移動すると、ジョギング大会らしきものが開催されていてすごい人だかりである。人ごみを掻き分けてやっとのことでエッフェル塔のふもとまでたどり着くと、さらに入場待ちの長い行列である。う〜む流石に日曜のパリは人が多い。これだと何時になることやら。待つこと30分あまり、独特の斜めに登っていくエレベーターで途中第一階層まで登り、そこから更にエレベーターを2台乗り継いで展望台まで登る。しかしそれにしてもすごい混雑である。よく聞いているとフランス語だけではなく、英語やドイツ語のほか全く分からない言葉も聞こえてくる。きっとヨーロッパ各国から観光に来ているのだろう。待っている間のマナーはあんまりよくない。一応4列くらいで並んで少しずつ進んでいくのだが、ちょっとわき見をしていたり障害物を避けたりして間があくと、平気でそこに割り込んでくる。さすが面接時に謙譲の美徳は捨てろといわれただけのことはある。面接官は正しかった。さて、写真ではわかりにくいが、エッフェル塔には「J-804」というような数字のネオンサインがかかっていて、これは西暦2000年までの日数をカウントダウンしているそうである。確かに滞在中に事あるごとに観察していると、毎日数字がひとつずつ減っていっていた。従って、最近撮られたエッフェル塔の写真があれば、それが何月何日に撮られたかわかるのである。これは推理ドラマのアリバイ工作に使えるかもしれない。やっとの思いで最上階へ着くと、さんざん待った甲斐あって展望台からの眺めは実にすばらしく、パリの町を一望の元に眺めることができた。天気がよくて本当によかった。上から見ると、パリの道路が放射状に配されているのがよく分かる。

<エッフェル塔>

<塔よりシャイヨー宮、トロカデロ広場、ブローニュの森を望む>

もっと景色を堪能して居たかったのだが、次の予定もあるので早々に地上に降り、軽く昼食をとることにする。時間もないので手っ取り早く塔下の広場に店を出しているスタンドで、ホットドッグと紙コップ入りのキャフェオレを買う。驚いたことにホットドッグのパンもフランスパン(バケット)であり、パンを割って挟むのではなく、片端に穴をあけてフランクフルトをむんずと突っ込んである。これがまたうまい。行儀悪く歩きながら昼食を済ませ、徒歩で次の目的地であるオルセー美術館を目指す。メトロで行ってもよかったのだが乗換えが必要な上に、途中の景色も堪能したかったので歩いていくことにする。途中回り道をしてフランクリン・ルーズベルト通りへ出て、セリーヌの店へ寄って妻へのささやかな土産である小銭入れを買う。ここにはちゃんと日本人の店員が居て全て日本語で対応してくれた。やはりホテル日航も近いことだし、ブランド品買い物ツアーの日本人客が多いんだろうなぁ。

小一時間ほどでオルセー美術館へ到着し中を見学することにする。本当は、更にその先のノートルダム寺院やサンルイ島まで足を伸ばしてから、帰りにオルセーを見学するつもりだったのだが、エッフェル塔での待ち時間が尾を引いていて、この時点で既に午後3時。帰りに寄ったのでは間に合わないので、今日はノートルダム寺院とサンルイ島はあきらめることにする。所詮元は駅舎、それほど大した規模ではないだろうと高をくくっていたのだが、どうしてどうして中に入ってみると結構な広さである。結局ここでもまずリーフレットを入手して特に興味のあるものから計画的に見ていくことにする。オルセーはルーブル以降の近代美術品を収録しており、ここはここでまた味わい深いものがある。特に、「笛を吹く少年」「落穂拾い」等、日本の高校の美術の教科書にも載っているような、知っている絵画の実物が多数あり、昨日に続いて感動の嵐であった。結局今日も興奮の連続で頭痛になってしまった。(^^ゞ 興味のある方へは、同様にNECインターチャンネルより発売中のCD-ROM「RMNデジタルアートセレクション オルセー美術館 西洋近代美術の始発駅」をお勧めする。

<オルセー美術館の外観と筆者(中央下)>

<名画と筆者(見にくい顔!)>

一通り見終えると、上気した頭を冷やすためにテラスに出て、眼下のセーヌ川を見下ろす。川岸を先ほどのジョギング大会の選手が駆け抜けていくのを、川を行き来する遊覧船から乗客が応援している。あぁ、パリなんだなぁとしみじみ感慨に浸る。ひとしきり休憩して疲れも取れたので、オルセーを出てセーヌ河畔沿いにホテルへ向かう。川面を渡ってくる風が何とも気持ちよく、大勢の人が夕暮れの散歩を楽しんでいる。昨日までの夕食は、行きがかり上シャンゼリゼで食べてとても高かったので、今日は別の通りを帰ってみたのだが、適当な店がなく結局途中でシャンゼリゼへ出て同じような夕食を摂ってホテルへ戻った。戻る途中で気づいたのだが、凱旋門からホテルのほうへ入った角のところにセリーヌの店があるではないか!が〜ん、昼間折角回り道したのに。いよいよ明日から研修本番である。ホテルの移動に備えて荷物のパッキングを行い、いつものようにぬるいシャワーを浴びて寝た。

1997.10.20 Mon (GMT)

朝起きると、いつものように田中さんと一緒にホテルの向かいのキャフェでコンチネンタルブレックファーストをとり、チェックアウトをする。高い割に居心地の悪いこのホテルとも、今日でやっとおさらばである。荷物があるのでフロントでタクシーを頼むと電話で連絡してくれ、「黒のメルセデスが迎えに来ます。」と教えてくれた。メ、メルセデスぅ!そんな高級なのを頼まなくてもと、びびったが頼んでしまったものはしょうがない。程なくやってきたベンツの3シリーズに乗りこむと、ちゃんと料金メーターがついておりリムジンではなく普通の一般的なタクシーのようである。今まで気づかなかったが、道行く車をよくよく観察してみると、パリ市内を走っているタクシーは圧倒的にベンツが多い。生まれて初めてベンツの後部座席に乗ったが、何か偉くなったようでとても得した気分である。今回は迷うこともなく、他の研修生と一緒に泊まるFT指定のホテルに20分くらいで到着し、ベンツゆえの追加料金を取られることもなく\1000円くらいの乗車料金を払ってホテルにチェックインする。部屋へ行ってポーターにチップを渡して帰すと、早速部屋のチェックを行う。広さも広いしクローゼットもたっぷりあるし、何と言ってもバスタブがあって熱いお湯が出る。十分である。以前は単独経営のホテルだったらしいのだが、最近有力ホテルチェーンのNOVOTELの一員となったようで、設備もサービスも万全である。更に我々はFTの紹介による特別価格で、一泊朝食込み\8,000円くらいである。気に入ったので、下記に紹介しておく。

NOVOTEL : 257-263, rue de Vaugirard-75015 Paris. TEL (1) 40 45 10 00

13時の集合まで3時間ほどあるので、久々の熱いシャワーを浴びてバスタブに体を浸し、1時間ほど仮眠をとって田中さんと一緒にホテル2階のレストランへ昼食を摂りに行く。げげっ、ここも結構高いぞ。単品のメニューで\2,000円くらいからである。今日は仕方ないがそのうちホテルの近くに安い店を探さなくては。

その後身支度を整え、13時になったので集合場所のロビーへ降りる。見るとそれらしいスーツ姿の同年代くらいの人々が三々五々と集まってきている。恐る恐る「Are you a JME participant ?」と尋ねると「Yes」と答えがあり、それからは芋づる式にぞろぞろとお互い自己紹介をし合う。下記に今回の参加者13人を紹介する。

勿論、上記全員をその場で覚えられるわけもなく、はっきり言って自己紹介直後は誰が誰やらどこのキャリアやら、さっぱりわからない状態であった。そうこうしているうちに、先週会ったFTのClaudetteおばさんが迎えに来て、全員に1週間有効のメトロの乗り放題券を配布する。しまった、こんなことなら回数券を買うんじゃなかった。人数を数えて全員居ることを確認すると、いよいよぞろぞろと地下鉄に乗ってFTへ移動である。移動しながらヨーロッパ人同志は早速色々しゃべっているので、最初が肝心ここでがんばって溶け込まなければと、勇気を出して一人でおとなしく歩いている金髪女性に話しかける。「やぁ、君は確かスウェーデンのMarieだったよね。」「えぇ、そうよ。」「君の名前だけはちゃんと覚えているよ。何故なら君は僕が名前を聞いた最後の人だからね。他の人の名前はこんがらがってぜんぜんわからないよ。」というと受けたらしく、笑いながら「私もよ。もう誰が誰やら。まず最初の仕事は名前を覚えることから始まりそうね。」と会話の糸口がつかめた。その後も、「パリのこれくらいの気温は北欧の君たちにとっては暑いくらいじゃないの?」というような無難な天気の話など、他愛もないおしゃべりをしているうちにFTに到着した。こうやってなるべくたくさん話して英語に慣れていかなければ。

FTに到着すると早速会議室に通され、浅黒いアフリカ系の女性が入ってくる。名前を言っていたが聞きなれない名前だったのでよく分からなかった。こちらが席に着くのもそこそこに何やら英語でしゃべり始める。しかも結構速いぞ。まだ耳が慣れていないせいか、ついて行くのがやっとである。話の内容は、民族によってそれぞれ習慣や考え方が違うので、ある民族にとっては常識だと思うことがほかの民族にとっては逆だったりするというような話から始まり、それぞれの民族の考え方の特徴を具体的例を挙げながら話している。例えば、仕事で取引先とあって自己紹介をするときに、イギリス人は自分の趣味や家族のことも話すが、ドイツ人はそうではなく単刀直入に仕事の話に入っていくとか、会話をするのに適した距離は、北欧では腕を肩の高さでまっすぐ伸ばした指先までの距離なのに対して、南欧ではひじまでの距離であることなどを、実際に各国からの参加者に確認しながら話してくれた。余談だが、ある夜JMEメンバの数人にディスコに行こうとしきりに誘われたのを断っていたら、イタリアのMarinaがこの「ひじの距離」まで顔を寄せて「Yuichi, Please」とモーションを掛けられて、うれしいやら困ってしまうやら、いやぁまいったまいった。結局行かなかったけれども。それはさておき、最初は各国から集まってきているので、まずカルチャーの違いを説明してからオリエンテーションに入るのかと思いきや、こんな具合で時間はどんどんたっていくばかりである。事前にもらったAgendaでは、この日の午後は「France and Frenchman」というカリキュラムになっていたので、ずいぶん長い前置きだなぁと思っていたら、後で分かったことだが、これが本日午後半日のカリキュラムである、社外講師による「異文化理解」のセミナーであった。急遽テーマが変更になったらしい。普通、我々の感覚では、まず到着したらFTの国際部門か研修部門の責任者が出てきて挨拶があり、研修カリキュラムの説明があって自己紹介をして、という段取りだろうと考えていたのだが、いきなりしょっぱなから意表を突かれてしまった。あなどりがたし。異文化というと、やはり彼らにとっては日本が最も興味の対象らしく、ディスカッションのときなどは我々に質問がバンバン飛んでくる。中でも彼らを驚かせたのは、我々には昼休みが一時間しかなく、しかも食後のコーヒーを一緒に楽しむことなく20分くらいで食事を済ませ、後はバラバラに買い物や立ち読みに行ったりコンピュータでゲームをしたりしているという話をしたときである。通常彼らは昼休みが2時間あり、同僚や上司と一緒に食事をゆっくりとって、食後もコーヒーを飲みながらじっくり話をしているとの事である。「じゃぁ、仕事の話しや職場のコミュニケーションはいつやっているの?」との問いに「アフターファイブに酒場へ飲みに行ってコミュニケートしているんだ。」と答えると、何人かはあぁ聞いたことあるというような反応を示している。「その時は奥さんも一緒に来るの?」「No」「じゃぁ奥さんはその間何してるの?寂しくないの?」と立て続けの質問で、答えるたびにどよめきがあがる。やはり彼我のカルチャーギャップは相当のものがあるようだ。アメリカでの会議のときもそうであったが、研修の間はずっと部屋にミネラルウォーター、コーヒー、ジュースなどの飲み物類と、クッキー、マフィンなどの軽食が置いてありいつでもつまむことが出来る。実に良い習慣である。私は太らない体質なので思いっきりご馳走になったが、彼らが太るのも分かる気がする。

そんなこんなで、初日から午後半日19:00くらいまで丸々英語の受け答えで疲れ果てたところ、更に追い討ちを掛けるように、今夜はFTのご招待によるWelcome Dinnerがあるという。うぅ、この上また横めしかぁ。とほほ(>_<)早くホテルのベッドで横になりたい。しかし折角のご招待なので気合を入れ直して徒歩でFT近くのフレンチレストランへ、またぞろぞろと移動する。レストランへ着くと、先ほどの講師が「日本人はすぐくっつきたがるからToyoshiとYuichiはあっちとこっち」といきなり引き離されてしまう。うぅむ流石プロ、よく分かってるじゃないか。後は適当に男女が互い違いに隣り合うようにして着席する。落ち着いて店内を見ると、それほど広くはないが老舗らしいなかなか立派な丁度類の雰囲気のいいレストランである。早速何人かが記念撮影を始めたが、生憎カメラをホテルにおいて来てしまっていたので、「しまった!今日はカメラを置いてきてしまったよ。」と言うと、前に座っていたChristerがすかさず笑いながら「君は本当に日本人か?」と突込みを入れる。やはり日本人=カメラというのは世界の常識だったのか! 一通り落ち着くとおもむろに給仕がワインをついでまわる。本場フランスの赤ワインである(当たり前か)。すぐ乾杯かと思ったら、先ほどの講師が能書きを述べ始める。「ワインは3段階で楽しまなければならない。まずグラスの中で揺らしてみて、しずくがグラスの内壁に沿って流れ落ちる軌跡(Legと表現していた)を目で楽しみ、次に鼻に近づけて香りを楽しみ、最後に少し口に含んで舌の上で転がして味を楽しむ。がぶがぶ飲んではいけない。はい一緒に。」まるでワイン教室に来たみたいである。その後、前菜、魚料理、中休みのデザート、肉料理、ケーキ、コーヒーとコースが進んでいった。会話に神経を集中していたので、残念ながら中身はあまり覚えていない。かろうじて覚えているのは、前菜に各種チーズやフォアグラがあったこと、魚料理は何かの魚のパイ包み焼きだったことくらいである。後で思い返すと結構豪華なフルコースだったと思うのだが、会話に気を取られずにもう少ししっかり堪能しておけばよかった。最後に記念写真をとってお開きとなったのだが、20:00くらいに始まったDinnerが終わったのは23:00くらいで、後は速攻でホテルへ帰り風呂に入って寝てしまった。初日の緊張のせいもあり、非常に疲れる一日であった。

