(1996.1.21〜1.28)
はじめに
元々の予定では、今年度のアメリカ出張は先の木村師匠との珍道中1回限りのはずであったのだが、何がどう間違ったのか再びアメリカ会合に参加することになってしまった。ただ行かせて頂くのは申し訳ないので、ここに再びその顛末を報告することにする(報告先がちょっと違うような気もするが(^^;))。
1996.1.21(JST)
今回は、ネタの神様は下々ではなく偉い人に牙をむいたようである。成田の搭乗待合い室で談笑している我々若手の前を、昨日出発しているはずの吉田さんがすーっと横切られるではないか!! 聞けば、昨日首都圏に降り積もった雪のせいで出発便が欠航し、今日の便に振り替えられてしまったとのこと。幸いにもコノシュアークラスにアップグレードしてくれた上に、ホテルも用意してくれたので午前中は成田山に行かれたそうだが。ともあれ初っぱなからいきなりこれである。今回も無事には済みそうも無いなと一人確信する筆者であった。
1996.1.21(EST)
その後飛行機に搭乗するが、前回のような変な搭乗客もおらず、何事もなく機はニューアーク空港へ到着した。着陸の時に滑走路に積もった雪を巻き上げていたのがちょっと恐かったが。入国審査や税関も驚くほどスムーズに通過し、我々はタクシーに分乗してホテルに向かうことにする。まず、筆者と新津氏ペアである。前回の経験を踏まえて、今回はちゃんと運転手用に事細かに行き方を記した地図を用意してきたのでばっちりである。ばっちりのはずだったのだが、、、、、お約束のように運転手は道に迷ってしまった。窓外にすーっと通り過ぎる訪問先B社とホテルを見て行きすぎたことに気づき、あわてて運転手にUターンを指示する。「しばらく戻って右折するように」と指示するが、どうも運転手は思い違いをしているらしく左折だと言い張る。「どこから右折するんだ」と盛んにせっつくので、「もう少し先だ」と答えるが、なかなか見えてこないことにいらいらして、「あんたの言うとおりにしたのに着かないじゃないか!このままハイウェイに戻るつもりか」などと悪態をつき始める。せっかちな奴だなぁと思っている内にようやく目的のホテルが右手に見えてきたので、「あれじゃないか?」と右折を指示すると「アレじゃないよ。あれは病院だよ」と自信たっぷりにいう。それでも「あんたがそういうなら曲がってみるよ」と言いながらしぶしぶ右折してみたら、案の定それが目的のホテルだった。「ほらここじゃないか」ととがめるように言うと、澄まし顔で「やぁ、ここがホテルだ」ときたもんだ凸(-_-)。とにかくやっとの事で到着しロビーに入ってみると、我々が先頭で出発したにも関わらず他のメンバは全員先に着いていた。聞けば「地図を渡して運転手にお任せでしたよ」とのこと。ちなみに参加者のためにその地図を作成したのは他でもない筆者である。何でこうなるの? やっぱりネタの神様に一度気に入られると、休ませてはもらえないのか。とりあえず、そんないらいらを振り払うかのように、例によってホテルのプールで黙々と泳ぐ筆者であった。
1996.1.22(EST)
会議1日目である。特筆すべき変わったこともなかったが、強いて言えば初日からすっかり議論が白熱してしまい、「もう少し。もう少し」とやっているうちに夜7時までかかってしまった。前半で議論を白熱させたお二方が、5時になってとっとと先に帰ってしまわれたのがちょっとびっくらこいてしまったが。昼食時には、前回の旅行記でもお馴染みのスティーブと同席だったのだが、彼の話によると例の大雪の日にたまたま車でニューヨークへ行っていて、道路が通行禁止になってしまったので仕方なく電車で帰宅し、後日車を取りに行く羽目になってしまったとのこと。さらに、通行禁止が解除になって出社してみると、彼のマックのHDが壊れており、最後にバックアップを取った11月以降のファイルが失われてしまうというさんざんな目にあったらしい。出社できなかった日はPPPで会社のネットワークに繋いで仕事をしていたそうな。