(Click)今回行ったソウルの街(南大門・明洞・鍾路) | (Click)今回行ったソウルの街(全体) |
1.朝食はソルロンタン、ワールドカップ競技場〜地下鉄のラッシュ〜ソウルオリンピックスタジアム 予定ではソウル北部の北漢山國立公園(북한산국립공원・プッカンサンクンニプコングォン)に行くつもりだった。しかし天気予報では曇、そして明日は雨。下り坂だ。山の方は早めに雨が降る可能性があるため予定を変更して曇や雨の場合の企画に変更した。6時半ごろホテルを出て、人通りがまばらな明洞の通りを歩いて朝6時から営業している味成屋(미성옥・ミソンオク)に入った。ここも14年前に寄った所だが改装されて綺麗になった。味成屋は、明洞のメインストリート・明洞ギル(명동길)の交番向かいバーガーキング角を曲がったL字型の袋小路に入った所にある。そこでソルロンタン(설렁탕)を5500ウォンで食した。安いと言える。牛内蔵肉を煮込んだ白いスープに内臓肉と細い白い麺が入っている。それにご飯を入れ、塩で味付けして食べる。キムチやカクトゥギも付いている。他に客は一人もいなかった。昼時となると満席になるらしい。そのあと乙支路入口より地下鉄2号線に乗車して西に向かう。車内はガラスキだった。合井(합정・ハプチョン)で6号線に乗り換えてワールドカップ競技場(월드 |
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컵경기장・ウォールドゥコプキョンギジャン)で下車。以前は城山(성산・ソンサン)という駅名だった。広い階段、そしてエスカレーターを登ればもう競技場のまん前だ。丁度1年前は大賑わいだったことだろう。テレビの中継番組のあのテーマが頭の中でよみがえった。その競技場の周りを1周して地下鉄の駅に戻り6号線に乗車。その時はまだギュウヅメではなかったが車内は混んでいた。合井で2号線に乗り換える時は、乗換通路は人でいっぱいだった。時刻は8時ごろ。そう、ラッシュである。今度はソウルオリンピックのメインスタジアムの | |
ワールドカップ競技場西口、東口、翌日(11日)開催の国際親善試合の相手はアルゼンチン。韓国のサッカーチームのキャラクターは「虎」。 | |
最寄り駅である綜合運動場(종합운동장・チョンハブンドンジャン)へ向かった。日本の地下鉄の駅と同様に島式ホーム1面の所と岸式ホーム2面(方向分離型)の所と様々だ。ソウルの地下鉄は1号線以外は日本とは逆で右側通行、島式なら左側の扉が開き、岸式なら右側が開く。岸式ホーム2面の駅の場合、ホームごとに改札口があることが多く間違って逆方向に行ってしまう可能性がある。今日最初に乗った乙支路入口駅もそうで、確認を怠ることなく今のところ間違えなく乗っている。次の駅に到着する前、自動の女性声車内アナウンスで「何とか何とか오른쪽입니다(オルンチョギムニダ=右側です)」というのが聞けた。何とか何とかはおそらく「나가는 곳은(ナガヌンゴスン)か출구는(チュルグヌン)=お出口は」だろう。はじめは岸式が続き左側の扉の所に立った。途中漢江を渡る。その付近は地上高架を走るため、汝矣島(여의도・ヨイド)にそびえる63階建ての大韓生命ビルや国会議事堂を望むことが出来た。再び地下に潜る。車内アナウンスの「オルンチョギムニダ」なら良いが、「왼쪽입니다(オィンチョギムニダ=左側です)」となるとまずい。今度はその自分にとってまずい左側の扉が開く駅が続く。乗ってくる客に押され中に入らざるをえなくなる。それにしても韓国では混んだ電車でも黙って乗り降りするようだ。何かトラブルに巻き込まれるといけないから、奉天(봉천・ポンチョン)で一旦降りた。そして次の電車に乗ったが次に停まるソウル大入口(서을대입구・ソウルデーイプク)も左側の扉が開くためそこでも降りた。 |