<Welcome Dinnerの風景>

1997.10.21 Tue(GMT)

7時頃起きてレストランへ行くと、丁度JME参加者の面々が集まってきて思い思いにテーブルについて朝食を摂るところだった。「Mornin'」と挨拶を交わして空いている席に着くとボーイが飲み物を聞きに来たので、迷わずキャフェオレを頼む。すると両耳の付いたスープ皿ほどのでかいカップに、両手に持ったコーヒーとホットミルクのポットから並々と注いでくれる。おまけにそのボーイが15〜16のあどけなさの残る金髪美少年なのである。映画みたい。食事そのものはバイキング形式で、パン、卵、ソーセージ、ベーコン、ジュース、シリアル、フルーツと何でもそろっている中から好きなものをいくらでも食べられる。うれしいのはチーズの種類が豊富で、自分で好きなだけナイフで取り分けられることである。カマンベール、モッツァレラ等大好きなものを好きなだけとって、バケットやクロワッサンにたっぷりつけて食べることができ、もう最高の気分である。昨日までの通り沿いのキャフェでの質素なコンチネンタルとはなんという違いだろう。因みにこれは別の日の朝食の時の話だが、周りに赤いワックスが塗ってあるチーズを私がそのままスライスして食べていると、Michaelが意味ありげに「Yuichi、おいしいかい?」と聞いてきた。え?なんでそんなこと聞くのと思いつつ、「勿論。フランスのチーズはどれもおいしいね。」と答えると、「その赤いのは食べないほうがいいよ、プラスチックだから」と教えてくれた。げげ、とんだ恥をかいてしまった。これだから貧乏人は困る。今度から注意することにしよう。

朝食が終わると一旦部屋へ引き上げ、身支度を整えてロビーに集合し、揃ってFTへ向かう。この頃はまだ研修始めなので集まりは比較的スムーズである。今日も行く道々誰かと話をしながらメトロと徒歩で移動する。どの日に誰と何の話をしたか覚えていないのだが、確かこの日はオランダ人ペアと一緒だったような気がするので、長崎にあるハウステンボスの話をした。長崎は鎖国中もオランダと交流があった関係でオランダ王室から許可をもらってこのテーマパークを作り、日本ではディズニーランドと並び賞されるほどの有名な行楽地であると説明すると、とても喜んでいた。また、「YuichiのHoise Ten Bochの発音はとてもよいね、特にBochのところがいい。」と言ってくれたので、「TVCFでネイティブのオランダ人が言っていたからだよ」と答えたら笑っていた。う〜ん、最初はヨーロッパ人と何の話をしたらよいか分からなかったが、何でも話のネタになるもんだ。但し、以前から気になっていた「さまよえるオランダ人」の伝説について質問したのだが、これについては分かってもらえなかった様だ。直訳で適当に"Wandering dutch sailor man"とか聞いてみたのだが、多分全然違う表現なのであろう。あと、Anneloreが事あるごとに"dutch Woman"とか"dutch company"と言っていたので、いつか機会を見つけて"Dutch Wife"というのは本当にあるのかと聞いてみたかったのだが、こればっかりは聞かなくて良かった。何故なら後で分かったことだが、Anneloreはこの方面に関してはかなりの潔癖症で、SEX産業関係は全くNGだったからである。(もし聞いたらきっと怒り出して数日は口を聞いてもらえなかったに違いない)

FTに到着すると、午前中は「International strategy of FT」(FTの国際戦略)と「Organization of the Regional Directorate」(地域部門の組織体系)の講義である。この辺は専門的な話になるので、内容については割愛する(勿論、会社への報告書ではちゃんと報告したが)。講義が早めに終わり、午後はパリ市内の別のFTオフィスでの講義なので、昼休みを含めて3時間ほど空くという話を聞くや否や、何人かが「市内観光をしたいのでこれから有志で早速出かけて、観光後に時間までに自分たち自身でそこまで行く。」と言い出す。おいおい、いきなりかよ。研修なのにいいのかな?それにしても少しのチャンスでも生かして貪欲に観光をしようという意欲と言うかポジティブさはすごい。やはり我々日本人の感覚とはかなり異なる。まだまだこれからも驚くことがたくさん起こりそうである。

ともあれ残っていては損なので早速全員その話に乗り、みんなの希望でありかつ手近な観光場所であるノートルダム寺院まで行くことになる。やった!日曜日に無理して行かずに良かった。らっきー。FTを出ると路線図を頼りにメトロを乗り継ぎ、ノートルダムまで行く。こういう場合に地図を見ながら先導するのは大抵AnneloreかMichaelである。他のメンバーは殆どおしゃべりに夢中でただついていくという感じである。これは滞在中ずっと見られた傾向であった。

<ノートルダム寺院>

ノートルダムに着くと、みな思い思いにカメラを出して写真を撮り始めたので、私も持参したデジカメで写真を撮った。するとたちまち、「あ、それデジタルカメラじゃない?」「見せて見せて」「すご〜い!」「日本製?」「いくら位するの?」と囲まれて人気者になってしまった。やはりヨーロッパではまだ高価であまり普及しておらず、珍しいらしい。特にBillは気に入ったようで、帰るまで売ってくれと頼み込んできていたが、PC接続キットを持って行っていなかったので、売ってしまうと折角撮った写真が取り出せなくなるため断った。広場には観光客目当ての物乞いの子供たちがうろうろしており、スリなども居そうな雰囲気なのでちょっと警戒してカメラを早々にしまう。ノートルダムの内部もサクレクール同様荘厳な雰囲気で礼拝が行われており、その中を静かに見学して回る。しかし途中で何やらツアーらしき東洋人のおじさんおばさんの一行に出会った。いやな予感を抱きつつ観察していると、ガイドさんが日本語で解説している。あぁ、やっぱり。どこへ行っても日本人の団体ツアーに会わない事はないんだよなぁ。団体でぞろぞろ見てまわるよりは、先日の土日みたいに、自分で好きなところを臨機応変に見て回って、じっくり見たいところがあったらそこに時間を掛けて残りを短縮するとかして、自由に観光したほうがよっぽど楽しいと思うのだが。「Yuichi、あのガイドが話してるのは日本語だろ?何て言っているのか僕らに解説してくれよ。そしたら我々はガイドなしで観光できるから。」とAndyにからかわれてしまった。

ノートルダム寺院観光後は、門前のキャフェで思い思いのランチを摂る。私は昨夜のディナーと今朝の豪華な朝食でおなかがあまりすいていなかったので、軽くクロックムッシューとミネラルウォーターを注文したが、「ガス入りかガス抜きか」と聞かれた。え?と思ったが無難そうなガス抜きを頼むとVittelが出てきた。後で知ったのだが、Perrieなどに代表されるガス入りのミネラルウォーターも結構ポピュラーで必ずどちらか指定してオーダーするのだそうだ。ランチが終わると、みな勘定をバラバラに払い、口々に「領収書をくれ」と言っている。これも後で色々話してみて分かったのだが、我が社とDeutche Telecom以外は、出張中の食費は全て会社が払ってくれるので、帰国後の清算に領収書が必要なのだそうだ。戦勝国と敗戦国の違いか(^^ゞ。あ、でもTelecom Italiaも会社持ちだと言っていたなぁ。

昼食後またぞろぞろと連れ立って、メトロでFTの別のオフィスに行く。今度のカリキュラムはMass Market Agency(一般個人顧客向け営業部門)の見学である。オーダー受付(日本の116)や故障受付センター(日本の113)、局内の加入者配線システムなどを見学し、個人市場向けの営業戦略や組織体制の講義を受けた後、実際の販売窓口へ行ってカウンターでの接客の様子や商品の展示の様子などを見学した。FTには世界に誇るMinitelという情報サービスがあるが、これがなまじ普及しているために世界的な流れであるインターネットの普及に乗り遅れた形になっており、インターネット関係の展示と販売に力を入れているようであった。それにしても一般のお客さんがいる店頭に、あんなぞろぞろ13人も行ってうろうろして、はっきり言って迷惑ではないのだろうか。前半の講義では彼らのCS(顧客満足度)は100%近いと自慢していたが、窓口がいくつかあるのに担当者は一人しか居らず、料金支払いのお客さんの長い待ち行列ができていたことなどを考え合わせると、あまり顧客へのサービスを真剣に考えているようには見えないのだが。

<Minitel端末>

午後のカリキュラムも無事終わり、現地解散でホテルへ帰って、さぁ夕食はどうしようかということになった。実は歴代のJMEの慣わしで、毎晩日替わりでそれぞれ各国の参加者がホスト役となって、その他の参加者を自国の料理でもてなす”Country's Night”という慣習ができており、我々も一晩だけは会社経費で皆さんをご招待するだけの予算を与えられていた。他のメンバも皆歴代の参加者から申し送りされているらしく、暗黙の了解事項としてきわめて自然に今日は誰がご馳走するかと言う話しになり、結局イタリアンペアが手を挙げて、今日はあっさりイタリア料理ということになった。店を探して予約するからということなので、一旦部屋へ引き上げシャワーを浴びてリフレッシュしてからロビーに集合する。それからぞろぞろとメトロで移動してシャイヨー宮近くのトロカデロ駅で降り、エッフェル塔を眺めながらセーヌ側沿いに移動する。ずいぶん歩いたので、降りた駅を間違えたんじゃないかと思っていたが、そのうちAndyら何人かが道路脇を指差しながらダイアナがどうのこうのと言っている。ダイアナ、ダイアナと呼び捨てにしているので、最初はぴんとこなかったが、指差すほうを良く見てみると何だか見覚えのある地下道の上に、花がたくさん供えられている。突然あっと気がついた。何ヶ月か前にイギリスのダイアナ元皇太子妃がドディ・アルファイド氏と一緒に交通事故で亡くなった現場ではないか。ここに来るためにわざわざ回り道をしたのか。しばし全員で黙祷をする。

<ダイアナさんの事故現場>

イタリアレストランはそこからすぐ近くのこれまた高級そうな店であったが、今日もおごりなので気楽なものである。横めしとは言え、懐の心配をせずに食事ができるのは精神衛生上非常に良い。メニューは全てイタリア人ペアにお任せであったが、これまた日本では食べられないようなおいしいイタリア料理のコースであった。特に印象的であったのは、メインに出てきた小羊のソテーと、チーズのぎっしり詰まったラビオリをクリームソースで和えたもの、それから食後のエスプレッソとティラミスである。ティラミスなどはサイズがものすごく大きく、日本の豆腐一丁分くらい大きさであり食べきれない人も居たのだが、私は大好物なので全部平らげてしまった。「日本でもティラミスはメジャーで私の大好物だが、これは今まで食べた中で一番おいしかったよ」というと、Marinaは「正しい発音はてぃらみすぅ〜よ、ティラミスゥ〜」等とはしゃいでいた。一番最後に「これは寝酒にいいんだ」といって小さなお猪口みたいなガラスのカップに入ったリキュールが配られたが、あまりに強すぎて私は飲むことができなかった。そんなこんなで今日もグルメな夜は更けていき、帰りに有名な"Crazy Horse"(踊子のショーがあるナイトクラブ)の前を通ったので、何人かは勢いで入ろうかとしていたが、結局そのまま全員で11時頃にホテルに戻った。

もう一度シャワーを浴びて、本当はそのまま寝たかったのだが、そろそろまた日本にメールを送らんといかんなぁと思い、ごそごそと準備に取り掛かる。メール自体は自分の職場と国際本部、その他知人数人宛に近況を簡単にまとめるだけですぐ書けたのだが、今度のホテルは肝心のデータポートがなく電話機は屋内配線直結のため、RJ-11のモジュラープラグでネットワークにつなぐことができない。仕方がないので、重いベッドを動かし、配線を手繰り寄せて接続点を探し出したのだが、さらに困ったことにPBXなので接続点が4極ある。こんなこともあろうかと日本から持参した鰐口クリップ、リード線、片端フリーのRJ-11ケーブル、モデムセーバーなどを使って丹念に極性チェックを行ってやっとモデムに接続することができた。なんか外国のホテルでこんなことやってるとスパイ映画みたいである。

<持参した7つ道具と悪戦苦闘の様子>

物理的な接続ができたので、パリにあるCompuserveのAPへ接続してそこからNiftyへ乗り入れようと試みるが、何せ鰐口とリード線で接続しているために回線品質が悪く、ネゴシエーションの段階で切断してしまう。5回目くらいでやっとログインでき、とりあえず急いで送るもんを送ってしまう。折角気に入っていたホテルなのに、これから滞在中毎回これで接続するのかと思うと少し気が重い。少しかさばるけどカプラーを持ってくるんだった。次回からはあまり苦労しないで済むよう、接続点を少しベッドの隙間から引っ張り出しておき、導通のあった端子に印をつけておいた。そんなこんなで結局寝たのは2時過ぎになってしまった。