彼の家庭も、あまり遅く帰ると奥さんが文句を言うため仕事を持ち帰ってやっているとのこと。最近では会社にログインしている間は電話が使えなくなることにも苦情が出るらしく、「ISDNを引こうかな」とも言っていた。彼くらいのクラスになると、日本人よりもよほど勤勉である。その勤勉な彼につきあってもらって遅くなってしまったので、今夜は外出せず夕食はホテルで取ることにする。今回のホテルのレストランは、夜が軽食しかないということで一部には評判が良くないのだが、アメリカ基準の「軽食」なので日本人にとっては丁度良い量である。それでも例の「量が多い攻撃」を警戒した筆者は、ウェイトレスに「1番量が少ないのはどれだ?」と質問して失笑を買ってしまった。食事中も今日の議論の続きで盛り上がってしまい、席を立ったのはすっかり遅くなってからであったが、プールに直行し残り時間30分をフルに使って今日もひたすら泳ぐ筆者であった。泳いでさっぱりした後予習をして2時頃就寝した。
1996.1.23(EST)
今日は自分のプレゼンテーションが3本あるため、予習をしようと早めに起床する。しかし、たまたまつけたTVで、今話題のアメリカ版セーラームーンが始まるところだったので、思わず見いってしまった。主題歌のメロディは何とオリジナルと一緒である。ただし、歌詞のほうはアメリカ子供番組の例に漏れずキャラクター名連呼型だったが。内容はというと、シカゴに留学中の友人が「英語の勉強にはこれが1番だ」と言っていたとおり、平易な日常会話と戦闘シーンの短い言葉の掛け合いが中心なので、非常にわかりやすい。「セーラームーン」、「タキシードマスク」、「クインベリル」などなど、キャラクタ名もかなりの割合で再利用が図られていた。って、何で知ってるんだよ。あぁ、木村師匠にも見せてあげたかったなぁ。そんなわけで、折角早起きしたのにあまり予習もせず会議に出かけたのだが、今日も議論が白熱してしまい、昼食時間をわずか15分に短縮したにも関わらず、またまた7時までかかってしまった。
ホテルに戻って、「外に食事に行こう」ということになり、森野さんが「川上くん、どこか知らない?」といわれるので、前回の旅行記でおなじみRedHeadsに一行をご案内した。予約無しにいきなり行って11人もの人数を受け入れてくれそうな店は、他に思い当たらなかったからである。例によって難解なメニューと格闘しながら思い思いに注文をする。サラダのドレッシングは、勿論ラズベリーである。一応「量がすごく多いから用心して下さいね」と注意するが、待ちきれずにパンをぱくついているひとが何人かいる。知ぃ〜らないっと。程なく料理が運ばれてくるが、あまりの量の多さに驚く皆さんの表情が実に見ものであった。「食欲がない」と言ってサラダだけ注文した吉田さんは、名物てんこ盛り攻撃にあって「ナタラジャンさんになっちゃったよぅ」と泣きそうになりながら召し上がっておられた。筆者は2度目なので心得たもので、うまく注文したので泣かずに済んだのである。丹羽氏は今回も半分以上残していたようだが。特筆すべきは、筆者の口車に載せられてラズベリったNI部の荒木氏が「うまい、うまい」とサラダを平らげてしまった上に、メインディッシュも残さずに召し上がっておられたことである。おそるべし。 ホテルに戻って、日本の木村師匠にメールで中間報告を行い、いつものように2時過ぎに就寝した。
1996.1.24(EST)
