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1.朝のソウルの都心部〜仁寺洞
7時ごろホテルを出て、今日は予報では雨だっていうのにまだ降っていないし薄日が差していた。混みあう地下鉄は避け明洞から真北に徒歩で向かった。コンビニの壁に向かったカウンターでカップラーメンを立ち食いしているスーツ姿の人、歩道の売店で客に朝食代わりとして提供するため鉄板でパンやチョン(チヂミ)を焼いているところ、韓国人も仕事が大変らしい。家でゆっくり食べることはできず、立ち食いそば、喫茶店のモー
ニングサービスで朝食を済ませる日本人が多いのと同様にカップラーメンやパンの鉄板焼き、チヂミで済ませる韓国人が多いようだ。韓国のハンバーガー屋の営業開始は大体9時だから、仕事前のそこでの朝食は不可能だ。それらを見ながら歩き続けると骨董品店が並ぶ仁寺洞 (인사동・インサドン)に来た。早いからどの店もまだやっておらず人通りもまばら、地元の人の他に白人系外国人が一人通っていただけ。既に土産物は買ったから「ああここが有名な仁寺洞だな」という感想で済ませ仁寺洞をあとにした。朝食として、コンビニ(LG25)でおにぎり2種類を買った。そこで登校途中の女子高生が何かを買っていた。日本と似た光景であるが、服装は釜山で見かけた時と同様まともな格好だった。次に曹溪寺(조계사・チョゲサ)へお参り。寺の入口を示す僧侶のイラストが描かれた看板があり一休さんを思い出した。曹溪寺は改修工事中だったが境内には入れる。
(左)朝の明洞は人がまばら。今日は雨だというのに日が       射している。
(右)こちら仁寺洞も朝早いからまださびしい。
14年前なら石の門があったが工事のため門は撤去されていた。その辺りで数人が合掌をしていた。その中にこれから仕事に出かけると思われる人もいた。韓国には熱心な信徒が多いのかとつくづく感じる。自分もそれにならった。先日の奉恩寺と同じように大雄殿(本堂)前の石塔を廻りながら合掌。境内を出る時も合掌だ。時刻はまだ8時を過ぎたばかりだ。今度行く昌コ宮(창덕궁・チャンドックン)はガイドツアー(予約不要)に参加しなければならない。日本語のガイド開始は10時半でまだ時間があるからその辺りを散歩、途中通ったタプコル公園(탑골공원/塔公園・タプコルコンウォン)(旧パゴダ公園)前は作業服姿の人の長い列ができていた。これから工事現場へでも向かうバスに乗るのだろうか。そして昌コ宮へと向かった。

2.昌コ宮が開く前のひととき、韓国のコンビニ・ファーストフード・B級グルメ店
昌コ宮のガイドはまだだから東隣の昌慶宮(・チャンギョングン)の入口まで歩いた。ここも王宮だったので広くそこまで随分歩いた。塀は日
本の屋敷の塀のようにも思えるが真四角な石を積んである所が異なる。そして昌慶宮の門の前に来た。門は赤く屋根の隅は上に反っている所が韓国らしい所だ。ここも開館は9時なので門は固く閉ざされていた。そして戻って昌コ宮前を通ってバス停付近のベンチで先ほどLG25で買ったおにぎりを食べた。なお韓国で見かけたコンビニは、セブンイレブン、ファミリーマート、ミニストップ(以上3店は日本にもある)、LG25、バイザウェイ。ローソン、サークルK、ampmはなかった。ハンバーガー屋はロッテリア、マクドナルト、そして日本からは随分前に撤退したといいソウルに来て初めて見たバーガーキング。そしてフライドチキンのケンタッキーもある。以前吉野家が韓国にもあったらしいが、韓食のようにキムチやナムルなどがサービスでつくのとは違い、味噌汁や漬物が別売り
昌慶宮の塀は日本の屋敷の塀と同じような違うような。昌慶宮の正門・弘化門。
であるため韓国人には受けず撤退したというが再進出するとか。同じ牛丼系の松屋やカレーのココ壱番屋もない。ファミレスも見かけなかった。回転寿司や東京・新宿に本部があるトンカツのさぼてんはあるというが確認できなかった。
おにぎりを食べ終わってもまだ10時半まで時間があるから今度は昌コ宮の南、敦化門路(돈화문로・トンファムンノ)を下る。途中、屋根のてっぺんの尾根(大棟)が弓なりになっている韓国伝統家屋が並んでいる路地を見かけたのでそちらへ曲がる。昔はソウルの中心部もそういった家屋が密集していたのだか1980年代、次々と取り壊されて高層ビル群になった。この辺りは残された貴重な所だ。そして敦化門路に戻ってコーヒーカップの絵が描かれた看板の다방(タバン=喫茶店)を見つけたのでそこで時間を潰した。店内は主人一人だけで他に客はいなかった。うす暗かったがきれいな店だった。まず日本と同じように水が運ばれてきた。「커피 주세요・コーピージュセヨ(=コーヒー下さい)」と注文。主人は「何とか何とか何とか」、おそらく「承りました、暫くお待ちください」ということだろう。私は「・イェー(=はい)」と答え、暫くしてコーヒーが運ばれてきた。既にミルクが入っている。韓国の喫茶店では、砂糖のポットにはスプーンはなくコーヒーに添えられたスプーンを使って砂糖を入れる。コーヒーは薄めで、アメリカン、ではなくコーリアンのコーヒーだ。昌コ宮のガイドの時間が近づいてきたので勘定。値段は3千ウォン、名古屋の相場(350円)よりやや安く、東京の相場(400円〜500円)よりずっと安い。
 