1997.10.22 Wed(GMT)

今日は丸一日掛けて、各国参加者が順番に自社の概要を紹介してディスカッションする"Companies presentation"の日である。内容について特に事前の指示はなかったので、みな思い思いのスタイルでプレゼンをやっていたが、いずれも自社の紹介と言うよりは自己紹介のほうに力を入れていたような気がする。折角一生懸命組織体制とか、サービス内容とか、再編の説明をする準備をしてきたのにオーバースペックだったような。Andyは車好きらしく自分の赤いスポーツカーを自慢していた。面白かったのはドイツ人3人がそれぞれ自分の町の紹介をするときに、申し合わせたように自分の町の教会の写真を示して「町で一番高い建物だ」と自慢していた事である。いよいよ我々の順番になると、まず例のレターオープナー付き二穴パンチを名刺と一緒に配り、代わりに彼らの名刺をもらって回った。正直言ってこの時点ではまだ名前と顔が完全に一致していなかったので、早く彼らの名前を把握しておきたかったのである。「We give you a present, but don't give us any question in our presentation」と述べて、ちょっとした笑いを取ったのでそのままプレゼンに入ろうとしたが、皆珍しそうにレターオープナーをいじり、Billなどは手近の紙を突っ込んで突然カッターが回り始めたので大げさに驚いている。「おいおい、試すのは自由だけど、僕の名刺では試さないでくれよ。」と言うと場内爆笑、今度こそつかみはOKという感じで、ようやく聞いてもらえる体制が整った。我々もご多分に漏れずまず自己紹介から入る。「日本の場所はここで、私が生まれたのはその西の端の熊本で、阿蘇山と言う世界最大のカルデラを持つ火山が有名で」としゃべっていると、「カルデラって何?」と言う質問が出てきたので、早速傍らのイーゼルを使ってカルデラの生成過程を説明する。地球科学科出身の面目躍如である。電気通信関係の研修とは思えない(^^ゞ。しかし、この話しが興味を引いたらしく、その後も乗って話を聞いてくれたし、後日も「カルデラの話は面白かったよ」と言ってくれる人もいた。またAndyに負けず私も自分のSERAの写真を自慢し、「車が好きで、フランスにはルノー、プジョー、シトロエン、イタリアにはフェラーリ、イギリスにはローバー、ドイツにはメルセデス、スウェーデンにはボルボと、各国にいい車があるのでうらやましく思っている。」と言うと、皆うれしそうな顔をしていた。その後途中まで我が社の概要の説明をし、後半を田中さんにバトンタッチして無事1時間ほどのプレゼンテーションを終えた。手前味噌になるが、このときのプレゼンは非常に好評で、後で何人かに「Yuichi、君のジョークは面白かったよ。日本人はまじめ一辺倒かと思っていたけど、ユーモアのセンスもなかなかだね。」と誉められてしまった。評価の対象がちょっと違うような気もするが。

昼休みになると、Claudetteおばさんにもらったミールクーポンを持って、またぞろぞろとFTのキャフェテリアへ昼食に行く。キャフェテリアには、パン、サラダ、スープ、パスタ、肉料理、魚料理、デザートと何でも揃っており、バイキング形式で好きなものを取ってレジで清算する。何と飲みきりサイズのワインの小ビンまであったが流石に飲んでいる人はそうそう見かけなかった。甘いものが好きな私は、毎日デザートにプディングとかティラミスとかケーキを取っていたのだが、「Yuichiは甘いものが好きねぇ」とCarolineにしっかりチェックされてしまっていた。わいわいとみんなで楽しく昼食を摂った後は、奥のキャフェへ移動してエスプレッソ片手にまたおしゃべりである。エスプレッソは最初は濃すぎるかなと思っていたがそのうち慣れてしまい、帰国してしばらくは日本のコーヒーは薄すぎて飲めなかった。しかし、毎日会ってずっと一緒に行動しているのに、ぜんぜんおしゃべりのネタが尽きない。これじゃぁ確かに昼休みが2時間ないと足りないな。この日は前夜のメール送信の苦労話をしたところ、Carolineが「私達もBTへメールで報告しなければならないので、Andyが苦労してやってたけどうまく行かなかったの。よかったらあなたの部屋へお邪魔して教えていただきたいわ。」と言うので、その場は深く考えずにOKした。しかし後で「しまった。深夜のホテルで男女が2人きりで同じ部屋というのはまずいんじゃないか。まだ研修も始まったばかりだし、ここは軽率な行動は慎まなければ。」と考え直し、Andyに「Carolineがこう言っているけど、こういう理由で二人きりはまずいし、君にも関係ある話だから立ち会ってくれないか。」というと快くOKしてくれた。ところが結局この件については、その後2人からは何の話もなかったのである。後で分かるのだが、Carolineは今回の研修にかなりアバンチュールと言うか羽目をはずすことを期待していた節があるので、下心があったのかもしれない。しまった、変に構えずにOKしておけばよかったと臍をかんでも後の祭である。

午後も和気あいあいとした中でセッションが進み、質問やジョークも活発に飛び出したので予定を大幅に超過し、この日も19:00くらいまでかかってしまった。これから店を探して予約するのも大変なので、今日は”Country's Night”はお休みし、みんなで適当にどこかへ出かけて食事することにする。結局モンマルトルの丘へ行くことになり近くまでメトロで行って丘を登って行ったのだが、妊婦のMichaelaは大きなおなかを抱えてかなり苦労しながら歩いている。こんな大事な体の人を研修によこす会社も会社だなぁと心配したのだが、ヨーロッパの人は妊娠していても結構ぎりぎりまで動き回るので、当たり前のことなのだそうである。また本人も強く参加を希望したらしい。ヨーロッパにも勿論産休制度はあるが、長く休んでしまうと職場でのポストがなくなったり仕事について行けなくなってしまったりするので、休むのは本当に出産する前後の1週間程度、速い人だと3日くらいしか休まないそうである。偉いというか厳しいと言うか。また一つ文化の違いを学んだ気がする。

モンマルトルの丘で、画家たちが思い思いに風景を書いたり道行く人を捕まえては似顔絵を書いたりする中をのんびり見物して回った後で、一軒の大衆居酒屋兼ファミリーレストランみたいな格式ばっていない店に入る。割り勘にするのだろうからあまり高いのを頼むと申し訳ないなと、チキンのソテーに付け合せとパン、スープのついた定食みたいなのを頼む。流石に女性陣は軽めのパスタ系のものを頼んでいたので、清算のときは男性と女性で額を分けて集金していた。昨日はClaudetteおばさんなどFT側の年配の人も居たが、今日は純粋に同年代の若い連中ばかりである。そうなると当然出てくるのが夜の話である。Billが「Yuichi、僕は日本のカーマスートラーというのを知っているよ。」と言うと皆くすくす笑っている。何の事かわからずにしつこく聞いていたら、Daniloが実演で明快な答えを示してくれた。まず右手でナイフの柄のほうを下にしてテーブルに立て「これが男だ!」、次に左手でフォークの先のほうを下にしてテーブルに立て「これが女だ!」。なぁるほど。しかし、後で調べたら「カーマスートラー」というのはインドの性に関する経典のことだったので、そのことを皆に告げると「てっきり日本の教科書だと思っていたよ」と意外そうにしていた。やはりヨーロッパ人たちは東のほうの国をかなり混同しているようである。

<モンマルトルのレストラン>

その後ぐるっと回ってサクレクール寺院を外から見物する。夜の暗闇にくっきりと浮かび上がる白亜のサクレクール寺院もまた格別である。十分堪能した後、下りはケーブルカーを利用しピガール通りまで一気に降りてメトロでホテルへ帰った。

<夜空をバックに浮かび上がる白亜のサクレクール寺院>

1997.10.23 Thu (GMT)

今日と明日のカリキュラムは、丸二日掛けてのビジネスゲームである。3〜4人で1チームとなり、仮想的な会社を作って長期/短期の資金借り入れをし、設備投資を行って色々な製品を生産して市場へ売り出すというシーケンスを10年分くらい繰り返す。丁度、子供の頃に興じた人生ゲームや億万長者ゲームみたいなものである。私はBillとClaudiaとの3人チームである。

<Business Gameの風景>

まず私が、資金力をつけるために短期で生産できる製品を一気に作って売りさばき、稼いだ資金で利益率の高い大物製品を作ろうという戦略を立て、他の2人の賛同を得られたのでそれに基づいて事業を進めて行く。講師のPhellipeの指示により4半期ごとにバランスシートをつけ、1年が終わった段階で各会社が集まって市場取引を行い、利益を計上して次年度資本へ繰り越す。ただでさえ分かりにくい経済用語を英語で説明されるので、最初のうちはバランスシート記入のための計算が非常に面倒で苦労したが、2〜3年分もすると同じ事の繰り返しなので慣れてきた。Claudiaは「私は計算は苦手だから」と最初から逃げてるし、BillはBillで何回説明しても、毎年同じ欄の記入で「何でここはこういう計算になるのか?」と聞いてきて「それは去年説明したろう」と同じ説明をしなければならないし、かといってその場で納得するだけで説明した計算式をメモる事もしないので計算は任せられないしで、結局一人でZAURUS片手にひたすら計算する羽目になってしまった(上の写真で私の前にZAURUSがあるのはそのせい)。面白かったのは、BillはBillなりに自分の考えに絶対の自信を持っており、いくら私が「そうじゃなくて正しくはこうだ」と説明しても受け入れてくれない。結局いつも最後は講師に聞いてみようということになり、「Phelllipe!」と呼ぶことになる。ここからが面白く、Phellipeは「Bill、そこはもう20回も説明したろう」(してないしてない(^^ゞ)と言って説明するのである。どうやらこれが彼の口癖らしい。流石のBillも講師が言うと大人しく納得していたが、いちいち悩むのでなかなか先に進まない。最初の説明をちゃんとメモってればこんなことにはならないのに。そうは言ってもClaudiaはその明るく素直な性格と美貌で場を和ませてくれたし、Billは他社との交渉ごとになると滅法強い。私が理詰めで相手を説得しようと、交渉の席でしかつめらしく説明していると、後ろから勢いでわーっと話して何が何だか分からないうちに相手を煙に巻いて交渉を我々に有利なように成立させてしまう。Daniloなどはこれにまんまと引っ掛けられて、後でチームのメンバに怒られていたみたいである。流石オランダ商人の真骨頂といったところであろうか。昔から7つの海を股に掛けて貿易をやってきただけのことはある。

余談になるが、デジカメに続きZAURUSにもみんなが興味を示してくれ、これとは別に昨日のプレゼン用にLibrettoも持って行っていたので、「Yuichi、君は本当にGadget(電子小物)が好きだなぁ」とみんなから感心されてしまった。Michaelなどは興味を示していじったついでに、アドレス帳に自分の名前と住所、電話番号、生年月日を自ら入れてくれた。

3年分くらい回って一段落したところで丁度18:00近くになったので、その日のカリキュラムを終了し、一旦ホテルへ帰ってシャワーを浴びた後に夕食へ出かける。今日はドイツ料理の日である。レストランへ行く道すがら、たまたまClaudiaとMichaelと一緒になったので「実はドイツ料理を楽しみにしていたんだ。特にサラミソーセージとザウワークラウトが好きでぜひ本場のを食べてみたかったんだ。何で好きなのかというと子供のころ読んだ『ホッツェンプロッツ』という童話に出てきたんだよ。」というと「ホッツェンプロッツ!! 日本にもあるのか。それはすばらしい!!」とひどく驚いていた。また、妹がルードビッヒU世のファンで、ノイシュバンシュタイン城へ行きたがっていると言うと、『そのときは泊めて案内してあげるよ』とまで言ってくれた。メニューは当然ドイツビールに始まり、お楽しみのザウワークラウト、多種多様なソーセージ、付け合せのジャガイモたっぷり(そういえばホッツェンプロッツでも、ひたすらジャガイモの皮をむいていたなぁ)といったドイツ尽くしの内容で、大満足であったが全体的に油濃くて少々もたれてしまった。Claudiaも後でこっそり「残念だけどあれは本当のドイツ料理じゃなかったわ。ごめんね。」と打ち明けてくれた。たまたまテーブルではMichaelの隣の席だったので、乾杯の後「僕の昔のボスがスイスのITU総会で覚えてきたドイツ式の乾杯だと言って『チクサクチクサクホイホイホイ』とか言うのをやっていたよ」と言うと、大笑いしながら「はっはっは、そうじゃなくて『ジゲザグジゲザグホイホイホイ!』だよ。でも何でそんなこと知ってるんだ? Yuichiはドイツのことを色々知ってるんだなぁ」と感心していた。

1997.10.24 Fri(GMT)

今日はビジネスゲームの2日目であるが、その前にClaudetteおばさんが相談があると言う。今度の日曜日はどこかへ観光に行くイベントとして、ユーロディズニーランドかパリ郊外の城を巡るかの案を考えているが、どちらがいいかと聞くのである。私は「ディズニーランドは所詮ディズニーランドで、世界中どこへ行っても同じなので、折角ならパリならではの城を見て回りたい」と主張し、Caroline、Claudia等数人が賛成してくれたのだが、大多数は「小さい頃から遠足などでしょっちゅう城へ行っているので、まだ行った事のないディズニーランドへ行きたい」と言う。結局圧倒的多数でディズニーランドに決まってしまった。残念。その後本来のカリキュラムに入り、昨日に続いてひたすら借金、設備投資、生産、交渉、販売を繰り返し3人で会社を運営して行く。結局10年分くらいのシーケンスを繰り返してカリキュラムを終了した。我が社は全5チーム中2位という好成績であった。

今夜は秘密のお楽しみがあるということで、早めに切り上げてホテルへ帰り、シャワーを浴びてロビーで迎えを待つ。程なくClaudetteおばさんと、初日から時々研修の手伝いをしているFTの若いCristyが迎えにやってきて、メトロとRER(郊外向けの長距離鉄道)を乗り継いでどこへともなくつれて行く。1時間ほどで着いたところは、何とユーロディズニーランドであった。あれ?行くのは日曜日じゃなかったのかな?事情もわからずあたりを見まわしていると、着いたのはユーロディズニーの駅だが、駅前に広がっているレストラン街みたいなところにずんずん進んで行く。レストランの並びのなかにはあの有名な「プラネット・ハリウッド」もあったが、更に奥に進み"Buffalo Bill"という看板のかかった大きなサーカス小屋みたいなパビリオンの入り口に並んで入場手続きをしてくれている。一人一人麦わらのテンガロンハットをかぶせられ入場すると、中も外見同様巨大なサーカス小屋か闘牛場のようなたたずまいであり、周囲に階段状に観客席がしつらえられてある。揃いのウエスタン調のコスチュームの係員に案内され席に着くと、鋳物のお椀と皿とカップが並べられている。