早速スティーブに「昨日RED HEADSにみんなを連れてって、驚かせてやったよ」と言ったら、また怪しげな店を紹介された。マンハッタンにある"Jekyll and Hyde Club"という店である。ここは店内の内装が変わっていて、本棚がくるりと回る隠し扉や、壁の肖像画の目がぎょろぎょろ動いて客を睨めつける仕掛けなど、びっくりハウス的なコンセプトでつくられているそうである。ただし味はまずいとのこと。彼がまずいと言うんだから、相当まずいんだろうなぁ。それでも常に行列ができているそうである。前回のWBキャラクターショップやプラネットハリウッドといい、今回といい、実はスティーブはヲなのではないかと、密かにささやき合う羽藤氏と筆者であった。会議自体は驚くほど平和に進行し、6時に終了した。今日は双方の会議参加者を交えてのディナーである。料理はイタリア料理であったが、程良い量の上に、味も日本で食べるイタ飯と変わらずまあまあである。新津氏などは「アメリカで食べた中で一番うまいですよ」と喜びながら食べていた。そりゃぁ、昨日が昨日だったからねぇ。唯一の難点は、料理の出てくるペースがやたら遅いことである。こちらのフォーマルなディナーは大抵そのようだが、会話を楽しみながら食べるために、やたらペースが遅い。結局4時間以上もかかってしまった。面白かったのはワインのラベルにまでURLが書いてあることである。さすがインターネット先進国だけあって、TVのコマーシャルはもちろんの事、日常ふつーに生活していても頻繁にURLを目にする機会がある。
ホテルに戻ったのは11時近かったため、昨日に続いて今日も泳ぐことができなかった。残念。木村師匠に会議の続報をメールし、明日のチェックアウトに備えて荷物のパッキングを行って、今日も2時過ぎに就寝した。
1996.1.25(EST)
会議最終日である。午前中に残りの議題と全体のまとめをやって、午後はデモンストレーションである。昼食の時、スティーブからまたまた面白い話を聞く。この人はホントに情報の宝庫である。話というのは、彼が先日の出張でバージンアトランティック航空を利用したときのことである。何と、各シートの背に液晶テレビが付いていて、好きな映画を自由に選んで見れるばかりでなく、横にゲームパッドが刺さっていて「スーパーニンテンドー」がプレイできるそうである。「8時間のフライトも、ゲームのおかげで退屈せずに済んだよ」と言っていた。以前からただ者ではないと思っていたが、実はかなりのゲーマーの様だ。木村師匠と話が合いそうだな。ということで、「7月会合の時は、実はミスターキムラはゲームボーイを持ってきていて、機内でずっとやってたんだよ。」と教えてあげた。 午後のデモは普段仕事に使われている実験室で行われたが、部屋の感じとしては819Cみたいなところで、いろんなタイプの人が働いていた。基本的に制服はないようで、みんな通常は思い思いの格好をした木村師匠状態で仕事をしている。そのデモもほぼ時間通りに終わり、これで全日程終了である。今回の会合も何とか無事に終わることができた。ホントは「無事」ではなく色々な波乱があったのだが、コンフィデンシャルインフォであることと、個人の名誉を損ねる恐れもあるので、会議内容に関する記述は控えさせていただく。
B社の皆さんと固い握手を交わした後、7名がバンに乗ってマンハッタンに移動する。道中、ぐっすり眠りこんでいる皆さんを後目に、羽藤氏と筆者は今回の会議の反省点や来年度の検討体制についての話で盛り上がる。あぁ、何てまじめなんでしょ。筆者は、ニューヨークの夜景を見ようと道中ずっと起きていたのだが、リンカーントンネルに入るところで渋滞に捕まってしまい、代わりばえしないトンネルの壁を見ている内に不覚にも眠りこんでしまった。残念。マンハッタンに入り、他のホテルの皆さんを順次降ろした後、運転手のおじさんが「着いたよ」と言うので見てみると、「シェラトン・ニューヨーク」ではないか。「シェラトン・ニューヨークとシェラトン・マンハッタンがあって、我々が泊まるのはシェラトンマンハッタンの方なんだ」と教えたら、思いっきり落胆して「オー、ジーザス」と言いながら、場所を聞くために中に入っていった。映画やTVの中だけでなく、ホントにそう言うのかと思うと妙におかしい。程なくして出てきた表情はがらりと変わっており「安心しろ。角を曲がった、通りの筋向かいだそうだ」とにこにこ顔で言う。実は知っていたのだが、もしそれを言ったら「じゃぁ、ここで降りて歩いて行け」と言われそうなので、黙っていたのだ。