韓国にも多いコンビニとファーストフード店
何れもソウルの繁華街・明洞で撮影。(左から)セブンイレブン、地下鉄4号線のワニの口のような入口近くのミニストップ、ファミリーマートとその隣の(行き損なったが)すき家の看板に似た海苔巻き屋と思われるファーストフード店、マクドナルド(手前)そしてロッテリア(向こう)

3.昌コ宮ガイドツアー
昌コ宮は李氏朝鮮時代の国王の宮殿である。1405年(第3代国王の時)にここより西へ1km離れた所に位置する景福宮(경복궁・キョンボックン)の離宮として建てられれ、ユネスコの世界文化遺産の一つでもある。昌コ宮の正門・敦化門前ではすでに何人かが待っていた。日本語のパン
フレットを取っていたので日本人であることを確認した。今回ソウルで初めて確認できた日本人だ。彼らに入場券は既に買っているかどうか”日本語で”尋ね、敦化門左の角を曲がった所で買うことを知り、2500ウォンで入場券を買った。ガイドが始まるまで、「懐かしの」日本人らしい動作を見ることを楽しんだ。写真をやたら多く撮っているところ、カメラつき携帯で写真を撮ってところだ。ガイドは定刻どおり始まり敦化門をくぐる。多い時は何と
(左から)正門・敦化門、仁政殿、仁政殿の内部の玉座
100人を超え2グループに分かれてのガイドになるというが今回は15人ぐらい。少ないということになるが、自分にとっては満足できる人数だ。0人よりはずっと良い。赤、緑を使い国王を中心にした儀式が行なわれた正殿・仁政殿(인정전・インジョンジョン)から、奥へ奥へと進む。国王の住まいで敷地は広大なため、歩くと広い公園の散歩やハイキングのような感覚だ。そして次々と伝統的な建物に出会う。青瓦が美しい宣政殿(선정전・ソンジョンジョン)、王の寝室があり屋根のてっぺんには瓦がない大造殿(대조전・テージョジョン)、塗料は使っていない質素な建物である樂善齋(악선재・アクソンジェー)がある。床暖房のオンドルの部屋があり、裏にオンドルの燃料を焚くかまどがある建物もあった。しかし部屋は韓式ば
かりではない。西洋文明を取り入れた部屋がある建物である熙政堂(희정당・フィジョンダン)もある。椅子やテーブルが置かれ天井から西洋式の照明が下がっていた。韓洋折衷だ。日本の明治時代の貴族の邸宅を思い浮かべる。
(左より)ガイド中にシマリス(野生)が現れるというハプニングが起きた(日本で飼われているシマリスよりふたまわりも大きかった)。質素な造りの楽善斎。池があり最も景色が良いとされている後苑。内部は韓洋折衷の熙政堂。
ガイドの時間は一時間半で、途中、後苑(후원・フウォン)付近の売店前で休憩する。喫煙、ジュース飲みはそこでのみ。昌コ宮を出たのは丁度正午のこと。その頃雨が降り始めてきた。昌コ宮のツアーはタイミングがよかったことになる。