<階段状の観客席>

客全員が席に着くと案内役のピエロが数人出てきて掛け声を掛け、彼らの振る鞭の動きに合わせて客が鋳物のお椀をスプーンで打ち鳴らし始めた。すこぶる行儀が悪いが全員楽しんでいる様子なので私もそれに倣う。鞭の動きがだんだん速くなり、みんなが打ち鳴らす金属音がキンキン場内に木霊して頭に響く。Michaelaは胎響に悪いといっておなかを一生懸命ブルゾンやセーターでガードしていたのが気の毒だった。場内のテンションが最高潮になったとき、ステージの裏から馬に乗ったアメリカインディアンらしき一団が出てきてショーの始まりである。ショーのストーリーはお決まりのアメリカインディアンと騎兵隊の争いであったが、狭い場内を馬を操って所狭しと駆け巡り、曲芸めいたアトラクションもやってくれて大迫力であった。映画で見るのと生で見るのとではやはり迫力が全然違う。ショーの最中に、ウェスタンスタイルのウェイトレス(といってもおばさんだったが)達の手によって、先ほどのお椀や皿になにやら料理が注がれて行くのだが薄暗くて中身が良く分からない。食べてみるとお皿のほうはスペアリブ、お椀のほうは豆を煮込んだ副菜のようであった。料理は大味でイマイチだったが、まディズニーランドはどこもこんなもんだからと納得してショーのほうを楽しんだ。ショーが終わった後はエントランスホールへ出て記念写真を撮り、しばらくぶらぶらする。

<Buffalo Billのウェスタンショー>

BillとDaniloはすっかり舞い上がっており、なぜか私を引っ張り込んで3人で肩を組みフレンチカンカンを踊ってしまった。Billなどはいつまでも私と肩を組んで「Yuichi、my friend」とご機嫌であり、すっかり気に入られてしまったようである。Billとはすっかり打ち解けて親友となり、1年数ヶ月後にBillが日本に来たときにも東京で会ったが、そのときもこの友情は変わっておらず非常にうれしかった。

<3バカトリオのフレンチカンカン(左からDanili,Bill,筆者)>

ノリノリになった挙句に、もう十分遅い時間だったにもかかわらず、明日は休日なのでカラオケに行こうという話になる。実は初日からカラオケに行きたい、日本の本場のカラオケを教えてほしい、とせっつかれていたのである。え?店調べてないよと焦ったが、Daniloが見かけた店があるというので、一旦パリ市内へ戻ってその店へ行く。どこをどう行ったかよく分からなかったが、どうやらシテ島の北側あたりだったらしい(帰りの景色で分かった)。店の作りは日本のようなボックスタイプではなく、パブレストランみたいな感じで、ちらほらとグループ客がテーブルについている。そしてDJみたいな兄ちゃんに名前と曲名を書いた紙を渡して、順番が来たらわざわざ兄ちゃんがNHKのど自慢よろしくマイクで大々的に紹介してくれ、複数のグループ客がいる前でステージに立って歌うという実に恥ずかしいシステムである。さらに念の入ったことには、途中引っかかったり音程が外れたりするとすかさず兄ちゃんもステージに上がって一緒に歌ってくれるというサービスの良さである。大きなお世話という気もするが。フランスらしくシャンソンを歌っている客がいるかと思えば、自己陶酔しながらマイウェイを歌っているおっさんもいる。どこの国でも同じなんだなぁと感心。我がチームは、まずAndyとChristerが私の知らない歌を歌い、次は是非日本のラブソングを歌ってくれよとしきりにせがまれたので、田中さんとペアで「SUKIYAKI(上をむいて歩こう)」を歌う。1番は何とか字幕の歌詞を追って英語で歌ったが、何せ初めて見る歌詞なのでだんだん字面を追いきれなくなり、2番は日本語で歌う。しかし日本語で歌ったのがかえって新鮮だったらしく、他のグループからも盛大な拍手を頂いた。うちのメンバーも気に入ってくれたらしく、その後も滞在中時々鼻歌で歌ってくれていた。次に他グループの30代くらいの女性が二人で歌い出したが、Billが何か言いたげにしきりに目配せするので顔を近づけると、「あの女の目をこっそり見てごらん。焦点が定まっていないだろう。あれはドラッグをやっている目だよ。」とこっそり教えてくれた。その後各国のラブソングで何を知っているかと言う話になり、私が「ドイツのラブソングで、題名は知らないけど"Ich lieve dich eine kleine〜"っていうのを知ってるよ。でもそこしか知らないんだ。」と言うとMichaelが「はっはっは、そんな歌は知らないなぁ。でもその1小節だけでラブソングとしては十分だよ」と笑いながら答えてくれた。しばらく他グループの歌が続いて悔しいので、うちのグループの女性陣に歌うよう勧めるが、意外にも全く歌おうとしない。仕方がないので、Bill、Danilo、私の3名で"Hotel California"を歌う。なぜかこの3人でつるむことが多いなぁ。

<カラオケ店のステージで歌うAndyとChrister>

カラオケ店を出たのはすでに午前零時を回っていたが、Mrina等を中心にこれからまたディスコに行こうと言い出す。勘弁してくれぇ〜。意外だったのは、いつも大人しいMarieさえも「折角の週末なのよ。楽しまなきゃ損じゃないの。」と積極的だったことである。また前述の、ひじの距離からの「Yuichi please」攻撃もこのときのことである。そうは言っても流石に30代ともなると20代の若い連中のパワーにはついて行けない。おまけにディスコなんてここ10年くらい行っていないし、本場の連中と踊る自信もなかったので、何が何でも帰ることにする。田中さんと私が帰るというと、Claudiaもほっとしたように私も一緒に帰ると言い出し、他の連中となにか話していたAndyもこちらに寄ってきて、結局4人で帰ることになった。タクシーがつかまらないので、しばらく歩いてセーヌ北岸にほど近いタクシー乗り場に行くと、何と20メートルほどの待ち行列が出来ている。他にどうしようもないので最後尾に並んで待つことにする。途中Andyが「自然が呼んでいる。限界だ」といいながらどこへともなく用足しに行って笑わせてくれたり、道の向こうからぷらぷらと歩いてきた若者の二人連れが、最前列でしれっとタクシーに乗って走り去ったりと色々なことがあったが、待つこと1時間あまりようやく順番が回ってきた。ところが、やってきたタクシーはワゴンタイプであるにもかかわらず「4人は乗せられない。3人がリミットだ。」という。どうやら防犯上の理由らしい。Andyがずいぶん粘って交渉してくれたが運転手は頑として譲らないので、とりあえずレディーファーストでClaudiaと、エスコート役のAndyを先に行かせる。田中さんと二人残されたわけだが、それから次の車が来るまでが長い長い。周りにはがらの悪そうな若者もたむろしているし、真後ろの若者3人組みは日本人がどうのとか言いながら含み笑いしているし、思わず「パリに死す」とかいう映画のタイトルが頭をよぎったりしてびくびくものであった。実際に待ったのは5分程度であったろうか、おなじみの黒塗りメルセデスのタクシーがやってきて乗りこむと、運転手は人のよさそうなおばちゃんだったのでほっと安心してホテルの住所と名前を告げる。途中セーヌ側を渡るときに左手にシテ島のコンシェルジュリーが見えたので、セーヌ北岸の市役所近くに居たことが分かる。やっとの思いでホテルにたどり着くと、何故かディスコに行ったはずの連中がロビーにたむろしており、Daniloがロビーのピアノを奏でている。かなりうまい。聞けばディスコを見つけたには見つけたのだが、会員制か何かだったらしく「お前らは英語を話しているから駄目だ」と断られたそうだ。パリに来る前の噂では、「フランス人は自国語にプライドを持っているので、英語で話しかけても応えてくれない」と聞いていたのに、実際到着してからはずっと英語で何の不自由もなく生活できていたのでデマかと思っていたのだが、実際こういう社会の暗部?ではやっぱりこんなこともあるんだなぁと、複雑な気持ちになってしまった。元気な連中が「他のディスコを探そう」とか言い出しているので、桑原々々と部屋に引き上げたがその時点ですでに時計は午前3時を廻っていた。これじゃ体がもたんて(^^ゞ

1997.10.25 Sat(GMT)

昨夜寝るのが遅かったので、今日はのんびり起きる。とは言っても朝食が10時までなので9時半にはレストランへ降りる。案の定何人かの寝坊組が朝食を摂っていたので挨拶を交わして席に着くが、流石に今日はいつもと違ってみんな無口である。田中さんはすでにどこかへ出かけたらしい。私も部屋へ戻って手早く身支度を整え、一人ででもベルサイユを見学するぞと勇んでロビーへ降りたところで女の子達につかまってしまった。「城に行けなくなったので一人でベルサイユへ行くんだ」と言うと「何故Toyoshiと一緒じゃないの?」「彼はどうしたの?」「折角みんなで一緒にいるのに何で一人で行動するの?」と質問攻めにあい、「今日は休日で混んでるから今から行っても入れないわよ」「もうすぐDaniloとBillが降りてくるから、私たちと一緒に買い物に行きましょうよ」と強引に買い物に同行することにさせられてしまった。彼ら欧米人は個人主義だと思っていたのに意外な展開である。ふと横を見るとツアーで来たと思しき日本人が数名、所在なげに不安そうな面持ちできょろきょろしながらロビーの片隅で固まっている。きっとガイドかツアコンを待っているのだろうが、言葉がわからないので自分達だけでは不安なのだろう。ヨーロッパ人たちと軽口を叩きながらふざけ合っている自分に、ちょっと優越感を感じてしまう。

Caroline、Annelore、Bill、Danilo、私というメンバーで、パリ最大のデパートであるGaleries Lafayetteへ行く。それぞれお目当てがあるということなので、1時間30分後にまた集合することにして解散する。集合場所となる1Fには、日本と同じくたくさんの化粧品ランドが独自のブースを出しているのだが、シャネルやディオールに混じってShiseidoも高級感をかもしながらかなり広いスペースを取っていた。そう言えば海外では資生堂は高級ブランドなんだよな。私は特に目当てもなかったので、Billと一緒にぶらぶらと店内を見物して廻る。調理器具売り場に家内が欲しがっていたワッフル焼き機があったのでおもわずレジへ運ぼうとしたのだが、動作電圧が240Vであることに気づき、すんでの所でやめた。その後Billに付き合ってPC売り場に行き色々と教えてあげる。特に私の持っているようなデジタルカメラをほしがっていたが、価格が高いので結局あきらめていた。また結婚が近いらしく、結婚後に買うんだと言って家具売り場でウォーターベッドを熱心に眺めていた。最後に私の希望でおもちゃ売り場へ行き、フランス版のたまごっちを買う。当時はまだ日本では全く手に入らない状態だったが、ここには各種揃っている。色のきれいな黄色のスケルトンモデルと、日本でもっとも希少価値のあるホワイトを買った。価格は日本円で1個\2,200円くらいであり、日本とそう変わらない。Billもおそろいのスケルトンモデルを買っていた。

<フランス版たまごっち>

そうこうしているうちに時間になったので集合場所へ行こうとするが、Billが突然服を見たいと言い出す。時間が来ているので気が気ではなかったが、結構ぐるぐると見て廻った挙句結局なにも買わなかった。そう言えば1年後にBillが日本に来たときも、コートを買いたい(1月の真冬なのに何とコートを持ってきていないのである)というので、新宿の伊勢丹と三越につれて行ったのだが、あの時も結構見て廻った挙句なにも買わなかったなぁ。そんなこんなで集合場所に行ったときには既にAnnelore達はちょっとおかんむりで待っていた。遅れたことを謝り、「日本の女性はデパートに連れて行くと何時間でもうろうろして、なかなか時間通りには集まらないのに君たちはすごいなぁ」というと、「私達だって、いいって言われれば何時間でも居るわよ。でも今日は時間がないから、これとこれとあれって頼まれたお土産だけをさっと見て廻って、自分のは全然見ていないから早かったのよ」と答えてくれた。どうりで。自分のばっかり見ていた我々はちょっと後ろめたさを感じる。

集まった全員でデパートを出て、通りに出ているワゴンセールを見て廻っていると、Carolineがストローの刺さった紙コップからなにやらジュースを飲んでいる。「あ、いいなぁ。僕ものどが乾いたな。」と言うと、事も無げに「飲む?」と言って渡してくれた。ごく自然な動作だったのでそのまま受け取ってしまったものの、『え?これって、間接キスになるんじゃないの?それともストローをはずしてじかに飲んだほうがいいのかな』とどきどきしてしまったが、Carolineは特に気にしている風でもないのでありがたく頂戴する。日本人同士だと意識しすぎてしまってこんなことはないと思うのだが、驚くほどオープンと言うかあっけらかんとしている。ワゴンセールの中には日本でやっている実演販売みたいなものもあって、Daniloはまんまと載せられて、炭酸ジュースのペットボトルの口に取り付けるアタッチメントの注ぎ口3個セットを買っていた。役に立つとは思えないんだが。

その後モンマルトルのキャフェで遅い昼食を摂ろうということになり、メトロで移動する。サクレクール寺院の裏手にあるキャフェは、さすが休日ということもあってどの店も満員でなかなか空いている席がない。やっと見つけた屋外の席を前に、何やら相談しながら逡巡しているので「どうしたの?座らないの?」と聞くと、Daniloが「あの席の丁度横に日向と日陰の境目があるので、この後すぐ日陰になるんじゃないかと心配しているんだ。」という。「大丈夫だよ」というと「何でそうだと分かるんだ。根拠は?」と聞くので「僕は大学時代に地球科学を専攻して天体の動きには詳しいし、そうでなくても普通に考えれば分かるよ。いいかい、影はあの席の左側だよね。それで、あの席は南に面しているので太陽はこれから右のほうに動いていって、それに連れて影はどんどん左に離れて行くから大丈夫だよ。」というと納得してくれた。何事も他人の意見を鵜呑みにせず、必ず論理的な説明を求めるところがヨーロッパ人の特色のようだ。連日のご馳走でおなかに負担がかかっているので、軽くクレープとキャフェオレにとどめておくが、BillとDaniloは肉料理のランチをオーダーしていた。しばし日当たりのよい屋外でのおしゃべりと、のんびりした時間を過ごす。話の流れで、デパートで買った戦利品の披露会になったが、私が「たまごっち」を買ったと言うとヨーロッパでも有名だそうでみんな名前だけはよく知っており、早速ここで開けていじってみたいと言い出す。しょうがないのでOKすると、みんな変わりばんこに手にとって開けようとするがプラスチックのパッケージで頑丈に圧着されておりなかなか開かない。「待て待て慌てるなよ、ナイフを出すから。」とごそごそやっている間に、Daniloがパッケージを力任せにメリメリッと引き千切り、ポパイよろしく力こぶを作りながら自慢げに「さぁお嬢さんがた、どうぞ」と差し出しているではないか。おいおい持ち主は俺だぞ。オランダでたまごっちもどきを持っているというAnneloreが、「私にやらせて。私にやらせて。」としゃにむに奪い取って電源を入れる。無事誕生すると名前をつけようということになり、Daniloが「日当たりのいいSunny sideで生まれたから、Sunny sideと言う名前にしよう。でもYuichiの子供だから日本語でね。」(やっと僕のだと思い出してくれたか)「Sunny sideって日本語で何ていうの?」「ひなただよ」「よし、じゃぁ名前は『ひなた』だ。ハッピーバースデイ、ひなた」ということで変な名前になってしまったが、皆で歌を歌ってお祝いする。Anneloreが自らの希望で教育係となり、その後事ある毎にパラメータをチェックして「おなかが空いてて、しつけもちゃんとなってないじゃない。Yuichi、あなた駄目な父親ね。」と私を怒る。結婚したらすごい教育ママになりそうである。