そんなこんなで、羽藤氏、丹羽氏、新津氏、筆者の4人は8時頃チェックインして丹羽氏の部屋に集まり、今夜の夕食の相談をする。ガイドブックを広げてあれこれ悩んだあげく、適当な店がないので結局ホテルのレストランで食べることにする。さすがにホテルのレストランだけあって、味はまあまあである。相変わらず量は多いのでちょっと残してしまったが。会議の終わった安心感から、すっかりハイになった我々は、今回の会議参加者の行動/発言内容を中心に話が盛り上がってしまい、レストランを後にしたのは11時近かった。その後再び丹羽氏の部屋に集まり、観光プランを練る。今回も某主任技師のセリフであるところの「帯に短したすきに長し」を中心に、新しく追加された「ご案内のこととは存じますが」などを落としどころに、ハイテンションな我々の話し合いは1時半まで延々と続いた。
1996.1.26(EST)
ホテルのプールが6時からオープンするので、6時半に起床してしばしプールで泳ぐ。その後身支度を整えてロビーに降りるが、待ち合わせ時間の8時を過ぎても新津氏が降りてこない。前回の羽藤氏に続き今回は新津氏である。この出張では寝坊は恒例となってしまった。丹羽氏が呼びにいくが、案の定寝ていたのですぐには来れないとのことで、我々3人だけ先に近所の「カーネギーデリカテッセン」へ朝食をとりに行く。ガイドブックによると、ここの名物は塩漬け牛肉の燻製を挟んだ「パストラミサンド」だというのでそれを注文する。しかし出てきたのを見てびっくり。薄くスライスした肉を厚さ10センチはあろうかというほどに積層し、パンに挟んである。しかもそれが1皿につき2個ずつあるのである。あまりの量に圧倒される我々を、隣のテーブルのおばちゃんは指差して笑っていた。結局食べきれないのでドギーバッグに入れて持ち帰りにしてもらう。その後やってきた新津氏と合流し、めいめいの目的地へ向かった。筆者の最初の目的地はマンハッタンの西のはずれにある「イントレビット航空宇宙博物館」である。ここには、第2時世界大戦で使われた空母を係留し、実物の戦闘機や宇宙船を展示してある。実は8年前にも見学のために門前まで行ったのだが、車道の反対側に立ってなかなか変わらない信号を待っているうちに閉館時間になってしまい、目の前で門を閉められてしまったという悔しい経験をしてしまった。そこで今回は仇討ちなのである。飛行機に興味があるという新津氏も同行する。しかし、広い空母の中でいきなりはぐれてしまった。しかたなく1人で艦内を見て廻りフライトデッキに上がる。デッキには新旧取り混ぜてあらゆる戦闘機が所狭しと並べられていた。F4,F14,F16等、お馴染みの機体はもちろんの事、なんとA−12ブラックバードまで置いてあったのにはたまげた。あんなでかいのをどうやって持ってきたんだろ。空母以外に潜水艦も係留してあったのだが、艦内見学ツアーは希望者が13人集まってから始めると書いてあるのに、筆者以外にはアベックが1組居るだけで時間がかかりそうなので、途中で断って外へ出た。後で新津氏に聞いたところによると、40分後くらいに集まったそうであるが。その後、併設の土産屋でアメリカ土産の定番「3Dビューアー」と何故か宇宙食を買って、博物館を後にする。新津氏には悪いが、この後は別行動となる上に、Agendaがシビアなので待っているわけにも行かないのである。
その後、マンハッタンを横断する形で東へ戻りながら「CompUSA」へ向かう。途中にあったXXX指定のビデオ屋を覗いてみると、過激なパッケージの洋モノ(当たり前か)や大人のオモチャが並んでおり、うぶな筆者には目の毒である(アノ太さにはたまげてしまった)。日本人らしき客もいていくつか買っていたが、通関とかは大丈夫なのだろうか。面白かったのは、日本製のAVソフトが日本語タイトルの表紙のまま売られていたことである。あれも無修正なんだろうか。いたたまれずに早々に店を出るが、せめてCD-ROMくらいは買うべきだったかもしれない。う〜む、残念。