そういう動作を何回か繰り返した。時刻はまだ8時30分を過ぎたばかり。何本か見送ったが来る電車はまだ混んでいる。けど後ろの方は比較的すいていることがわかったので後ろに移り次の電車に乗った(もう何という駅から乗ったのかは本文を書いている時は忘れてしまっている)。車内は余裕ができている。新聞を折りたたんで読める位の状態だった。それからは一旦降りて乗り直すことはなく、駅に着くたびに客は少なくなってきた。車内自動アナウンスも、到着寸前となると「何とか何とか何とか何とか、안녕(アンニョーン)!」と聞こえる様になる。「今日もお元気に行ってらっしゃい!」ということだろう。他線乗換駅に近付くとチャイムとウグイスの鳴き声が鳴る。また、発車ベルが鳴っている最中に扉が閉まることもわかった。余談だがソウルの地下鉄駅は、発車時や接近時、JR東日本、JR西日本、大阪市営地下鉄のような派手なメロディーは流れない。そしてようやく綜合運動場駅に着いた。外は公園になっていて向こうの方に五輪マークのスタジアムが見えている。その手前は蠶室野球場(잠실야구장・チャムシルヤグジャン)だ。LGツインズと斗山ベーアーズの2チームが本拠地としている。今夜試合があるよう でチ | |
1988年に開催されたソウルオリンピックのメインスタジアム。 | |
ームの旗がなびいていた。その辺りは東京の、国立競技場や神宮球場がある神宮外苑と雰囲気が似ている。明洞にいた時はまだ晴れ間があり日が差していたが、もう空はすっかり雲に覆われている。だが雨が降る気配はまだない。 |
2.三成の新ビジネス街、奉恩寺 綜合運動場駅から東へ2km行けばロッテワールドだが、足を逆方向の西に向け、炭川(탄천・タンチョン)に架かる三成橋(삼성교・サムソンギョ)を渡り三成(삼성・サムソン)へ行った。この辺りは新ビジネス街で貿易センターや総合展示場、韓国電力などの新しいビルが立ち並んでいる。目 |
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的場所は奉恩寺(봉은사・ポングンサ)である。境内に入って暫く歩くと山門だ。一昨日の慶州・佛國寺の天王門と同様左右に色鮮やかな2体ずつの像が置かれているのでここも天王門と称するのだろうか?一人の信徒が奥に向かって、右に向かって、左に向かって合掌をしていたのでそれにならって合掌をした。寺に入る時はそうしなければならないとわかった。そして内部の大雄殿(本堂)の前に来る。僧侶の読経の声が外まで聞こえてくる。力強く、アリランのようなメロディーだった。国が違えば読経も変わるのか。石塔の周りを合掌しながら廻っ | |
綜合運動場駅付近から望む三成の街並みと、奉恩寺 | |
ている人が数人いる。そこでもその人たちにならった。そのあと大雄殿の脇より再度合掌。3体の黄金の仏像は輝いていた。再び山門で合掌して奉恩寺をあとにし、地下鉄2号線三成駅へ向かい乗車した。 |
3.ソウル東部のターミナル駅・C凉里 ソウル東部のC凉里(청량리・チョンニャンニ)へと向かう。名古屋・大曽根とC凉里との類似点を確認するためである。往十里(왕십리・ワンシムニ)で地下鉄2号線を降り、国鉄京元線の電鉄線に乗り換えてC凉里駅に着いて下車。C凉里駅は中央線や韓国東部への長距離列車の発着駅でソウルの東の玄関口だ。ガイドブックや他サイトには東京の上野や大阪の天王寺に相当すると書いてある。改札口へ登る階段は木の板だった。どうも工事中のようだ。駅を出ると明洞ほどではないが人が多い。駅前のロッテ百貨店に入って時間を潰した。何といっても楽しみはデパ地下である。試食はあったかどうかは忘れたが、細長いパックに詰められた生のウナギが売られていた。カルビと同様に焼いてサンチュに包んで食べるらしい。はっきりした値段は憶えていないが日本と同様高いし、焼いた物は売っていなかったから見るだけにした。昼食としてロッテ百貨店2階のロッテリアでプルコギバーガーセット(불고기버거세트)を注文した。日本のロッテリアやマクドナルドだと「ここでお召し上がりですか?」と尋ねられるため、韓国のロッテリアでもそうだろうと思い、どういった言葉で尋ねられるか予想していた。そうしたら予想は当たり「여기서 먹겠습니까?(ヨギソモッケッスムニカ?=ここでお召し上がりですか?)」と尋ねられ、すぐ「예(イェー=はい)」と答え、トレーにセットがのせられた。値段は3700ウォンで日本とあまり変わらないか、日本で値下げ競争があったことを考えれば高く感じる。セットのドリンクはペプシコーラの「中」のみ、フライドポテトは日本よりも量が多く揚がり過ぎているようで黒っぽかった。プルコギバーガーはてりやきバーガー程ではないが甘口だった。店内は全席禁煙。韓国も禁煙化が進んでいる。そのあと隣駅の回基(회기・フェギ)、城北(성북・ソンブク)と回った。 (名古屋・大曽根VSソウル・C凉里についての調査はココ) |