その後付近をぶらぶらして帰ることにするが、Anneloreが「ひなた」に夢中だったため、Daniloが先頭に立って歩きいきなり迷ってしまう。皆でてんでに勝手な方向を向いてああでもないこうでもないと言っているので、私が「ちょっと待って。地図とコンパスで確認するから」と今居る場所と向かうべき方角をチェックすると、Anneloreが「Yuichiは何でも持ってるのねぇ」と感心していた。キミ達のほうがアバウト過ぎるんだよと言いたかったが。どうやら裏手のモンマルトル墓地のほうに降りてきてしまっているようなので、そのまま墓地の上を越えて丘を下って最短のクリシー広場からメトロに乗って帰ることにする。

ホテルに帰ると他のメンバーと合流して夕食に向かう。彼らがしきりに「アェフォータワー」と言っているので何のことかと思っていたら、話を聞いてみると「エッフェル塔」のことであった。日本式の発音は全然違うじゃないか。今夜はAndy達イギリスチームがご馳走する番だが、「ご存知のようにイギリス料理はうまくないし、イギリスにはインド料理店が沢山あってイギリスの味といえばインド料理だから今日はインド料理をご馳走するよ。」というよく分からない理屈でインド料理になってしまった。「それはインドがイギリスの植民地だったからかい?」と尋ねたが苦笑いしながら言葉を濁していた。触れてはいけない苦い歴史の1ページだったのかもしれない。店はカルチェラタンの付近にあり、店内はそう気取ってなくこじんまりしてアットホームな雰囲気である。コースは、サラダ、ナン、各種カリー、タンドリーチキン、ヨーグルト飲料のラッシー、熱いキャラメルの塊みたいなデザートである。インド料理というと相当辛いことを想像していたのだが、Carolineが気を使ってくれて辛いのが苦手な私にも十分堪能できる味だった。実は私はこの時までタンドリーチキンというものを知らずにいたので「ずいぶんおいしいフライドチキンだなぁ」くらいに思っていたが、後で家内にその話をしたら高級料理だということを知ってびっくり。確かに、帰国してからインド料理店(ナーナック)に行ったら結構な値段だったので2度びっくりした。そうと知っていればもっと味わって食べたのに。

料理が一段落して落ち着くと、今日も始まりましたのエッチ談義である。何故か一人一つづつ自国のエッチなジョークを話すことになり、私も飲み会で仕入れた話を2〜3したところそこそこ受けたので、調子に乗って実体験を話し始める。「今はそうでもないけど、ひところ日本ではクリスマスイブに若い男女がシティホテルに行くことが流行ったんだ。」「それは結婚していないカップルが行くの?」「主にそうだけど、結婚しているカップルも行くんだ。」「家でSEXできるのに、何故わざわざお金を出してホテルに泊まるの?」「雰囲気を楽しむためだよ。僕たちも新婚の頃、池袋にあるサンシャイン60という高層ホテルに泊まったんだよ。予約を取るのにすごく苦労したけどね。で、夜遅くなってさぁこれからだと思ってシャワーを浴びていたら、突然壊れてお湯が出なくなったんだ。泡まみれなのにだよ。」(一同爆笑)「それからボーイを呼んで修理人に来てもらったんだけど彼にも直せなかったんだ。」「修理している間、あなたたちはどうしてたの?」「2人揃ってベッドの上にちょこんと座って待ってたよ」(一同大爆笑)「結局修理できなかったんで、別の部屋に移ったんだ。予約でいっぱいという割には万一に備えてちゃんとスペアの部屋が用意されてるんだねェ。」「で、結局したの?」「遅くなって疲れていたけどしたさ。その為に苦労して予約したんだからね。で、この話には続きがあって、翌朝チェックアウトの為にロビーに降りようとエレベーターに乗ったら、各階ごとに泊まって若い男女のカップルが乗ってくるんだ。お互い顔を見合わせないようにしながら『あぁ、したんだな』って思ったよ。やっとロビーに着いたと思ったら、チェックアウトカウンターの前にもまた若いカップルの長い行列が出来てたんだ。」(一同爆笑)「その番ホテルはさぞ揺れたろうね。」「揺れたかもしれないけど分からなかったね。何せ僕たちも揺れてたからね。」(一同大爆笑) 調子に乗ったBillが更に突っ込みを入れてくる。「Yuichi、雰囲気作りは大事だよ。君は夜奥さんをベッドルームへ連れて行くときどうしてる?」「別に。普通に寝ようといって寝るだけだよ。」「駄目じゃないか。ちゃんとリビングからベッドルームまで赤い絨毯を引いて、両側にキャンドルを立て、手にもキャンドルを持ってエスコートするんだ。で、ベッドに着いたらサイドテーブルの燭台にキャンドルを立てると、薄明かりでロマンチックな気分になれるよ。」「でも、ベッドが揺れたらキャンドルが倒れて火事になるから危ないじゃないか。」「大丈夫だよ。ベッドは縦にしか揺れないから、キャンドルを横においておけば揺れても当たらないよ。」(一同爆笑)これにはお堅いはずのAnneloreも手を叩いて大喜びし、「Bill、Yuichi、あなたたちは最高のマンザイコンビだわ。」とお墨付きをもらってしまった。また、Andyはシャワーのくだりがいたく気に入ったようで、それから毎年、「今年のホテルのシャワーは大丈夫かい?」と書いたクリスマスカードが来るようになった。

インド料理店を出てホテルに帰ることにするが、途中見かけたパブみたいな店で、店内で大勢が踊って盛り上がっているのを見てDanilo達数名が入ろうと言い出す。昨夜の件でコリゴリなので、さくっと断ってホテルに帰ったが半数くらいは行ったようである。

1997.10.26 Sun(GMT)

最初は反対したものの、いざ決定すればやっぱり折角のディズニーランドなので早く行ってゆっくり楽しみたかったのだが、結局いつものように集合は遅れに遅れた。昨夜遊びまくったらしくBillとDaniloが来ないのでフロントにメッセージを残して先に行くことにするが、ここで信じられない出来事が起こる。Anneloreが「誰かBillの部屋番号か苗字を知らない?」と聞くのである。同じ派遣元から来ているんだからそれくらい把握しとけよな。ヨーロッパ人にとって苗字はどうでもよく名前こそが重要であるということがよくわかるエピソードである。結局ホテルを出発したのが10時過ぎ、ユーロディズニーに到着したのは12時を廻っていた。「折角なので混まない午前中のうちに何か一つは目玉のアトラクションに乗りたいね。」(もう午後だってば(^^ゞ)と、全員でスペースマウンテンに向かうが、既に「1時間半待ち」の札が。それでもユーロディズニーならではの趣向が凝らしてあるとの事なので、とりあえず並んで待つことにする。確かに外見だけ見ても、私がオーランドのディズニーワールドで乗ったのとは違う形のようだ。待っている間、次第にトイレに行きたくなったのだが、列は長い割に結構いいペースで進んで行くし、途中から屋内の暗く狭い通路に入っていく為、元の位置に戻って来れる自信がないので我慢することにする。ようやく最前列まで進み、我々の直前のグループがコースターに乗りこんだので「早く行って戻って来い。」と見送ったら、ちょっと進んでガクンと止まってしまった。サイレンが鳴り渡り、客が乗ったままで技術者がプラットホームの下にもぐりこんで何やらごそごそやっているが、5分ほどして「運行を再開します。」とのアナウンスが流れて歓声が上がる。しかし一向に動き出す気配はなく、今度は客もコースターから降ろされて本格的な修理が始まる。当分待たされそうなので、チャンスとばかりに近くの係員に「トイレに行きたいんだけど。」と告げると困ったような顔をしたが、離れたところに居るチーフみたいな人に相談に行き「いいよ。」と言って案内してくれた。用を済ませてほっとして戻ると、仲間が口々に「Yuichi、修理はうまく行ったかい?」と迎えてくれた。こりゃ一本取られた。「違うよ、トイレだよ。」と答えると、Claudiaが「あ〜ん、私も行きたかったのにぃ。」と残念がる。しまった気が利かなかった、折角ツレションするチャンスだったのに。余談だが、男はストレートに"Toilet"と言っているが、女は"Bath room"と言っている。どうやら"Toilet"は「便所」、"Bath room"は「お手洗い」というようなニュアンスのようである。結局30分以上待った挙句に修理が出来なかったらしく、「本日の運行は中止します。」とアナウンスが流れる。1時間半かけて最前列まで行って帰される我々が一番損じゃないか。我々の前のグループは一応「乗った」んだから。ぶーぶー文句を言いながらも意外と素直に解散して行く観客を見ながら、だれか抗議してくれないかなぁと考えていると、Anneloreがあきらめ顔で「Yuichi、怒らないで。これがフランス人の仕事ぶりなのよ。」と変な慰め方をしてくれた。

それぞれ好みが違うようなので、ここからは3つくらいのグループに分かれて楽しみ、最後にエントランス広場で待ち合わせることにする。我々のグループは、Claudia、Michael、田中さん、筆者の4人である。まさに日独同盟。やはりドイツ人と日本人は気が合うのか。少なくともこれで時間に正確に行動できそうだ。

<日独同盟:左から田中さん、Claudia、Michael、筆者>

「やっぱり何か一つはコースター系に乗りたいね。」と、「インディアナジョーンズ・ローラーコースター」へ向かうが、ここもすごい行列で2時間待ちの札が出ている。どうやらスペースマウンテンからあぶれた客が流れてきているようだ。「スペースマウンテン待ちぼうけ客優先券」みたいなのを発行してくれればよかったのに。すっかり当てが外れてしまいおなかも空いてきたので食事の摂れるレストランを探してさまようが、これも同様どこへ行っても長い行列である。出来てから間もないためか、日曜のTDL並である。そんなところへのこのこ昼頃やってくるのがそもそもの間違いである上に、とんだアクシデントで完全に出遅れてしまった。これもネタの神様の試練か。"Short queu, short queu"とうわごとのように言いながら我々はさ迷い歩く。そうか、日常英語でも待ち行列はqueuというのか。てっきり統計学上の専門用語だと思っていたのに。突然Claudiaが"No queu"と叫びながら走り出し、「私がいちば〜ん。」といいながらあるワゴンの前に立った。か、かわいい。こういう無邪気で明るくしかも嫌味のないところがいいんだよなぁ。見るとクレープ、ワッフルなどの軽食類のみだが背に腹は代えられない。ちょっと迷ったが例によってクレープをオーダーする。今日はチョコレートクレープである。ふと見るとワッフルのほうはフルーツやクリームがたっぷり乗っていてボリュームがありそうである。しまったあっちのほうがよかったかなと思ったが、まぁ仕方ない。少しだけ活力を取り戻し更に歩いていると、マクドナルドを発見。こうなるとマクドナルドでもご馳走に思えてくる。早速セットメニューの何とかコンボをオーダーし、屋外の席でぱくつく。Claudiaは「毎日ご馳走だから今日は軽めにしとくわ。」とジュースのみである。極端だなぁ。「ヨーロッパの人達は毎日あんなご馳走を食べてけろっとしてるから、どんなすごい胃袋かと思っていたよ。」というと、「私達だって毎日あんなに食べてたら胃が持たないわよ。」と答えてくれてちょっと安心する。食後再び"Short queu"を求めてさまよい、結局"It's a small world"と、遊覧船に乗って湖を一周するアトラクションに乗る。"It's a small world"は世界各国の民族衣装を着た小さな人形が機械仕掛けで踊る中を、4〜6人乗りのボートで進んで行くアトラクションで、テーマ曲がエンドレスに流れているために妙に頭にこびりついてしまう。我々と別れた他のグループもこれに乗ったらしく、後で事ある毎に皆で歌うようになり、とうとう我々のホームページのタイトルにまでなってしまった。遊覧船のほうはかなり大きな3階建てくらいの外輪付きの船に乗って湖を一周するものである。折角なので景色を眺めたいねとデッキに出るが、雨でもないのに船の後部が不自然に濡れているので前のほうに陣取ることにする。案の定、湖を廻って島の反対側に行った時に突然間欠泉のような大きな噴水が上がり、船の後部を中心に大量の水飛沫が降り注ぐ。10月下旬の寒い中、カメラなどを持っている人も居るのに、後ろのほうのデッキに立っていた人達はびしょ濡れであるが、「やられた」という感じでゲラゲラ笑っている。日本だと苦情が来て即中止だな。我々のほうにも多少霧状の飛まつが飛んできて、Claudiaが寒そうに震えているので、「これ知ってるかい」と使い捨てカイロを1つあげた。仕組みや使い方を説明するが、初めて見るものらしく「ヨーロッパにはこんな便利なものないわ。」といたく感動している。北欧などに持って行って売ったら結構いい商売になるかもしれない。その後は無事港に着き、船のデッキの高いところからふと見たら、スペースマウンテンが動いているじゃぁないか!再び怒りが込み上げる。