4.景福宮〜世宗大路、そして交通事故と信号機
今度は同じく王宮だったが正宮である景福宮(경복궁・キョンボックン)だ。李氏朝鮮時代初代国王の時に建てられた。その近くには瓦臺(大統領官邸)があるため、警察官の数がやたら多い。ヘルメットをかぶり黒ずんだ迷彩服姿の軍警察の人も走っている。景福宮は14年前に行ったため中には入らなかったが、正門である光化門(광화문・クヮンファムン)の向こうは広々していた。その時あった國立博物館(旧朝鮮総督府)は今
は無いからだ。國立博物館は向かって左側に移った。雨は本降りになってきた。世宗大路(세종대로・セージョンデーロ)を南下する。お昼時なので、昼食で飲食店に出入りするサラリーマンが大勢いた。
ふと先の方を見ると、片側8車線の広い世宗大路と、鍾路、C渓路(この2本の道もかなり広い)が集まる交差点に、サイレンを鳴らして止まったレスキュー車、救急車、パトカーが集まっているではないか。交通事故である。歩道はヤジウマだらけだ。ソウルの道路交通は怖い!
ソウル中心部は、道が広く、カーブが多いし、迷路だし、車の運転も荒い。横断歩道のある大きな交差点では、車が赤信号で止まる場合は横断歩道の手前と超えた所の2段階停止、歩行者信号が青でも車が止まらずヒヤッとさせられるが、横断歩道を超えた所の停止線(図の停止線A)で停止する。すでにそこに車が止まっていて横断歩道を遮るようであれば横断歩道の手前の停止線(図の停止線@)で止まる。また、車は赤信号でも右折(韓国では
       景福宮(光化門)
右折は小回り)することができるから横断する時は右折車にも充分注意する必要がある。韓国の車両用信号は、右から青、左折(大回り)用青矢印、黄、赤で日本と異なる。青信号と左折矢印が同時につく時もある。
歩行者用信号は青になって3秒ぐらいしたらもう点滅し始めるが、点滅し始めたばかりの時は慌てることはない。既に点滅している状態だったら横断をやめるべきだ。大きな道路になると、青信号の残り時間を示す、9つ程ある三角形の青い発光ダイオードを使った補助盤がついている(下写真の一番右、三角発光ダイオードの写真は撮り忘れたため作図した)。時間がたつと共についている三角形の数が減っていく。日本の「青信号はあと何秒か」を示す補助盤に相当する。尚、歩行者用青信号が点滅する速さは、日本なら1秒に2回で速いが、韓国は1秒位ついて1秒位消える繰り返しで遅い。歩行者用信号は上が赤で下が青
  ソウルで撮った道路信号
であることは日本と同じだが人のマークが日本は白であるのに対し韓国は黒であるところが異なる。
特別大きな道路となると地下道や地下街を通って横断する。車の通行が多いが信号の無い横断歩道を渡る時は、前を歩く韓国人について歩くのがベストだ。韓国での通行はこれほど緊張を要したため、帰国したばかりの頃、名古屋の交差点の横断歩道を渡る時、左折車や右折車がやけに怖くてたまらなかった。
ソウルの裏通りは交通事故は少ないと思うが、袋小路が多いし中にはL字型の袋小路もあり、道に迷いやすい。

5.雨の中の閑散としたコ壽宮
1時過ぎ、先日大漢門の外での王宮守門交代儀式のみを見たコ壽宮(덕수궁・トクスグン)の中に入る。昌コ宮はツアー参加だったがここは自由
に廻れる。李氏朝鮮第9代国王の兄の私邸として建てられたが1592年の壬辰倭亂(文禄の役)で景福宮、昌コ宮などが焼失してしまった後、王宮として使われれるようになった。平日で雨天のせいだ
(左より)コ壽宮の正殿である中和殿、李氏朝鮮第4代国王・世宗大王像、咸寧殿、周りの近代高層ビルと宮内の伝統建築(左・昔御堂、右・中和殿)とが共存
ろう、閑散としていた。勿論日本人もいない。中にいる人は仕事の合間の休憩中の人や、数人の憩う老人位だった。建物は昌コ宮に似たものが
多いが、ハングルを考案した李氏朝鮮第4代国王の世宗大王(세종대왕・セージョンデーワン)の像、報漏閣自撃漏という水時計が見所(見逃してしまったが)で、西欧式建物もあり石造殿と国立現代美術館の2棟ある。
ここコ壽宮はソウルまんまん中にあるため、周りを見ると高層ビルだらけだ。韓国伝統の建物、20世紀初期に建てられた西欧建築物、宮外の近代高層ビル群と共存しているような、或いは時代の移り変わりを表しているような王宮だ。
 