CompUSAは思ったほど広くなく、ちょっと期待はずれであった。LaOXみたいなのを想像していたのだが。やはり、行くなら郊外型の大規模店がよいようである。1階がハード、2階がソフト売場になっているので、「98でWindows(^^;)」の筆者は1階をさっと流して2階に上がる。基本的にビジネスアプリは日本で売ってるのとそう変わらないようで、MicrosoftとLotusが幅を利かせている。中には日本版の実売価格の方が安い様なのもあった。丁度発売直後ということもあって、Microsoft「Encarata'96」のキャンペーンとデモをやっており、価格も$49と手頃であったのでちょっと食指が動く。しかし日本語版発売の話があるのを思い出したので買うのはやめておく。以前Dinosaurを$75で買って帰ったら、半年も経たないうちに日本語版が¥3,900で発売されたという苦い経験を思い出したからである。その他ゲームソフト等を見て廻るが、日本人の感性からは今一つ理解しがたいモノが多く、これと言って取り立てて欲しいものもなかったので何も買わずに店を出る。ちなみにMacのコーナーは隅の方に申し訳程度にあるくらいで、客も全然いなかった。
物足りなさを感じていたので、近くにいくつかある家庭用ゲーム店を覗いてみる。こちらも日本同様、PSとサターンが幅を利かせており、実売価格もほぼ同等である。ソフトとしては日本版のタイトルが3割くらいで、後は向こうネイティブのNFLもの(フットボール)とかNHLもの(ホッケー)とかNMLとかSMLとかが結構人気のようである(NMLとSMLはウソです(^^;))。スーパーニンテンドーをはじめ、この分野は日本企業の独壇場のようだが、新たな貿易問題に発展しなければよいが。その後、ニューヨーク市図書館に入って中を一周し、休憩と昼食のためにホテルに戻る。ホテルの部屋でコーヒーを飲みながら、朝の残りのサンドイッチをかじるが、あまりの量にすっかり胸焼け状態になってしまった。あぁ、ローソンサンドが懐かしい。前回の旅行記のステーキサンドといい、「サンドイッチ」という言葉の定義には日本とアメリカで大きなギャップがあるようである。休憩後、エレベータで階下へ下りる途中、偶然にも羽藤氏が乗ってきたので「Hello, how are you doing?」と声をかけるが、羽藤氏は肩を縮めるようにして隅の方へ寄ってしまう。もう一度「Mr.Hato?」と声をかけるとビックリしたようにこちらを振り向き、やっと気付いてくれた。曰く「エレベータの中で変な奴に声を掛けられて、からまれると思ったので見ないようにしていた」とのこと(^^;)。一緒に乗っていた外人のおじさんは、肩で笑いをこらえていたようであった。午前中NTTアメリカを訪問した羽藤氏は、一旦着替えにホテルへ戻ってきたところであり、NI部の荒木氏と一緒にこれから「アメリカ自然史博物館」へ向かうとのことである。そこで、再び筆者は単独行動でティファニーへ向かう。ティファニーで土産を物色していると、いきなり「May I help you」と呼びかける人が。はっとして目を上げるとNI部の花木氏であった。一足先に奥様へのお土産を買われた花木氏を見送った後、筆者も土産を買って次の目的地である「F.A.Oシュワルツ」へ向かう。ここは有名な世界最大級のオモチャ屋である。しかし想像していたほど広くない。そごうのオモチャ売場といい勝負ではないだろうか?ゲーム機関係も、バーチャルボーイとゲームボーイしかないし。何よりも日本のオモチャ売場にはある、特撮/ヒーローものアニメのビデオが全くない。折角、話の種に米国版セーラームーンの1本でも買って帰ろうと思っていたのに。やや落胆して早々に切り上げようとしていたら、またしても花木氏と会ってしまった。何と世間の狭い事よ。もっとも、日本人の行くところが限定され過ぎているのかもしれないが。