たいした物に乗ることも出来ないまま集合時間が来てしまったのでエントランス広場に向かうが、相変わらず集まりが悪い。仕方がないので付近の土産物屋をぶらぶらと見て廻る。同じ職場のS女史からディズニーのビデオを頼まれていたので何件か廻ってみるが、PALとSECAMばっかりでNTSC方式がなかったのであきらめる。ぶらぶらしているとMichaelaに会ったのだが、彼女がぼそっと「Michaelがリタイアしたわ。」と告げる。最初よく分からず我々の仲間に何事かあったのかと思ったが、一瞬考えて意味がわかった。実は私が車好きであることを公表し、FerrariやBenettonのブルゾンを着てうろうろしていたのでF1好きであることが分かり、何人かとはF1の話で盛り上がっていたのである。で、その日は97年シリーズの勝敗を決定する最終戦オーストラリアGPの日であったために、Michaelaがすばやく情報をキャッチして結果を教えてくれたのである。つまりMichaelとはFerrariのSchumacherのことだったのである。Annelore達は相変わらず慌しくお土産を買いあさっていたようであるが、やっと全員揃ったのでそのままホテルへ帰る。

今夜はスウェーデン料理の日である。MarieとChristerに導かれるままメトロでシャンゼリゼへ移動し、凱旋門近くの立派な石造りのビルの2階の店へ入っていく。入ってみると結構高級そうな店で、給仕も全員タキシードをびしっと着こなしており、明らかにユーロディズニー帰りのおちゃらけムードの我々は場違いである。Billでさえも「しまった、ネクタイを持ってきていないぞ。」とびびっていたが、交渉の結果どうにか入ることが出来た。北欧なのでバイキング料理かと思っていたら(^^ゞ、料理は最初から最後までサーモン、白身魚等さまざまなマリネのオンパレードである。私は結構おいしいと思って全部平らげたのだが、なま物が苦手なMarinaなどは最初からあからさまにしかめ面をしていて、サラダ以外は殆ど手をつけなかったようだ。その後しばらくシャンゼリゼ通りを散策し、凱旋門の前で記念写真を取ってホテルへ帰った。ホテルでは丁度ロビーの大型TVのスポーツニュースで、今日のオーストラリアGPのダイジェストをやっていたので、それを見ながらしばしF1談義に花を咲かせる。やはりヨーロッパではF1が非常にポピュラーなスポーツとして生活に浸透しているらしく、誰と話しても話が通じるので非常にうれしかった。更にF1の話から飛び火して、私がゲーム機のPlayStation(TM)を持っており、更にオプションとしてステアリングコントローラーとフットペダルをつないでF1ゲームをプレイしているというとAndyは大受けしていた。プレステは皆もよく知っていて、Andyも含めて何人か所有している人達も居た。さすが世界のプレステ。Carolineは最近プレステを売り払ってNINTENDO64を買ったそうであるが。

<凱旋門前の記念写真(我ながら抜群の構図)>

<筆者とギャルズ(凱旋門が殆ど入っていないじゃないか凸(-_-;))>

1997.10.27 Mon(GMT)

週末の遊び疲れからか、今日は朝から皆なんとなく沈滞ムードである。そこで休み時間に、講義で使われたイーゼルの広用紙を破りとって巨大な折鶴を作る。瞬く間に人垣が出来てみんな物珍しそうに眺め、「私にも作って」とせがむ。最初は折り方を教え込もうとしたが、どうも無理のようなので、結局田中さんと2人でせっせと折り鶴を生産することになった。午前中の講義は大した内容でもなく、人材育成について自社ではどんなプログラムをやっているかみたいなディスカッションをしたが、大体どこも似たようなことをやっているようであった。

いつものようにFTのキャフェテリアで昼食を摂った後、午後は別の場所にある法人営業部門の現場見学である。Claudetteおばさんに渡された地図の示す場所が間違っていた(彼女は実は地図音痴なのではないか)ために結構迷った挙句やっとたどり着いたのだが、見学といっても単にそこの担当者の講義を聞くだけであった。薄暗い部屋で面白くもない説明をぼそぼそしゃべりながら、10メートルほども離れて置かれたイーゼルに時折細かい字で説明を書いているので、一生懸命字を判読しようと目を細めているうちに不覚にもうとうとしてしまった様だ。ふと気付くと講師が怒ってこっちをにらんでおり、皆もニヤニヤしながらこちらを見ている。悔しいので、「企業システム構築の際のネットワーク機器は自社開発か、それとも有力ベンダの機器を調達しているのか?」「調達ならば、主に利用するベンダはどんなところか?」「調達の際の接続検証などはやっているのか?」というような質問をいくつかしたが、ベンダ名もろくに知らないし要領を得た回答は出てこなかった。専門違いなのかな。しかしこれを呼び水に仲間内でのディスカッションが盛り上がり、Anneloreからは「PTTテレコムは一部機器を自社でも販売しているが、一種のGentleman's Agreementにより、例えば中規模PBXだけ売って大規模PBXはベンダに任せるというように、パートナーのベンダと分野がバッティングしないようにしている。」と言う話も出た。それじゃぁ真の競争にならないじゃないかとも思ったが、それよりも感心したのは「紳士協定」という言葉が英語の直訳そのままであったことである。こういうのはやっぱりビジネスの世界で生きた英語を聞かないと分からないなぁ。講義が終わった後、皆から「Yuichi、寝てたでしょう。や〜い、寝てた寝てた。」とからかわれてしまったが、皆は全然眠たくなかったのだろうか。ヨーロッパでは人の話の最中に寝るのはとても失礼なことのようである。(本当は日本でもそうだってば(^^ゞ)

やっと眠い講義も終わり、今日はオランダ人ペアにご馳走してもらう日である。どこへともなく連れて行かれた店はロッジ風のこじんまりした落ち着いた店であった。聞けば今日の料理はフォンデュだそうだが、ちょっと待て、フォンデュってスイス料理じゃないのか? まぁ珍しい料理が食べられればなんでもいいや。前菜のサラダを食べている間に、我々の前には固形燃料の入ったコンロが並べられ火がつけられていく。しかしその上に載せられたぶんぶく茶釜みたいな鉄鍋を見てあれっと思った。フォンデュといえばチーズかチョコレートしか知らなかったのだが、何と恥ずかしいことに生まれてはじめて出会う「ミートフォンデュ」が今日のメインだったのである。サイコロステーキ大に切られた牛肉を各自串に刺して、鉄鍋の中でぐらぐら煮立っている油につけてジュッとこんがり揚がったアツアツのところをお好みのソースで食べるのである。これがまたアツアツのミディアムレアーなのでおいしい。帰国後もどうしてもあの味が忘れられず、フォンデュのコースを食べさせてくれるスイス料理店を探して家内と行ったのだが、家内も「あなたが寝言のように言っていたのがよく分かったわ。」と大満足のようであった。肉ばっかり食べているわけにも行かないので、付け合せのフレンチフライポテトを追加オーダーするが、パーティー用のオードブル皿みたいな大皿に山盛りで届けられても、途中で皆がどんどん取っていくのでこちらまで廻ってきたときには空っぽになる始末である。昨日あまり食が進まなかった人達も今日は思いっきり食べていたようである。この頃から皆の間にいくつかの定番フレーズが定着していた。まず、昨日のユーロディズニー以来ずっと頭の中を廻っている"It's a small world"の歌。それから2番目には、「○○(例えば調子はとか、料理の味)はどうだい?」と聞かれると、特に"p"に力をこめて親指を立てながら力いっぱい"Perfect!"と答えること。最後に似たようなもんだが、何か気に入ったことがあったときに"Very nice, a------nice!"と叫ぶことである。特に「アー」を思いっきり伸ばすのがポイントである。しょっちゅう使っていたので、帰国後しばらくはこの癖が抜けず苦労した。帰りのメトロではちょっとした事件があった。駅を発車しようと一旦動き出したメトロがガクンと止まり、しばらく動かない。「スペースマウンテンに続きメトロまでもかよ。僕達は無事に自分の国に帰れるのかな?」と言うと、Michaelaに「縁起でもないことを言うのはやめなさい。」と怒られてしまった。偵察に言った人の話だと、どうやら一人の女性客が社内で暴漢に教われて、誰かが非常ボタンを押したらしい。我々は普段集団で行動していたので運良く狙われることもなかったのだろうが、数週前にもメトロで爆発事件があったという話もあり、やはり日本と同じ感覚で安全だと油断してはいけないなと改めて感じた。

1997.10.28 Tue(GMT)

今日は郊外のFTの施設2箇所を見学する予定で、ホテルに迎えのバンが来ることになっている。いつものように身支度を整えて部屋を出ようとしたところで大失敗をしてしまう。部屋の鍵はカードキーになっていて、これをドアの内側のスロットに刺すと電気が点くようになっているのだが、部屋を出たときにちょっとした手順の違いでこのカードを刺したままドアノブを離してしまったのである。目の前でゆっくりとスローモーションのようにドアが閉まっていき、隙間にカードキーが消えて行くのを見ながら「しまった。」と手を伸ばしたときには既に手遅れであった。仕方がないのでロビーに降り、フロントの金髪女性に定番の慣用句「I left my key in my room.」と告げる。まさか本当にこの言葉を使うことになるとは思わなかった。恥ずかしい。金髪女性は背筋がすっと伸びていて姿勢がよく、制服も他の人と違っているマネージャークラスのようで、嫌な顔一つせず部屋番号を聞くと「OK, follow me」と私の先に立って歩いていく。歩く姿もきびきびしていて、途中何気なさそうに廊下に落ちているちりを拾ってごみ箱に入れたりと、動作の全てがエレガントである。相当の厳しい訓練を受けてきているらしいことが伺える。途中Marieとすれ違ったので、部屋の鍵を忘れて取りに行くところだと告げる。部屋につくとまずノックして誰も居ないことを確認してから合いかぎでドアを開け、鍵を取ってくれた。普段従業員と話すときは英語を使っていたが、ここは礼を尽くさねばと「Merci」とお礼を述べてロビーに戻る。ロビーへ行くと既に全員バンに乗りこみ、Claudetteおばさんが人待ち顔できょろきょろしている。「Mornin'」と挨拶してバンに乗りこもうとすると、「あなたを待っていたのよ」と咎めるように言われてしまった。折角Marieに説明しといたのに彼女は何も伝えてくれていなかったようだ。いつもは時間通りに来るのに何でこんな間の悪いときだけ目立つんだ。とほほ。

バンは渋滞のパリ市街を巧みに抜け、1時間ほど走ってユーロディズニーランドの傍にある"International Support Center"に到着する。前衛的なデザインの近代的な建物であり、ユーロディズニーランドの通信設備を一手に監視保守している施設だそうである。中に通されご自慢のハイテクプレゼンテーションシステムでビデオとPower Pointによる説明を受ける。ユーロディズニーランドの通信システムはFDDIベースであり、検討開始から竣工まで2年間しかかからなかったと自慢げに説明されていた。でも今時FDDIじゃぁねぇ。質問すると、検討当時はまだATMは不確実な技術であったため採用を見送ったが、今後は徐々にATMに移行していくとの事であった。

<International Support CenterのOperation Room>

見学後再びバンでパリ郊外の南のほうへ移動し、イタリアレストランで昼食を摂る。夕べ肉を食べ過ぎてちょっともたれ気味なので、軽めにパスタとエスプレッソにしておく。その後、午後のカリキュラムである研究所見学であるが、流石研究所だけあって入所手続きにかなり手間取っているようである。手持ち無沙汰なのでいつも持ち歩いている「ひなた」を皆で世話するが、突然Billが「こいつ、くそ(shit)してるぜ、しかも寝ぐそだ(sleeping shit)!」と喜んでいる。するとCarolineが「Bill、そんな下品な言葉を使っちゃ駄目よ。そう言うときは"Pooh"って言うのよ。」と教えてくれた。また一つ生きた英語を勉強してしまった。更にCarolineは「私しょっちゅう下品な言葉を使ったり、人前で思いっきり鼻をかんだりしてパパに怒られるの。」と打ち明ける。「え?ヨーロッパ人は人前で鼻をかむのが当たり前じゃないの?日本ではタブーだけど。僕なんか家内と初めてのデートのときに思いっきり音を立てて鼻をかんで、後で聞いたらその時『何て人でしょ』と思ったって言ってたよ。」というと「Yuichi、それは駄目よ。いくら私達でも初デートでそんなことはしないわよ。」とあきれられてしまった。う〜む奥が深い(^^ゞ。やっと手続きが済んだようなのでぞろぞろと研究所に入り、プレゼンテーションとデモを見る。しかし厳重な手続きを経た割には期待したほどの内容ではなかった。ATM、xDSL、音声認識、画像転送など、我々の研究所でも数年前からやっているようなありきたりの内容であり目新しいものはない。まぁ確かにこれからのボーダーレス時代にライバル関係にもなる他のキャリアに、何でもかんでも手のうちを明かすわけには行かないので、一般見学者向けの当たり障りのない内容を見せてくれたのだと思うが。

研究所見学後再びバンでホテルへ帰るが、到着するなりMichaelaが「Yuichi、見た?」と聞いてくるの。実は帰る途中にF1ショップの看板が出ていたのである。勿論見たと答え、まだ16時と時間があるので行って見ることにするが、大事な体のMichaelaはお留守番である。やはり強がってはいるが大分疲れが溜まっているようである。道路標識や景色の記憶を頼りにF1ショップへ向かうが、例の放射状交差点幻惑攻撃に会い、寒風の中1時間ほどもかかってやっとたどり着く。折角苦労してたどり着いたのだが、グッズの値段は日本と同じかむしろ高いくらいのものもある。安ければ買って行こうかと思っていたのだが、これ以上荷物を増やしてもメリットはないので早々に引き上げる。帰りは迷わなかったので20分ほどでホテルに帰りついた。実はこのホテルに来てから、石鹸が強すぎて肌に合わないらしく、太ももなど肌の弱い部分がかさかさにひび割れてあかぎれのようになっていたのだが、寒風の中を1時間半も歩いた上にズボンで擦れて痛みが我慢できないほどまで悪化してしまった。フロントに相談に行くと、「通りの向かいの薬局でこの薬を買いなさい」と何やらメモを渡してくれた。薬局に行ってメモを渡すと、念のため症状を聞いているようだがフランス語なのでよく分からない。そのうち奥から英語の分かる店員が出てきたので詳しく説明すると、「この薬じゃ全然駄目よ。そういうときはこっちのクリームよ。」と教えてくれた。いいなりの薬を買わずにちゃんと説明してよかった。パリはどの店にも大抵英語の分かる店員がいるので、買い物で困ることは全くない。外国人旅行者には実に便利である。結局このクリームを毎日朝晩塗りつづけたお陰で痛みはすぐに引き、帰国後10日ほど続けた結果肌のかさかさも完全に回復することが出来た。

