1.出発前のひと時
朝から小雨が降り蒸し暑い嫌な天候だ。ホテル内のレストランで喫茶店のモーニングサービス感覚での朝食、そしてチェックアウト。当初の予定では江南(강남・カンナム)の高速バスターミナルまでタクシーで行き、そこから高速バスで仁川國際空港(인천국제공항・インチョンククチェーゴンハン)まで行くことにしていたが、多くの土産物で荷物は重い。おまけに外は雨が降ったりやんだりだ。このためフロントでホテルから空港までのタクシー料金を尋ね、5万ウォン(約5千円)だとのことで財布の中身を確かめて真っ直ぐ空港まで行くことに決めた。名古屋行きのJALの空港出発は夕方5時40分、出発時刻の2時間前の3時40分までに到着するようにする、所要時間は約1時間30分位。このため12時に出れば充分だ。荷物を預けタクシーの予約をして一旦外に出る。
ソウルの街を名残惜しんで今回最後の市内散歩。ハトが多い。いや、平和のシンボルだというが、多すぎると言っても過言ではないだろう。釜山で穀物を運ぶトラックの荷台にハトがたかってしまい関係者を悩ませていることを先日か先々日のテレビニュースで知った。次いで多く見るのはスズメ。ハトは人通りが多い繁華街の道や駅前広場で見かけるが、スズメは公園や古宮にいる。日本と同じく頬に斑点があるスズメで人間を警戒している。しかし今回の訪韓で見たスズメは黒ずんでいて汚れているのが多かった。車が多く排気ガスのせいだろう。ゴミを荒すことで知られているカラスは1羽も見なかった。
明洞のメインストリートである明洞ギル沿いのロッテリアに寄り、今度はキムチバーガーセット(김치버거세트)を頼んだ。キムチバーガーはパンではなく、ハンバーガーのパンの形をした赤く染まったキムチ炒飯にメンチカツや野菜を挟んだものだった。その他フライドポテトとドリンクはC凉里の時と同じく、日本より多めで揚がり過ぎたフライドポテトとペプシコーラだ。2階の明洞ギルがよく見える席に座った。ラッシュのピークは過ぎたもののそこを通る通行人を見ながらの飲食を楽しんだ。雨はやんでいて先日と同様に傘をチューリップ持ちにしている人が殆どだった。

2.アンニョンギゲセヨ,テーハンミングク(さよなら大韓民国)
時間を潰した後再びホテルに戻って、既に待機しているタクシーに乗車。四日間お世話になりました。見送りのポーターは日本語で「さよなら」、そして私は韓国語で「안녕히 계십시오・アンニョンギゲシプショ」。雨足は再び強くなったもののタクシーは走り続け空港に到着した。5万ウォンを払った後、運転手に「감사했습니다・カムサヘッスムニダ.안녕히 가십시오・アンニョンギガシプショ.」と。
今回は6日間のうちタクシーに乗車したのは釜山とソウル1回ずつであったが、14年前は3日間で3回(しかもソウルだけ)。ソウルの地下鉄がストライキを実行していて、バスは系統がまるっきりわからず、移動の手段は徒歩とタクシーだけだった。当時はタクシー乗車は専用の乗り場でのみ。現在もそうだが来たタクシーに客が乗っていてもその客の行き先と方向が同じであれば相乗りすることができた。63階建ての大韓生命ビル前の乗り場で、タクシーが来るたびに行き先を告げては「乗車拒否」される韓国人の群れに混じって「동대문(トンデームン=東大門)」と言っては拒否される繰返しだったことを覚えている。そして4〜5台目が来てたまたま乗っている客がそこで降りて空車になったため乗ることができ、その直後に「시청(シチョン=市廰)」と告げた別の男性客が相乗りして来た。運転手は(当然韓国語で)私に何か話しかけていたが全くわからなかった。すると相乗りして来た客は「외국인(ウェーグギン=外国人)」と言って助け舟を出してくれ、私は「일본에서 왔습니다(イルボネソワッスムニダ=日本から来ました).」と言い、わかってくれた。そのことがきっかけで車内でその客と運転手との3人で、韓国語、英語、日本語をまじえてのコミュニケーションがとれたという良い思い出がある。韓国のタクシーにはボッタクリがあるというが、その時相乗りしてきた客は警察官(私服なので非番だったのだろう)だったのでラッキーだったと言える。現在は、模範タクシー(料金は高め)と一般タクシーの2種類のうち一般タクシーは専用乗り場以外でも日本と同じように手を挙げて拾うことができるらしい。相乗りも一般タクシーのみ(ガイドブックによる)。
搭乗手続きまで時間があるため、昼食として韓式レストランでカルビタン(갈비탕)を食した。カルビタンは今回2回目(飽きていない)。骨付きのカルビが好きであり、丸いお盆の上に並んでいるキムチや野菜系のおかずを食べるのが楽しみだからだ。ここではコチュジャンや塩で好みの味付けをするようになっている。昼食の後、搭乗手続きと荷物預けを済ませて、買い忘れの土産はないか土産物屋をいろいろ回り、紙パック入りの、とりこになったチャミスル(眞露)を買った。そして荷物検査場へ。何と靴まで脱がされるのだ。機内持ち込みに関して相当厳しくなっている。そしてそこを通過、税関で出国のスタンプをポンッと押されてホッとひと息。14年ぶりの訪韓は楽しいようで、SARSなどを恐れて日本人が少なく淋しかったようで...自分が話した韓国語が相手にわかってくれたが、相手が言っている韓国語が殆どわからなかったこと...迷路のようなソウルの街で韓国人と間違えられて道を尋ねられてしまい「나는 일본인이에요(ナヌンイルボニニエヨ=私は日本人です).」と言ったら、すんなり去って行ってくれたこと...14年前に利用しなかったコンビニやロッテリアをよく利用したこと...テロ事件、拉致事件に遭わずに済んだこと...長いようだったが、あっという間に過ぎた6日間...そんな思い出を残し、名古屋行きのJAL・DC10型機は仁川國際空港を定刻どおり飛び立った。안녕히 계세요대한민국!(アンニョンギゲセヨ,テーハンミングク!)。
14年前の帰国時は晴れていて機窓からソウルの街を望むことができたが、ふと
飲食店で汁物を頼むと、大体こんな形式で運ばれて置かれる。箸や匙は日本の蕎麦屋にあるようなケースから取り出す飲食店もある。
北の方に目を移すと薄雲に覆われていた。今回も座席は左側窓席の「良い席」であったが窓から見えるのは雲ばかり。当然北の方を見ることはできなかった。まだなぞに包まれていることを言い表しているようだった。
 
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