店を出るとすっかり暗くなっていたが、雪の残るセントラルパークを横に見ながら徒歩で北上し、「アメリカ自然史博物館」へ向かう。人通りの少ない道を30分ほども歩いてやっとたどり着く。今回の移動は全て徒歩なので、既に足はがくがくである。全部をじっくり見ると1日でも足りないくらいだということで、興味のある鉱物、隕石、恐竜のみに絞って見学し、後はさっと流す。途中いくつかビデオを上映しているブースでは、疲れと睡眠不足で思わず落ちそうになる。しかしナレーションは子供にもわかりやすくということを配慮しているためか、スピードもゆっくり目で発音もはっきりしており、筆者でも付いていくことが出来る平易なレベルである。また、展示室などは全て車椅子用のスロープや、電動リフトが備え付けられており、弱者に対する配慮が行き届いている。4階にある恐竜の展示室には、日本なら1匹1匹が展示会の目玉となるような、よだれものの化石が所狭しと並べられており、この国のスケールの大きさに圧倒されてしまった。
未練は残るが時間も迫ってきたので、特に土産も買わずに博物館を後にし、集合場所であるプラザホテルまで、また30分かけて歩く。今回はそれぞれ単独行動であったが、プラザホテルに集合してスティーブお奨めの例の店で夕食を取るのである。プラザホテルは例の竹下首相のプラザ合意で有名なホテルである。ホテル前で、丹羽氏、新津氏、荒木氏、筆者の4人が羽藤氏を待っているとき、再びネタの神様がやってきた。我々の目の前を通り過ぎていく中年夫婦の奥さんの方が、ぽろっとハンカチを落とすではないか。すかさず気付いた新津氏の口から「Oh! You Droped a handkerchief」という、例のフレーズが飛び出す。やぁ、まさかこんな所でNOVAのCMがほんとに役に立つとは思わなかった、と笑い転げる我々であった。羽藤氏も到着したので「ジキルとハイド」へ向かうが、寒空の下、入店待ちの長蛇の列が出来ている。待ち時間は1時間程度とのことである。しかし折角なのでそのまま待つことにする。幸い、思ったより早く入店することが出来たが、入ったところが小部屋になっていて、まず歓迎のアトラクションがある。ゾンビの格好をした店員が歓迎の言葉を述べたり、暗闇でクラッカーがはじけたり、マジックミラーの向こうからゾンビが現れたりと趣向を凝らしているが、一緒に入った若いねぇチャン達のしゃべりがうるさくて、「てめえら、人の話は静かに聞けよ」と日本語で(^^;)ぶーたれる筆者達であった。その後店内に案内されるが、スティーブの言っていた隠し扉というのは、実は単にトイレのドアに本の表紙が張り付けてあるだけの代物だったり、店内も思っていたほど広くなく。「何だスティーブ全然分かってないなぁ」「今度日本に来たときに忍者屋敷に連れていって教育する必要があるなぁ」などと、一行から不満が噴出する。しかし、しばらく待たされて後テーブルに付いた我々は、その考えを改める必要に迫られる。レストランは3階建てで、それぞれのフロアにテーブルと席があるのだが、奥の方が吹き抜けになっており、そこにディズニーランドばりの大がかりな舞台装置がいくつかある。そして、それらの大仕掛けな装置を動かして代わる代わる演じられるショウを、食事をしながら楽しむことが出来るのである。メニューの方も$7〜&20程度とお手頃で、あれだけの機械の保守費を何処から出しているのだろうと不思議になるくらいである。メニューの中に「Japanese traditional Tenpura」というのを見つけた筆者は、彼らのいうところの「天ぷら」がどのようなものであるか検証するためにそれを頼んでみる。既に半分意識のない羽藤氏は、食欲がないので前菜だけを注文する。出てきた「天ぷら」は、日本のものとは似ても似つかず、衣はケンタッキーのような油ぎとぎとのフライである。具はシュリンプ(海老)、じゃがいも、そして何故かブロッコリーである。それらを、薄めてない原液の醤油に浸けて食すので、辛いやら胸焼けするやら。それでも根性で全部食べる。日本男子の意地である。まぁ、あらかじめスティーブから「まずい」と聞いていたので、こんなもんだろうと納得する。1日中歩き回った上に入店待ちの行列ですっかり疲れはてた我々は、その後飲みに行くこともなく「今日、競馬に行ったスティーブと吉田さんは勝てたかなぁ」などと、のんきに話しながらおとなしくホテルへ帰った。