今夜はいよいよ皆さんお楽しみのJapanese Dinnerである。田中さんがNTTフランスの方から紹介してもらった、シャンゼリゼ通りの途中から南へ入ったところにある日本料理店へ皆を連れて行く。キリンビールで乾杯し、前菜のサラダ(ヲイヲイ)、サーモン、白身魚、カッパ巻きのすし盛り合わせ、焼き鳥と進む。みんな箸を使って上手に食べている。箸の使い方から説明しなければならないかと覚悟していたのだが、無事第一関門通過である。すしを食べさせたときの反応を楽しみにしていたのだが、イマイチインパクトのあるネタが出なかったので、田中さんが茶目っ気を出してタコ、赤貝、トロなどを単品で追加オーダーする。タコと悪戦苦闘してやっと歯で噛み切り(店にはフォークもナイフもなかった)飲み込んだところで「それはタコだよ」と告げたときの皆の顔が見物であった。タコといえばヨーロッパ人にとってはDevil fish。ショックはいかばかりであったろうか。Marinaは相変わらずなま物が苦手らしく、タコ以前に最初からあからさまに顔をしかめて箸を付けようとしない。デザートとしてどら焼があるということなので食べるかと聞くと、Marinaも一応おなかは空いているらしくしきりにそれはどんなものかと気にしている。一生懸命説明したが、結局彼女は得体の知れないものと判断したらしく断ってしまったので、Marina以外のメンバーの為にどら焼きと緑茶を注文する。

<Japanese nightの風景>

ただ食べるだけでは面白くないので、ひとしきり料理が片付くとじゃんけん大会の開催である。用意してきた説明書きでルールを説明するが、Billなどは「で、結局どれが一番強いんだ?どれを出せば勝てるんだ?」と聞いてくる。相変わらずよく分かっていないというか、人の話を聞いていない。とりあえずほっといてトーナメント方式で戦いを進める。途中から日本酒も入り盛り上がったため、結構大声で「ジャンケンポン」を連呼して周りの客から「シー!」と顰蹙を買ってしまう。日本酒といえば、これまで毎晩快調に飛ばしていたChristerが途中から具合が悪くなりAndyに付き添われて途中退場するという一幕もあった。不謹慎だが、ただでさえ色白の北欧系の彼の顔が、具合が悪くなって真っ青になっていく様は不思議というか面白かった。Andyによると、彼は若さに任せて限界がよくわからずに、毎晩飛ばしすぎた疲れが出てしまったのだろうということであった。じゃんけん大会のほうはというと、頭脳派のMichaelの優勝に終わった。聞けばドイツにも同じような遊びがあり、そちらは井戸と紙と鋏と石の4手があるのだという。道理で強いはずだ。優勝した彼に商品として日本画の書かれた小皿の5枚セットを渡し、他のメンバーにも全員に箸を一組ずつ配る。会社のノベルティだけではあんまりなので、これらはプライベートなお土産として自腹で用意したのだが、他のキャリアはみんなノベルティしか配っていなかったので気の回しすぎだったかもしれない。商品伝達式の後もみんなお互いにじゃんけんをし合っているので、更に次のステップとして田中さんが「あっち向いてほい」を教える。これも非常に好評で、特にCarolineなどはすっかり気に入ってしまい、残りの滞在中もメトロでの移動の際などに突然「Yuichi、ヤンケンポン、アチャムケポン」と戦いを挑んでくるのであった。Carolineには随分発音を直されたが、彼女自身も何回言っても「ヤンケン」と発音する。それじゃドイツ語読みだってば。彼女は彼女で、私が「シャンゼリゼ」というと「Yuichi、pは発音しないのよ」とチェックを入れる。シャンゼリゼの綴りには"p"が入っているのだが、私は発音しているつもりはないのに彼女には"p"を言っているように聞こえるらしい。日本人の発音の限界を感じる。彼女の英語はきれいなクイーンズイングリッシュで、特に破裂音が激しく聞き取れないことがよくあるので何回か聞き返していたら、「Yuichiは私の英語をなかなか理解してくれない。Yuichiだけじゃなくて他の人もよ。」と言われたのでちょっと落ち込んだが、他のメンバーに聞いても「Carolineのは分かりにくい。」と言っていたので安心する。ま、通じりゃいいんだってば。騒ぎがようやく一段落したので勘定を清算して店を出る。清算のときに日本人らしい店主に「騒いで迷惑かけてすみませんでした。」と謝ると「いえいえ、楽しんでいただければいいんですから。」と答えてくれた。何て心が広いんだ。店を出た後シャンゼリゼ通り("p"は発音しないのよ(^^ゞ)をしばらく歩くが、これまでワインやウォッカなどどんなに酒を飲んでも平静を保っていた彼らにも、日本酒は相当効いたらしく、Daniloなどは歌い踊りながら通りをスキップしてまわるなど相当壊れていた。これが後に悲劇を呼ぶのだが。。。

1997.10.29 Wed(GMT)

この日、Daniloは朝の集合に来なかった(^^ゞ。よほど昨夜の日本酒が効いたのであろう。Cristerに続き日本酒の2人目の犠牲者である。午前中の講義も大した内容ではなくさくっと終わり、FTで昼食を摂った後、午後はまた別の場所にあるマルチメディア部門へメトロで移動してプレゼンテーションを受ける。この段階になってやっとDanilo登場であるが、ごく自然に「やぁ」とやって来て全く悪びれた様子がなくあっけらかんとしている。午後のインターネットがらみのマルチメディアサービスの紹介も、今やどこのキャリアでもやっているようなトレンド的な話で眼を引くものはなかったが、画像部の田中さんはMinitelとインターネットの融合の話をかなり熱心に質問していたようである。休み時間にDaniloが珍しく深刻そうな顔で近づいてきて、「昨日の日本料理店にプルオーバーを忘れてきてしまった。店に電話して聞いてみてくれないか?」という。ここにも日本酒の影響が。私は店の電話番号を知らなかったので田中さんに聞いてもらったのだが結局見つからず、そのことを伝えると「気に入っていた結構良いプルオーバーだったのに。」とひどくがっかりしていた。物事にこだわらないと思っていたのに、こだわるところにはこだわるのね。

Country's nightも一巡して特に予定もないので、今夜はどこかへ観光がけら出かけて割り勘で食事しようということになる。Marinaはしきりにセーヌ川下りの船上ディナーに行きたいといっていたが、価格が高い上にこの時期水位が低くて両側の岸壁しか見えないという情報をキャッチして、私がモンパルナスタワーで夜景を楽しんでその辺のレストランで食事しようという案を提示する。Marinaはかなりセーヌ川にこだわって「ボート、ボート」と叫んでいたが、結局多数決で私の案に決定する。どうだ面接官、俺だってちゃんとリーダーシップ取ってるぜ。実は、羽目をはずしたいCarolineが男どもの口車に乗って、「Crazy Horseのディナーショーを見に行きたい。」と言っていたのだが、これはAnneloreの逆鱗に触れてしまったようである。Annelore曰く「すけべな男相手のストリップショーよ。女のあなたがそんなの見たいって言うなんて信じられないわ!」「そんな下品なものじゃないわよ。もっとハイセンスでエレガントな大人のダンスショーよ。」「そんなことないわ!あなたもあのパンフレットの写真見たでしょう。単に女の裸を売り物にしているだけのストリップよ。そんなに見たければ見たい人だけで行けばいいわ。私は絶対行きませんからね。」といった感じの激しいバトルが展開され、なんとなく気まずい雰囲気になってこの話は流れてしまったのである。どうもアバンチュールを期待していたCarolineと潔癖症のAnneloreは馬が合わないらしく、おまけにお互いプライドが高いものだから結構衝突する場面があった。ある目撃談によると、メトロでの移動中にCarolineが相棒のAndyを捕まえて延々とAnneloreの悪口を言い、それをAndyがなだめるという一幕もあったそうである。こういうときに万国共通語の英語は内緒話が出来ないので不便である。

やっと行き先も決まり、疲れ気味のMichaelaをホテルに残して、メトロでモンパルナスへ移動してタワーに昇る。モンパルナスタワーはサンシャイン60のような感じの高層ビルであるが、驚いたことにそんなに高いのに夜間も屋上に出られるのである。寒風吹きさらしの屋上に出て眺めるパリの夜景はまた格別である。皆さんにもお見せしたいのだが、何せ初期のデジカメなので露光不足で良い写真が撮れなかった。タワーを降りた後は、まだ本調子でないChristerをホテルに帰し、近くのレストランで食事をとることにするが、ここでまた意見が分かれる。Danilo、Marinaはデリカテッセンで普通の食事を摂りたいと主張したのだが、私が折角毎晩違った国の料理を食べてきたので、今日はまだ食べていない中華にしようと言って譲らず、結局2グループに別れて別々に食べることになった。こちらのグループは、Marie、Andy、Claudia、Michael、田中さん、私の6人である。幸いメニューには漢字も併記してあったので、「中華ならよく知っているから任せてよ。」と、春巻、酢豚、鶏のから揚げ、エビチリ、ふかひれスープ、チャーハンなどの定番メニューを次々オーダーする。春巻は"Spring roll"である。そのまんまやんけ。料理も進みそろそろ皆おなかもいっぱいになってきたようなので、デザートに杏仁豆腐をオーダーすると「ない。」と一言。「そんなはずはない。杏仁豆腐は中華デザートの定番じゃないか。」と食い下がると、中華系らしきボーイが出てきて「杏仁豆腐は中華料理ではなく日本料理だ」と切り返されてしまった。そんなバカなと思ったがないものは仕方がない。デザートメニューを見てパパイアとパイナップルの盛り合わせを頼んだ。こっちのほうがよっぽど中華料理らしくないと思うのだが。面目丸つぶれである。後で中国人と台湾人の知り合いに聞いたところ、杏仁豆腐は広東省や台湾など南のほうのデザートなのだそうだ。どうりで。きっとパリの中華料理店は北京料理の店だったのだろう。それにしては南方系の果物があったのが不思議だが。宴も進み最後に老酒で乾杯しているところにデリカテッセンへ行ったグループが乱入してきたので、清算を済ませてホテルへ帰った。割り勘で一人当たり\4,000円といったところであった。

1997.10.30 Thu(GMT)

今日も1日FTのサービスに関する講義を受ける。最初の講義は退屈でつまらなかったが、終了後Anneloreがすごい剣幕で怒っている。「あの講義は何?あの中で何か私達の知らない新しい情報があった?全部通り一遍の話じゃないの。時間の無駄だわ。それにあのニヤニヤしたおやじ。英語は思いっきりへたくそ(確かに私が聞いても下手だった)で、何か言うたびに気持ち悪くニヤニヤして。私、人とまじめな話するときにニヤニヤ愛想笑い浮かべる男って大嫌いなの。」う〜む、最近荒れてるなぁ。2時間目の移動体通信の話はまぁ面白かった。山間部は固定網の普及が送れているので、逆に移動体のほうがすごい勢いで普及しているという話(この辺は中国や東南アジアと同じである)や、使いすぎ防止の為に月額一定限度額しか使えない携帯や、最初に料金を払ってその度数分だけ使える使いきり携帯などさまざまなサービスが紹介された。FTの移動体は"Ola"というブランド名で売り出されており、イメージカラーはオレンジである。帰国後、ハロウィーンのときにエッフェル塔の下のシャイヨー宮の広場がこのOlaのイベントでオレンジのカボチャで埋め尽くされている様子が日本の新聞にも紹介され、懐かしい感動を覚えた。いつものように昼食とおしゃべりを楽しんだ後は早めに会議室へ帰り、プレゼント交換会である。各キャリアが持参した会社のノベルティが乱舞し、会議室内はさながらクリスマスパーティーのようである。我々日本人は公私ともに手駒を出し尽くしていたのでもらうばかりであったが、折角なのでDeutche Telekomからもらったメモ用紙を使ってさまざまな折り紙を折り配って廻った。ひとしきり交換が終わると、外へ出ておそろいのDeutche Telekomの帽子をかぶっての記念撮影である。

<FTでの最後の記念撮影>

午後のカリキュラムは訳あって駆け足で進む。当初予定では研修は明日の昼までなのであったが、明日の昼前には発たなければならない人や、明日はゆっくり最後の観光をしたい(何て理由だ!)という人も居て、明日午前中に予定されていたEvaluationを繰り上げて今日やってしまうことになった。Claudetteおばさんもこんなわがままな連中は早く厄介払いしたかったに違いない。研修生自信からの要望であれば派遣元にも言い訳が立つし。Evaluationと言ってもたいそうな試験があるわけではなく、研修で学んだことやよかったこと悪かったこと、気づいた点、改善要望などをアンケート形式で記述するだけである。英作文に少々手間取ったが、普段みんなで話していたことを書いたのでそれほど手間取らずに提出できた。少し早めに終わり一旦ホテルへ戻る道すがら、再びBillが私のデジカメを売ってくれという。折角の旅の思い出の数々が入っているので申し訳ないがどうしても売れないと断ると、それならPC接続キットを入手してデータを吸い出せたら売ってくれるかと食い下がるのでOKする。まず2人でホテルの近所のカメラ屋に行くが、ここにはKodackはあっても私の持っているCASIOはない。そりゃぁヨーロッパだからねぇ。それでもあきらめきれないBillは私から型番を聞くと、一人でどこかへ探しに行ったが結局見つからなかったようだ。私のカメラはもう過去のスペックで、今なら同じ値段でもっと良いのが買えるよと慰める。1年後にBillが日本に来たときもまだデジカメを買っていなかったので、新宿のさくらや、ヨドバシ、ビックカメラなどを連れて廻ったのだが、結局買わなかった。あの時のBillの言い値と同じくらいの値段で結構性能の良いカメラがいくつかあったのだが。