宮内は韓洋折衷で、(左から)国立現代美術館分館、水時計は見逃したが石造殿とその前の日時計

6.雨天で眺めが悪い漢江に沿って走る電鉄線、昼食はピビムバプ、傘のチューリップ持ち
コ壽宮のあとは、市廰から地下鉄1号線に乗り、ソウル駅(利用客が多いから転落防止の柵がある)を経たのち地上に出て国鉄電鉄線区間となり、龍山(용산・ヨンサン)で往十里、C凉里方面の京元線の電車に乗り換えた。天候が悪いせいだろうか、川に沿って道路が走っているせいだろうか、眺めはあまりよくなかった(カッガリ)。もし晴天であれば、南側から見るソウルタワーがそびえる南山、漢江の向こうの20階を超える団地を見ることが出来ただろう。ソウルタワーは雲の中だった。降りたのは玉水(옥수・オクス)駅、この駅は岸式2面で駅全体を覆う屋根がある斬新な造りだ。名古屋のガイドウェイバス・ゆとりーとラインの高架部にある蒲鉾型の駅を巨大化させたみたいだ。駅は禁煙だというのにそれを無視してタバコを吸いながらエスカレーターを上る客がいた。そして地下鉄3号線に乗り換えた。地下鉄といっても駅は京元線の駅の上に位置する。そして乗車、来た来た、物売りが。やはり雨だから「우산・ウサン(=傘)」と言っている傘売りだった。また、天井に液晶テレビが取り付けられていた。
東京の山手線を思い出した。忠武路(충무로・チュンムロ)駅で4号線に乗り換えて明洞に戻った。そして忠武路沿いのレストラン「古宮(고궁・コグン)」で昼食としてピビムバプを食べた。ピビンバプの食器は真鍮製だ。日本の焼肉・韓国料理店だとあと付くのはスープだけだが、ここでは今まで行った飲食店と同様、キムチやジャコの和え物など、数種類のおかずが付いていた。韓国料理は野菜を沢山食べるバランス食、確かに肥満の人は見かけない。食べ終わって、箸と匙を枕に置き、お勘定で立ち上がろうとしたが、店のお兄さんがデザートを運んできた。オレンジとシッケ(식혜・冷たい蜂蜜味のジュース)だった。値段は1万ウォンを超え、日本並みの値段だったが、数種類のおかずやデザートが付いていたのでそれなりの値段だろう。
まだ時間が早かったので明洞の地下街を歩くなどして時間を費やした。そこで初めて知った。折りたたみ傘を持っている人がそうでない傘を持っている人より多い。また折りたたみ傘は地下や屋内では柄は縮めずナイロンの部分を巻くこともしないので、チューリップを逆さまにぶら下げるように持つ「チューリップ持ち」で持ち歩く。地下街の店では、入口脇で店主の傘が広げて乾かされている。そういう光景を見た後、ロッテホテル近くの喫茶店に寄った。客は多い。しかし灰皿はあるがタバコを吸っている客は一人もいなかった。アイスコーヒー(냉커피・ネンコーピー)は4千ウォンで日本と同じぐらいだ。
   傘のチューリップ持ち

7.ホテル内でビールと眞露とコンビニ弁当の最後の晩餐
時刻は夕方4時ごろ、帰るのには丁度いい時間。ホテル近くのセブンイレブンで、「韓国最後の晩餐」ということで缶ビール500ml2本と眞露(チャミスルではなく昔ながらの眞露)350ml位1本、プルコギ弁当(불고기도시락・ブルゴギドシラク)、水を買った。合計値段は1万350ウォン。丁度で払ったし(釣りなし)、支払いの時店主が日本語で「イチマンサンビャクゴジュウウォン」と言っていたので値段は覚えている。合計値段で考えると日本の2/3位の値段だ(プルコギ弁当は3千ウォン)。日本語メニューがある値段が高い飲食店に行ってたものだから、ケチなB級ならぬC級グルメ(CはConvenienceの「C」)もいいものだ。プルコギ弁当のおかずは玉葱などの薬味入り焼肉の他、キムチ、青唐辛子、イカか何かの塩辛、玉子焼
(左から)コンビニで買ったOBビールはぬるかったので、ホテルの冷蔵庫の冷えたハイトビールを飲んだ(350mlで6千ウォン=約600円で高い!)。今、焼酎の眞露はチャミスル(22度)がよく売れているようで本来の25度の眞露は少数派。今晩の”メインディッシュ”プルコギ弁当。他、日本と同じようにコンビニではサンド(ツナサラダサンド)も売られており値段は1600ウォン(160円)で日本(200円〜250円)より安い。しかも税込み価格!
きであった。なお、日本のようにコンビニに常に多種の弁当が積まれているわけではなく、弁当は1種類でしかも数は1つか2つ、このため売り切れの場合が多い。今日はラッキーだった。
 
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