4.庶民的な台所・東大門市場 城北からは今度は地下鉄1号線・東大門(동대문・トンデームン)へと移動だ。それまでキョトンカードを使っての移動だったが、城北駅にあった自動券売機利用に挑んだ。東大門まで700ウォンであることを確認して、700ウォンと書かれた釦を押し100ウォン硬貨を7枚入れ、キップが出てきた(日本と券売機の利用のしかたが異なる)。仁川(인천・インチョン)行きの電車が来て、東大門に行くことを確認して乗車した。乗り慣れていないと、間違って東大門へは行かない龍山(용산・ヨンサン)行きに乗ってしまうかもしれない。電鉄線は地下鉄1号線と相互乗り入れしているため1号線沿いの東大門へは乗換なしで行くことができる。途中駅から杖を持った老人が乗ってきた。ガイドブックには「必ず老人に席をゆずること」と書いてあるので確かめた。その老人は20歳代〜30歳代の女性が座っている前に立った。やはり女性は立ち上がり、老人は遠慮している仕草だったが結局座ることができ、ゆずった女性は「안녕히 계세요.(アンニョンギゲセヨ=お元気にいらしてください)」と言って別の車両へ去っていった。回基を出て地下に潜って地下鉄1号線に入り暫くすると韓国の電車内につきものの物売りがやってきた。雨合羽売りだ。一着3千ウォンで、乗客の一人が買っていた。飼い主に連れられた小型犬も乗ってきた。本当はいけないのだが…、物売りも禁止されている。国鉄電鉄線の天井にはどちら側の扉が開くかわかるように矢印を表示させる電光掲示板が取り付けられている。東大門で降り、南大門と同様に道路の真ん中にある東 |
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大門から東大門市場へと歩く。定食をのせた丸いお盆を頭の上にのっけて歩くおばさんをやたら多く見かける。出前か?そう言えばまだ昼食時だな。清渓高架路の向こうには1999年2月にオープンした商業ビル・斗山タワー(두산타워・トゥサンタウォー)がそびえ立っている。なお、清渓高架路は取り壊されて、かつてその下を流れていた清渓川を復興させる予定がある。現在、清渓川は先ほど通った国鉄京元線、往十里とC凉里の中間辺りから東より姿を現し、漢江に注ぎ込んでいる。途中通った地下商店街は韓服を売っている店が並んでいる。市場西部の廣藏市場(광장시장・クヮンジャンシジャン)に行くと長椅子がある屋台が並んでいた。ここも眞露で一杯やった14年 | |
東大門と斗山タワー | |
前と随分変わったようだ。パックに詰められたチャプチェ(잡채/雜菜=春雨と野菜の炒め物)を売っている店があったことを覚えていて今回それを買おうとしたが、屋台になってしまっていたので断念。殆どの店に直径5cm程の太く長いスンデ(순대=ソーセージのこと)があった。昼食をとっている人、眞露のチャミスルで一杯やっている人、全体の50%程の入りであった。その中に僧侶がいて何を食べているのだろうと離れた所で確かめ、食べているのは金属製の器に入ったうどん(우동・韓国語でもウドン)だった。その屋台が並んでいる所の西は野菜類や魚類など生鮮食料品を売っている所だった。ニンニクや唐辛子などがあった。唐辛子は青唐辛子が大半を占めていた。が、量が多くしかも値段が書いていないから買うのはやめた。日本には習慣がない価格交渉で買う。日本人の客だとわざと高い値段を付けられると聞いているし、どう言って値切ってもらうかわからないことだし。結局東大門市場では何も買わず何も飲み食いせずその場を後にした。 |
