湯島城跡
所在 静岡県静岡市湯島
交通 JR東海道本線静岡駅よりバス六番下車
歴史 湯島城は南北朝時代、安倍城を本拠に駿河北部に勢力を誇っていた狩野氏により安倍城の支城
として築かれたという。
下って室町中期、今川範政死後の後継を巡って駿河国人領主たちはは朝比奈・岡部氏らが推す
今川範忠派と狩野・富士氏、そして鎌倉公方足利持氏らが推す千代秋丸派に別れて内紛を繰り広
げる。
この内紛に際し千代秋丸派の狩野氏は安倍城より出陣、駿府今川館に攻め入るが今川貞秋軍ら
の反撃を受け敗退。一転して窮地に陥った狩野氏は安倍城を捨てこの湯島城に篭城することになる
が、湯島城も今川軍に包囲され城は落城。狩野氏は四散して一部は帰農したという。
湯島城跡遠望
湯島城跡西曲輪
一言 湯島城跡は菜流寺裏山に残る。
城跡へは菜流寺墓地の奥、貯水槽の横にある小道を進むこと約20分。山の頂上部が城域である。
ただ、城跡周辺は茶畑と転用され、書物に載っている東・西曲輪の遺構を確認するには困難な状況
である。
城跡一帯は茶畑に転用されている(東曲輪跡付近)
城山麓に建つ菜流寺