今夜はいよいよFTご招待による最後のお別れディナーである。Claudetteおばさんに連れられて、カルチェラタン付近の、古い教会を改造したと思しき石造りの荘厳で高級そうなレストランへ入っていく。今日からChristerのガールフレンドもパリに遊びに来ており、ちゃっかりディナーにも参加している。費用はFT持ちなのだろうか。最後となると話も弾み、口が忙しくてなかなか料理に手が廻らないでいると、店員のおばさんが"finished?"と聞きながら食べかけのチーズの皿を下げる。というか、聞いたときにはもう持ち上げて他の皿と重ねていたぞ。私が悲しそうにぶつぶつ言っていると、Billが自分のチーズを分けてくれた。今日のメインディッシュは血も滴る赤いローストビーフである。私は結構おいしいと思って食べていたのだが、Ckaudiaが顔をしかめながら「もう少し焼いてください。」と皿を差し出したのを皮切りに、我も我もと半数くらいが手を上げていた。コースが進んで一段落すると、Billの司会により一人一人がお別れの挨拶を言う。いろいろあったけれどもこのときばかりは皆神妙な顔でそれぞれの挨拶を聞いている。中には涙ぐんでいる人もいる。2週間という短い時間だったが、同じホテルに寝泊りして朝から晩まで一緒に行動していたので家族のような連帯感が生まれていた。最後にBillも挨拶を行い、「Thank you for being my friend.(友達になってくれてありがとう)」と目に涙を浮かべて繰り返していた。最後に記念撮影をして、皆でClaudetteおばさんにお礼とお別れを言ってお開きとなった。それぞれ明日の予定があるので今日は皆素直にホテルに帰った(ようだ)。

<Farewell Dinnerの光景>

1997.10.31 Fri(GMT)

思いがけず丸一日空いてしまったので、念願のベルサイユ宮殿へ行くことにする。この前みたいにつかまらないようにと、早目に朝食を済ませてロビーへ降りると、Billがお客さんらしき女性とソファーで商談をしている。目配せして他のソファーに座り30分ほど待つが終わる気配がないので、話の切れ目を待って近づく。Billも立ち上がって応じてくれたので、短いお別れの言葉を交わし硬い握手をして別れた。一人でメトロとRERを乗り継ぎ1時間ほどかけてベルサイユまで行く。昨日まではどこへ行くにも皆と一緒でおしゃべりしながらだったので退屈することがなかったが、久しぶりの静かな一人旅で心にぽかんと穴が開いたような気持ちになり、車窓を流れる景色をうつろに眺めながらしばし感傷に浸る。思わず「く〜さ〜むらに〜、名も知れず〜」とTVアニメ「ベルサイユのバラ」の主題歌を口ずさんでしまった。ベルサイユの駅について看板を見ていると、日本語で「ベルサイユあっちですよ」という声が聞こえてくる。驚いて振り向くと地元の人らしきおじさんが、微笑みながら右手の方角を指差している。日本語上手だなぁ。そもそも西洋人は東洋人の区別がつかないと思っていたのに、何故日本人て分かったんだ?言われた通りに右手に行って左に曲がってまっすぐ行ったところでベルサイユ宮殿の荘厳な姿が迎えてくれた。駅から徒歩10分くらいである。幸い平日の午前中ということもあって待ち行列はなくスムーズに中に入れた。ガイドブックによると、シーズンによっては休日は外で3時間もまたされることがあるというので、Caroline様々である。

<ベルサイユ宮殿正面>

中に入るとここもまた感動の嵐である。ルーブルとはまた一味違った、贅沢の限りを尽くしたゴージャスさが迎えてくれた。有名な「鏡の間」は実は廊下(めちゃ長くて横幅も広い廊下だが)になっていて、片方の長辺が庭園に、反対側の長辺が内部の大広間に面している。庭園側のガラス窓と、広間側の鏡のはめ込まれた無数の開き戸が、幻惑的なクリスタルハーモニーをかもし出していた。こればっかりは写真ではなく行ってみて体験しないと得られない感動である。

<ガラスの回廊>

内部を十分堪能した後は庭園へ出て、「ルイ14世推薦の散歩コース」というのを律儀にたどってみる。庭園もまた手入れがよく行き届いており、見事な彫刻の数々が無造作に置かれている。手入れも大変だろうがこれだけ一級の美術品が屋外に置かれていると警備も相当大変ではないだろうか。

<宮殿より庭園を望む>

<アポロンの泉より宮殿を望む>

念願のベルサイユ宮殿をじっくり楽しみ、再びRERとメトロでパリ市内へ向かう。今日は残ったメンバーだけで最後の夕食をともにしようということになっていたのだが、集合まで時間があるので再度三越へ行って残りの土産を買う。ホテルへ戻ると、Andyと、彼の迎えついでに観光に来た奥さんのLinnが待っていた。以前Andyに「私の家内が紅茶好きで、イギリスのアフタヌーンティーにあこがれているんだ。」と言ったのを覚えていて、わざわざ奥さんに言ってBrookbondのティーバッグセットをきれいにラッピングしてプレゼントとして持ってきてくれたのだ。感謝の言葉もない。何もなかったが、非常用に買っていた仏像の絵葉書セットと緑茶のティーバッグをお返しに渡す。そうこうしている間に残りのメンバーが集まったので、最期の晩餐に行く事にする。面子は、Andy夫妻、Marie、Marina、Danilo、田中さん、筆者である。Christerは今ごろ彼女とどこかでよろしくやっているのであろう。今夜はMarinaの強硬な主張によりイタリア料理となった。最後なのでわがままを聞いてやるか。しかし、明日は自国に帰るのに何でわざわざ最後の晩にまで自国の料理を食べたがるのかねェ。店は最初に行ったイタリア料理店という事であり、行く道々Marinaはイタリア料理が食べられるというのでかなり有頂天である。曰く「私達は普通毎日イタリア料理しか食べないのに、パリへ来てからというもの、毎日変なものばかり食べさせられて私の胃はBrokenだわ。」おいおい、そりゃぁないだろう。スウェーデンのときも、日本料理のときもカチンと来たが折角皆が気を使って趣向を凝らした料理をご馳走してあげているのに、もう少し気配りが出来ないもんかねぇ。これが後でちょっとしたトラブルが起きる複線となる。今日は自腹なので控えめにオーダーしようとメニューを眺めていたら、Daniloがメニューを取り上げ「お前らは素人だから全部俺に任せろ。」と言う。無茶な頼み方をしてくれなきゃ良いがとどきどきものである。今日はほうれん草かバジルのぎっしり詰まったラビオリのクリーム和えである。それにしても最後という安心感もあってか、高そうなワインをバンバン頼んでいる。結果、清算額を聞いてびっくり。日本円で一人\8,000円あまりである。思わず田中さんと顔を見合わせて「たっけ〜!」とため息が出る。明日空港でこまごました雑貨を買おうと残しておいた現金が一気に吹っ飛んでしまった。支払いの際に「お前ら領収書は要らないのか?」と聞くので、ちょっとむっとして「要らないよ。だって自腹だもん。」と言うと、初めて気付いたのか意外そうな顔をする。Marinaが「だってあなた達、私達に日本料理をご馳走してくれたじゃない?あれも自腹なの?」と切り返す。例のスウェーデン料理や日本料理の恨みがあるので思わず語気が荒くなる。「あれは例外だよ。JMEでは慣習で順番にもてなすことになっているから、特別に会社が予算を出してくれたのさ。普段の食事は自腹だよ。」本当は、洗濯代や外食で余分にコストがかかる分や現地での日々の交通費ということで数千円の日当が出るのだが、到底その範囲ではやりくりできないし話が面倒になるのでそのことには触れないでおく。「何で?出張中の食費は会社持ちじゃないの?」「違うよ。君たちは普段家から会社に通っているときに、毎日こんなご馳走ばっかり食べてそれを会社が払ってくれるかい?そうじゃないだろ。それと一緒だよ」「でも私達は仕事でここに来させられているのよ。その分のコストを会社が見るのは当然じゃない?」「だからって普段より贅沢な暮らしをしてそれを会社に払わせるって事にはならないだろう。それが我々のルールだからさ。日本だけじゃないよ。Deutche Telekomの連中も食費は自腹だよ。」田中さんも流石に思うところがあったのか言葉を継ぐ。「仕事で来てるって言ったけど、希望してきたんだろ。我々はこのルールが嫌だって言ったら即候補からはずされて他の人が来るだけさ。それに会社のコスト削減に協力するのが社員の勤めだよ。君たちみたいに毎日会社の金でご馳走を食べてたら、日本の企業だったらすぐつぶれてしまうよ。」誠にごもっともである。説得力があるなぁ。その後もホテルへ帰る道々延々と議論したが、結局理解してもらえなかったようだ。昨日あれだけ感動的な別れをしただけに、最後の最後に嫌な思い出を作ってしまい、ちょっと気分が暗くなる。

1997.11.1 Sat(GMT):Departure

ついに帰国の日である。色々な思い出のあるこのパリとも今朝でお別れかと思うと名残惜しい。スーツケースぎちぎちに荷物をパッキングして、田中さんと一緒にタクシーでシャルルドゴール空港に向かう。途中、第一か第二かで迷ったりもしたが、無事到着して支払いを済ませ、かなり早く着きすぎてしまったのでキャフェに入って最後のエスプレッソを楽しみながら、お互いが立て替えた分の清算を行う。結果手元には\2〜300円相当額しか残らなかった。これでは¥500円のエッフェル塔の置物も買えない。昨日のイタリア料理が相当大きな痛手となっている。時間があるのでチェックインカウンターの前に行って搭乗便のチェックインが始まるのをボーっと待っていると、中東風の衣装を来た一団がワーッとやってきてチェックインを済ませ、またサーっと去って行った。彼らが去った後を見ると、ぽつんと一つだけカートに乗ったバッグが残されている。「あぁ、忘れて行っちゃいましたねぇ。」などと呑気に話していると、自動小銃片手に空港内を警備している3人組の兵士が「あれはお前らのか?」と聞く。「違うよ忘れ物みたいだよ。」と答えるとさっと目つきが変わり、自動小銃の先でカートをつんと軽く向こうへ突き放し「下がれ。」という。別の兵士は無線で応援を呼んでいるようである。程なくロビーは兵士だらけになり我々一般客をじりじりと建物の外へ追い出しにかかる。勿論カウンターの従業員も追い出されてチェックイン作業は中断である。今日無事日本に帰れるのだろうか?どうも今回の旅では乗り物系が鬼門のようである。例のメトロの一件もあり、思わず「爆弾テロ?」という言葉が脳裏に浮かぶ。あの時言ったジョークが冗談ではなくなってしまった。ごめんMichaela。

<兵士と爆弾(左奥のカート)>

<多数の兵士で封鎖された空港ロビー>

外に追い出されて中の様子が分からないまま1時間あまりが過ぎたころ、ルパン三世でおなじみの半音ずれた気合の抜けるサイレンを鳴らしながら、爆発物処理班と救急車が到着した。しばらく中で何か作業していたようであるが、「ボン」と小さな爆発音が聞こえてくると一堂から拍手と歓声が起きる。どうやら爆弾も無事処理されたらしく「もう入って良いぞ。」と兵士が告げに来る。折角観光もせずに早く来たのにこのアドバンテージをチャラにしてたまるかと、田中さんと全力疾走して、あるカウンターの一番前に陣取る。ほっと一息ついたところへ、後からやってきたJTBのツアコンのおばちゃんが「ここは今から団体専用カウンターになりました。」と冷たく言い放つ。そんなバカなと思いつつ、しぶしぶ他の列の最後尾に並びなおすが、これで努力は全て水の泡である。永い待ち時間を辛抱し、やっと順番が来たのでチェックインのついでに田中さんがカウンターの女性事務員に確認すると、団体専用とか個人客用とか言う区別はないそうである。が〜ん。更に「禁煙席」と指定したのに、喫煙席との境目に座らされて結局喫煙と同じになってしまった。それもこれもJTBのうそつきツアコンのせいである。どうしてくれるんだよ、JTBの小林凸(-_-メ)!! 結局何だかんだで時間がなくなってしまったため、出国手続き後の免税店を駆け足で見て、土産のタバコやMOETのシャンパンをカードで買って慌しく機上の人となった。帰りもエコノミーで12時間である。こればっかりは何とかならんもんだろうか?

1997.11.3 Mon(JST):帰国

日本時間の昼頃成田へ到着し、無事入国審査を済ませて田中さんと別れる。私はここから更にトランジットで、20:00発の福岡行きに乗るのである。羽田まで行ってもよいのだろうが、今から行っても乗り継ぎや待ち時間などで結局飛行機に乗るのは夕方になるだろうし、荷物で満杯の思い75cmスーツケースを引きずって都内を横断する気力はない(特に浜松町の乗り換え!)ので、大人しくこのまま成田で待つことにし、まずは昼食を摂る。海外から帰ってきたときはいつもそうなのだがうどんが一番である。あの日本ならではのかつお出汁のあっさりした繊細な味が、疲れた胃腸に染み渡る。やっと人心地がつくと、会社や関係部門、知人など数カ所に帰国報告のメールを書いてグレ電から送信する。後は密度の高く充実した旅を振りかえりながら、ロビーでぼーっとひたすら出発時刻を待つ。国内便は何のトラブルもなく福岡空港に到着し、23時ごろやっと自宅に到着してこの長かった旅は終わりを迎えた。しかし、こんなに食べ物に不自由しなかった海外出張ははじめてである。最初は第一希望のイギリスから外れたことを悔しく思っていたが、今となっては逆にグルメの都パリに行けたことを感謝している。フランス料理は元より、色んな国のレストランが揃っていたので、はずれがなく飽きることもなかった。というようなことを言っていたら、「それは自腹が少なくておごってもらえたからでしょ。」と家内から突っ込みを入れられてしまった。しかし、それはさておき色々な国の同世代の仲間と寝食を共にして、文化の違いや共通する考えなどいろいろなことを学ぶことができ、また今でも電子メールやクリスマスカードをやり取りするようなグローバルな親友を持つことができ、本当に有意義な経験だった。この場を借りて関係者の皆さん全員にお礼を述べたい。Thanks to all the people who joined the JME Programme '97 in Paris, and special thaks to Miss Otsubo and Mr.Sekiguchi. また、忙しい中快く送り出してくれた職場の皆さん。出願や面接に際しさまざまなアドバイスをしていただいた当時の上司。そして、この旅行記を最後まで読んで下さったあなたへ、Many thanks!!

Fin.


番外編:Bill遠方より来たる


Written by Y1K