5.再びソウルの都心・鍾路〜明洞 東大門市場近くの地下鉄1号線の鍾路5街(종로5가・チョンノオガ)から鍾閣 (종각・チョンガク)へ向かった。そこにある韓一館(한일관・ハニルグヮン)というレストランへ入ろうとした。ところが14年前なら入口を入ったすぐの所に料理のサンプルがありそこからカルビタン(갈비탕)選んで注文したが、そのサンプルはなくなっていてしかもホールは団体客に占められていたため断念。日本の焼肉屋にある粉唐辛子が入ったものではない塩味のカルビタンが旨かったのになあ。そのまま鍾路を日本語メニュー付きのピビムバプ屋、うどん屋を横目に見ながら西に進み、世宗大路 |
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(세종대로・セジョンデーロ)に立つ李舜臣(이순신・イースンシン)将軍像の前に来た。李舜臣将軍は、李氏朝鮮時代の壬辰倭亂(임진왜란・イムジンウェラン=文禄の役)の時に亀甲船を使い、豊臣秀吉指揮する日本軍を撃退したことで有名で、韓国で尊敬されている人物の一人だ。そして太平路(태평로・テーピョンノ)を南へ、そして市廰へ。時計を見たら2時10分であった。市廰と太平路を隔てた王宮跡・コ壽宮(덕수궁・トクスグン)の入口である大漢門(대한문・テーハンムン)の前で王宮守門交代儀式(王宮守門は門番のこと)が2時に始まることを思い出し、そちらを見たら既に行なわれている最中だった。このため大漢門へ急がなければならない。道路には横断歩道がないから地下を通っていかなければならない。階段を下り方向の見当をつけてコ壽宮方面へと足早に歩いて地上に出る。そして大漢門へ。間に合った。李氏朝鮮時代を再現させている。太鼓の音、トランペットを | |
(左)壬辰倭亂で日本軍を撃退した李舜臣将軍は、今も日本を睨みつけてい る。 (右)コ壽宮の大漢門での王宮守門交代儀式 |
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細長くしたようなラッパの音、色鮮やかな衣装やつばの大きい帽子、日本では見られない光景だ。ラッパや帽子を見ると古代中国、或いは欧州の影響も受けているのだろうかと考える。日本語の説明アナウンスもあった。王宮守門交代儀式が終わったあと、明洞のロッテ百貨店(롯데백화점・ロッテベクヮジョム)本店内を見て廻った。地下で菓子類の土産を買った。他に日本のインスタントラーメンも売っていた。14年前なら、出張で来ていたスーツ姿の日本人男性が菓子類の売り場で何かを買おうとしていたが言葉に困っているようだったので、ちょっとした通訳をした。だが今回はここでも日本人の姿を見ることはなかった。そのあと裏通りに入り夕食として明洞とんかつでロースかつ定食を食べた。千切りキャベツが山盛り、かつも大きかった。お椀に入った味噌汁や沢庵が付いていて箸は日本式(但しプラスチック製)。だがご飯をよそった茶碗は銀色のステンレス製であった。日本料理店だからお椀や茶碗は持ち上げて良いのだが、金属製の茶碗だから持ち上げるのに何か抵抗があるからちょっと傾けた程度にした。当然ご飯は匙ではなく箸で食べる。 |
次に寄ったのは老舗デパートである新世界百貨店(신세계백화점・シンセーゲベックヮジョム)。地下で肉類が売られているのを見たあと(肉類は日本へは持って行けない)、岩のりを買った。新世界百貨店は古い建物であるが、その向かいにも東京日本橋にある日本銀行本店に似た芸術的な建物の韓國銀行(한국은행・ハンググンヘン)がある。なお日帝時代、新世界百貨店は三越、韓國銀行は朝鮮銀行だった。明洞にはもう一つ、美都波百貨店があったが、今はファッション専門店・メトロ美都波(메토로미도파・メトロミドパ)に生まれ変わっている。韓国もデパート業界は厳しいのか?買物を終えた後、真っ直ぐホテルに戻った。 | |
新世界百貨店(左)と韓國銀行(右) | |
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