1996.1.27(EST)
いよいよ帰国である。例によってビデオチェックアウトをし、7時50分にロビーに降りる。今日は程なく全員揃ったので、ホテル前から2人+2人でタクシーに分乗して空港へ向かうことにする。客待ちの先頭のタクシーに乗ろうとすると、ドアマンが「後ろのに乗れ」と我々を制して、ドライバーと喧嘩になってしまった。「俺に触れたな」「Fuck You」などと険悪なムードになったのをを後目に、とっととその場を後にする。よく聞き取れなかったが、新津氏によると「場所代を払っていない」とか何とか言ってたらしい。幸い我々の乗った車は人のいい運ちゃんで、明朗会計で料金の内訳を教えてくれたりした。車内にも書いてあったが、NY市内から空港まで行く場合は、実際の料金($25程度)+往復の高速代($6)+$10を支払わなければならない。これは、タクシーが州をまたがって営業することが出来ないためである。 空港でさくっとチェックインし、朝食を採る。パン、ベーコン、スクランブルドエッグ、コーヒーのセットで$4.5である。羽藤氏と丹羽氏はお気に入りの「ばじぇーる」もとい「べいぐる」である。しまった、今回筆者は一度も口にする機会がなかった。朝食後売店へ向かうが、7月にやってた工事はもう終わっているだろうと思っていたのに、まだやっている。仕方ないので例の仮説店舗で、いつものように格安のデンタルフロスとゲーム雑誌およびこまごました土産を買って機上の人となった。行きの便は前日のキャンセルのあおりを受けてすし詰め状態であったが、帰りはすいていた。「結構すいてるね。さぁ座りましょう」とかいうようなフレーズが頭をよぎる(って、おまいは木村師匠か?)。筆者の席は3人掛の窓際だが、通路側の席に若いねぇちゃんが居るだけで真中はあいており、遠慮する必要がなかったのでとにかくもう寝る寝る。しかしフライト半ばの「赤い狐タイム」で目が覚めてから、なぜかそのお姉ちゃんとおしゃべりを始めてしまった。そのお姉ちゃんは同い年の30歳で、NYに中国人の彼氏がおり(あぁややこしい)会いに行ってきたとのこと。しかも、行きは例のキャンセルになった便を予約していたのだが、一刻も早く会いたいのでLA行きの便に振り替えてもらってLA経由でNYへ行ったこと。将来結婚してNYに住むつもりであること。等を話してくれた。こちらも適当にプロフィールを話して、後は他愛もない世間話に花を咲かせる。おかげで後半は退屈せずに成田までの時間を過ごすことが出来た。
1996.1.28(JST)
その後、機は無事に成田に到着し、Baggage Claimの場所で彼女と別れる。しまった、電話番号くらいは聞いておくべきだったかもしれない。だが、そのとき筆者の興味は別の方にあったのである。この時期はオフシーズンらしく、それほど混雑していないためか、客の3人に1人くらいは通関の際にスーツケースを開けられているようである。単独行動でソーホーへ行った丹羽氏は、怪しいCD−ROMを購入してきたとのことで、我々の興味は彼が無事通関できるかというその1点にかかっていた。緊張の面もちで、我々の注視する中を列に並んだ丹羽氏は、幸いにもあっさりと通してもらうことが出来たようである。筆者もすんなり通してもらい、やっぱり買っとくんだったとほぞを咬むが後の祭りである。そんなこんなで、平和なうちに今回の出張も幕を閉じるのであった。
おわりに
ここまでおつきあいいただいた皆様、ありがとうございました。上記内容は実際の出来事をベースに記述しましたが、若干の主観的な脚色が加えられていることをお断りしておきます。(文責:川上)
Written by Y1K